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政治学者である篠田英朗氏の見当違いの「ガラパゴス憲法学」批判1 八月革命説は別に荒唐無稽な説ではない

2019-12-01 06:35:35 | 政治・社会問題
政治学者である篠田英朗氏は、「日本国憲法」成立の法理について、憲法学者からもっとも支持を得ている「八月革命説」について、このような見解を述べています。

以下は『憲法学の病』P221「第2部 ガラパゴス主義の起源と現状」からの抜粋がネット上で公開されていたので、それを引用したものです。

https://president.jp/articles/-/29565

日本の憲法学のガラパゴス的な性格を決定づけたのは、宮沢俊義(編集部注:1934~1959年、東京帝国大学法学部教授、憲法学第一講座担当)の「八月革命」説であろう。「八月革命」とは、日本がポツダム宣言を受諾した際に、「天皇が神意にもとづいて日本を統治する」天皇制の「神権主義」から「国民主権主義」への転換という「根本建前」の変転としての「革命」が起こったという説である(注1)。この「革命」があったからこそ、日本国憲法の樹立が可能になったという。

かなり荒唐無稽な学説である。敗戦の決断であったポツダム宣言受諾を、革命の成就と読み替えるのは、空想の産物でしかないことは言うまでもない。国際的に全く通用しない学説であるばかりではない。日本国内ですら、かなり特殊な社会集団の中でしか通用しない学説だろう。

宮沢は、「法律学的意味における革命」が起こったという説明が、日本国憲法成立の法理のために必要だ、と主張し続けた(注2)。しかしその宮沢自身ですら、ポツダム宣言によって「日本の政治は……国民主権がその建前とされることとなった」とするだけで、「国民」がどのような「革命」を起こしたのかを説明することはしなかった(注3)。


私自身は「八月革命説」について、これを支持するものではありませんけど、別に荒唐無稽な学説とは思いませんし、「日本国憲法」が形式論としては帝国憲法の手続き通りの改正によるにもかかわらず

天皇主権である帝国憲法が、国民の制憲権により制定された「民定憲法」であることを説明するのには、もっとも説得力がある説の一つであることについてであれば、別に異存はありません。

そもそも篠田氏の著書、少なくとも、この『憲法学の病』を読んだ限りでは

なぜ「日本国憲法」が「民定憲法」であるとされるのか、についての具体的な説明はどこにも出てきません。

それとも

政治学者である篠田英朗氏は「日本国憲法」が「民定憲法」であること、それ自体を否定しようとしているのでしょうか?

笑い事ではなく、ここはかなり重要なところです。

それについては次の記事でふれることにしますが、ここでは「八月革命説」についての確認を先に行うことにします。

以前、こちらの記事でもふれたことですけど
(今回、多少文を修正しています)

まず「日本国憲法」は

「大日本帝国憲法」第73条の憲法改正手続に従って制定されたわけですが、その内容についてみると、主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移っている、とされます。

「日本国憲法」の「上諭文」 によればこうなります。

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢(しじゅん)及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」

憲法改正の「限界説」(後述)という考え方からすると、

「日本国憲法」の前文

「その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり」

これに対し、大日本帝国憲法の「上諭文」は

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス・・・」

とすると

「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の根本的な部分を否定しているわけですので、理屈からすると「大日本帝国憲法」を否定するなら、その正式な改正手続き(帝国憲法第73条)により「改正」された「日本国憲法」も論理的には成立しなくなります。


さて

「憲法改正」については、大別して「憲法改正無限界説」と「憲法改正限界説」という二つの考え方があります。

まず、いわゆる「成文憲法」の場合、基本的には憲法自体の改正手続を定めています。

改正手続に従って行われた「憲法改正」は、当然法的に正当なものとして承認されるわけですが(改正し得ない「憲法改正の限界」を当該憲法に明記してある場合を除く)、仮に「憲法改正」の限界が明記されていない場合であっても

例えば前憲法を無視して、100%全文に及ぶ改正をすることが可能なのか?
(憲法改正無限界説)

それとも法理論上一定の限界があるのか?
(憲法改正限界説)

という事について、学説上の争いがあります。

「憲法改正無限界説」によるのであれば、大まかに言うと「憲法改正手続に従った改正」であれば、いかなる内容への憲法改正も法的に正当化される事になります。

それに対して「憲法改正限界説」の場合、これも概略として言うと「憲法改正手続に従った憲法改正」といえども、前憲法の基本原理・根本規範を改めてしまうような改正は、改正前憲法によって法的に正当化されないと考えられています。

ただし言うまでもないことですが、改正前憲法によって法的に正当化されないからと言って、新憲法が「無効」という事になるわけではなく、新たな基本原理・根本規範によって正当性の理由付けが求められる事になります。

「憲法改正限界説」の立場から考えると、「日本国憲法」は「大日本帝国憲法」の改正ではなく、全く新しい別個の憲法である、ということであり、そして、それは「国民自らが制定した民定憲法」というわけです。

「八月革命説」は、当時の通説であった「憲法改正限界説」に基づき、帝国憲法が改正によって誕生した「日本国憲法」が、なぜ天皇主権から国民主権に変わったのか?

その説明として誕生しました。

ここまで書いたところで、そういえば保守論客である谷田川惣氏が、南出喜久治氏の「憲法無効論」批判についてネット上に公開した一文があったのを思い出したので、以下に引用することにします。
(勿論、谷田川氏としては篠田英朗氏に対する批判目的として発表したわけではないのは明らかですけど、そこはご容赦いただくことにしましょう。)

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/sinmukouronhatangaisetu.html


八月革命説というのは、

現在のわが国における憲法学の“圧倒的通説”となっています。

同パンフレットで南出氏は八月革命説について、

「革命とは国内勢力による政治的な自律的変革の現象であって、

外国勢力による征服下での他律的変革を意味しないからです」と述べています。

これは“革命”という言葉に目を奪われて、

八月革命説の正確な意味を理解していないことを表しているのです。

改正の限界を超えた場合、新たな性質の憲法に生まれ変わり、

旧憲法と新憲法との法的断絶が起こることを、“法的な革命”と表現しただけであって、

八月革命説の生みの親である宮沢俊義は、

もちろん本当に革命が起こったなどと説明しているわけではありません。

たまたま日本ではGHQによる占領中にそれが実現したので

「八月革命説」という表現を使っただけで

GHQによる占領状態にあったかどうかに関係なく、

憲法改正の限界を超えた改正は、改正ではなく、

改正前の憲法と関係のない新しい憲法の制定とみなすといっているのです。

最近の、憲法学者は「八月革命説」という用語はほとんど使用していませんが、

改正の限界を超えた憲法改正は、法学論的には改正ではなく

旧憲法の廃棄と同時に行われた新憲法の制定とみなす、という考えは通説になっています。

大学生が使う憲法学の入門テキストの99%はそのように書かれているのです。


さすがに谷田川氏は法学を基礎から学んだだけあって、その説明もシンプルでわかりやすいものとなっています。

次の記事で、篠田氏の「八月革命説」批判の的はずれぶりを、もう少し詳しく見ていきたいと思います。

こう、ご期待!

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