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マッカーサーは親日だったのでしょうか?

2017-05-05 19:36:02 | 近現代史関連
結論からいうと

歴史の議論としてであれば、マッカーサーの「親日」なるものは、いわばフィクション以上のものではない、と評価してかまわないと思います。

例えばアメリカの歴史学者であるマイケル・シャラーの『マッカーサーの時代』(邦訳、恒文社)によると、こうあります。

>一九四三年初め、彼は北アフリカでのアイクの勝利を「いんちき」であるとして手厳しく批判した。ドイツでなく日本こそ主敵なのである。ヒトラーが部分的に勝利したとしても、「文明人種の下での生存は耐えられるものである」。日本人は、対照的に、「文明に対する全面的脅威」であり、「日本の下での生存は不可能であろう」

(同書P119より)

どんなに少なくとも、マッカーサーはドイツは文明国だが、日本は「文明に対する全面的脅威」である、と考えていた事になります。

こうした考え方の持ち主を、普通は「親日」とは言わないでしょう。

これは、その後のいわゆる「日本人は12歳発言」を見ても、マッカーサーの考え方に変化はない、ということが確認できます。

>一九五一年に解任されたマッカーサーは、人々の熱狂的な賛辞につつまれていたある日、好奇心の強い上院議員たちから日本人の性格についてコメントを求められたことがある。彼は戦争中に敵対した二つの民族の人種的、文化的構造を比較して、次のように答えた。

ドイツ人は成熟した民族である。アングロ・サクソンが、科学、芸術、信仰、 文化の点で四十五歳とすれば、ドイツ民族はそれと同じくらいに成熟している。しかしながら、日本人はその歴史は長いが、これらの点でまだ教えを受けなければならない状況にある。現代文明をもって測定するなら、われわれの四十五歳の年齢と比べると、日本人は十二歳の少年のようなものである。教えを受けなければならなかったどんな時代でもそうであったように、日本人は新しいモデル、新しい考えを受け入れることができる。日本に基本的概念を植え付けることは可能である。彼らは生来、新しい概念を受け入れるだけの素質に恵まれている。

マッカーサーの特殊な語彙、たとえば古風なラテン語起源の tuitionary は、彼の父が半世紀前、フィリピン人を啓蒙するに当って示した助言をそのまま繰返していた。

(同書P192~193)

ちなみにシャラーは

>日本国民については、子供のように適応性があり、模範的アメリカ人を作るために「自分に与えられた粘土のようなもの」である、と語ったことがある。

(同書P192より、なお「」付けは私)

というマッカーサーの発言も、あわせて紹介しています。

百歩くらい譲っても、自分の思い通りにいじれる粘土のような人達である、というくらいの認識でしょうね。

さて、マッカーサーは日本は自衛のために戦争をしたという話をネットなどでよく見かけますが

ここではあえてバリバリの保守派である兵頭二十八氏の発言を引用します。

>侵略戦争とセキュリティ(安全保障)は、常に目的として両立します。
しかし、自衛戦争と侵略戦争は、行為として両立することはできません。
マッカーサーは、日本が一九四一年またはその前後に「セルフ・ディフェンス」したのだなどとは、ひとことも言ってはいませんし、言うはずもないでしょう。
本格交戦に突入した二国のどちらもが「セルフ・ディフェンス」だと判定されることは、法理論上、あり得べくもないのです。
つまり、もし一九四一年に日本がアメリカに対してセルフ・ディフェンスしたのならば、理の当然として、日米戦争では侵略者(悪者)はアメリカ合衆国だったことになってしまう。

(兵頭二十八著『「日本国憲法」廃棄論』P221より引用)

→仮にマッカーサーが祖国の戦争に大義がなかった、などと口走るようなら、彼は軍人として最低です。

私はマッカーサーは大嫌いですが、少なくとも彼がそこまで非常識だったとは思いません。

何より私はマッカーサー発言など、有り難がるような代物ではない、と思っています。

さて、ではその発言というものはどのようなものだったのかというと
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10023353939.html

>「They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」

直訳すると、こんな感じか。
「彼らは、もしそれらの供給が遮断された場合、日本に1000万~1200万の失業者が生じることを恐れた。そのため、戦争に突入しようという彼らの目的は、主に安全上の観点から生じた。」

前半の国内に大量の失業者のくだりがあることを考えると、最後の「security」は外国から防衛するための国家安全保障を指すとは考えにくいのではないか。”大量の失業者の発生による治安悪化を恐れたため、戦争に突入した”、つまり”治安悪化の回避”という意味での「security」と解釈する方が妥当であろう。

要するに、経済制裁による国内混乱を避けるために開戦した、ということに過ぎない。言うまでもなく1941年当時の日本にとって経済制裁を回避するための手段としては、中国からの撤兵という選択肢があったわけだ。さらに遡れば仏印進駐、日独伊三国同盟など日本が主体的に選択できる政治判断があった。
これでは、とても自衛戦争とは言えまい。これが自衛戦争なら、今この瞬間に北朝鮮が日本に核攻撃をしても、”北朝鮮の自衛戦争”が成立してしまうが、まさか誰も納得はしないだろう。

当該部分だけでも、「マッカーサーも自衛戦争だったと言っている」論はかなりあやしいが、とりあえず聴聞会の全体を見てみよう。

もともと1951年5月3日という時点は、朝鮮戦争が38度線付近で膠着状態(北朝鮮+中国義勇軍 VS 韓国+国連軍)となっており停戦が模索されている時期である。また、台湾海峡の緊張状態も生々しい時期でもある(3年後の1954年には台湾海峡の金門島で武力衝突が起こっている)。米中は、朝鮮半島限定とはいえ、事実上交戦状態である(中国義勇軍は名目上は中国軍ではなく志願兵)。マッカーサーは、聴聞会直前の4月11日に司令官を解任されている。ついでに太平洋戦争開戦時、マッカーサーはフィリピンにあって、日米交渉にはほとんど関与していない。

以上を踏まえて、聴聞会記録「MILITARY SITUATION IN THE FAR EAST」のp55にあるHicknlooper上院議員の質問に対するマッカーサーの回答を見てみよう。

General MacArthur. Senator, what I have said is if you put that pressure on China she will be forced to stop her aggression in Korea.

つまり、中国に対して圧力をかければ、朝鮮での中国軍の行動を止めることが出来る、とマッカーサーは主張しているわけだ。
この他、台湾の国民党軍の戦力評価・朝鮮戦争への転用の是非、満州に対する空爆の是非、海空での中国封鎖、などが述べられている。

言うまでもないのだが、この聴聞会自体、現在進行中の朝鮮戦争と共産中国・台湾などの極東情勢が主題である。この流れの中で、「中国に対する海空からの封鎖というのは、太平洋戦争で日本に対して行ったのと同じか?」という質問が出てくるのである。日本の話は、この聴聞会の主題などではない。

(引用ここまで)

詳しくは引用URLを読んでみてください。

なお、ネットではこのマッカーサー発言をさらにアレンジした「マッカーサーの告白」なるトンデモ動画が出回っています。
https://m.youtube.com/watch?v=CD2c1MpXkqQ

そして、この1951年5月3日~5日に行われた公聴会の目的をというのは、朝鮮戦争にともなう「極東の軍事情勢」と、マッカーサーの「解任の是非」についての公聴会です。

マッカーサーは、ここで自分の主張の「正しさ」を誇示したにすぎません。

その発言の都合のいいところだけ取り上げて、さもマッカーサーが「当時の日本の行為を弁護している」ように見せかけている一部の人達がいるだけです。


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