I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

半年

2013年03月19日 | 現在進行形
組織の矛盾に気がついて、半年が経過した。

このブログを作った当時、創価学会批判を綴ることすら「罰」とためらわれ
キーボードを打つ指が震えて冷たくなったのを思い出す。もう懐かしくすらある。
矛盾だと感じたこと、疑問に思った事、おかしい点などを書き綴り自分内で心の整理をつけていた。
しかし1ヶ月間、ブログを公開する事は出来なかった。
それも、がちがちに「罰論」に縛られていたからだった。

自分が40年以上にわたって当たり前のように信じてきた常識としての「創価学会」が
実は幻想で、真実の姿はとんでもない集団であることを、客観視できるようになったのは
組織の矛盾に気づいて3ヶ月ほど経過してから。
あれこれ調べ、御書を読みなおし、自分の頭で「一体何が信心なのか」を客観視しながら
考えた事は、自分にとってたいへん有益だった。

ひよこがまず最初に目にした「動く物」を母親だと信じ切ってついていく、という話をきいたことがある。
学会3世の私もまったくそれと同じだった。
自分の親や、親族(私の場合は、母方の親戚が熱心だった・父方は未入会アンチの一般)が
やってるんだから「まちがいない」と、なにはなくとも信じていた。
また、周囲を組織の会員で囲まれ、週に数日でも定期的に面会しておれば、その世界がむちゃくちゃでも
「正しい」と思わせてしまう、催眠効果も手伝って、おかしいという事に気付かなかった。

おまけに、学校教育で刷り込まれた「平和」が仇となった。
平和を叫ぶことは正しいんだ。
世界平和という大義名分を掲げて活動している組織に属している事が「誇り」になる。完全なる勘違いだけど。
現実なんてわかったものではない。カネをばらまいて世界から称賛を得る。それを都合よく平和行動だのなんだの、
ビデオや写真や書籍やらで洗脳されたが、冷静になると自分が社会で生活する中で、組織外の人間から
「創価学会ってすばらしい」という賛辞を聞いた事は一回もない。 悪口はやまほど耳にしたけど。
結局、世間の評価って正しい。
それでも組織に近いところに居れば「日本人は嫉妬根性で、偉大なる指導者の功績を認めようとしない」
などと言いくるめられた。それをそのまま信じてた自分も随分馬鹿だったって事。

今感じているのは、創価学会に属していた(現在進行形で籍はあるけど)ことは、自分の人生において
黒歴史以外の、何物でもないって事。
誰にもいいたくないし知られたくないし恥ずかしすぎる。

入会を考えている人がもし居たら絶対に止めて正解。
紹介者は「いい人」であっても、その人が属している団体はトンデモだから気をつけて!