卒園式が済み帰省と旅行を終え、やっと自宅に戻ってゆっくりしている。
組織がらみで色々見聞きしたことあり、かきたいことが山ほどあるけど
文章にまとめる時間が無い。
春休みが終わったらじっくり書きたい。
この1ヶ月、ぼんやりと頭の中にあったテーマは「オカルトからの脱却」
私は組織にマインドコントロールされ、全てを信仰の名の下に関連付けて考える訓練を
十数年にわたって受けてきた。
それが、一度の気づきで完全に払しょくされるものではない事を、最近になって思い知って
愕然としている。
結局、組織でいわれる信仰による功徳というものが何だったのかを思うと
それは単なる偶然の結果、産物だったのかもしれないと考えるようにここ半年でなった。
ご祈念して、会合に出て、部員さんの家庭訪問をし激励して、組織のお役にたてることをやれば
いい事がある・お願い事が叶って行く・万事うまく行く・・・そんな事を本気で信じていた。
だから良い事があれば全部「信心のおかげ」と思っていた。
そして逆に、悪いことがおこると「信心が足りないからだ」と気を引き締めた。
今、冷静になって思うとこれって完全なるオカルトだよねって。
根拠のない事にもかかわらず、盲信していた。
まさに自分がオカルトに支配されていた(過去)だったな・・・と絶句したのが、
3月11日の大震災特集番組を見た時。
私の住む地域はこれといった被害も出なかった。
当日その時間は子供たちと外に居て地震に気付かず、夕方帰宅してテレビをつけて驚いた。
この日のお昼、友人宅でご飯をよばれたが、たまたまついていたテレビで石原氏が
都知事選に立候補を決めたとの報道を見た。
私は当時、未活動だったけど創価脳だったから、この立候補を訝しく思った。
石原氏=仏敵と、女子部時代に刷り込まれていたからだ。
そんなわけで夕方テレビを見て大惨事を知った私はすぐこう思った
「仏敵が都知事選に立候補なんてするから、こんな天変地夭が起こったんだ!」と、
石原さんのせいにした(笑)。
その後、石原さんが「天罰」発言をしたときも、切欠はお前だろうが!とテレビに向かって突っ込んだりした。
本気でこの時はそう思っていた。
2年経過した現在は、当然のことながら、それが石原氏立候補によるものだとは思っていない。
誰のせいでもない。日本は島国で、地震大国。
自分の住む土地だっていつどうなるか解らないと認識している。
@@@@@@@
冷静に考えられるようになってきたとはいえ、私はまだオカルト後遺症をひきずっている部分がある。
目の前に起こった出来事を考える時、どうしても信仰と絡めて判断しようとしてしまう。
特に思うように出来事が運ばなかった時に
それを組織で教わった「信仰」と結び付けて考えようとしてしまう「クセ」が抜けない。
今でいえば、仏間の仏壇を放置状態にしている事とついつい関連づけてしまう。
脱会届はいつでも出す準備でいるけど、お曼荼羅に触れるのが恐怖。
見るのも怖い。
組織の活動に出なくても、新聞をやめても、財務を反故にしても全然平気だけど
こと、お曼荼羅になると別件。
それは実家の母や組織の人から長年聞かされた不幸体験という「刷り込み」のせいなんだけれど。
恐れの根源は、お曼荼羅になんらかの「ちから」があると私は信じているからだ。
それもオカルト的な思いこみと言えば、そうなのかもしれないけど・・・。
今一度、大聖人様の御書を読んでよく考えて行きたいと思う。
この1ヶ月半、忙しすぎて全く御書を読めていない。
本当に、人生の半分以上、厄介な教団と関わってしまった事は私にとって災難だった。
早くこんな後遺症から抜け出したい。
頑張ろう。
組織がらみで色々見聞きしたことあり、かきたいことが山ほどあるけど
文章にまとめる時間が無い。
春休みが終わったらじっくり書きたい。
この1ヶ月、ぼんやりと頭の中にあったテーマは「オカルトからの脱却」
私は組織にマインドコントロールされ、全てを信仰の名の下に関連付けて考える訓練を
十数年にわたって受けてきた。
それが、一度の気づきで完全に払しょくされるものではない事を、最近になって思い知って
愕然としている。
結局、組織でいわれる信仰による功徳というものが何だったのかを思うと
それは単なる偶然の結果、産物だったのかもしれないと考えるようにここ半年でなった。
ご祈念して、会合に出て、部員さんの家庭訪問をし激励して、組織のお役にたてることをやれば
いい事がある・お願い事が叶って行く・万事うまく行く・・・そんな事を本気で信じていた。
だから良い事があれば全部「信心のおかげ」と思っていた。
そして逆に、悪いことがおこると「信心が足りないからだ」と気を引き締めた。
今、冷静になって思うとこれって完全なるオカルトだよねって。
根拠のない事にもかかわらず、盲信していた。
まさに自分がオカルトに支配されていた(過去)だったな・・・と絶句したのが、
3月11日の大震災特集番組を見た時。
私の住む地域はこれといった被害も出なかった。
当日その時間は子供たちと外に居て地震に気付かず、夕方帰宅してテレビをつけて驚いた。
この日のお昼、友人宅でご飯をよばれたが、たまたまついていたテレビで石原氏が
都知事選に立候補を決めたとの報道を見た。
私は当時、未活動だったけど創価脳だったから、この立候補を訝しく思った。
石原氏=仏敵と、女子部時代に刷り込まれていたからだ。
そんなわけで夕方テレビを見て大惨事を知った私はすぐこう思った
「仏敵が都知事選に立候補なんてするから、こんな天変地夭が起こったんだ!」と、
石原さんのせいにした(笑)。
その後、石原さんが「天罰」発言をしたときも、切欠はお前だろうが!とテレビに向かって突っ込んだりした。
本気でこの時はそう思っていた。
2年経過した現在は、当然のことながら、それが石原氏立候補によるものだとは思っていない。
誰のせいでもない。日本は島国で、地震大国。
自分の住む土地だっていつどうなるか解らないと認識している。
@@@@@@@
冷静に考えられるようになってきたとはいえ、私はまだオカルト後遺症をひきずっている部分がある。
目の前に起こった出来事を考える時、どうしても信仰と絡めて判断しようとしてしまう。
特に思うように出来事が運ばなかった時に
それを組織で教わった「信仰」と結び付けて考えようとしてしまう「クセ」が抜けない。
今でいえば、仏間の仏壇を放置状態にしている事とついつい関連づけてしまう。
脱会届はいつでも出す準備でいるけど、お曼荼羅に触れるのが恐怖。
見るのも怖い。
組織の活動に出なくても、新聞をやめても、財務を反故にしても全然平気だけど
こと、お曼荼羅になると別件。
それは実家の母や組織の人から長年聞かされた不幸体験という「刷り込み」のせいなんだけれど。
恐れの根源は、お曼荼羅になんらかの「ちから」があると私は信じているからだ。
それもオカルト的な思いこみと言えば、そうなのかもしれないけど・・・。
今一度、大聖人様の御書を読んでよく考えて行きたいと思う。
この1ヶ月半、忙しすぎて全く御書を読めていない。
本当に、人生の半分以上、厄介な教団と関わってしまった事は私にとって災難だった。
早くこんな後遺症から抜け出したい。
頑張ろう。