I believe

間違いに気づいたから、やり直そうと思います。

述懐21

2012年11月03日 | 40代の出来事
第二子が生まれた翌年、夫に転勤の打診があった。
どこへ行くのだろうと、不安半分・楽しみ半分だったが、残念ながら通勤可能な隣県。
長子を転校させるのも可哀相なので引っ越しはしなかった。

私はこの転勤で引っ越しがあれば、統監を地元に戻してもらおうと本気で考えていた。
きょうだいが離婚した際、実家に帰らなかったのに統監は転居先ではなく、地元に戻した
経緯があったので、自分もそうしてもらいたかった。
この地域がダメでも、引っ越し先で活動を頑張ろうという考えは毛頭なく。
その理由は、時折母から送られてくる活動報告メール(笑)で、組織の(婦人部の)戦いの流れを
知っていたからだ。
新聞・新聞ってうるさい、やれ折伏はじまった、婦人部総会で多忙、いついつ選挙がある云々。
ルーチンワークですね、と思いながら読んでいた。そしてその活動のどこからも楽しさが伝わってこない。
母は私に心を許して愚痴を吐いていたのだが、結びの句は「一家和楽の為、頑張るね(絵文字入り)」だった。
しんどいけど、やりたくないけど、なんでこんなことしなきゃならない?だけど「一家和楽」という
自身の命題のため母は一生懸命だった。
そんな、やりたくない事をしなくても、お母さんが信心しろしろって家族の皆にいわなければ
(自己完結してくれれば)一家和楽はすぐにでも達成可能なんだけど、と私は思うようになっていた。
でもそれは絶対母に言えなかった。

組織の活動に冷ややかな目を向けるようになっても、脱会を考える事はなかった。
脱会は無間地獄に落ちると(実際見た事もないのに)聞き、信じて疑わなかったからだ。
活動しなくても組織に籍だけ置いて、御本尊様をお守りして行けばそれでいいと考えていた。

この地域に来て、やたら多いな、と気になったのは
「@地区のOOさんの手術成功を祈願して同盟題目を送ってください」というメール。
支部内の誰かなんだろうけど私は活動に出ていないので知らない人ばっかり。
グループメールで一斉送信しているようだが、私の地元でこんなメール、きたこと無かった。
地域にもよるし・偶然重なったのかもしれないが、やたら多いと感じた際、母に思わず尋ねてしまったほど。
母も「不思議だね?信心してる人は皆、金剛宝器戒なのに。
あなたの住んでる地域は、魔が競いやすいのね」と言っていた。

この「魔が競ってる」「魔が競いやすい」組織独特の言い回し。
信心即生活なので、組織どっぷりなら仕方のない部分もあるが、全てを活動や組織の
都合のいいように解釈する組織脳。
私もつい最近までずーっとそうだった。
これが非常に生き辛く・思考の妨げになっている事に気付いたのは本当につい最近である。

その同盟題目要請メールの中に、知っている名前があった。
私がこの地域にやってきた当時のリーダー(のご主人)だった。
もともと地区またぎの派遣で来ていたリーダーで、元の地区に戻って役職をやっていた。
ご主人も近年壮年部の役職者になり、うちの主人を尋ねて家庭訪問にきたことがあった。
ふーん、と思っただけで放置したが、数ケ月後、「再手術のためにまた同盟題目を
お願いします」とのメールが入った。
癌が転移したとのこと。
大変だなぁ、と思いはしたが、放置した。

それから数ヶ月経過したある日、元リーダーとご主人が犬の散歩をしているところに遭遇。
私は会釈だけで立ち去ろうとしたのだが、元リーダーは2人目がうまれたことを知らなかったようで
「もしかして2人目のお子さんなの?お顔みせて」と呼びとめられ。
ご主人に「先に行ってて」と促し、立ち話に持ち込まれる。
私は一瞬迷ったが「ご主人、お元気になられて良かったですね」と声をかけた。
元リーダーは笑顔をみせたが、「先の見えない投薬治療中」と話してくれた。
「亭主元気で留守がいいっていうけど、本当よ。毎日一緒で、疲れるわ」と笑い飛ばしながら。
「全然(活動)やる気ないの?勿体無いわ。ねぇ、一緒に頑張ろうよ」と組織の話題になったので
そろそろ行きますねと言った瞬間
「ちょっと待って。ずーっと気になってたんだけど、あのお友達、どうなったの?」と聞かれた。
「あのお友達?」と私は全く思いだせずにいたが
「ほら、折伏したいお友達いるって言ってたじゃない。お子さんが難病の」と言われ
ああ! と私は思いだした。
学生時代の友人に、子供が難病で悩んでいる人がいた。
女子時代に仏法対話を重ねていたが、彼女は他からも折伏をうけており、会友という立場だった。
入会はご主人がアンチなので絶対に無理だが、勤行を覚えたり、同中に参加したりと
入会に限りなく近い「外」さんだった。
こちらに来た当時に出席した婦人の会合で、一人ずつ折伏状況を語るコーナーがあって
私は女子時代にどうしてもその人を折伏したかったが、出来なかったと話したのだった。
(当時で)6年も前の話だが、元リーダーはよく覚えてるなぁと驚いた。当の本人が忘れてるというのに。
私は未活になり、彼女とも年賀状だけのつきあいになってしまったので折伏は継続しておらず。
「相手は元気で居るけど、私はもう対話してません。
もうひとり折伏主がいるんで、入会したら私にも連絡くれると思いますが、まだないですね」と返事。
元リーダーは「そうなのね。ずーっと気になってたの。入会してくれるといいね」と言った。
適当に返事をしてその場を切り上げた。

6年も前の話を「気になってた」なんていろんな意味で凄いな、と思った。
つれあいが生きるか死ぬかの闘病中だというのに、他人の下種先のことを咄嗟にでも
思いだせるものだろうか、と。

その時どういうわけか突然
「組織の人は”他人の不幸は蜜の味”な面がある」と女子時代にアンチの友人から言われた事を
思いだして、うわぁ・・・となった。
(けして元リーダーがそうだと言いたいわけではない)

アンチの友人は「組織の人は上から目線。信心したら幸せになれるよ、願いが叶うよ、
悩みが解決するよ!って言ってくるけど、それは私自身を全否定する事と同じ。
それが許せない」
と怒っていた。当時は、そうじゃないよ!と反論もし、意味が解らないと思っていたが
なんとなく今は、言おうとしてた事がわかる。
こうも言われた「信心なしで幸せになろうとしちゃいけないの?」
何と答えたのか全く覚えてない。
鋭い質問だと思う。今だったらどう答えるか「全然いいと思います」って言ってしまうだろう。

また、難病の子供を持つ友人でいえば私は当時、結婚もして無ければ出産経験も無い30すぎの
独身女だった。そんな私が、よく子持ちの女性を折伏しようとしていたなぁと呆れると同時に
相手がそうとう人間できてるというか、心広く受け入れてくれてたんだなと思った。
(若気の至りと許して欲しい)

この直後、本当に驚くべきタイミングで難病の子を持つ彼女から久しぶりにメールが届いた。
内容は共通の友人の消息に関するもので、電話したほうが早いと思い連絡した。
彼女はとても元気そうで、お子さんの病気の件も自ら話してくれた。
私が折伏していた当時は情報も少なく、近隣圏の病院をめぐっており、どこに行っても
対処療法的な事しかしてもらえず光が見えなかったが、インターネットでその病気の患者サイトを
近年発見し、教わった遠方にある病院の名医に診てもらっている。経過は良好とのことだった。
良かったねー!と私も嬉しくなった。
このとき私も信心の話は一切しなかったし、彼女からも無かった。
次の帰省時に久しぶりに会いたいねと話が弾み、お盆休みに会う約束をした。