daichanの小部屋

ある平凡な将棋指しの日常

運動

2008-07-03 09:42:24 | 日記・雑談
僕は運動と名のつくものが基本的に嫌いで、本当に全くしないのですが、どうもそれではやばい(腹が)ということでwiiをまた始めました。午前中にテニス・ボーリング・ジョギングが主なメニューです。家の中でもちょっと動くとけっこう汗をかきます。(汗かきなもので)

別にやせようとかそういう狙いは特になくて、まあ続けばいいなあ、といった程度です。でもまさか、自分がこんなことするとは思わなかったです。年齢を考えると普通に外でやればいいような気もしますが、それはボーリング以外無理なんですよね(^^;
いつまで続くことやら。


棋聖戦は羽生名人が勝って1-2。昨日の将棋も佐藤棋聖の新工夫が出ましたが、今回は結果に結びつかなかったようですね。

あと、朝日アマプロ戦の大盤解説会の案内が出ていたのでご紹介。例年アマ3勝が定着していますが、今年はどうなるんでしょうか。


今日は一日家で棋譜並べです。

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5 コメント

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将棋再開しました (jimi)
2008-07-03 15:48:52
片上五段
初めまして、jimiと申します。子供の頃は将棋が流行っていてかなりやり込みましたが、中学生あたりから止めてしまい、以降、将棋というものの存在をすっかり忘れていました。社会人となり、三十も半ばにくると仕事ばかりでふと立ち止まった時、また将棋がやりたいな、と思い、ゴールデンウィークに将棋倶楽部に行って将棋をやってみました。
ああ、楽しいんだなといい思い出になりました。
実は、将棋で質問があります。将棋のプロ棋士は将棋連盟に所属していますが、棋譜というのが商品だと聞きました。しかし、私たちには一部の棋士の棋譜しか目にすることがありません。棋譜の所有権は棋士のものなのでしょうか?それとも連盟に帰属するものなのでしょうか?
何が言いたいかといいますと、せっかく多くのプロ棋士がいるのであるから、みなさんが棋譜を一局幾らかで販売(棋士のコメント付き)したら是非欲しい人もいると思うのです。データベースもありますが、戦型別で検索して、内容の充実した棋譜を販売したらもっと面白いと思うのですが、どうでしょうか?
突然のメールですみません。ふと、将棋をやってみてそんなことを思ってしまいまして。。。
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Unknown (Unknown)
2008-07-04 09:08:41
http://www.shogi.or.jp/

将棋年鑑です。ご参考まで。
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回答 (daichan)
2008-07-04 10:37:53
もっともなご質問です。私も、もっと多くの棋譜を紹介できるようにしたいと思っております。

簡単に言うと、連盟が棋譜を各棋戦の主催社(大半は新聞社です)に買っていただくという形で、我々棋士の生活は成り立っています。よって、指した棋譜を順次棋士が公開していく、というわけにはいきません。

ただし1年経ったものについては基本的に自由というのが、一応のルールになっています。たとえば将棋年鑑にはかなり多くの棋譜が出ていますが、すべてではありません。すべての棋譜を主に対局者の解説で出せば良いのではと個人的には思っていますが、それは他にも何らかの事情があるのかもしれません。

データベースについては別の観点から話し合いがなされています。現在は関係者のみが使用できるものはあるのですが、一般頒布用のものはまだ作られておりません。
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追記 (daichan)
2008-07-04 10:39:59
将棋年鑑のURLはこちら
http://www.shogi.or.jp/syuppan/main.html
です。どういうわけかこのページは右クリックで開かないとURLが変更されません。
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ありがとうございます。 (jimi)
2008-07-04 11:41:28
片上様
ありがとうございます。
>すべての棋譜を主に対局者の解説で出せば良いのではと個人的には
>思っていますが、それは他にも何らかの事情があるのかもしれません

将棋の魅力はゲームというだけでなく、そこに人生なりの考え方が投影されているところにあると思うのです。対局者本人のそのときの気持ち、なぜ、その一手を選んだのか。人生も山ありですが、一局の将棋の中にその人生の最初から最後までがミニチュア版のように表現されていると思います。
企業で働いていて、辛い時もあります。もう辞めたい、なんで自分ばかりがこんな目にと、
将棋でもそんな局面があると思います。そういった魂といいますか、将棋の手に込められた棋士の哲学が棋譜となって一般の人間にも伝わり、生きる希望を与えてくれると思います。
将棋の、そしてプロ棋士の存在意義はまさにそういったところにもあるような気がしています。苦しい、先が見えない、でも一歩を踏み出さなければいけない、そんな気持の中で棋士は将棋を指しているのだと思います。

みなさま、将棋年鑑の情報ありがとうございました。
私も一ファンとして将棋界の発展を望んでいます。
またコメントを記入させていただくこともあるかと思います。
そのときは宜しく御願い致します。

ありがとうございました。
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