daichanの小部屋

ある平凡な将棋指しの日常

快晴

2008-07-02 10:58:59 | 日記・雑談
昨日に続き、今日も良い天気ですね。そろそろ梅雨明けでしょうか。
いよいよ夏ですね。今年の夏は暑いという話ですが、どうなんでしょう。
最近けっこう引きこもるのが得意になっているので、暑くなったらなるべく家の中で過ごそうと思います。

昨日は結局いつもより遅め、8時ぐらいから連盟に行きました。早い終局あり、深夜まで戦いがぶつからない将棋あり、千日手もあり、とメリハリの効いた一日(?)でした。最後は朝まで感想戦をやっていたところもあったとか。これが順位戦です。

わりと順々に終わっていったので、昨日はかなり多くの将棋に目を通すことができました。これがその日の展開によっては2,3局しか見れない場合もあったりで、控室の検討風景もさまざまです。


今日は棋聖戦第3局ですね。羽生名人は先週珍しく対局がなかったようですが、今日からまた忙しい日々に戻られるようです。
その十九世名人を相手に、ストレート防衛ってこともあるんでしょうか。

僕自身は、今日も所用あり連盟です。禁酒効果か、けっこう充実した日々です。

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4 コメント

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順位戦 (よっしー)
2008-07-02 22:52:19
棋士のみなさんもそうですが、記録係や中継スタッフのみなさんも遅くまでお疲れさまです。

ただ、公益社団法人を目指しているならば、「深夜業務」はいずれ改めた方がよろしいかと。文科省のお役人さんに指摘されるのでは。

大きなお世話でしたら、すみません。
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うーん (daichan)
2008-07-03 09:33:25
ちょっとよくわからないんですが、個人的には、やめるわけにはいきませんね(^^;
これがこの世界の醍醐味のひとつですから。
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順位戦の意味 (KS)
2008-07-03 14:32:49
はじめまして。
よっしーさんのおっしゃることを、別の観点から私も考えることがよくあります。

私は小学生の時に将棋を覚え、しかしその後は特に指すことも観ることもないまま勤め人になり、近年会社からのこっそり観戦で「復帰」しました。指す方もまずwebで、その後相手に向かいながら駒を触りたくなってきたので某将棋場に行ったのですが……、これが私にはなかなか「敷居が高い」のです。棋力がヘボであること自体は分かっていたし、手合いの方に按排もしてもらえるので何でもないのですが、問題は対局後で、ヘボでも、少なくともその夜は棋譜などつけなくても対局内容を鮮明に覚えていますから、後悔で眠れなくなって頭で一人感想戦を始めてしまうのですね。勝つための勉強もまるでしていないのに。それに較べてwebは良くも悪くも敷居が低いので後悔も小さくて済むのですが、やはり切り替えがうまくいかないというか、ある種の中毒症があり、一度始めると勝てるまでやめられなくなるのが怖い、だから簡単な詰め将棋にとどめておく、というのが、観戦以外での最近の将棋との付き合いになってしまっています。その簡単な詰め将棋すら解けないときもあるのですが、そこは相手がいる訳ではないので、スパッと諦めるくせを付けるように努めています(詰め将棋そのものが、こっちに行ったら駄目だろうな、という早めの「諦め」も重要なパズルですね)。

そういう私からプロ将棋界を観ていると、当たり前ですが、子どもの時からこういう勝負を繰り返しているからこんなことができるのだろうな、と思います。自分も今子どもだったら、そう強くなることはないとしても一日中将棋を指しても眠れなくはならないだろうし、高校生や大学生だったら、一晩中後悔しても、あるいは一晩中指し続けても、何でもないでしょう。逆に言うと、プロ棋士の方は学生時代、あるいは子ども時代がそのまま続いているように見えてしまい、対局翌日に一日中休める職種への羨望も湧いてきます。最近の棋士の方は対局以外にもお忙しいから、その休みをとれない場合もあるのは多くのブログを拝見して承知しておりますが、それでも一晩中夢中になれることを仕事にできるのは、やはり特殊な業界ですね。公益法人改革とどう関連してくるかは知識がありませんが、海外普及の上では、順位戦のシステムは日本人の働き過ぎと結びつけられて見られそうな気はします(もっとも、外国人が奨励会を突破する時代は、コンピュータ、女性の次、まだ先だと予想しますが……、しかし、女性の一人でも奨励会を突破したら、順位戦のシステムは男社会でつくられたものだということに直面せざるえなくなるのでは? コンピュータは逆に有利ですね。)。 

 そして次に思うのは、そんなプロ棋士の方でも、ある年齢で「子ども」でなくなる瞬間があるように見えるということです。50代、さらには40代で亡くなる棋士の方を、毎年何人かずつ見ているように思います。これは、激しい闘い、特に順位戦に耐えられなくなる年齢が、人生の終わりと重なってしまったという面があるのではないでしょうか。もちろん、それを察知して(あるいは成績によって脱落して)、フリークラスに行かれる方もいるでしょう。亡くなる直前の真鍋九段が、羽生さんについて、あんなギリギリの勝負を続けていていつまで持つのか、と書いていたのは、ご自分の実感からなのだろうな、と、後から思いました。羽生さんは少なくとも40代は大丈夫じゃないかと思いますが(谷川さんという先例もあるので)、むしろ羽生さんより若い私と同世代の棋士の方々が、羽生さんより老けて(疲れて)見えることがあります。

 そこで連想するのは囲碁界です。私は坂口安吾のファンで、安吾の書いた囲碁・将棋のエッセイも読みました。安吾は若き日の大山康晴についても呉清源についても書いているのですが、大山氏より10歳ほども年上の呉さんが未だ健在というのがやはり驚きで、囲碁の方が健康的なゲーム、という俗説は正しいだろうと思ってしまうのです(ゲームそのものの性質だけでなくプロ制度が違うわけですが)。60代の父親から囲碁をやらないか、と言われることがあって、私は中学生の時に何となくルールを覚えただけだし「囲碁将棋ジャーナル」でも私にとって囲碁の時間は将棋が始まるまでの待ち時間にしかなっていないので、「興味がない」と答えたのですが(将棋は、私が小学生の時に既に父親に勝っているので、父親はやりたがらない)、かなり老いてきた父親の認知症防止のためにも、また自分のためにも、囲碁を始めるのもいいかな、と最近は思っています。(ただ、「週刊碁」をたまに買ってみると、「週刊将棋」とくらべ、率直にいって随分と老化した雰囲気を感じざるを得ないのですが……、老化しながらも長生きする秘訣が碁にあるということでしょうか。)
 長文、失礼しました。
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誤字失礼 (KS)
2008-07-03 15:32:36
真鍋九段→真部九段ですね。失礼いたしました。
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