オドラデクの心配事

日常にゆるやかに乱入する舞踏家の由無し事

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鬼のカサブタ 必見!道路劇場公演

2007年01月26日 | 道路劇場のお知らせ
オドラデク道路劇場
鬼のカサブタ
舞踏+ライブペインティング+アフリカのタイコ

オドラデク道路劇場は、新鮮な出会いと驚きを求めて
今年も国内外の様々な場所を彷徨い各地に出没します。
道が交差する辻々には、雑多であやしげな生命が
ぶつかりあい、渦巻いています。
その混沌の中に一歩踏み込み身体を許していくことで
踊りが生まれていきます。
オドラデク道路劇場はそのような辻の生成現場で
ありたいと願っています。
この度は、青森出身の絵本作家沢田としき氏の
ライブペイントとアフリカの太鼓ジンベ奏者の
廣田真志氏をゲストに迎え、青森在住の鬼たちと
過剰に交錯する一夜となります。
平日の夜ではありますが、カザブタの熔ける極上
の夜会に是非ともお運びください。

日 時  平成19年2月8日(木)
    19:00開演(30分前開場)
場 所  アトリエ 1007
出 演  沢田としき ライブペインティング
      福士正一  舞踏
     廣田真志  ジンベ
      えいと ジンベ
      宮田剛 ジンベ
      亀さん    ダンス
入場料 2000円(前売・当日共)
問合せ 生成空間オドラデク
     TEL&FAX 017-766-8009
     odorade@actv.ne.jp
主催 青森ダンスエクスペリエンスの会
協力  渡辺源四郎商店 ARTizan

アトリエ1007
青森市本町3—4-5 スズケンビル1F 
さんふり横丁並び・青森駅方向 (駐車場はありません)
※待合ロビーがありますのでご利用ください。

出演者の略歴
沢田としき(SAWADA TOSHIKI)
1959年青森県蟹田町生まれ 青森県立北高校卒業。
阿佐ヶ谷美術専門学校ビジュアルデザイン科卒業。
デザイン会社K2 勤務を経て独立。イラストレーター、
絵本作家、ステージ美術、ライブペインティング、個展などで幅広く活躍中。
絵本「アフリカの音」(講談社)で '96日本絵本賞受賞。
「きらきら」文・佐藤慶子(小学館)で第8回日本絵本賞読者賞受賞
主な著書
絵本「アフリカの音」(講談社)、「ほろづき」(岩崎書店)
「土のふえ」 文・今西祐行(岩崎書店)
「つきよのくじら」 文・戸田和代(鈴木出版)
「プレゼント」 文・乙武洋匡(中央法規出版)
「てではなそう・きらきら」 文・佐藤慶子(小学館)
「ピリカおかあさんへの旅」 文・越智典子(福音館書店)他多数
その他のおもな活動
1991年~98年 宮崎県高千穂町「神話の里フェスティバル」アートディレクター
1997年 北海道常呂町・生涯学習の場[風のがっこう]看板制作
2000年 アントニオ・マセオ革命記念広場(キューバ)にて
子どもたちのための絵本朗読会とパフォーマンス
2001年 青森市新町商店街の消火栓お色直しペイント
2002年 台湾・瀧潭運動公園にモザイクによる壁画を制作
2005年 「アフリカの絵本と児童書展」企画制作(東京・京都・滋賀を巡回)

福士正一(FUKUSHI SHOICHI) 
1953年青森市生まれ。青森市役所に勤務する「公務する舞踏家」。
1997年度青森県芸術文化奨励賞受賞。
主な公演 「ダンス白州(山梨)94~」「縄文魂~風の祭り(福島)89~」
「縄文・雪幻想98」「日韓パフォーミングアーツフェスタ~祈りのかたち01」
「GAW展(竜飛崎・新宿ゴールデン街)05」
主な海外公演 「日韓ダンスフェスティバル(ソウル)93」「サイパン島91」
「バヌアツ共和国独立記念公演80・00」「韓国編 ソウル・平澤市・南原・釜山」
「釜山国際海浜舞踊祭97」「欧州編(ペルージャ、アテネ、ニーム、パリ)05」

廣田真志(HIROTA MASASHI)
北海道帯広市生まれ ジンベ奏者
ウォークトーク所属 現在、北海道、東京を中心にワークショップ、演奏活動中
1999年 アフリカ セネガルにて民族楽器の修業
2006年 アフリカ マリにて民族楽器の修業

野呂栄人(NORO EITO)
青森市生まれ ドラム奏者
1992年~96年音楽集団「ZENIGEBA」ドラム奏者として欧州各国・全米・豪州で演奏
音楽集団「アクンプライス」の打楽器奏者として活動(~1998)

宮田剛(MIYATA TAKESHI)
青森市生まれ ジンベ奏者
1998年 ネパールにてマダル(民族楽器)の修業
サイオン・カマラ氏(アフリカンドラム・ギニア在住)と共に国内演奏活

穐元正人(AKIMOTO MASATO)
青森市出身 フィッシャーマン、ドラマー
「IMO」「ダブドライバー」「カリブトーキング」のボーカル、
パーカッションで活動

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道路劇場入内分校 新たな課題が浮上

2007年01月18日 | 道路劇場のお知らせ
ということで、入内分校での公演は、当面やれる
ことにはなったのだが、新たな問題が浮上してきた。
公演のタイミングということで、教頭先生と地元の
実行委員会が悩んでいるのだ。

学校側の考えは、セレモニーとしての閉校式を
午前10時からはじめ11時半ころに終了する。
昼を兼ねて、12時半から思い出を語る会を坂の下
にある集会所で行う。これは、いわゆる飲み会である。

当初、閉校式のセレモニーと懇親会の間に公演をして
もらうということだったが、現場の教頭先生からすると、
来賓とかマスコミとか、閉校に関しての本来的な様々な
応対があり、懇親会はできれば12時半には始めたい。
そうなると、準備もあるだろうから、30分くらいしか
踊りの時間がとれない。それでは申し訳ないので、人は
少なくても別の日にやってもらうとか・・。
ということなのだ。

いまの入内集落の生活状況からいって、地元の人々は、
そうそう何回も学校に集まれるわけではない。
したがって、3月11日(日)の閉校式にいろいろな地元
の人たちが集まるので一気に公演を行うのが妥当なところ
である。

学校側では、懇親会が始まってしまうと、これは思い出話
に花が咲き、ばらばらになってしまう。第一、懇親会の途中
で坂の下の集会所から学校まで戻ることはほとんど無理である。
かといって、分校の校舎以外で公演することは公演の趣旨で
はないだろう・・。ということらしい。

この件で今週土曜日に入内に入ってくることにした。
学校は小高い丘の上にあり、校庭が坂の途中にあるため、
校舎から眼下に校庭を見下せる。雪は市内の2倍は積もる。
これまでの道路劇場の成り行きからすると、雪の校庭を
最大限に使うことになるだろう。
雪の校庭へのドローイング、ペインティング。
講堂から臨むガラス窓は、昔のガラスなので、
ぴかぴかで、微妙にゆがんでいる。
ジンベ太鼓を乱打すれば、ガラスが振動するはずだ。
分校からの坂を下りて、集会所に下る道すがらでも踊りは
続く。丘の上の校舎から集落へ下る道はここでは象徴的な
道なのだ。
ということで、あしたから、写真をアップしていきます。
                    (つづく)
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経過報告~最後の分校で踊る2

2007年01月16日 | 道路劇場のお知らせ
=校長に会った=
先週の金曜日青森南高校の先生と一緒に
本校の校長に会った。
相当に構えて会いに行った。
なにしろ、ここを突破しなければ、少なく
とも校舎内での公演はできない。
話は高校の先生から切り出した。
この10年撮りためた写真を展示して、
思い出を振り返るのだ。最後の授業まで
あと2ヶ月あまり。この間も写真を撮り
続けたい。そしてそれを取材するマスコミ
も校舎に入る。この3点を許可してほしい
そんな感じのお願いであった。
「願ってもないことです。子供たちも地域
の方々もとても喜ぶでしょう。」
校長は、あたかも自分が地域の方々の代表
のように感謝の言葉を丁寧に語った。
それは思ったよりあっさりと認められた。

そして今度は踊りの番だ。
私の手は汗ばんでいた。写真はモノを言わな
い。廊下に展示するくらいなら、願ってもな
いことだ。だが、踊りとなると話は別だ。
だいいち、大事な閉校式のセレモニーの時に、
踊りだかなんだか訳のわからないもので、集ま
った人たちにヒンシュクを買ったりすれば、
許可した校長のコケンにかかわる・・。
といったようなことを校長は考えているかもし
れない・・。

私は、口早に10年前にこの分校で踊ったこと、
当時県内にあったすべての分校で踊ったこと、
消え行く青森県最後の分校の児童と地域の人た
ちにぜひとも見てもらいたいこと、そして、
今年から、これまでに巡演した場所を訪ねて
もう一度踊りを踊ることにしたことなど、その
場で思いついたことを次々に話した。

校長の大きく分厚いメガネの奥の目蓋がかすかに
緩んだような気がした。

「先生の踊りで分校の最後を有終の美で飾れる
ことはとてもありがたいことだと思います。」

最初は耳を疑った。が、校長が話した言葉は、
間違いなくそんな意味合いのことであった。

話はとんとんと進み、3月11日午前中に分校の
講堂で閉校式のセレモニーを行い、それから学校
の下にある集会所で思い出を語る会を開催する
予定だが、その間にやってもらうのはどうか。
セレモニーのために紅白の幕があるが、それは
邪魔にならないか。時間はどれくらいか。前回は
夕方の公演で、雪の深い校庭に出て踊ったよう
だが、昼の公演だと幻想的な雰囲気が出ないのでは
ないか、などと校長から矢継ぎ早に質問があり、
私はいつものように、何も考えずに問題は何もあり
ませんと即座に回答した。

「これまで様々な場所で五百回以上やってきましたの
ですから、まったくノープロブレムです。」

校長の言質さえとれれば、あとは何とでもなる。
これまで、どんな劣悪な条件でも公演してきたのだから。

深々と頭を下げ、高校の先生と私は本校をあとにし、
その足で入内の町会長の家に向かった。(つづく)

写真は、97年1月。公演開始前に入内分校の
正門から集落の方へ門付けに出る道路劇場。















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経過報告~最後の分校で踊る

2007年01月15日 | 道路劇場のお知らせ
3月で閉校する青森県最後の分校で踊るために、動き
はじめました。途中経過を報告していきます。

=分校を撮り続けた高校教師=
実は閉校の話は、昨年の11月頃に青森南高校の先生
から聞いていた。
私が入内分校で踊ったのは1997年の1月下旬。
その年の春から、先生は分校に通い始め、高校の写真
部の生徒たちといっしょに入内分校の子どもたちの
写真を10年間撮り続けてきたのだ。
撮影を始めた最初の年の分校の児童が卒業して、昨年
4月、青森南高校に入学し、先生が顧問をしている
写真部に入部したのだという。いまも先生といっしょ
に母校である入内分校に撮影にでかけている。
その南高校の先生は、閉校する前に、いままで撮りた
めた写真を構内に展示したいという思いがあり、私の
踊りたいという思いと一致した。

=教頭を訪ねる=
ということで、去年の12月初旬、私は、先生と10年
ぶりに入内分校を訪ね、教頭先生にお会いしたのだ。
分校の校長は、本校の校長が兼ね、実質的には教頭が
日々の学校運営の責任者である。教頭は、いちもにも
なく、閉校に当たって、写真展や踊りの公演をしても
らうことに賛成であった。しかし、外部の人間が学校
内で何かを行うには、やはり校長の了解が必要だという。
まして、閉校にあたってのイベントとなれば、マスコミ
などに注目されることから、まず校長に了解をもらう
必要があるという。

=やっかいな校長の説得=
ところが、なかなか、いまの校長から許諾をもらうのは
至難の業だというのだ。相当の変わり者の校長らしい。
ある意味で慎重すぎる人なのかもしれない。
あるいは、よけいなことをしないで、さっさとセレモニー
だけで終わろうとしているのか・・・。
閉校が年度の途中で決定し、当然予算もないなかで、
入内の地元の関係者で閉校のイベントの実行委員会を
立ち上げるにしても、校長の了解をとらなければ分校
としては、動けないというのだ。
学校現場では、校長の権限は外部から見るより相当に
強いものらしい。
そして、その後、いろいろな関係者から聞いたところ
地元の町会長やPTA会長も手を焼いていそうな雰囲気
であったのだ。     

=閉校への思い=
閉校式は3月11日らしい。なにをするにも時間がない。
地元の実行委員会はできたというものの、なにも動いて
いないという。なにしろ、この分校は96年の歴史がある。
あと4年で100歳なのだ。
当時分校を開設してもらうための、地元の人たち働きかけ
は大変な苦労であったときく。
地元の青年団が自分たちでプールを作ったという話も聞く。
なにしろ、様々な人たちが、この分校を守り続けてきた
のだから、思いもひとしおであろう。

=校長に会ってきた=
というわけで、先週の金曜日、分校の本校である青森市立
野沢小学校の校長先生にお会いしてきたのだ。(つづく)
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3月に閉校する最後の分校で踊る。

2007年01月14日 | 道路劇場のお知らせ
新しい年が明けて、もう半月たってしまった。
今年も皆さんのお世話になりながら、踊り続けます。
どうぞよろしくお願いします。
ということで、慣れないブログなるものをはじめました。

まずは、現在の懸案。
実は、この3月いっぱいで、青森県にただ1校となって
しまった青森市の野沢小学校入内分校が閉校する。
現在の児童数は4名。今後の入学予定者が見込まれない
ことから、市の教育委員会では、閉校することを決定し、
昨年12月に市議会で承認されたのだ。

この分校は96年の歴史がある。
私は15年前から、青森県内の9校の分校を全部回り
道路劇場の公演をしてきたのですが、実は10年前に
入内分校でも踊っている。
そのときは、公演までに何度も現地を訪ね、集落の
いろいろな方々によく訳のわからない踊りの説明をして
歩いた。分校は当時も5、6人の児童しかいなかった。

かつて、分校は集落の中心であり、運動会や文化祭などは、
集落の人たちが皆分校に集まり、とても活気があったのだ。
車社会になり、町までの距離が一気に短縮するとともに、
農家の跡取りや若い人が次々に青森市内に出て就職し、子ども
の数が減るとともに、学校の先生も教員宿舎に泊ることが
なくなり、次第に分校の求心力はなくなっていった。

しかし、10年前にオドラデク道路劇場の公演をしたとき、
分校の講堂は30年ぶりに満杯のお客さんが集まってくれた
のだ。
実はそれまで、入内の集落に芸能が入ったのは、人形芝居の
金多豆蔵一座だけだったのだ。

てなわけで、この3月11日に閉校式が行われるようなの
だが、年度の途中で突然決まった閉校なので、地元の人たち
は、どのような形でお別れをしたらいいのか、とまどっている
様子なのだ。
この話を昨年の暮れに聞いてから、私はどうしても閉校
する前にもう一度踊りたいと強く思うようになった。
その当時に踊りを見た子どもたちは、今は二十歳前後に
なっている。その子たちも、その子たちの親も、また、
集まってくれた集落の人たちも、踊りのことは記憶に
残っているという。とてもうれしい話だ。

だが、問題は、学校でイベントをやることが、どうも大変
やっかいな事態になっているのだ。いまここでは、詳細は
書けないが、なんとも奇妙な事態が起こっていることだけ
は確かなのだ。
事態をなんとかクリアーするためにがんばっている。

そこで、併行して皆さんにお願いがあります。
とても素敵な丘の上の分校に3月でお別れするために、
なんとしても踊りたいと考えています。
是非、協力してください。協力の仕方は様々ですが、
まず、音楽、美術、ダンス、映像、詩、ヴォイスなど
でのジョイント。これは表現者としての参加。
そして、スタッフとしての協力。あるいは、記録としての
参加。どんな些細な手助けでも歓迎します。

事態の成り行きは逐次報告します。

というわけで、はじめての投稿は、皆さんへのお願いでした。
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