日本祖国戦線

愛国社会主義(National Socialism)による日本及び世界の再建を模索する研究会です。

第三百六回「一日会」 維新政党・新風魚谷哲央代表講演 「激動する政治に如何に対処すべきか」

2018年01月08日 09時36分50秒 | その他・未区分
平成30年1月7日、大阪で行われた国体護持団体「一日会」の講演に参加しました。



一日会というのは民族派学生運動OBの中山嶺雄先生(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%BD%A4_(%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E5%B8%AB))主催の定例勉強会であり、時勢に対して実践活動も行っている。

その30年以上の歴史と内容から、東の「一水会」と並び称されている。

【一日会】会歌・青年日本の歌斉唱【第三百回】


平成30年の第一回は中山先生の民族派学生時代からの同志であり、新右翼政治団体「維新政党・新風」代表である魚谷哲央先生でした。



演題は「激動する政治に如何に対処すべきか」

民族派新右翼の視点から現在の政治に関して講話を頂いた。

【要約】

「戦後体制」を如何にして打破するのか?

北朝鮮情勢の緊迫化という「外的要因」から一挙に戦後体制が崩壊するという可能性はあるものの、「内的な努力」が無くて、外部からの圧力に頼るのは如何なものかという懸念を示された。

本年、日本は大きな局面を迎えている。

即ち「皇位継承の課題」「東アジア情勢」「人口減少の問題」である。

東アジア情勢は、北朝鮮だけではなく、その傍らで着々と勢力を拡大している中共の動向や中韓による「歴史戦」に対処する必要がある。

人口減少の問題は、移民・雇用の問題に直結していく。

そして、皇位継承の課題を論じる前に、「歴史戦」や国防、経済、様々な問題の背景になっているのは「憲法」だと認識する必要がある。
戦後体制の様々な問題の集約が「現行占領憲法」である。

維新政党・新風は「帝国憲法の復元改正論」の立場に立っていながらアレンジを加えている。

新風の憲法試案の重大な特徴は「国体憲章」「憲法」を分けていることである。

帝国憲法は第一条から「国体条項」が記されていたが、新風の案では「国体憲章」として分けて考えている。

「国体憲章」とは「不磨の大典」として未来永劫変わってはならない皇国としての大前提を「憲章」としてまとめたものである。


国体憲章案


維新政党・新風本部政策委員会
平成十五年十一月第一次案

第一条 日本国は、万世一系の天皇之を統治す。
第二条 天皇は、神聖にして侵すべからず。
第三条 皇位は、皇室典範の定むる所に依り、皇男子孫之を継承す。
第四条 天皇は、祭祀並びに儀礼を司る。
第五条 天皇は、国政又は国益上必要ある時、政府其の他公の機関並びに国民に対し親諭を発す。
第六条 天皇は、法律上並びに政治上の責に任ぜず。
第七条 摂政は、天皇の名に於て国権を総攬す。摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る。
第八条 天皇崩ずる時は、皇嗣即ち踐祚し、祖宗の神器を承く。
第九条 即位の礼及び大嘗祭は、京都に於て之を行ふ。
第十条 踐祚の後、元号を建て、一世の間に再び改めざること。



そして、「憲法」というのは「政体法」であり政治制度を示すものであるから時代の変化に応じて変えていける柔軟なものでなくてはならない。


即ち、「不磨の大典」の国体憲章と「柔軟な法律」である憲法(政体法) を分けていることが重大特徴である。

「憲法」に所謂「家制度」を盛り込んではどうかという意見もあったが、他にも「環境権」「殺戮兵器の制約」「統治機構」などの制度などは政策論の問題で、「憲法」はあくまで国家の方向を示すものであるから、環境や統治機構は大切ではあるが、それは世の中の変化に合わせて一般法で対応すれば良いという姿勢に立っている。

憲法改正の方法として、国会において現行憲法の「無効」を決議し、同時に帝国憲法の復元を宣言する。
帝国憲法が復元すると言っても戦前に回帰する訳ではなく、手続き上の問題で憲法復元と同時に現代に即した形に改正する案があることが大前提である。

皇室典範に関しては、本来、典範とは憲法の下位法ではなく憲法の枠外にあって同等であった戦前の位置付けに戻す必要がある。

維新政党・新風の皇位継承の基本方針を以下に示す。



皇位継承に関する維新政党・新風の基本方針

1 憲法と同じく皇室典範を復元改正す
2 宮内庁を独立官衙の宮内省とし、宮内大臣を設く
3 皇室会議を皇族会議に復す
4 皇室祭祀令を回復す
5 旧宮家の復籍を図る
6 現在における緊急的措置として、現皇室典範第九条を左記の様に改む


皇族は、皇統に属する男系の男子を養子にすることができる。

現在の宮内庁というのは外務省や他の省庁出身のエリート官僚の終点のような扱いであり、これを皇室の専門家としての独立官衙の「宮内省」として再編する必要がある。


本来、神社界も今上陛下の譲位の詔があった際に、積極的に自民党に働きかける必要があり、神道政治連盟という組織があるにも関わらず、何もしなかった。
そのような神社界であるから神社本庁の土地売却問題で揺れたり、富岡八幡宮のような不祥事があるのではないかと懸念を表した。

先般、行われた皇室会議に出席された皇族は常陸宮様のみであった。
他の構成員は衆参議長、最高裁判長、内閣総理大臣といった臣下ばかりというのが現状であった。
この会議に対して、常陸宮様は御立腹された。
事前に報道されているような情報しか宮内庁の役人が上げておらず、それ以上の譲位や改元についてどう進めるかという決定に至った経緯の説明はされなかった。
そして、会議の場で説明する者もいなかった。
菅官房長官は本来の会議参加者ではなかったが、特例法の責任者として出席していた。
にもかかわらず、特例法の経緯について宮様に説明することはしなかった。
結局、皇族が棚上げで何もかも決められて、その説明がないという状況に御立腹されたのである。

これを皇族の意見を尊重するために皇族会議に戻す必要がある。

また、消滅の危機にある宮家の存続のための緊急的措置として旧宮家などの男系男子の養子制度を提案している。

これらを実現するために自民党などにも働きかけを行っている。

数年前にも、宮家消滅の危機が予想されるということで京都の代議士を通して自民党の中枢に話を持っていったことがあるが、自民党は「今は皇室典範の改正は喫緊の課題ではない、それより憲法だ。」という旨の回答を新風に返した。

その憲法さえも自民党は正面から取り組んでいるとは言えない。

安倍首相は日本会議には憲法改正を仄めかすようなメッセージを発信するが国民に向けて正面から憲法改正を訴えようとしていない。

選挙の際にも、申し訳程度に触れるばかりで、旗色が悪くなればすぐに取り下げることが目立った。

安倍首相が歴代の政権の中で憲法改正に動こうとしている点は一定の評価をするものの、そのために肩透かしや誤魔化しをすることは如何なものか。

何故、堂々と国民に説明し、野党に対しても論戦を挑まないのか。
ここに、自民党の典型的な政治姿勢が顕れている。

まして、安倍首相が散々訴えている「戦後レジュームからの脱却」というのは、維新政党・新風をはじめとした民族派・新右翼が訴えている「戦後体制の打破」とは真逆なものであると言える。
「戦後レジュームからの脱却」とは戦後体制を容認した上で強化していく、戦後体制の固定化でしかない。
それが盛んに言われている日米同盟の強化である。
日米同盟の強化というのは戦後体制の容認でしかない。

憲法の現実的な改正案とされている「九条三項加憲」というのは戦後体制が集約された結果である占領憲法を固定化するものである。

よく言われる現実論とされている二段階論というのは戦後体制を容認する誤魔化しである。
元自衛官なども表では、憲法に明記されるのは有難いと言うが、本音では士道不覚悟のような問題点を糊塗するやり方は望んでいない。

そして、もし政権のようなやり方で形だけの憲法改正が実現された場合、それで満足して、それ以上の進展がないことは、現状の交戦権の問題や皇室制度のことといった本質的な憲法論議がされていない有り様を見れば容易に想像できる。

だから、現実の二段階改正論はあり得ない方向に持っていこうとする議論である。

そして、戦後体制の容認である日米同盟は、同盟であるとは言えない。
現状の自衛隊とはアメリカの傭兵としか言い様がない。

従って、現在の憲法論議というのは誤魔化しであり、それに保守勢力が乗っかろうとしている現状であっても、迎合せずに風穴を開けていく立場が必要である。

そのために、残念ながら平成31年には御世代わりしているものの、断固として「戦後体制の打破」を堂々と掲げる政治勢力として比例選挙に望んでいかなければならない。

でなければ、このままで終わってしまう。

このままでは日本は、三島由紀夫先生が仰ったように経済的には繁栄しても中身が空っぽな無機透明な「日本」という国が残るだけだ。
残念ながら、日本は着々とその道を辿ろうとし、保守系と呼ばれる勢力も乗ろうとしている。

我々は、自分たちを「保守系」とは思っていない。
言わば、戦後体制を打破していく革新派・反体制派であると思っている。

そういう意味で、民族派をどうやって勢力化・組織化していくかが課題である。

かつて、戦前からの様々な活動家は風格があり、人間性も豊かに優れた人ばかりであった。
それに比べて、戦後生まれは人間的なレベルは非常に低いと言わざるを得ない。

だから社会的な影響を持ち得ない。
そこで、組織化して如何に勢力を持っていける流れを時間がかかっても取り組んでいかなくてはならない。

既に維新政党・新風を立ち上げて二十年が経過した。
あるいは民族派学生運動の時から数十年経っている。
様々な人物が様々な活動をしてきても、目立った成果は残っていない。

だから、運動論・組織論が大切であり、そのために維新政党・新風が存在しているのである。

また、時勢に対する政策や対処とは別に、現代文明社会の矛盾に対して、新しい価値観となる理想や世界観を示していくことも必要である。





日本の戦後体制の問題と並行して、世界では文明の段階としてのグローバリズムの展開がされており、そのアンチとして欧州をはじめとして様々な民族主義政党が勃興し、政権の一角を担う国も現れはじめている。

我々はグローバリズムを全面的に否定するのではなく、文明としてAIや先進医療技術なくして生きていくことは出来ない。
しかしながら、グローバリズムが文明の進歩であるかのような風潮に対し、ここで踏み留まって考え直していく時期ではないか。

「国民経済」「国民国家」という考え方を再度、大切にしていくべきではないか。

現在、金融資本主義が世界に跋扈し、マネーに国境がなくなって、グローバリズムが進展した結果、技術的に現代資本主義の先端をいく国は大きな利得を得る方向性ではあるかもしれないが、その反対の立場にあるもの(途上国)は、永遠に収奪される対象になってしまっている。

よく言われる、「国際分業論」というのは、先進国が工業製品を作って、後進国が資源だけ作っておけは良いという、後進国の技術や国民経済の成長を無視して、国民国家の産業のあり方を否定する考え方である。

果たしてそれで良いのか?
様々な国ごとに文化の違いがあって文明の受け取り方が違う。
得意・不得意もある。
しかし、必ずしも国際資本主義とグローバリズムの流れは進歩とは思えないというのも視点の一つである。

また、文明の進展によって特に日本では人口減少の問題がある。

ゆくゆく2050年には人口が8千万人になると言われている。
これを覆すのも難しい中で、如何にして国力を維持していくかという内政の問題が存在している。

人口減少は社会保障、企業における雇用などあらゆる問題に直結している。
そして、移民の問題にも繋がっていく。
安倍政権は移民を受け入れる方向に舵を切っているが、それがもたらす結果は欧州の社会混乱を見れば明らかである。
しかし、単純に移民反対を言っても解決にならない現実がある。
ならば、労働力が減少する中で効率を維持していく方法など、政策を政党として打ち出していく必要がある。

その前提として(党の)思想的背景を出して、国民に納得してもらうことが必要になる。
そのためにも反対派と議論を積み重ねていく必要がある。

過去にも京都で何度か地方参政権や移民などをテーマに公開討論をやって、朝鮮総連や韓国民団、九条の会、自民党や民主党にも声をかけたことがある。
総連や民団にはまともに相手をされなかったが、政党活動としては反対派と討論を重ねていくというのが当然である。

今年と来年にかけて、皇室や東アジア情勢、憲法などの問題は全て戦後体制の問題に関わっていることであり、従って今年、来年がどのような流れになっていくか。
そして、31年の参院選は国政の岐路になる選挙であろうと思われる。


そういう意味で、我々は非力ではあるものの比例代表に挑戦したい。
我々は22年、25年、28年と参院選に出馬していない。
世間では新風を無くなったものと思っているかもしれないが、しぶとくやっていることを見せつけていきたい。
そうすることで、新たな共鳴者も掴めていくだろう。


ここ数年はネット社会の著しい進展があり、ネットを無視することは出来なくなっている。
しかし、ネット社会が持つ無責任性というものも乗り越えていかなくてはならない。


政治活動というのは古典的な基本も重要なもので、ネットだけでどうこうなるものではない。
そういう意味で、街頭に立つこと、行政と接点を持つことが大切である。
その上で、ネットを有効に利用することが必要である。

本日は私達の気概や使命感の一端を披露させて頂きました。

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以上、筆者の文才が至らぬため魚谷先生の高演を全て伝えることは出来ませんでしたが、少しでも主張が広がればと思います。


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