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【森光子】芸術座公演『放浪記』にて主役の林芙美子役を好演。以後、現在まで公演回数1800回以上

2008-08-30 21:34:48 | 13 用語集:①人物一覧   
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森光子

森 光子(もり みつこ、本名:村上 美津(むらかみ みつ)、1920年5月9日 - )は、日本の女優である。京都府京都市出身。血液型はB型。

京都府立第一高等女学校(現京都府立鴨沂高等学校)中退。日本俳優連合名誉副会長、フジテレビジョン番組審議委員。紫綬褒章、文化勲章受章。東京都名誉都民。

俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく嵐寛寿郎の姪であり1923年生まれだとしていた。

目次 [非表示]
1 経歴
2 主な出演作品
2.1 舞台
2.2 映画
2.3 テレビドラマ
2.4 その他テレビ番組
2.5 CM



[編集] 経歴
実家は京都・三条木屋町で割烹旅館『国の家』を経営していたが、後に倒産した。戦前より従兄の嵐寛寿郎のプロダクション(第二次寛プロ)に所属したが、寛プロが閉鎖すると新興キネマ(後の大映)所属の娘役として多くの映画に出演した。多くは「たぬき物」であり、溝口健二の『祇園の姉妹』のような映画を、と夢見ていた森は失望が多かった。

戦前から戦後間もなくにかけては大阪を拠点に芸能活動を行っていたが、1950年前後の約3年間は、肺結核の闘病生活のため芸能活動を休止。この頃、「森光子は死んだ」という噂がまことしやかに流れ、復帰作となった『エンタツちょびひげ漫遊記』で共演した赤木春恵らもそう信じていたらしい。

1956年には朝日放送と専属契約を結び、ラジオでは『東西お笑い他流試合』の大阪方の司会、テレビでは中田ダイマル・ラケットと組んだコメディ『びっくり捕物帳』などで人気を博した。1958年に菊田一夫に誘われ芸術座の舞台を踏んだのがきっかけで、翌1959年には東京に活動拠点を移す。同年ラジオ東京のプロデューサーで演出家の岡本愛彦(故人)と結婚(のちに離婚)。結婚当時、相手が5歳下だったこともあり、森本人は3歳サバを読んで36歳ということにしていた。作家の水上勉とも噂があった。

1961年、恩師である菊田の脚本による芸術座公演『放浪記』にて主役の林芙美子役を好演。以後、現在まで公演回数1800回以上を数える森の代表作となると共に、それまで脇役であった森が主演女優への階段を上るきっかけとなった。

『東芝日曜劇場・天国の父ちゃんこんにちは』(TBS、1966~1974)、『時間ですよ』(TBS、1970~1973、以後シリーズ化)、『グランド劇場・2丁目3番地』(日本テレビ、1971)、『銀座わが町』(NHK、1973)、『かくれんぼ』(日本テレビ、1981)等数多くのテレビドラマにも出演。山岡久乃、京塚昌子等とともに日本を代表する「お母さん」女優としてその人気を不動のものとする。1974年 - 1988年までの14年間にわたり、フジテレビの看板ワイドショー番組『3時のあなた』のメイン司会も担当し、これもまた森の代表的な仕事の一つに数えられている。更には大阪でのコメディ経験を生かしザ・ドリフターズとのコント番組にも長年出演する等、芸域の広さを視聴者に知らしめた。

『花吹雪はしご一家』(TBS、1975~1976)で母子役として共演した西城秀樹から「東京のお母さん」と呼ばれて親しまれ、西城のコンサートにはよくゲスト出演していた。またジャニーズの大ファンで、特に東山紀之ととても仲が良く、森の右手を握れる男性は東山だけである。「絶叫コースターに挑戦したい」と言い、テレビ番組の企画で実際にコースターに乗ったこともある。当時80歳、同乗相手は長瀬智也。

大橋巨泉司会の人気番組だった『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ!!』にも、度々ゲスト解答者として出場していた。ある日『クイズダービー』に、森が出場者側(ギャンブラー席)として出演した時のエピソードである。CM明けの6問目、初代2枠レギュラー解答者だった五月みどりの曲「恋する蝶ちょ」の歌詞問題で、正解が「男にとまれ」(解答者5人は全員不正解)と司会の巨泉が発表した。森は「私は…もしかしたらあの、『ホテルにとまれ』かと思った」とドッキリ発言をしている。この森の発言には解答者全員のみならず、出場者として出演していたタレントらも大爆笑、巨泉からも「それは過激すぎますよ!」と笑われた。

1984年、紫綬褒章を授与される。この時、3歳の年齢サバ読みがはからずも発覚するが、当時のマスコミの論調は「あの歳になっても、女だな」という好意的なものだった。

2005年、文化勲章を授与される。女優からの勲章受章者は山田五十鈴以来2人目(杉村春子は辞退)。森はこれ以前の数年は、もしやの親授式に備えて文化の日には予定を入れなかったという。

2008年、『放浪記』の舞台でそれまで行なっていたでんぐり返しをとりやめ、万歳三唱にした。でんぐり返しの封印と言われている。

毎日欠かさず150回(朝75回、夜75回)のスクワット(実際には、スクワットというよりも軽めの屈伸運動に近いものである。そうでなければ持続は困難と思われる)等、80歳を越えていることを感じさせぬ容貌とバイタリティから“妖怪”とも一部で揶揄される。

幼少から若手女優だった頃は、「黒みっちゃん」と呼ばれるほど肌が黒っぽかったが、年齢を重ねるにつれ、白くなったという。これはマイケル・ジャクソンと同じ尋常性白斑という皮膚病のせいである。


[編集] 主な出演作品

[編集] 舞台
放浪記
出演回数1900回、主役を演じた年数45年は日本記録。
おもろい女
芦屋雁之助とのコンビで、戦前活躍した漫才コンビであるミスワカナ・玉松一郎のワカナ役を好演。1979年には芸術祭大賞を受賞し、『放浪記』と並ぶ森の舞台での代表作となる。雁之助死去後は段田安則が新パートナーに。

[編集] 映画
氷点(1966年、山本薩夫監督)
もののけ姫(1997年、宮崎駿監督)※声の出演
川の流れのように(2001年、秋元康監督)
千年の恋 ひかる源氏物語(2001年、堀川とんこう監督)

[編集] テレビドラマ
時間ですよシリーズ(TBS)
時間ですよ(1970年~1973年)
時間ですよ昭和元年(1974年10月~1975年4月)
時間ですよふたたび(1987年6月~8月)
時間ですよたびたび(1988年7月~10月)
時間ですよ平成元年(1989年10月~12月)
日曜劇場(TBS)
天国の父ちゃんこんにちは(1966年~1978年)
女たちの忠臣蔵(1979年12月9日)
遠く離れて子守唄(1980年)
2丁目3番地(1971年、NTV)
銀座わが町(1973年4月~1974年3月、NHK)
花吹雪はしご一家(1975年~1976年、TBS)
渡る世間は鬼ばかり(TBS)森山珠子役
せい子宙太郎(1978年、TBS)
春よ、来い(1982年、NTV)
木曜ゴールデンドラマ かくれんぼ(1985年、NTV)
火曜サスペンス劇場(NTV)
スキャンダル(1988年1月5日)
なんだらまんだら(1991年、フジテレビ)
D坂殺人事件 名探偵明智小五郎誕生 名探偵明智が挑む猟奇殺人の謎!!闇に浮かぶ白い肌…(1992年、フジテレビ)
必要のない人(1998年、NHK)
水戸黄門1000回記念スペシャル(2003年、TBS)
【放送80周年記念ドラマ】橋田壽賀子ドラマ ハルとナツ 届かなかった手紙(2005年、NHK)
拝啓、父上様(2007年、フジテレビ)
など多数。


[編集] その他テレビ番組
NHK紅白歌合戦(1962年・1978年・1984年 日本放送協会)紅組司会
輝く!日本レコード大賞(1972年 - 1976年、東京放送)司会として
3時のあなた(1974年 - 1988年、フジテレビジョン系)
ドリフと女優の爆笑劇場(テレビ朝日)
クイズダービー(東京放送系)ゲスト解答者&出場者として出演
世界まるごとHOWマッチ!!(東京放送系)ゲスト解答者
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビジョン系)
徹子の部屋(テレビ朝日系)
行列のできる法律相談所 (2007年 日本テレビ放送網系)ゲスト出演
ジェシカおばさんの事件簿 声の出演
一枚の写真(フジテレビ)

[編集] CM
タケヤ味噌
リクルート(とらばーゆ)
アース製薬
秀月人形チェーン
全日空
午後の紅茶 ※スクワットを披露
いきいき ※スクワットを披露
先代:
中村メイコ 第13回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1962 次代:
江利チエミ
先代:
佐良直美 第29回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1978 次代:
水前寺清子
先代:
黒柳徹子 第35回NHK紅白歌合戦
紅組司会
1984 次代:
森昌子

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%85%89%E5%AD%90" より作成
カテゴリ: 日本の俳優 | 文化勲章受章者 | 京都市出身の人物 | 1920年生 | 舞台・ミュージカル俳優








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高校生クイズ 高知県出身の人物一覧 ■=( )

2008-08-30 21:29:51 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
出題:調べもの新聞

高校生クイズ 高知県出身の人物一覧 ■=( )

高知県出身の人物一覧(こうちけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、高知県出身の人物の一覧表である。

最終更新 2008年4月21日 (月) 08:36。Wikipedia®

目次 [非表示]
1 公人
1.1 政治家
1.1.1 首相・議長経験者
1.1.2 その他の政治家
1.2 政治運動家
1.3 軍人
1.4 その他の公人
2 文化人
2.1 学者
2.2 教育者
2.3 作家
2.4 歌人・俳人
2.5 僧侶
2.6 漫画家
2.7 作詞家・作曲家
2.8 アナウンサー
2.8.1 NHK
2.8.2 RKC高知放送
2.8.3 KUTVテレビ高知
2.8.4 KSS高知さんさんテレビ
2.8.5 FM高知
2.8.6 県外民放
2.8.7 フリー・退職者
2.9 技術者
2.10 画家・イラストレーター
2.11 書家・彫刻家・写真家
3 芸能人
3.1 シンガーソングライター
3.2 ミュージシャン
3.3 歌手
3.4 落語家
3.5 俳優
3.6 タレント
3.7 声優
4 スポーツ選手
4.1 ゴルフ
4.2 力士
4.3 野球
4.4 サッカー
4.5 騎手
4.6 レーサー
4.7 水泳
5 その他
5.1 実業家
5.2 その他の人物



[編集] 公人

[編集] 政治家

[編集] 首相・議長経験者
浜①■雄幸(元内閣総理大臣)
片岡健吉(第7-9代衆議院議長)
林譲治(第41代衆議院議長)
②■田茂(元内閣総理大臣)生まれは東京
中島信行(第1代衆議院議長)

[編集] その他の政治家
板③■退助
今村和郎
④■木枝盛
後藤象⑤■郎
高倉輝
谷川寛三
中江⑥■民
中谷元(元防衛庁長官)
野⑦■兼山
林有造
福岡孝悌
溝渕増巳(元高知県知事)
浜渦武生(元東京都副知事)
佐竹土佐男(元北海道副知事)

[編集] 政治運動家
幸⑧■秋水

[編集] 軍人
田中光顕(宮内大臣、陸軍軍人)
谷干⑨■(陸軍中将、初代農商務大臣)
永野修身(元帥海軍大将、海軍大臣、連合艦隊司令長官、軍令部総長)
⑩■下奉文(陸軍大将)
山脇正隆(陸軍大将)
島村速雄(元帥海軍大将、海軍軍令部長)
吉松茂太郎(海軍大将、連合艦隊司令長官)

[編集] その他の公人
坂本⑪■馬(幕末の志士、海援隊を結成)
中⑫■慎太郎(幕末の志士、陸援隊を結成)
武市瑞山(幕末の志士)(土佐勤王党を結成)
吉村寅太郎(幕末の志士)

[編集] 文化人

[編集] 学者
浅川範彦(細菌学者・医学博士)
⑬■田寅彦(物理学者・随筆家・俳人)生まれは東京
尾池和夫(物理学者・俳人)京都大学学長
北村正利(天文学)
公文俊平(社会学、経済学、情報・メディア・コミュニケーション研究)
野田正彰(比較文化精神医学)
牧野⑭■太郎(植物学)
馬場孤蝶(英文学者)
細川藤右衛門(数学者)
岡村甫(工学博士)高知工科大学学長・東京大学名誉教授
須藤靖(宇宙物理学)
森田正馬(精神医学)
森岡正博(哲学)

[編集] 教育者
上田庄三郎(教育評論、大正自由教育)
小砂丘忠義(生活綴方)
竹内功(作文教育、小砂丘忠義研究)

[編集] 作家
有川浩 (小説家)
大原富枝(小説家)
上林暁(小説家)
倉橋由美子(小説家、女流文学賞を受賞)
笹山久三(小説家、児童文学者)
西澤保彦(推理作家、SF作家)
坂東眞砂子(ホラー作家、ファンタジー作家)
藤原緋沙子(小説家、テレビドラマ脚本家)
宮⑮■登美子(小説家)
森下一仁(SF作家、作家森下雨村の遠縁)
山本一力(小説家)
横山充男(児童文学者)
清岡卓行(小説家)父母が高知県出身
田宮虎彦(小説家)
三⑯■朱門(小説家)
⑰■岡章太郎(小説家)
宮脇孝雄(翻訳家、随筆家、文芸評論家)
畠中恵(小説家)
渡辺瑠海(ライター、エッセイスト)

[編集] 歌人・俳人
大町⑱■月(詩人・歌人・随筆家・評論家)
楠目橙黄子(俳人)
仁智栄坊(俳人)
右城暮石(俳人)
松田ひろむ(俳人)

[編集] 僧侶
伊藤聖純
義堂周信
純信(よさこい節のモデル)
絶海中津
龍臺

[編集] 漫画家
青柳裕介
厦門潤
井上恵美子
井上淳哉
いのうえ雅晴
岩本久則
梅本さちお
岡本まさあき
小野新二
改田昌直
架空まさる
上北ふたご
川島昭代司
くさか里樹
楠みちはる
窪之内英策
黒鉄ヒロシ
コジロー
西原理恵子
左古文男
JET
高野栄二
竹村よしひこ
谷脇素文
徳弘正也
中城健
中平正彦
西谷祥子
はくしょみのる
浜口奈津子
はらたいら
飛龍乱
福原鉄平
まさき輝
正木秀尚
村岡マサヒロ
森山大輔
やなせたかし
矢野功
矢野徳
山崎匡佑
山田章博
山本よしこ
弓月光
横山泰三
横山隆一
和気一作

[編集] 作詞家・作曲家
弘田龍太郎(童謡)
平井康三郎(童謡)

[編集] アナウンサー

[編集] NHK

[編集] RKC高知放送
秋山陽子(高知市)
井上琢己
橋詰佐織(高知市)
松岡祐司

[編集] KUTVテレビ高知
竹内康祐(高知市)
竹村志麻(元南日本放送)(高知市)
藤崎美希(高知市)
和田敦子(土佐町)

[編集] KSS高知さんさんテレビ
野村舞
藤田ゆみ子(香南市)

[編集] FM高知

[編集] 県外民放

[編集] フリー・退職者
白川次郎(元ラジオNIKKEI)
福留功男(元日本テレビ)(香美市)

[編集] 技術者
山崎はるか(コンピュータセキュリティ研究者)

[編集] 画家・イラストレーター
野村哲也(ゲームクリエイター、イラストレーター)
小松益喜(洋画家)
安岡明夫(元・時事漫画家)
依光隆(挿絵画家、イラストレーター)
デハラユキノリ(フィギュアイラストレーター)
大石容子(漫画家、イラストレーター)

[編集] 書家・彫刻家・写真家
栗山秀作(写真家)
手島右卿(書家)

[編集] 芸能人

[編集] シンガーソングライター
岡本真夜(四万十市)
織田哲郎
堀内佳(四万十市)
矢野絢子
浜田裕介(四万十市)

[編集] ミュージシャン
植松伸夫(ゲームミュージックの作曲家)
本田雅人(サキソフォン奏者、原信夫とシャープス&フラッツ→T-SQUARE→ソロ)
円広志
中村貢(トランペット奏者)
江戸アケミ(JAGATARAリーダー)
薗田憲一(トロンボーン奏者、薗田憲一とデキシーキングス)
スーパーバンド(女性デュオ)
ロマン優光(ロマンポルシェ。)
DJ KAORI
TASSHI(Aqua Timezのドラマー)

[編集] 歌手
岡本知高
ソニン(国籍は韓国)
前田有紀
国実百合

[編集] 落語家
瀧川鯉朝(高知市)
三遊亭金馬(安芸市)

[編集] 俳優
北村総一朗(高知市)
高知東生(高知市)
高松英郎
川谷拓三
広末涼子
しらたひさこ
浜田治貴
和田正人
山素由湖
原知佐子

[編集] タレント
島崎⑲■歌子(南国市)
島崎俊郎
西⑳■きよし(高知市)
横山やすし(宿毛市)
間寛平(宿毛市)
ジェニーいとう
タリキ 武政 賢祐(高知市)
宮地謙典(ニブンノゴ!)
森本英樹(ニブンノゴ!)
大川知英(ニブンノゴ!)
浜崎慶美

[編集] 声優
小松里歌
島本須美
渡部猛
小野大輔
青木麻由子
宮田浩徳

[編集] スポーツ選手

[編集] ゴルフ
弘井太郎(プロゴルファー・明徳義塾→高知黒潮CC所属・高校時代 世界ジュニア 優勝)
中武力(プロゴルファー・明徳義塾→スカイベイGC所属)

[編集] 力士
玉錦三右エ門(第32代横綱)
朝潮太郎 (4代)(元大関、現高砂親方)
朝青龍明徳(国籍はモンゴル、第68代横綱 高知新聞では、郷土出身力士として扱っている。)
玉乃海太三郎
荒勢永英(元関脇、現タレント)
土佐ノ海敏生
柳川信行(元増健亘志)
豊ノ島大樹
栃煌山雄一郎
土佐豊祐哉

[編集] 野球
東和政(横浜ベイスターズ→西武ライオンズ投手)
有藤道世(元・ロッテオリオンズ選手・監督・ミスターロッテ)
江本孟紀(東映フライヤーズ→南海ホークス→阪神タイガース投手)
鹿取義隆(元・読売ジャイアンツ→西武ライオンズ)
土居龍太郎(横浜ベイスターズ→千葉ロッテマリーンズ投手)
中西清起(阪神タイガース投手コーチ)
中山裕章(元・横浜大洋ホエールズ→中日ドラゴンズ投手)
藤川球児(阪神タイガース投手)
町田公二郎(広島東洋カープ→阪神タイガース)
宮崎一彰(元・読売ジャイアンツ→西武ライオンズ)
渡辺智男(元・西武ライオンズ→福岡ダイエーホークス)

[編集] サッカー
小松塁(C大阪)
濱崎陽平(湘南)
藤田泰成(名古屋→FC東京→東京V)
森田真吾(横浜FC→TDK秋田→FK RAD→水戸→甲府)
山口智(市原→G大阪)
吉村光示(広島→神戸→大分→福岡)
吉村圭司(名古屋)
吉本岳史(名古屋→横浜FC→名古屋→水戸→横浜FC)
三都主アレサンドロ(清水→浦和→ザルツブルグ→浦和)

[編集] 騎手
赤岡修次
黒岩悠
杉村一樹
福永洋一

[編集] レーサー
東雅雄
松田秀士

[編集] 水泳
北村久寿雄

[編集] その他

[編集] 実業家
岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)
岩崎弥之助(三菱財閥2代目総帥)
岩崎久弥(三菱財閥3代目総帥)
竹内明太郎(小松製作所創業者)
樫尾茂(カシオ計算機創業者)
片岡直輝(大阪ガス創業者、阪神電気鉄道、南海電気鉄道社長を歴任)
公文公(日本公文教育研究会創業者)
宮脇修(海洋堂創業者)

[編集] その他の人物
関勉(アマチュア天文家)
山本博徳(医師)
福岡翼(芸能レポーター、映画評論家)
児島明子(1959年度ミス・ユニバース世界大会)優勝者

カテゴリ: 日本の都道府県出身別の人名一覧 | 高知県出身の人物

最終更新 2008年4月21日 (月) 08:36。Wikipedia®


【東京タワー】 世界測地系: 35°39′31″N, 139°44′44″E

2008-08-30 21:29:00 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
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東京タワー

世界測地系: 35°39′31″N, 139°44′44″E

この項目では日本電波塔が運営する東京都港区にある東京タワーについて記述しています。東武鉄道が運営主体となり、東京都墨田区に建設中の新東京タワーについては東京スカイツリーをご覧ください。

東京タワー
Tokyo Tower


情報
旧名称
用途 電波塔、展望台
旧用途
設計者 内藤多仲、日建設計
構造設計者
施工 竹中工務店
建築主 日本電波塔
事業主体 {{{事業主体}}}
管理運営 {{{管理運営}}}
構造形式 鉄骨造
敷地面積
建築面積
延床面積
階数
高さ 332.6m
着工 1957年(昭和32年)
竣工 1958年(昭和33年)
開館開所 {{{開館開所}}}
改築
所在地 〒105-0011
東京都港区芝公園4-2-8
電話 {{{電話}}}
■(Template:建築物全般)
東京タワー・港区芝公園周辺東京タワー(Tokyo Tower)とは東京都港区芝公園四丁目にある東京地区の集約電波塔である。1958年(昭和33年)10月14日に完成した。一般的に東京のシンボル・観光名所として知られている。設計上は最上部で風速100m、下部で風速80mに耐え、また関東大震災の2倍クラスの大規模地震でも安全とされている。

昼間障害標識として、頂点より赤色(インターナショナルオレンジ)と白色を交互に配した塗装となっている。

地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出する他、東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナや東京都環境局の各種測定器なども設置されている。

目次 [非表示]
1 概要
2 沿革
3 放送施設としての東京タワー
3.1 アナログテレビ放送設備
3.1.1 アナログテレビジョン放送送信設備一覧
3.1.2 FMラジオ送信設備一覧(ラジオ)
3.2 地上デジタル放送設備
3.2.1 地上デジタル放送用送信機
3.2.2 地上デジタルテレビジョン放送送信設備一覧
3.2.3 地上デジタルラジオ放送送信設備
3.2.4 地上デジタル放送用アンテナ
3.3 テレビ中継回線設備
3.4 放送エリア
4 東京タワーの今後について
5 特徴
5.1 ギャラリー
5.1.1 東京タワー周辺
5.1.2 夜景・ライトアップ
6 建設時のエピソード
7 「東京タワー」の名称を使用した企業
8 東京タワーが登場する作品
8.1 テレビドラマ・映画・小説
8.2 漫画・アニメ・特撮
8.3 怪獣もの
8.4 音楽
9 関連商品
10 アクセス
10.1 鉄道
10.2 路線バス
11 注釈
12 関連項目
13 外部リンク



[編集] 概要
この塔の正式名称は建築主に因み「日本電波塔」である。当時、相次いで開局する各放送局の電波塔を一本化しようという構想で建設された総合電波塔である[1]。放送事業の将来性に着目した前田久吉[2]と鹿内信隆[3]によって計画された。塔はフランス・パリのエッフェル塔の324mより8.6m高く、当時の自立式鉄塔としては世界最高だった。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と高さの意義を強く主張した。この塔の建設に先立ち日本電波塔株式会社が設立され、建築設計の構造学を専門とする学者の内藤多仲と日建設計株式会社が共同で塔の設計を行う。約4.2kt(4200t相当)の鋼材と多くの現場鳶職人の作業によりわずか1年3か月で完成した。完成後、特別展望台の真上にこの塔の建設に携わった人々の銘板が据えられた。

発信される電波は関東エリアの半径100km圏を範疇とする。この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョン・日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)・東京放送(TBS、当時はラジオ東京テレビ)はそれぞれ自局の敷地(NHK:紀尾井町、日本テレビ:麹町、TBS:赤坂)に170m程の電波鉄塔を建設してテレビ放送を行っていた。そのため当初は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて新たに開局したフジテレビジョン(CX、以下「フジテレビ」と表記)・日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)・NHK教育テレビジョンが利用していた(NHKは直後総合と教育を交換)。後にTBSも合流した。

当初はNHKと民放6局のアンテナを一本化するはずだったが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で不参加になった。しかし、実際は(テレビ業界の覇権を競う産経新聞)フジテレビ・前田久吉と(読売新聞中興の祖)日本テレビ創設者・正力松太郎との対立といわれる。この塔の完成後も日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けていたが、他局に比べて放送エリアが劣るのは否めなかった。そこで同局は自社の所有地である新宿(現在の東新宿駅付近)にこの塔の2倍もの高さを持つ電波塔「正力タワー」の建設を計画して発表するが、莫大な建設費用が掛かることからその計画は頓挫した。同社は正力没後の翌1970年(昭和45年)になって麹町の本社からこの塔へメインアンテナを移転することになった。その際、TBSが自社の予備スペースを日本テレビに譲ることでメインアンテナのスペースを確保している。

全放送局がこの塔に揃ったのは、NHKが教育テレビ送信所を移した1980年(昭和55年)である。

しかし、2011年7月24日までに「地上アナログテレビ放送」は終了する。それに関連して現在電波エリアの確保やタワーの老朽化に伴い東京スカイツリー建設の構想もある。2007年(平成19年)9月21日に運営会社の日本電波塔が放送アンテナの位置を80~100m高くすることで、2011年7月24日までに始まる完全地上デジタル(地デジとも呼ぶ)化にも対応できると発表した(後述)。


[編集] 沿革

東京タワーとその影の航空写真国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を元に作成。
アンテナの配置 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
1957年(昭和32年)
6月29日 - 着工。
1958年(昭和33年)
10月14日 - 竣工。
12月7日 - 公開開始(プレオープン)。
12月23日 - 完工式挙行、正式オープン。
1970年(昭和45年)11月10日 - 日本テレビ放送網が麹町の自社敷地から主送信所を移転する(送信は移転前からVHF4ch)。
1980年(昭和55年) - NHK教育の送信所を紀尾井町より移転(送信は移転前からVHF3ch)。これにより東京都のテレビ局の信所が一本化される。
1984年(昭和59年)11月1日 - 放送大学学園が大学開学に向けてテレビ放送をUHF16chで、同時期にFMラジオ放送を77.1MHzで試験放送開始。
1988年(昭和63年)10月1日 - エフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が81.3MHzで本放送を開始。
2003年(平成15年)
10月10日 - デジタルラジオ推進協会が地上デジタル音声放送の実用化試験放送をVHF7chの帯域で放送開始。
12月1日 - 放送大学以外のテレビ局が地上デジタルテレビジョン放送をUHF帯域で開始(放送大学は2006年(平成18年)12月1日開始)。

[編集] 放送施設としての東京タワー
1:特別展望台
2:大展望台
A:広域アナログテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局、放送大学)
B:広域デジタルテレビ放送アンテナ(NHK、関東広域民放5局)
C:都域テレビ放送アンテナ(TOKYO MX、アナログ・デジタル共用)
D:VHFデジタル音声放送アンテナ
E:FM放送アンテナ
F:マイクロ波中継設備アンテナ

[編集] アナログテレビ放送設備
建設当初からのアナログテレビ放送送信所(送信機室)はタワービルの5階にある。但し、5階は各放送局の送信設備などが置かれた機械室となっているため、関係者以外は立入禁止であり、保安上や安全上の面からも(感電などの危険)一般の見学はできない。


[編集] アナログテレビジョン放送送信設備一覧
各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである。

放送局名 コールサイン チャンネル 空中線電力
(映像/音声) ERP
(映像/音声)
NHK東京総合 JOAK-TV 1 50kW/12.5kW 240kW/60kW
NHK東京教育 JOAB-TV 3 270kW/69kW
日本テレビ JOAX-TV 4 370kW/94kW
TBSテレビ JORX-TV 6 380kW/95kW
フジテレビ JOCX-TV 8 370kW/92kW
テレビ朝日 JOEX-TV 10 370kW/91kW
テレビ東京 JOTX-TV 12 370kW/93kW
TOKYO MX JOMX-TV 14 10kW/2.5kW 17kW/4.2kW
放送大学 JOUD-TV 16 50kW/12.5kW 330kW/81kW

コールサインは主放送に対するもののみ
TBSテレビのコールサインはラジオ分社化以後のもの(それ以前は「JOKR-TV」)
これらの放送局のアンテナは最上部からNHK総合・教育(1つのアンテナを共用)、テレビ朝日、フジテレビ、TBS・日本テレビ(並列)、テレビ東京、放送大学(以上広域放送、NHK教育のみ全国放送)の順で地上250mの特別展望台より上に設置されている。但し、TOKYO MXは開設が放送大学より後なのと県域放送(東京都のみでの放送)のため一段低い場所にある。


[編集] FMラジオ送信設備一覧(ラジオ)

デジタル放送用アンテナと特別展望台各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである(すべてFMラジオ)。

放送局名 コールサイン 周波数(MHz) 空中線電力(kW) ERP(kW)
InterFM JODW-FM 76.1 10 11.5
放送大学 JOUD-FM 77.1 38
TOKYO FM JOAU-FM 80.0 44
J-WAVE JOAV-FM 81.3
NHK東京FM JOAK-FM 82.5

局名は略称・愛称で表記
コールサインは主放送に対するもののみ。
これらの放送局のアンテナは特別展望台の直下からNHK-FM・TOKYO FM・J-WAVE(1つのアンテナを共用)、放送大学、InterFMの順に設置されている。但しInterFMだけは開局時期が遅いこともあり、地上150mの大展望台の直上という低い位置にラジオNIKKEIの中継アンテナと同じ位置にある。また、以前は大展望台の直下にAMラジオのニッポン放送の中継アンテナがあった。


[編集] 地上デジタル放送設備
地上デジタル放送用の送信アンテナをどこに設置するかについては多摩地区、上野地区、秋葉原地区などから誘致提案が出された。しかし、サービスエリアや航空路との関係などの面でいずれも決定的ではなく2003年(平成15年)12月1日からの関東地区での地上デジタル放送開始に対応する仮の措置として従来アナログテレビ放送を行って来たこの塔の施設を拡張する形で設置されることになった。このため、以下の送信所設備が建設された。


[編集] 地上デジタル放送用送信機
大展望台の直下、地上135~145mの高さに送信設備室を増築した。

送信機は2層を使って設置されており上階にNHKのテレビジョン放送2波分と地上デジタル音声放送の実用化試験放送用、下階に民放テレビジョン放送5局分、それぞれの送信機を設置。なお、TOKYO MXは単独設置(アナログ送信機と共用)、放送大学は不明。なお、送信機は共通仕様に基づき設計された固体化水冷式で最大出力10kWが得られる。

なお、地上デジタル放送送信設備室はフットタウンと大展望台を結ぶ階段からでないと入ることができない。


[編集] 地上デジタルテレビジョン放送送信設備一覧
各局の放送設備(送信機)の概要は以下の通りである。

リモコンキーID 放送局名 コールサイン チャンネル 空中線電力 ERP 放送区域内世帯数
1 NHK東京デジタル総合 JOAK-DTV 27 10kW 48kW 約1,400万世帯
2 NHK東京デジタル教育 JOAB-DTV 26
4 日本テレビ JOAX-DTV 25
5 テレビ朝日 JOEX-DTV 24
6 TBSテレビ JORX-DTV 22
7 テレビ東京 JOTX-DTV 23
8 フジテレビ JOCX-DTV 21
9 TOKYO MX JOMX-DTV 20 3kW 5kW 約690万世帯
12 放送大学 JOUD-DTV 28 5kW 19kW 約1,320万世帯

局名は略称・愛称で表記
コールサインは主放送に対するもののみ
放送大学は2006年(平成18年)12月1日、それ以外は2003年(平成15年)12月1日放送開始

[編集] 地上デジタルラジオ放送送信設備
2008年5月現在ではまだ「実用化試験局」である。

コールサイン:JOAZ-FM
使用周波数帯:VHFテレビ7chに相当する周波数帯(周波数190.214286MHz)
空中線電力:2.4kW
ERP:3kW
なお、コールサインの「JOAZ」は試験局・臨時局用に確保されているもので、何度も再利用されている。

[編集] 地上デジタル放送用アンテナ
特別展望台とアナログ放送用アンテナ部分の中間、高さ260~280mのところに直径13m・高さ12mの円筒形をしたアンテナを設置した。これは「3素子型2L双ループアンテナ5段15面4系統」といわれるもので、ループ型アンテナを構成するエレメントを10段30面に配置している。そして赤に塗装された上5段分から3波、白に塗られた下5段分から4波が送信される。なおデジタルラジオのアンテナは特別展望台の直下、高さ約245mのところに設置されている。このアンテナを設置した際には重量増による強度不足を補うために塔の構造材に鋼板による補強が行われている(地上波デジタル放送開始時のエピソードの一つとして)。これらの設備追加によりこの塔の重量増加は420tにのぼるとの案内が行われていた。

2003年(平成15年)の運用開始当初はアナログテレビの混信を避けるため出力の抑制・指向性が掛けられていたが、アナアナ変換による対策がこの地域で完了した2005年(平成17年)までに無指向性・所定の出力となった。


[編集] テレビ中継回線設備
一般視聴者向けの放送アンテナ以外に、テレビ局は素材を遠方の取材先から演奏所に送るためのマイクロ波による中継システムを持つ。この塔には送られて来たマイクロ波を受信するアンテナがFM用送信アンテナ群の直下から大展望台にかけて設置され、遠隔操作で取材地方向に向けることができる。また、タワー自体による死角ができるので対向する2個所1組で運用。これらのアンテナで受信した電波は、映像専用回線を通じて各放送局の演奏所に送られる。

また共同取材で素材を融通し合う場合があるが、ここで各局に分配できるようになっている(いわゆる「タワー分岐」と呼ばれる作業)。ただしハイビジョン映像に関しては株式会社ネクシオンの提供する映像伝送サービスをキー局が共同利用して素材交換を行うため、タワー分岐は利用されない。

なお、光ファイバーによる大容量の伝送回線網が日本全国をカバーしたため放送局相互用マイクロ波回線(NTT中継回線)は廃止された。


[編集] 放送エリア
テレビ・FMとも基本的には東京都(小笠原諸島は東京タワーからの受信ができないため、通信衛星でテレビのみを放送)・茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県・千葉県・神奈川県・山梨県の全域。受信できない場合は近隣中継局やケーブルテレビ等で受信する。TOKYO MXは受信できる範囲が限られる。
そのほかは受信感度が劣るものの、長野県・新潟県・宮城県・福島県・静岡県中東部(西部は静岡県内か愛知県の中継局からの電波を受信)のそれぞれ一部地域でも受信ができる。

[編集] 東京タワーの今後について
2008年(平成20年)現在、この塔では現在でも地上デジタル放送波の送信を行っているがこれは暫定的な側面が強い措置であり前述したように2011年7月24日までに地上デジタル放送に全面移行した場合、この塔では高さが足りないなどの問題から(2008年(平成20年)の時点では)一般論として首都圏域すべて(アナログテレビの放送区域)をカバーし切れないと言われている(首都圏において放送受信障害がどの程度出るかについては電波を管轄する総務省でも正確には把握できていない模様)。

この問題は2000年代初頭から既に想定されていたため地上デジタル放送開始には間に合わなかったが、その頃からこの塔に代わる新しい電波塔の建設が検討され始めた。候補地については東京23区及び近隣の数都市が名乗りをあげNHKと民放キー局を交えて協議を重ねた結果、2006年(平成18年)には新塔の建設予定地が墨田区押上にある東武鉄道の貨物操車場跡地に決まり、ここに新塔「東京スカイツリー」(以前は仮に「第2東京タワー」や「新東京タワー」などと呼んでいた模様)を建設することとなった。2008年(平成20年)7月14日に着工し、地上デジタル放送への全面移行後の2011年末の完成・2012年春の開業を予定している。高さは約610mで世界一を更新し、途中450m地点に特別展望ロビー、350m地点に展望ロビーを設置する。事業費は約500億円。

※ 東京スカイツリーの詳細については東京スカイツリーの項も参照されたい。

一方、東京タワーを管理する日本電波塔社は2007年(平成19年)9月21日、放送局各局のデジタルテレビ完全移行後に塔頂部にある現在のアナログテレビ用スーパーターンスタイルアンテナを撤去してデジタルテレビ用アンテナに交換すると共に高さを80~100m伸ばす方針を主軸とした東京スカイツリーへの対抗案を打ち出し、各テレビ局に打診した。改修案の費用は約40億円で済むと言われ、各局の放送設備もそのまま流用できるなど東京スカイツリーの設置に比べると圧倒的にコストを低く抑えられる。なお材質に軽量の炭素繊維などを用いた場合、大掛かりな補強工事の費用は必要なく改装費用はさらに減額することが可能である。

上記の通り、2011年以降の現・東京タワーの状況は現在のところまだ明確にはなっていないが、基本的には以下の未来が考えられる。

テレビ局が現・東京タワーから放送施設の殆どを撤去した場合
しばらくはFMラジオ波など、東京スカイツリーに移行しなくても電波を送信できるものについては引き続き送信を続ける方針であり、一部放送施設はこれからも恒久的に存続する。しかし、放送施設としては主な役目は終わる。観光施設として残す場合は老朽化や耐震問題を考慮し、補強や構成材の交換なども継続していかなければならないため日本電波塔社も「放送局の電波料収入が途絶えた場合、観光収入だけでは経営は難しく取り壊しもあり得る」と発言している。但し、パリのエッフェル塔のように観光施設として財政的援助を受けた場合は存続する可能性がある。また、京都タワーのように下層部分にホテル施設を新設するなどの案もあがっている。



最終更新 2008年8月29日 (金) 04:23。





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【水中花】 (愛の水中花 から転送)

2008-08-30 21:17:42 | 29 書名 人名 タイトル
高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)

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【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


【水中花】

(愛の水中花 から転送)


①『■■■』(すいちゅうか)は、②■■■テレビ「木曜座」枠で1979年に13回放映されたドラマである。

原作は③■■■■の小説で、五木は自ら主題歌の作詞を手がけた。

このドラマでは、梨絵役の松坂がバニーガールの衣装で登場し、番組のオープニングテーマソング④『■の■■■』を自らが歌唱。松坂自身もセクシー女優として、また歌手としても最もブレークした作品とも言われた。テーマソングは『オレたちひょうきん族』のコントやアイカ工業のCM等で替え歌され、後世にも親しまれた。

[編集] あらすじ

--------------------------------------------------------------------------------

注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。


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森下梨絵(松坂慶子)は堅実な⑤■■■として、母・和江(吉行和子)と妹・美絵(友里千賀子)との3人暮らしの生計を立てていた。ある日の午後、家に西条という男が美絵を連れてやって来る。美絵は、銀座の画廊に飾られていた亡父の作品をナイフで引き裂いてしまったのだという。亡父は竜崎謙之助という著名な画家で、森下家はその愛人と忘れ形見の2人の娘による家族だった。結果的にこれにより森下家は500万円相当の弁済を強いられることとなってしまう。

これを聞いた梨絵は混乱し、何とか弁済の件は後日改めて話し合うことにしたものの、当日夕からの業界紙の対談の取材に遅刻してしまう。これにより対談者の大物を怒らせ破廉恥な行為を受けた挙げ句、テープと速記メモを帰りのタクシーに置き忘れ、紛失してしまうという大失態を演じる。

これを知った速記依頼者である今野達也(近藤正臣)は激怒するが、セクト上がりで悪を悪と思わない今野は梨絵の記憶を頼りにしながらその対談を完成させるという荒業に出る。これをきっかけに梨絵は今野に魅力を感じるが、この際に不用意に付け加えた文言が元で今野は闇の筋から追われ、昼夜逃げ回る生活を余儀なくされる。

これらの傍らで、梨絵は絵画の弁済方法を西条と相談するが、夜の女を相手にすることの多い西条は梨絵の隠れた才能に目をつけ、知り合いの高級クラブでの「レディ・ドール」という名のバニーガール姿のコーラスガールとしての仕事を紹介する。面接時には硬い印象が拭えず懐疑的だったママだったが、エリという名で仕事を始めた梨絵はたちまち頭角を顕し、店は大繁盛となる。

そうして軌道に乗ったかに思われた梨絵の2つの仕事だったが、ある日VIP客として店に現れたのが、先日の対談で梨絵に破廉恥に及んだ鬼島と鍋沢だった。以来鬼島は連日のように来店し、梨絵を指名して侍らすよう命令する一方、高価なプレゼント攻勢をかけてくる。ママから鬼島から梨絵を世話しろといわれて弱っているとこぼされる西条。暴力団などではなく銀行等を使って締め上げる方式だけに西条も頭を抱える。

ある日、今野がやつれ果てて森下家にやって来る。子供のように頼りなくすがるような目で、梨絵に頼み事をしようと思案し言い出しかねている模様。梨絵は原稿紛失事件の責任は自分にあるのだからと今野を促す。今野は逃亡に疲れ果て、梨絵が鬼島のお気に入りであることを知り、口添えを頼みたいと思ったのだったが撤回する。梨絵は今野のことが本当は好きなのかも知れないと言い、黙ってキスをする。今野はこれで生きていく勇気が少し出たと言いながら去っていく。

数日後、店でママから自分の代わりに鬼島と食事を共にして欲しいと言われ、梨絵は応じる。食事の場で、鬼島から一夜でいいから自分のものにならないかと口説かれる梨絵。梨絵は今野が好きであること、今野を自由にして欲しいことを願い出るが、一方的な願いは聞かない主義だと言われ、ワインをあおって交渉に応じる。その場で秘書に今野を自由にするよう指示をする鬼島。

梨絵は自宅に今夜は帰らない旨の電話を入れる。電話に出た美絵は、今野から言付かったと連絡先の電話番号を伝える。今野に電話をする梨絵。もう逃げなくていいという電話があったがどういうことなのか、一体何をしたと詰め寄る今野。自分の意志でやったことだから心配しないでと電話を置く梨絵。2人を乗せたベンツは鬼島の箱根の別荘へと向かっていく。

東名を厚木で降りたあたりで尾行するオートバイに気づく秘書。車を止めて先行させるが、オートバイも止まる。追って来たのは今野だった。今野は鬼島に、梨絵を解放しないと鬼島と鍋沢の政財界のあらゆるスキャンダルが表に出る手筈になっていると脅す。拳銃で撃とうとする秘書にやれるものならやってみろ、所詮損得でしか動かない人間と何もない人間の差がここにあると息巻く今野。「ドール・シップ」にはもう出ないほうがいいと言いながら梨絵を解放する鬼島。今野のオートバイにまたがって引き返す梨絵。

翌朝、美絵から西条に昨夜梨絵が外泊したと電話が入る。まさか箱根あたりじゃないだろうなと怪しむ西条に、上野駅で今野とと答える美絵。セクト仲間がやっている果樹園で働きながら小説やシナリオを勉強するために今野は山形へ旅立ったのだった。梨絵と圭子の4人で食事でもしないかという美絵の言葉に支度をする。「ドール・シップ」は今年いっぱい持たないかもしれない、ママが手を広げすぎて悪い噂を耳にする、今夜当たり厳しく忠告しないとと考えながらいそいそと出かける西条だった。


[編集] 登場人物
森下梨絵(エリ) -松坂慶子
堅実な⑥■■■として母子3人の森下家を支える25歳のOL。妹の梨絵が引き起こした絵画破損事件をきっかけに、弁済費用の工面策として銀座のクラブ「ドール・シップ」のレディ・ドールという夜の仕事を始める。また同日に起きた取材記録紛失事件が元で今野達也に好意を抱くようになる。
森下美絵 -友里千賀子
19歳になる梨絵の妹。物心づく前に父の謙之助が他界したために父親の愛情を知らず、亡父や竜崎家の存在を憎んでいる。性格自体は天真爛漫で明るい性格。
森下和江 -吉行和子
竜崎謙之助の元愛人で慎ましやかな性格。謙之助亡き後、謙之助の忘れ形見である梨絵と美絵とともに3人で暮らしている。
竜崎謙之助
戦後の一時期、モダニズム系の作家や詩人たちとグループを作って活動し、やがて人気作家とトリオを組んで精力的な仕事をした物故画家。15年前に中南米を旅行中、ボリビアの山中で射殺体で発見され沃折した。作品は本人が画商と関わりを持たなかったことや死後に未亡人がほとんどの遺作を買い戻して所蔵しているためほとんど出回っていない。
今野達也 -近藤正臣
「運輸観光タイムズ」という赤新聞を1人で編集発行している⑦■■■■■■■上がりの記者。政財界の怪物である鬼島と鍋沢の対談記事を企画するが、梨絵に⑧■■■を紛失されてしまう。梨絵の記憶を元に⑨■■■■をでっち上げるという荒業に出る。
西条裕一郎 -船越英二
銀座で貸しビル業を営むオーナー。場所柄夜の蝶の世話をすることが非常に多く圭子もその1人。夜の女としての梨絵の才能を見抜き、クラブ「ドール・シップ」のレディ・ドールという仕事を紹介する。
山路圭子 -田島令子
三年前にクラブ勤めから足を洗い、銀座で「キュリオ」という画廊兼コーヒーショップのような店を経営している。西条の紹介で畑中の画廊から預かって飾っていた謙之助の作品を美絵にナイフで切り裂かれた。
畑中徹 -仲谷昇
西条のビルで「ギャラリー・ハタナカ」という画廊を経営している。
鬼島六造 -中丸忠雄
政界の怪物といわれる大物。取材後、「ドール・シップ」で梨絵に再会し、梨絵を自分の物にしようと企む。
鍋沢武則 -田中明夫
財界の怪物といわれる大物。⑩■■に遅刻した梨絵を責め、破廉恥な行為に及ぶ。
サチ -浅野温子 / ミユキ -浅野理恵 / ローズ-伊藤明子
「ドール・シップ」のレディ・ドールの同僚。端役時代の浅野温子が出演している。

[編集] スタッフ
製作: テレキャストTBS
⑩■■: 五木寛之 
脚本: 岩間芳樹 
音楽: 小松原まさし 
演出: 山本和夫 
プロデューサー: 山田和也 

[編集] 主題歌
愛の水中花 (歌:⑪■■慶子、作詞:⑫■■寛之、作曲:小松原まさし)

この「水中花」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。

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カテゴリ: TBSのテレビドラマ | 1979年のテレビドラマ | 花 | テレビ番組に関するスタブ











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水中花

(愛の水中花 から転送)

この項目では五木寛之原作のドラマについて記述しています。その他の用途については水中花 (曖昧さ回避)をご覧ください。
『水中花』(すいちゅうか)は、TBSテレビ「木曜座」枠で1979年に13回放映されたドラマである。

原作は五木寛之の小説で、五木は自ら主題歌の作詞を手がけた。

このドラマでは、梨絵役の松坂がバニーガールの衣装で登場し、番組のオープニングテーマソング『愛の水中花』を自らが歌唱。松坂自身もセクシー女優として、また歌手としても最もブレークした作品とも言われた。テーマソングは『オレたちひょうきん族』のコントやアイカ工業のCM等で替え歌され、後世にも親しまれた。

目次 [非表示]
1 あらすじ
2 登場人物
3 スタッフ
4 主題歌



[編集] あらすじ

--------------------------------------------------------------------------------

注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。


--------------------------------------------------------------------------------

森下梨絵(松坂慶子)は堅実な速記者として、母・和江(吉行和子)と妹・美絵(友里千賀子)との3人暮らしの生計を立てていた。ある日の午後、家に西条という男が美絵を連れてやって来る。美絵は、銀座の画廊に飾られていた亡父の作品をナイフで引き裂いてしまったのだという。亡父は竜崎謙之助という著名な画家で、森下家はその愛人と忘れ形見の2人の娘による家族だった。結果的にこれにより森下家は500万円相当の弁済を強いられることとなってしまう。

これを聞いた梨絵は混乱し、何とか弁済の件は後日改めて話し合うことにしたものの、当日夕からの業界紙の対談の取材に遅刻してしまう。これにより対談者の大物を怒らせ破廉恥な行為を受けた挙げ句、テープと速記メモを帰りのタクシーに置き忘れ、紛失してしまうという大失態を演じる。

これを知った速記依頼者である今野達也(近藤正臣)は激怒するが、セクト上がりで悪を悪と思わない今野は梨絵の記憶を頼りにしながらその対談を完成させるという荒業に出る。これをきっかけに梨絵は今野に魅力を感じるが、この際に不用意に付け加えた文言が元で今野は闇の筋から追われ、昼夜逃げ回る生活を余儀なくされる。

これらの傍らで、梨絵は絵画の弁済方法を西条と相談するが、夜の女を相手にすることの多い西条は梨絵の隠れた才能に目をつけ、知り合いの高級クラブでの「レディ・ドール」という名のバニーガール姿のコーラスガールとしての仕事を紹介する。面接時には硬い印象が拭えず懐疑的だったママだったが、エリという名で仕事を始めた梨絵はたちまち頭角を顕し、店は大繁盛となる。

そうして軌道に乗ったかに思われた梨絵の2つの仕事だったが、ある日VIP客として店に現れたのが、先日の対談で梨絵に破廉恥に及んだ鬼島と鍋沢だった。以来鬼島は連日のように来店し、梨絵を指名して侍らすよう命令する一方、高価なプレゼント攻勢をかけてくる。ママから鬼島から梨絵を世話しろといわれて弱っているとこぼされる西条。暴力団などではなく銀行等を使って締め上げる方式だけに西条も頭を抱える。

ある日、今野がやつれ果てて森下家にやって来る。子供のように頼りなくすがるような目で、梨絵に頼み事をしようと思案し言い出しかねている模様。梨絵は原稿紛失事件の責任は自分にあるのだからと今野を促す。今野は逃亡に疲れ果て、梨絵が鬼島のお気に入りであることを知り、口添えを頼みたいと思ったのだったが撤回する。梨絵は今野のことが本当は好きなのかも知れないと言い、黙ってキスをする。今野はこれで生きていく勇気が少し出たと言いながら去っていく。

数日後、店でママから自分の代わりに鬼島と食事を共にして欲しいと言われ、梨絵は応じる。食事の場で、鬼島から一夜でいいから自分のものにならないかと口説かれる梨絵。梨絵は今野が好きであること、今野を自由にして欲しいことを願い出るが、一方的な願いは聞かない主義だと言われ、ワインをあおって交渉に応じる。その場で秘書に今野を自由にするよう指示をする鬼島。

梨絵は自宅に今夜は帰らない旨の電話を入れる。電話に出た美絵は、今野から言付かったと連絡先の電話番号を伝える。今野に電話をする梨絵。もう逃げなくていいという電話があったがどういうことなのか、一体何をしたと詰め寄る今野。自分の意志でやったことだから心配しないでと電話を置く梨絵。2人を乗せたベンツは鬼島の箱根の別荘へと向かっていく。

東名を厚木で降りたあたりで尾行するオートバイに気づく秘書。車を止めて先行させるが、オートバイも止まる。追って来たのは今野だった。今野は鬼島に、梨絵を解放しないと鬼島と鍋沢の政財界のあらゆるスキャンダルが表に出る手筈になっていると脅す。拳銃で撃とうとする秘書にやれるものならやってみろ、所詮損得でしか動かない人間と何もない人間の差がここにあると息巻く今野。「ドール・シップ」にはもう出ないほうがいいと言いながら梨絵を解放する鬼島。今野のオートバイにまたがって引き返す梨絵。

翌朝、美絵から西条に昨夜梨絵が外泊したと電話が入る。まさか箱根あたりじゃないだろうなと怪しむ西条に、上野駅で今野とと答える美絵。セクト仲間がやっている果樹園で働きながら小説やシナリオを勉強するために今野は山形へ旅立ったのだった。梨絵と圭子の4人で食事でもしないかという美絵の言葉に支度をする。「ドール・シップ」は今年いっぱい持たないかもしれない、ママが手を広げすぎて悪い噂を耳にする、今夜当たり厳しく忠告しないとと考えながらいそいそと出かける西条だった。


[編集] 登場人物
森下梨絵(エリ) -松坂慶子
堅実な速記者として母子3人の森下家を支える25歳のOL。妹の梨絵が引き起こした絵画破損事件をきっかけに、弁済費用の工面策として銀座のクラブ「ドール・シップ」のレディ・ドールという夜の仕事を始める。また同日に起きた取材記録紛失事件が元で今野達也に好意を抱くようになる。
森下美絵 -友里千賀子
19歳になる梨絵の妹。物心づく前に父の謙之助が他界したために父親の愛情を知らず、亡父や竜崎家の存在を憎んでいる。性格自体は天真爛漫で明るい性格。
森下和江 -吉行和子
竜崎謙之助の元愛人で慎ましやかな性格。謙之助亡き後、謙之助の忘れ形見である梨絵と美絵とともに3人で暮らしている。
竜崎謙之助
戦後の一時期、モダニズム系の作家や詩人たちとグループを作って活動し、やがて人気作家とトリオを組んで精力的な仕事をした物故画家。15年前に中南米を旅行中、ボリビアの山中で射殺体で発見され沃折した。作品は本人が画商と関わりを持たなかったことや死後に未亡人がほとんどの遺作を買い戻して所蔵しているためほとんど出回っていない。
今野達也 -近藤正臣
「運輸観光タイムズ」という赤新聞を1人で編集発行しているフリーライター上がりの記者。政財界の怪物である鬼島と鍋沢の対談記事を企画するが、梨絵に速記録を紛失されてしまう。梨絵の記憶を元に対談記録をでっち上げるという荒業に出る。
西条裕一郎 -船越英二
銀座で貸しビル業を営むオーナー。場所柄夜の蝶の世話をすることが非常に多く圭子もその1人。夜の女としての梨絵の才能を見抜き、クラブ「ドール・シップ」のレディ・ドールという仕事を紹介する。
山路圭子 -田島令子
三年前にクラブ勤めから足を洗い、銀座で「キュリオ」という画廊兼コーヒーショップのような店を経営している。西条の紹介で畑中の画廊から預かって飾っていた謙之助の作品を美絵にナイフで切り裂かれた。
畑中徹 -仲谷昇
西条のビルで「ギャラリー・ハタナカ」という画廊を経営している。
鬼島六造 -中丸忠雄
政界の怪物といわれる大物。取材後、「ドール・シップ」で梨絵に再会し、梨絵を自分の物にしようと企む。
鍋沢武則 -田中明夫
財界の怪物といわれる大物。取材に遅刻した梨絵を責め、破廉恥な行為に及ぶ。
サチ -浅野温子 / ミユキ -浅野理恵 / ローズ-伊藤明子
「ドール・シップ」のレディ・ドールの同僚。端役時代の浅野温子が出演している。

[編集] スタッフ
製作: テレキャストTBS
原作: 五木寛之 
脚本: 岩間芳樹 
音楽: 小松原まさし 
演出: 山本和夫 
プロデューサー: 山田和也 

[編集] 主題歌
愛の水中花 (歌:松坂慶子、作詞:五木寛之、作曲:小松原まさし)
この「水中花」はテレビ番組に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者 を求めています(ポータル テレビ/ウィキプロジェクト 放送番組)。

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【津軽海峡・冬景色】青森桟橋では席取りのために⑨■■■で移動する乗客が多く、混雑時には非常な

2008-08-30 21:02:38 | 26 学生街散歩・古書店街巡り
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津軽海峡・冬景色


青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横にある歌謡碑

①■■■■・■■■(つがるかいきょう・ふゆげしき)とは1977年(昭和52年)に②■■■■■が歌い、日本でヒットした歌謡曲である。

作詞は③■■悠、作曲・編曲は④■■たかし。

石川はこの曲で1977年の⑤■■■■■■■■歌唱賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し、同年末のNHK紅白歌合戦への初出場も果たして、一気にスターダムへとのし上がることになる。

恋に破れて東京を去り、北海道へ帰郷するため、真冬の津軽海峡を連絡船で渡って行く女の辛い心情を哀調をこめて切々と歌った曲で、津軽海峡と港町青森、そして青函連絡船(1988年3月に⑥■■■■■■開通で廃止)をも象徴する歌として、カラオケなどでも長く歌い継がれている。

なお、1995年(平成7年)7月には青森市の旧青函連絡船八甲田丸前、1996年(平成8年)7月には⑦■■岬、と歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されている[1]。

2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた。

カラオケチェーン・ビッグエコーでこの曲をリクエストすると、石川さゆり本人も出演する映像の中で、青函連絡船現役時代の風景を一瞬であるが見ることができる。


[編集] 阿久悠の歌詞
多作で知られた阿久悠の作品中でも、この曲の歌詞は代表的な傑作とされる。

「上野発の夜行列車」を雪の青森駅で降り、連絡船へと乗り継いで行く描写がある。東京と北海道との間の交通手段は、1970年代初頭までは鉄道・連絡船の乗り継ぎと航空機利用が拮抗していたが、この頃から航空機転移が顕著になってきた。当時ヒットしたこの曲は、⑧■■■の全盛期を偲ばせる歌である[2]。

連絡船の利用率がまだ高かった当時、実際の青森桟橋では席取りのために⑨■■■で移動する乗客が多く、混雑時には非常な雑踏ぶりで騒々しかった。 そのため、歌詞の中で⑩「■■」であると歌われるのは連絡船乗船後の乗客たちの姿である。

「竜飛岬」など青函連絡船から見える光景が描写される(ただし、青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできなかった。なお、青函連絡船最末期の航海では、船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともある)。交通の便がきわめて悪いため、観光地としてはマイナーであった竜飛岬は、この歌によって全国的な知名度を得た。

歌詞は函館への到着までは描写せず、船上での女の⑪■■を吐露させて終わる。

歌のタイトルの"津軽海峡"の後に”・”を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので”・”は不要だと考えるようになったという[1]。


この「津軽海峡・冬景色」は、シングルに関連する書きかけ項目です。加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(P:音楽/PJ 楽曲)

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カテゴリ: シングル関連のスタブ項目 | 演歌 | 1977年のシングル | コロムビアミュージックエンタテインメントのシングル | NHK紅白歌合戦歌唱楽曲 | 阿久悠の楽曲 | 三木たかしの楽曲

最終更新 2008年8月24日 (日) 11:43。












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津軽海峡・冬景色

(津軽海峡冬景色 から転送)
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津軽海峡・冬景色
石川さゆり の シングル
リリース 1977年1月1日
1991年7月1日(再発)
1994年5月20日(再発)
2005年12月7日(再発)
ジャンル 演歌
レーベル 日本コロムビア
チャート最高順位
最高順位6位

石川さゆり 年表
花供養
(1976年) 津軽海峡・冬景色
(1977年) 能登半島
(1977年)

青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横にある歌謡碑津軽海峡・冬景色(つがるかいきょう・ふゆげしき)とは1977年(昭和52年)に石川さゆりが歌い、日本でヒットした歌謡曲である。

作詞は阿久悠、作曲・編曲は三木たかし。

石川はこの曲で1977年の日本レコード大賞歌唱賞、FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し、同年末のNHK紅白歌合戦への初出場も果たして、一気にスターダムへとのし上がることになる。

恋に破れて東京を去り、北海道へ帰郷するため、真冬の津軽海峡を連絡船で渡って行く女の辛い心情を哀調をこめて切々と歌った曲で、津軽海峡と港町青森、そして青函連絡船(1988年3月に青函トンネル開通で廃止)をも象徴する歌として、カラオケなどでも長く歌い継がれている。

なお、1995年(平成7年)7月には青森市の旧青函連絡船八甲田丸前、1996年(平成8年)7月には竜飛岬、と歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されている[1]。

2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた。

カラオケチェーン・ビッグエコーでこの曲をリクエストすると、石川さゆり本人も出演する映像の中で、青函連絡船現役時代の風景を一瞬であるが見ることができる。


[編集] 阿久悠の歌詞
多作で知られた阿久悠の作品中でも、この曲の歌詞は代表的な傑作とされる。

「上野発の夜行列車」を雪の青森駅で降り、連絡船へと乗り継いで行く描写がある。東京と北海道との間の交通手段は、1970年代初頭までは鉄道・連絡船の乗り継ぎと航空機利用が拮抗していたが、この頃から航空機転移が顕著になってきた。当時ヒットしたこの曲は、連絡船の全盛期を偲ばせる歌である[2]。

連絡船の利用率がまだ高かった当時、実際の青森桟橋では席取りのために駆け足で移動する乗客が多く、混雑時には非常な雑踏ぶりで騒々しかった。 そのため、歌詞の中で「無口」であると歌われるのは連絡船乗船後の乗客たちの姿である。

「竜飛岬」など青函連絡船から見える光景が描写される(ただし、青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできなかった。なお、青函連絡船最末期の航海では、船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともある)。交通の便がきわめて悪いため、観光地としてはマイナーであった竜飛岬は、この歌によって全国的な知名度を得た。

歌詞は函館への到着までは描写せず、船上での女の心情を吐露させて終わる。

歌のタイトルの"津軽海峡"の後に”・”を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という一つの象徴語なので”・”は不要だと考えるようになったという[1]。


[編集] その他
かつて、中近東方面に赴任するビジネスマンたちの間で「ホルムズ海峡砂景色」という替え歌が歌われていたことがある。日本から遠く離れた砂漠の国での勤めを嘆いた戯れ歌である。

2006年にはバンダイナムコゲームスのアイドル育成ゲーム「THE IDOLM@STER」のオフィシャルグッズとして、ネット通販限定で販売された「アイドル(登場キャラクター)」が歌うカバー曲CD「Your Song」に、キャラクターの一人「萩原雪歩」のカバー曲として収録された(2007年10月3日発売の「MASTER ARTIST 09」に再収録)。発売後約30年を経ながら、若い世代にも知名度の高い歌であることが伺えよう。

2007年の第58回NHK紅白歌合戦では阿久悠の追悼として、石川が紅組トリで同曲を歌唱した(白組トリも同じく阿久が作詞の「契り」を、五木ひろしが歌った)。

2007年現在、上野発青森行きの夜行列車は「あけぼの」のみとなっている。


[編集] 脚注
[ヘルプ]
^ a b 阿久悠 『愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史-』(岩波書店 1999年7月19日) ISBN 978-4004306252
^ 作詞当時、東京から青森への特急・急行列車は青函連絡船への接続を前提にダイヤが組まれており、東北本線経由の「はくつる」、常磐線経由「ゆうづる」などの夜行列車が多数運転されていた。これについては東北本線優等列車沿革を参照されたい。



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2008-08-30 20:49:39 | 2 IT用語集
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青函連絡船

駅名・桟橋名 営業キロ(航路距離)
青森駅・青森桟橋 113.0km
函館駅・函館桟橋

函館市青函連絡船記念館「摩周丸」
青森港に保存されている青函連絡船「八甲田丸」
船の科学館に保存されている「羊蹄丸」青函連絡船(せいかんれんらくせん)は、青森県の青森駅と北海道の函館駅の間を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道連絡船である。航路の名称は青函航路。営業キロ上の距離は、113.0km(擬制キロ)とされていた。 旅客と鉄道車両の他に自動車航送(指定駅のみどりの窓口で予約が可能)も行っていた。

1946年7月1日から1949年7月15日までは、GHQより貸与の戦車揚陸艦ではあるが青函連絡船の小湊 - 函館航路もあった。小湊桟橋は平内町大字東滝字浅所にあった。

1944年1月から1984年2月1日まで使用された貨物専用の有川桟橋は五稜郭駅の貨車操車場(通称有川操車場、五稜郭貨物駅)に直結していた。

東日本フェリー等の国鉄・JR以外の会社による運航、および鉄道院による連絡船就航以前の沿革については青函航路を参照。

目次 [非表示]
1 歴史
2 旅客輸送と利用状況
3 就航船(就航順)
4 脚注
5 関連項目



[編集] 歴史
1908年(明治41年)3月7日 - 帝国鉄道庁(国鉄)が運航を開始。最新鋭の蒸気タービン船比羅夫丸(ひらふまる)が就航し、青森~函館間を4時間で結んだ。鉄道直営の津軽海峡連絡船自体は日本鉄道によって計画され、連絡船自体も同社によって発注されていたが、就航は同社の国有化後になった。
1910年 - 函館側ではしけによる乗客の乗降を岸壁からの直接乗降に。青森側は地盤が悪く工事が難航したため1923年 (大正12年) より。
1914年(大正3年)12月 - 初の鉄道車両艀「車運丸」が就航。限定的に貨車航送を開始。
1924年(大正13年)4月 - 初の自航形鉄道車両渡船「翔鳳丸」が就航。
1925年(大正14年)8月1日 - 青森・函館間で本格貨車航送開始。車両渡船に貨車を直接車載できることから、従前のはしけによる貨物輸送に比して輸送効率を著しく改善した。
1934年 (昭和9年) 3月21日 - 低気圧による荒天で浸水・座礁など相次ぎ被害多数。飛鸞丸は浸水による操舵困難に加えアンテナが切れたため通信不能となって一時遭難が疑われる事態となった。なお、この日は函館大火が発生している。
1944年(昭和19年)1月 - 従来の函館桟橋に加え有川桟橋が竣工。貨物専用で供用開始。
1945年(昭和20年)3月6日 - 青森港内にて、戦時設計(戦時標準船W型)の第五青函丸が防波堤に接触し沈没。死者・行方不明者82名。
1945年(昭和20年)7月14日 - アメリカ軍艦載機の空襲により全連絡船12隻が被害を受け(8隻沈没、2隻大破炎上、2隻航行不能、352人死亡)、壊滅状態となる。
1945年(昭和20年)10月 - 伝染病の伝播防止のため乗船客に対しDDT散布を義務付け。1950年4月まで実施。
1946年(昭和21年)2月11日 - GHQの命令により、連合国軍専用列車の運転を上野駅~札幌駅間で運転開始。この時青森駅~函館駅間は、青函連絡船に客車を積み込ませて運行、初の客車航送となった。この列車は、後に「Yankee Limited」(北部特急)と命名されている。
1946年(昭和21年)3月 - GHQより貸与された戦車揚陸艦改造の車両渡船2隻が函館~小湊間で車両航送を開始(1948年(昭和23年)2月まで運行)。
1950年(昭和25年)10月1日 - 日本人用の列車でも、客車の航送を開始。しかし、一等寝台車に限られていた。
1951年(昭和26年)5月9日 - 津軽海峡への浮流機雷流入によって連絡船の夜間運航中止。約5年間に渡って断続的に旅客便の夜間運航の中止、接続列車の不接続など運航ダイヤの混乱が続いた。
1954年(昭和29年)9月26日 - 台風15号(洞爺丸台風)に伴う暴風雨が原因で、航行中の洞爺丸が函館郊外の七重浜に座礁し転覆。他に僚船4隻(第十一青函丸・北見丸・十勝丸・日高丸)が沈没。あわせて1430人の犠牲者を出した。いわゆる国鉄戦後五大事故の一つに数えられる洞爺丸事故である。これを機に、客車航送は中止。この事故を契機に青函トンネル計画が具体化されることになった。
1956年(昭和31年)6月1日 - 1等船室を2等A寝台船室に格下げし、3等級制(1等・2等・3等)から2等級制(2等・3等)に改正。
1961年(昭和36年)7月 - 1等指定席を新設。自在腰掛(リクライニングシート)で座席確保が確実なため好評となる。
1964年(昭和39年)7月12日 - 函館桟橋で乗客の転落死亡事故により「別れのテープ」が禁止された。青函航路の廃止直前の1988年(昭和63年)3月1日に四半世紀ぶりに「別れのテープ」の使用を解禁。
1964年9月17日 - 東京オリンピックの聖火を津軽丸で輸送。陸奥湾平舘海峡入口で北海道、青森県の聖火ランナーが洋上で聖火を引き継ぎ。
1964年10月1日 - 寝台特急「はくつる」に接続する3・4便に限り運航時間を3時間50分に短縮。初めて4時間の壁を破った。翌年の10月改正で旅客便の運航時間を3時間50分に統一。
1967年(昭和42年)6月1日 - 自動車航送開始(青森発の「十和田丸」)。当初は「津軽丸」形7隻の遊歩甲板後部に建造当初から施工されていた自動車積載準備工事部分の使用による6台積みだったが、最終的には12台積みとされた。ただ、甲板上の露天状態であったため、後年国鉄では洗車のサービスを行った。
1970年代前半には1日30往復もの運航が行われることもあったが、その後は旅客需要の航空移転や民間フェリー航路の整備に伴い、客貨ともに輸送量が急激に減少した(最盛期は昭和48年の約490万人)。
1975年(昭和50年)8月27日 - 函館本線、室蘭本線土砂崩れで不通のため、8月31日まで函館港-室蘭港間で連絡船による列車代行を実施。摩周丸、十和田丸が就航し上下あわせて約15000人を輸送。
1977年(昭和52年)3月7日 - 青函航路開設70周年を記念し各連絡船の「シンボルマーク」を発表。後に船体に掲示。
1980年(昭和55年)7月21日 - 「マリーンガール」登場。以降夏の観光シーズンに観光案内等乗客のサービスにあたる。10月より「船長のサインカード」配布開始。
1984年(昭和59年)2月1日 - 有川桟橋廃止。
1984年(昭和59年)3月3日 - 摩周丸、航海中に火災が発生し、乗組員3名が死亡する。
1984年(昭和59年)7月1日 - 二輪車、自転車航送開始。
1986年(昭和61年)10月6日 - 70万キロ航海達成(羊蹄丸)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄の分割民営化により、北海道旅客鉄道に継承される。
1988年(昭和63年)3月13日 - 青函トンネルを含む海峡線の開業に伴い、鉄道連絡船としての使命を終え、運航を終了。最終は函館発が羊蹄丸、青森発が八甲田丸であった。
1988年(昭和63年)の6月3日より9月18日まで、青函トンネル開通記念博覧会に合わせて1日2往復の復活運航がなされた(使用船舶は十和田丸・羊蹄丸)。これが終了した翌9月19日で青函連絡船廃止、津軽海峡から完全に姿を消した。なお、この期間は通常営業時は入ることができなかった操舵室や車両甲板が公開され、荒天でない時は後部の積み下ろし口を航海中に開くサービスもあった。

[編集] 旅客輸送と利用状況
青函航路は、本州・北海道間の一般的な移動手段が鉄道であった時代には、メインルートの一部を担った。青森発着の特別急行列車(「はつかり」「みちのく」「白鳥」など)や夜行列車(特急「ゆうづる」、急行「八甲田」など)、函館発着の優等列車(特急「北斗」、「北海」、「おおとり」、急行「宗谷」、「ニセコ」など)や夜行普通列車は、青函連絡船との接続を重視したダイヤを組み、函館では深夜・早朝に発着する例も見られたが、札幌で時間を有効に使えることから、利用率はかなり高かった。 また、上野駅~青森駅を結ぶ寝台特急「ゆうづる」は、最盛期には7往復が設定され、青森での有効時間帯を重視したダイヤ以外に、青函連絡船接続を意図したダイヤが組まれた[1]。

列車が青森駅や函館駅に到着した時には、連絡船乗り場へ向かう乗客でプラットホームや跨線橋がごった返す様子もみられ、ときには「積み残し」(接続する連絡船が定員を超えて乗船できないこと)も起こることがあった[2]。

多数の乗客を安定的に輸送するため、本航路では、青森駅・函館駅での接続列車の指定券を持つ乗客を最優先に乗船させる施策をとった。航路廃止時(1988年3月13日)には、函館と札幌方面を結ぶ函館本線の特急「北斗」には、全車指定席の便が1往復設定されていたが、これは、青函連絡の乗客の乗車を確実なものとするためであった。次に優先されたのは優等列車の乗客で、青森、函館発着の特急列車・急行列車の車内では、優等列車からの乗継を区別するため、「特」の文字や赤い線が印刷された乗船名簿を配布する方法が用いられた。

本州・北海道を結ぶ動脈の役割を担った青函連絡船は、1973年に利用者のピークを迎えたが、航空機の利用の増加、国鉄の鉄道自体の利用の減少などの要因により、1974年以後は利用が減少傾向に転じ、歯止めは利かずに末期には閑散とした状況を呈した[3]。

1986年には、国鉄が荷物、郵便輸送から撤退したのに伴い青函連絡船での郵便輸送が廃止された。青函トンネルが開通するのに伴い、1988年3月13日付で青函連絡船(JR青函航路)は廃止され、青函連絡は青函トンネルを走る快速「海峡」や新たに設定された寝台特急北斗星などにゆだねられた。





[編集] 就航船(就航順)

大雪丸の船内に置かれていた乗船記念スタンプ。船体側面に表示されていたマスコットを描いたもの

大雪丸の船内に置かれていた乗船記念スタンプ。船体と命名の由来となった大雪山を描く
比羅夫丸:1907年3月就航、1924年10月終航。大阪商船に賃貸後、1929年大阪商船に売却。
田村丸:1907年4月就航、1924年12月終航。一時復航後、1929年大阪商船に売却。
車運丸:艀型(無動力)貨車航送船。1914年12月就航、1927年6月終航。
白神丸(木造貨物船):1918年6月就航。1925年9月係船。
竜飛丸(木造貨物船):1918年10月就航。1926年4月係船。
第一快運丸:1919年4月就航。1925年9月係船。
第二快運丸:1919年4月就航。1925年9月係船。
壱岐丸:元関釜・稚泊連絡船。1922~1924年青函航路就航。1932年大阪商船に売却(樺太丸)。1945~47年青函航路復帰。
翔鳳丸:1924年5月就航、1945年7月14日、空襲沈没。青函航路初の車両渡船。
津軽丸:1924年10月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
松前丸:1924年11月就航、1945年7月14日、空襲炎上座礁。
飛鸞丸:1924年12月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第一青函丸(貨車航送船第一船):1926年12月就航、1945年7月15日、空襲沈没。
第二青函丸(貨車航送船):1930年9月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第三青函丸(貨車航送船):1939年11月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
新羅丸:元・関釜連絡船。:1942~1945年就航、1945年5月、触雷沈没
第四青函丸(貨車航送船):1943年3月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
第六青函丸(貨車航送船):1944年3月就航、1945年7月14日、空襲沈没。浮揚復航後1964年5月終航。
第七青函丸(貨車航送船):1944年7月就航、1964年12月終航。
第八青函丸(貨車航送船):1944年11月就航、1964年11月終航。
第九青函丸(貨車航送船):1945年2月15日浦賀ドックで落成。2月27日函館へ回航中勝浦沖で米潜水艦を警戒して座礁、沈没。一度も営業就航しないで沈没した。
第十青函丸(貨車航送船):1945年6月就航、1945年7月14日、空襲沈没。
亜庭丸:元・稚泊連絡船。1945年7月転属就航、1945年8月10日、空襲沈没。
景福丸:元・関釜連絡船。1945~1948年青函航路就航。1950~1956年函館桟橋脇で海上ホテルとして営業(運営は鉄道弘済会)。1958年10月解体。
壱岐丸(第2代目):元関釜連絡船。1945~1948年青函航路就航。国家賠償として1950年に朝鮮郵船へ譲渡。
第十一青函丸(貨車航送船):1945年10月就航、1954年9月26日、台風沈没。
宗谷丸:元・稚泊連絡船。1945年10月~1950年10月、1954年10月~1954年12月青函航路就航。
第十二青函丸(貨車航送船):1946年5月就航、1965年7月終航。
石狩丸(貨車航送船):1946年7月就航、1965年9月終航。
昌慶丸:元・関釜連絡船、洞爺丸事故後乗組員訓練船として函館港に繋留。
洞爺丸:1947年11月就航、1954年9月26日、台風沈没。
北見丸(貨車航送船):1948年2月就航、1954年9月26日、台風沈没。
十勝丸(貨車航送船):1948年4月就航、1954年9月26日、台風沈没。1956年浮揚復航、1970年3月終航。青函航路に最後まで残ったタービン船だった。
羊蹄丸:1948年5月就航、1965年6月終航。
渡島丸(貨車航送船):1948年7月就航、1965年8月終航。1950年10月洞爺丸と同時に日本の商船初のレーダーを取り付け。
摩周丸:1948年8月就航、1964年10月終航。
日高丸(貨車航送船):1948年10月就航、1954年9月26日、台風沈没。1956年浮揚復航、1969年9月終航。
大雪丸:1948年11月就航、1964年8月終航。1964年に三洋商事を通じてギリシャに売却されカーフェリーに改造、1991年12月6日アドリア海において沈没。
徳寿丸:元・関釜連絡船1954年~1957年洞爺丸の代船として旅客便に限定就航。青函航路撤退後下関に係留。1961年解体。
檜山丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年7月終航。1954年の台風で失った船の代船として建造された第1船。青函航路初のディーゼル機関。以後建造船はすべてディーゼル機関。
空知丸(貨車航送船):1955年9月就航、1976年2月終航。台風で失った船の代船。
十和田丸:1957年10月就航、1966年10月終航。洞爺丸の代船として活躍後、貨車航送船に改造。石狩丸(2代目)として1967年5月就航、1977年3月終航。
津軽丸(2代目):1964年5月就航、1982年3月終航。青函航路初の自動化第1船。客船ながら、これまでの貨車航送船よりも多い48両の貨車を積載する大型船。速力も在来船の4時間30分から3時間50分になり「海の新幹線」といわれた。以後建造船はすべて津軽丸型。1982年3月4日下り5便で運航終了。1983年3月に北朝鮮に売却。その後再び転売されメッカ巡礼船となったが、エジプト政府に差し押さえられた。1998年に係留中に火災が発生し、同年12月14日にスエズで解体された。函館桟橋跡地に津軽丸の錨があるが、売却の際に取り外され、別なものに交換されているため紛れもない本物である。
八甲田丸:1964年8月就航、現在、青森駅北側の旧桟橋に係留され、「メモリアルシップ八甲田丸」として見学可能。自力航行は不可能で「船舶」ではない。
松前丸(2代目):1964年12月就航、1982年11月終航。この船体のみ機器の違いがあり、保守管理面に問題あるのが廃船の理由とされる。1982年11月12日下り21便で運航終了。1983年に落札され、翌年北朝鮮に転売。数年間元山港に係留されていたが解体された。
大雪丸(2代目):1965年5月就航、1988年1月6日検査期限により航路廃止よりやや早く終航した。札幌五輪の聖火輸送船。売却後長崎港でホテルシップ「VICTORIA」として使用されたが、2005年12月20日営業終了。2008年5月2日中国の船舶会社が買収し福建省に回航。中国でホテルシップとして再起するようだが詳細不詳。
摩周丸(2代目):1965年6月就航、現在、函館駅近くの「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として見学可。
羊蹄丸(2代目):1965年8月就航、終航後は ジェノヴァ国際博覧会 日本館パビリオンとして使用後、現在は東京都品川区東八潮(いわゆるお台場地区)の船の科学館の「フローティングパビリオン羊蹄丸」として見学可。
十和田丸(2代目):1966年11月就航。「津軽丸」型では最も新しく、1981年にドック入りした際横揺れを制御するスタビライザを装着された。このことから、航路外運行にも活躍していた。売却後、1990年3月にクルーズ客船「ジャパニーズドリーム」となり、6月には函館及び青森に寄港し、里帰りを果たした。その後、フィリピンのマクタン島にホテルシップとして係船されている(営業休止中だが自力航行が可能)。
渡島丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1969年10月就航、1978年10月終航。1984年函館どっくで解体。在籍したうちの6年半は使用されずに係船されていた。なお解体直前に摩周丸火災事故の現場検証で船橋部分の燃焼実験が行われた。
日高丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年4月就航、1984年1月終航。1987年売却され、後に韓国で解体。1980年10月から1982年3月まで係船。
十勝丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1970年7月就航、1984年1月終航。1987年売却、台湾にて解体。
空知丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1976年4月就航。1988年3月12日終航。売却後1991年に石狩丸(3代目)と同じギリシアの海運会社「ポセイドンライン」に転売された。そこで客室新設改造をされ、地中海航路で活躍したが、その後航路休止にともない韓国へ転売、さらに2006年に転売され再びギリシア船籍となる。
檜山丸(2代目)(貨車航送船)(貨車55両):1976年8月就航、1982年に「津軽丸」型で老朽化の著しかった「津軽丸」と機器類が異なっていた「松前丸」2隻を廃船とし、その代替として客貨船に改造。売却後1989年から青少年研修船として活躍したが、その後シンガポールを経てインドネシアへ転売された。
石狩丸(3代目)(貨車航送船)(貨車55両):1977年5月就航、1982年に「檜山丸」とともに客貨船に改造され同年3月31日から就航。「石狩丸」「檜山丸」はグリーン船室・寝台・食堂がなく、使用便が限定されていた。香港、キプロスを経てギリシアへ転売され、空知丸と同じ地中海航路で活躍した。その後も2005年まで現役で活躍したが、2006年にインドで解体された。

[編集] 脚注
[ヘルプ]
^ 列車内で乗船者に対して乗船名簿が配布された
^ 鉄道の指定券の発売は乗車1か月前からが原則であるが、青函連絡の乗客の座席を最優先に確保するため、本州・北海道の指定券を乗継割引で購入する場合は、指定券は1か月1日前から発売された。国鉄・JRの規則では、航路の乗船券の名称は「乗車券」であった。
^ 末期であっても、青森ねぶた、函館港まつりの行われる旧盆、弘前・函館の観桜と時期が一致するゴールデンウィーク、年末年始などの最多客期には超満員となり、臨時便の運行や、乗船名簿に通し番号を振った乗船整理券を配布する措置がとられることがあったが、通常期は利用状況は悪かった。

[編集] 関連項目
鉄道連絡船
函館市青函連絡船記念館摩周丸
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸
フローティングパビリオン羊蹄丸
青函トンネル
一本列島
津軽海峡
津軽海峡・冬景色
津軽海峡線(海峡線)
北海道新幹線
点と線
飾り毛布
この「青函連絡船」は鉄道に関連した書きかけの項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。

この「青函連絡船」は、船関連の書きかけです。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています。(ポータル 交通/ウィキプロジェクト 船)

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カテゴリ: 日本国有鉄道の航路 | 北海道旅客鉄道 | 国鉄・JRの鉄道路線 (廃止) | 北海道の歴史 | 北海道の交通 | 青森県の交通 | 鉄道関連のスタブ項目 | 船関連のスタブ項目

最終更新 2008年8月30日 (土) 03:37。









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【無法松の一生】 稲垣は泣く泣く⑧■■■■をカットした。さらに戦後⑨■■■による検閲で封建的

2008-08-30 20:43:26 | 2 IT用語集
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【情報の達人 ■■■】 ■■■に文字を記入!!!


無法松の一生

①■■■■■■(むほうまつのいっしょう)は小説家・岩下俊作の同名小説、およびこれを原作とした映画・演劇である。

小説は当初『富島松五郎伝』の題で「九州文学」1939年10月号、②「■■■読物」1940年6月号に掲載され、第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。

また舞台は昭和17年5月、文学座で原題のまま初演、これがヒットしたため③■■が「無法松の一生」の題で製作され、舞台もこの題に変え、以来幾度となく演じられ、新国劇では④■■柳太郎の当たり役となった他、宝塚歌劇団、歌手の座長公演など多岐の団体で演じられている。

映画は4度製作されたが、特に名高いのは伊丹万作が脚本、稲垣浩が監督した戦前、戦後の2作品である。


[編集] あらすじ

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注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。


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福岡県小倉(現在の北九州市)で、荒くれ者で評判だった⑤■■車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品。
か弱い吉岡母子の将来を思い、(身分差による己の分を弁えながらも)無私の献身を行う⑥■■■と、幼少時は無法松を慕うも長じて(自身と松五郎の社会的関係を外部の視点で認識するようになったことで)齟齬が生じ無法松と距離を置いてしまう敏雄、それでも無法松を見守り感謝の意を表し続けてきた良子との交流と運命的別離・悲しい大団円などが描かれている。



[編集] 映画・1943年版
1943年10月28日公開。製作は⑦■■。全長は99分あったが、内務省による検閲( 日本における検閲参照)で松五郎が未亡人に想いを打ち明けるシーンが10分カットされた(時局柄軍人の未亡人の恋愛は戦地の将兵の士気を挫くと考えられた、このシーンではリメイクでも再現されなかったが、却って映像化された生々しい場面を排除することが出来、松五郎の心情表現に含みを持たせることが可能となり、観客の共感を招くことになった)。この時検閲官は「本当はこれをカットするのは惜しい。あと何年かすれば戦争も終わるだろうからそれまで保留という扱いにしたらどうだろう」と言ったが会社側はカットしてでも公開しろという意向だったため、稲垣は泣く泣く⑧■■■■をカットした。さらに戦後⑨■■■による検閲で封建的だとされたシーンが8分カットされた。
なお、最近になって後者のカットされたシーンが宮川一夫の遺品の中から発見され、2007年9月28日にカットされたシーンが特典映像として収録されたDVDが角川エンタテインメントから発売された。


編集] キャスト
⑩■■妻三郎(富島松五郎)
⑪■■龍之介(結城重蔵)
永田靖(吉岡小太郎)
園井恵子(夫人良子)
川村禾門(吉岡敏雄)
沢村アキヲ(現・長門裕之。敏雄の幼年時代)

[編集] 宮川一夫のカメラ
また、この映画のラスト近くで、無法松が夢うつつの中で過去を振り返るシーンが出てくる。映像としては、無法松の顔や、人力車の走行シーンや、祭りの情景などが、カット割りせずに画面上に現れては消えるものである。現在では「ビデオ編集機」等でそれほど困難なく実現できる映像であるが、1943年当時にはそのような機器は存在しないし、フィルム合成の技術もそこまで進んでいなかった。
そこで、カメラマンの宮川一夫は、カメラからフィルムを取り出さずに「撮影→巻き戻し→再撮影……」を繰り返す「多重露光」を行うことで、この幻想的な映像を撮影した。撮影時の露出調整やタイミングが合っているかは、撮影がすべて終わって現像するまでわからない。撮影中のスタッフのストレスは相当なものであったという。


[編集] 映画・1958年版
1958年4月22日公開。製作は東宝。全長104分。1943年版での無念の想いを晴らすため、また、カラー、シネマスコープで松五郎を撮るために稲垣自身がリメイクした。ヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞。
その時の⑫■■は「トリマシタ、ナキマシタ」



[編集] スタッフ
製作:田中友幸
⑬脚色:■■万作、稲垣浩
音楽:⑭■伊玖磨
監督:稲垣浩

[編集] キャスト
⑮■■敏郎(富島松五郎)
⑯■■比呂志(吉岡小太郎)
⑰■■秀子(吉岡良子)
⑱■智衆(結城重蔵)
飯田蝶子(宇和島屋おとら)
田中春男(熊吉)
大村千吉(ぼんさん)
多々良純(清吉)
稲葉義男(巡査)
宮口精二(撃剣の師範)
土屋嘉男 (高校の先生)
左卜全(居酒屋の亭主)
有島一郎 (オイチニの薬や)
沢村いき雄(俥の客)
中村伸郎 (良子の兄)
中北千枝子 (良子の兄の妻)
上田吉二郎(茶店の客)

[編集] 映画・1963年版
1963年4月28日公開。製作は東映。


[編集] スタッフ
製作:⑲■■博
脚色:伊藤大輔
音楽:三木稔
監督:村山新治

[編集] キャスト
⑳■■連太郎(富島松五郎)
淡島千景(吉岡良子)
中山昭二(吉岡直樹)
島村徹(吉岡敏雄)
宇佐美淳也(大木戸兵衛)
松本染升(結城豊蔵)
沢村貞子(豊)
西村晃(由松)
潮健児(巳之吉)
花沢徳衛(小野)
左卜全(佐分)


最終更新 2008年8月15日 (金) 01:40。












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無法松の一生

無法松の一生(むほうまつのいっしょう)は小説家・岩下俊作の同名小説、およびこれを原作とした映画・演劇である。

小説は当初『富島松五郎伝』の題で「九州文学」1939年10月号、「オール読物」1940年6月号に掲載され、第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。

また舞台は昭和17年5月、文学座で原題のまま初演、これがヒットしたため映画が「無法松の一生」の題で製作され、舞台もこの題に変え、以来幾度となく演じられ、新国劇では辰巳柳太郎の当たり役となった他、宝塚歌劇団、歌手の座長公演など多岐の団体で演じられている。

映画は4度製作されたが、特に名高いのは伊丹万作が脚本、稲垣浩が監督した戦前、戦後の2作品である。

文学

ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
目次 [非表示]
1 あらすじ
2 映画・1943年版
2.1 スタッフ
2.2 キャスト
2.3 宮川一夫のカメラ
3 映画・1958年版
3.1 スタッフ
3.2 キャスト
4 映画・1963年版
4.1 スタッフ
4.2 キャスト
5 映画・1965年版
5.1 スタッフ
5.2 キャスト
6 テレビドラマ
7 舞台
8 音楽
9 参考文献
10 その他



[編集] あらすじ

--------------------------------------------------------------------------------

注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。


--------------------------------------------------------------------------------

福岡県小倉(現在の北九州市)で、荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先、急病死した陸軍軍人・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流をえがいた作品。
か弱い吉岡母子の将来を思い、(身分差による己の分を弁えながらも)無私の献身を行う無法松と、幼少時は無法松を慕うも長じて(自身と松五郎の社会的関係を外部の視点で認識するようになったことで)齟齬が生じ無法松と距離を置いてしまう敏雄、それでも無法松を見守り感謝の意を表し続けてきた良子との交流と運命的別離・悲しい大団円などが描かれている。



[編集] 映画・1943年版
1943年10月28日公開。製作は大映。全長は99分あったが、内務省による検閲( 日本における検閲参照)で松五郎が未亡人に想いを打ち明けるシーンが10分カットされた(時局柄軍人の未亡人の恋愛は戦地の将兵の士気を挫くと考えられた、このシーンではリメイクでも再現されなかったが、却って映像化された生々しい場面を排除することが出来、松五郎の心情表現に含みを持たせることが可能となり、観客の共感を招くことになった)。この時検閲官は「本当はこれをカットするのは惜しい。あと何年かすれば戦争も終わるだろうからそれまで保留という扱いにしたらどうだろう」と言ったが会社側はカットしてでも公開しろという意向だったため、稲垣は泣く泣くフィルムをカットした。さらに戦後占領軍による検閲で封建的だとされたシーンが8分カットされた。
なお、最近になって後者のカットされたシーンが宮川一夫の遺品の中から発見され、2007年9月28日にカットされたシーンが特典映像として収録されたDVDが角川エンタテインメントから発売された。


[編集] スタッフ
脚本:伊丹万作
原作:岩下俊作
撮影:宮川一夫
監督:稲垣浩

[編集] キャスト
阪東妻三郎(富島松五郎)
月形龍之介(結城重蔵)
永田靖(吉岡小太郎)
園井恵子(夫人良子)
川村禾門(吉岡敏雄)
沢村アキヲ(現・長門裕之。敏雄の幼年時代)

[編集] 宮川一夫のカメラ
また、この映画のラスト近くで、無法松が夢うつつの中で過去を振り返るシーンが出てくる。映像としては、無法松の顔や、人力車の走行シーンや、祭りの情景などが、カット割りせずに画面上に現れては消えるものである。現在では「ビデオ編集機」等でそれほど困難なく実現できる映像であるが、1943年当時にはそのような機器は存在しないし、フィルム合成の技術もそこまで進んでいなかった。
そこで、カメラマンの宮川一夫は、カメラからフィルムを取り出さずに「撮影→巻き戻し→再撮影……」を繰り返す「多重露光」を行うことで、この幻想的な映像を撮影した。撮影時の露出調整やタイミングが合っているかは、撮影がすべて終わって現像するまでわからない。撮影中のスタッフのストレスは相当なものであったという。


[編集] 映画・1958年版
1958年4月22日公開。製作は東宝。全長104分。1943年版での無念の想いを晴らすため、また、カラー、シネマスコープで松五郎を撮るために稲垣自身がリメイクした。ヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞。
その時の電報は「トリマシタ、ナキマシタ」



[編集] スタッフ
製作:田中友幸
脚色:伊丹万作、稲垣浩
音楽:團伊玖磨
監督:稲垣浩

[編集] キャスト
三船敏郎(富島松五郎)
芥川比呂志(吉岡小太郎)
高峰秀子(吉岡良子)
笠智衆(結城重蔵)
飯田蝶子(宇和島屋おとら)
田中春男(熊吉)
大村千吉(ぼんさん)
多々良純(清吉)
稲葉義男(巡査)
宮口精二(撃剣の師範)
土屋嘉男 (高校の先生)
左卜全(居酒屋の亭主)
有島一郎 (オイチニの薬や)
沢村いき雄(俥の客)
中村伸郎 (良子の兄)
中北千枝子 (良子の兄の妻)
上田吉二郎(茶店の客)

[編集] 映画・1963年版
1963年4月28日公開。製作は東映。


[編集] スタッフ
製作:大川博
脚色:伊藤大輔
音楽:三木稔
監督:村山新治

[編集] キャスト
三國連太郎(富島松五郎)
淡島千景(吉岡良子)
中山昭二(吉岡直樹)
島村徹(吉岡敏雄)
宇佐美淳也(大木戸兵衛)
松本染升(結城豊蔵)
沢村貞子(豊)
西村晃(由松)
潮健児(巳之吉)
花沢徳衛(小野)
左卜全(佐分)

[編集] 映画・1965年版
1965年7月14日公開。製作は大映。全長96分。


[編集] スタッフ
脚色:伊丹万作
音楽:伊福部昭
監督:三隅研次

[編集] キャスト
勝新太郎(富島松五郎)
有馬稲子(吉岡よし子)
宇津井健(吉岡小太郎)
東野英治郎(結城重蔵)
頭師佳孝(松五郎の少年時代)

[編集] テレビドラマ
「無法松の一生」 (1957年、日本テレビ) 富島松五郎:田崎潤、吉岡良子:坪内美詠子、吉岡敏雄の幼年時代:毛利充宏
「無法松の一生」 (1962年、フジテレビ) 富島松五郎:須賀不二男、吉岡良子:高倉みゆき、吉岡小太郎:沼田曜一
「無法松の一生」 (1962年、NHK) 富島松五郎:田崎潤、吉岡良子:津島恵子、吉岡小太郎:土屋嘉男
「無法松の一生」 (1964年、フジテレビ) 富島松五郎:南原宏治、吉岡良子:南田洋子、吉岡小太郎:稲吉靖 

[編集] 舞台
初の舞台化は前述のとおり文学座が潤色を森本薫、演出里見、無法松:丸山定夫(※『苦楽座』より客演、文学座男性メンバーの多くが出征して手薄による)、良子:杉村春子,吉岡大尉:森雅之で上演。
新国劇では辰巳柳太郎が当たり役として戦前戦後を通じて幾度となく公演している。
1945年、移動慰問劇団・桜隊が全国を巡回公演。8月6日、広島で原爆に会い、出演者全員が被爆死する。無法松:丸山定夫、吉岡良子:園井恵子、吉岡小太郎:高山象三他の配役であった。
宝塚歌劇団は「永遠物語」(とわものがたり)のタイトルで脚本・演出を草野旦が担当、1982年3月初演、再演は1988年7月、三演が1998年7月といずれも場所・宝塚バウホール、松五郎を榛名由梨(※榛名は1988年で退団しているため1998年の三演は“客演”である)が演じた。
商業演劇では村田英雄、小林旭、北島三郎、杉良太郎、五木ひろしらが、演劇と歌謡ショーの2本立てで公演している。

[編集] 音楽
村田英雄:『無法松の一生』
坂本冬美:『あばれ太鼓』 作詞;たかたかし、作曲;猪俣公章
「どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか~」
水沢明美:『おんな無法松』
北島三郎:『あばれ松』
『無法一代恋物語』

[編集] 参考文献
大月隆寛『無法松の影』文春文庫(2003),ISBN-10: 4167656787

[編集] その他
初映画化時、園井に良子役が配役されるまでに、数名の候補女優が諸々の事情で辞退した経緯があった。
初の舞台化時の良子役だった杉村にも出演打診があったが断っている。杉村の辞退理由は文学座の人手不足の問題とも、舞台初演時の劇評(とくに自身の良子役の出来)が今ひとつ辛いものだったからとも言われる。
次に打診されたのが水谷八重子 (初代)だったが水谷も自ら断りを入れた。事情・理由は不詳。
水谷辞退のち製作側は小夜福子に出演依頼をしたが、折悪しく小夜は妊娠中で出演辞退。
しかし小夜が、宝塚歌劇団在団中から多数映画出演の場数を踏み、演技熱心で人望もあり、宝塚退団後、女優に転向して間もなかった園井恵子を製作者側に推薦したことが園井・良子の誕生をよんだ。
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更新 2008年8月15日 (金) 01:40。





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1930年7月、臨時増刊『オール讀物號』として出版されたものが、1931年4月から定期の月刊雑誌となり、現在に至っている。初代編集長は、のちの文化勲章受章者で小説家でもある③■■■■であった。

⑤■■■■■■■■■■系の小説が中心だが、随筆・紀行文・対談・漫画など、気楽に読める読み物が多い。小説は、⑥■■小説と⑦■■■■■が中心で、同じ傾向の雑誌である⑧『■■すばる』、⑨『小■■潮』、⑩『小説■■』などにくらべ、読み切りが多い。

⑪毎年■■号と■■号に、⑫■■■の批評と受賞作品(ダイジェスト版のことが多い)が掲載される。読者層は中高年が主体で、掲載内容の傾向もそれに沿っている。

オール讀物新人賞とオール讀物推理小説新人賞を主催していたが、2008年から両賞は⑬■■■■■■■■に統合された。

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オール讀物(オールよみもの)は、文藝春秋が発行する月刊娯楽文芸雑誌である。同社の『文學界』とは対をなす。

1930年7月、臨時増刊『オール讀物號』として出版されたものが、1931年4月から定期の月刊雑誌となり、現在に至っている。初代編集長は、のちの文化勲章受章者で小説家でもある永井龍男であった。

エンターテインメント系の小説が中心だが、随筆・紀行文・対談・漫画など、気楽に読める読み物が多い。小説は、時代小説とミステリーが中心で、同じ傾向の雑誌である『小説すばる』、『小説新潮』、『小説現代』などにくらべ、読み切りが多い。

毎年3月号と9月号に、直木賞の批評と受賞作品(ダイジェスト版のことが多い)が掲載される。読者層は中高年が主体で、掲載内容の傾向もそれに沿っている。

オール讀物新人賞とオール讀物推理小説新人賞を主催していたが、2008年から両賞はオール讀物新人賞に統合された。





[編集] 関連項目
小説すばる
小説新潮
小説現代
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①『■■■■』(やせいじだい)は、角川書店が発行するエンターテイメント文芸誌。創刊当時はB5判という大きな判型が話題を呼んだ。1970年代後半から1980年代にかけて角川映画と連携したメディアミックス路線を取り、②「人間の■■」③「■■の証明」「悪霊島」「晴れ、ときどき殺人」④「早春■■」「キャバレー」「メイン・テーマ」などの作品を送り出した。

1996年に休刊するが、2003年11月に⑤■■判で新創刊された。 近年は桜庭一樹や有川浩、乙一、米澤穂信ら⑥■■■■■■作家の起用が多い。

1974年 創刊号発売 執筆陣は⑦■■清張、⑧■■章太郎、⑨■新一、半村良など
1977年 ⑩■■満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」芥川賞
1978年 有明夏夫「大浪速諸人往来」直木賞
1981年 つかこうへい⑪「■■■■■」直木賞
1982年 村松友視「時代屋の女房」直木賞
1988年 景山民夫「遠い海から来たCOO」直木賞
1996年 休刊
2003年 新創刊
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『野性時代』(やせいじだい)は、角川書店が発行するエンターテイメント文芸誌。創刊当時はB5判という大きな判型が話題を呼んだ。1970年代後半から1980年代にかけて角川映画と連携したメディアミックス路線を取り、「人間の証明」「野性の証明」「悪霊島」「晴れ、ときどき殺人」「早春物語」「キャバレー」「メイン・テーマ」などの作品を送り出した。

1996年に休刊するが、2003年11月にA5判で新創刊された。 近年は桜庭一樹や有川浩、乙一、米澤穂信らライトノベル作家の起用が多い。

1974年 創刊号発売 執筆陣は松本清張、安岡章太郎、星新一、半村良など
1977年 池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」芥川賞
1978年 有明夏夫「大浪速諸人往来」直木賞
1981年 つかこうへい「蒲田行進曲」直木賞
1982年 村松友視「時代屋の女房」直木賞
1988年 景山民夫「遠い海から来たCOO」直木賞
1996年 休刊
2003年 新創刊

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【四方田犬彦】 ⑦■■しげると⑧■■三平の2人に特に力を注ぐ。大著『漫画原論』

2008-08-30 20:24:57 | 13 用語集:①人物一覧   
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四方田犬彦

①■■■■■(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、兵庫県西宮市出身の②■■文学者、③■■史家である。東京大学人文系大学院博士課程修了。専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。蓮實重彦門下と見られがちだが、当初は由良君美に師事、大学院では④■■徹の門下。本名は、四方田 剛己(- ごうき)。妻は台湾日本文学研究者の垂水千恵。

[編集] 人物・経歴
本来は「四方田 丈彦」との筆名を用いるつもりだったが、出版社に「四方田 "犬"彦」と誤植され、そのまま筆名にした。本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する。「ゴウキ」のこの綴り方は、マクシム・ゴーリキーの名字の「Gorki」にあやかったものらしい。旧姓小林で両親の離婚後、母方の姓「四方田」を名乗るようになる。母方の祖父は関西では高名な弁護士であり、大阪の箕面市に敷地三千坪の大豪邸を構えていたという。

大学在学中に⑤■■同人誌「シネマグラ」(1977年-)の同人として映画批評を始める。 1984年-1985年、雑誌『GS-たのしい知識』(冬樹社)の編集委員(3号まで)として、⑥■■彰、伊藤俊治らと同誌の編集に関わる。

漫画研究では、最も愛する漫画家である⑦■■しげると⑧■■三平の2人に特に力を注ぐ。1994年に発表した大著『漫画原論』では、20世紀の初頭から世紀末に至るまでのほぼ全方位の日本漫画を、吹き出し・コマ割り・ベタ塗りなど画面の構成や描写の技法などの観点から、徹底して分析した。漫画を形成する重要な要素でありながらそれまでほとんど注目されて来なかった、漫画特有の文法や法則や表現方法を実に緻密に読み解き、高い評価を獲得した。

映画研究では、北野武、押井守、黒沢清、原節子、李香蘭等、日本映画を重点的に研究。日本映画とアジア各国との重要な関係性にも注目している。 ⑨■■■■大学では、映画史、映画理論を講じ、門下には平沢剛、山本直樹、大嶺沙和などがいる。

また、文学研究としては、⑩■■健次を主に論評の対象としている。

建国大学校に勤務した経験があり、韓国文化、韓国文学、韓国映画にも大変に造詣が深い。1979年、朴正煕独裁下の韓国に留学し、対日協力詩人とされる金素雲に会っており、長らく保守と見られていたが、1990年代から左派的な言動が増えてきた。

2006年6月、『女優山口百恵』を編著として刊行する。

著書の文庫化を拒否していることでも知られていたが、1994年に『漫画原論』を⑪「■■■学芸文庫」に収録した後、いくつかの作品が文庫化されている。


[編集] 学歴
東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現在の⑫■■■■附属■■中学校・高等学校)卒業。
⑬■■大学■学部■■学科卒業。
⑭同大学院■■■■■■■■専攻修士課程修了。修士論文はスウィフト論で、のち『空想旅行の修辞学』として刊行される。

[編集] 職歴
建国大学校客員教授。
コロンビア大学客員教授。
ボローニャ大学客員教授。
東洋大学助教授(英語)
⑮■■■■大学文学部芸術学科助教授。
同教授。
同言語文化研究所所長兼任。

[編集] 受賞歴
⑯『■■物語』で第1回斎藤緑雨賞。
1998年 - 『映画史への招待』で第20回サントリー学芸賞社会・風俗部門。
2000年 - 『モロッコ流滴』で第11回⑰■■整文学賞評論部門、第16回講談社エッセイ賞。
2002年 - 『ソウルの風景――記憶と変貌』で第50回日本エッセイスト・クラブ賞。
2008年 - 『日本のマラーノ文学』『翻訳と雑神』で第11回⑱■■武夫学芸賞。

[編集] 著書

[編集] 単著
『リュミエールの閾』(朝日出版社、1980年)
『映像の招喚 -- エッセ・シネマトグラフィック』(青土社, 1983年)
『人それを映画と呼ぶ』(フィルムアート社,1984年)
『クリティック』(冬樹社,1984年)
『映像要理』(朝日出版社、1984年)
『映画はもうすぐ百歳になる』(筑摩書房, 1986年) ISBN 978-4480055095
『われらが「他者」なる韓国』(PARCO出版局, 1987年/平凡社[平凡社ライブラリー], 2000年)
『叙事詩の権能』(哲学書房, 1988年)
『映画のウフフッ』(フィルムアート社,1984年)
『魯迅 -- めざめて人はどこへ行くか』(ブロンズ新社, 1992年)
『越境のレッスン -- 東アジアの現在・五つの対話』(丸善, 1992年)
『月島物語』(集英社, 1992年/集英社文庫, 1999年)
『電影風雲』(白水社, 1993年)
『ドルズ・ハウスの映画館』(悠思社 , 1993年)
『眼の破裂』(百頭社, 1993年)
『文学的記憶』(五柳書院, 1993年)
『読むことのアニマ』([筑摩書房],1993年)
『回避と拘泥』(立風書房, 1994年)
⑲『■■原論』(筑摩書房, 1994年/ちくま学芸文庫, 1999年)
『空想旅行の修辞学 -- 「ガリヴァー旅行記」論』(七月堂, 1996年)
『オデュッセウスの帰還』(自由国民社, 1996年)
『貴種と転生・中上健次』(新潮社, 1996年/筑摩書房[ちくま学芸文庫], 2001年)
『映画史への招待』(岩波書店, 1998年)
『日本映画のラディカルな意志』(岩波書店, 1999年)
『狼が来るぞ!』(平凡社, 1999年)
『マルコ・ポーロと書物』(出版社, 2000年)
『日本映画史100年』(集英社[集英社新書], 2000年)
『日本の女優』(岩波書店, 2000年)
『モロッコ流滴』(新潮社, 2000年)
『ハイスクール・ブッキッシュライフ』([講談社],2001年)
『アジアのなかの日本映画』(岩波書店, 2001年)
『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』(岩波書店[岩波新書], 2001年)
『アジア映画の大衆的想像力』(青土社, 2003年)
『映画と表象不可能性』(産業図書, 2003年)
『摩滅の賦』(筑摩書房, 2003年)
『大好きな韓国』(ポプラ社, 2003年)
『心は転がる石のように -- Papers 2003-2004』(ランダムハウス講談社, 2004年)
『ハイスクール1968』(新潮社, 2004年)
⑳『■■三平論』(作品社, 2005年)
『ラブレーの子供たち』(新潮社, 2005年)
『見ることの塩 -- パレスチナ・ボスニア紀行』(作品社, 2005年)
『ブルース・リー -- 李小龍の栄光と孤独』(晶文社, 2005年)
『「かわいい」論』(筑摩書房[ちくま新書], 2006年)
『パレスチナ・ナウ -- 《戦争/映画/人間》』(作品社, 2006年)
『先生とわたし』(新潮社, 2007年)
『人間を守る読書』(文藝春秋[文春新書], 2007年)
『日本映画と戦後の神話』(岩波書店, 2007年)
『日本のマラーノ文学』 (人文書院,2007年)
『翻訳と雑神―Dulcinea blanca』(人文書院,2007年)
『人生の乞食』(書肆山田, 2007年)
『驢馬とスープ―papers2005-2007』(ポプラ社,2007年)
『四方田犬彦の引越し人生』(交通新聞社, 2008年)


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四方田犬彦

四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、兵庫県西宮市出身の比較文学者、映画史家である。東京大学人文系大学院博士課程修了。専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。蓮實重彦門下と見られがちだが、当初は由良君美に師事、大学院では芳賀徹の門下。本名は、四方田 剛己(- ごうき)。妻は台湾日本文学研究者の垂水千恵。

目次 [非表示]
1 人物・経歴
2 学歴
3 職歴
4 受賞歴
5 著書
5.1 単著
5.2 共著
5.3 編書
5.4 共同での編書
5.5 訳書
6 外部リンク



[編集] 人物・経歴
本来は「四方田 丈彦」との筆名を用いるつもりだったが、出版社に「四方田 "犬"彦」と誤植され、そのまま筆名にした。本名のローマ字表記では好んで「Gorki Yomota」と自署する。「ゴウキ」のこの綴り方は、マクシム・ゴーリキーの名字の「Gorki」にあやかったものらしい。旧姓小林で両親の離婚後、母方の姓「四方田」を名乗るようになる。母方の祖父は関西では高名な弁護士であり、大阪の箕面市に敷地三千坪の大豪邸を構えていたという。

大学在学中に映画同人誌「シネマグラ」(1977年-)の同人として映画批評を始める。 1984年-1985年、雑誌『GS-たのしい知識』(冬樹社)の編集委員(3号まで)として、浅田彰、伊藤俊治らと同誌の編集に関わる。

漫画研究では、最も愛する漫画家である水木しげると白土三平の2人に特に力を注ぐ。1994年に発表した大著『漫画原論』では、20世紀の初頭から世紀末に至るまでのほぼ全方位の日本漫画を、吹き出し・コマ割り・ベタ塗りなど画面の構成や描写の技法などの観点から、徹底して分析した。漫画を形成する重要な要素でありながらそれまでほとんど注目されて来なかった、漫画特有の文法や法則や表現方法を実に緻密に読み解き、高い評価を獲得した。

映画研究では、北野武、押井守、黒沢清、原節子、李香蘭等、日本映画を重点的に研究。日本映画とアジア各国との重要な関係性にも注目している。 明治学院大学では、映画史、映画理論を講じ、門下には平沢剛、山本直樹、大嶺沙和などがいる。

また、文学研究としては、中上健次を主に論評の対象としている。

建国大学校に勤務した経験があり、韓国文化、韓国文学、韓国映画にも大変に造詣が深い。1979年、朴正煕独裁下の韓国に留学し、対日協力詩人とされる金素雲に会っており、長らく保守と見られていたが、1990年代から左派的な言動が増えてきた。

2006年6月、『女優山口百恵』を編著として刊行する。

著書の文庫化を拒否していることでも知られていたが、1994年に『漫画原論』を「ちくま学芸文庫」に収録した後、いくつかの作品が文庫化されている。


[編集] 学歴
東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現在の筑波大学附属駒場中学校・高等学校)卒業。
東京大学文学部宗教学科卒業。
同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。修士論文はスウィフト論で、のち『空想旅行の修辞学』として刊行される。

[編集] 職歴
建国大学校客員教授。
コロンビア大学客員教授。
ボローニャ大学客員教授。
東洋大学助教授(英語)
明治学院大学文学部芸術学科助教授。
同教授。
同言語文化研究所所長兼任。

[編集] 受賞歴
『月島物語』で第1回斎藤緑雨賞。
1998年 - 『映画史への招待』で第20回サントリー学芸賞社会・風俗部門。
2000年 - 『モロッコ流滴』で第11回伊藤整文学賞評論部門、第16回講談社エッセイ賞。
2002年 - 『ソウルの風景――記憶と変貌』で第50回日本エッセイスト・クラブ賞。
2008年 - 『日本のマラーノ文学』『翻訳と雑神』で第11回桑原武夫学芸賞。

[編集] 著書

[編集] 単著
『リュミエールの閾』(朝日出版社、1980年)
『映像の招喚 -- エッセ・シネマトグラフィック』(青土社, 1983年)
『人それを映画と呼ぶ』(フィルムアート社,1984年)
『クリティック』(冬樹社,1984年)
『映像要理』(朝日出版社、1984年)
『映画はもうすぐ百歳になる』(筑摩書房, 1986年) ISBN 978-4480055095
『われらが「他者」なる韓国』(PARCO出版局, 1987年/平凡社[平凡社ライブラリー], 2000年)
『叙事詩の権能』(哲学書房, 1988年)
『映画のウフフッ』(フィルムアート社,1984年)
『魯迅 -- めざめて人はどこへ行くか』(ブロンズ新社, 1992年)
『越境のレッスン -- 東アジアの現在・五つの対話』(丸善, 1992年)
『月島物語』(集英社, 1992年/集英社文庫, 1999年)
『電影風雲』(白水社, 1993年)
『ドルズ・ハウスの映画館』(悠思社 , 1993年)
『眼の破裂』(百頭社, 1993年)
『文学的記憶』(五柳書院, 1993年)
『読むことのアニマ』([筑摩書房],1993年)
『回避と拘泥』(立風書房, 1994年)
『漫画原論』(筑摩書房, 1994年/ちくま学芸文庫, 1999年)
『空想旅行の修辞学 -- 「ガリヴァー旅行記」論』(七月堂, 1996年)
『オデュッセウスの帰還』(自由国民社, 1996年)
『貴種と転生・中上健次』(新潮社, 1996年/筑摩書房[ちくま学芸文庫], 2001年)
『映画史への招待』(岩波書店, 1998年)
『日本映画のラディカルな意志』(岩波書店, 1999年)
『狼が来るぞ!』(平凡社, 1999年)
『マルコ・ポーロと書物』(出版社, 2000年)
『日本映画史100年』(集英社[集英社新書], 2000年)
『日本の女優』(岩波書店, 2000年)
『モロッコ流滴』(新潮社, 2000年)
『ハイスクール・ブッキッシュライフ』([講談社],2001年)
『アジアのなかの日本映画』(岩波書店, 2001年)
『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』(岩波書店[岩波新書], 2001年)
『アジア映画の大衆的想像力』(青土社, 2003年)
『映画と表象不可能性』(産業図書, 2003年)
『摩滅の賦』(筑摩書房, 2003年)
『大好きな韓国』(ポプラ社, 2003年)
『心は転がる石のように -- Papers 2003-2004』(ランダムハウス講談社, 2004年)
『ハイスクール1968』(新潮社, 2004年)
『白土三平論』(作品社, 2005年)
『ラブレーの子供たち』(新潮社, 2005年)
『見ることの塩 -- パレスチナ・ボスニア紀行』(作品社, 2005年)
『ブルース・リー -- 李小龍の栄光と孤独』(晶文社, 2005年)
『「かわいい」論』(筑摩書房[ちくま新書], 2006年)
『パレスチナ・ナウ -- 《戦争/映画/人間》』(作品社, 2006年)
『先生とわたし』(新潮社, 2007年)
『人間を守る読書』(文藝春秋[文春新書], 2007年)
『日本映画と戦後の神話』(岩波書店, 2007年)
『日本のマラーノ文学』 (人文書院,2007年)
『翻訳と雑神―Dulcinea blanca』(人文書院,2007年)
『人生の乞食』(書肆山田, 2007年)
『驢馬とスープ―papers2005-2007』(ポプラ社,2007年)
『四方田犬彦の引越し人生』(交通新聞社, 2008年)

[編集] 共著
(平岡正明) 『電撃フランク・チキンズ』(朝日出版社,1985年)
(李鳳宇) 『先に抜け、撃つのは俺だ』(アスペクト, 1998年/増補改題版『パッチギ!対談篇 -- 喧嘩、映画、家族、そして韓国』朝日新聞社[朝日選書], 2005年)
(金光英実) 『ためぐち韓国語』(平凡社[平凡社新書], 2005年)
(也斯)『往復書簡 いつも香港を見つめて』(岩波書店, 2008年)

[編集] 編書
『映画監督溝口健二』(新曜社, 1999年)
『李香蘭と東アジア』(東京大学出版会, 2001年)
『ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明』(芳賀書店, 2001年)
『思想読本(9)アジア映画』(作品社, 2003年)
『吉田喜重の全体像』(作品社, 2004年)
『女優山口百恵』(ワイズ出版,2006年)

[編集] 共同での編書
(堀潤之) 『ゴダール・映像・歴史 -- 「映画史」を読む』(産業図書, 2001年)
(青木保・姜尚中・小杉泰・坂元ひろ子・莫邦富・山室信一・吉見俊哉) 『アジア新世紀(全8巻)』(岩波書店, 2002年-2003年)
(斉藤綾子) 『映画女優若尾文子』(みすず書房, 2003年)
(斉藤綾子) 『男たちの絆、アジア映画 -- ホモソーシャルな欲望』(平凡社, 2004年)
(大嶺沙和)『沖縄映画論』(作品社,2007年)

[編集] 訳書
ポール・ボウルズ 『蜘蛛の家』(白水社, 1995年)
コリン・ウィルソン 『至高体験 -- 自己実現のための心理学』(河出書房新社, 1998年)
エドワード・サイード 『パレスチナへ帰る』(作品社, 1999年)
ピーター・ブルックス 『メロドラマ的想像力』(共訳、産業図書, 2002年)

[編集] 外部リンク
明治学院大学言語文化研究所
明治学院大学文学部芸術学科
岩波新書『ソウルの風景 -- 記憶と変貌』
韓国を知れば、日本がよくわかる!(インタビュー)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%96%B9%E7%94%B0%E7%8A%AC%E5%BD%A6" より作成
カテゴリ: 文学研究者 | 映画史 | 日本の映画評論家 | 兵庫県出身の人物 | 1953年生












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【古文冒頭文】①~⑩ 約 2万800 件

2008-08-30 20:24:39 | 29 書名 人名 タイトル
【古文冒頭文】①~⑩ 約 2万800 件

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【猫と数学】①~⑩ 約 4万7200 件

2008-08-30 20:24:23 | 4 教育ニュース {新聞・雑誌・テレビ}
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【玉葉】 ③■■時代末期から④■■時代初期の変動期についての基礎史料になっている

2008-08-30 20:24:02 | 21 ▽大学受験 論述・穴埋め問題
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玉葉

[編集] 概要
記述は1164年(長寛2年)から1200年(正治2年)に及んでいる。公家の日記は、①■■行事のしきたりなどを後に伝える目的があり、儀式の次第が詳細に記されている。

また、当時の②■■の争乱についても多く記されており、③■■時代末期から④■■時代初期の変動期についての基礎史料になっている。同時代の史料としては⑤『■■■』もあるが、これは鎌倉幕府の北条氏の立場で編纂された正史に近いものであるから、朝廷側の人間の日記として記述された『玉葉』と相補的に用いられることが多い。

兼実の孫である九条道家没後、元本は一条家に、写本が九条家に伝来された。また、二条家では『玉葉』という名称を用いずに『玉海』と呼称を用いたとされている。



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玉葉

この項目では鎌倉時代の九条兼実による日記について記述しています。鎌倉時代の勅撰和歌集については玉葉和歌集をご覧ください。
『玉葉』(ぎょくよう)は、関白・太政大臣九条兼実の日記。別名玉海、月輪兼実公記とも。朝廷から武家政治への激動期に際して関白の職にあった兼実の公私にわたる記録である。


[編集] 概要
記述は1164年(長寛2年)から1200年(正治2年)に及んでいる。公家の日記は、宮中行事のしきたりなどを後に伝える目的があり、儀式の次第が詳細に記されている。

また、当時の源平の争乱についても多く記されており、平安時代末期から鎌倉時代初期の変動期についての基礎史料になっている。同時代の史料としては『吾妻鏡』もあるが、これは鎌倉幕府の北条氏の立場で編纂された正史に近いものであるから、朝廷側の人間の日記として記述された『玉葉』と相補的に用いられることが多い。

兼実の孫である九条道家没後、元本は一条家に、写本が九条家に伝来された。また、二条家では『玉葉』という名称を用いずに『玉海』と呼称を用いたとされている。


[編集] 参考文献
国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』第4巻(吉川弘文館、1984年) ISBN 4-642-00504-8

[編集] 関連項目
九条兼実
この「玉葉」は、文学に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆、訂正などして下さる協力者を求めています(関連:Portal:文学)。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%91%89" より作成
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【守護】 日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制

2008-08-30 20:23:48 | 21 ▽大学受験 論述・穴埋め問題
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守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河上皇が鎌倉殿へ守護・地頭の設置を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代は守護人奉行(しゅごにんぶぎょう)といい、室町時代には守護職(しゅごしき)といった。

目次 [非表示]
1 鎌倉時代
2 室町時代
3 戦国時代
4 江戸時代
5 関連項目



[編集] 鎌倉時代
平安時代後期において、国内の治安維持などのために、国司が有力な在地武士を国守護人(守護人)に任命したとする見解があり、これによれば平安後期の国守護人が鎌倉期守護の起源と考えられている。

鎌倉期の守護は、1180年(治承4)、源頼朝が挙兵し、鎌倉へ入った後、諸国に置いた守護人に始まるとされている。同年10月の富士川の戦いの直後に、甲斐源氏の武田信義を駿河国守護人、同じく甲斐源氏の安田義定を遠江国守護人に任じたのが、頼朝政権による守護設置の初例と見られている。その後、頼朝政権の勢力が西上するに従って、守護人の設置は東国諸国から西国へと拡がっていった。当時の守護人は、在庁官人らを指揮して国内の治安維持・民政にあたり、兵粮徴発や兵士動員などを任務としていたが、1185年(文治1)に平氏政権が滅亡すると、朝廷との円滑な関係を構築するため、頼朝政権は独自に設置した国守護人を一旦廃止することとした。

同年11月、源義経・源行家の追討を目的として、頼朝の義父である北条時政が上京し、後白河側と交渉した結果、行家・義経追討のため、諸国に惣追捕使(そうついぶし)・国地頭(くにじとう)を設置することが勅許された。頼朝政権=鎌倉幕府には、荘園・国衙領の田1段から兵粮米5升を徴収する権利と、国衙の在庁官人を指揮する権利が認められ、これを執行する職として惣追捕使・国地頭が置かれたのである。これにより鎌倉期の守護・地頭制度が本格的に始まることとなった。なお、諸国ごとに設置する職を守護、荘園・国衙領に設置する職を地頭として区別され始めたのは、1190年前後とされている。だが、当初の頼朝政権の実質支配権が及んだ地域は日本のほぼ東側半分に限定されていたと考えられており、畿内以西の地域では後鳥羽天皇を中心とした朝廷や寺社の抵抗が根強く、後鳥羽天皇(退位後は院政を行う)の命令によって守護職の廃止が命じられたり、天皇のお気に入りであった信濃源氏の大内惟義(平賀朝雅の実兄)が畿内周辺7ヶ国の守護に補任されるなどの干渉政策が行われ続けた。こうした干渉を排除出来るようになるのは、承久の乱以後のことである。

その後、守護の職務内容が次第に明確化されていき、1232年(貞永1)に制定された御成敗式目において、守護の職掌は、軍事・警察的な職務である大犯三ヶ条の検断(御家人の義務である鎌倉・京都での大番役の催促、謀反人の捜索逮捕、殺害人の捜索逮捕)と大番役の指揮監督に限定され、国司の職権である行政への関与や国衙領の支配を禁じられた。しかし、守護が国内の地頭や在庁官人を被官(家臣)にしようとする動き(被官化)は存在しており、こうした守護による在地武士の被官化は、次の室町時代に一層進展していくこととなる。

鎌倉中期以降は、北条氏一門による守護職の独占化が進んだ。これは、北条時頼の頃から北条本家(得宗)による政治の専制化、すなわち得宗専制が確立していったことに伴うもので、北条一門の守護国は、鎌倉初期の1200年頃に2国(他氏36国、守護不設置4国)、1250年頃に17国(他氏24国、不設置5国)、1285年頃に33国(他氏18国、不設置5国)、鎌倉最末期の1333年には38国(他氏15国、不設置5国)と鎌倉中期を境に一気に増加していた。こうした事態は、他の御家人らの不満を潜在化させることとなり、鎌倉幕府滅亡の遠因となったと考えられている。


[編集] 室町時代
鎌倉幕府滅亡後に成立した後醍醐天皇による建武の新政においても、守護は、国司と併置される形で制度に残された。ただし、新政がわずか数年で終了したため、建武期の守護について詳細は明らかでない。

次に成立した室町幕府も、守護の制度を継承した。当初、守護の多くは在地の有力者が任じられていたが、次第に足利氏一門と交代させられて、その地位を保持していたのは、播磨の赤松氏(赤松則村)などごく僅かだった。これは、鎌倉期の得宗専制を引き継いだものである。

職権についても鎌倉期と同じく、初めは大犯三ヶ条とされていたが、国内統治を一層安定させるため、1346年(貞和2)、刈田狼藉の検断権と使節遵行権が新たに守護の職権に加えられた。刈田狼藉は武士間の所領紛争に伴って発生する実力行使であり、使節遵行とは幕府の判決内容を現地で強制執行することである。この両者により、守護は、国内の武士間の紛争へ介入する権利と、司法執行の権利の2つを獲得した。

1352年(文和1)には、軍事兵粮の調達を目的に、国内の荘園・国衙領の年貢の半分を徴収することのできる半済の権利が守護に与えられた。当初は、戦乱の激しい3国(近江・美濃・尾張)に限定して半済が認められていたが、守護たちは半済の実施を幕府へ競って要望し、半済は恒久化されるようになる。1368年(応安1)の半済令(寺社本所領事)は、年貢だけでなく土地自体の半分割を認める内容であり、守護による荘園・国衙領への侵出が著しくなっていった。さらに、守護は荘園領主らと年貢納付の請け負い契約を結び、実質的に荘園への支配を強める守護請(しゅごうけ)も行うようになった。また、税の一種である段銭や棟別銭の徴収なども行うなど、経済的権能をますます強めていったのである。

守護はこのように強化された権限を背景に、それまで国司が管轄していた国衙の組織を吸収すると同時に、強まった経済力を背景に、国内の地頭、在地領主(当時、国人と呼ばれた)、さらに有力名主らを被官(家臣)にしていった。この動きを被官化というが、こうして守護は、土地の面でも人的面でも、国内に領域的かつ均一な影響力を次第に及ぼしていく。こうした室町期の守護のあり方は、軍事・警察的権能のみを有した鎌倉期守護のそれと大きく異なることから、室町期守護を指して守護大名と称して区別する。また、守護大名による国内の支配体制を守護領国制という。ただし、守護大名による領国支配は必ずしも徹底したものではなく、畿内を中心に、国人層が守護の被官となることを拒否した例は、実は多く見られる。

室町中期までに、幕府における守護大名の権能が肥大化し、幕府はいわば守護大名の連合政権の様相を呈するようになる。当時の有力な守護には、足利将軍家の一族である斯波氏・畠山氏・細川氏をはじめ、外様勢力である山名氏・大内氏・赤松氏など数ヶ国を支配する者がいた。これら有力守護は、幕府に出仕するため継続して在京することが多く、領国を離れる場合や、多くの分国を抱える場合などに、国人を守護の代官としたり、直属家臣の中から守護代を置いた。さらにその守護代も小守護代を置いて、二重三重の支配構造を形成していった。

守護の恩典には、将軍の諱から一字をもらう一字拝領などがあった。また、守護の格式として白傘袋・毛氈鞍覆を許され、守護代には唐傘袋・毛氈鞍覆、塗輿が免許された。また、守護・守護代ともに塗輿の使用が免許され、有力な武士としての権威性を認められていた。管領・探題に達する者や有力守護にのみ許された特典としては、屋形号と朱の采配の免許があり、屋形号を持つ者の家臣は烏帽子と直垂を着用することが許された。特に鎌倉公方足利家では関東の有力武士のうち、8家に屋形号を授け関東八館などといわれた。


[編集] 戦国時代
応仁の乱の前後から、守護同士の紛争が目立って増加しており、それに歩調を合わせるように、在地領主である国人の独立志向(国人一揆など)が見られるようになる。これらの動きは、一方では守護の権威の低下を招いたが、他方では守護による国人への支配強化へとつながっていった。そして、1493年(明応2)の明応の政変前後を契機として、低下した権威の復活に失敗した守護は、守護代や国人などにその地位を奪われることになり、逆に国人支配の強化に成功した守護は、領国支配を一層強めていった。

こうして、室町期の守護のうち領国支配の強化に成功した守護や、守護に取って代わった守護代、国人は、戦国大名へと変質・成長していった。しかし、室町時代、世襲という家柄や既得権として権威があった守護職は戦国時代でも、戦国大名の称号としてそれなりに意味を持っており、実力者の称号となることでそれなりの意味を持った。多くの戦国大名が幕府から守護に補任されていることはその証左である。このことから、戦国期守護という概念を提示する論者もいる。

なお、出羽国の戦国大名 安東氏では当初、北海道南部にも勢力を持ち、奥州十三湊日之本将軍、または東海将軍と称して北海道南部に土着した安東氏の庶家や蠣崎氏後の松前氏を上国守護職、下国守護職、松前守護職などに封じているなど、幕府以外にも守護職が独自に設置・任免された事績も確認できる。


[編集] 江戸時代
幕末、会津藩の藩主、松平容保が朝廷を通じて江戸幕府より京都守護職に任ぜられている。過去にも「京都守護」の職名は存在したが、この場合は「京都守護職」と称するのが正式であり、守護職の読みも室町時代の“しゅごしき”に対して“しゅごしょく”と読む。


[編集] 関連項目
文治の勅許
守護領
守護大名
守護領国制
検断沙汰
被官
京都守護職
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%AD%B7" より作成
カテゴリ: 鎌倉幕府 | 室町幕府 | 守護大名


最終更新 2008年8月25日 (月) 08:20。











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【8月30日】

2008-08-30 20:23:30 | 2 IT用語集
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【8月30日】

①■■■■■(はちがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。

[編集] できごと
1590年(天正18年8月1日)- ②■■家康が江戸城に公式入城、江戸城が徳川氏の居城となる。
1900年 - ③■■秋水が「自由党を祭る文」を「万朝報」で発表。
1945年 - 連合国軍最高司令官④■■■■・■■■■■■元帥が厚木飛行場に到着。
1962年 - 戦後初の国産旅客機である⑤■■-11が初飛行を行った。
1970年 - ⑥■■直己がマッキンリーに登頂。日本人初の五大陸最高峰登頂。
1973年 - ⑦■■豊が対中日戦でノーヒットノーラン達成。
1974年 - ⑧■■■■爆破事件。8人が死亡、376人が負傷。東アジア反日武装戦線による事件。
1999年 - 日本ジャグリング協会(JJA)設立。
2005年 - ⑨■■■自動車の高級車販売ディーラー「レクサス店」が全国143店舗で始動。
2006年 - 夏季五輪招致で、国内立候補都市を決める日本オリンピック委員会(JOC)選定委員会が開かれ、国内候補都市が東京都に決定。詳しくは2016年夏季オリンピックを参照。
2007年 - 第65回世界SF大会が日本で開かれた。アジアで初のワールドコン開催。

[編集] 誕生日
1785年(乾隆50年7月26日)- ⑩■則徐、清の欽差大臣(+ 1850年)
1814年 - ホーレス・メイナード、第31代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1882年)
1827年 - ギーゼラ・フォン・アルニム、作家(+ 1889年)
1871年 - アーネスト・ラザフォード、物理学者(+ 1937年)
1883年 - テオ・ファン・ドースブルフ、画家(+ 1931年)
1902年 - 木村武雄、政治家(+ 1983年)
1909年 - バージニア・リー・バートン、絵本作家(+ 1968年)
1918年 - テッド・ウィリアムズ、メジャーリーグ選手(+ 2002年)
1924年 - ケニー・ドーハム、ジャズトランペッター(+ 1972年)
1925年 - 永山武臣、実業家(+ 2006年)
1931年 - 八奈見乗児、声優
1933年 - 河村久文、元プロ野球選手(+ 2005年)
1944年 - 野川由美子、女優
1945年 - 佐藤勝彦、宇宙物理学者
1948年 - ⑪■■陽水、歌手
1952年 - 梶間健一、元プロ野球選手
1954年 - 功刀俊洋、歴史家
1954年 - アレクサンドル・ルカシェンコ、ベラルーシの大統領
1955年 - 大野豊、元プロ野球選手
1955年 - 室山真弓、姉妹漫画家コンビ室山まゆみの姉
1957年 - 長内孝、元プロ野球選手
1958年 - 西村麻聡、ミュージシャン
1961年 - 所十三、漫画家
1965年 - 神野美伽、歌手
1965年 - 木村恵二、元プロ野球選手
1966年 - 小谷実可子、元シンクロナイズドスイミング選手・スポーツコメンテーター
1966年 - 村口史子、プロゴルファー
1969年 - 山本美希、NHKアナウンサー
1972年 - キャメロン・ディアス、女優
1972年 - パベル・ネドベド、サッカー選手、チェコ代表MF
1973年 - 佐藤アツヒロ、俳優・元光GENJIのメンバー
1973年 - 高山哲哉、NHKアナウンサー
1974年 - 内藤大助、プロボクサー、WBC世界フライ級チャンピオン
1977年 - 原俊介、元プロ野球選手
1977年 - 松本輝、プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
1978年 - 吉沢悠、俳優
1982年 - 岡村仁美、TBSアナウンサー
1982年 - 枝松直紀(センチライン)、ミュージシャン
1982年 - 八代じゅん、タレント
1983年 - 松本潤(嵐)、タレント、歌手、俳優
1984年 - 山本光将、プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
1985年 - リーゼル・ジョーンズ、競泳選手
1986年 - 草野真梨絵、元PLIME
1988年 - JYONGRI、歌手
1988年 - エルネスツ・ガルビス、テニス選手
1989年 - 垣内彩未、アイドル
1989年 - かりん、芸能人女子フットサル選手(FANTASISTA)
1990年 - 林真鳥、ジャニーズJr.
1991年 - 鎌田あかね、芸能人女子フットサル選手(FANTASISTA)
1992年 - 結城巳貴、タレント
生年不詳 - 石塚さより、声優
生年不詳 - 羽海野チカ、漫画家

[編集] 忌日
526年 - テオドリック、東ゴート王国の王 (* 454年)
826年(天長3年7月24日)- 藤原冬嗣、平安時代の公卿(* 775年)
1158年 - サンチョ3世、カスティーリャ王(* 1134年)
1284年(弘安7年7月18日)- 一条実経、鎌倉時代の公卿(* 1223年)
1428年(正長元年7月20日)- 称光天皇、第101代天皇(* 1401年)
1483年 - ルイ11世、フランス王(* 1423年)
1531年(享禄4年7月18日)- 足利政氏、第2代古河公方(* 1462年)
1580年 - エマヌエーレ・フィリベルト、サヴォイア公(* 1528年)
1619年(元和5年7月21日)- 島津義弘、薩摩国の戦国大名(* 1535年)
1723年 - アントニ・ファン・レーウェンフック、生物学者(* 1632年)
1807年 - ロバート・マクレランド、第4代アメリカ合衆国内務長官(* 1807年)
1835年 - ウィリアム・テイラー・バリー、第10代アメリカ合衆国郵政長官(* 1784年)
1918年 - ジェイムズ・ドナルド・キャメロン、第32代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1833年)
1928年 - フランツ・フォン・シュトゥック、画家・彫刻家・建築家(* 1863年)
1928年 - ヴィルヘルム・ヴィーン、物理学者(* 1864年)
1940年 - ジョゼフ・ジョン・トムソン、物理学者(* 1856年)
1946年 - グリゴリー・セミョーノフ、白軍の指導者(* 1890年)
1970年 - 月形龍之介、俳優(* 1902年)
1984年 - ⑫■■佐和子、小説家(* 1931年)
1991年 - ジャン・ティンゲリー、現代美術家・彫刻家・画家(* 1925年)
1992年 - 五社英雄、映画監督(* 1929年)
1993年 - リチャード・ジョーダン、俳優(* 1938年)
1994年 - リンゼイ・アンダーソン、映画監督(* 1923年)
1995年 - ⑬■■瞳、小説家(* 1926年)
1995年 - フィッシャー・ブラック、経済学者(* 1938年)
1996年 - 大野昭和斎、木工芸家(* 1912年)
2003年 - ドナルド・デイヴィッドソン、哲学者(* 1917年)
2003年 - チャールズ・ブロンソン、俳優(* 1921年)
2004年 - フレッド・ホイップル、天文学者(* 1906年)
2006年 - ナギーブ・マフフーズ、小説家(* 1911年)
2006年 - グレン・フォード、俳優(* 1916年)
2006年 - ジョセフ・オツオリ、陸上選手(* 1969年)
2007年 - マイケル・ジャクソン、ビール・ウィスキー評論家(* 1942年)

[編集] 記念日・年中行事
⑭■■■測候所記念日(日本)
1895年(明治28年)8月30日に大日本気象学会員の⑮■■至が私財を投じて富士山頂の測候所の工事の完成を中央気象台に連絡してきたことに由来。
これが、現在の気象庁富士山測候所の前身となった。
ハッピーサンシャインデー
語呂合わせ(ハッピーの「8」とサンシャインの「30」)であることと太陽のような明るい笑顔の日から

[編集] フィクションのできごと
1964年 - スネークイーター作戦開始。 (『メタルギアソリッド3』)
2000年 - ダンとソガを乗せた宇宙船スコーピオン号が第四惑星に到着。(『ウルトラセブン』)
2015年 - エストバキア連邦軍がエメリア共和国への侵攻を開始する。(『エースコンバット6』)
2122年 - ⑯■■■もん、ネズミに耳をかじられる(『ドラえもん』)


カテゴリ: 日付


最終更新 2008年8月26日 (火) 19:00。










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【8月30日】
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
8月30日(はちがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から242日目(閏年では243日目)にあたり、年末まであと123日ある。




2008年 8月(葉月)
日 月 火 水 木 金 土
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
365日
各月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
目次 [非表示]
1 できごと
2 誕生日
3 忌日
4 記念日・年中行事
5 フィクションのできごと
5.1 誕生日
5.2 忌日
6 関連項目



[編集] できごと
1590年(天正18年8月1日)- 徳川家康が江戸城に公式入城、江戸城が徳川氏の居城となる。
1900年 - 幸徳秋水が「自由党を祭る文」を「万朝報」で発表。
1945年 - 連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着。
1962年 - 戦後初の国産旅客機であるYS-11が初飛行を行った。
1970年 - 植村直己がマッキンリーに登頂。日本人初の五大陸最高峰登頂。
1973年 - 江夏豊が対中日戦でノーヒットノーラン達成。
1974年 - 三菱重工爆破事件。8人が死亡、376人が負傷。東アジア反日武装戦線による事件。
1999年 - 日本ジャグリング協会(JJA)設立。
2005年 - トヨタ自動車の高級車販売ディーラー「レクサス店」が全国143店舗で始動。
2006年 - 夏季五輪招致で、国内立候補都市を決める日本オリンピック委員会(JOC)選定委員会が開かれ、国内候補都市が東京都に決定。詳しくは2016年夏季オリンピックを参照。
2007年 - 第65回世界SF大会が日本で開かれた。アジアで初のワールドコン開催。

[編集] 誕生日
1785年(乾隆50年7月26日)- 林則徐、清の欽差大臣(+ 1850年)
1814年 - ホーレス・メイナード、第31代アメリカ合衆国郵政長官(+ 1882年)
1827年 - ギーゼラ・フォン・アルニム、作家(+ 1889年)
1871年 - アーネスト・ラザフォード、物理学者(+ 1937年)
1883年 - テオ・ファン・ドースブルフ、画家(+ 1931年)
1902年 - 木村武雄、政治家(+ 1983年)
1909年 - バージニア・リー・バートン、絵本作家(+ 1968年)
1918年 - テッド・ウィリアムズ、メジャーリーグ選手(+ 2002年)
1924年 - ケニー・ドーハム、ジャズトランペッター(+ 1972年)
1925年 - 永山武臣、実業家(+ 2006年)
1931年 - 八奈見乗児、声優
1933年 - 河村久文、元プロ野球選手(+ 2005年)
1944年 - 野川由美子、女優
1945年 - 佐藤勝彦、宇宙物理学者
1948年 - 井上陽水、歌手
1952年 - 梶間健一、元プロ野球選手
1954年 - 功刀俊洋、歴史家
1954年 - アレクサンドル・ルカシェンコ、ベラルーシの大統領
1955年 - 大野豊、元プロ野球選手
1955年 - 室山真弓、姉妹漫画家コンビ室山まゆみの姉
1957年 - 長内孝、元プロ野球選手
1958年 - 西村麻聡、ミュージシャン
1961年 - 所十三、漫画家
1965年 - 神野美伽、歌手
1965年 - 木村恵二、元プロ野球選手
1966年 - 小谷実可子、元シンクロナイズドスイミング選手・スポーツコメンテーター
1966年 - 村口史子、プロゴルファー
1969年 - 山本美希、NHKアナウンサー
1972年 - キャメロン・ディアス、女優
1972年 - パベル・ネドベド、サッカー選手、チェコ代表MF
1973年 - 佐藤アツヒロ、俳優・元光GENJIのメンバー
1973年 - 高山哲哉、NHKアナウンサー
1974年 - 内藤大助、プロボクサー、WBC世界フライ級チャンピオン
1977年 - 原俊介、元プロ野球選手
1977年 - 松本輝、プロ野球選手(東北楽天ゴールデンイーグルス)
1978年 - 吉沢悠、俳優
1982年 - 岡村仁美、TBSアナウンサー
1982年 - 枝松直紀(センチライン)、ミュージシャン
1982年 - 八代じゅん、タレント
1983年 - 松本潤(嵐)、タレント、歌手、俳優
1984年 - 山本光将、プロ野球選手(読売ジャイアンツ)
1985年 - リーゼル・ジョーンズ、競泳選手
1986年 - 草野真梨絵、元PLIME
1988年 - JYONGRI、歌手
1988年 - エルネスツ・ガルビス、テニス選手
1989年 - 垣内彩未、アイドル
1989年 - かりん、芸能人女子フットサル選手(FANTASISTA)
1990年 - 林真鳥、ジャニーズJr.
1991年 - 鎌田あかね、芸能人女子フットサル選手(FANTASISTA)
1992年 - 結城巳貴、タレント
生年不詳 - 石塚さより、声優
生年不詳 - 羽海野チカ、漫画家

[編集] 忌日
526年 - テオドリック、東ゴート王国の王 (* 454年)
826年(天長3年7月24日)- 藤原冬嗣、平安時代の公卿(* 775年)
1158年 - サンチョ3世、カスティーリャ王(* 1134年)
1284年(弘安7年7月18日)- 一条実経、鎌倉時代の公卿(* 1223年)
1428年(正長元年7月20日)- 称光天皇、第101代天皇(* 1401年)
1483年 - ルイ11世、フランス王(* 1423年)
1531年(享禄4年7月18日)- 足利政氏、第2代古河公方(* 1462年)
1580年 - エマヌエーレ・フィリベルト、サヴォイア公(* 1528年)
1619年(元和5年7月21日)- 島津義弘、薩摩国の戦国大名(* 1535年)
1723年 - アントニ・ファン・レーウェンフック、生物学者(* 1632年)
1807年 - ロバート・マクレランド、第4代アメリカ合衆国内務長官(* 1807年)
1835年 - ウィリアム・テイラー・バリー、第10代アメリカ合衆国郵政長官(* 1784年)
1918年 - ジェイムズ・ドナルド・キャメロン、第32代アメリカ合衆国陸軍長官(* 1833年)
1928年 - フランツ・フォン・シュトゥック、画家・彫刻家・建築家(* 1863年)
1928年 - ヴィルヘルム・ヴィーン、物理学者(* 1864年)
1940年 - ジョゼフ・ジョン・トムソン、物理学者(* 1856年)
1946年 - グリゴリー・セミョーノフ、白軍の指導者(* 1890年)
1970年 - 月形龍之介、俳優(* 1902年)
1984年 - 有吉佐和子、小説家(* 1931年)
1991年 - ジャン・ティンゲリー、現代美術家・彫刻家・画家(* 1925年)
1992年 - 五社英雄、映画監督(* 1929年)
1993年 - リチャード・ジョーダン、俳優(* 1938年)
1994年 - リンゼイ・アンダーソン、映画監督(* 1923年)
1995年 - 山口瞳、小説家(* 1926年)
1995年 - フィッシャー・ブラック、経済学者(* 1938年)
1996年 - 大野昭和斎、木工芸家(* 1912年)
2003年 - ドナルド・デイヴィッドソン、哲学者(* 1917年)
2003年 - チャールズ・ブロンソン、俳優(* 1921年)
2004年 - フレッド・ホイップル、天文学者(* 1906年)
2006年 - ナギーブ・マフフーズ、小説家(* 1911年)
2006年 - グレン・フォード、俳優(* 1916年)
2006年 - ジョセフ・オツオリ、陸上選手(* 1969年)
2007年 - マイケル・ジャクソン、ビール・ウィスキー評論家(* 1942年)

[編集] 記念日・年中行事
富士山測候所記念日(日本)
1895年(明治28年)8月30日に大日本気象学会員の野中至が私財を投じて富士山頂の測候所の工事の完成を中央気象台に連絡してきたことに由来。
これが、現在の気象庁富士山測候所の前身となった。
ハッピーサンシャインデー
語呂合わせ(ハッピーの「8」とサンシャインの「30」)であることと太陽のような明るい笑顔の日から

[編集] フィクションのできごと
1964年 - スネークイーター作戦開始。 (『メタルギアソリッド3』)
2000年 - ダンとソガを乗せた宇宙船スコーピオン号が第四惑星に到着。(『ウルトラセブン』)
2015年 - エストバキア連邦軍がエメリア共和国への侵攻を開始する。(『エースコンバット6』)
2122年 - ドラえもん、ネズミに耳をかじられる(『ドラえもん』)

[編集] 誕生日
1988年 - 春風千桜、漫画『ハヤテのごとく!』に登場するキャラクター
1991年 - 橘ワタル(亘)、漫画『ハヤテのごとく!』に登場するキャラクター
2018年 - 天宮学美、漫画・アニメ『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』の主人公
生年不明(14歳) - ラ・ビ・アン・ローズ(うさだヒカル)、漫画・アニメ『デ・ジ・キャラット』に登場するキャラクター
生年不明 - 北沢海、アニメ『出撃!マシンロボレスキュー』に登場するキャラクター
生年不明 - 野山あずさ、漫画・アニメ『あずきちゃん』の主人公
生年不明 - 久遠寺未有、ゲーム『君が主で執事が俺で』に登場するキャラクター
生年不明 - 天敗星トロルのイワン、漫画・アニメ『聖闘士星矢』に登場するキャラクター
生年不明 - 浜野タタミ、漫画『あさりちゃん』の主人公の姉
生年不明 - 高岡浩美、漫画『ロケットでつきぬけろ!』に登場するキャラクター
生年不明 - 綾小路華恋、ゲーム『あかね色に染まる坂 ぱられる』に登場するキャラクター

[編集] 忌日
1974年 - 柴田純(ジーパン)、テレビドラマ『太陽にほえろ!』に登場するキャラクター

[編集] 関連項目
365日:1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
前日:8月29日 翌日:8月31日 - 前月:7月30日 翌月:9月30日
旧暦:8月30日
記念日・年中行事
"http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8830%E6%97%A5" より作成
カテゴリ: 日付


最終更新 2008年8月26日 (火) 19:00。









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