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聖園学園 入試関連   1万字紹介(出典:聖園学園のホームページより)

2008-08-25 14:35:10 | Weblog
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情報の達人

高大連携情報誌

【聖園学園 入試関連   1万字紹介(出典:聖園学園のホームページより)】

〈2008年度 中学入試 募集要項〉
〈2008年度 入試関連行事〉
〈2008年度 中学入試 データ〉
〈2008年度 授業料、その他諸費用〉


--------------------------------------------------------------------------
 2008年度 中学入試 募集要項 (実施済)
1次A 1次B 1次C 2次
試験日 2/1(金) 2/2(土) 2/3(日) 2/6(水)
募集定員 40名 30名 30名 20名
試験科目 2科4科選択 2科4科選択 2科4科選択 2科

2科:国語・算数
4科:国語・算数・社会・理科

■詳細は以下の通りです■

【表の月日はすべて2008年です】
1次A
1次B

1.募集定員
40名
30名

2.入試日・

試験科目
2月1日(金) 2科4科選択

※2科(国語・算数)

4科(国語・算数・社会・理科)
2月2日(土) 2科4科選択

※2科(国語・算数)

4科(国語・算数・社会・理科)

3.出願資格
2008年3月小学校卒業見込みの女子


4.出願期間
■1月8日(火)~1月22日(火) 午前9時~午後3時

※13日(日)・14日(月)・20日(日)を除く

■1月31日(木) 午前9時~正午

5.出願手続
■本学院管理棟事務受付にて(ただし1月8日午前は本学院講堂)

■入学志願書・受験票・写真票・領収書(以上、本学院指定)・受験料

  ※一度提出された書類はお返しできません。

6.受験料
20,000円(2回目・3回目・4回目は各10,000円)

※一度納付された受験料はお返しできません。

7.面接日時
■1月19日(土) または 筆記試験終了後(15分間)

■面接時刻は出願時にお知らせします。


8.筆記試験

  集合日時
2月1日(金) 午前8時20分
2月2日(土) 午前8時20分

■集合時間までに受付を済ませてください


9.試験時間
1時間目 国語 100点 50分間

2時間日 算数 100点 50分間

3時間目 理科  50点 30分間

4時間目 社会  50点 30分間
1時間目 国語 100点 50分間

2時間日 算数 100点 50分間

3時間目 理科  50点 30分間

4時間目 社会  50点 30分間


10.合格発表
2月1日(金)午後5時30分~午後7時
2月2日(土)午後5時30分~午後7時

■本学院、およびホームページにて受験番号で発表いたします。

※電話などによる問い合わせには応じられません。

※事情により発表時刻が多少前後することがあります。


11.合格書類

交付
2月1日(金)午後5時30分~午後7時
2月2日(土)午後5時30分~午後7時

■本学院図書館にて。受験票または領収書をご提示ください。

■時間内に交付書類をお受け取りにならなかった方は、合格辞退となります。


12.納付金
入学金200,000円

■施設費200,000円は4月に納付となります。

■一度納付された入学金はお返しできません。


13.入学手続
■2月1日(金)午後5時30分~午後7時

本学院図書館にて

■2月2日(土)午前10時~午後3時
2月3日(日)午前10時~午後3時
2月4日(月)午前10時~午後3時
2月5日(火)午前10時~正午

本学院管理棟事務受付にて
■2月2日(土)午後5時30分~午後7時

本学院図書館にて

■2月3日(日)午前10時~午後3時
2月4日(月)午前10時~午後3時
2月5日(火)午前10時~正午

本学院管理棟事務受付にて

■諸書類(交付)・入学金(200,000円)・印鑑をご持参ください。
■入学手続完了者には、入学承認書を交付します。

14.その他
■1次A・1次B・1次C・2次の中で、複数回出願される方も、面接は一度だけとします。
■手続締切り日時に手続が完了していない場合は、合格辞退となります。
■新入生オリエンテーション当日に入学許可証が交付されます。

月日はすべて2008年です】

1次C
2次

1.募集定員
30名
20名

2.入試日・

試験科目
2月3日(日) 2科4科選択

※2科(国語・算数)

4科(国語・算数・社会・理科)
2月6日(水) 2科(国語・算数)

3.出願資格
2008年3月小学校卒業見込みの女子

4.出願期間
■1月8日(火)~1月22日(火)

午前9時~午後3時

※13日(日)・14日(月)・20日(日)を除く

■1月31日(木) 午前9時~正午
■1月8日(火)~1月22日(火)

午前9時~午後3時

※13日(日)・14日(月)・20日(日)を除く

■1月31日(木) 午前9時~正午

■2月 3日(日) 午後5時30分~午後7時

■2月 4日(月) 午前10時~午後3時

■2月 5日(火) 午前10時~正午

5.出願手続
■本学院管理棟事務受付にて(ただし1月8日午前は本学院講堂)

■入学志願書・受験票・写真票・領収書(以上、本学院指定)・受験料

  ※一度提出された書類はお返しできません。

6.受験料
20,000円(2回目・3回目・4回目は各10,000円)

※一度納付された受験料はお返しできません。

7.面接日時
■1月19日(土) または 筆記試験終了後(15分間)

■面接時刻は出願時にお知らせします。

8.筆記試験

  集合日時
2月3日(日) 午前8時20分
2月6日(水) 午前8時20分

■集合時間までに受付を済ませてください

9.試験時間
1時間目 国語 100点 50分間
2時間日 算数 100点 50分間
3時間目 理科  50点 30分間
4時間目 社会  50点 30分間

1時間目 国語 100点 50分間
2時間日 算数 100点 50分間

10.合格発表
2月3日(日)午後5時30分~午後7時
2月6日(水)午後5時30分~午後7時

■本学院、およびホームページにて受験番号で発表いたします。

※電話などによる問い合わせには応じられません。
※事情により発表時刻が多少前後することがあります。

11.合格書類

交付
2月3日(日)午後5時30分~午後7時
2月6日(水)午後5時30分~午後7時

■本学院図書館にて。受験票または領収書をご提示ください。

■時間内に交付書類をお受け取りにならなかった方は、合格辞退となります。

12.納付金
入学金200,000円

■施設費200,000円は4月に納付となります。

■一度納付された入学金はお返しできません。

13.入学手続
■2月3日(日)午前10時~午後3時

本学院図書館にて

■2月4日(月)午前10時~午後3時
2月5日(火)午前10時~正午

本学院管理棟事務受付にて
■2月6日(水)午後5時30分~午後7時

本学院図書館にて

■諸書類(交付)・入学金(200,000円)・印鑑をご持参ください。

■入学手続完了者には、入学承認書を交付します。

14.その他
■1次A・1次B・1次C・2次の中で、複数回出願される方も、面接は一度だけとします。

■手続締切り日時に手続が完了していない場合は、合格辞退となります。
■新入生オリエンテーション当日に入学許可証が交付されます。

--------------------------------------------------------------------
2008年度 入試関連行事
校内で実施する入試関連行事
9月20日(土)、21日(日)
【22日は予備日】 聖園祭  入試相談コーナーあり
6月14日(土)
10:00~12:00 オープンスクール
(学校説明会) ・小学生対象・・・体験入学
         (部活・教科・その他ミニ体験)
・保護者対象・・・学校説明会
11月15日(土)
10:00~12:00 ・6年生対象・・・過去問勉強会
         (作問・採点者によるポイント説明)
・小学生対象・・・体験入学
         (部活・教科・その他ミニ体験)
・保護者対象・・・学校説明会
         (卒業生によるパネルディスカッション)
10月25日(土)
10:00~12:00 学校説明会 教育理念、受験科目の勉強の仕方、
在校生保護者によるパネルディスカッション
12月14日(日)
10:00~12:00 教育理念、受験科目の勉強の仕方、面接シミュレーション、
出願から受験・手続きまでの説明など
7月19日(土) ミニ説明会 ※要予約
7月20日(日)
7月21日(月)
10月・11月・1月
各月1回実施予定 授業見学会 ※要予約
12月20日(土) クリスマスタブロ ※要予約
※印・・・詳細は決定しましたらホームページ上でお知らせします。


学校外で行う説明会
4月29日(火・祝) 県私立中学相談会 みなとみらい・パシフィコ横浜
5月13日(火) 横須賀・三浦地区私立中学フェスタ 汐入・ホテルトリニティ横須賀
6月12日(木) 私触会 横浜そごう9F
7月13日(日) 県私学展 みなとみらい・パシフィコ横浜
8月23日(土) ミッション8校合同相談会 未定
8月31日(日) 私立中高一貫校の集いinひらつか ラスカホール(平塚駅ビル内)

-----------------------------------------------

2008年度 中学入試 データ

応募状況の変化
1次
2次
3次


出願
定員
倍率
出願
定員
倍率
出願
定員
倍率

004年
200
70
2.9
194
30
6.5
189
20
9.5


2005年
152
60
2.5
183
40
4.6
165
20
8.3


2006年
126
50
2.5
163
40
4.1
164
30
5.5
1次A
1次B
1次C
2次

出願
定員
倍率
出願
定員
倍率
出願
定員
倍率
出願
定員
倍率

2007年
184
45
4.1
244
30
8.1
311
25
12.4
191
20
9.5

2008年
156
40
3.9
222
30
7.4
311
30
10.4
212
20
10.6

入試結果

1次A
1次B
1次C
2次
合計




定 員
40
30
30
20
120


出 願
156
222
311
212
901


応募倍率
3.9
7.4
10.4
10.6


欠 席
19
54
147
92
312

受 験
137
168
164
120
589

合 格
46
37
38
36
157


実質倍率
3.0
4.5
4.3
3.3
 

■1次A(2月1日)

合 計
国 語
100点満点
算 数
100点満点
社 会
50点満点
理 科
50点満点


2科受験
200点満点
4科受験
300点満点



受験者
最高点
175
242
91
94
37
41


受験者
最低点
23
92
21
0
7
14



受験者
平均点
111.3
173.5
63.4
52.6
22.7
27.1



合格者
最低点
129
190

■1次B(2月2日)

合 計
国 語
100点満点
算 数
100点満点
社 会
50点満点
理 科
50点満点


2科受験
200点満点
4科受験
300点満点



受験者
最高点
164
226
84
94
45
36


受験者
最低点
29
82
15
11
15
5


受験者
平均点
108.3
176.6
56.4
57.9
33.0
22.6


合格者
最低点
138
201


■1次C(2月3日)

合 計
国 語
100点満点
算 数
100点満点
社 会
50点満点
理 科
50点満点


2科受験
200点満点
4科受験
300点満点


受験者
最高点
169
256
88
95
47
38


受験者
最低点
36
60
21
5
13
4



受験者
平均点
106.3
170.8
59.8
52.4
30.9
22.0



合格者
最低点
130
186


■2次 (2月6日)


合 計
200点満点
国 語
100点満点
算 数
100点満点


受験者
最高点
130
77
70


受験者
最低点
22
12
10


受験者
平均点
93.1
50.7
42.5


合格者
最低点
106

料その他、諸費用

○施設費(2008年4月)       200,000円
○授業料・維持費(月額)      38,000円
○冷暖房費(年額)           5,000円
○聖園後援会入会金         3,000円
○聖園後援会費            1,500円
○生徒会費(年額)           3,000円
   合計               685,000円

●預り金(月額)            6,000円

 現地研修・遠足・校外授業・問題集など、
 その都度集金せずに預り金から支払います。
 卒業時に余りがありましたら、返金いたします。
       

Q&A


Q&A (入試編)



Q 2科・4科どちらの受験が有利ですか。
A 有利・不利はありません。より力の発揮できる選択をしてください。


Q 面接はどのようなやり方ですか。
A 複数の面接官と受験生3人のグループ面接で、約15分です。


Q 面接ではおもにどのようなことを聞かれるのですか。
A 志望理由、学校・家庭での様子、将来の希望、趣味等です。


Q 通知票(あゆみ)のコピーは必要ですか。
A 必要ありません。


Q 繰上合格はどのように決まりますか。
A 1次A・1次B・1次C・2次それぞれの不合格者から繰上合格を出します。1次A・1次B・1次C・2次を複数回受験すると点数を何点か上積みするということはありませんが、繰上時に考慮されます。


Q 帰国子女入試の制度はありますか。
A 多少考慮されますが、一般受験者と同じ扱いです。


Q 片親の場合、入学に不利になりますか。
A まったく関係ありません。本人の実力次第です。

Q&A (授業編)

Q クラス編成はどのようになっていますか。
A 中学1年生は4クラスで各30人程度です。中学2年生以上は3クラスで各40人程度です。


Q クラス分けは成績順ですか。
A いいえ、違います。教科によって学力別に授業を行うこともあります。


Q テストは何回ありますか、結果は張り出されるのですか。
A 定期テスト5回、実力テスト1回、その他教科によって小テストがあります。教科の内容によっては、結果を公表しています。


Q 補習授業はありますか。
A 各教科必要に応じて朝や放課後、土曜日や夏休みに行っています。


Q 英語は何も勉強していませんが、中学に入ってからだいじょうぶでしょうか。
A 最初から始めますので、まったく心配ありません。


Q 英語のクラス分けはどのようになっていますか。
A 各学年によって異なりますが、中学生は20人程度の分級で授業を行っています。


Q 外国人の先生はいますか。
A ネイティブの専任が1名、講師が1名います。


Q 成績は何段階評価ですか。
A 中学の通知表の評価は10点法で行います。高校は5段階評価です。


Q どのような大学から指定校推薦の募集がありますか。
A 数多くの大学から指定を受けております。詳細はこちらをご覧ください。


Q&A (学校生活編)



Q 通学時間はどのくらいですか。また、朝早い生徒は何時に家を出ますか。
A 遠い生徒で2時間、平均的には1時間ぐらいです。朝早い生徒で、6時に家を出ます。


Q 下校時刻は何時ですか。
A 放課後に活動がない生徒は、4時20分までに下校します。活動がある生徒は、冬は5時、夏は5時30分が最終下校時刻です。


Q 冷房・暖房はついているのですか。
A 全校舎冷暖房完備で年間を通して快適に授業が受けられます。


Q 給食ですか、お弁当ですか。
A お弁当です。食堂はありませんが、購買部でパン・おにぎりを販売します。その他、パンや飲み物の自動販売機もあります。



Q 土曜日はお休みですか。
A はい。ただし、学校行事・補習・補講や部活動などに充てることもあります。


Q 校内の安全対策はどのようになっていますか。
A 防犯カメラを7台設置し、1カ所で集中警備しています。また常駐警備員を3名置き、校内を常に巡視しています。各教室は職員室と内線電話でつながっており、緊急時の連絡が迅速にできます。ケガや病気に対しては、保健室・休養室で臨機応変に対応するのはもちろんのこと、AED(自動体外式除細動器)=[突然に起こった不整脈や心停止に対し、正常化を図る機器]を4台設置しています。


Q 文化・体育施設(マリアホール)はどのような施設ですか。
A バスケットボールコート2面が取れる体育フロアと小体育室、パソコンルーム、ラウンジ、更衣室、シャワーを備えています。


Q 奨学金制度はありますか。
A あります。中学2年生以上を対象に学内奨学金制度があります。その他、高校生は、公的な奨学金制度があります。


Q 教員の構成はどうなっていますか。
A 専任は男子13名、女子30名(内シスター6名)、講師は男子3名、女子13名(内シスター1名)です。


Q&A (カトリック編)


Q カトリックとは、どういう意味ですか。
A 「いつでも、どこでも、みんなの」という意味です。


Q キリスト教の信徒ではないのですが、入試に不利ですか。
A 信徒であるなしは合否にまったく関係ありません。


Q 入学したら、キリスト教の信徒にならなければいけないのですか。
A 信徒になるならないは、自由です。


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大学でのパソコンの使い方について - 教えて!goo今年、新入生である大学の経営学部に入学することが内定しているものです。パソコンを買おうと思うのですが、大学へパソコンを持っていくと良い点とかありますか??たとえば、 講義にノートパソコンを持ち込んでパソコンでノートを取ることができる ...
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森鴎外 [余興]

2008-08-25 00:43:57 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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余興
森鴎外



 同郷人の懇親会があると云うので、久し振りに柳橋の亀清(かめせい)に往った。
 暑い日の夕方である。門から玄関までの間に敷き詰めた御影石(みかげいし)の上には、一面の打水がしてあって、門の内外には人力車がもうきっしり置き列(なら)べてある。車夫は白い肌衣(はだぎ)一枚のもあれば、上半身全く裸(らてい)にしているのもある。手拭(てぬぐい)で体を拭(ふ)いて絞っているのを見れば、汗はざっと音を立てて地上に灑(そそ)ぐ。自動車は門外の向側に停めてあって技手は襟(えり)をくつろげて扇をばたばた使っている。
 玄関で二三人の客と落ち合った。白のジャケツやら湯帷子(ゆかた)の上に絽(ろ)の羽織やら、いずれも略服で、それが皆識(し)らぬ顔である。下足札を受け取って上がって、麦藁帽子(むぎわらぼうし)を預けて、紙札を貰(もら)った。女中に「お二階へ」と云われて、梯(はしご)を登り掛かると、上から降りて来る女が「お暑うございますことね」と声を掛けた。見れば、柳橋で私の唯一人識っている年増芸者であった。
 この女には鼠頭魚(きす)と云う諢名(あだな)がある。昔は随分美しかった人らしいが、今は痩(や)せて、顔が少し尖(とが)ったように見える。諢名はそれに因(よ)って附けられたものである。もう余程前から、この土地で屈指の姉えさん株になっている。
 私には芸者に識合(しりあい)があろう筈がない。それにどうして鼠頭魚を知っているかと云うと、それには因縁がある。私の大学にいた頃から心安くした男で、今は某会社の頭取になっているのが、この女の檀那(だんな)で、この女の妹までこの男の世話になって、高等女学校にはいっている。そこで年来その男と親くしている私を、鼠頭魚は親類のように思っているのである。
 私は二階に上がって、隅の方にあった、主のない座布団(ざぶとん)を占領した。戸は悉(ことごと)く明け放ってある。国技館の電燈がまばゆいように半空(なかぞら)に赫(かがや)いている。
 座敷を見渡すに、同郷人とは云いながら、見識った顔は少い。貴族的な風采(ふうさい)の旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝(さいぐさ)と云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。
 すると三枝が立って私の傍に来て、欄干(らんかん)に倚(よ)って墨田川を見卸(みおろ)しつつ、私に話し掛けた。
「随分暑いねえ。この川の二階を、こんなに明け放していて、この位なのだからね」
「そうさ。好く日和(ひより)が続くことだと思うよ。僕なんぞは内にいるよりか、ここにこうしている方が、どんなに楽だか知れないが、それでも僕は人中が嫌(いや)だから、久しくこうしていたくはないね。どうだろう。今夜は遅くなるだろうか」
「なに。そんなに遅くもなるまいよ。余興も一席だから」
「余興は何を遣(や)るのだ」
「見給え。あそこに貼(は)り出してある。畑閣下(かっか)が幹事だからね」
 こう云って置いて、三枝は元の席に返ってしまった。
 私は始て気が附いて、承塵(なげし)に貼り出してある余興の目録を見た。不折(ふせつ)まがいの奇抜な字で、余興と題した次に、赤穂義士討入と書いて、その下に辟邪軒秋水(へきじゃけんしゅうすい)と注してある。
 秋水の名は私も聞いていた。電車の中の広告にも、武士道の鼓吹者(こすいしゃ)、浪界の泰斗(たいと)と云う肩書附で、絶えずこの名が出ているから、いやでも読まざることを得ぬのである。或る時何やらの雑誌で秋水の肖像を見た。芝居で見る由井正雪のように、長い髪を肩まで垂れて、黒紋附の著物(きもの)を著ていた。同じ雑誌の記事に依れば、この武士道鼓吹者には女客の贔屓(ひいき)が多いそうである。
 しかし男に贔屓がないことはない。勿論不幸にして学生なんぞにはそんな人のあることを聞かない。学生は堕落していて、ワグネルがどうのこうのと云って、女色に迷うお手本のトリスタンなんぞを聞いて喜ぶのである。男の贔屓は下町にある。代を譲った倅(せがれ)が店を三越まがいにするのに不平である老舗(しにせ)の隠居もあれば、横町の師匠の所へ友達が清元の稽古(けいこ)に往くのを憤慨している若い衆もある。それ等の人々は脂粉の気が立ち籠(こ)めている桟敷(さじき)の間にはさまって、秋水の出演を待つのだそうである。その中へ毎晩のように、容貌魁偉(ようぼうかいい)な大男が、湯帷子に兵児帯(へこおび)で、ぬっとはいって来るのを見る。これが陸軍少将畑閣下である。
 畑は快男子である。戦略戦術の書を除く外、一切の書を読まない。浄瑠璃(じょうるり)を聞いても、何をうなっているやらわからない。それが不思議な縁で、ふいと浪花節(なにわぶし)と云うものを聴いた。忠臣孝子義士節婦の笑う可(べ)く泣く可く驚く可く歎ず可き物語が、朗々たる音吐(おんと)を以て演出せられて、処女のように純潔無垢な将軍の空想を刺戟(しげき)して、将軍に睡壺(だこ)を撃砕する底(てい)の感激を起さしめたのである。畑はこの時から浪花節の愛好者となり浪花節語りの保護者となった。
 そこでこの懇親会の輪番幹事の一人たる畑が、秋水を請待(しょうだい)して、同郷の青年を警醒(けいせい)しようとしたのだと云うことは、問うことを須(もち)いない。
 暫(しばら)くして畑の後輩で、やはり幹事に当っている男が、我々を余興の席へ案内した。宴会のプログラムの最初に置かれたものを余興と称しても、今は誰も怪まぬようになっているのである。
 余興の席は廊下伝いに往く別室であった。正面には秋水が著座している。雑誌の肖像で見た通りの形装(ぎょうそう)である。顔は極(きわめ)て白く、脣(くちびる)は極て赤い。どうも薄化粧をしているらしい。それと並んで絞(しぼり)の湯帷子を著た、五十歳位に見える婆あさんが三味線を抱(かか)えて控えている。
 浪花節が始まった。一同謹んで拝聴する。私も隅の方に小さくなって拝聴する。信仰のない私には、どうも聞き慣れぬ漢語や、新しい詩人の用いるような新しい手爾遠波(てにをは)が耳障(みみざわり)になってならない。それに私を苦めることが、秋水のかたり物に劣らぬのは、婆あさんの三味線である。この伴奏は、幸にして無頓著な聴官を有している私の耳をさえ、緩急を誤ったリズムと猛烈な雑音とで責めさいなむのである。
 私は幾度(いくたび)か席を逃れようとした。しかし先輩に対する敬意を忘れてはならぬと思うので、私は死を決して堅坐していた。今でも私はその時の殊勝な態度を顧みて、満足に思っている。
 義士等が吉良(きら)の首を取るまでには、長い長い時間が掛かった。この時間は私がまだ大学にいた時最も恐怖すべき高等数学の講義を聴いた時間よりも長かった。それを耐忍したのだから、私は自ら満足しても好いかと思う。
 ようよう物語と同じように節を附けた告別の詞(ことば)が、秋水の口から出た。前列の中央に胡坐(あぐら)をかいていた畑を始として、一同拍手した。私はこの時鎖(くさり)を断たれた囚人の歓喜を以て、共に拍手した。
 畑等が先に立って、前に控所であった室の隣の広間をさして、廊下を返って往く。そこが宴会の席になっているのである。
 私は遅れて附いて行く時、廊下で又鼠頭魚(きす)に出逢った。
「大変ね」と女は云った。
「何が」と真面目(まじめ)な顔をして私は問いかえした。
「でも」と云ったきり、噴き出しそうになったのを我慢するらしい顔をして、女は摩(す)れ違った。
 私は筵会(えんかい)の末座に就いた。若い芸者が徳利の尻を摘(つ)まんで、私の膳の向うに来た。そして猪口(ちょく)を出した私の顔を見て云った。
「面白かったでしょう」
 大人か小児(こども)に物を言うような口吻(こうふん)である。美しい目は軽侮、憐憫(れんみん)、嘲罵(ちょうば)、翻弄(ほんろう)と云うような、あらゆる感情を湛(たた)えて、異様に赫(かがや)いている。
 私は覚えず猪口を持った手を引っ込めた。私の自尊心が余り甚(はなは)だしく傷(きずつ)けられたので、私の手は殆(ほとん)ど反射的にこの女の持った徳利を避けたのである。
「あら。どうなすったの」
 女の目に映じているのは、前に異なった感情である。それを分析したら、怪訝(かいが)が五分に厭嫌(えんけん)が五分であろう。秋水のかたり物に拍手した私は女の理解する人間であったのに、猪口の手を引いた私は、忽(たちま)ち女の理解すること能(あた)わざる人間となったのである。
 私ははっと思って、一旦(いったん)引いた手を又出した。そして注(つ)がれた杯の酒を見つつ、私は自ら省みた。
「まあ、己(おれ)はなんと云う未錬(みれん)な、いく地のない人間だろう。今己と相対しているのは何者だ。あの白粉(おしろい)の仮面の背後に潜む小さい霊が、己を浪花節の愛好者だと思ったのがどうしたと云うのだ。そう思うなら、そう思わせて置くが好いではないか。試みに反対の場合を思って見ろ。この霊が己を三味線の調子のわかる人間だと思ってくれたら、それが己の喜ぶべき事だろうか。己の光栄だろうか。己はその光栄を担(にな)ってどうする。それがなんになる。己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然(てんぜん)としていなくてはならない。それが出来ぬとしたら、己はどうなるだろう。独りで煩悶(はんもん)するか。そして発狂するか。額を石壁に打(ぶ)ち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のように辻(つじ)に立って叫ぶか。馬鹿な。己は幼穉(ようち)だ。己にはなんの修養もない。己はあの床の間の前にすわって、愉快に酒を飲んでいる。真率な、無邪気な、そして公々然とその愛するところのものを愛し、知行一致の境界に住している人には、(はるか)に劣っている。己はこの己に酌をしてくれる芸者にも劣っている」
 こう思いつつ、頭を挙げて前を見れば、もう若い芸者はいなかった。それに気が附くと同時に、私は少し離れた所から鼠頭魚が私を見ているのに気が附いた。鼠頭魚は私の前に来て、じっと私を見た。
「どうなすったの。さっきからひどく塞(ふさ)ぎ込んでいらっしゃるじゃありませんか。余興に中(あ)てられなすったのじゃなくって」
「なに。大ちがいだ。つい馬鹿な事を考えていたもんだから」
 こう云って私は杯を一息に干(ほ)した。





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底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社
   1968(昭和43)年4月20日発行
   1979(昭和54)年8月15日24刷 
入力:j_sekikawa
校正:しず
2001年8月13日公開
2006年5月13日修正
青空文庫作成ファイル:












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坂口安吾 歴史と事実 1000字

2008-08-25 00:43:00 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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歴史と事実
坂口安吾



以前新井白石の「西洋紀聞」によってシドチ潜入に就て小説を書いたとき、屋久島はどんな島かしらと考えた。切支丹の事蹟を辿って天草までは行ったが、屋久島は行かなかった。幸いこの小説は島の風物を叙述する必要がなかったので史料の記事だけで間に合ったが、後日、深田久弥氏の屋久島旅行記を読んで驚いた。屋久島は千七百米の巨大な山塊で、全島すべて千年から千五百年を経た神代杉の密林だそうである。
成程白石の記事によってもシドチが最初に出会った日本人は樵夫であるが、出会いの叙述は日当りの良い平凡な山中の草原を考えさせ、山塊一面神代杉の密林などとは思いもよらぬ。千年から千五百年を経た神代杉の密林だから、シドチの二百余年前も今と変らぬ風景であったに相違ない。
歴史と現実というものには、こういう距りがあることを痛感した。「西洋紀聞」を読んだ何人が屋久島を神代杉に覆われた巨大な山塊と知りうるであろうか。我々は史料によって歴史を知る。けれども、史料の記載を外れた部分は全てこれ屋久島の神代杉で、神ならぬ身の知る由もない。
戦国時代の英雄に就ては之を記した史料があるが、大衆は何事を考えていたか、否、英雄達すら史料の外れた場所で何事を考え何事を為していたか、全てこれ屋久島の神代杉で、創作を是とする外に法はない。
現代も亦歴史の一つで我々は現代に就て決して万能の鏡ではなく、我々の周辺には屋久島の神代杉が無数にあり、詮ずれば、一個のドグマを信ずる外に法がない。さりとて、屋久島へ旅行して神代杉の密林を突きとめることは、文学の仕事ではないのだ。戦争という現実が如何程強烈であっても、それを知ることが文学ではなく、文学は個性的なものであり、常に現実の創造であることに変りはないと思われる。屋久島が神代杉の密林でなくても構わないことがありうるのである。

『東京新聞』昭19・2・8





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底本:「坂口安吾選集 第十巻エッセイ1」講談社
   1982(昭和57)年8月12日第1刷発行
底本の親本:「東京新聞」
   1944(昭和19)年2月8日号
初出:「東京新聞」
   1944(昭和19)年2月8日号
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月24日作成
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内藤湖南  「敬首和尚の典籍概見」3800字

2008-08-25 00:41:49 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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敬首和尚の典籍概見
内藤湖南



 日本に目録學なし。目録や解題の書は相應に古き世より之あり、漢籍にては日本國現在書目、佛書にては八家の將來録などより、信西入道の藏書目、清原業忠の本朝書籍目録、これらは古書を考ふる者の缺くべからずとする所にして、徳川時代に入りては林道春父子の日本書籍考、經典題説が解題の嚆矢となりしより、遂に支那人をして其の名著に驚かしめたる經籍訪古志のごとき者さへ出づるに至りたり。故に目録の書は觀るべき者少しとせざれども、目録學の書に至りては、殆ど之あるを見ず。
 蓋し目録學は支那に在りて、特別の發達を爲し、二千年前に於て劉向、劉父子を生じ、其後之を祖述したる者は間出すれども、要するに二劉の上に出づる者なし。其の精神は著述の流別を明らかにするに在りて、單に簿録部居を爲すに在らず。是れ支那の如く、あらゆる學問を歴史的に考察する特種の傾向ある國に相應して成立すべき者にして、專ら分類的に整理せんとする取扱の下に成立すべき者にあらず。故に支那に於て有益なる目録を編製せる學者にても、目録學の本旨に合せる者は至て尠しとせらる。我邦にて此學を爲せる人の曾て之なかりしは異しむに足らず。現今の如く大小の圖書館、到る處に設立せられて、圖書館學が優に一科の學を成せる時に於てすらも、此の支那の古き、發達せる目録學に無關心なることを免がれざるは、是非もなき事と謂ふべし。
 されば一人にても半人にても、此間に目録學らしき者を爲したる人あらば、之を空谷の跫音とせざる能はざるなり。余は敬首和上の「典籍概見」を以て、我邦に於ける殆ど唯一の目録學書として推薦せざるを得ず。此書は寶暦四年、和上の滅後六年に刊行されたる、本文僅かに廿七葉の小著述に過ぎざれども、我邦に於て苟くも著述の流別を理會して、書籍の綜括的批判を爲したる、此書の如きは罕なり。和上は淨土宗にて戒律の復興に功ある碩學なるが、此書は全く儒道二教の典籍のみを批判して内典に及ばず。芝山の大梁師の序文によれば、別に佛法大意の著ありて、釋典を論じたるが如くなれども、其書今存するや否やを知らず。又其書は自ら筆を執りて記述したるにあらずして、其の弟子天心の筆記に成り、而も其の歿後に刊行せられたれば、往々筆者の誤と見ゆる處あり。(例へば支那の府志の中に雍州府志を擧げ、呂氏春秋の注者高誘を誘と記せるが如し)時として著者の意見にも如何はしく思はるゝ節もなきにあらざれども、要するに其の人に絶せる炯眼を具して、博覽の餘に自然に著述源流の學を、髣髴として把捉し得たる者なることは、疑ふべくもなし。
 今その書中、緊要の章句を少しく抄録せんに、云く、

一切の書を見るには先づ題號を解するを簡要とす次には其の書の部類を分別すべし

是れ目録學の綱領を摘出したる者なり。又云く、

史通。文心雕龍。筆叢は常に左右を離ことなかれ中にも筆叢は書の中の寶書也學者これを讀ば知識十倍すべし

 支那にては明の中世、揚愼、陸儼等より以來、史通、文心雕龍二書を愛好する學者多くなり、最近、張之洞の軒語等に至るまで、史學、文學の門徑として之を推稱したれども、我邦にて之に注意したる學者は幾んど之なきに、敬首和上のかくも此二書を推稱せるは、以て其の讀書眼の卓拔なるを見るべし。胡元瑞の筆叢は、其の書き方の氣のきゝたる割合に、内容に乏しき書なれども、其の博覽にして能く之を要約せることは、明代の一人ともいふべき人なれば、和上の如き頭腦の鋭敏なる人が之に惚れ込みたるも無理ならず。ともかく其の渉覽せる萬卷の書中より、此の三書を擧げて門弟等に示せるは、和上の非凡なる識見によるものといふべし。次に目録の專書としては、崇文總目、鄭樵の藝文略、焦弱侯の國史經籍志を擧げたり。而して佛教の目録に就ては

佛者一代藏經と名て其目録あり甚だ非なり予此れを正むと欲す

といはれたるは、その單に索引を主として著述流別の原則に合せざるを遺憾とせられし者ならん。又

中華の書には一種に頗る多板あり故に一板を見て即ち是とすべからず必ず善本を得て校合すべし

といはれ、既に校勘學の必要を説かれたり。尤も校勘學に於ては、儒家に於て徂徠門下に當時已に山井、根本諸人の如きあり、佛家にも忍澂和上の如きありたれば、此の一事は敬首和上の特見とし難し。其外

注に本文とをし並べてことの外大切にする注あり

とて王弼老子注、郭象莊子注、張湛列子注、道元水經注、裴松之三國志注、劉義慶世説注、李善文選注、王逸楚辭注、高誘呂氏春秋注、王肅家語注、韋昭國語注を擧げ、皆本文と光を爭ふといひしなども、近世支那學者と同じ程度の識見を有せりといふべし。
又云く

字書と雜記の書と類書との三類は常に能々看讀すべし其の中雜記の書は尤も翫味すべき者也一には見識を増し二には事實を知り三には經史子集を見るに甚だ助とす

といひ、雜記の書は、容齋隨筆、夢溪筆談の如き者を指したれば、和上は已に考訂を知りしなり。類書としては三通、又大平御覽、册府元龜、文苑英華を三大書とし、藝文類聚、初學記、北堂書抄を唐の三書として擧げたるなど、皆其の選擇の當を得たるを見るべく、本草學、脈學、醫方學を專門の學とし、醫は暦術と同じ後世ほど委くなるべしといへるも、學術に對する理解の非凡なるを見るに足る。又

凡そ書籍に僞書多し關尹子。墨子。鬻子。晏子春秋等の書は恐は後人の僞作也眞書には非ず

といひ、

近代中華より來る所の藏經の中語録相ひ半ばせり此れ乃ち塵芥を以て金文を汚せり

といへるは、並びに極端に失するに似たれども、又見得て透徹せる處なきにしもあらず。

佛書の中天台と慈恩と一行とは別に一格ある用意の書なり此の三書は尤も大事なり一行の書は易老子の如し慈恩の文は楊子法言太玄經の如し天台の書に又一格あり此の三書の格は甚深の口傳あるべし唯授一人の祕法なり筆示すべからず云々

とあるは是れ其の獨得を言明せる者なり。和上は元來、佛教各宗の批判に就きて、一流の獨見あり。達磨の立は佛法には非ず、天竺一箇の富蘭那の見なりといひ、凡そ佛法所立の人師の中にて、智法師一人少し目開き申候然れども大に大途を取損はれたり、千歳以來此人の性具にばかされ申候といひ、淨土宗の事、法然の立大に誤る、是は大錯中の大錯なりといひ、玄弉の立の事、此師大概よし、是又天台と肩を並ぶる目のあきたる人也といひ、天台慈恩は佛法の大綱を半合點半不合點、達磨不空は一向不合點なり、南山法藏吉藏はねから不知して綱目を大綱かと思ひし者なり曇鸞、道綽、善導は一向に不分明なりといひ、天親以來正見なく皆是生死の人と見え申候といひ、眼千古を曠しうせる人なれば、かゝる口傳を説くも、必ずしも空言にあらず。又

新羅より出る書容易に看過すべからず……中國の人夷情を得ぬが故に此を知らず予日本に生して夷情を得たり中國の人情は海の如し新羅高麗の人情は海と川との堺ひ目の如し日本の人情は川の如し此は且く佛書を云若し俗書は不レ爾甚だ野鄙なり本と文なき邦なるが故に佛書は理の甚深を云故に一奇特の文體をなす者なり

といふが如き、國民性により著述の特色あるを看破せる者にて、別に一隻眼を具するに非れば能し難き所なり。
 此書の如き寥々たる短篇中に、其の鋭利なる批評の閃めきを見せること、此書の如きは邦人著述中、有數のものにして、別に何等の組織的思想なくとも、以て珍とするに足るべきに、其の目録學の根柢を有し、確乎たる法式によりて批判せること、上の如くなれば、余は之を讀書人に推薦して其の一讀を勸めんと欲す。
 書中に又

書を多く聚るを人中の賢者とすべし

といひ、聚書讀書の利益を説きたるは、和上自身が數萬卷の藏書を有せしにもよるべけれども、其の讀書が一貫せる批評眼によりて要約され、徒らに博洽を誇りしにあらざることを知るに及びて益々其の貴さを加ふべし。
 余は已に數年前に於て、此書の原刻本を獲たるが、本年二月、大阪の某書肆の目録に、復た此書を載するを見、大阪に此書の眞價を解する讀書人ありや否やを徴せんが爲に、試みに再び之を注文して、其の存否を驗せしに、日ならずして再び此書の第二本を獲たり。僅かに參圓五拾錢を費して、大阪二百萬市民の讀書眼を試驗し得たるは、豈に廉價至極ならずや。呵呵
 附記 敬首和上の傳は淨土宗全書第十卷、略傳集中に在り就て見るべし。

(大正十五年十月「典籍の研究」第五號)





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底本:「内藤湖南全集 第十二巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年6月25日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「支那目録學」京都大学東洋史学科特殊講義
   1926(大正15)年4月~6月、未刊
初出:「典籍の研究 第五号」
   1926(大正15)年10月発行
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年9月24日公開
2004年3月17日修正
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伊藤左千夫 「姪子」  6100字

2008-08-25 00:40:41 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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姪子
伊藤左千夫



 麦搗(むぎつき)も荒(あら)ましになったし、一番草も今日でお終(しま)いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、此(この)熱い盛りに山の夏刈(なつがり)もやりたいし、畔草(あぜくさ)も刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁許(ばか)り、何処(どこ)の鍛冶屋(かじや)でもえいからって。
 おやじがこういうもんだから、一と朝起きぬきに松尾へ往(い)った、松尾の兼(かね)鍛冶が頼みつけで、懇意だから、出来合があったら取ってくる積りで、日が高くなると熱くてたまんねから、朝飯前に帰ってくる積りで出掛けた、おらア元から朝起きが好きだ、夏でも冬でも天気のえい時、朝っぱらの心持ったらそらアえいもんだからなア、年をとってからは冬の朝は寒くて億劫(おっくう)になったけど、其外(そのほか)ん時には朝早く起きるのが、未(いま)だにおれは楽しみさ。
 それで其朝は何んだか知らねいが、別(わ)けて心持のえい朝であった、土用半ばに秋風が立って、もう三回目で土用も明けると云う頃だから、空は鏡のように澄んでる、田のものにも畑のものにも夜露がどっぶりと降りてる、其涼しい気持ったら話になんなっかった。
 腰まで裾を端しょってな、素(す)っ膚足(ぱだし)に朝露のかかるのはえいもんさ、日中焼けるように熱いのも随分つれいがな、其熱い時でなけりゃ又朝っぱらのえい気持ということもねい訳だから、世間のことは何でもみんな心の持ちよう一つのもんだ。
 それから家の門を出る時にゃ、まだ薄暗かったが、夏は夜明けの明るくなるのが早いから、村のはずれへ出たらもう畑一枚先の人顔が分るようになった、いつでも話すこったが、そん時おれが、つくづく感心したのは、そら今ではあんなに仕合せをしてる、佐兵エどんの家内よ、あの人がたしか十四五の頃だな、おれは只遠い村々の眺めや空合の景色に気をとられて、人の居るにも心づかず来ると、道端に草を刈ってた若い女が、手に持った鎌を措(お)いて、
「お早ようございます」
 と挨拶したのを見るとあの人さ、そんころ善吉はまるっきり小作つくりであったから、あの女も若い時から苦労が多かった。
 村の内でも起きて居た家は半分しか無かった、そんなに早いのに、十四五の小娘が朝草刈りをしているのだもの、おれはもう胸が一ぱいになった位だ。
「おう誰かと思ったら、おちかどんかい、お前朝草刈をするのかい、感心なこったねい」
 おれがこう云って立ち止まると、
「馴れないからよく刈れましね、荒場のおじいさんもたいそうお早くどこへいきますかい」
 そう云って莞爾(にっこり)笑うのさ、器量がえいというではないけど、色が白くて顔がふっくりしてるのが朝明りにほんのりしてると、ほんとに可愛い娘であった。
 お前とこのとッつぁんも、何か少し加減が悪いような話だがもうえいのかいて、聞くと、おやじが永らくぶらぶらしてますから困っていますと云う、それだからこうして朝草も刈るのかと思ったら、おれは可哀そうでならなかった、それでおれは今鎌を買いに松尾へ往くのだが、日中は熱いからと思ってこんなに早く出掛けてきたのさ、それではお前の分にも一丁買ってきてやるから、折角丹誠してくれやて、云ったら何んでも眼をうるましたようだった、其時のあの女の顔をおれは未だに覚えてる、其の後、家のおやじに話して小作米の残り三俵をまけてやった、心懸けがよかったからあの女も今はあんなに仕合せをしてる。
 これでは話が横道へ這入(はい)った、それからおれが松尾へ往きついてもまだ日が出なかった、松尾は県道筋について町めいてる処(ところ)へ樹木に富んだ岡を背負ってるから、屋敷構(やしきがまえ)から人の気心も純粋の百姓村とは少し違ってる、涼しそうな背戸山では頻(しき)りに蜩(ひぐらし)が鳴いてる、おれは又あの蜩の鳴くのが好きさ、どこの家でも前の往来を綺麗(きれい)に掃いて、掃木目(ほうきめ)の新しい庭へ縁台を出し、隣同志話しながら煙草など吹かしてる、おいらのような百姓と変らない手足をしている男等までが、詞(ことば)つかいなんかが、どことなし品がえい、おれはそれを真似ようとは思わないけど、横芝や松尾やあんな町がかった所へいくと、住居の様子や男女の風俗などに気をつけて見るのが好きだ。
 兼鍛冶のとこへ往ったら、此節は忙しいものと見えて、兼公はもう鞴場(ふいごば)に這入って、こうこうと鞴の音をさして居た、見ると兼公の家も気持がよかった、軒の下は今掃いた許りに塵(ちり)一つ見えない、家は柱も敷居も怪しくかしげては居るけれど、表手(おもて)も裏も障子を明放(あけはな)して、畳の上を風が滑ってるように涼しい、表手の往来から、裏庭の茄子(なす)や南瓜(かぼちゃ)の花も見え、鶏頭(けいとう)鳳仙花(ほうせんか)天竺牡丹(てんじくぼたん)の花などが背高く咲いてるのが見える、それで兼公は平生花を作ることを自慢するでもなく、花が好きだなどと人に話し為(し)たこともない、よくこんなにいつも花を絶やさずに作ってますねと云うと、あアに家さ作って置かねいと時折仏様さ上げるのん困るからと云ってる、あとから直ぐこういう鎌が出来ましたが一つ見ておくんせいと腕自慢の話だ、そんな風だからおれは元から兼公が好きで、何でも農具はみんな兼公に頼むことにしていた。
 其朝なんか、よっぽど可笑(おか)しかった、兼公おれの顔を見て何と思ったか、喫驚(びっくり)した眼をきょろきょろさせ物も云わないで軒口ヘ飛んで出た、おれが兼さんお早ようと詞を掛ける、それと同んなじ位に、
「旦那何んです」
 とあの青白い尖口(とんがりぐち)の其のたまげた顔をおれの鼻っさきへ持ってきていうのさ、兼さん何でもないよ鎌を買いに来たんだよ、日中は熱いから朝っぱらにやって来たのさ、こういうと、
「そらアよかった、まア旦那お早ようございます」と直ぐにけろりとした風で二つ三つ腰をまげた、ハハハアと笑ったかと思うと直ぐ跡から、旦那鎌なら豪せいなのが出来てます、いう内に女房が出て来て上がり鼻へ花蓙(はなむしろ)を敷いた、兼公はおれに許り其蓙へ腰をかけさせ、自分は一段低い縁に腰をかけた、兼公は職人だけれど感心に人に無作法なことはしなかった。
「旦那聞いてください、わし忌ま忌ましくなんねいことがあっですよ、あの八田の吉兵エですがね、先月中あなた、山刈と草刈と三丁宛(ずつ)、吟味して打ってくれちもんですから、こっちゃあなた充分に骨を折って仕上げた処、旦那まア聞いて下さい其の吉兵エが一昨日来やがって、村の鍛冶に打たせりゃ、一丁二十銭ずつだに、お前の鎌二十二銭は高いとぬかすんです、それから癪(しゃく)に障っちゃったんですから、お前さんの銭ゃお前さんの財布へしまっておけ、おれの鎌はおれの戸棚へ終(しま)って措(お)くといって、いきなり鎌を戸棚へ終っちゃったんです、旦那えい処へ来て下さった」そういうて兼公は六丁の鎌をおれの前へ置いた、女房は、それではよくあんめい、吉兵エさんも帰りしなには、兼さんの一酷にも困る、あとで金を持たしてよこすから、おっかアおめいが鎌を取っといてくっだいよって、腹も立たないでそういっていったんだから、今荒場の旦那へ上げて終ってはと云った、兼公はあアにお前がそういうなら、八田の分はおれが今日にも打って措くべい、旦那どうぞ持っていって下さい、外の人と違う旦那がいるってんだから、こういうから四丁と思って往ったのだが、其六丁を持ってきた、家を出る時心持よく出ると其日はきっと何かの用が都合よくいくものだ。
 思いの外に早く用が足りたし、日も昇りかけたが、蜩はまだ思い出したように鳴いてる、つくつくほうしなどがそろそろ鳴き出してくる、まだ熱くなるまでには、余程の間があると思って、急に思いついて姪子の処へ往った。
 お町が家は、松尾の東はずれでな、往来から岡の方へ余程経(へ)上って、小高い所にあるから一寸(ちょっと)見ても涼しそうな家さ、おれがいくとお町は二つの小牛を庭の柿の木の蔭(かげ)へ繋(つな)いで、十になる惣領(そうりょう)を相手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一ぱい小牛に当てがって、母子がさも楽しそうに黒白斑(まだら)の方のやつを洗ってやってる、小牛は背中を洗って貰って平気に草を食ってる、惣領が長い柄の柄杓(ひしゃく)で水を牛の背にかける、母親が縄たわしで頻りに小摺(こす)ってやる、白い手拭を間深かに冠(かぶ)って、おれのいったのも気がつかずにやってる、表手の庭の方には、白らげ麦や金時大角豆などが庭一面に拡げて隙間もなく干してある、一目見てお町が家も此頃は都合がえいなと思うと、おれもおのずと気も引立って、ちっと手伝おうかと声をかけた。
 あらア荒場の伯父さんだよって、母子が一所にそういって、小牛洗いはそこそこにさすが親身の挨拶は無造作なところに、云われないなつかしさが嬉しい、まア伯父さんこんな形では御挨拶も出来ない、どうぞまア足を洗って下さい、そういうより早く水を汲(く)んでくれる、おれはそこまで来たから一寸寄ったのだ上ってる積りではねいと云っても、伯父さん一寸寄っていくってそら何のこったかい、そんなこと云ったって駄目だ、もうおれには口は聞かせない。
 上って見ると鏡のように拭いた摺縁(すりえん)は歩りくと足の下がぎしぎし鳴る位だ、お町はやがて自分も着物を着替て改った挨拶などする、十になる児の母だけれど、町公町公と云ったのもまだつい此間の事のようで、其大人ぶった挨拶が可笑しい位だった、其内利助も朝草を山程刈って帰ってきた、さっぱりとした麻の葉の座蒲団を影の映るような、カラ縁に敷いて、えい心持ったらなかった、伯父さん鎌を六丁買ってきて、家でばっかそんなにいるかいちもんだから、おれがこれこれだと話すと、そんなら一丁家へもおくんなさいなという、改まって挨拶するかと思うと、あとから直ぐ甘えたことをいう、そうされると又妙に憎くないものだよ。
 あの気転だから、話をしながら茶を拵(こしら)える、用をやりながらも遠くから話しかける。
「ねい伯父さん何か上げたくもあり、そばに居て話したくもありで、何だか自分が自分でないようだ、蕎麦(そば)饂飩(うどん)でもねいし、鰌(どじょう)の卵とじ位ではと思っても、ほんに伯父さん何にも上げるもんがねいです」
「何にもいらねいっち事よ、朝っぱら不意に来た客に何がいるかい」
 そういう所へ利助もきて挨拶した、よくまア伯父さん寄てくれました、今年は雨都合もよくて大分作物もえいようでなど簡単な挨拶にも実意が見える、人間は本気になると、親身の者をなつかしがるものだ、此の調子なら利助もえい男だと思っておれも嬉しかった、お町は何か思いついたように夫に相談する、利助は黙々うなずいて、其のまま背戸山へ出て往った様だった、お町はにこにこしながら、伯父さん腹がすいたでしょうが、少し待って下さい、一寸思いついた御馳走をするからって、何か手早に竈(かまど)に火を入れる、おれの近くへ石臼(いしうす)を持出し話しながら、白粉(しろこ)を挽(ひ)き始める、手軽気軽で、億劫な風など毛程も見せない、おれも訳なしに話に釣り込まれた。
「利助どんも大分に評判がえいからおれもすっかり安心してるよ、もう狂(あば)れ出すような事あんめいね」
「そうですよ伯父さん、わたしも一頃は余程迷ったから、伯父さんに心配させましたが、去年の春頃から大へん真面目になりましてね、今年などは身上(しんしょう)もちっとは残りそうですよ、金で残らなくてもあの、小牛二つ育てあげればって、此節は伯父さん、一朝に二かつぎ位草を刈りますよ、今の了簡(りょうけん)でいってくれればえいと思いますがね」
「実の処おれは、それを聞きたさに今日も寄ったのだ、そういう話を聞くのがおれには何よりの御馳走だ、うんお前も仕合せになった」
 こんな訳で話はそれからそれと続く、利助の馬鹿を尽した事から、二人が殺すの活(いか)すのと幾度も大喧嘩(おおげんか)をやった話もあった、それでも終いには利助から、おれがあやまるから仲直りをしてくろて云い出し誰れの世話にもならず、二人で仲直りした話は可笑しかった。
 おれも始めから利助の奴は、女房にやさしい処があるから見込みがあると思っていた、博打(ばくち)をぶっても酒を飲んでもだ、女房の可愛い事を知ってる奴なら、いつか納まりがつくものだ、世の中に女房のいらねい人間許りは駄目なもんさ、白粉は三升許りも挽けた、利助もいつの間にか帰ってる、お町は白粉を利助に渡して自分は手軽に酒の用意をした、見ると大きな巾着(きんちゃく)茄子を二つ三つ丸ごと焼いて、うまく皮を剥(む)いたのへ、花鰹(はながつお)を振って醤油をかけたのさ、それが又なかなかうまいのだ、いつの間にそんな事をやったか其の小手廻しのえいことと云ったら、お町は一苦労しただけあって、話の筋も通って人のあしらいもそりゃ感心なもんよ。
 すとんすとん音がすると思ってる内に、伯父さん百合餅(ゆりもち)ですが、一つ上って見て下さいと云うて持って来た。
 何に話がうまいって、どうして話どころでなかった、積っても見ろ、姪子甥子(おいご)の心意気を汲んでみろ、其餅のまずかろう筈があるめい、山百合は花のある時が一番味がえいのだそうだ、利助は、次手(ついで)があるからって、百合餅の重箱と鎌とを持っておれを広福寺の裏まで送ってくれた。
 おれは今六十五になるが、鯛(たい)平目(ひらめ)の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。
 お町は云うまでもなく、お近でも兼公でも、未だにおれを大騒ぎしてくれる、人間はなんでも意気で以て思合った交りをする位楽しみなことはない、そういうとお前達は直ぐとやれ旧道徳だの現代的でないのと云うが、今の世にえらいと云われてる人達には、意気で人と交わるというような事はないようだね、身勝手な了簡より外ない奴は大き面をしていても、真に自分を慕って敬してくれる人を持てるものは恐らく少なかろう、自分の都合許り考えてる人間は、学問があっても才智があっても財産があっても、あんまり尊いものではない。

(明治四十二年九月)





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底本:「野菊の墓」新潮文庫、新潮社
   1955(昭和30)年10月25日発行
   1985(昭和60)年6月10日85刷改版
   1993(平成5)年6月5日97刷
入力:大野晋
校正:高橋真也
1999年2月13日公開
2005年11月27日修正
青空文庫作成ファイル:






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夏目漱石 [ 明暗]

2008-08-25 00:39:42 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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明暗
夏目漱石



        一

 医者は探(さぐ)りを入れた後(あと)で、手術台の上から津田(つだ)を下(おろ)した。
「やっぱり穴が腸まで続いているんでした。この前(まえ)探(さぐ)った時は、途中に瘢痕(はんこん)の隆起(りゅうき)があったので、ついそこが行(い)きどまりだとばかり思って、ああ云ったんですが、今日(きょう)疎通を好くするために、そいつをがりがり掻(か)き落して見ると、まだ奥があるんです」
「そうしてそれが腸まで続いているんですか」
「そうです。五分ぐらいだと思っていたのが約一寸ほどあるんです」
 津田の顔には苦笑の裡(うち)に淡く盛り上げられた失望の色が見えた。医者は白いだぶだぶした上着の前に両手を組み合わせたまま、ちょっと首を傾けた。その様子が「御気の毒ですが事実だから仕方がありません。医者は自分の職業に対して虚言(うそ)を吐(つ)く訳に行かないんですから」という意味に受取れた。
 津田は無言のまま帯を締(し)め直して、椅子(いす)の背に投げ掛けられた袴(はかま)を取り上げながらまた医者の方を向いた。
「腸まで続いているとすると、癒(なお)りっこないんですか」
「そんな事はありません」
 医者は活溌(かっぱつ)にまた無雑作(むぞうさ)に津田の言葉を否定した。併(あわ)せて彼の気分をも否定するごとくに。
「ただ今(いま)までのように穴の掃除ばかりしていては駄目なんです。それじゃいつまで経(た)っても肉の上(あが)りこはないから、今度は治療法を変えて根本的の手術を一思(ひとおも)いにやるよりほかに仕方がありませんね」
「根本的の治療と云うと」
「切開(せっかい)です。切開して穴と腸といっしょにしてしまうんです。すると天然自然(てんねんしぜん)割(さ)かれた面(めん)の両側が癒着(ゆちゃく)して来ますから、まあ本式に癒るようになるんです」
 津田は黙って点頭(うなず)いた。彼の傍(そば)には南側の窓下に据(す)えられた洋卓(テーブル)の上に一台の顕微鏡(けんびきょう)が載っていた。医者と懇意な彼は先刻(さっき)診察所へ這入(はい)った時、物珍らしさに、それを覗(のぞ)かせて貰(もら)ったのである。その時八百五十倍の鏡の底に映ったものは、まるで図に撮影(と)ったように鮮(あざ)やかに見える着色の葡萄状(ぶどうじょう)の細菌であった。
 津田は袴を穿(は)いてしまって、その洋卓の上に置いた皮の紙入を取り上げた時、ふとこの細菌の事を思い出した。すると連想が急に彼の胸を不安にした。診察所を出るべく紙入を懐(ふところ)に収めた彼はすでに出ようとしてまた躊躇(ちゅうちょ)した。
「もし結核性のものだとすると、たとい今おっしゃったような根本的な手術をして、細い溝(みぞ)を全部腸の方へ切り開いてしまっても癒らないんでしょう」
「結核性なら駄目です。それからそれへと穴を掘って奥の方へ進んで行くんだから、口元だけ治療したって役にゃ立ちません」
 津田は思わず眉(まゆ)を寄せた。
「私(わたし)のは結核性じゃないんですか」
「いえ、結核性じゃありません」
 津田は相手の言葉にどれほどの真実さがあるかを確かめようとして、ちょっと眼を医者の上に据(す)えた。医者は動かなかった。
「どうしてそれが分るんですか。ただの診察で分るんですか」
「ええ。診察(み)た様子で分ります」
 その時看護婦が津田の後(あと)に廻った患者の名前を室(へや)の出口に立って呼んだ。待ち構えていたその患者はすぐ津田の背後に現われた。津田は早く退却しなければならなくなった。
「じゃいつその根本的手術をやっていただけるでしょう」
「いつでも。あなたの御都合の好い時でようござんす」
 津田は自分の都合を善く考えてから日取をきめる事にして室外に出た。

        二

 電車に乗った時の彼の気分は沈んでいた。身動きのならないほど客の込み合う中で、彼は釣革(つりかわ)にぶら下りながらただ自分の事ばかり考えた。去年の疼痛(とうつう)がありありと記憶の舞台(ぶたい)に上(のぼ)った。白いベッドの上に横(よこた)えられた無残(みじめ)な自分の姿が明かに見えた。鎖を切って逃げる事ができない時に犬の出すような自分の唸(うな)り声が判然(はっきり)聴えた。それから冷たい刃物の光と、それが互に触れ合う音と、最後に突然両方の肺臓から一度に空気を搾(しぼ)り出(だ)すような恐ろしい力の圧迫と、圧(お)された空気が圧されながらに収縮する事ができないために起るとしか思われない劇(はげ)しい苦痛とが彼の記憶を襲(おそ)った。
 彼は不愉快になった。急に気を換(か)えて自分の周囲を眺めた。周囲のものは彼の存在にすら気がつかずにみんな澄ましていた。彼はまた考えつづけた。
「どうしてあんな苦しい目に会ったんだろう」
 荒川堤(あらかわづつみ)へ花見に行った帰り途から何らの予告なしに突発した当時の疼痛(とうつう)について、彼は全くの盲目漢(めくら)であった。その原因はあらゆる想像のほかにあった。不思議というよりもむしろ恐ろしかった。
「この肉体はいつ何時(なんどき)どんな変(へん)に会わないとも限らない。それどころか、今現(げん)にどんな変がこの肉体のうちに起りつつあるかも知れない。そうして自分は全く知らずにいる。恐ろしい事だ」
 ここまで働らいて来た彼の頭はそこでとまる事ができなかった。どっと後(うしろ)から突き落すような勢で、彼を前の方に押しやった。突然彼は心の中(うち)で叫んだ。
「精神界も同じ事だ。精神界も全く同じ事だ。いつどう変るか分らない。そうしてその変るところをおれは見たのだ」
 彼は思わず唇(くちびる)を固く結んで、あたかも自尊心を傷(きずつ)けられた人のような眼を彼の周囲に向けた。けれども彼の心のうちに何事が起りつつあるかをまるで知らない車中の乗客は、彼の眼遣(めづかい)に対して少しの注意も払わなかった。
 彼の頭は彼の乗っている電車のように、自分自身の軌道(レール)の上を走って前へ進むだけであった。彼は二三日(にさんち)前ある友達から聞いたポアンカレーの話を思い出した。彼のために「偶然」の意味を説明してくれたその友達は彼に向ってこう云った。
「だから君、普通世間で偶然だ偶然だという、いわゆる偶然の出来事というのは、ポアンカレーの説によると、原因があまりに複雑過ぎてちょっと見当がつかない時に云うのだね。ナポレオンが生れるためには或特別の卵と或特別の精虫の配合が必要で、その必要な配合が出来得るためには、またどんな条件が必要であったかと考えて見ると、ほとんど想像がつかないだろう」
 彼は友達の言葉を、単に与えられた新らしい知識の断片として聞き流す訳に行かなかった。彼はそれをぴたりと自分の身の上に当(あ)て篏(は)めて考えた。すると暗い不可思議な力が右に行くべき彼を左に押しやったり、前に進むべき彼を後(うし)ろに引き戻したりするように思えた。しかも彼はついぞ今まで自分の行動について他(ひと)から牽制(けんせい)を受けた覚(おぼえ)がなかった。する事はみんな自分の力でし、言う事はことごとく自分の力で言ったに相違なかった。
「どうしてあの女はあすこへ嫁に行ったのだろう。それは自分で行こうと思ったから行ったに違ない。しかしどうしてもあすこへ嫁に行くはずではなかったのに。そうしてこのおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう。それもおれが貰(もら)おうと思ったからこそ結婚が成立したに違ない。しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに。偶然? ポアンカレーのいわゆる複雑の極致? 何だか解らない」
 彼は電車を降りて考えながら宅(うち)の方へ歩いて行った。

        三

 角(かど)を曲って細い小路(こうじ)へ這入(はい)った時、津田はわが門前に立っている細君の姿を認めた。その細君はこっちを見ていた。しかし津田の影が曲り角から出るや否や、すぐ正面の方へ向き直った。そうして白い繊(ほそ)い手を額の所へ翳(かざ)すようにあてがって何か見上げる風をした。彼女は津田が自分のすぐ傍(そば)へ寄って来るまでその態度を改めなかった。
「おい何を見ているんだ」
 細君は津田の声を聞くとさも驚ろいたように急にこっちをふり向いた。
「ああ吃驚(びっくり)した。――御帰り遊ばせ」
 同時に細君は自分のもっているあらゆる眼の輝きを集めて一度に夫の上に注(そそ)ぎかけた。それから心持腰を曲(かが)めて軽い会釈(えしゃく)をした。
 半(なか)ば細君の嬌態(きょうたい)に応じようとした津田は半(なか)ば逡巡(しゅんじゅん)して立ち留まった。
「そんな所に立って何をしているんだ」
「待ってたのよ。御帰りを」
「だって何か一生懸命に見ていたじゃないか」
「ええ。あれ雀(すずめ)よ。雀が御向うの宅(うち)の二階の庇(ひさし)に巣を食ってるんでしょう」
 津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかしそこには雀らしいものの影も見えなかった。細君はすぐ手を夫の前に出した。
「何だい」
「洋杖(ステッキ)」
 津田は始めて気がついたように自分の持っている洋杖を細君に渡した。それを受取った彼女はまた自分で玄関の格子戸(こうしど)を開けて夫を先へ入れた。それから自分も夫の後(あと)に跟(つ)いて沓脱(くつぬぎ)から上(あが)った。
 夫に着物を脱ぎ換えさせた彼女は津田が火鉢(ひばち)の前に坐(すわ)るか坐らないうちに、また勝手の方から石鹸入(しゃぼんいれ)を手拭(てぬぐい)に包んで持って出た。
「ちょっと今のうち一風呂(ひとふろ)浴びていらっしゃい。またそこへ坐り込むと臆劫(おっくう)になるから」
 津田は仕方なしに手を出して手拭(てぬぐい)を受取った。しかしすぐ立とうとはしなかった。
「湯は今日はやめにしようかしら」
「なぜ。――さっぱりするから行っていらっしゃいよ。帰るとすぐ御飯にして上げますから」
 津田は仕方なしにまた立ち上った。室(へや)を出る時、彼はちょっと細君の方をふり返った。
「今日帰りに小林さんへ寄って診(み)て貰って来たよ」
「そう。そうしてどうなの、診察の結果は。おおかたもう癒(なお)ってるんでしょう」
「ところが癒らない。いよいよ厄介な事になっちまった」
 津田はこう云ったなり、後(あと)を聞きたがる細君の質問を聞き捨てにして表へ出た。
 同じ話題が再び夫婦の間(あいだ)に戻って来たのは晩食(ゆうめし)が済んで津田がまだ自分の室へ引き取らない宵(よい)の口(くち)であった。
「厭(いや)ね、切るなんて、怖(こわ)くって。今までのようにそっとしておいたってよかないの」
「やっぱり医者の方から云うとこのままじゃ危険なんだろうね」
「だけど厭だわ、あなた。もし切り損ないでもすると」
 細君は濃い恰好(かっこう)の好い眉(まゆ)を心持寄せて夫を見た。津田は取り合ずに笑っていた。すると細君が突然気がついたように訊(き)いた。
「もし手術をするとすれば、また日曜でなくっちゃいけないんでしょう」
 細君にはこの次の日曜に夫と共に親類から誘われて芝居見物に行く約束があった。
「まだ席を取ってないんだから構やしないさ、断わったって」
「でもそりゃ悪いわ、あなた。せっかく親切にああ云ってくれるものを断(ことわ)っちゃ」
「悪かないよ。相当の事情があって断わるんなら」
「でもあたし行きたいんですもの」
「御前は行きたければおいでな」
「だからあなたもいらっしゃいな、ね。御厭(おいや)?」
 津田は細君の顔を見て苦笑を洩(も)らした。


宮沢賢治 革トランク

2008-08-25 00:39:04 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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革トランク
宮沢賢治



 斉藤平太は、その春、楢岡(ならをか)の町に出て、中学校と農学校、工学校の入学試験を受けました。三つとも駄目(だめ)だと思ってゐましたら、どうしたわけか、まぐれあたりのやうに工学校だけ及第しました。一年と二年とはどうやら無事で、算盤(そろばん)の下手な担任教師が斉藤平大の通信簿の点数の勘定を間違った為(ため)に首尾よく卒業いたしました。
(こんなことは実にまれです。)
 卒業するとすぐ家へ戻されました。家は農業でお父さんは村長でしたが平太はお父さんの賛成によって、家の門の処(ところ)に建築図案設計工事請負(うけおひ)といふ看板をかけました。
 すぐに二つの仕事が来ました。一つは村の消防小屋と相談所とを兼ねた二階建、も一つは村の分教場です。
(こんなことは実に稀(ま)れです。)
 斉藤平太は四日かかって両方の設計図を引いてしまひました。
 それからあちこちの村の大工たちをたのんでいよいよ仕事にかゝりました。
 斉藤平太は茶いろの乗馬ズボンを穿(は)き赤ネクタイを首に結んであっちへ行ったりこっちへ来たり忙しく両方を監督しました。
 工作小屋のまん中にあの設計図が懸(か)けてあります。
 ところがどうもをかしいことはどう云(い)ふわけか平太が行くとどの大工さんも変な顔をして下ばかり向いて働いてなるべく物を言はないやうにしたのです。
 大工さんたちはみんな平太を好きでしたし賃銭だってたくさん払ってゐましたのにどうした訳かをかしな顔をするのです。
(こんなことは実に稀れです。)
 平太が分教場の方へ行って大工さんたちの働きぶりを見て居(を)りますと大工さんたちはくるくる廻ったり立ったり屈(かが)んだりして働くのは大へん愉快さうでしたがどう云ふ訳か横に歩くのがいやさうでした。
(こんなことは実に稀(まれ)です。)
 平太が消防小屋の方へ行って大工さんたちの働くのを見てゐますと大工さんたちはくるくる廻ったり立ったり屈んだり横に歩いたりするのは大へん愉快さうでしたがどう云ふ訳か上下に交通するのがいやさうでした。
(こんなことは実に稀です。)
 だんだん工事が進みました。
 斉藤平太は人数を巧(うま)く組み合せて両方の終る日が丁度同じになるやうにやって置きましたから両方丁度同じ日にそれが終りました。
(こんなことは実に稀れです。)
 終りましたら大工さんたちはいよいよ変な顔をしてため息をついて黙って下ばかり見て居りました。
 斉藤平太は分教場の玄関から教員室へ入らうとしましたがどうしても行けませんでした。それは廊下がなかったからです。
(こんなことは実に稀(まれ)です。)
 斉藤平太はひどくがっかりして今度は急いで消防小屋に行きました。そして下の方をすっかり検分し今度は二階の相談所を見ようとしましたがどうしても二階に昇れませんでした。それは梯子(はしご)がなかったからです。
(こんなことは実に稀です。)
 そこで斉藤平太はすっかり気分を悪くしてそっと財布を開いて見ました。
 そしたら三円入ってゐましたのですぐその乗馬ズボンのまゝ渡しを越えて町へ行きました。
 それから汽車に乗りました。
 そして東京へ遁(に)げました。
 東京へ来たらお金が六銭残りました。斉藤平太はその六銭で二度ほど豆腐を食べました。
 それから仕事をさがしました。けれども語(ことば)がはっきりしないのでどこの家でも工場でも頭ごなしに追ひました。
 斉藤平太はすっかり困って口の中もカサカサしながら三日仕事をさがしました。
 それでもどこでも断わられたうとう楢岡(ならをか)工学校の卒業生の斉藤平太は卒倒しました。
 巡査がそれに水をかけました。
 区役所がそれを引きとりました。それからご飯をやりました。するとすっかり元気になりました。そこで区役所では撒水夫(さんすゐふ)に雇ひました。
 斉藤平太はうちへ葉書を出しました。
「エレベータとエスカレータの研究の為(ため)急に東京に参り候(さふらふ)、御不便ながら研究すむうちあの請負の建物はそのまゝお使ひ願ひ候」
 お父さんの村長さんは返事も出させませんでした。
 平太は夏は脚気(かくけ)にかゝり冬は流行感冒です。そして二年は経(た)ちました。
 それでもだんだん東京の事にもなれて来ましたのでつひには昔の専門の建築の方の仕事に入りました。則(すなは)ち平沢組の監督です。
 大工たちに憎まれて見廻り中に高い処(ところ)から木片を投げつけられたり天井に上ってゐるのを知らないふりして板を打ちつけられたりしましたがそれでも仲々愉快でした。
 ですから斉藤平太はうちへ斯(か)う葉書を書いたのです。
「近頃立身致し候。紙幣は障子を張る程有之(これあり)諸君も尊敬仕(つかまつり)候。研究も今一足故暫時(ざんじ)不便を御辛抱願候。」
 お父さんの村長さんは返事も何もさせませんでした。
 ところが平太のお母さんが少し病気になりました。毎日平太のことばかり云ひます。
 そこで仕方なく村長さんも電報を打ちました。
「ハハビャウキ、スグカヘレ。」
 平太はこの時月給をとったばかりでしたから三十円ほど余ってゐました。
 平太はいろいろ考へた末二十円の大きな大きな革のトランクを買ひました。けれどももちろん平太には一張羅(いっちゃうら)の着てゐる麻服があるばかり他に入れるやうなものは何もありませんでしたから親方に頼んで板の上に引いた要(い)らない絵図を三十枚ばかり貰(もら)ってぎっしりそれに詰めました。
(こんなことはごく稀(ま)れです。)
 斉藤平太は故郷の停車場に着きました。
 それからトランクと一緒に俥に乗って町を通り国道の松並木まで来ましたが平太の村へ行くみちはそこから岐(わか)れて急にでこぼこになるのを見て俥夫はあとは行けないと断って賃銭をとって帰って行ってしまひました。
 斉藤平太はそこで仕方なく自分でその大トランクを担(かつ)いで歩きました。ひのきの垣根の横を行き麻ばたけの間を通り桑の畑のへりを通りそして船場までやって来ました。
 渡し場は針金の綱を張ってあって滑車の仕掛けで舟が半分以上ひとりで動くやうになってゐました。
 もう夕方でしたが雲が縞(しま)をつくってしづかに東の方へ流れ、白と黒とのぶちになったせきれいが水銀のやうな水とすれすれに飛びました。そのはりがねの綱は大きく水に垂れ舟はいま六七人の村人を乗せてやっと向ふへ着く処(ところ)でした。向ふの岸には月見草も咲いてゐました。舟が又こっちへ戻るまで斉藤平太は大トランクを草におろし自分もどっかり腰かけて汗をふきました。白の麻服のせなかも汗でぐちゃぐちゃ、草にはけむりのやうな穂が出てゐました。
 いつの間にか子供らが麻ばたけの中や岸の砂原やあちこちから七八人集って来ました。全く平太の大トランクがめづらしかったのです。みんなはだんだん近づきました。
「おお、みんな革だ※[#小書き平仮名ん、229-10]ぞ。」
「牛の革だんぞ。」
「あそごの曲った処ぁ牛の膝(ひざ)かぶの皮だな。」
 なるほど平太の大トランクの締金の処には少しまがった膝の形の革きれもついてゐました。平太は子供らの云ふのを聞いて何とも云へず悲しい寂しい気がしてあぶなく泣かうとしました。
 舟がだんだん近よりました。
 船頭が平太のうしろの入日の雲の白びかりを手でさけるやうにしながらじっと平太を見てゐましたがだんだん近くになっていよいよその白い洋服を着た紳士が平太だとわかると高く叫びました。
「おゝ平太さん。待ぢでだあ※[#小書き平仮名ん、230-2]す。」
 平太はあぶなく泣かうとしました。そしてトランクを運んで舟にのりました。舟はたちまち岸をはなれ岸の子供らはまだトランクのことばかり云ひ船頭もしきりにそのトランクを見ながら船を滑らせました。波がぴたぴた云ひ針金の綱はしんしんと鳴りました。それから西の雲の向ふに日が落ちたらしく波が俄(には)かに暗くなりました。向ふの岸に二人の人が待ってゐました。
 舟は岸に着きました。
 二人の中の一人が飛んで来ました。
「お待ぢ申して居りあ※[#小書き平仮名ん、230-9]した。お荷物は。」
 それは平太の家の下男でした。平太はだまって眼をパチパチさせながらトランクを渡しました。下男はまるでひどく気が立ってその大きな革トランクをしょひました。
 それから二人はうちの方へ蚊のくんくん鳴く桑畑の中を歩きました。
 二人が大きな路(みち)に出て少し行ったとき、村長さんも丁度役場から帰った処でうしろの方から来ましたがその大トランクを見てにが笑ひをしました。





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底本:「新修宮沢賢治全集 第九巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年7月15日初版第1刷
   1983(昭和58)年12月20日初版第6刷
※底本は旧仮名ですが、拗促音は小書きされています。これにならい、ルビの拗促音も、小書きにしました。
入力:林 幸雄
校正:土屋隆
2008年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:









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高大連携情報誌「大学受験ニュース」  早稲田大学文学部史学科国史専修
調べもの新聞通信員 (横浜)中村惇夫(前橋)宮正孝(大阪)西村新八郎


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堀辰雄 ルウベンスの偽画

2008-08-25 00:36:52 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」

ルウベンスの偽画
堀辰雄



 それは漆黒の自動車であった。
 その自動車が軽井沢ステエションの表口まで来て停(と)まると、中から一人のドイツ人らしい娘を降した。
 彼はそれがあんまり美しい車だったのでタクシイではあるまいと思ったが、娘がおりるとき何か運転手にちらと渡すのを見たので、彼は黄いろい帽子をかぶった娘とすれちがいながら、自動車の方へ歩いて行った。
「町へ行ってくれたまえ」
 彼はその自動車の中へはいった。はいって見ると内部は真白だった。そしてかすかだが薔薇(ばら)のにおいが漂っていた。彼はさっき無造作にすれちがってしまった黄いろい帽子の娘を思い浮べた。自動車がぐっと曲った。
 彼はふと好奇心をもって車内を見まわした。すると彼は軽く動揺している床の上にしちらされた新鮮な唾(つば)のあとを見つけたのである。ふとしたものであるが、妙に荒あらしい快さが彼をこすった。目をつぶった彼には、それが(むし)りちらされた花弁のように見えた。
 しばらくしてまた彼は目をひらいた。運転手の脊(せ)なかが見えた。それから彼は透明な窓硝子(まどガラス)に顔を持って行った。窓の外はもうすっかり穂を出している芒原(すすきはら)だった。ちょうど一台の自動車がすれちがって行った。それはもうこの高原を立ち去ってゆく人人らしかった。
 町へはいろうとするところに、一本の大きい栗(くり)の木があった。
 彼はそこまで来ると自動車を停めさせた。

        

 自動車は町からすこし離れたホテルの方へ彼のトランクだけを乗せて走って行った。
 それのあげた埃(ほこり)が少しずつ消えて行くのを見ると、彼はゆっくり歩きながら本町通りへはいって行った。
 本町通りは彼が思ったよりもひっそりしていた。彼はすっかりそれを見違えてしまうくらいだった。彼は毎年この避暑地の盛り時にばかり来ていたからである。
 彼はしかしすぐに見おぼえのある郵便局を見つけた。
 その郵便局の前には、色とりどりな服装をした西洋婦人たちがむらがっていた。
 歩きながら遠くから見ている彼には、それがまるで虹(にじ)のように見えた。
 それを見ると去年のさまざまな思い出がやっと彼の中にも蘇(よみがえ)って来た。やがて彼には彼女たちのお喋舌(しゃべ)りが手にとるように聞えてきた。彼は彼女たちのそばをまるで小鳥の囀(さえず)っている樹の下を通るような感動をもって通り過ぎた。
 そのとき彼はひょいと、向うの曲り角を一人の少女が曲って行ったのを認めたのである。
 おや、彼女かしら?
 そう思って彼は一気にその曲り角まで歩いて行った。そこには西洋人たちが「巨人の椅子(ジャイアンツ・チェア)」と呼んでいる丘へ通ずる一本の小径(こみち)があり、その小径をいまの少女が歩いて行きつつあった。思ったよりも遠くへ行っていなかった。
 そしてまちがいなく彼女であった。
 彼もホテルとは反対の方向のその小径へ曲った。その小径には彼女きりしか歩いていないのである。彼は彼女に声をかけようとして何故(なぜ)だか躊躇(ちゅうちょ)をした。すると彼は急に変な気持になりだした。彼はすべてのものを水の中でのように空気の中で感ずるのである。たいへん歩きにくい。おもわず魚のようなものをふんづける。彼の貝殻の耳をかすめてゆく小さい魚もいる。自転車のようなものもある。また犬が吠(ほ)えたり、鶏が鳴いたりするのが、はるかな水の表面からのように聞えてくる。そして木の葉がふれあっているのか、水が舐(な)めあっているのか、そういうかすかな音がたえず頭の上でしている。
 彼はもう彼女に声をかけなければいけないと思う。が、そう思うだけで、彼は自分の口がコルクで栓(せん)をされているように感ずる。だんだん頭の上でざわざわいう音が激しくなる。ふと彼はむこうに見おぼえのある紅殻色のバンガロオを見る。
 そのバンガロオのまわりに緑の茂みがあり、その中へ彼女の姿が消えてゆく……
 それを見ると急に彼の意識がはっきりした。彼は彼女のあとからすぐ彼女の家を訪問するのは、すこし工合が悪いと思った。しかたなしに彼はその小径を往(い)ったり来たりしていた。いいことに人はひとりも通らなかった。そうして漸(ようや)く「巨人の椅子」の麓(ふもと)の方から近づいてくる人の足音が聞えたとき、彼は何を思ったのか自分でも分らずに、小径のそばの草叢(くさむら)の中に身をかくした。彼はその隠れ場から一人の西洋人が大股(おおまた)にそして快活そうに歩き過ぎるのを見ていた。

 彼女はまだ庭園の中にいた。彼女はさっき振りかえったときに彼が自分の後から来るのを見たのである。しかし彼女は立止って彼を待とうとはしなかった。なぜかそうすることに羞(はずか)しさを感じた。そして彼女はたえず彼の眼が遠くから自分の脊中に向けられているのをすこしむず痒(がゆ)く感じていた。彼女はその脊中で木の葉の蔭と日向(ひなた)とが美しく混り合いながら絶えず変化していることを想像した。
 彼女は庭園の中で彼を待っていた。しかし彼はなかなか這入(はい)って来なかった。彼が何をぐずぐずしているのか分るような気がした。数分後、彼女はやっと門を這入って来る彼を見たのであった。
 彼はばかに元気よく帽子を取った。それにつり込まれて彼女までが、愛らしい、おどけた微笑を浮べたほどであった。そして彼女は彼と話しはじめるが早いか、彼が肉体を恢復(かいふく)したすべての人のように、みょうに新鮮な感受性を持っているのを見のがさなかった。
「お病気はもういいの?」
「ええ、すっかりいいんです」
 彼はそう答えながら彼女の顔をまぶしそうに見つめた。

 彼女の顔はクラシックの美しさを持っていた。その薔薇の皮膚はすこし重たそうであった。そうして笑う時はそこにただ笑いが漂うようであった。彼はいつもこっそりと彼女を「ルウベンスの偽画」と呼んでいた。
 まぶしそうに彼女を見つめた時、彼はそれをじつに新鮮に感じた。いままでに感じたことのないものが感じられて来るように思った。そうして彼は彼女の歯ばかりを見た。腰ばかりを見た。その間に、彼は病気のことは少しも話そうとはしなかった。そういう現実の煩(うる)さかったことを思い出すことは何の価値もないように彼は思っていた。そのかわりに彼は、真白なクッションのある黒い自動車の中に黄いろい帽子をかぶった娘の乗っていたのが、西洋の小説のように美しかったことなどを好んで話すのだった。そしてその娘の香(にお)いがまだ残っていた美しい自動車に乗ってきたのだと愉快そうに言った。
 しかし彼はその自動車の中に残っていた唾のことは言わないでしまった。そうした方がいいと思ったのだった。が、それを言わないでいると、その唾が花弁のように感じられたあの時の快感がへんに鮮かにいつまでも彼の中に残っていそうな気がするのだ。こいつはいけないと思った。その時から少しずつ彼は吃(ども)るように見えた。そして彼はもう不器用にしか話せなかった。一方、そういう彼を彼女は持てあますのだった。そこでしかたがなしに彼女は言った。
「家へはいりません?」
「ええ」
 しかし二人はもっと庭園の中にいたかった。けれども今の言葉がおかしなものになってしまいそうなので、二人はやっと家の中へはいろうとしたのであった。
 そのとき二人は、露台の上からあたかも天使のように、彼等の方を見下ろしている彼女の母に気がついた。二人は思わず顔を赧(あか)らめながら、それをまぶしそうに見上げた。

        

 翌日、彼女たちはドライヴに彼を誘った。
 自動車は夏の末近い寂しい高原の中を快い音を立てながら走った。
 三人は自動車の中ではほとんど喋舌らないでいた。しかし風景の変化の中に三人ともほとんど同様の快さを感じていたので、それは快い沈黙であった。ときどきかすかな声がその沈黙を破った。が、それはすぐまた元の深い沈黙の中に吸いこまれてしまうので誰も何も言わなかったのではないかと思われるほどのものであった。
「まあ、あの小さい雲……(夫人の指に沿ってずっと目を持ってゆくと、そこに、一つの赤い屋根の上に、ちょうど貝殻のような雲が浮んでいた)ずいぶん可愛らしいじゃないの」
 それから後は浅間山の麓のグリイン・ホテルに着くまで、ずっと夫人の引きしまった指と彼女のふっくらした指をかわるがわる眺(なが)めていた。沈黙がそれを彼に許した。

 ホテルはからっぽだった。もう客がみんな引上げてしまったので今日あたり閉じようと思っていたのだ、とボオイが言っていた。
 バルコニイに出て行った彼等は、季節の去った跡のなんとない醜さをまのあたりの風景に感じずにはいられなかった。ただ浅間山の麓だけが光沢のよいスロオプを滑(なめ)らかに描いていた。
 バルコニイの下に平らな屋根があり、低い欄干をまたぐと、すぐその屋根の上へ出られそうであった。そんなに屋根が平らで、そんなに欄干が低いのを見たとき、彼女が言った。
「ちょっとあの上を歩いてみたいようね」
 夫人は、彼と一しょに下りてもらえばいいじゃないのと彼女に応(こた)えた。それを聞くと彼は無造作に屋根の上に出て行った。彼女も笑いながら彼について来た。そして二人が屋根の端まで歩いて行った時、彼はすこし不安になりだした。それは屋根のわずかな傾斜から身体の不安定が微妙に感じられるせいばかりではなかった。
 その屋根の端で彼はふと彼女の手とその指環(ゆびわ)を見たのである。そして彼女が何でもなかったのに滑りそうな真似(まね)をして指環が彼の指を痛くするほど、彼の手を強く掴(つか)むかも知れないと空想した。すると彼はへんに不安になった。そして急に彼は屋根のわずかな傾斜を鋭く感じだした。
「もう行きましょう」そう彼女が言った時、彼は思わずほっとした。彼女は先に一人でバルコニイに上ってしまった。彼もそのあとから上ろうとして、バルコニイで夫人と彼女の話しあっているのを聞いた。
「何か見えて?」
「ええ、私達の運転手が、下でブランコに乗ってるのを見ちゃったのよ」
「それだけだったの?」
 皿とスプウンの音が聞えてきた。彼はひとりで顔を赧くしながら、バルコニイへ上って行った。

 夫人の「それだけだったの?」を彼はお茶をのんでいる間や、帰途の自動車の中で、しきりに思い出した。その声には夫人の無邪気な笑いがふくまれているようでもあった。また、やさしい皮肉のようでもあった。それからまた、何んでも無いようでもあった。……

        

 翌日、彼が彼女たちの家を訪問すると、二人とも他家(よそ)へ、お茶に招(よ)ばれていて留守だった。
 彼はひとりで「巨人の椅子」に登ってみようとした。が、すぐ、それもつまらない気がして町へ引きかえした。そして本町通りをぶらぶらしていた。すると彼は、彼の行手に一人の見おぼえのあるお嬢さんが歩いているのに気がついた。それは毎年この避暑地に来る或る有名な男爵(だんしゃく)のお嬢さんであった。
 去年なども、彼はよく峠道や森の中でこのお嬢さんが馬に乗っているのに出逢(であ)った。そういう時いつも彼女のまわりには五六人の混血児らしい青年たちがむらがっているのであった。一しょに馬や自転車などを走らせながら。
 彼もこのお嬢さんを刺青(いれずみ)をした蝶(ちょう)のように美しいと思っていた。しかし、それだけのことで、彼はむろんこのお嬢さんのことなどそう気にとめてもいなかった。が、ただ彼女を取りまいているそういう混血児たちは何とはなしに不愉快だった。それは軽い嫉妬(しっと)のようなものであるかも知れないが、それくらいの関心は彼もこのお嬢さんに持っていたと言ってもいいのである。

 それで彼は何の気もなくそのお嬢さんのあとから歩いて行ったが、そのうち向うからちらほらとやってくる人人の中に、ふと一人の青年を認めた。それは去年の夏、ずっと彼女のそばに附添ってテニスやダンスの相手をしていた混血児らしい青年であった。彼はそれを見るとすこし顔をしかめながら出来るだけ早くこの場を離れてしまおうと思った。その時、彼はまことに思いがけないことを発見した。というのは、そのお嬢さんとその青年とは互にすこしも気づかぬように装いながら、そのまますれちがってしまったからである。唯(ただ)、そのすれちがおうとした瞬間、その青年の顔は悪い硝子を透して見るように歪(ゆが)んだ。それからこっそりとお嬢さんの方をふり向いた。その顔にはいかにも苦(にが)にがしいような表情が浮んでいた。
 このエピソオドは彼を妙に感動させた。彼はその意地悪そうなお嬢さんに一種の異常な魅力のようなものをさえ感じた。勿論(もちろん)、彼はその混血児の側にはすこしも同情する気になれなかった。
 その晩はベッドへ横になってからも、何度も同じところへ飛んでくる一匹の蛾(が)のように、そのお嬢さんの姿がうるさいくらいに彼のつぶった眼の中に現れたり消えたりするのであった。彼はそれを払い退(の)けるために彼の「ルウベンスの偽画」を思い浮べようとした。が、それが前者に比べるとまるで変色してしまった古い複製のようにしか見えないことが、一そう彼を苦しめた。

        

 しかし翌朝になってみると、そのふしぎな魅力は夜の蛾のようにもう何処(どこ)かへ姿を消してしまっていた。そうして彼は何となく爽(さわ)やかな気がした。
 午前中、彼は長いこと散歩をした。そして、とあるロッジの中で冷たい牛乳を飲みながら、しばらく休むことにした。彼はこんなに爽やかな気分の中でなら、夫人たちに昨日からのエピソオドを打明けても少しもこだわるようなことはないだろうと思ったほどであった。
 それは町からやや離れた小さな落葉松(からまつ)の林の中にあった。
 木のテエブルに頬杖(ほおづえ)をついている彼の頭上では、一匹の鸚鵡(おうむ)が人間の声を真似していた。
 しかし彼はその鸚鵡の言葉を聴(き)こうとはしなかった。彼は熱心に彼の「ルウベンスの偽画」を虚空に描いていた。それが何時(いつ)になく生き生きした色彩を帯びているのが彼には快かった。……
 その瞬間、彼は彼のところからは木の枝に遮(さえ)ぎられて見えない小径の上を二台の自転車が走って来て、そのロッジの前に停まるのを聞いた。それからまだその姿は見えないけれど、若い娘特有の透明な声が聞えてきた。
「なんか飲んで行かない?」
 その声を聞くと彼はびっくりした。
「またかい。これで三度目だぜ」そう若い男の声が応じた。
 彼は何となく不安そうにロッジの中にはいってくる二人を見つめた。意外にもそれはきのうのお嬢さんだった。それから彼のはじめて見る上品な顔つきをした青年だった。
 その青年は彼をちらりと見て、彼から一番離れたテエブルに坐ろうとした。するとお嬢さんが言った。
「鸚鵡のそばの方がいいわ」
 そして二人は彼のすぐ隣りのテエブルに坐った。
 お嬢さんは彼に脊なかを向けて坐ったが、彼には何だかわざとかの女がそうしたように思われた。鸚鵡は一そう喧(やか)ましく人真似(ひとまね)をしだした。かの女はときどきその鸚鵡を見るために脊なかを動かした。その度毎(たびごと)に彼はかの女の脊なかから彼の眼をそらした。
 お嬢さんはその青年と鸚鵡とをかわるがわる相手にしながら絶えず喋舌(しゃべ)っていた。その声はどうかすると「ルウベンスの偽画」の声にそっくりになった。さっきこのお嬢さんの声を聞いて彼がびっくりしたのはそのせいであったのだ。
 お嬢さんの相手の青年はその顔つきばかりではなしに、全体の上品な様子が去年の混血児たちとはすこぶる異(ちが)っていた。すべてがいかにもおっとりとして貴族的であった。そういう両者の対照の中に彼は何となくツルゲエネフの小説めいたものさえ感じたほどだった。この頃になってこのお嬢さんはやっとかの女の境涯を自覚しだしたのかも知れない。……そんなことをいい気になって空想していると、彼は彼自身までがうっかりその小説の中に引きずり込まれて行きそうで不安になった。
 彼はもっとここに居てみようか、それとも出て行ってしまおうかと暫(しばら)く躊躇(ちゅうちょ)していた。鸚鵡は相変らず人間の声を真似していた。それをいくら聴いていても、彼にはその言葉がすこしも分らなかった。それが彼にはなんだか彼の心の中の混雑を暗示するように思われた。
 彼はいきなり立ちあがると不器用な歩き方でロッジを出て行った。
 ロッジのそとへ出ると、二台の自転車がそのハンドルとハンドルとを、腕と腕とのようにからみあわせながら、奇妙な恰好(かっこう)で、そこの草の上に倒れているのを彼は見た。
 そのとき彼の背後からお嬢さんの高らかな笑い声が聞えてきた。
 彼はそれを聞きながら、自分の体の中にいきなり悪い音楽のようなものが湧(わ)き上ってくるのを感じた。
 悪い音楽。たしかにそうだ。彼を受持っているすこし頭の悪い天使がときどき調子はずれのギタルを弾(ひ)きだすのにちがいない。
 彼は自分の受持の天使の頭の悪さにはいつも閉口していた。彼の天使は彼に一度も正確にカルタの札を分配してくれたことがないのだ。
 或る晩のことであった。
 彼は彼女の家から彼のホテルへのまっ暗な小径(こみち)を、なんだか得体の知れない空虚な気持を持てあましながら帰りつつあった。
 その時前方の暗やみの中から一組の若い西洋人達が近づいてくるのを彼は認めた。
 男の方は懐中電気でもって足もとを照らしていた。そしてときどきその電気のひかりを女の顔の上にあてた。するとそのきらきら光る小さな円の中に若い女の顔がまぶしそうに浮び出た。
 それを見るためには、その女が彼よりずっと脊が高かったので、彼はほとんど見上げるようにしなければならなかった。そういう姿勢で見ると、若い女の顔はいかにも神神(こうごう)しく思われた。
 一瞬間の後、男は再び懐中電気をまっ暗な足もとに落した。
 彼は彼等(ら)とすれちがいながら、彼等の腕と腕が頭文字(かしらもじ)のようにからみあっているのを発見した。それから彼はその暗やみの中に一人きりに取残されながら、なんだか気味のわるいくらいに亢奮(こうふん)しだした。彼は死にたいような気にさえなった。
 そういう気持は悪い音楽を聞いたあとの感動に非常に似ていた。

 そういう音楽的なへんな亢奮をしきりに振り落そうとして、彼はその朝もそこら中をむちゃくちゃに歩き廻った。そのうちに彼は一つの見知らない小径に出た。
 そこいらは一度も来たことのないせいか、町から非常に遠く離れてしまったかのように思われた。
 そのとき彼はふと自分の名前を呼ばれたような気がした。あたりを見廻してみたが、それらしいものは見えなかった。おかしいなと思っていると、また彼の名前を呼ぶものがあった。今度はややはっきり聞えたのでその声のした方を振り向いてみると、そこには彼のいる小径から三尺ばかり高まった草叢(くさむら)があり、その向うに一人の男がカンバスに向っているのが見えるのだ。その男の顔を見ると彼は一人の友人を思い出した。
 彼はやっとこさその上に這(は)い上って、その友人のそばへ近よって行った。が、その友人は、彼にはべつに何にも話しかけようとせずに、そのまま熱心にカンバスに向っていた。彼も話しかけない方がいいのだろうと思った。そうしてそこへ腰を下ろしたまま黙ってその描きかけの絵を見まもっていた。彼はときどきその絵のモチイフになっている風景をそのあたりに捜したりした。しかしそれらしい風景はどうしても捜しあてることが出来なかった。なにしろその画布の上には、唯(ただ)、さまざまな色をした魚のようなものや小鳥のようなものや花のようなものが入り混っているだけだったから。
 しばらくその奇妙な絵に見入っていたが、やがて彼はそっと立ちあがった。すると立ちあがりつつある彼を見上げながら、友人は言った。
「まあ、いいじゃないか。僕は今日(きょう)東京へ帰るんだよ」
「今日帰る? だって、まだその絵、出来てないんじゃないの?」
「出来てないよ。だが僕はもう帰らなければならないんだ」
「どうしてさ」
 友人はそれに答えるかわりに再び自分の絵の上に眼を落した。しばらくその一部分に彼の眼は強く吸いつけられているかのようであった。

        

 彼はひとり先きにホテルに帰って、昼食を共にしようと約束をしたさっきの友人の来るのを客間で待っていた。
 彼は客間の窓から顔を出して中庭に咲いている向日葵(ひまわり)の花をぼんやり眺(なが)めていた。それは西洋人よりも脊高く伸びていた。
 ホテルの裏のテニス・コオトからはまるで三鞭酒(シャンパン)を抜くようなラケットの音が愉快そうに聞えてくるのである。
 彼は突然立上った。そして窓ぎわの卓子の前に坐り直した。それから彼はペンを取りあげた。しかしその上にはあいにく一枚の紙もなかったので、彼はそこに備え付けの大きな吸取紙の上に不恰好(ぶかっこう)な字をいくつもにじませて行った。

ホテルは鸚鵡(おうむ)
鸚鵡の耳からジュリエットが顔を出す
しかしロミオは居りません
ロミオはテニスをしているのでしょう
鸚鵡が口をあけたら
黒ん坊がまる見えになった



 



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底本:「燃ゆる頬・聖家族」新潮文庫、新潮社
   1947(昭和22)年11月30日発行
   1970(昭和45)年3月30日26刷改版
   1987(昭和62)年10月20日51刷
初出:第1稿、「山繭」第2巻第6号
   1927(昭和2)年2月1日号
   改稿、「創作月刊」文藝春秋社
   1929(昭和4)年1月号
初収単行本:「不器用な天使」改造社
   1930(昭和5)年7月3日
改稿版:「ルウベンスの偽画」江川書房
   1933(昭和8)年2月1日
※初出情報は、「堀辰雄全集第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
入力:kompass
校正:染川隆俊
2004年1月21日作成
青空文庫作成ファイル:

横光利一 [ 鵜飼] 2000字

2008-08-25 00:35:04 | 17 ◎調べもの文芸文庫
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鵜飼
横光利一



 どこかで計画しているだろうと思うようなこと、想像で計り知られるようなこと、実際これはこうなる、あれはああなると思うような何んでもない、簡単なことが渦巻き返して来ると、ルーレットの盤の停止点を見詰めるように、停るまでは動きが分らなくなるという魔力に人はかかってしまう。動くのと停るのと、どこでどんなに違うのかと思う暇もなく、停ると同時に早や次の運動が波立ち上り巻き返す――これは鵜飼の舟が矢のように下ってくる篝火の下で、演じられた光景を見たときも感じたことだが、一人のものが十二羽の鵜の首を縛った綱を握り、水流の波紋と闘いつつ、それぞれに競い合う本能的な力の乱れを捌き下る、間断のない注意力で鮎を漁る熟練のさ中で、ふと私は流れる人生の火を見た思いになり遠く行き過ぎてしまった篝火の後の闇に没し、手さぐりながらまた考えた。思想の体系が一つの物体と化して撃ち合う今世紀の音響というものは、このように爆薬の音響と等しくなったということは、この度が初めでありまた最後ではないだろうかと。それぞれ人人は何らかの思想の体系の中に自分を編入したり、されたりしたことを意識しているにちがいない現在、――いかなるものも、自分が戦争に関係がないと云えたものなど一人もいない現在の宿命の中で、何を考え、何の不平を云おうとしているのであろうか。鵜のように人人の首に締った綱を握っているものは世界でただ一人である。また、このものは誰かということも、誰も知ることなど出来る筈はない。合理がこれを動かすのか、非合理がこれを動かすのかそれさえ分らぬ。ただ分っていることは、人人は神を信じるか、それとも自分の頭を信じるかという難問のうちの、一つを選ぶ能力に頼るだけである。他の文句など全く不必要なこんなときでも、まだ何とかかとか人は云い出す運動体だということ、停ったかと思うと直ちに動き出すこのルーレットが、どの人間の中にも一つずつあるという鵜飼い――およそ誰でも、自分が鵜であるか、鵜の首を握っている漁夫であるか考えるにちがいない人間の世界で、秘密はただ一つ、綱にあるということを私は見て来た。綱は漁夫でもなければ鵜でもない。その二つをつなぐものである。この綱は二本の繊維素で出来ている所謂(いわゆ)る綱であり、この綱は捻じれたままの方向に捻じればますます強くなるだけだが、一たび逆に捻じれば直ちに断ち切れ、鵜の首を自由にしてその生命を救う仕掛けを持った綱であった。
 私は物の運動というものの理想を鵜飼で初めて見たと思ったが、綱を切る切らぬの判断は、鵜を使う漁夫の手にあるのもまた知った。私は世界の運動を鵜飼と同様だとは思わないが、急流を下り競いながら、獲物を捕る動作を赤赤と照す篝火の円光を眼にすると、その火の中を貫いてなお灼かれず、しなやかに揺れたわみ、張り切りつつ錯綜する綱の動きもまた、世界の運動の法則とどことなく似ているものを感じた。
 世界は鵜飼の遊楽か、鮎を捕る生業かということよりも、その楽しさと後の寂しさとの沈みゆくところ、自らそれぞれ自分の胸に帰って来るという、得も云われぬ動と静との結婚の祭りを、私はただ合掌するばかりに眺めただけだ。一度、人は心から自分の手の平を合して見るが良い。とどの詰りはそれより無く、もし有ったところで、それは物があるということだけかも知れぬ。人人の認識というものはただ見たことだけだ。雑念はすべて誤りという不可思議な中で、しきりに人は思わねばならぬ。思いを殺し、腰蓑の鋭さに水滴を弾いて、夢、まぼろしのごとく闇から来り、闇に没してゆく鵜飼の灯の燃え流れる瞬間の美しさ、儚なさの通過する舞台で、私らの舟も舷舷相摩すきしみを立て、競り合い揺れ合い鵜飼の後を追う。目的を問う愚もなさず、過去を眺める弱さもない。ただ一点を見詰めた感覚の鍔(つば)競り合いに身を任せて、停止するところまで行くのである。未来は鵜の描く猛猛(たけだけ)しい緊張の態勢にあって、やがて口から吐き流れる無数の鮎の銀線が火に映る。私は翌日鵜匠から鵜をあやつった綱を貰ったが、火にもやけぬこの綱は、逆に捻じればぽろりと切れた。この微妙な考案力はどこから来たのかいまだに私は不思議である。





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底本:「日本の名随筆2 鳥」作品社
   1983(昭和58)年4月25日初版発行
   1987(昭和62)年8月10日6刷
底本の親本:「定本横光利一全集 第一三巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年7月初版発行
入力:とみ~ばあ
校正:もりみつじゅんじ
2000年10月6日公開
2005年11月8日修正
青空文庫作成ファイル: