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THE PURLOINED LETTER Edgar Allan Poe佐々木直次郎訳

2008-08-24 19:43:31 | Weblog
盗まれた手紙
THE PURLOINED LETTER
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳



[#ページ中央]

Nil sapienti odiosius acumine nimio.
(叡智にとりてあまりに鋭敏すぎるほど忌むべきはなし)
セネカ(1)


[#改ページ]





 パリで、一八――年の秋のある風の吹きすさぶ晩、暗くなって間もなく、私は友人C・オーギュスト・デュパンと一緒に、郭外(フォーブール)サン・ジェルマンのデュノー街三十三番地四階にある彼の小さな裏向きの図書室、つまり書斎で、黙想と海泡石(かいほうせき)のパイプとの二重の快楽にふけっていた。少なくとも一時間というものは、我々は深い沈黙をつづけていた。そして誰かがひょっと見たら、二人とも、部屋じゅうに濛々(もうもう)と立ちこめた煙草のけむりがくるくると渦巻くのに、すっかり心を奪われているように見えたかもしれない。しかし、私自身は、その晩の早いころ我々の話題になっていたある題目のことを、心のなかで考えていたのだった。というのは、あのモルグ街の事件と、マリー・ロジェエ殺しの怪事件のことなのである。だから、部屋の扉が開いて、我々の古馴染(ふるなじみ)のパリの警視総監G――氏(2)が入ってきたとき、私にはそれがなにか暗合のように思われたのであった。
 我々は心から彼を歓迎した。この男には軽蔑(けいべつ)したいところもあるが面白いところもあったし、それに我々はここ数年間、彼に会わなかったからである。二人はそれまで暗いところに坐っていたので、デュパンはすぐランプをつけようとして立ち上がったが、G――がある非常に困っている公務について、我々に相談に、というよりも私の友の意見をききに来たのだというと、デュパンはそのままふたたび腰を下ろした。
「もしなにかよく考える必要のあることなら、暗闇のなかで考えたほうがいいでしょう」と彼は灯心に火をつけるのをよして、言った。
「また君の奇妙な考えですな」と総監が言った。彼は自分のわからないことはなんでもみんな『奇妙な』という癖なので、まったく『奇妙なこと』だらけの真ん中に生きているのだった。
「いかにも、そのとおり」とデュパンは言って、客に煙草をすすめ、坐り心地のよい椅子を彼の方へ押しやった。
「ところで今度の面倒なことというのはなんですか?」と私が尋ねた。「殺人事件なんぞはもうご免こうむりたいものですな」
「いやいや、そんなものじゃないんだ。実は、事がらはいたって単純なので、我々だけで十分うまくやってゆけるとは思うんだが、でもデュパン君がきっとその詳しいことを聞きたがるだろうと思ったんでね。なにしろとても奇妙なことなんだから」
「単純で奇妙、か」とデュパンが言った。
「うむ、さよう。で、またどちらとも、そのとおりでもないので。実は、事件は実に単純なんだが、しかも我々をまったく迷わせるので、ひどく参っている始末なんだ」
「じゃ、たぶん、事がらがあまり単純なので、それがかえって、あなた方を当惑させているんだな」と友が言った。
「ばかを言っちゃいかん!」と、総監は心から笑いながら答えた。
「きっと、その謎(なぞ)はちと、はっきりしすぎるかな」と、デュパンが言った。
「おやおや! そんな考えってあるもんかね?」
「少々わかりきっていすぎるんだよ」
「は、は、は! ――は、は、は! ――ほ、ほ、ほ!」と客はたいそう面白がって大笑いした。「おお、デュパン君、こう笑わされちゃ助からんよ!」
「ところで、いったいどんな事件が起っているんですか?」と私が尋ねた。
「じゃあ、お話ししようか」と総監は、煙草のけむりを長く、しっかりと、考えこむように吹かし、自分の椅子に坐りこんで、答えた。「手短かに話しましょう。だがその前にご注意願いたいのは、これは絶対秘密を要する事件で、もし僕が他人に洩らしたことが知れたら、僕はおそらくいまの地位を失わねばならん、ということです」
「まあ、お始めなさい」と私が言った。
「なんなら、およしになっても」とデュパンが言った。
「では、話しましょう。ある高貴の筋から内々で僕に通知があって、宮廷から、絶対に重要なある書類が盗まれたというのです。盗んだ当人はちゃんとわかっているんだ。それには疑いはない。取るところを見られているんだからね。また、その男がまだそれを持っていることもわかっているのです」
「それが、どうしてわかっているんです?」とデュパンが尋ねた。
「それは、その書類の性質からと、また、それが盗んだ人間の手を離れるとすぐ現われるはずのある結果がまだ現われないことから、はっきり考えられるのです。――つまり、彼が最後にそれを使うはずの、その使い方から起きる結果が現われていないんでね」と総監が答えた。
「もう少しはっきり願いたい」と私が言った。
「よろしい。じゃあ思いきって言うが、その文書はそれを持っている者に、ある方面である種の勢力を与えるのだ。そこではそういう勢力は莫大な価値があるのです」総監は外交用語を使うのが好きだった。
「まだ私にはすっかりわからんが」とデュパンが言った。
「わからない? よろしい。その書類を、名は言えないがある第三者にあばくと、ある非常に高い地位の方の名誉にかかわるのですな。そしてこの事実は、書類の所持者にその高貴な方に対して権力を揮(ふる)わせ、その方の名誉と平和とが危うくされているのです」
「しかしその権力なるものは」と私は語をはさんだ。「盗まれた人が盗んだ人を知っているということを、その盗んだ当人が知ってのことでしょう。誰がそんなひどいことを――」
「ところが盗んだ人というのは」と、G――は言った。「男らしいことであろうとなかろうと、どんなことでも平気でやるあのD――大臣ですよ。その盗み方は、大胆であるとともに巧妙でもあったのです。その書類は――うち明けて申せば、手紙なんですが――その盗まれたお方が、王宮の奥の間にお一人でいらしたときにお受け取りになられたものです。そのご婦人がそれを読んでおいでになるときに、もう一人の高貴な方がふいに入って来られた。ところが、そのご婦人は、その手紙をとりわけその方には見せたくないと思っておられたものなんですな。で、急いでそれを引出しのなかへ押しこもうとされたが駄目だったので、仕方なしに開いたままテーブルの上にお置きになりました。でも、宛名がいちばん上になっていて、したがって内容のところが隠れていたので、手紙はべつに注意されずにすんだというわけでした。このときにD――大臣が入って来たのです。彼の山猫のような眼はすぐその手紙を見つけ、宛名の筆蹟(ひっせき)を認め、それから受取人の方(かた)の狼狽しておられるのを見てとり、その方の秘密を知ってしまったのですな。いつものように用向きを手早くすませると、彼は例の手紙といくらか似ている一通の手紙を取り出して、それを開き、ちょっと読むようなふりをして、それからその問題の手紙とぴったり並べて置きました。そしてまた、十五分ばかり公務について話をする。さて退出するときに、彼はテーブルから自分のものでない手紙を失敬して行ったのですよ。その手紙のほんとうの所有者はそれを見ておられたけれども、その第三者の方がすぐ側に立っておられるところで、もちろん、その行為をとがめるわけにもゆかなかったんですね。大臣は、自分の手紙を――大事でもなんでもないのを――テーブルの上に残して、さっさと引き上げたんです」
「なるほど、そこで」とデュパンが私の方を向いて言った。「君の言っているその権力なるものが完全に揮われるわけがちゃんとわかったことになるんだね。――盗まれた人が盗んだ人を知っているということを、盗んだ当人が知っている、ということが」
「そうなんだ」と総監が答えた。「それで、こうしてにぎられた勢力は、この数カ月の間、政治上の目的に、はなはだ危険な程度にまで利用されてきているんでね。盗まれた方はご自分の手紙を取りもどす必要を、日ごとに痛切に感じておられる。だが、これはむろん大っぴらにやるわけにはゆかない。とうとう思いあまって、事をわたしにおまかせになったのです」
「なるほど、あなた以上に賢明なやり手は望めないし、想像もされないですからな」とデュパンは濛々とけむりの渦巻くなかで言った。
「お世辞を言っちゃいけませんよ。しかし、まあ、そんなようなことかもしれないな」と総監は答えた。
「あなたのおっしゃるとおり」と私が言った。「その手紙がまだ大臣の手にあることは明らかですね。権力を与えるのは、手紙をなにかに使うことではなくて、それを持っていることなんだから。使ってしまえば権力はなくなるわけだ」
「そのとおり」とG――は言った。「で、その確信のもとに、私は捜査をすすめたのです。まず第一になすべきことは、大臣の邸をすっかり捜索することでした。そして、そこでわたしのいちばん困ったのは、彼に知られないで捜索しなければならんということでしたよ。なによりも、我々の計画を彼に疑われるようになると、危険が生ずるかもしれないということを、わたしは警告されたんですから」
「ですが」と私は言った。「そのような調査は、あなた方にはまったくお手のものでしょう。パリの警察はいままでにそんなことは何度もやったことがあるんだから」
「そうですとも。だからわたしは失望しなかったんです。それに、大臣の習慣もわたしには非常に好都合でした。彼はよく一晩じゅう家をあけるのです。召使もたくさん使っていない。彼らは主人の部屋から離れたところに寝ているし、主にナポリ人だから、造作なく酔わせてしまえるのです。ご承知のとおり、わたしはパリじゅうのどんな部屋だろうが戸棚だろうがあけられる鍵(かぎ)を持っている。この三カ月というものは、一晩だってその大部分をわたしが自身でD――の邸をくまなく捜さずに過したことはありません。わたしの名誉にかかわることだし、それにほんとうのことを言ってしまえば、報酬はすばらしいんですよ。だからわたしは捜索をやめずにつづけていたのですが、とうとう、盗んだ男はわたしよりももっとはしっこい人間だということが十分にわかって、やめてしまいました。あの書類を隠すことのできそうな屋敷じゅうのどんなすみずみまでも調べたつもりなんですがねえ」
「しかしですね」と、私は提言した。「その手紙がたしかに大臣の手にあるとしても、彼がそれを自分の屋敷以外のどこかに隠しているかもしれん、ということはありえないでしょうか?」
「そいつはまずほとんどありえないことだね」とデュパンが言った。「宮廷での現在の特殊の事情と、とりわけ、D――の関係しているという評判のあの陰謀問題とから、その書類をすぐ間に合わせることが、それを即座に取り出せることが――それを持っていることとほとんど同じくらい重要なことなんだからな」
「それを取り出せることと言うと?」と私は言った。
「つまり、やぶいてしまえることさ」と、デュパンが言った。
「なるほど」と私は言った。「じゃあ、その書類は明らかに屋敷内にあるわけだ。大臣がそれを体につけているなんてことについては、問題にしなくてもいいんでしょうな」
「ぜんぜんないね」と総監は言った。「追剥(おいはぎ)の仕業のように見せて二度も彼を待ち伏せして、僕自身の監視のもとに厳重に体を捜させたんだから」
「そんな厄介なことはしなくたってよかったろうにね」とデュパンが言った。「D――だってまんざら馬鹿でもないだろうと思う。とすれば、そんな待ち伏せされることなんぞは当然のこととして、予期していたにちがいないでしょうよ」
「まんざら馬鹿ではね」とG――は言った。「だが、あの男は詩人ですぜ。詩人なんてものは馬鹿とほんの一隔てだとわたしは思っていますよ」
「いかにも」デュパンは海泡石のパイプからゆったりと、考えこんででもいるように、煙草のけむりを吹き出してから、言った。「もっとも僕だってへぼ詩を作ったことがあるんだが」
「あなたの捜索のことをすっかり詳しくお話しになってはどうでしょう」と私が言った。
「おお、そうですな。いや、もう、我々は時間をかけてゆっくり、どこもここもみんな捜した、というわけなんです。こういった仕事には僕は永年の経験があるんで。僕は建物全体を一部屋ごとにかかり、一部屋に満一週間の夜を費やしました。初めに各室の家具を調べたのです。ありとあらゆる引出しをあけてみました。ご承知のことと思うが、相当に熟練した警察官にとっては、秘密の引出しなどというようなものはありえないのです。こういう捜索にあたって『秘密の』引出しがその眼につかないと思う者がいるなら、そりゃあ阿呆ですよ。それほどやさしいことなんです。どんな戸棚でもみんな、測られる容積の――空間の――ある一定の量がある。ところで我々は正確な物差を持っている。一ライン(3)の五十分の一だって見おとすはずはない。戸棚のつぎには椅子を調べました。クッションは、僕が使っているのをご覧になったことのある、あの細い、長い針で探ってみました。テーブルからは上板を取りのけてみました。
「なぜそんなことを?」
「テーブルや、それに似たような作りの家具の上板は、ときどき、物を隠そうとする人が取りのけることがあるのです。そうして脚に穴をあけ、品物をそのなかへ入れて、上板をもとのとおりにしておくんですよ。寝台の柱の底や頭も同じぐあいに使われます」
「しかし、そんな穴は叩いてみたら音でわかりはしませんかね?」と私は尋ねた。
「品物を入れるときに、そのまわりに綿を十分につめれば、決してわからない。そのうえに、我々の場合では、なにしろ音をたてずにやらにゃならなかったんだから」
「しかし、あなただって、物の入れられそうな家具をどれもこれもみんな取りはずすことはできなかったでしょう、――ばらばらにすることはできなかったでしょう。手紙の一通くらいなら、細くぐるぐる巻けば、大きな編物針と形も大きさも大して違わないものに巻き縮められる。そんなふうにすれば、たとえば椅子の桟のなかへでも差しこむことができるかもしれん。あなたは椅子を一つ残らずばらばらにしやしなかったでしょう?」
「そりゃあしませんでしたがね。だが我々はもっとうまくやりましたよ、――邸じゅうのあらゆる椅子の桟、それから実際あらゆる種類の家具の接目(つぎめ)を、非常に強度の拡大鏡を使って調べたんです。近ごろ手をつけたような跡が少しでもあれば、すぐに我々の眼につかないはずはない。たとえば、錐(きり)くずの一粒でも、林檎(りんご)みたいにはっきりしたでしょうよ。膠(にかわ)づけが少しでも変だったり――接目が少しでも普通以上に開いていたり――すれば、それだけで十分に見破られたでしょう」
「鏡はご注意なすったでしょうね、板とガラスとのあいだを。また寝台や寝具はお探りになったでしょうね。それからカーテンや絨毯(じゅうたん)も」
「それはもちろん。そんなふうにして家具を一つ残らずすっかりやってしまうと、今度は家の全面を区画して、一つでも見おとしをしないように、それに番号をつけました。それから屋敷じゅうを各平方インチごとに、そのすぐ隣の二軒も含めて、前のように、拡大鏡で精密に調べたのです」
「隣の二軒の家も!」と私は叫んだ。「そりゃあさぞたいへんなお骨折りだったでしょうなあ」
「そうでしたよ。でもなにしろ報酬が莫大なんでね」
「家の周囲の地面も含めておやりになったんですね?」
「地面にはすっかり煉瓦(れんが)が敷いてあるんでね、それほど骨を折らずにすみましたよ。煉瓦のあいだの苔(こけ)を調べたんだが、動かされていないことがわかったのです」
「むろんD――の書類のあいだや、図書室の書物のなかもご覧になりましたね?」
「いや、見ましたとも。荷物や包みはかたっぱしからあけてみました。書物はみんな、ある警察官たちのやるように、ただ振ってみるだけでは満足できなかったのでね、あけてみるばかりでなく、一冊ごとに一枚一枚めくってみました。また本の表紙もみんな非常に正確に厚さを測り、一つ一つ拡大鏡でうんと注意ぶかく調べました。最近に装釘(そうてい)に手をつけたものがあれば、眼にとまらないなんてことは絶対になかったはずです。製本屋から来たばかりの五、六冊の本は、針で念入りに探ってみました」
「絨毯の下の床はお調べになりましたね?」
「たしかに。絨毯はみんな剥(は)いで、床板を拡大鏡で調べました」
「それから壁紙も?」
「ええ」
「穴蔵も見ましたね?」
「見ました」
「それじゃあ」と私は言った。「あなたは見込み違いをしていらしたのでしょう。手紙はあなたが想像なさるように屋敷のなかにはないんですよ」
「僕もそうじゃなかろうかと思う」と総監が言った。「で、デュパン君、どうしたらいいでしょうね?」
「屋敷をもう一度完全に捜すんですな」
「それはぜんぜん不要だ」とG――が答えた。「手紙が邸のなかにないことは、僕が生きているのと同じくらい確かですよ」
「だが、僕にはそれ以上の助言はできないのです」とデュパンは言った。「あなたは、もちろん、その手紙の正確な説明書を持っているでしょうね?」
「ええ、もちろんですとも!」――そう言うと、総監は手帳を取り出して、紛失した書類のなかの様子と、ことに外観を詳しく書いたものを、大きな声で読みはじめた。その説明書を読みおわってしまうと間もなく、彼は帰って行ったが、私はいままで、この善良な紳士がこれほどすっかり意気銷沈(しょうちん)しているのを見たことがなかった。
 その後一月ほどたってから、彼はまた我々を訪ねてきたが、そのときも我々二人は前とほとんど同じようなことをしていた。彼はパイプを取り、椅子に腰を下ろし、なにか普通の話を始めた。とうとう、私は言いだした。――
「ところで、G――さん、例の盗まれた手紙はどうなりました? あの大臣を出し抜くなんてことはとてもできないと、とうとう諦(あきら)めたようですな?」
「あの畜生、いまいましい奴だ、――そうですよ。デュパン君が言ってくれたとおりに、僕はもう一度調べてみました、――が、やっぱり思ったとおり、まったく無駄骨を折ったばかりだったよ」
「報酬はどれだけだと言いましたかね?」とデュパンが尋ねた。
「うむ、大したものだ、非常にたくさんな報酬だ、はっきりいくらとは言いたくないのだが、誰でもあの手紙を僕に渡してくれる人には、僕の小切手で五万フランあげてもかまわない、ということだけは言っておきましょう。実は、あれは日ごとに重要になってきているので、報酬が最近二倍にされたんです。だが、たとえ三倍にされたところで、僕はいままでしたことより以上にはなにもできまい」
「ふむ、なるほど」デュパンは海泡石のパイプを吹かす合間に、ゆっくりと言った。「僕は思うんだがね――G――、あなたはこの事件に対してまだできるだけ――骨を折ってはいないようですな。あなたはもうちっと――やれたと僕は思うんだがな、え?」
「どうして? ――どんなふうに?」
「なあにね、――パッ、パッ――あなたは――パッ、パッ――この事件について人の意見を用いたらよかったろうにね、え? パッ、パッ、パッ。――あなたはアバニシー(4)の話を覚えていますか?」
「いいや。アバニシーなんぞくたばってしまえだ!」
「ごもっとも! くたばってしまえでけっこう。だがね、あるとき、ある金持の吝嗇家(けちんぼ)が、そのアバニシーに医療上の意見をただで聞こうという工夫をしたんです。そこで、どこかで会ったとき世間話を始めて、もしもこういう患者がいたなら、というふうにして、自分の病症をその医者に話したのですな。
『その男の症候はこうこうだということにいたしますと、さて、先生、あなたならその男になにを用いろとおっしゃいますか?』とその吝嗇家がきいたんですね。
『さよう、無論、医者の助言を用いるんですな!』とアバニシーは言ったそうですよ」
「だが」と総監は少しむっとして言った。「僕は完全に喜んで助言を用いますし、そのお礼も払いますよ。この事件でわたしを助けてくれる人があれば誰にでも五万フランをほんとうにあげるつもりなんです」
「それなら」とデュパンは引出しをあけて小切手帳を取り出しながら答えた。「それだけの額の小切手を僕に書いて下すってもいいでしょう。それに署名したら、あの手紙を渡しましょう」
 私はびっくりした。総監はまったく雷に打たれたようだった。彼はちょっとのあいだ、ものも言わず、身動きもせず、口をぽかんとあけ、眼の玉がとび出るようにして、信じられないというふうに私の友を眺めていた。それから、どうやら我に返ったらしく、ペンをつかんで、なんども止めたりぼんやり眺めたりしたのち、やっと五万フランの小切手を書いて署名し、テーブル越しにデュパンに渡した。デュパンはそれを念入りに調べて紙入れにしまい、それから写字台(エスクリトワール)の引出しの錠をあけ、そこから一通の手紙を出して、総監にやった。総監は狂気せんばかりにそれをしっかりつかみ、震える手で開いて、その内容を大急ぎでちらりと見、それから扉の方へよろめきよると、とうとう無作法にも、さっきデュパンが小切手を書いてくれと言ったときからひと言も口をきかずに、部屋から、そして家から跳び出して行ったのであった。
 彼が行ってしまうと、デュパンは説明をしはじめた。


 




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底本:「モルグ街の殺人事件」新潮文庫、新潮社
   1951(昭和26)年8月15日発行
   1977(昭和52)年5月10日40刷改版
   1986(昭和61)年10月15日59刷
※(1)~(20)は訳注番号です。底本では、直前の文字の右横に、ルビのように小書きされています。また数字は縦中横になっています。
入力:鈴木厚司
校正:小酒井博士
2004年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:

直木賞作家出身大学ランキング    『井伏鱒二選集』後記

2008-08-24 19:15:04 | Weblog
直木賞作家出身大学ランキング(出典:http://univranking.jugem.jp/?eid=183)

直木賞作家出身大学ランキング

1位 早稲田大学 32人
2位 慶應義塾大学 13人
2位 東京大学 13人
4位 山形大学 4人
5位 立教大学 3人
5位 成蹊大学 3人
5位 國學院大學 3人
5位 東北大学 3人
5位 中央大学 3人
5位 大阪大学 3人
11位 明治大学 2人
11位 大阪府立大学 2人
11位 九州大学 2人
11位 同志社大学 2人
11位 熊本大学 2人
11位 新潟大学 2人
11位 東京女子大学 2人
11位 一橋大学 2人
19位 目白大学 1人
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19位 東京学芸大学 1人
19位 金沢学院大学 1人
19位 日本大学 1人
19位 ノートルダム清心女子大学 1人
19位 国際基督教大学 1人
19位 藤女子大学 1人
19位 青山学院大学 1人
19位 武蔵野美術大学 1人
19位 関西外国語大学 1人
19位 上智大学 1人
19位 北海道大学 1人
19位 札幌医科大学 1人
19位 京都大学 1人
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19位 京都女子大学 1人
19位 大正大学 1人
19位 立命館大学 1人
19位 電気通信大学 1人
19位 金沢大学 1人
19位 法政大学 1人
19位 東京外国語大学 1人


Category:直木賞受賞者
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直木三十五賞を受賞した小説家に関するカテゴリ。

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直木三十五賞

青島幸男(早稲田)
赤瀬川隼
浅田次郎
芦原すなお
阿刀田高(早稲田)
阿部牧郎
有明夏夫
有馬頼義
泡坂妻夫
安西篤子
安藤鶴夫

生島治郎(早稲田大学)
池波正太郎
石田衣良
伊集院静(立教大学)
五木寛之(早稲田大学)
井出孫六
伊藤桂一
井上ひさし(上智大学)
  
  「東に井上ひさし」「西に藤本義一」ライバル。



井伏鱒二(早稲田大学)
 
『井伏鱒二選集』後記
太宰治
     第一巻

 ことしの夏、私はすこしからだ具合いを悪くして寝たり起きたり、そのあいだ私の読書は、ほとんど井伏さんの著書に限られていた。筑摩書房の古田氏から、井伏さんの選集を編むことを頼まれていたからでもあったのだが、しかし、また、このような機会を利用して、私がほとんど二十五年間かわらずに敬愛しつづけて来た井伏鱒二と言う作家の作品全部を、あらためて読み直してみる事も、太宰という愚かな弟子の身の上にとって、ただごとに非ざる良薬になるかも知れぬという、いささか利己的な期待も無いわけでは無かったのである。
 二十五年間? 活字のあやまりではないだろうか。太宰は、まだ三十九歳の筈である。三十九から二十五を引くと、十四だ。
 しかし、それは、決して活字のあやまりではないのである。私は十四のとしから、井伏さんの作品を愛読していたのである。二十五年前、あれは大震災のとしではなかったかしら、井伏さんは或るささやかな同人雑誌に、はじめてその作品を発表なさって、当時、北の端の青森の中学一年生だった私は、それを読んで、坐っておられなかったくらいに興奮した。それは、「山椒魚(さんしょううお)」という作品であった。童話だと思って読んだのではない。当時すでに私は、かなりの小説通を以(もっ)てひそかに自任していたのである。そうして、「山椒魚」に接して、私は埋もれたる無名不遇の天才を発見したと思って興奮したのである。
 嘘ではないか? 太宰は、よく法螺(ほら)を吹くぜ。東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さんの創作集が五、六冊も出てからやっと、井伏鱒二という名前を発見したというような「人格者」たちは言うかもしれないが、私は少しも嘘をついてはいないのである。

     (中略)

第三巻

 この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
 どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。
 例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
 この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活というものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
 青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな雰囲気(ふんいき)の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
 井伏さんは、所謂「早稲田(わせだ)界隈(かいわい)」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
 けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
 早稲田界隈。
 下宿生活。
 井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
 いつか、私は、井伏さんと一緒に、(何の用事だったか、いま正確には思い出せないが、とにかく、何かの用事があったのだ)所謂早稲田界隈に出かけたことがあったけれども、その時の下宿屋街を歩いている井伏さんの姿には、金魚鉢から池に放たれた金魚の如き面影があった。
 私は、その頃まだ学生であった。しかし、早稲田界隈の下宿生活には縁が薄かった。謂わば、はじめて見たといってもよい。それは、遠慮なく言って、異様なものであった。
 井伏さんが、歩いていると、右から左から後から、所謂「後輩」というものが、いつのまにやら十人以上もまつわりついて、そうかと言って、別に井伏さんに話があるわけでも無いようで、ただ、磁石に引き寄せられる釘(くぎ)みたいに、ぞろぞろついて来るのである。いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。
 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。
 

第三巻

 この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
 どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。
 例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
 この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活というものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
 青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな雰囲気(ふんいき)の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
 井伏さんは、所謂「早稲田(わせだ)界隈(かいわい)」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
 けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
 早稲田界隈。
 下宿生活。
 井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
 いつか、私は、井伏さんと一緒に、(何の用事だったか、いま正確には思い出せないが、とにかく、何かの用事があったのだ)所謂早稲田界隈に出かけたことがあったけれども、その時の下宿屋街を歩いている井伏さんの姿には、金魚鉢から池に放たれた金魚の如き面影があった。
 私は、その頃まだ学生であった。しかし、早稲田界隈の下宿生活には縁が薄かった。謂わば、はじめて見たといってもよい。それは、遠慮なく言って、異様なものであった。
 井伏さんが、歩いていると、右から左から後から、所謂「後輩」というものが、いつのまにやら十人以上もまつわりついて、そうかと言って、別に井伏さんに話があるわけでも無いようで、ただ、磁石に引き寄せられる釘(くぎ)みたいに、ぞろぞろついて来るのである。いま思えば、その釘の中には、後年の流行作家も沢山いたようである。髪を長く伸ばして、脊広、或いは着流し、およそ学生らしくない人たちばかりであったが、それでも皆、早稲田の文科生であったらしい。
 どこまでも、ついて来る。じっさい、どこまでも、ついて来る。

   (後略)




参考文献:底本:「もの思う葦」新潮文庫、新潮社
   1980(昭和55)年9月25日発行
   1998(平成10)年10月15日39刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を「阿佐ヶ谷」以外は、大振りにつくっています。
入力:蒋龍
校正:今井忠夫
2004年6月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


参考文献:読売新聞2008年4月30日(水)1面と2面
日本の知力 第3部 大学で考える⑧
門を開き町へ出よう

①校歌にうたわれる「都の西北 早稲田の森」が、教育、医療の森に変わるーーー。早稲田大学・構想・大学・周囲・コンクリート塀・一部・周辺緑地・都心・森・今春・理工学部・戸山公園・間・塀・一部・往来可能
②提案者・後藤春彦早大教授・町・大学・学びの場・大学・町・魅力・本来の関係・学生・『学生街』・人・『大学都市』・立地・大学・地域・試み
③大東文化大学・高島平団地・共闘
④高度成長期のマンション団地・高齢化・空き室・大学・学生・学生・団地・独居老人・訪問・地域活動・「サンク」・地域通貨・家賃支払い
⑤計画・山本孝則・大東文科大学教授・団地・高齢化・大学・全入時代・荒波・未来・大学と地域社会の融合・可能性








2面へ
{1面続記』
識者に聞く
慶應義塾大学 渡辺靖氏
地域と同じ目線が大切
(聞き手・伊能幹雄)

②ハーバード大学・ペンシルベニア大学・巨大な大学・学生街の住居を確保・地域・住宅開発・住宅政策・行政・連携・地域社会・「私たちの大学」・意識・大学側・「地域の支援なしではやっていけない」・認識



日本・地方大学・教員・その場・授業・授業のある時に通ってくるというケース・大学人・地域・問題意識・大学市郊外・大学・周辺・学生・教員・授業・一直線・大学と地域との融合・大学・立地
⑥「学際」・専門・同士・相手・思考・枠組み・学問的アプローチ・自分・思考・基本・米国・大学・学内・懇親会・週末・教授・ホームパーテー・場・他分野の学者とうち解けて話す機会・意気投合した同士・発想・学門の幅
⑦米国・米国・指揮者がいないオーケストラ・高い技能・個々人・融合・核・学門・同士・学際の形


参考文献
 中公新書1764 「世界の大学危機」潮木守一著
 第1章 イギリスの大学
 第2章 ドイツの大学
 第3章 フランスの大学
 第四章 アメリカの大学
 第5章 大学拡大政策の背景
 第6章 知識のディズニーランド
発行所:中央公論新社 編集部 03-3563-3668
 
 参考文献 
 光文社 「時間と学費をムダにしない 大学選び」
  石渡嶺司(ライター・大学ジャーナリスト:東洋大学卒業:「15歳からの大学選び」小学館)+山内太地(大学研究家:「世界の大学めぐり」)
 
山内太地
47都道府県8カ国および
3地域の719大学955キャンパスを訪問。 


色川武大

梅崎春生

江國香織
海老沢泰久

逢坂剛
大池唯雄
大沢在昌
岡田誠三
奥田英朗
長部日出雄
乙川優三郎

海音寺潮五郎
角田光代(早稲田大学)
景山民夫
金城一紀
川口松太郎
河内仙介
神吉拓郎

木々高太郎
北原亞以子
木村荘十
邱永漢
京極夏彦
桐野夏生

熊谷達也(東京電機大学)負けるな 文学部!!

車谷長吉(慶應義塾大学)面白い職種遍歴! どの作品を読んでも面白い。

胡桃沢耕史
黒岩重吾

源氏鶏太

小池真理子(成蹊大学)
今官一
こ の続き
今東光
今日出海

早乙女貢
佐木隆三
桜庭一樹  
笹倉明
佐藤賢一(山形大学)
佐藤得二
佐藤雅美
佐藤愛子 (作家)(甲南女子大学)

重松清(早稲田大学)
篠田節子
司馬遼太郎(大阪外国語大学:現大阪大学)
柴田錬三郎
志茂田景樹(中央大学)
朱川湊人
白石一郎
城山三郎(一橋大学)
榛葉英治
新橋遊吉

杉本苑子
杉本章子
杉森久英

田岡典夫
高橋治
高橋克彦(早稲田大学)
高橋義夫
高村薫
多岐川恭
橘外男
立原正秋(早稲田大学)
立野信之
田中小実昌(東京大学)
檀一雄

陳舜臣  (大阪外国語大学→現大阪大学)

つかこうへい
堤千代
津本陽

出久根達郎  古本 昭和18年生
寺内大吉  (大正大学)

戸板康二
藤堂志津子
常盤新平  (早稲田大学)
富田常雄  (明治大学)
豊田穣

永井路子(東京女子大学)
なかにし礼
中村彰彦
中村正軌
南條範夫
難波利三

西木正明
新田次郎  (電気通信大学)
     藤原お茶の水女子大学教授(数学)の父。

   今、彼の書いた新潮社刊の①「国家と品格」②「祖国とは国語」③「この国のけじめ」(文藝春秋刊)が、爆発的に読者を増やしている。

◆意外にも、いかつい顔の藤原教授は、大の恐妻家。数学者で理学博士。かつて、彼をテレビで拝見・拝聴し、わたしには、可愛いガンコ親父の好感を抱いたものだが、文(本)は更に面白く楽しい。ユーモア混じりのブログ調で、わたしも今、こころ楽しく解読中だ。ぜひ、皆んなに入手(読書)をオススメしたい。
(出典:ブログより 【お茶の水女子大学 教授】と入力してヒットしたブログの一つ。







ねじめ正一(明治大学)

野坂昭如(早稲田大学)
乃南アサ

林真理子(日本大学)
原りょう
坂東眞砂子
半村良

東野圭吾
久生十蘭
平岩弓枝

深田祐介(早稲田大学)
藤井重夫
藤沢周平
藤田宜永(早稲田大学)
藤本義一 (作家)(大阪市立大学)
   旺文社文庫:《△△△》絶版だが、
   大学受験生にとっては、わくわくする物語。
   旺文社に電話したが、やっぱり在庫ナシ。
「旺文社文庫」は、素晴らしい。!!!

   「東に井上ひさし」「西に藤本義一」


藤原伊織
藤原審爾
船戸与一
古川薫

星川清司

松井今朝子(早稲田大学)

三浦しをん(早稲田大学)
村上達朗
ボイルドエッグズ
水上勉
光岡明
皆川博子
宮尾登美子
宮城谷昌光(早稲田大学)
宮部みゆき
三好京三
三好徹

向田邦子(実践女子大学)随筆は【ぴか一!】で美人
   山口瞳も脱帽!
    
村上元三
村松友視
村山由佳

森絵都
森荘已池
森田誠吾

山口瞳  (早稲田大学)
山口洋子
山崎豊子
山田詠美(明治大学)
山田克郎
山本一力
山本文緒

唯川恵
結城昌治(早稲田大学)

連城三紀彦(早稲田大学)

鷲尾雨工
和田芳恵
渡辺淳一(旭川医科大学)

"http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E7%9B%B4%E6%9C%A8%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85" より作成
カテゴリ: 文学の賞 | 日本の小説家

最終更新 2007年3月13日 (火) 12:45。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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※( )は調べもの新聞記載 2008-04-30






直木賞作家出身大学ランキング

1位 早稲田大学 32人
2位 慶應義塾大学 13人
2位 東京大学 13人
4位 山形大学 4人
5位 立教大学 3人
5位 成蹊大学 3人
5位 國學院大學 3人
5位 東北大学 3人
5位 中央大学 3人
5位 大阪大学 3人
11位 明治大学 2人
11位 大阪府立大学 2人
11位 九州大学 2人
11位 同志社大学 2人
11位 熊本大学 2人
11位 新潟大学 2人
11位 東京女子大学 2人
11位 一橋大学 2人
19位 目白大学 1人
19位 神奈川大学 1人
19位 東京電機大学 1人
19位 奈良女子大学 1人
19位 東京学芸大学 1人
19位 金沢学院大学 1人
19位 日本大学 1人
19位 ノートルダム清心女子大学 1人
19位 国際基督教大学 1人
19位 藤女子大学 1人
19位 青山学院大学 1人
19位 武蔵野美術大学 1人
19位 関西外国語大学 1人
19位 上智大学 1人
19位 北海道大学 1人
19位 札幌医科大学 1人
19位 京都大学 1人
19位 日本女子大学 1人
19位 横浜国立大学 1人
19位 実践女子大学 1人
19位 成城大学 1人
19位 学習院大学 1人
19位 名古屋工業大学 1人
19位 山口大学 1人
19位 拓殖大学 1人
19位 京都女子大学 1人
19位 大正大学 1人
19位 立命館大学 1人
19位 電気通信大学 1人
19位 金沢大学 1人
19位 法政大学 1人
19位 東京外国語大学 1人


明治大学メールマガジン vol.1 毎月1回,入試情報を始めとして,

2008-08-24 19:14:38 | Weblog
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~|~ vvv ~|~ vvv  明治大学メールマガジン vol.1
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受験生の皆さん,はじめまして!明治大学です。
このメールマガジンでは毎月1回,入試情報を始めとして,
明治大学のHOTな情報を,一早くお届けしています。
昨年度から引き続きご購読いただいてる方は,今年もよろしくお願いします!
来年,満開のサクラを咲かせるために,頑張っていきましょう!
では,4月号のメルマガをご覧ください。

■■□―CONTENTS――――――――――――――――――□■■

≪入試情報≫
【1】チャンスが増える!!全国7都市で全学部統一入試実施!
【2】一般入試[日程]・[試験科目]が決定しました!
【3】2009年度入試の変更点のお知らせ
【4】新しい大学ガイド(2009年度入試用)を請求しよう!
【5】明治大学にある9つの学部ページを更新しました!
【6】キーワードから学部選びページを更新しました!

≪入試イベント情報≫
【7】オープンキャンパス2008の日程が決定しました!
【8】駿河台キャンパスツアー開催!

≪明大トピックス≫
【9】東京六大学野球開幕 みんなで明治を応援に行こう!
【10】〔法学部〕新司法試験合格者座談会!
【11】〔商学部〕特別招聘教授が「第29回吉川英治文学新人賞」を受賞!
【12】〔商学部〕学部独自の協定校へ留学した学生のメッセージを公開!

■■□―――――――――――――――――――――――――――□■■

≪入試情報≫
___________________________________
【1】チャンスが増える!!全国7都市で全学部統一入試実施!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
全学部統一入試とは、全学部で共通の試験問題のため、
一度の受験で、複数学部へ出願ができる入試です。2009年度も全国7都市で
受験できます。

▲▽   http://www.meiji.ac.jp/exam/general/zenkoku.html   ▽▲
___________________________________
【2】一般入試[日程]・[試験科目]が決定しました!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2009年度一般選抜入試・大学センター試験利用入試[日程]・[試験科目]が
決まりました。

▽    http://www.meiji.ac.jp/exam/general/index.html    ▲

___________________________________
【3】2009年度入試の変更点のお知らせ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2009年度入試から新規導入や変更になる入試をまとめましたのでご覧ください。

★    http://www.meiji.ac.jp/exam/henkou/index.html     ☆
___________________________________     
【4】新しい大学ガイド(2009年度入試用)を請求しよう!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
明治大学の総合ガイドブックは6月上旬に完成予定です。
下記のHPから現在,予約受付中。完成次第,無料でお送りします。

★☆  http://telemailweb.net/web/?100327  ☆★
___________________________________     
【5】明治大学にある「9つの学部」ページを更新しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2008年度,新たに「国際日本学部」が誕生し,全9つの学部があります。
各学部で概要を掲載していますので,下記のページからご覧ください。
皆さんの興味・関心に応える学部がきっと見つかるはずです!

■  http://www.meiji.ac.jp/exam/gakubu/index.html  ■
___________________________________     
【6】「キーワードから学部選び」ページを更新しました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「どの学部を選べばいいのか分かりません…。」と悩んでいるアナタ。
日常のふと思う「疑問」からあなたに合った学部を探してみませんか??
これから少しずつ「自分がどんなことに興味があるのか」を考えてみましょう。
↓    ↓
■□  http://www.meiji.ac.jp/exam/gakubu/keyword.html  □■


≪入試イベント情報≫
___________________________________     
【7】オープンキャンパス2008の日程が決定しました!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「百聞は一見に如かず」という言葉があります。
大学の雰囲気も含め,やっぱり自分の肌で体感するのが一番お薦めです♪
今年度は7月からの開催ですので,スケジュール帳に今から予定を書き込んで
おきましょう!
事前予約は必要ナシ。入退場自由です。気軽に明治大学にお越しください。
↓  ↓  ↓
★☆★  http://www.meiji.ac.jp/exam/event/index.html  ★☆★

___________________________________     
【8】 駿河台キャンパスツアー開催!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「個人で見学するだけでなく、質問や説明を受けながら見学したい!」
「日程の都合でオープンキャンパスに参加できないので機会を増やしてほしい!」
という要望に応えて、キャンパスツアーを開催します!奮ってご参加ください。
↓  ↓  ↓
http://www.meiji.ac.jp/koho/desukara/university/2007/28-campus.html


≪明大トピックス≫
___________________________________     
【9】東京六大学野球開幕 みんなで明治を応援に行こう!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「メイジ」といえば、東京六大学野球!明治大学はスポーツも盛んです。
みんなで明治を応援しよう!

⇒  http://homepage3.nifty.com/meijibbc/
___________________________________     
【10】〔法学部〕新司法試験合格者座談会!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
難関の新司法試験を見事合格した先輩に、
法科大学院のこと、新司法試験のこと、勉強方法などを聞いてみました!

⇒ http://www.meiji.ac.jp/hogaku/govern_special/shiken-interview.html
___________________________________     
【11】〔商学部〕特別招聘教授が「第29回吉川英治文学新人賞」を受賞!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
商学部佐藤亜紀特別招聘教授が、長編小説「ミノタウロス」で
「第29回吉川英治文学新人賞」を受賞しました!
⇒  http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0002638.html
___________________________________     
【12】〔商学部〕学部独自の協定校へ留学した学生のメッセージを公開!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
商学部には学部独自の協定校があり、語学教育にも力を注いでいます。
今回は、ドイツに留学した学生からメッセージです!
⇒  http://www.meiji.ac.jp/shogaku/exchange/report_1.html


○●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●○

自分が決める未来は,自分の力で切り開こう・'゜★゜'・☆:*

発行者:明治大学 入学センター事務室
TEL:03-3296-4138  URL: http://www.meiji.ac.jp/ 

○●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●○
■このメールマガジンは、今までに本学に資料請求をしてくださったり、
オープンキャンパス等の相談会に参加してくださった皆さんにお送りして
います。

***********************************
メールマガジンのバックナンバーはこちらから
http://www2.telemail.ne.jp/webdemo/mail_meiji_u/mg.html

配信先の変更・配信解除をご希望される場合はこちらからお願いします。 
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――――――――――――――□■発行:明治大学 入学センター事務室□■


坪内祐三 日本の文芸評論家 | 編集者

2008-08-24 19:14:12 | Weblog
坪内祐三

文学

ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家
坪内祐三(つぼうち ゆうぞう、1958年(昭和33年)5月8日 - )は日本の評論家、エッセイスト。 東京都出身。父は坪内嘉雄(フィクサー、ダイヤモンド社元社長)。母は坪内泰子(童話作家)。妻は佐久間文子(朝日新聞学芸部記者、元『週刊朝日』副編集長)。前妻は神蔵美子(写真家)。

エッセイや、編集を担当した『明治の文学』などで、明治本ブームを起こした。多くの著作や『en-taxi』などから書物への耽溺で知られる。純文学、都市小説、エッセイなどへの造詣が深い。日本人作家では私小説作家を好むが、アメリカ作家ではポストモダン系の作家を好む。それらに関する著作では、趣味と実益を兼ねているかのような坪内の趣味を謳歌し、金銭に余裕のある現代のオタクや高等遊民のような側面を見せる。

目次 [非表示]
1 年譜
2 著作
3 解説書籍リスト
4 エピソード
5 関連項目



[編集] 年譜
1958年:5月8日東京都渋谷区本町にて坪内嘉雄と泰子の長男として生まれる。父方の大叔父は織田正信(英文学者)。母方の曽祖父は井上通泰(国文学者・歌人・医師)、曾祖叔父は柳田國男(民俗学者)。兄弟は姉と二人の弟。隣家の住人は蘆原英了。
1961年:世田谷区赤堤に引っ越す。
1965年:世田谷区立赤堤小学校に入学。
1971年:世田谷区立松沢中学校に入学。
1972年:従大叔母である柳田冨美子(緑蔭館ギャラリーあるじ)の成城の邸宅で英語を習い始める。
1974年:早稲田高等学校に入学。松沢中学校からの進学者は学年で唯一人。
1977年:3月に早稲田高等学校を卒業。大学受験に失敗し、浪人生となり、お茶の水の駿台予備校に通い始める。
1978年:早稲田大学第一文学部に入学。同級生の藤原昭広(「プレジデント」編集長)と同じサークルに入るため、ミニコミ誌「マイルストーン」に参加。大学の先輩の一志治夫(ノンフィクション作家)と知り合う。
1982年:就職活動で文藝春秋やラジオ日本ほか数社を受けるが、失敗する。文藝春秋は筆記試験で落ちる。
1983年:一年間の留年の後、早稲田大学第一文学部人文専修卒業。卒業論文は「一九八二年の『福田恆存論』」(『後ろ向きで前へ進む』所収、指導教官は松原正)。早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻に進学。
1986年:早稲田大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。修士論文のテーマはジョージ・スタイナー。以後、一年半ほどニートな日々を送る。
1987年:秋頃、都市出版に押しかけ、9月16日に採用され、雑誌「東京人」の編集者になる。
1990年:秋頃、都市出版を辞める。
1991年:『未来』1991年7月号から西堂行人の依頼により「変死するアメリカ作家」(のち「変死するアメリカ作家たち」)の連載を開始し、1993年5月号まで断続的に掲載。
1992年:年末、編集・執筆に携った『月刊Asahi』1月号(特集:日本近代を読む「日記大全」)が朝日新聞社から刊行。
1993年:3月目白学園女子短期大学国語国文科言語コミュニケーション専攻の非常勤講師を以後数年勤める。10月『週刊朝日』誌上で略月一回の書評を96年9月まで担当する。11月編集・執筆に携った『20世紀ニッポン異能・偉才100人』(朝日新聞社)刊行。
1994年:編集・執筆に携った『ニッポン近代開き 起業家123人』(朝日新聞社)、『ノーサイド 総特集・明治大正昭和 異色の父と子100組』(文藝春秋)刊行。
1996年:8月『週刊文春』誌上で「文庫本を狙え!」の連載を開始。『鳩よ!』に連載されていた『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』が目黒考二の目にとまり、『本の雑誌』10月号で「特集 坪内祐三ロング・インタビュー」が掲載される。
1997年:4月初めての単著『ストリートワイズ』を晶文社から上梓。
2000年:9月『明治の文学』(筑摩書房・全25冊)を編集し、最初の配本が始まる。11月29日深夜、新宿にて、筑摩書房の松田哲夫と共に帰途に就こうとしていたところをヤクザ風の二人の男から因縁をつけられ、言い返したところ、暴行を受け瀕死の重傷を負う。東京女子医大病院に入院。この事件の顛末は『三茶日記』『文学を探せ』『文庫本福袋』に詳しい。
2001年:1月22日東京女子医大病院から退院。6月父親の事業の不調により赤堤の実家が競売にかけられ、人手に渡る。この件に関しては「文学を探せ」に詳しい。9月『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』で第17回講談社エッセイ賞受賞。
2003年:3月福田和也、リリー・フランキー、柳美里と共に同人として、季刊の超世代文芸クオリティマガジン『en-taxi』を扶桑社より創刊。創刊号で安原顯に「記録の鞭」を打ち、一部で話題となる。
2006年:3月早稲田大学教育学部での非常勤講師を終える。

[編集] 著作
『ストリートワイズ』晶文社、1997
『シブい本』文藝春秋、1997
『靖国』新潮社、1999(新潮文庫、2001)
『古くさいぞ私は』晶文社、2000
『文庫本を狙え!』晶文社、2000
『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り──漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代』 マガジンハウス、2001
『文学を探せ』文藝春秋、2001
『三茶日記』本の雑誌社、2001
『後ろ向きで前へ進む』晶文社、2002
『雑読系』晶文社、2003
『一九七二──「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』文藝春秋、2003(文春文庫、2006)
『新書百冊』新潮社、2003
『まぼろしの大阪』ぴあ、2004
『暴論・これでいいのだ!』(福田和也との共著)扶桑社、2004
『文庫本福袋!』文藝春秋、2004(文春文庫、2007)
『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』新潮社、2005
『「別れる理由」が気になって』講談社、2005
『古本的』毎日新聞社、2005
『極私的東京名所案内』彷徨舎、2005
『同時代も歴史である 一九七九年問題』文藝春秋、2006
『考える人』新潮社、2006
『「近代日本文学」の誕生──百年前の文壇を読む』PHP研究所、2006
『酒日誌』マガジンハウス、2006
『本日記』本の雑誌社、2006
『変死するアメリカ作家たち』白水社、2007
『四百字十一枚』みすず書房、2007
『大阪おもい』ぴあ、2007
『アメリカ──村上春樹と江藤淳の帰還』扶桑社、2007

[編集] 解説書籍リスト
白石公子『ブルー・ブルー・ブルー』(新潮文庫、1995・05)
川本三郎『大正幻影』(ちくま文庫、1997・05)
小林信彦『回想の江戸川乱歩』(文春文庫、1997・05)
内田魯庵『魯庵の明治』(講談社文芸文庫、1997・05)
石井研堂『明治事物起原 3』(ちくま学芸文庫、1997・07)
松本健一『われに万古の心あり──幕末藩士 小林虎三郎』(ちくま学芸文庫、1997・07)
田中康夫『オン・ハッピネス』(新潮文庫、1997・08)
飯塚くに『父 逍遥の背中』(中公文庫、1997・11)
『最終講義』(実業之日本社、1997・12)
薄田泣菫『茶話』(岩波文庫、1998・07)
小林信彦『ムーン・リヴァーの向こう側』(新潮文庫、1998・08)
田山花袋『東京の三十年』(講談社文芸文庫、1998・09)
『大東京繁昌記──山手篇』(平凡社ライブラリー、1999・04)
上林暁『禁酒宣言──上林暁・酒場小説集』(ちくま文庫、1999・09)
嵐山光三郎『文人悪食』(新潮文庫、2000・08)
唐沢俊一『古本マニア 雑学ノート』(幻冬舎文庫、2000・08)
白石公子『白石公子詩集』(現代詩文庫、2000・11)
小林信彦『結婚恐怖』(新潮文庫、2000・12)
高島俊男『「週刊文春」の怪──お言葉ですが… 2』(文春文庫、2001・01)
柳田泉『明治文学研究夜話』(《リキエスタ》の会、2001・04)
伊藤正雄『新版 忘れ得ぬ国文学者たち──并、憶い出の明治大正』(右文書院、2001・06)
内田魯庵『気まぐれ日記』(《リキエスタ》の会、2001・07)
木山捷平『鳴るは風鈴──木山捷平ユーモア小説選』(講談社文芸文庫、2001・08)
小沢昭一『ぼくの浅草案内』(ちくま文庫、2001・10)
松崎天民『東京カフェー探訪』(《リキエスタ》の会、2001・12) 
水島爾保布『新東京繁昌記(抄)』(《リキエスタ》の会、2001・12)
大西巨人『神聖喜劇 第五巻』(光文社文庫、2002・11)
野口冨士男『わが荷風』(講談社文芸文庫、2002・12)
目黒考二『酒と家庭は読書の敵だ。』(角川文庫、2003・01)
浅草キッド『お笑い 男の星座──芸能私闘編』(文春文庫、2003・03)
饗庭篁村『明治の文学 第13巻 饗庭篁村』(筑摩書房、2003・04)
『日本近代文学評論選[昭和篇]』(岩波文庫、2004・03)
戸川秋骨『戸川秋骨 人物肖像集』(みすず書房、2004・03)
内田百『百鬼園日記帖──内田百集成 20』(ちくま文庫、2004・05)
福田恆存『福田恆存文芸論集』(講談社文芸文庫、2004・05)
徳永康元『ブダペスト日記』(新宿書房、2004・07)
小林信彦『回想の江戸川乱歩』(光文社文庫、2004・08)
ナンシー関『天地無用──テレビ消灯時間 6』(文春文庫、2004・09)
矢野誠一『文人たちの寄席』(文春文庫、2004・10)
村嶋歸之『盛り場と不良少年少女──大正・昭和の風俗批評と社会探訪 村嶋歸之著作選集 第2巻』(柏書房、2004・10)
小林信彦『袋小路の休日』(講談社文芸文庫、2004・11)
車谷長吉『銭金について』(朝日文庫、2005・03)
尾辻克彦『肌ざわり』(河出文庫、2005・05)
山口昌男『「敗者」の精神史(下)』(岩波現代文庫、2005・07)
小林信彦『丘の一族──小林信彦自選作品集』(講談社文芸文庫、2005・11)
小島信夫、森敦『対談 文学と人生』(講談社文芸文庫、2006・02)
久世光彦『百先生 月を踏む』(朝日新聞社、2006・04)
石丸元章『FICTION! フィクション!』(文春文庫、2006・05)
『同級生交歓』(文春新書、2006・07)
沼波瓊音『意匠ひろひ』(国書刊行会、2006・09)
小林信彦『決壊』(講談社文芸文庫、2006・10)
一志治夫『魂の森を行け──3000万本の木を植えた男』(新潮文庫、2006・10)
井伏鱒二・舟橋聖ー・井上靖・水上勉『私の履歴書──中間小説の黄金時代』(日経ビジネス人文庫、2006・11)
[[田口久美子『書店風雲録』(ちくま文庫、2007・01)
安岡章太郎・阿川弘之・庄野潤三・遠藤周作『私の履歴書──第三の新人』(日経ビジネス人文庫、2007・01)
常盤新平『山の上ホテル物語』(白水Uブックス、2007・02)
佐伯一麦『鉄塔家族(下)』(朝日文庫、2007・07)
矢作俊彦『マンハッタン・オプ Ⅰ』(ソフトバンク文庫、2007・10)

[編集] エピソード
編集者の末井昭、写真家の神蔵美子(前妻)との三角関係が話題になったことがある(神蔵美子 の写真集「たまもの」参照)。

中学校時代の同級生には翻訳家の松本百合子、バンド「連続射殺魔」を率いるミュージシャンの琴桃川凛(和田哲郎)がおり、3人一緒に『文藝春秋』の『同級生交歓』のページに登場した。

中野翠と交友があり、明治の著述家などで、「この人は中野さんが好きそうな人だ」という人をよく、紹介していた。

山口昌男が「学長」の「東京外骨語大学」という交流会の「助教授」。生徒は石神井書林の内堀弘、月の輪書林の高橋徹、『彷書月刊』の編集兼発行人の田村治芳3名。

野口悠紀雄、猪瀬直樹、安原顯、川村湊等と「論争」を交わした。


[編集] 関連項目
植草甚一
富士正晴
粕谷一希
常盤新平
山口昌男
高橋徹
福田和也
この「坪内祐三」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。

カテゴリ: 日本の文芸評論家 | 編集者 | 東京都出身の人物 | 1958年生 | 人物関連のスタブ項目

最終更新 2008年3月21日 (金) 07:21。 Wikipedia®


高校生クイズ 吉野敬介 逗子開成 予備校講師 |

2008-08-24 19:13:52 | Weblog
高校生クイズ  △△△ ■■

吉野敬介

吉野 敬介(よしの けいすけ、1966年6月25日 - )は、吉野塾代表、元△△△ゼミナール古文講師、現■■ハイスクール講師。

目次 [非表示]
1 学歴
2 著作
2.1 学習参考書
2.2 受験生向け読み物 / 一般書
3 外部リンク



[編集] 学歴
逗子開成高等学校卒
國學院大學二部(夜間)文学部卒




[編集] 著作
著作は古文関連の「学習参考書」と、自身の経歴や中学・高校・大学受験に対する教訓・アドバイスなどを書き記した「受験向け書物(一般書)」の2つに大別できる。後者の大半は中学時代から代ゼミ採用までの経歴が綴られている。


[編集] 学習参考書
『吉野のピタリとでる古文単語』(△△△ライブラリー、1996年)
『吉野のパロディ的中爆走古文"パテ古"(Part.1)(Part.2)Yozemi TV-net』(△△△ライブラリー、1998年)
『吉野の古文 スーパー敬語法』(△△△代々木ライブラリー、1999年)
『吉野の古典文法 スーパー暗記帖』(学研、1999年)
『吉野のセンター古文』(学研、2002年)
『吉野の古典文法 スーパー暗記帖 改訂版』(学研、2007年)
『吉野式 スーパー古文敬語 完璧バージョン』(学研、2007年)
『吉野式 爆走古文単語 完璧バージョン』(学研、2007年)

[編集] 受験生向け読み物 / 一般書
『「おまえはバカじゃない」やればかならず合格する』(ごま書房、1991年)
『だからおまえは落ちるんだ、やれ!』(ロングセラーズ、1993年)
『やっぱりおまえはバカじゃない』(小学館、1998年)
『さらば、借り物人生 ― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』(PHP研究所、2001年)
『自分で決められないヤツは受験するな!』(PHP研究所、2004年)
『よく聞け!おまえはバカじゃない』(小学館、2006年11月)

[編集] 外部リンク
吉野敬介ブログ
吉野塾

カテゴリ: 日本の実業家 | 予備校講師 | 神奈川県出身の人物 | 1966年生

最終更新 2008年3月23日 (日) 12:22。 Wikipedia®

岩波新書の歴史 鹿野政直 1冊でわかる2500冊のあゆみ

2008-08-24 19:13:12 | Weblog

岩波新書の歴史 付・総目録1938~2006
鹿野政直
(新赤版別冊9)

 1冊でわかる2500冊のあゆみ

 総頁なんと576頁! 岩波新書史上最も厚い新書ができました。
  当初こんなに厚い本になるとは思っていなかったのですが、今考えてみると、先生が岩波新書の世界、68年の歴史を面白く思ってくださったことが、このような結果を生んだのではないかと勝手に推察しています。
 そして、リニューアルの時期に間にあうように、岩波新書の歴史を書いていただけないかとお願いをした期間限定のお仕事だったわけですから、本当に大変だったと思います。実際にご執筆の了承をいただいたのが昨年の春でした。そして、ご執筆にかかられたのが夏ですから、「超」短期間で、この分厚い新書を書いてくださったことになります。
 なにしろ、1938年以降68年間に刊行された2500冊を超える新書に目を通されるだけで、どれほどの時間がかかられたでしょうか。その上で、時代と関連させて新書の動向を分析し、その歴史を執筆されたわけですから、文字どおり「盆も正月もない」状態だったとうかがっています。感謝の言葉以外何もありません。
 よく知られている話題作だけでなく、先生がいいと思われた地味ながらもキラリと光る一冊を随処で丁寧に紹介していただいているのが、いかにも鹿野先生らしい、岩波新書という窓を通した戦中・戦後思想史になっていると思います。
 この本をガイドブックとして、岩波新書を手にしてくださるよう、心から願っています。



■著者紹介
鹿野政直(かの・まさなお)
1931年、大阪府に生まれる
1953年、早稲田大学文学部卒業、同大学院を経て
1958‐1999年、同大学文学部に教員として勤務
専攻―日本近現代史
著書―『近代日本思想案内』(岩波書店)
   『日本の近代思想』(岩波書店)
   『兵士であること』(朝日新聞社)
   『現代日本女性史』(有斐閣)ほか



■目次
 はじめに


 序章 「新書」の誕生
岩波書店の歴史のなかで/時局のなかで/綱領と指針/出版文化のなかで/新書と「教養」  
 
 1章 「文化建設の一兵卒として」――赤版の時代
はじめに/中国を知ろう/「日本的」とは何か/列強史の視点/戦争を考える/科学的な思考へのいざない/人生のために/赤版の終焉 
 
 2章 「国民大衆に精神的自立の糧を提供せん」――青版の時代
はじめに/「戦後」という時代への出発/「日本」の問い直し/アジアという課題/冷戦のもとで/経済が主役となった/社会科学と人間/宇宙と人体へ向かった自然科学/生きることへの励まし/公害問題を突きだす/沖縄をみつめる/せりあがる「国家」に対峙して/世界の鼓動・世界の息吹/文明の病理の主題化 
 
 3章 「戦後はすでに終焉を見た」――黄版の時代
はじめに/曲り角の予感に立って/「生きる場」を求める思索/文明論と民俗誌/性の尺度を問う視点から/「戦後」の検証/「教養」の溶解/日本史を考える/「言葉」が焦点となる 
 
 4章 「新世紀につながる時代に対応したい」――新赤版の時代
はじめに/「個の深み」に根ざす地点から/「戦後」の対象化/「豊かさ」を問う/天皇・戦争・災害/「日本」をどう超えるか/経済システムを洗う/冷戦後の世界を追跡する/自然科学の挑戦と警告/問われるメディア/人生が主題となる/心身をめぐって/未来へ 
 
 あとがき
 付録 岩波新書刊行の辞
 岩波新書総目録
 著訳編者名索引
 書名索引



  ■岩波新書にはこんな本もあります  
  日本の近代思想 鹿野政直著 新赤版767
昭和史 新版 遠山茂樹・今井清一・藤原彰著 青版D-130
戦後史 中村政則著 新赤版955
本と私 鶴見俊輔編 新赤版別冊8
岩波新書をよむ―ブックガイド+総目録
岩波書店編集部編 新赤版別冊5
 
 
出典:  岩波書店 ホームページ





[週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度2008年5月1日発行(通算23号)

2008-08-24 19:12:57 | Weblog
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
PR 大学名

[週刊朝日ムック]大学ランキング2009年度
2008年5月1日発行(通算23号)
発行人・編集人 中村正史 発行所 朝日新聞出版

〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
電話03-5540-7865(編集) 03-5540-7793(販売)
定価;本体2000円+税
雑誌60008-33 大日本印刷株式会社印刷

表紙1
朝日新聞出版:2009年度「大学ランキング」日本で唯一の総合評価!
15周年記念号
週刊朝日 進学MOOK
大学ランキング
日本の大学 737校の完全ガイド

A5 全962頁
PR(大学広告)



表紙2:千葉工業大学 キャンパスリニューアル!学生の未来を創造します
①住所②URL③TEL④FAX⑤e-mail:nyushi@it-chiba.ac.jp掲載   

表紙3:社会知性の開発をめざす
    専修大学 今日から明日へ。
         毎日悩む、毎日考える。
         今日から明日へ、365日。
         その積み重ねが、キミの力(パワー)。
    2009年専修大学は創立130年を迎えます。
    ①住所②URL③TEL掲載

表紙4:國學院大學
    2008オープンキャンパス開催情報
    入退場自由・事前申込不要
    7月20日
    7月21日
    8月26日
    8月27日
    9月21日
    11月9日
    12月14日
   ■文学部 日本文学科・中国文学科・外国語文化学科・史学科・哲学科
   ■神道文化学部 神道文化学科
   ■法学部 法律学科
   ■経済学部 経済学科・経済ネットワーキング学科・経営学科
①住所③TEL⑤e-mail:exam@kokugakuin.ac.jp 掲載   















舌切り雀 日本の童話 | 説話

2008-08-24 19:11:58 | Weblog
舌切り雀

舌切り雀(したきりすずめ)とは、日本のおとぎ話の一つである。


[編集] あらすじ


注意:以降の記述で物語に関する核心部分が明かされています。



お爺さんに助けられてかわいがられていた雀は、お婆さんが洗濯に使おうとしていた糊を食べてしまい、舌を切られて逃げ出す。その雀をお爺さんが追って山へ行くと、雀たちが恩返しにご馳走してくれたり踊りを見せてくれた。お土産として大小2つのつづらのどちらを持って行くか聞かれ、小さい方を持って帰り家に着いて中を見てみると小判が詰まっていた。欲張りなお婆さんは、大きなつづらをもらおうと雀の宿に押しかけ、大きい方を強引に受け取って、帰り道で開けてみると中には妖怪が詰まっており、お婆さんは腰を抜かし気絶してしまう。(妖怪に食べられてしまうという説もあり)


[編集] 原典
さるかに合戦やかちかち山など、多くの民話の類がそうであるように、この話も本来言い伝えられて来たものは残酷でグロテスクな内容を含んでいる。老人は雀の宿を探すために何人もの人に道を聞くが、彼らは引き替えに馬の血や牛の小便を老人に飲ませるなどといった場面がある(この部分は、洗い水に変更されたバージョンもある)。明治時代以後、子供にふさわしい物語とするためこうした過激な部分は削除され、おとぎ話としての形が整えられた。このように、おとぎ話は時代背景や世相に伴い、内容が改変されていくことが多い。


[編集] パロディ
太宰治が1945年に執筆した『お伽草紙』の中に『舌切り雀』が収録されている。『お伽草紙』は中期太宰文学特有のユーモアにとんだ語り口で御伽噺四篇を太宰流に解釈しなおした作品である。

カテゴリ: 日本の童話 | 説話

最終更新 2008年3月25日 (火) 09:28。Wikipedia®

湘南国際村とは  

2008-08-24 19:11:42 | Weblog

ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」

湘南国際村

 
■誕生

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湘南国際村では、東京ディズニーランドの約4倍(188.3ha)という広大な敷地に、神奈川県が地域からの国際貢献を具体的に進めるプランとして策定した湘南国際村基本構想のもと、平成2年に民間事業者による基盤整備事業が開始されました。
ここでは、自然にやさしく、災害に強いまちづくりが重点的に取り組まれています。
平成6年5月に、村の中核施設である湘南国際村センターのオープンとともに開村しました。
さらに、総合研究大学院大学や、(財)社会経済生産性本部の生産性国際交流センター、(社福)全国社会福祉協議会の中央福祉学院(ロフォス湘南)などの公的機関を始めとして、民間研修施設やサービス施設・居住施設などが整備されています。
また、村内で活動する様々な機関・団体による国際会議やセミナー、講演会などのソフト事業も活発に行われています。
■目的

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湘南国際村は、眼下に相模湾が広がり、富士山や大島を一望する三浦半島中央部の丘陵地に位置し、国際的視野に立脚した「学術研究」「人材育成」「技術交流」「文化交流」という相互に関わりの深い4つの機能を集積した“21世紀の緑陰滞在型の国際交流拠点”です。
ここに人々が集い、多様な交流を展開することにより、神奈川らしい国際貢献を行うとともに、地域社会の発展に寄与することを目的としています。
■目的別活用法

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■湘南国際村センター
■IPC生産性国際交流センター
■中央福祉学院(ロフォス湘南)

豊かな緑の中に滞在しながら、国際会議から企業内研修・少人数のグループ研修まで内容に応じた快適なコンベンションの企画から実施までサポートします。
◇国際会議場
◇各種研修室・会議室
◇宿泊室
◇イベントルーム等

■湘南国際村センター
■IPC生産性国際交流センター
■かながわ国際交流財団 湘南国際村学術研究センター等

村では、随時一般の方々や企業人、学生などを対象に幅広いテーマでセミナーやシンポジウム等を開催しています。
◇湘南国際村内各機関の公開セミナー
◇国際理解促進研修
◇国際的な技術者研修など

■総合研究大学院大学
■地球環境戦略研究機関
■かながわ国際交流財団 湘南国際村学術研究センター

村内の公共系研究機関・研究支援機関と連携でき、また、県内にも多彩な研究機関が立地しており、実りの多い研究・人材育成が図れます。
<<国際会議場 <  育成事業(イメージ)



■湘南国際村マネジメントセンター

村に研究・研修施設を設置した企業・団体に対し、施設の運営管理に関わる様々なサービスをご用意。施設集積のスケールメリットを生かした効率的な運営手法により、質の高いサービスを低コストで提供します。
【サービスメニュー】
◇事務・フロントサービス
◇飲食関連サービス
◇メンテナンス・セキュリティサービス
◇清掃・リネン関連サービス
◇植栽管理等

■隠れ里を思わせる子安の里
■湘南国際村西公園
■多彩な周辺の観光地

村は、緑豊かな三浦半島の丘陵部に位置し、ふもとではのどかな田園風景が楽しめます。近隣には、古都鎌倉や逗子・葉山等のマリンリゾート、さらに風光明媚な観音崎、城ヶ島などを擁し、アフターコンベンションも楽しめます。

■グリーンパークからの眺望(相模湾・富士山)
■10万本のツツジ
■レストランなどの飲食施設

村は、湘南海岸を一望し、霊峰富士、伊豆大島を見晴らす首都圏第一級の景観を誇り、4月末から5月初めにかけては「かながわの花の名所100選」にも選ばれたツツジが見頃を迎えます。一般の方も気軽に利用頂けるレストランもあります。





【EVENT / News Flash】 国際湘南村

2008-08-24 19:11:22 | Weblog


【EVENT / News Flash】  
Please contact to individual institutions for further information.
2004.10.5 update
■Homepage all renewal

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2001.1.30 update
■『His and Her Imperial Majesty have visited to our Village』
On Thursday, Fifth of September, 1996, His and Her Imperial Majesty have visited to Shonan Village. Under the explanation by Hiroshi Okazaki(governor of Kanagawa Prefecture) and Kazuji Nagasu(President of Shonan Village, Inc. and Chairman of K-FACE, former governor of Kanagawa Prefecture) They have visited some facilities in The Shonan Village Center, and K-FACE and United Nation's Grobal Seminar, which was held at the International Conference room, and talked to its seminar's attendants, mainly college students.

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1998.7.30 update
■Minor fixes

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1998.3.3 update
■Now an English Version!!
An English Version of Shonan Village Homepage has *partially* open

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【調べもの文藝文庫】二葉亭四迷 余が翻訳の標準 「コンマやピリオドの切り方などを研

2008-08-24 19:11:07 | Weblog
余が翻訳の標準
二葉亭四迷



 翻訳は如何様(いかよう)にすべきものか、其の標準は人に依って、各(おのおの)異ろうから、もとより一概に云うことは出来ぬ。されば、自分は、自分が従来やって来た方法(しかた)について述べることとする。
 一体、欧文は唯だ読むと何でもないが、よく味うて見ると、自ら一種の音調があって、声を出して読むとよく抑揚が整うている。即ち音楽的(ミュージカル)である。だから、人が読むのを聞いていても中々に面白い。実際文章の意味は、黙読した方がよく分るけれど、自分の覚束ない知識で充分に分らぬ所も、声を出して読むと面白く感ぜられる。これは確かに欧文の一特質である。
 処が、日本の文章にはこの調子がない、一体にだらだらして、黙読するには差支えないが、声を出して読むと頗る単調(モノトナス)だ。啻(ただ)に抑揚などが明らかでないのみか、元来読み方が出来ていないのだから、声を出して読むには不適当である。
 けれども、苟(いやし)くも外国文を翻訳しようとするからには、必ずやその文調をも移さねばならぬと、これが自分が翻訳をするについて、先ず形の上の標準とした一つであった。
 そこで、コンマやピリオドの切り方などを研究すると、早速目に着いたのは、句を重ねて同じことを云うことである。一例を挙ぐれば、マコーレーの文章などによくある in spite of の如きはそれだ。意味から云えば、二つとか、三つとか、もしくば四つとかで充分であるものを、音調の関係からもう一つ云い添えるということがある。併し意味は既に云い尽してあるし、もとより意味の違ったことを書く訳には行かぬから仕方なしに重複した余計のことを云う。
 これは語(ことば)の上にもあることで、日本語の「やたらむしょう」などはその一例である、或は「強く厳しく彼を責めた」とか、或は、「優しく角立たぬように説得した」とか云う類は、屡々(しばしば)欧文に見る同一例である。これらは凡て文章の意味を明らかにする以外、音調の関係からして、副詞を入れたいから入れたり、二つで充分に足りている形容詞をも、一つ加えて三つとしたりするのである。コンマの切り方なども、単に意味の上から切るばかりでなく、文調の関係から切る場合が少くない。
 されば、外国文を翻訳する場合に、意味ばかりを考えて、これに重きを置くと原文をこわす虞(おそれ)がある。須(すべか)らく原文の音調を呑み込んで、それを移すようにせねばならぬと、こう自分は信じたので、コンマ、ピリオドの一つをも濫(みだ)りに棄てず、原文にコンマが三つ、ピリオドが一つあれば、訳文にも亦ピリオドが一つ、コンマが三つという風にして、原文の調子を移そうとした。殊に翻訳を為始めた頃は、語数も原文と同じくし、形をも崩すことなく、偏(ひと)えに原文の音調を移すのを目的として、形の上に大変苦労したのだが、さて実際はなかなか思うように行かぬ、中にはどうしても自分の標準に合わすことの出来ぬものもあった。で、自分は自分の標準に依って訳する丈けの手腕(うで)がないものと諦らめても見たが、併しそれは決して本意ではなかったので、其の後(のち)とても長く形の上には、此の方針を取っておった。
 処で、出来上った結果はどうか、自分の訳文を取って見ると、いや実に読みづらい、佶倔牙(きっくつごうが)だ、ぎくしゃくして如何にとも出来栄えが悪い。従って世間の評判も悪い、偶々(たまたま)賞美して呉れた者もあったけれど、おしなべて非難の声が多かった。併し、私が苦心をした結果、出来損ったという心持を呑み込んで、此処が失敗していると指摘した者はなく、また、此処は何(ど)の位まで成功したと見て呉れた者もなかった。だから、誉められても標準に無交渉なので嬉しくもなければ、譏(そし)られても見当違いだから、何の啓発される所もなかった。いわば、自分で独り角力を取っていたので、実際毀誉褒貶以外に超然として、唯だ或る点に目を着けて苦労をしていたのである。というのは、文学に対する尊敬の念が強かったので、例えばツルゲーネフが其の作をする時の心持は、非常に神聖なものであるから、これを翻訳するにも同様に神聖でなければならぬ、就ては、一字一句と雖(いえども)、大切にせなければならぬとように信じたのである。
 併し乍ら、元来文章の形は自ら其の人の詩想に依って異なるので、ツルゲーネフにはツルゲーネフの文体があり、トルストイにはトルストイの文体がある。其の他凡そ一家をなせる者には各独特の文体がある。この事は日本でも支那でも同じことで、文体は其の人の詩想と密着の関係を有し、文調は各自に異っている。従ってこれを翻訳するに方っても、或る一種の文体を以て何人にでも当て嵌める訳には行かぬ。ツルゲーネフはツルゲーネフ、ゴルキーはゴルキーと、各別にその詩想を会得して、厳しく云えば、行住座臥、心身を原作者の儘にして、忠実に其の詩想を移す位でなければならぬ。是れ実に翻訳における根本的必要条件である。
 今、実例をツルゲーネフに取ってこれを云えば、彼の詩想は秋や冬の相ではない、春の相である、春も初春(しょしゅん)でもなければ中春でもない、晩春の相である、丁度桜花(さくら)が爛と咲き乱れて、稍々(やや)散(ち)り初(そ)めようという所だ、遠く霞んだ中空(なかぞら)に、美しくおぼろおぼろとした春の月が照っている晩を、両側に桜の植えられた細い長い路を辿るような趣がある。約言すれば、艶麗の中(うち)にどっか寂しい所のあるのが、ツルゲーネフの詩想である。そして、其の当然の結果として、彼の小説には全体に其の気が行き渡っているのだから、これを翻訳するには其の心持を失わないように、常に其の人になって書いて行かぬと、往々にして文調にそぐわなくなる。此の際に在ては、徒らにコンマやピリオド、又は其の他の形にばかり拘泥していてはいけない、先ず根本たる詩想をよく呑み込んで、然る後、詩形を崩さずに翻訳するようにせなければならぬ。
 実際自分がツルゲーネフを翻訳する時は、力めて其の詩想を忘れず、真に自分自身其の詩想に同化してやる心算(つもり)であったのだが、どうも旨く成功しなかった。成功しなかったとは云え、標準は矢張り其処にあったのである。但(た)だ、自分が其の間に種々(いろいろ)と考えて見ると、一体、自分の立てた標準に法って翻訳することは、必ずしも出来ぬと断言はされぬかも知れぬが、少くとも自分に取っては六ヶ敷(むつかし)いやり方であると思った。何故というに、第一自分には日本の文章がよく書けない、日本の文章よりはロシアの文章の方がよく分るような気がする位で、即ち原文を味い得る力はあるが、これをリプロヂュースする力が伴うておらないのだ。
 で、外に翻訳の方法はないものかと種々(いろいろ)研究して見ると、ジュコーフスキー一流のやり方が面白いと思われた。ジュコーフスキーはロシアの詩人であるが、寧ろ翻訳家として名を成している。バイロンを多く訳しているが、それが妙に巧(うま)い。尤も当時のロシアは、其の社会状態が小バイロンを盛んに生んだ時代で、殊にジュコーフスキーの如きは、鉄中錚々たるものであったから、求めずしてバイロンの詩想と合致するを得て、大に成功したのかも知れぬが、兎に角其の訳文は立派なロシア文となっている。
 けれども、これをバイロンの原詩と比べて見ると、其の云い方が大変違う、原文の仄起(そっき)を平起(ひょうき)としたり、平起を仄起としたり、原文の韻のあるのを無韻にしたり、或は原文にない形容詞や副詞を附けて、勝手に剪裁(せんさい)している。即ち多くは原文を全く崩して、自分勝手の詩形とし、唯だ意味だけを訳している。処が其の両者を読み比べて見るとどうであろう。英文は元来自分には少しおかったるい方だから、余り大口を利く訳には行かぬが、兎に角原詩よりも訳の方が、趣味も詩想もよく分る、原文では十遍読んでも分らぬのが、訳の方では一度で種々の美所が分って来る、しかも其のイムプレッションを考えて見ると、如何にもバイロン的だ。即ちこれを要するに、覚束ない英語でバイロンを味うよりは、ジュコーフスキーの訳を読む方が労少くして得る所が多いのである。
 其処で自分は考えた、翻訳はこうせねば成功せまい、自分のやり方では、形に拘泥するの結果、筆力が形に縛られるから、読みづらく窮屈になる。これは宜しくジュコーフスキーの如く、形は全く別にして、唯だ原作に含まれたる詩想を発揮する方がよい。とこうは思ったものの、さて自分は臆病だ、そんならと云うてこれを決行することが出来なかった。何故かと云うに、ジュコーフスキー流にやるには、自分に充分の筆力があって、よしや原詩を崩しても、その詩想に新詩形を附することが出来なくてはならぬのだが、自分には、この筆力が覚束ないと思われたからだ。従来やり来った翻訳法で見ると、よし成功はしない乍らも、形は原文に捉(つかま)っているのだから、非常にやり損うことがない。けれども、ジュコーフスキー流にやると、成功すれば光彩燦然たる者であるが、もし失敗したが最後、これほど見じめなものはないのだから、余程自分の手腕(うで)を信ずる念がないとやりきれぬ。自分はさすがにそれほど大胆ではなかったので、どうも険呑(けんのん)に思われて断行し得なかった。で、依然旧翻訳法でやっていたが、……
 併しそれは以前自分が真面目な頭で、翻訳に従事した頃のことである、近頃のは、いやもうお話しにならない。

(明治三十九年一月「成功」)





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底本:「平凡・私は懐疑派だ」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一、二、三、四、七巻」筑摩書房
   1984(昭和59)年11月~1991(平成3)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:長住由生
校正:もりみつじゅんじ
2000年5月4日公開
2006年3月27日修正
青空文庫作成ファイル:

法政大学の人物一覧①~③ ①

2008-08-24 19:10:52 | 10 人名事典 【大学・学部】の人物一覧
法政大学の人物一覧①~③ ①

法政大学の人物一覧(ほうせいだいがくのじんぶついちらん)は、法政大学に関係する人物の一覧記事である。

目次 [非表示]
1 創設者
2 歴代総長
2.1 東京法学校
2.2 和仏法律学校
2.3 和仏法律学校法政大学
2.4 法政大学
2.4.1 大学令(旧制大学)
2.4.2 学校教育法(新制大学)
3 教授・元教授
3.1 哲学
3.2 法学
3.3 政治学
3.4 文学・文化学
3.5 社会学
3.6 工学
3.7 経済・経営学
3.8 教育学・学際系
3.9 OB・OG⇒本学教員
4 出身者
4.1 政治
4.1.1 国会議員
4.1.2 地方自治体首長
4.1.3 その他
4.2 行政
4.2.1 警察行政
4.3 司法
4.4 経済
4.4.1 金融
4.4.2 機械・電器・住宅メーカー
4.4.3 医薬・化学・食品・生活品メーカー
4.4.4 運輸・インフラ・エネルギー
4.4.5 小売・卸売・外食
4.4.6 サービス・不動産
4.4.7 マスコミ
4.5 教育・研究
4.6 文学
4.6.1 文芸
4.6.2 評論
4.6.3 漫画
4.7 芸術
4.8 映画・脚本
4.9 芸能
4.9.1 俳優・声優・モデル
4.9.2 歌手・ミュージシャン
4.9.3 タレント・芸人
4.10 ジャーナリズム
4.10.1 ジャーナリスト
4.10.2 サブカルチャー
4.10.3 アナウンサー
4.10.3.1 キー局・準キー局
4.10.3.2 フリー・元アナウンサー
4.10.3.3 地方局
4.11 スポーツ
4.11.1 野球
4.11.1.1 プロ野球選手
4.11.1.2 野球殿堂
4.11.1.3 野球指導者、元プロ野球選手等
4.11.2 サッカー
4.11.3 ラグビー
4.11.4 陸上競技
4.11.5 バレーボール
4.11.6 バスケットボール
4.11.7 重量挙げ
4.11.8 武道・格闘技
4.11.9 ウインタースポーツ
4.11.9.1 フィギュアスケート
4.11.9.2 スキー
4.11.10 その他のスポーツ
4.12 その他の出身者



[編集] 創設者
金丸鉄、伊藤修、薩埵正邦、綱島直樹、星勇太ら在野の若き法律家によって創られた


[編集] 歴代総長

[編集] 東京法学校
薩埵正邦(主幹)1881年5月
河津祐之(校長)1888年6月

[編集] 和仏法律学校
この時期は「校長」と称された。

箕作麟祥 1889年5月
飯田宏作 (校長心得) 1897年12月
横田国臣 1898年1月
梅謙次郎 1899年1月
富井政章 1900年10月
梅謙次郎 1902年10月

[編集] 和仏法律学校法政大学
梅謙次郎 (総理) 1903年8月
松室致 (学長) 1913年6月

[編集] 法政大学

[編集] 大学令(旧制大学)
この時期は「学長」と称された。

松室致 1920年
秋山雅之介 (学長事務取扱) 1931年2月
水町袈裟六 1934年5月
小山松吉 1934年7月
竹内賀久治 1943年3月
野上豊一郎 (大学予科) 1946年2月

[編集] 学校教育法(新制大学)
野上豊一郎 (文学部) 1949年~1950年2月
大内兵衛 (経済学部) 1950年6月~1959年4月
有沢広巳 (経済学部) 1959年4月~
谷川徹三 (文学部) 1963年2月~
小田切秀雄 (総長代行、文学部) 1965年
渡邉佐平 (経済学部) 1967年3月~1968年4月
渡邉総長辞任後、菰淵鎮雄が総長事務取扱。
中村哲 (法学部) 1968年5月~1983年
青木宗也 (法学部) 1984年3月~1987年12月
阿利莫二 (法学部) 1988年1月~1994年4月
阿利総長入院時鬼塚豊吉が総長代行
下森定 (法学部) 1995年
清成忠男 (経営学部) 1996年5月~2005年3月
平林千牧 (経済学部) 2005年4月~2008年3月
増田壽男 (経済学部) 2008年4月~現在 

[編集] 教授・元教授

[編集] 哲学
安孫子信(文学部教授、フランス哲学、デカルト、ベルクソン)
笠原賢介文学部教授、ドイツ哲学)
酒井健(文学部教授、フランス現代思想、芸術論)
菅沢龍文(文学部教授、ドイツ哲学、カント)
山口誠一(文学部教授、ドイツ哲学、ヘーゲル)
星野勉(文学部教授、ドイツ哲学、ヘーゲル)
牧野英二(文学部教授、哲学博士、ドイツ哲学、現代哲学、カント、カント全集およびディルタイ全集編集者)

[編集] 法学
吉川経夫(名誉教授)
下森定(名誉教授・元総長)
大澤功(商法)
田中開(刑事訴訟法)
江橋崇(憲法)
野中俊彦(憲法)
萩谷順(政治学)

[編集] 政治学
藤田省三(名誉教授、戦後を代表するリベラル派知識人、思想史家)
松下圭一(名誉教授、政治思想史、地方自治研究で知られる。1970年代の革新自治体に大きな影響を与えた)
袖井林二郎(名誉教授、国際政治学者で占領期研究の第一人者)
田村明(名誉教授、「まちづくり」という言葉を世に広めた)
内田健三(元教授、元共同通信社政治部長、論説委員長、臨時教育審議会委員、選挙制度審議会委員、東海大学元教授)
石川真澄(元講師、元朝日新聞編集委員、元新潟国際情報大学教授、現代政治論)
飯田泰三(法学部政治学科教授、日本政治思想史、丸山政治学など)
鈴木佑司(法学部国際政治学科教授、東南アジア地域研究、国際政治学)
下斗米伸夫(法学部国際政治学科教授、ロシア政治、アジア・太平洋特別賞受賞)
廣瀬克哉(法学部政治学科教授、防衛政策の行政学からスタートし現在は情報政策に関する第一人者)
杉田敦(法学部政治学科教授、政治理論の第一人者)
五十嵐敬喜(法学部政治学科教授、都市政策及び立法学、弁護士)
関口すみ子(法学部政治学科教授、ジェンダー論、サントリー学芸賞受賞)

[編集] 文学・文化学
勝又浩(文学部、1974年群像新人文学賞評論部門受賞)
石母田正(法学部、歴史家)
リービ英雄(国際文化学部、大佛次郎賞・野間文芸新人賞受賞)
島田雅彦(国際文化学部、野間文芸新人賞・泉鏡花文学賞・伊藤整文学賞受賞)
南塚信吾(国際文化学部)
鈴木晶(国際文化学部)
司修(国際文化学部、川端康成文学賞受賞)
中沢けい(文学部、群像新人文学賞・野間文芸新人賞受賞)
後藤篤子(文学部)
加納格(文学部)
結城英雄(文学部、サントリー学芸賞受賞)
宗左近(名誉教授・詩人)
武藤騤雄 (英文学者)
度會好一(国際文化学部)

[編集] 社会学
逸見重雄(社会学部)
村山重忠(社会学部)
中島正(社会学部)
笠原千鶴(社会学部)
服部之総(社会学部)
本田喜代治(社会学部)
宇野弘蔵(社会学部)
吉田秀夫(社会学部)
湯川和夫(社会学部)
中林賢二郎(社会学部)
栢野晴夫(社会学部)
田代正夫(社会学部)
増島宏(社会学部)
秋田成就(社会学部名誉教授)
北川隆吉(社会学部元教授)
芝田進午(社会学部元教授)
田沼肇(社会学部)
舩橋晴俊(社会学部)
鈴木智之(社会学部)
稲増龍夫(社会学部)
藤田真文(社会学部)
相田利雄(社会学部)
石垣今朝吉(社会学部)
高橋彦博(社会学部名誉教授)
斎藤博孝(社会学部)
石川淳志(社会学部)
高藤昭(社会学部)
三溝信(社会学部)
中野収(社会学部)
田中義久(社会学部)
奥武則(社会学部、日本ニュース時事能力検定協会副理事長)

[編集] 工学
川口衛 (工学部名誉教授、構造設計の権威)
陣内秀信 (デザイン工学部教授、サントリー学芸賞受賞)
小林一行 (情報科学部教授)
西海秀夫 (生命科学部教授)
常重アントニオ (生命科学部准教授)
大河内正一 (生命科学部教授、温泉科学第一人者)
片岡洋右 (生命科学部教授、分子動力学専攻)
川成洋 (工学部専任教授)
長田敏行 (生命科学部教授、学部長)
左巻健男 (生命科学部教授)

[編集] 経済・経営学
宇野弘蔵(名誉教授)
清成忠男(名誉教授、元総長、中小企業論、地域経済学、企業家論の第一人者)
小池和男(名誉教授、労働経済学の第一人者、紫綬褒章受章)
坂本光司(政策創造研究科教授)
村串仁三郎(経済学部名誉教授、鉱山労働者「友子」研究や納屋制度の第一人者)
黒川和美(経済学部、公共経済論の第一人者)
矢作敏行(経営学部)
田中洋 (経営学部)(マーケティング・ブランド・消費者行動・広告研究)


①は終わり

②③もあり





[[編集] その他の出身者
久納好孚(第一次神風特別攻撃隊大和隊隊長)


カテゴリ: 大学に関する人名一覧



最終更新 2008年4月20日 (日) 21:26。 Wikipedia®


松下政経塾①卒塾生の進路

2008-08-24 19:10:04 | Weblog

ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/

松下政経塾①
卒塾生の進路

政治分野 政治家 69人 100人 43.7%
政策スタッフ 3人
政治活動中 28人
経済分野 会社経営/自営 31人 67人 29.3%
会社役員/会社員 36人
研究・マスコミ分野 教職員 15人 36人 15.7%
シンクタンク/団体職員 11人
マスコミ 10人
その他 27人 27人 11.3%
計 230人 230人 100%


(2008年4月1日現在)

Lepon Holzworth & Kato, PLLC NPO法人グローバルキャンパス 幸福堂 相模興業 社会福祉法人ユーアイ村 NPO法人環境立国 TFS総合会計事務所 The TIE Corporation Pacific21 Yゼミナール イマジニア コォ・クリエイト・ジャパン ヒストリア総合研究所 ニューポート らーのろじー NPO法人日本政策フロンティア NPO法人トイボックス/スマイルファクトリー HB総合研究所 マテックス 事業開発推進機構 NPO法人文化公益協会 上西左大信税理士事務所

エフエム那覇 AIGエジソン生命保険 Mitsubishi UFJ Trust Bank あずさ監査法人 サントリー 新日本パブリック・アフェアーズ ソフトバンク ニフティ PHP研究所 松下電器産業 日本アイ・ビー・エム 伊勢福 エイチ・エス証券 エー・エム・アンド・シー 駅前探険倶楽部 エートスジャパン ソラン メディアゲイン 早水組 松下電工 惣誉酒造 ゴールドマン・サックス証券

University of Aberdeen 共栄大学 熊本県立高校 高崎経済大学 国際基督教大学 鹿児島大学 稲盛経営技術アカデミー 桜美林大学 早稲田大学 大阪大学 拓殖大学 東京大学 東北福祉大学 北陸先端科学技術大学院大学

経済同友会 PHP総合研究所 歴史街道推進協議会 杉並師範館 経済産業省 藤沢市産業振興財団

エフエムなよろ 産経新聞 西日本新聞 中日新聞 読売新聞 文藝春秋 毎日放送 順不同


(C) 2004 The Matsushita Institute of Government and Management

出典:The Matsushita Institute of Government and Managementホームページ

全国「学校だより」「学級だより」おつくりします。

2008-08-24 19:09:48 | Weblog
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☆経費節約!!! 1色刷りの軽印刷 全国「学校だより」「学級だより」おつくりします。
金曜日の午後1時(13:00) 「紙媒体の原稿」締切→翌週の月曜日の小中学校のお届け!朝の1校時目に配布!!!

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☆経費節約!! 1色刷りの軽印刷 全国「学校だより」「学級だより」おつくりします。
 金曜日の午後1時 「紙媒体の原稿」締切(送り先:調べもの新聞「学校新聞係」→翌週の月曜日の朝、全国の教室で、1校時目に配布!!!
 (※ 2つ折りの場合:授業中生徒が自分で折ったほうが新聞に愛着が沸きます! お薦めします。
  ※折りが入る場合は、
    
片面 A4(B5)2万円 A3(B4)3万6千円。両面はそれぞれ2倍。   

パターン例



パターン① A5 1ページ   
     ② A5 2ページ   
     ③ A5 4ページ
     ④ A5 8ページ
     ⑤ A5 12ページ
パターン⑥ A4 1ページ 
     ⑦ A4 2ページ
     ⑧ A4 4ページ
     ⑨ A4 8ページ
     ⑩ A4 12ページ




--------------------------------------------------------------------------------
調べもの新聞編集室 (ポータルサイト{検索の達人}/社内報の企画・編集・印刷)
横浜市金沢区六浦南2-27-18-201  調べもの新聞社
TEL&FAX 045-701-6113 090-7231-5991 
info@shirabemono.com or nakamurayoshio@gmail.com


ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
北から南から「小学校新聞ニュース A4:4ページ(A3の2つ折)」

A3の2つ折(A4の4ページ)





六浦南小 学校だより
第194号
平成20年4月7日
横浜市立六浦南小学校
校長 徳江英男
TEL:785-3244

http://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/mutsuuraminami/

1ページ(表紙)
 笑顔がいっぱい 
校長 徳江英男

 春4月、六浦の豊かな自然や活気あふれる地域の学校、桜や花壇の花が一斉に咲き揃い、木々も芽吹きを始めました。子どもたちと同じような柔らかな新緑が、一つ一つ違った美しい色合いを見せています。どれをとってみても同じものがなく、自分を表現しているようです。
 学校は、たくさんの笑顔であたらしく出発しました。
 新入生70名を迎え、全校児童、407名で新学期が始まりました。始業式では、1学年ずつ進級した子ども達の表情からは、新しい学級での新しい担任の先生や友だちとの学校生活への期待が見られました。また、入学式での1年生の子どもたちは、緊張した様子の中にも笑顔が見られ、学校生活への不安のなかにも晴れがましい表情から新しい生活への期待が感じられました。今までの自分からの脱皮を図ろうとして「今の自分から変わろうとしているんだよ。見守ってほしい。」という思いがきっとあることでしょう。保護者の皆様には、心よりご入学・ご進級のお祝いを申しあげます。
 さて、本校の重点目標は「人と人とのふれあいを大切にした学校生活」です。
すべての子どもたちにとって、健康で笑顔にあふれた学校生活を送れるように、教職員全員で目標に取り組んで参ります。また、地域の力、ご家庭の協力を得て進めて参ります。ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。


2ページ  (全文)ただし■は未記入(調べもの新聞編集部)
特集 新組織
新年度の教職員

教職員の異動の結果、今年度は次のような体制になりますのでご案内いたします。

校長:徳江英男
副校長:笹谷君江
4組:吉瀬雅子
1年1組:高西悠
1年2組:山口典子
2年1組:石里秀子
2年2組:北浦美恵
3年1組:飯田奈津子
3年2組:中村真衣
4年1組:小川雅裕
5年1組:木川航太
6年1組:中川幸恵
6年2組:藤田学

教務主任:山口典子
初任研担当:石里秀子
少人数指導:操瑞穂(安島香)
音楽専科:綾部紗映
養護教諭:宮澤妙子
事務主事:種村昌三
國際理解室講師:フジタジュリエッタディバイヤン
技能吏員(用務):野間育美
技能吏員(用務):大島清
技能吏員(調理):金森昌子
技能吏員(調理):南波佐間千草
内科校医:大久保槇一
歯科校医:笠原齊
眼科校医:上野里加
耳鼻科校医:中山貴子
学校薬剤師:■原昌子


※少人数指導担当の操瑞穂教諭はもうしばらくお休みになります。復帰するまで、安島香教諭が担当いたします。


3ページ  (抜粋)

4・5月の生活目標
(低学年)なかよくあそぼう
(中学年)さそい合っていっしょに遊ぼう。
(高学年)いろいろな友だちと仲良くして、友だちのことをよく知ろう

《始業式・着任式・入学式》4月7日(月)
《給食開始》4月10日(木)
〈授業参観・懇談会》4月14日(月)・4月15日(火)





《1年生を迎える会》4月17日(木)

《地区担班編成・登下校指導》4月18日(木)



《全国一斉学習状況調査(6年のみ)4月22日(火)


《4・5年遠足》4月25日(金)
4年生は「金沢自然公園」に、5年生は「六浦ふれ合いの村」に出かけます。


《委員会活動開始》4月17日(木)、《クラブ開始》4月24日(木)

《子どもの学習調査(全学年)》





4ページ (全文掲載;ただし花のカット数枚あり )

4月の行事予定
日 曜   主な行事予定
1 火
2 水
3 木
4 金 新年度準備
5 土
6 日
7 月 入学式、始業式、着任式
8 火
9 水 離任式
10 木 給食開始 、計測6年
11 金 計測5年
12 土 
13 日 
14 月 朝食、授業懇談会(4.5.6年)計測4年
15 火 授業懇談会(1.2.3年)計測3年
16 水 計測2年
17 木 1年生を迎える会、委員会、耳鼻科検診、計測1年
18 金 地区班編成・下校指導
19 土
20 日
23 水 視力4年
24 木 クラブ開始、内科検診、視力3年
25 金 遠足(4.5年)
26 土
27 日
28 月 朝会、視力1年
29 火 昭和の日
30 水 代表委員会



※21 月
 22 火
 の行事は不明。





A4 両面印刷(※A5の2つ折も可)

表 平成20年度時間割(1年)
横浜市立六浦南小学校

登校時間
8:05~8:20
8:25~10:15
10:15~10:45  A
中休み(30分)
10:45~12:15  B
12:15~13:00
給食(45分)
13:00~13:20
昼休み(20分)
13:20~13:40
掃除(20分)
13:45~14:30  C
14:30~
下校指導


表 平成20年度時間割(2年)
横浜市立六浦南小学校

登校時間
8:05~8:20
8:25~10:15
10:15~10:45  A
中休み(30分)
10:45~12:15  B
12:15~13:00
給食(45分)
13:00~13:20
昼休み(20分)
13:20~13:40
掃除(20分)
13:45~14:30  C
14:30~
下校指導

表 平成20年度時間割(3年)
横浜市立六浦南小学校

登校時間
8:05~8:20
8:25~10:15     A
10:15~10:45
中休み(30分)
10:45~12:15    B
12:15~13:00
給食(45分)
13:00~13:20
昼休み(20分)
13:20~13:40
掃除(20分)
13:45~14:30    C
14:30~
下校指導
    
木 13:30~13:30
ごみひろい、帰りの会

5校時 13:30~14:15






表 平成20年度時間割(4~6年年)
横浜市立六浦南小学校

登校時間
8:05~8:20
8:25~10:15
10:15~10:45
中休み(30分)
10:45~12:15
12:15~13:00
給食(45分)
13:00~13:20
昼休み(20分)
13:20~13:40
掃除(20分)
13:45~14:30
14:30~
下校指導


木曜日
13:20~13:30
ごみひろい、帰りの会

5校時 13:30~14:15

クラブ 14:15~15:15
委員会 14:15~15:00

6校時 14:15~15:00

委員会のときは、4年生は6校時で下校




例 A4片面印刷 色:グリーン 2つ折
横浜市六浦地区センター
たより107
平成20年4月発行

〒236-0031
横浜市金沢区六浦5-20-2
℡:045-788-4640
FAX:045-788-4641

着任のご挨拶
皆様には、日頃六浦地区センターをご利用いただき誠にありがとうございます。
私は4月1日から六浦地区センターの館長になりました■■■■■と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
御蔭をもちまして六浦地区センターは、今年開館■■年を迎えます。
また、12月頃には当センターの利用者が延べ■■■万人を超える見込みです。
これもひとえに皆様方のご支援とご協力の賜物であると、改めて感謝申し上げます。
新しいスタッフや館長が仕事に慣れるまでの間、利用者の皆様に何かとご不便をおかけすることもあるかと思いますが、当センターが地域の施設として、ますます皆様に愛されるよう一生懸命努めてまいりますので、よろしくお願い申し挙げます。

自主事業のお知らせ
お問合せTEL:788-4640

わんぱくホリデー ジュニア卓球教室
日時:6月7日 14日 28日 7月26日 土曜日
場所:2階 体育館
定員:小学4年生~中学3年生
参加費:200円
講師:武居和子先生
申込み:5月24日(土)10時~来館受付(参加費を添えて)
10時の時点で定員を超えた場合はその場で抽選


押し花教室
日時:6月18日 
   7月16日
   8月20日
   9月17日
   10月15日
   11月19日
   第3水曜日
場所:3階 工芸室
定員:一般 15名
講師:佐々木真理先生
申込み;往復はがきに住所、氏名、年齢、電話番号、講座名を記入して6月3日(火)までに当センター必着
応募者多数の場合は抽選


2ページ(2つ折りのとき:A4の2ページ)

パステル画&トールペイント作品展
会期:4月27日(日)~5月11日(日)
場所:2階廊下・ショーウインド
団体名:コムパス&ペイント・ドット・チク


ビデオ映画会
世界の車窓から
NO.6
日時:5月24日(土)
    午後1時30分~午後3時
場所:会議室
プログラム:スイス鉄道の旅  フランス鉄道の旅
当日直接会場へ
無料



みどりのたね おはなし会
5月9日(金)午前11時~午前11時30分
2階 プレイルーム
無料
未就園児とその保護者対象



4月の新着本



4月配架
一般書
トンネル 下( 
阪急電車
楊令伝 四雷■の章
鹿男あおによし

児童書
むしをたべるくさ
ぼくたちの、のりもの!
ダンプくんがどっしーん
にげろ! ねこざかな


4月12日配架
一般書 
忙しいパパのための子育て ハッピーアドバイス
病気にならない行きかた
1分骨盤ダイエット
奇才の果て

児童書
めいろいっぱいの幼稚園
チュウガクセイのキモチ
ゾウのソフィ
こどもたちのはし

4月19日配架
一般書
凛とした「女性たちの基礎力」
禁断のパンダ
はじまらないティータイム
流星の絆


児童書
トリケラトプスとひみつの湖
うたっておぼえる九九のえほん
忍たま乱太郎齊藤タカ 丸をまもれ!の段
しずかなしずかなみずうみ

4月26日配架

一般書
能を活かす勉強法
薔薇のない花屋
約束
乳と卵


児童書
あおくんときいろちゃん
ねぎぼうずのあさたろう
5さいのおはなし 4
いがぐり星人グリたろう

休館日
4月28日 月曜日
5月26日 月曜日
























六浦南小 学校だより
第194号

は、A3の両面印刷(A4 4ページ)+ A4の両面(A5 2ページ)



















































参考文献:文部科学省・神奈川県教育委員会・教職大学院などのホームページなど





軽印刷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
軽印刷(けいいんさつ)は印刷技術あるいは印刷業態の分類方法の一つ。あまり一般でなく、印刷業界内部で使われる用語であり、「軽い」という言い方には「難度の低い印刷技術」「手軽に開業できる」という、いささか自虐的、差別的なニュアンスが含まれている。


[編集] 歴史
軽印刷の歴史は意外と古く、江戸時代の木版印刷、かわら版にその起源を見出すことができる。家内工業的で、小ロット(印刷部数)で、仕上がり(納期)が早いという特徴が、現代にまで受け継がれている。

明治以後確立した活版印刷のうち、名刺やハガキ、小ロットの広告チラシ、小冊子の印刷は、部数が多く大掛かりな商業印刷とくらべて「端物(はもの)」と呼ばれていた。必要とする活字の量が少なくて済み、中古の印刷機を使えば、小資本で比較的容易に印刷業が開業できたのである。大手の印刷会社を退職した従業員が、このような端物印刷を下請けするということはよく行われ、住宅街の一角に小さな看板が掲げられ、印刷機の音が響くという光景があちこちで見られた。

技術的には活版印刷のほか謄写印刷(謄写版)、タイプ印刷(タイプライターによる謄写印刷、あるいはタイプライター印字を原版とするオフセット印刷)、写植印刷(写真植字を原版とするオフセット印刷)、さらにはDTPと、時代と共に幅を広げ、進化をとげてきた。ただし印刷機はあまり高価なものでなく、業務機のローエンドか民生機のミドルレンジからハイエンドにランクづけされるレベルのものが多く使われる。メーカーがオフィス用途を想定した高級機を、軽印刷業者が購入するということは珍しくない。

プロの軽印刷がアマチュアのオフィス内印刷と決定的に違うのは、印刷用紙の選定と製本に関する豊富なノウハウにあり、現在では顧客側で原稿をパソコンで作成し、印刷と製本のみを業者が請け負うというスタイルも一般化している。また小ロット、短納期という特質を生かしてプリントショップという業態でチェーン展開し、オンデマンド印刷を謳う業者も出現している。

軽印刷はその技術的業態的な特質ゆえに、過去しばしばマイナーな政治・文化活動の広報メディアとして大きな役割を果たしてきた。おそらく今後もその役割は変わることがなく、その意味において軽印刷は、日本の一つの文化であると言ってよいだろう。


[編集] 経済
軽印刷業界を支える根強い需要として、ビジネス名刺、案内ハガキ、年賀ハガキ、ダイレクトメール、広告チラシがあるが、官公庁が発行する小部数の出版物、白書、議会レポートなども大きなビジネスとして軽印刷業界を支えてきた。無論それらの印刷物の発注価格は低く抑えられ、納期が厳しいのが普通であるが、家内工業的なフットワークのよさで業界は対応してきた。官公庁の周辺に必ずといってよいくらい小規模の印刷業が見受けられるのも、このような事情による。


[編集] 関連項目
謄写版
オンデマンド印刷



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最終更新 2007年12月5日 (水) 10:34。 All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License. (詳細は 著作権 を参照)
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問題 『松下(まつした)政経塾卒塾生』①塾生の進路先の大学名。②調査までにかかった時間③参考文献。

2008-08-24 19:09:25 | Weblog




検索の達人
高大連携情報誌

問題『松下政経塾卒塾生の進路先』
 設問① 松下政経塾卒塾生の就職先の大学名
(最低10校。海外の大学・高校名の記入も可。略称は不可。例:早稲田大学可。早大は不可。ICUは不可。東大は不可。東京大学は可。

設問②調査までにかかった時間
    △時間△△分
設問③参考文献の例
★「松下政経塾」(〒253-0033 神奈川県茅ヶ崎市汐見台5-25)
★TEL
★松下政経塾に行く(電話:・・・)
★高等学校の進路指導の先生に聞く
★オープンキャンパスで大学生に聞く
★知り合いの政治家(国会議員・県会議員・市会議員・町会議員・村会議員)に聞く
★△△△後援会に聞く
★予備校・塾の塾長に聞く
★エフエムなよろ 産経新聞 西日本新聞 中日新聞 読売新聞 文藝春秋 毎日放送 に問い合わせる
★経済同友会 PHP総合研究所 歴史街道推進協議会 杉並師範館 経済産業省 藤沢市産業振興財団
に問い合わせる



松下政経塾①  学校関係の巻
卒塾生の進路

政治分野 政治家 69人 100人 43.7%
政策スタッフ 3人
政治活動中 28人
経済分野 会社経営/自営 31人 67人 29.3%
会社役員/会社員 36人
研究・マスコミ分野 教職員 15人 36人 15.7%
シンクタンク/団体職員 11人
マスコミ 10人
その他 27人 27人 11.3%
計 230人 230人 100%


(2008年4月1日現在)

Lepon Holzworth & Kato, PLLC NPO法人グローバルキャンパス 幸福堂 相模興業 社会福祉法人ユーアイ村 NPO法人環境立国 TFS総合会計事務所 The TIE Corporation Pacific21 Yゼミナール イマジニア コォ・クリエイト・ジャパン ヒストリア総合研究所 ニューポート らーのろじー NPO法人日本政策フロンティア NPO法人トイボックス/スマイルファクトリー HB総合研究所 マテックス 事業開発推進機構 NPO法人文化公益協会 上西左大信税理士事務所

エフエム那覇 AIGエジソン生命保険 Mitsubishi UFJ Trust Bank あずさ監査法人 サントリー 新日本パブリック・アフェアーズ ソフトバンク ニフティ PHP研究所 松下電器産業 日本アイ・ビー・エム 伊勢福 エイチ・エス証券 エー・エム・アンド・シー 駅前探険倶楽部 エートスジャパン ソラン メディアゲイン 早水組 松下電工 惣誉酒造 ゴールドマン・サックス証券

共■大学 熊本県立高校 ■崎経済大学 ■際基督教大学 ■児島大学 稲盛経営技術アカデミー ■美林大学 ■稲■大学 大■大学 ■殖大学 ■京大学 ■北福祉大学 北陸先■科学技術大学院大学

経済同友会 PHP総合研究所 歴史街道推進協議会 杉並師範館 経済産業省 藤沢市産業振興財団

エフエムなよろ 産経新聞 西日本新聞 中日新聞 読売新聞 文藝春秋 毎日放送

順不同


(C) 2004 The Matsushita Institute of Government and Management

出典:The Matsushita Institute of Government and Managementホームページ


①問題『松下政経塾卒塾生の進路先』を固有名詞で就職先の大学を最低10校挙げよ。ネット使用可。