記事を開く前の「概要文」
自分の生活さえ影響なければ、社会がどうだろうと政治がどうだろうと関係ないという考え方。
これは、私の家内です。
昨夜の話です。
日曜の「たかじんのそこまで言って委員会」の録画を観だした時です。
トップのテーマは「尖閣諸島での政府の対応」でした。
現政権の愚業を改めて紹介し、各コメンテーターがそれぞれの批判を繰り返す中、
(民主党を批判させたら西村氏は最高だ(笑))
映像を公開した保安官の処分について、宮崎氏が
「国家の決定に背くという意味では5.15や2.26事件と同じ意味だというような事を言って厳罰を望む声が識者の中にも居て、そういう考え方は大間違いだ!」という発言で、
私は「そうだそうだ!、全く意味が違う!そんなバカが識者から出るってアホが!」とボソっと言うと・・・
「フンッ! そんな問題を言ってみてどうなるん?」
「しかも一般人が!」
と吐き捨て、
飲みかけのコップも置いたまま、
寝ている息子を抱いて2階にあがって行きました。
これまでの家内のパターンとして、
家内が息子を抱いて2階に昇るという行為は、
「怒っている」事の現れです。
(3歳とはいえ結構重いので、普段は家内が休む時に私が抱いて昇ります)
これまでも、政治や社会の話題になると、時々家内とは意見が合いません。
私は不良上がりで中小企業を渡り歩いて28年、
(1つだけはプロゴルフのスポンサーもしていた大手でしたが)
家内は音楽を習い続けて真面目に育ち、地元の商業高校を出て農協プラント系一筋(転職なし)20数年、
社会や仕事に対する考え方が違って当然です。
しかし、尖閣のような外交問題や、保安官の処分という倫理観では、ほぼ考え方が一緒でないと、一緒に暮らすには厳しいです。
「しかも一般人が!」という一言は、
「(管理職と言えどそこらの田舎の中小企業の不良上りが)一般人のクセに偉そうに政治を語るな!」
という嫌味でしょう・・・。
途中でどんなに育とうが、
今現在が物事を正しく捉え、
公平に情報を得、正しく判断出来なければ、
これまでの経験値なんて意味がありません。
言い方を変えれば、
正しい判断が出来ない大人なんて、
しょうもない価値観で育ってきた証拠と言えるでしょう。
今日明日に、自分の身に直接関係無かろうと、
5年後、10年後、
いえ、100年後、200年後にしか影響が出ないであろう事柄にも、
自分に有利であるか、自分に不利であるかに関係なく、
正しい価値観や優先順位で考えれる「眼」がないといけません。
私の家内には、どうやらそのような「視点」は無いようです・・・。
もちろん譲れない価値観があるのは当然ですが、そこはわかった上でご一緒になられたのだと思いますので、また、その時のようにお互いの良い面を再確認できると良いですね。
まぁ、それも一方だけだと中々難しいですが・・・(汗)
遅くなってすみません。
そうなんです・・・、意見が違うとすぐキレて、「議論する」という事が出来ない家内に対し、後回しにしていた事がゾクゾク噴出中というか・・・。
>そこはわかった上でご一緒になられたのだと思いますので、
そうなんですけどねぇ、わかってはいても、一緒に居ると見えてなかった面も沢山あって・・・。なかなか難しいですね、夫婦って。
世間では20代30代の未婚率が高くなったとか。
世論的には「女性の所得が男性より上回ったから」とか、「雇用の不安」とか言われていますけど。
楽しいと苦労、嬉しいと我慢、それらを比較した時に「結婚」に踏み込めないのが隠れた一番の理由の様な気がします。
それならとっても理解出来ます(笑)
奥様は、ブログの存在をご存じでないのですか!?(笑)
私の友人夫婦に、左と右がおりました。
右が友達です。ご主人様が左でした。
>意見が違うとすぐキレて、「議論する」という事が出来ない家内に対し、
友達夫婦には、これがなかったのです。
TK様ご夫妻とは、年令も違いますが
友達が、身近なことを例にあげて、矛盾点を説明。
その内に、ご主人も次第に理解され、いまでは
意見が合うご夫婦になられました。
(必ずしも夫婦だから意見が合わなくてもいいのは当たり前として)
TK様ご夫妻も、もう少しの辛抱ですよ。
年令でものの見方、考え方が違ってくるのでは?
いまは、子育てて大変だから、政治のことまでは、さくお時間がないのではないでしょうか?
いつもながら返事遅くなってすみません。
(12月は仕事がハードで申し訳ない)
家内はブログの存在は知りません。
ていうかリアルでは誰も知りません。
元々、家内の愚痴や日頃のうっぷんを晴らす為にブログを始めたようなものなので、家内には一生知れる事はないと思います。
なにせ、『意見が違うとすぐキレて、「議論する」という事が出来ない』人ですから(笑)
私はね、最終的に意見が違う事自体には全く問題はないんです。
お互い譲れない部分が存在するのも一個人ですから当たり前ですよね。
しかしそこを議論し、譲歩していく(理解)していく過程こそが生涯を共に生きようと決めた相手な筈です。
それをしようとしないという態度(考え方)がそもそも相手をバカに(認めていない)している証拠ではないかと・・・。
>年令でものの見方、考え方が違ってくるのでは?
是非、そうあって欲しいと願ってます。