クイズ☆新世界、知っとかナイト~!
明治36年〈1903年〉、大阪で第五回内国観業博覧会が開催されました。
今では浪速区と天王寺区に分かれていますが、新世界と天王寺公園という
広いエリアが開催場所になっていました。
14ヶ国が参加、約530万人が入場したそうです。
▼第五回内国観業博覧会全景図
▼第五回内国観業博覧会全景図/各館縮図〈サムネイル画像〉
ここで問題です。
【問題】
第五回内国勧業博覧会のために、作られたフ−ドメニューがあるんです。
大勢の人が訪れる事を想定し、まず、調理が簡単で、混雑している中でも
食べられる事、そして、安い事が条件。
さて、そのメニューとは何でしょうか?
↓↓
↓↓
↓↓
↓↓
↓↓
↓↓
【答え】
親子丼
この博覧会のために作られたのが、親子丼でした。
博覧会の開催前に、事務局では、世界各国の人達に、何か大阪らしい食べ物を食べてもらおうと
考えておりました。
上記の条件を踏まえ、この難しい注文を引受けたのが、大阪の料亭、とりぎくの主人、内本松次郎さん。
そして、考えられたのが、鳥肉とねぎ、白菜を煮て卵で閉じたのが、元祖、親子丼でした。
博覧会では、一杯15銭で売られて大好評でした。
第五回内国勧業博覧会で販売された親子丼が、西日本、そして全国に一気に広がったそうです。
当時、勧業博覧会からの発信の大きさが解りますね。
実は、親子丼の発祥については諸説があり、明治中ごろ東京「玉ひで」の五代目主人・田中秀吉の妻・とくが、
鳥鍋の残りの割下に卵をとじるのをヒントに考案したという説。「玉ひで」は現在もあるそうです。
どちらにせよ、親子丼のル−ツ、探ってみればおもしろいものです。
諸説があるから、一層、ロマンが広がりますね。
…参考文献…
・大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
※NOTE;
当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。
[編集部]
明治36年〈1903年〉、大阪で第五回内国観業博覧会が開催されました。
今では浪速区と天王寺区に分かれていますが、新世界と天王寺公園という
広いエリアが開催場所になっていました。
14ヶ国が参加、約530万人が入場したそうです。
▼第五回内国観業博覧会全景図
▼第五回内国観業博覧会全景図/各館縮図〈サムネイル画像〉
ここで問題です。
【問題】
第五回内国勧業博覧会のために、作られたフ−ドメニューがあるんです。
大勢の人が訪れる事を想定し、まず、調理が簡単で、混雑している中でも
食べられる事、そして、安い事が条件。
さて、そのメニューとは何でしょうか?
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【答え】
親子丼
この博覧会のために作られたのが、親子丼でした。
博覧会の開催前に、事務局では、世界各国の人達に、何か大阪らしい食べ物を食べてもらおうと
考えておりました。
上記の条件を踏まえ、この難しい注文を引受けたのが、大阪の料亭、とりぎくの主人、内本松次郎さん。
そして、考えられたのが、鳥肉とねぎ、白菜を煮て卵で閉じたのが、元祖、親子丼でした。
博覧会では、一杯15銭で売られて大好評でした。
第五回内国勧業博覧会で販売された親子丼が、西日本、そして全国に一気に広がったそうです。
当時、勧業博覧会からの発信の大きさが解りますね。
実は、親子丼の発祥については諸説があり、明治中ごろ東京「玉ひで」の五代目主人・田中秀吉の妻・とくが、
鳥鍋の残りの割下に卵をとじるのをヒントに考案したという説。「玉ひで」は現在もあるそうです。
どちらにせよ、親子丼のル−ツ、探ってみればおもしろいものです。
諸説があるから、一層、ロマンが広がりますね。
…参考文献…
・大阪市立図書館 OSAKA Municipal Library
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