聖霊降臨後第2主日
「今週の祈り: 神様。あなたはいのちの源、私たちの命の礎です。聖霊の力によって傷ついた世を癒やし、私たちを御子の新しいいのちへと引き上げてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
〇 聖霊降臨後第2主日 説教 小泉 基牧師(週報掲載説教要旨)
先週の福音から
「 む つ か し い 」 創世1:1-2:4a 2コリント13:11‐13 マタイ28:16‐20
■キリスト教の教えには、一見矛盾しているとしか思えないようなことを、むりやり神学的に説明してしまうような教理が少なくありません。神さまを素直に信じることが出来たとしても、キリスト教の教理を理解することは難しいと感じる所以です。「イエス・キリストは完全に神であって、かつ完全に人間である」と説くキリスト両性論もそうした神学的テーマのひとつです。■わたしたちは、人間であるからには時間と空間の限界の中を生きるほかない存在で、この限界を超える方として神さまを想定します。神さまは人間でないから限界を超えた神であるはずなのに、その神さまであるイエスさまが、完全に人間に成られたというのは、いったいどういうことなのでしょうか。このテーマをめぐっては中世の初めに神学論争が繰り返されました。その結果、イエスさまは「人間のように見えていただけで人間ではなく、内実は神さまであった」などとするキリスト単性論(だいぶん乱暴な説明です)が退けられるようになったのでした。イエスさまが、わたしたちと同じ人間になって下さったということが、わたしたちの信仰にとって決定的に大切だからです。■神さまであるイエスさまが、神という立場を捨てて完全に人となって下さった。そのことによって、限界の中で、すれ違い、傷つき、哀しみにくれるわたしたちの思いを、人として地上を生きられたイエスさまが余すところなく汲み取って下さると信じることが出来るからです。そのために、父なる神はイエスさまを地上に送り、わたしたちへの愛を現して下さった。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。この出来事の中にわたしたちは、神様のわたしたちへの大きな愛を見るのです。■マタイによる福音書の結びとなる「大宣教命令」の箇所において、聖書はそこに「疑う者もいた」ことを記録しています。このようにイエスさまは信じることが出来ない者たちにもそのまま宣教の命令を語りかけられるのです。限界のあるわたしたちが、たとえ疑いつつ歩まざるを得ない存在であったとしても、「疑う者は去れ」と切って捨てるのではなく、聖霊を送ってともにあゆませ、神さまのための働きへと召し出して下さる。そのことへの感謝と喜びをもって、日々を歩んでまいりましょう。(小泉)
《来週の礼拝》
#6月18日 午前10時30分 聖霊降臨後第3主日 礼拝
*司 式:小泉 基牧師
*説 教:小泉 基牧師「意味がある」
*奏 楽:滝田裕美さん
*聖書朗読:小川敦子さん
*礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん
*聖 書:出エジプト19:2-8a、ローマ5:1-8、マタイ9:35-10:8
*讃 美 歌:190、332,増補52