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神社めぐり 2456 秩父今宮神社

2023-10-30 15:36:49 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

各地の神社を巡ります

今回は 埼玉県の 秩父今宮神社  です

御祭神

伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)・伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)・須佐之男大神(すさのおのおおかみ)・八大龍王神(はちだいりゅうおうしん)・宮中八神(大宮売神・神御産霊神・高御産霊神・生産霊神・足産霊神・事代主神・御食津神・魂積産霊神)・役尊神(えんのそんしん 役行者=神変大菩薩)・聖観音神(しょうかんのんしん)・宇迦之御霊神(稲荷神)・大国主命(おおくにぬしのみこと)・厳島姫(いつくしまひめ)・稚霊日神(わくむすびのかみ)・栲幡千々姫(たくはたちぢひめ)・菅原道真公(天神)ほか

秩父今宮神社は日本有数の古社である。信州諏訪の勢力が西暦100年前後に秩父に移住、この地に湧き出づる武甲山からの霊泉に「水神」を祀ったのが始原といわれるが、有史時代に入ると、この霊泉に国生みの神である「伊邪那岐・伊邪那美」(イザナギ・イザナミ)の二神が祀られるようになった。

天武天皇元年(西暦672年)の壬申の乱の前後に、秩父の勢力は修験道の開祖「役行者」(えんのぎょうじゃ)の導きで天武帝に協力したと伝えられている。それを境に秩父は発展を遂げる。役行者は秩父に修行に訪れ、霊泉の傍に観音菩薩の守護神である「八大龍王」を合祀し、のちにこれが「宮中八神」と習合され、「八大龍王宮」または「八大宮」と呼ばれ、秩父修験の中核となった。

平安時代初期天長2年(825)には空海が来遊して橋立寺の洞窟内部に道場を開き、37日間の護摩秘呪を行う。橋立寺はのちの今宮坊ゆかりの一寺。永観2年(984)「大宮山満光寺」、長暦2年(1038)「長岳山正覚院金剛寺」が開山され、さらに平安後期には熊野権現が勧請され、宮中八神と大日如来の習合した「八大権現社」が建立された。

京都の今宮神社から須佐之男大神(スサノオノオオカミ)をこの地に勧請したのは天文4年(1535)。疫病が猛威をふるったため、病魔退散を願って勧請された。永禄12年(1569)本山派修験聖護院直末二十六寺の一寺となり、諸国先達二十九寺の一寺ともなる。その頃は広大な敷地(20万坪)に修験道場や神社、仏寺観音堂などが混在していた。

江戸時代には「今宮八大宮」「八大権現社」と呼ばれる神社と「長岳山正覚院金剛寺」「大宮山満光寺」「今宮観音堂(札所十四番)」「橋立観音堂(札所二十八番)」を配下に治め、総称「今宮坊」とされ、神仏習合の一大霊場となった。

明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により修験道は廃止、「今宮坊」も解体を余儀なくされ、今宮神社(八大宮)と今宮観音堂(現・札所十四番)、橋立観音堂(現・札所二十八番)に分離され、独立して管理されるようになったが、御神体、御朱印、社宝、古文書等は謄写に継承されて現在に至っている。


◇所在地

埼玉県秩父市中町16−10

◇交通アクセス(最寄りの駅)

秩父鉄道 御花畑駅

< 秩父今宮神社  ホームページより >
http://www.imamiyajinja.jp/



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