昼休みにツイッターをフォローしていたら、数日前にブログで綴った原発利権とメディアとの関係を端的に示すモノを見つけた。原爆被爆国にとって、放射能汚染はトラウマ以外の何者でもない。そんな国でなぜ原発がこれほど作られたのか?冷静に考えてみれば不思議な話。仕事を終えて県立劇場の和室で劇団第七インターチェンジ『青い魚』を観た(明日もあるのでネタバレを気にしつつ綴るが、まだ観てない人はこの先を読まない方がいいかも)。基本的には従来通りの亀井ワールドだが、作者自身のアタマの中の混沌がどういうものか何となく見えた。舞台としての具現化が巧みになって見やすくなってきたということかも。もう一つ感じたのは、積極的な笑いを取ろうとするシーンが数ヶ所あり、これまでの第七にはない斬新さがあった。僕の勝手な思い込みかもしれないけど、近頃の第七のメンバーはみんな何となく表情に余裕を感じる。それが舞台にも反映されているような気がした。終演後、何名かの演劇関係者とテーブルを囲んで少し話をする。ガチで芝居に取り組む人から見れば、僕のような「仕事の合間に芝居」という姿勢がヌルいだろうし密度も薄っぺらかもしれない。だけどいろんな演劇関係者の好意で繋がっていられることが幸運だと思う。それに報いることを考え始めると、今、自分の人生において何が一番大事なのか分からなくなってきて、そうしてアタマの中でせめぎ合いが始まり、一人悩み始めるのだ。
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