しまなみニュース順風

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八束澄子さん講演 「物語ること、生きること」 ⑤

2005-01-27 13:52:37 | バックナンバー 教育講演 
物語ること、生きること ⑤

             因島出身児童文学者 八束 澄子さん

 それは、黙り通して過ごした月日がそろそろ三年目を迎えようとしていた頃、日本で言えば参観日にあたるオープンスクールでの出来事にあったのです。
 向こうのオープンスクールと言えばとても柔軟で、地域の人達も自分の子どもが学校へ入学していてもいなくても誰でも自由に学校へ来ることのできる日です。参観日と言っても、授業をするというわけではありません。夜間も教室は開放され、親子揃って学校へ来て、お話ししたい人はそこで自由に話して帰れる、というものです。
 学校へ出かけた私は、
「Mrs.八束!ちょっと来い、ちょっと来い」とコンピューターのクラスの先生に袖を引かれます。
 何だろう、と思いながら連れて行かれた所はコンピュータールームです。
「これが息子さんの使っているパソコンだ」
 先生は、そのコンピューターを私の前で起動させてくれます。
 すると、画面に何とも言えない可愛らしいバースデーケーキの絵が浮かび上がってきたのです。先生は、とても嬉しそうに、
「これを息子さんは書いたんだ」と教えてくださったのです。
 先生も息子がその絵を描いたとき、とても喜んでくださって、
「よくよく、できている。今日は、君の誕生日か?」と聞かれたそうです。
 ちょうどその日は、彼の誕生日だったのです。彼は、そのことを伝えたくて、その絵を描いたのだろうと思うのです。
 その時、息子は、
「Yes」と答えたそうです。
 その答えを聞いた先生は、今まで学校では一切言葉を話さなかった彼が声に出して答えたことをとても喜んでくださり、そのことをクラス全員に話して、そのクラスにいた全員で霎Happy birthday to you霑を歌ってくださったそうです。
 現在、彼はパソコンを使ってのウエブデザインという職業に就いています。その職業を選んだ理由は、その思い出が彼の心の中に残っていたからではないのだろうかと思えるのです。
 ですから、親の私から見れば、心配ばかりさせられて、やきもきさせられた三年間で、彼は一生の仕事につながる大切な経験をしてきていたのだと思うと、感無量でした。
 人生には無駄な経験は一つもない、と言われます。私はその経験から、本当にその通りだと思うのです。
 その頃の経験は「シンタのアメリカ物語」という本にまとめています。しかし、この物語を書き上げた当初は、まだ長男のことについては整理を付けられていませんでした。次男については、そのまま彼をモデルにして書けたのですが、長男はそのままモデルにすることができず女の子として登場させています。
 そんなこんなのアメリカ生活も、日本の高校ではアメリカからの途中編入ができないこともあって、長男の高校進学を機に、まだ仕事を残している夫を一人残して先に帰国する事になりました。
 しかし、長男にとっては、友だちもいない、孤独に過ごした不本意な三年間と映っていたのでしょう。ですから、日本へ帰ってから、その時間を取り戻したいとも思っていたようです。
 サッカーが好きで向こうでもしてはいたのですが、
「サッカー部へはいるぞ」
「ともだち、いっぱい作るぞ」と、とても希望に燃えて帰国したわけなんです。
 それでむかえた入学式で、まず校長先生がされた話は、
「去年の大学入学実績、有名私立大学何名、国立何名…」という皆さんお聞き覚えのある、あの話だったのです(笑)。
 親も子も三年間あちらにいて、それこそ浦島太郎さんなものですから、びっくりしてしまい、
「えっ、日本の高校って、そういうことになっていたの」と、その時初めて気が付きました。
 それでも本人が希望していたサッカー部へも入部して部活に喜んで出て行ったのですが、
「運動部に入っていると内申がよくなる」という理由で、大勢の子どもさんが入部してきたのだそうです。
 部員は三十名も四十名もいる。実質どうせ活動しないだろうというので、狭いグランドに野球部もいる、サッカー部もいるという感じで、とてもじゃありませんが、サッカーを思いっきりエンジョイするという環境ではなかったのです。
 そうすると、彼はまた、鬱屈した様子で、学校へ通い出すのです。そういうとき、親はとても無力です。してあげらることは何もないのです。親も、あちらでしんどい三年間を過ごしたのだから、目一杯高校生活をエンジョイしてもらいたいと思っていたわけです。ところが、どうも浮かぬ顔をして帰宅してくるわけですから、とても気には掛かっていたわけなのです。しかし、何をしてやることも出来なくて、見守るばかりだったのです。

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