カセージンのひとりごと

『奥多摩大好き』改題(2017年にタイトルを変更)

マエタケさんの思い出

2011年08月06日 | 番外
 もう40年以上前の話になる、当時ぼくは放送局への就職を目指している学生だった、そして講師の先生のコネで某TV放送局にアルバイトを得ていた
 その頃のスタジオにあるばかでかいTVカメラの台車には太くて重いケーブルが繋がっていたのであるが、カメラが移動するたびにそのケーブルがじゃまになる
 それでぼくの仕事はというと、そのカメラの後ろのケーブルをカメラの動きを妨げないようにさばくのである
 暑いスタジオの中(当時は照明から発する熱が半端じゃなかった)で汗だくになって軍手をはめた手でケーブルを抱えながら右往左往していた(目の片隅に羨望の的の”副調整室”を捉え、『いつかはあそこを職場にするぞ』と夢を見ながら)

 ちょっと仕事に慣れてきた頃”夜のヒットスタジオ”という番組にあてがわれた
 そこには話題のトップスター歌手達が集結してくる、彼らの化粧の香りを感じる距離でぼくは半ば夢心地でそして筋肉痛になりそうな重荷を抱えて作業をしていたのである

 ある日、司会をしていた(通称)マエタケさんが構成作家の(俗称)ドンドンクジラさんと打ち合わせ(番組進行中である)をしていてそのうち周りを見回してぼくを指さした
 フロアディレクターが呼ばれ、そしてぼくのところにやってくる
 『人手が足りないらしい、君に白羽の矢が立った』とそのフロアディレクターがのたまう
 その番組では出演歌手たちが寸劇(歌謡ドラマ)を行う時間があるのだが、背景が物足りなくなったらしい、ぼくに背景の”通行人学生A”を演じろというのだ
 番組は生で進行中だ、台本も何もない
 ほんの僅かの指示だけで軍手を外し学生帽を頭に載せられてぼくはカメラの後ろからカメラの前面に移動したのだった
 詳細な記憶はない・・・
 『よしうまくやった』とドンドンクジラさんこと塚田先生の声を聞いてまたカメラの後ろに戻ったのである

 そして嬉しいことがあった、その出演料が出たのだ!
 なんでもその筋の労働協定で決まっているものらしい、ほんの数十秒の出演で当時の金銭価値としてはけっこうなものだったような記憶がある、少なくともカメラ助手の一晩の報酬よりは多かった
 本来の仕事の担当に『(アルバイト料が)減額されますか?』と聞いたら『マエタケさんのご指名ではこちらは何も出来ない』とのこと




 昨日そのマエタケさんこと前田武彦さんの訃報に接した
 先月、某ラジオ番組に生出演されていて声を聞いたばかり、元気そうだったのに・・・

 ご冥福をお祈りいたします


 トップの写真は2011年7月「千本ツツジ」にて「鷹ノ巣山」方面 
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