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WATASI(M)のツイットNO.243

2015-03-12 08:55:54 | 日記
2015年3月8日(日)
 日曜日の午前中のテレビ番組は、この1週間に生起した出来事を総括するものが多い。また近接する日の何年か前に起った出来事を振り返る番組も組まれる。
 あと3日で東日本大震災が発生してから4年目の3月11日がやって来る。今朝の各局テレビ番組は、被災地の現在の復興振り(同時に、復興の進まなさ振り、災害が風化し始め出した危機感、震災を境に狂ってしまった被災者の人生等をも)を紹介していた。
 東北地方は関西からは遠く、旅行に行きたいと思いながらもそう簡単には行けない場所。震災で被害を被った人達の困難な生活状況も、ローカル・テレビでは日々報道されているのであろうが、関西に住む者には、今朝のように全国放送のテレビで取り上げてくれて始めて思い出す有様。
 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大地震、遠く関西に住む人は気が付かなかった人が多かったようだが、私は直ぐに気が付いた。先ず天井に吊り下げられた蛍光灯がゆっくり前後に動いたのに気が付いた。外に出て見ると、家の前の電信柱に張られた電線がゆっくりと左右に大きく揺れており、その揺れ方は大変不気味なものだった。時折経験する小さい地震ではないと思った。直後に映し出されたテレビには、津波が沿岸の田畑を舐めるように這い、通り合わせた車が逃げ惑う風景が映し出されていた。その日以降、地震の大津波の凄まじさ、福島原子力発電所の損壊して行く有様が連日報道されて益々驚愕したものだった。あの日から4年が経とうとしている。
 人間は忘れっぽい存在のようで、あの巨大地震の恐ろしさ、原子力発電所が破壊された当時の恐怖を忘れかけている自分に気が付く。今日、“冷え性”を患っている私は、電気代金を惜しまず毎日電気エネルギーを使わせてもらっている。「原子力発電所に頼らないで他のエネルギー源で生活出来れば良いが」とは思う。しかしやはりエネルギーは必要であり、それも充分な量が欲しい。然し、未だに残留放射線の為に生活を滅茶苦茶にされた人々の困窮した生活振りを新たに見せつけられるにつけ、(震災直後の寄付金募集に応じたこと意外)何も出来ないでいる自分をつくづくと“無力な存在だ”と思う。

 近江神宮本殿の中から太鼓の音がしてきた。賽銭箱の置いてある所から本殿の方を見ると、本殿の中に、回廊に置いてある大太鼓(朝夕時刻を告げるのに打たれる太鼓)よりも小ぶりの太鼓が据えられているのが見える。叩いているのは綺麗な衣装を身に着けた神主だった。祈祷を受けている人の姿が何人か見えた。
 何時頃からウオーキングを始めただろう、もう2~3年になると思うが、帰り道、柳川に鴨のつがい(夫婦と見受けられる)が泳いでいるのを初めて見た。一羽は普通の茶色、もう一羽の方は緑、青、その他カラフルな色で装った眼の覚めるように美しい鴨だった。自然はとんでもなく美しいものを作りだすものだと思う。2羽の鴨は水を飲んでいるだけなのか、それとも餌になる魚がいてそれ探し求めているのかハッキリ分からなかった。
 このところ、あまりウオーキングに来られていない。その所為で筋肉が減退しているのか、今日は調子が悪くて歩けなかった。歩くと直ぐに足が痺れて痛み出すので、腰を掛ける場所を探して所構わず何度も休んだ。

 日曜のNHK大河ドラマは今、幕末の歴史物語・「花燃ゆ」を放映している。大河ドラマは観たり観なかったりで、時々気紛れに観ている。今夜は10分ばかり観た。その中で、吉田松陰が「わしがこの世において恐れるものが一つだけある。それは目標を持たない人生だ。目標を掲げそれに向けて邁進する人生を送れない人生、即ち“無為に人生を終わること”を一番怖れる」という趣旨のことを言っていた。これは“役者の吉田松陰”の台詞であり、吉田松陰が実際にそのような考えを持ち、そう語っていたかどうかは知らない。しかし役者のこの台詞を聴いて、何故か“自分自身が非難されているような”気がした。
 このドラマでは、やたらと“志(こころざし)”という台詞が使われる。

2015年3月9日(月)
 明日から週半ばにかけてこの冬最強の寒気が南下して来るらしい。しかし今朝の時点では未だ寒さはそれ程でもない。目を覚まして寝床にじっとしていたら、“ピユ、ピユ、ピユ”と小鳥の囀る声が聞こえてきた。あまり耳にしない可愛い囀り方で“いかにも春らしい鳴き声だなあ!”と思った。
 冬と春の境目、寒さはもう少しの“我慢、我慢”。

 今夜のBSフジテレビ「プライムニュース」は「戦後70年談話」という題名だった。出演者は村山富市元首相、東郷和彦・京都産業大学教授の二名。村山元首相本人が語る所謂「村山談話」の説明を聴いて、初めてその意味を良く理解することが出来た。「戦後70年談話」が出されるこの8月15日、またその内容が物議を醸していろいろ揉めることになるのだろうか?私は村山富市元首相の発言が説得力を持っていると思う。「戦後70年談話」が「村山談話」を受け継ぐ内容のものであることを願う。

2015年3月10日(火)
 今日の市民病院でのPSA検査結果は最悪のものだった。
 1月14日から今日まで、ホルモン剤を(前回の40日分に引き続き)56日間継続して服用してきた。前回の検査結果から推測してPSA値の下がり方はさほどのものを期待できず、多分下降線は前回よりも緩やかになっているだろうとは予測していた。しかし、緩やかになるどころか数値は少しではあるが上昇に転じていた(1月13日PSA値0.135→3月10日PSA値0.146)。
 

 これには衝撃を受けてしまった。8年近くに亘ってホルモン療法を(断続的に)継続して来たが、投与中であるにも拘わらず上昇に転じたことはこれまでに一度も無かったことである。今回の検査結果を見て、医者は思わず「既に転移しているかもしれないな」と独り言を漏らした。
 今後「治療方法の変更」を余儀なくされそうだ。医者は「“注射”に変更しなければならないかなあ?」と言っていた。“注射”というのは多分リュープロンのことだろうと思う。   
 PET(=Positron Emission Tomography《陽電子放射断層撮影》)を始めとして、諸々の検査をいよいよ開始することになりそうだ。
 (私の前立腺癌に関心を持って下さる方は、CF.「WATASI(M)のツイットNO.229」「WATASI(M)のツイットNO.207」「WATASI(M)のツイットNO.175」)
 私の人生も、少し大袈裟だが愈々“最終楽章”に入って来たように思う。

2015年3月11日(水)
 昨日から寒くなった。昨日の大津の最高気温は7℃だった。
 今朝の大津の最低気温は-0.9℃にまで冷え込んだ。最高気温の予測は昨日と同じく7℃。「真冬並みの厳しい寒さ」となっている。
 今日は、東日本大地震発生から4年目の日で追悼番組が数多く放映されていた。災害に遭った方々には本当に気の毒に思い“哀悼の意を表したい”。それと共に“一度しかない人生”なのだから“頑張って生き抜いて!”と応援したい。
 私も“晩節を汚すことなく”残された人生を過ごしたいものだと決意を新たにする。
 3月8日のブログに“乗馬をしていた過去を懐かしむ日々を過ごすことになるのだろうか”と書いたが、今日は更に“ブログを書いていた頃を懐かしむ日々を送ることになるかも知れない”と思った。

 私のブログですが、詰まらないことばかり書いていて、止めようかなと思ったことがこれまで何度かありました。でもアクセスして下さる方々に励まされ今日まで続けてこられました。私のブログで唯一役立つことがあるとすればそれは私の“前立腺癌の経過報告”かもしれません。もし同じ病気を患っている方がおられれば参考になることと思います。今後も病状報告を続けられたらと思っています。そんな病気を持たない方も、「前立腺癌」・「脊柱管狭窄症」・「冷え性」・「腰痛」・「高血圧症」・「原因不明の右足浮腫」等デパートのように沢山の病気を抱えるWATASIの“あたふたした生き様振り”が“他山の石”としての役割を果してくれればと思います。 

2015年3月12日(木)
 何時ものように夜が明け、何時ものように時間が経過して行きます。
 今日も寒い朝でしたが、天気は良さそうです。