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WATASI(M)のツイットNO.187

2014-07-30 10:47:11 | 日記
2014年7月26日(土)
 今日は、大津は37度、京都は38度だった。
 この暑さの中、土曜日のピアノのレッスンを消化した。

 自分で選んでいると、同じような本ばかり読んでいるような気がする。他の人が読んでいる本を読んでみたくなった。Aさんに「長寿を科学する」(京都書院)という題名の本を借りた。
 Aさんは、前に会った時「今こんな本を読んでいる」と仰っていた。今日御自宅で会った時、「先日の本、読み終えたら貸して下さい」と話していたところ、帰る際になって「例の本、あらかた読んでしまったので持って帰るか?」と言って貸して下さったものだ。
 私が読む本はどちらかと言うと文学の方に偏っていて、自然科学の本は滅多に読まない。自然科学の本の方が難しくて頭を使うような気がする。例によって「読み終えるのに2~3週間かかるかも」と拝借期間が長くなることをお断りしておいた。
 Aさんは、今日、アメリカに住む友人のJさんが亡くなったという報せを受けたばかりで少し気落ちしておられた。JさんはAさんとは同い年で、Aさんが留学期間中に知り合い、50年に亘る親交があったという。

2014年7月27日(日)
 朝の9時頃、“夕立”ならぬ“朝立ち”があった。直ぐには“夕立”は上がらず一時間ばかり間欠的に降っていた。そのために一遍に涼しくなり、暑さに参っていた身体が随分と楽になった。本来の意味ではないが“慈雨”と言うに相応しいものだった。今朝の予報では、降水確率は確か0%と報じられていた筈なのに・・・。
 お昼のテレビニュースでは京都に大雨・洪水注意報が出ていた。更に近畿地方全域に雷注意報が出ている。また、琵琶湖の向こう側の湖東地方では、午前中、時間雨量が飛び抜けた数値の豪雨があったとも報じられていた。大津の午後からの降水確率は50%。滋賀県高校野球の準決勝大会は中止になった。
 夕方のテレビニュースによれば、今日、関東地方では豪雨や突風があちこちであったらしい。何でも、寒冷前線が南下して大気が不安定だったようだ。今後も関東、東北方面では今夜から明日にかけて要注意と言う。
 他方で、今日は猛暑日とも騒がれて、何人もの人が熱中症に罹ったと報道されていた。海では8人もの水難死亡事故が起こっている。

 宇佐八幡宮下拝殿へウオーキング(12回目)。
 今日は意地でも休まずに歩こうと考えていた。蕎麦屋の辺りまで来ると足が痛くて敵わなくなったがベンチを横目に見て我慢して歩き通し、下拝殿へと辿り着いた。
 “長時間”歩いていると、先ず足に“痛み”を感じ出し、やがてそれが“痺れ”に変化してゆき、最後には足の裏の感覚がなくなって立っていられなくなる。
 “痛み”は脊椎管狭窄症のために血管が圧迫され“血流が悪くなる為”に起り、“痺れ”は同じく脊柱管狭窄症のために“神経が圧迫される為”に起こると聞いたことがある。
 歩くのが辛くても、神社の森の中を歩いているとき、雰囲気が何時もと違うのを感じた。静かでひっそりとしている。「よいこのもり保育園」の前まで来て、駐車する車も少なくてあまりにも閑散としていたので、漸くにして「ああそうだった、今日は日曜日だった」と気が付く。

 夜は涼しくなり、暑くなかったので“夜具を被って”良く眠れた。夜具を身体の上に乗せると“睡眠モード”になるのだろうか、安心してぐっすり眠れるような気がする。

2014年7月28日(火)
 朝は肌寒く感じるくらいだった。しかし身体が大変楽になった。
 寒暖差が血圧に関係しているのだろうか、今朝は少しだけ高かった。
 朝の5:00に測ったら136―84。
 因みに午前10:00、125―76、午後2:00、123-68。
 7月22日以来、降圧剤を服用するのは止めている。

 湿度が低いと、気温が多少高くても爽やかでカラッとした感じがする。大変過ごしやすい一日だった。
 湿度と関係づけて“不快指数”とはよく言ったものだと思う。
 逆に言えば“快適指数”となる。

 宇佐八幡神社へ(12回目)。今日は何時もとは逆さのコースで時計回りに歩いてみた。行きは階段を使わないで、柳川に沿ってだらだら坂を登ることになる。逆に回ると、下拝殿までの距離は多少とも短くなって一度も休まずに到着した。下拝殿で何時もやっている柔軟体操を端折って素通りし、そのまま帰路についた。時計回りに歩くと近江神宮の境内の階段は下ることになる。帰りも一度も腰を降ろすことなく、結局往復とも一度も休まないで歩き切った。京阪電車の踏切の所での信号待ちの時間は屈伸運動をしながら待った。そのことも全行程を休まず歩き通すことに寄与したと思う。

2014年7月29日(水)
 午前9時~午後3時、新しい風呂釜の設置工事。午前中は従業員二人でほぼ完了させ、午後は従業員一人になった。午後は、実際に風呂桶に水を張っての試運転・安全テスト、新しいガスコンロの設置のみの作業。
 
    BEFORE       
     
    AFTER
    

 自分は何もしないで本を読み、偶に工事見物をしたりするだけだったのではあるが、家の中に誰か人が居て動き回っていると何だか疲れてしまう。午後3時過ぎ工事が完了したあと、私としては夕方まで何かをするには中途半端な時間になった。新しい風呂釜を早速使ってみて自宅で風呂を沸かして入浴すれば良いものを、気分転換に近くのスーパー銭湯へ出かけた。
 ところが、スーパー銭湯の駐車場には全く車が無い。「あれあれ、今日は休みなのかな」と思いきや、玄関のところには「閉店のお知らせ」という張り紙があった。一年の間に何度も利用するわけではなく、前回来たのは1ヶ月くらい前だっただろうか、私には予告なしの閉店のように思われた。3~4年の間に溜まっていたポイントカードがあと5~6回押せば60ポイントになる。そうすれば無料招待券が3枚もらえた筈なのに、それが無駄になってしまった。
 このスーパー銭湯が出来たのは20年近く前だったと記憶する。最初の頃は屋上の露天風呂から琵琶湖が眺められて大変気持ち良く入浴出来たものだった。然し今では琵琶湖との間にマンションなどの高層建築建物が建てられ、琵琶湖の景色は遮られてしまい、このスーパー銭湯の魅力は半減することになった。そして前回来た時も、お客さんが随分と少なくなったような印象を受けていた。
 原油の価格高騰が経営に影響を与えて閉店に追い込まれたのかも知れない。街中の一般の風呂屋も最近廃業したところが二軒あった。それに続いてこのスーパー銭湯も閉店となると、残された銭湯では今後お客が混むことになるだろう。

2014年7月30日(木)
 7月22日から血圧の薬は服用するのを控えている。もう9日間が経過した。血圧の正常値は上が130以下、下が70以下と聞いている。時々その数値を上回る時があると、果して医者にも断らず服用を中断していて良いものだろうかと心配になる時がある。
 
 今読んでいる「長寿を科学する」の『脳血管障害と高血圧』の見出しの箇所には以下のような記述があった。
 【日本ではなぜ脳血管性痴呆が多いのであろうか。そういう地道な調査と分析なしには有効な方策は見出しにくいものである。厚生省の統計では高血圧は30歳台から70歳台まで着実に増加し続け、70歳台になると実に40数%が高血圧となる。WHOの規定での正常血圧は収縮期・拡張期血圧がそれぞれ140~90mmHgかそれ以下、高血圧はそれらが160~95 mmHgかそれ以上となっている。その中間は境界域高血圧とされるのであるが、最近の研究では境界域高血圧状態が長期にわたると血管に悪影響をもたらすことが報告されている。そもそも高血圧は症状が全然現れずに、静かに病状が進行するケースが普通である。高血圧は英語圏ではサイレント・キラー(silent killer : 静かな殺し屋)ともいわれ、日々血管に負担がかかり、そうしているうちに血管が硬く、もろくなってくる。これが脳血管で起こると、脳卒中となるのであるが、たとえ脳卒中を免れたにしても、最終的にはボケが待っているのである。このようにみてくると高血圧が問題であることが理解できよう。】
 
 「WHOの規定での正常血圧は収縮期・拡張期血圧がそれぞれ140~90 mmHgかそれ以下とされている。」と書かれていて、日本で言われている数値、130~70 mmHgよりも大分高い数値になっている。日本でこのように正常値の範囲が低く定められているのは“日本の製薬会社の薬を売らんがための陰謀だ”という陰口が叩かれているのを聞いたことがある。
 何れにしろ、境界域高血圧状態が脳血管障害性のボケに繋がることの危険性はあるにしても、正常値とされる範囲が自分の思い込んでいた数値よりも高かったので少し安心した。それに、逆に、血圧が低くなりすぎることの危険も想像される。血圧が低すぎると、今度は脳梗塞の危険が増してくると聞いたこともある。今しばらくは、血圧測定を続けながら、降圧剤の服用を控えることを続けてみようと思う。

WATASI(M)のツイットNO.186

2014-07-26 07:15:00 | 日記
2014年7月22日(火)
 自治会役員の仕事で、町内をクルクル一周したら810m。
 その後、ウオーキング。今日も第一の鳥居の所でダウンして早々と休憩。お蕎麦屋さん前のベンチでも休憩。今日はズルをして、下拝殿まで行かずそのまま森の中を通って帰路についた。その途中でまた2度休憩。歩行計測器はリセット出来ない仕組みになっている。それで、町内のクルクル周りを合わせて2,630mと表示された。810mを引けば、正味のウオーキングは1,820m。

 今日は血圧の薬(降圧剤)を服用しなかった。それなのに、朝116―73、昼113―65、夕118―75だった。これなら服用する必要は全くない。

2014年7月23日(水)
 ガスサービスセンターの従業員がガスコンロのカタログを持ってきた。
 色々商品の違いを説明してくれるがあまり理解できず。結局値段的に真ん中くらいのを選んだ。大まかに言えば、天板がガラストップであるのが高価、また片面焼グリルよりも両面焼グリルの方が高い。また“水なしグリル”の方が高いようだ。“水なし”と言うのは、魚を焼いた時に汁が落ちるが、その受け皿に水を入れておく必要が無いというもの。一体どのようになっているのだろうと興味を持つ。
 カタログにガス炊飯器も載っていたので頁を捲ってみた。
 玄米が炊けるガス炊飯器は飛びぬけて値段が高かった。普通の炊飯器が15,000円~30,000円であるのに対して、80,000円と随分と値が張る。「直火のおいしさを追求した最高級ガス炊飯器“直火匠”」などと謳われている。美味しいのは結構だが高すぎると思う。このような高級品には様々な機能が付いている。一般に高級品は色んな機能を備えているが、私などは何時も機能が多過ぎると思っている。“やり過ぎ”と思う機能が数多くあり、使いこなせないので結局そういう機能は使わないことになる。私は“シンプル・イズ・ベスト”という考えの持ち主で、そういう器具の方が値段も安くて利口だと思う。

 皇子山古墳までウオーキング(13回目)。やはり、未だにこの公園で人に出会わない。
 頂上で、近江神宮の太鼓の音を聴いた。
 最初、雷の音かと思った。聞き耳を立てると近江神宮の方角から“ドーン・ド-ン”と、例の時を告げる音がはっきり聞こえて来た。時計を見れば丁度午後5時。山の下手から聞こえて来る。皇子山古墳の頂上が高い位置にあることが分かる。ここは色んな物音が聞こえて来て意外と喧しい場所である。大分離れているが、眼下の湖西線や京阪石坂線の電車が通り過ぎる音が聞こえて来る。山の裏手の西大津バイパス(湖西道路)を、スピードを出して走る車の騒音、鳥や虫(蝉)の鳴き声等々、決して静かな場所ではない。
 初めて気が付いたことがあった。山の登り下りの時、私は、登りも下りも必ず右足から踏み出していることに気付いた。階段の一段一段の高さの差、一段ごとの幅等で、「偶々そうなったのか?」と最初は思った。しかしそうではないようだ。
 登りの場合、踏みだした足に身体を持ち上げるために力を入れることになるが、右足から踏みだして登っていると、右足の太股ばかりに力が入ってその部分が痛くなる(左足はその更に上の段まで上げないで、右足を置いた同じ段まで引き上げるだけである)。それで、踏みだす足の順序を換えて左から踏みだしてみても、何時の間にか順序が入れ替わって右足からになってしまっている。
 下り道も、足を出す順序に気を付けていたら、矢張り右足から下りていた(左足は更に下の段まで持って行かず、右足を置いた段へ移動させるだけ)。下りの場合は体重を預けて“ドスン・ドスン”と下りることになる。下りるときは登りの時よりも足には幾層倍の負荷がかかっていると聞いたことがある。それで、左右両足に公平に負荷を負わせようとして、足を換えて左足から踏みだしてみた。しかし矢張り何時の間にか右足で“ドスン・ドスン”と下りているのに気付く。得手と言うものがあるのか、はたまた右足から踏み出すのが癖になっているのか、その辺のところがハッキリ分からない。
 そう言えば、私の右足が左足に比べて太く腫れているのは、「左足を庇って右足にばかり負担が掛っているからではないか」と言ってくれる人がいた。

2014年7月24日(木)
 今日は、祇園祭の「後祭」だそうだ。
 「49年ぶりに後祭が“復活”」、とテレビが伝えていた。“復活”したのは観光促進で経済効果を狙ったものか、それとも純粋に宗教的な“謂れ”があるためなのか?逆に、何故、昔は「前祭」「後祭」と二回あったものが、長期間に亘り一回にされてしまっていたのか。「前祭り、後祭りと二回もやるのは大変だから一度にしておこう」と誰かが言いだしたのだろうか?
 こういうのを「下種(げす)の勘繰り」(not guessの勘繰り)と言うのかもしれない。

 暑い!特に昼間はひたすら“辛抱”の一文字(二文字?)となる。夜に入っても涼しくならず、普段は寝つきの良い私もなかなか寝付けない(“睡眠健康優良児”と言う自慢も、暑い夏の間は返上しなければならない)。まだまだ、あと一ヶ月以上も辛抱しなければならない日が続く。
 冬も辛いが、夏も矢張り辛い。

2014年7月25日(金)
 昨夜眠りに入ったのは午前零時半頃だったか。午前5時半頃目覚める。睡眠時間は短い上に浅いものだったような気がする。起きても頭はすっきりせず半分眠っているような感じ。
 東京の方では、昨日ゲリラ豪雨があったと言う。
 今日も暑い。お昼過ぎの時点で、大阪は36.5度、大津は35℃近いという(結局、京都は37.9度、岐阜県の多治見においては何と39.3度!だった)。
 昼寝をしてもあまり眠れない。10分程も眠っただろうか。
 こんなに暑いと、修行をするために何もわざわざ深山幽谷に分け入る必要はない。うだるような暑さの中、ベッドに横たわり朦朧とした頭の中で、何か悟りが開けそうな気分になる。
 午後2時頃が一番暑い盛りだと思われる。午後4時、5時になれば少しは暑さも和らぐだろうと、ひたすら時間が経過するのを待つ。

 ウオーキングは久しぶりに近江神宮の方へ回った。
 7月も終わりに近づいたが、“挨拶文(案内板)”には、7月7日の“七夕”として、柿本人麻呂の歌が載せられていた。
 

 
 
 私の散歩道では、少しルートを変えれば、こんな立派な大木を眺めることが出来る。
 樹齢何百年になるのだろう。昔からこの辺りの歴史の移り変わりを見続けて来た、この界隈の動植物全ての最長老になるのではないだろうか。
 

 

 田んぼの土。
 干からびた土の割れ目は、水を張っても直ぐには割れ目が塞がらず、水の中でも割れたままだ。
 

2014年7月26日(土)
 現在午前8時。私の部屋の温度は32℃。

WATASI(M)のツイットNO.185

2014-07-22 09:54:28 | 日記
2014年7月18日(金)
 宇佐八幡宮下拝殿。何時もより3分も余計に時間がかかった。歩数も多かった。歩数によって距離が計算される計測器なので、1.3㎞と実際より多い表示が出る。
 近江神宮の森の中を通って行くことになる。森の中の樹木は夏が近づいて枝葉が多く茂り、ここも暑苦しそうに見えた。

 O工務店さんから「長い間待ってもらったが、明日伺う」という電話が入った。
 夕方にわか雨があり、少しだけ涼しくなった。

2014年7月19日(土)
 午前9時、Kさんが瓦屋さん二人を連れて来てくれた。
 雨漏りの原因は大屋根にあるようだった。一階の屋根の一番高い場所の下(台所になる)で雨漏りが起こったのだから、確かに一階の屋根よりも大屋根を疑うのが筋だった(私はそこまで智恵が回らなかった)。大屋根の瓦を何枚か差し換えてくれて、「これで暫く様子を見て下さい」ということで終わった。もしこれまでと同様に雨漏りが起こるようなら、今度はもう少し手を掛けた工事をしなければならないでしょう、と言って帰って行った。時計を見たら未だ午前10時過ぎ、約1時間で解決してしまった。
 私は、今日は下見に来るだけで、後日改めて大掛かりな屋根の修理工事になるものと思い込んでいた。直ぐに修理が終わって嬉しかった。

 ピアノのレッスンの日。新しくやり始めた「バルカロール(舟歌)」の方は、何時ものパターンで先ず譜読み(楽譜通りに弾くこと)から始まる。技術(表情付け)は二の次になる。右手・左手別々に弾く時は兎も角、両方同時に弾くのは大変難しい。左手・右手、それぞれ弾く練習をする時に、他方のメロディーなり伴奏を意識していることが肝心になる(実際に口ずさむなりする方が良い)。
 
 今にも夕立が来そうな昼下がり。
 Aさん御夫婦と団欒中の話し。
 ――雷鳴が轟く――
 奥さん:「ウワー、怖い!」
 Aさん :「僕は耳が遠くて聞こえないので少しも怖くない」(澄ましている)
 私  :(吹きだしてしまった) 
    私は次のような話を思い出した。
     盲目の先生が講義をしている最中に停電になり、生徒が「先生、電     気が消えました。筆記出来ないのでローソクの火を点けます。暫くお待    ち下さい」と言ったのに対して、先生が「目開きほど不自由な者はない    」と言ったと言う話。
 
2014年7月20日(日)
 中国・四国地方で梅雨が明けた。
 この何日か、日本列島に寒気が下りて来て不安定な空模様が続いている。確かに、急に空が暗くなったり明るくなったりと、目まぐるしく変化する。
 しかし、昨日もそうだったが、寒気が日本列島まで下りて来ていると言う事で、比較的涼しく感じ、過ごしやすいので有難い。
 去年まではこんなことはなかったように思う。

 今日は、子供達が夏休みに入って最初の日曜日。早くも水難事故(4人死亡)が起こっている。
 岡山県倉敷市の11歳(小学5年生)の子供誘拐事件は、子供が無事保護されて犯人は逮捕された。
 夕方、お墓へ行き、雑草取りをした。檜木の子孫が一人前に葉っぱを一枚具えて芽を出していた。

2014年7月21日(月)
 朝方は涼しく、この時間帯だけ気持ちが良い。
 今日は「海の日」で祭日。朝のテレビ番組も、何時もと同じ番組が出て来るものと思っていたら、少し違っていて戸惑う。
 今日、近畿地方が梅雨明けした。平年並みの梅雨明けだという。

 宇佐八幡下拝殿へ。10回目。
 今日も身体の調子は今一つ良くなかった。理由は解らない。足の御機嫌(=脚力=脊柱管狭窄症)は気紛れだということは解って来た。京阪電車の直ぐ側の第一の鳥居の基礎石に早々と腰を掛けて第一回目の休憩。更に階段を上がった所の第二の鳥居を潜って暫く歩くとお蕎麦屋さんの前に長椅子が置かれている。そこを通りかかった時、足が重くなっていて限界を感じる。其の長椅子を拝借して第二回目の休憩。拝借した長椅子は黒塗りでしっかりしており、「上手に作られているなあ」と感心して眺めながら3~4分休憩させてもらう。周囲の雰囲気が何時もと違った感じがした。「よいこの森保育園」の前の広場に駐車している車が少ない。午後5時頃のこの時間、駐車場は子供を迎えに来る車の出入りが激しい筈なのに・・・。今日が「海の日」の祭日であることを思い出した。
 お蕎麦屋さんのベンチから200m程歩き、柳川の橋を渡れば下拝殿。ようやくのことで辿り着いた。

 片道を歩くのに2度も休むのは滅多にない事。暑さも関係しているのかもしれない。周りの景色を観ながら爽やかな気分で歩くのと、暑くてぐっしょり汗をかきながらひたすら歩くのとでは大違いだ。とは言っても本質的な問題は筋肉の衰えだろう。  

 歩行が困難になりだした5年程前から、歩いている時、腰を掛けて休む場所をきょろきょろ探して回っている自分に気が付く。一般の道では椅子などはどこにも置かれていない。バスの通る道の停留所ですら椅子が置かれていない。京都の三条京阪駅のプラットホームでは、椅子がホームの端にしか置かれてないので何時も不便している。街中、例えば京都の京極通り等には、道の真ん中に長椅子が所々置かれていて、私などは大変助かっている。旅行した時にも、地方の街の古い商店街通りには椅子が置かれているのをよく見かける。高齢化が進みその必要が増してきたからだろうと思う。
 足腰の衰えて来た者には、どんな場所でも、外出した時に困らないような気配りがされていないと、だんだんと外出しなくなってしまう。その為にますます足腰の筋肉が衰えてゆくことになる。

 ぼんやりと先のことを考えた。最近家の近所でも、高齢化社会になって来ているという割には杖をついている人はあまり見かけないように思う。電動スクーターに乗っている人も、一時見かけた頃もあったが、今は少しも見ない。尤も、この遊園地にあるようなゴーカートに似た電動スクーターは、観ていて(自分が車を運転していて)も、何時交通事故に遭ってもおかしくないと思うくらい危険そうに見えた。“被害者になるのも加害者になるのも御免こうむりたい”という思いで何時も眺めていたものだった。
 近所でこのような杖をついている人、電動スクーターに乗っている人を見かけないのは、それを必要とする年寄りの多くが、近所に小規模店舗が無くなったことなどもあり、遠くスーパーなどへ行かなければならなくなって車を運転しているからだろうと思う。車なら多少身体が不自由でも運転して行ける。私もそうだ。最近では、かなりのお年寄りでも車を運転している人を多く見かけるようになった。だが、高齢者は視野が狭まってきており反射神経も衰えて来ているので、車を運転するには注意を要する。高齢者本人が自分の車の運転技術に根拠のない自信を持っていると言われているから具合が悪い。高齢者ドライバーの交通事故が近年多くなってきているらしい。自分も注意しようと思う。

 下拝殿からの帰り道、腹具合がおかしくなってきてトイレに行きたくなった。近道を選んで家に戻ることにした。「冷たい食べ物を飲み食いしていたら胃腸を弱める」と聞くが本当だろうか、と考えながら急ぎ足で家に帰りトイレに飛び込んだ。

2014年7月22日(火)
 梅雨明け十日は天気が良いと言う。天気予報は今日から先一週間ほど、ずらーっと晴れマークが並んでいる。
 このパソコン日記に向かっていたら、ジワーッと汗が出て来た。
 “そろそろ暑さは終わってほしいと思うくらいの気持ちでいるのに”これから愈々夏本番、若者達の季節。私も付き合おう。




WATASI(M)のツイットNO.184

2014-07-18 07:38:10 | 日記
2014年7月14日(月)
 今日は一日曇り空、時々強いにわか雨。男性的な梅雨空。
 京都の祇園祭は7月1日から始まっているという。7月17日が山鉾巡行の日で、今日は宵々々宮になる。
 7月のイメージは、祇園祭、鱧、子供達の夏休み。
 7月の関心事は、梅雨明けは何時頃になるのか?

 祇園祭が盛り上がる17日前後にうっかり京都の街中に出たら大変だ。観光客など大勢の人出の為にエライ目に遭う。
 スーパーなどの店先でも鱧が並んでいるのを多く目にするようになった。でも、私は鱧が美味しいと思ったことは一度も無い。
 近頃の関心事は梅雨が明ける日。今年は何日頃になるのだろう。近年は、梅雨がスカッと明けて“愈々夏だ”と思うことが少なくなってきた。梅雨明け宣言もアバウトなものになっている。梅雨が明けた後に何日か続く快晴の日が待ち遠しい。その頃、大抵子供たちの夏休みが始まって“朝顔”も咲きだす。
 そして、8月に入って琵琶湖花火大会(8 月8日)。
 甲子園の高校野球が始まるのは8月に入ってからのことだったか?

2014年7月15日(火)
 久しぶりにウオーキングに出かけた。7月1日(火)の“視力検査用写真”を撮って以来になる。行き先は宇佐八幡神社下拝殿(8回目)。
 近江神宮参道のガソリンスタンドの前を通ることになる。ガソリンスタンドの看板に、“169円/ℓ”と ガソリン価格が表示されていた。何時の間にか随分と高くなっているのに驚く(私はそれほど頻繁に車を使わないのであまり影響を受けないのだが)。
 下拝殿では、何か会合があるのだろう、御夫婦が座布団を用意したりしてその準備をしていた。早くも9月の秋祭りの準備だろうか。「私の住む自治会が秋祭りの当番をすることになるのは何時のことか?」と御主人に尋ねてみたら、「来年」と言う返事だった。
 下拝殿の周りの紫陽花(あじさい)は盛りを過ぎていた。季節はもう百日紅(さるすべり)の出番の頃か。
 久しぶりに歩いてみて少し足が重く感じた。しかし、帰り道、京阪電車の駅の椅子に座って休憩したものの、無事に歩けたのでホッとした。
 ウオーキングの途中、近江神宮の森の横を流れる柳川を渡る橋のところで、珍しい「横断歩道の押しボタン」の写真を撮った。一般には電信柱に直接設置されている筈なのに、ここの押しボタンは電信柱から思い切り腕を伸ばした(離れた)場所に設置されている!
 
 
 

 最近、御近所の方々から色々贈り物を頂戴する。二三日前に続いて今日もジュースや素麺を頂いた。普段はあまりに暑いので家の中では裸で過ごして居る。訪ねて来る人があると慌てて服を着て玄関に出るのだが、汗をかいているので衣服が身体に引っ付いてちゃんと着られず、直ぐには玄関に出られない。その間、訪問者を待たせてしまうので気が気でない。

2014年7月16日(水)
 梅雨の時期と夏は明確に区分されてはいない。
 今日はまだ梅雨明け宣言は出てないが夏のような日になりそうだ。朝から天気が良い。しかし暑い。

 隣家では植木屋さんが来て仕事に励んでいる。
 私の家では、年末に植木屋さんに来てもらうのを常としているが、早くも半年が経っており、我が家の植木も夏を迎えて暑苦しそうに見える。序に我が家の植木も散髪をして欲しいくらいだ。
 
 夕方、ウオーキングに出ようかどうか迷っていた時、大阪瓦斯サービスセンターの係の人が見積書を持ってきた。ガスコンロの部品の方はなかったと言う。18年前に買ったガスコンロは寿命が来たものとして修繕するのは諦め、新しいのを買うことにした。

2014年7月17日(木)
 朝、雨戸を開けたら隣の家の庭がすっきりと綺麗になっているのが見えた。葉が一杯に茂っていた棕櫚の木が伐り払われていて庭が随分広く見える。
 
 昨日、九州の方で梅雨が明けたという報道があった。
 今日は京都では祇園祭りの山鉾巡行の日。近畿地方も梅雨明けは間近い感じがする。
 今年の梅雨の期間中、“梅雨寒”と言う日はあまりなく、雨もそれほど降らなかったように思う。“もうすぐ夏だぞ”と思わせるような日ばかりであった。
 近頃、私の体質だと思うのだが、急に気温が上昇したわけでもないのに、しばしば何かの拍子でジワーと汗が噴き出ることがある。噴き出た汗は直ぐに引いてしまうが、冷や汗が出る感じとよく似ている。“普通の汗”と“冷や汗”とはメカニズムが異なると聞いているが私の場合何だか似ているような気がする。私は、診察室などで聴診器などを当てられる時には必ず冷や汗のようなものが出ている。病的な気がするくらい身体が汗ばんでいるのだ。新陳代謝が良すぎるのだろうか。

 何年か前、人と話をしていた時、相手の人がさり気なく「死ぬ時は一人なのだから」と言ったのを良く覚えている。「この人は人生がよく分かっているな」と私はその時思った。
 最近、私は「死ぬ時は一人」ということをつくづくと考えている。
 人間は交通事故や何かで瞬時にして死んでしまうことがある。本人は何の心の準備も出来ていないまま、この世に別れを告げることになる。こんな呑気なことを書いている自分も、この先、何か不慮の事故でそんな死に方をするかも知れない。その時は、それ迄の人生ということで、心の整理・準備をすることなく、この世にお暇を告げることになるだろう。
 「つひに逝く道とはかねて聞きしかど・・・」というくらいの時間の余裕があっても問題は同じだろう。

 私は、50歳代の半ばになった2001年7月、偶々PSA検査をして前立腺癌を患っていることが分かった。比較的若くしてこの病気に罹っている事が判明したので、「このような例の患者が出て来るのだから、50歳代からも健康診断にPSA検査を取り入れなければならないな」と医師を驚かせたものだった。
 些か手遅れになってしまった前立腺癌の手術をしたわけだが、入院して手術した時には死に対する恐怖心は少しも無かった。丁度働き盛りの頃だったので2~3週間の入院期間は休息日のような気がした。そのまま死んでいても“特別考え込むようなことも無く”死を迎えられたような気がする。
 長生きをして、そろそろ死を迎えるかもしれないと思うようになっても、多くの人はあまり深刻には死を考えず、従って死に対して特段の心の準備をすることもなく死んでゆく人が大多数なのではないだろうか。
 死ぬ迄の時間に多少とも余裕のある人は、“死に面した時”(死の切迫度によって何時頃になるか知らぬが)自分の人生を“総決算”しなければならない、と私は思う。
 死をどの様に捉えどう臨むかは人それぞれによって異なるだろう。他の人の事はこの際構ってはおられない。
 今は自分の事で頭が一杯だ、「死ぬ時は一人なのだから」。
 人生を閉じようとする時は、自分なりに自分の人生を“総括”しなければならない。

 気持ちをどのように整理して、この世と別れたらよいのだろう?。
 当たり前のことながら、人間の寿命は区々で、人は生き延びた年齢で死を迎える。
 80歳、90歳まで生きている人達は、その年齢まで生きた時に、自分の人生をどの様に捉え、死に対してもどのような心構えでおられるのだろうか?聞いてみたくなる。
 私が、50歳半ば前立腺癌の手術した頃と70歳近くになった今とでは、やはり思う事に違いがある。

 振り返って思えば、私は小さい頃から“人生って一体何なのだろう”と他の人よりも考えることが多かったような気がする。
 あまりにもこの世が不思議に思えたからだ。
 “この世”では無限の宇宙が広がり、無限の時間がある。私は一瞬の間に此の不思議な世に生まれ出て、やがて直ぐに別れを告げて“二度”とこの不思議な世界に戻って来ることはない。不思議がるのは当たり前のような気がする。“二度と戻らないのだから”
 だけども、いくら考えても、いくら本を読んでも、また他人にそれとなく疑問を訴えても、答えは導き出せない。何一つ分からないまま、この無限の宇宙・無限の時間と“永遠に”別れることになる。
 最後まで不思議な世界だったと思う。

 「聴けわだつみの声」の時代に生きた人達は気の毒だった。私は、太平洋戦争直後に生まれた。貧しい時代だったがその後豊かになり、戦争のない平和な時代に生きられた。そのことを幸せに思う。多くの人のお蔭・賜物だと思い感謝する。

 今年の祇園祭は50年振りに、前祭り(17日)と後祭り(24日)と山鉾巡行が2度行われるという。テレビで拝見した。

 今日も皇子山古墳に来ることが出来た(12回目)。
 
 7月1日の写真のリベンジで、大津京駅を通る湖西線の車両を撮った(サンダーバードではないけれど)。先頭車両の頭だけ見える(赤っぽい色)。えっ?やっぱり虫眼鏡、老眼鏡が要る?
 
 同じくリベンジ写真。長命寺がある山。その後ろに伊吹山まで薄っすら撮れている。

     
 皇子山古墳は綺麗に草が刈られていた。草に隠れていたお地蔵さんまで現れた(右)。 
 
2014年7月18日(金)
 昨夜の遅い時間、テレビで中性子星のことを解説していた。物凄い世界のことを話し合っていたので頭が変になりかけた。
 今朝のニュースでは、マレーシア航空機がウクライナ東部で撃墜されて多くの犠牲者が出たことを報道していた。日本時間の午後11時過ぎに起こった事件で、昨夜、丁度私が中性子星に関するテレビを観ていた時刻になる。
 

WATASI(M)のツイットNO.183

2014-07-14 08:34:48 | 日記
2014年7月10日(木)
 朝食後もまだ目が覚めきらず、頭がぼんやりしてスッキリしない。ベッドに身体を横たえていたら1時間ほどまた眠ってしまった。昼食後も矢張り2時間近く眠ってしまった。
 昨夜の睡眠時間は何時もと変わらなかったのに、睡眠の質が悪くて眠りが浅かったのかもしれない。
 
 台風が接近してくるということで落ち着かないという理由もあったが、今日もピアノに向かうことは一度もなかった。夕方の中途半端な時間にはショパンの“ノクターン(遺作)”、平岡養一の“おやすみなさい”をカセットテープに録音して過ごした。
 
 昨日、散髪屋で、“毎日何をしていますか、暇を持て余す事はないのですか?”と聞かれた。
 それで改めて自分の普段の生活を振り返ってみた。大変不遜な言い方になるが、“人生そのものを持て余している”ように思うが、一般に言われるような意味では、暇を持て余していることは全くないと言って良い。むしろ、一日があっという間に過ぎ去っているような気がする。一日の大半は、毎週土曜日にあるピアノレッスンの準備のために時間を割いている。そして、その一週間があっという間に過ぎ去る。
 
 しかし、ピアノの前に長く坐っていることは、私の持病になってしまった足の病気に悪意影響を齎していることに気付いてから、更に言えば、多少ピアノが弾けるようになったからと言って“それが一体何なのだ?”と言う思いが頭をもたげだしてきてから、今日のようにピアノに向かわない日が増えて来た。
 「前回のレッスンの時に指摘された個所を上手く弾けるようにしておこう」と言う気持ちが毎日のピアノ練習に向かわせていた。しかしその気持ちが薄らいで来た。先生にも「今後これまでのように根を詰めて練習する事はしないので、前回のレッスンの時とあまり変り映えしない日があっても悪しからず」と断っている有様だ。

 今までピアノに向かっていた時間は、“読書”や“テレビ”の方にシフトすることになる。“旅行”も大儀に思うようになりだして、こっちの方は夢を見るだけとなってしまう。
 読書と言っても、是が非でも読みたいと思う本があるわけでもない。
 必然的に、テレビが一番安易な“娯楽”、“暇つぶし”ということになる。
 しかし、テレビのチャンネルを切り替えても、全く面白くない内容の番組ばかりの時があって、「皆さんよくこんな詰まらない内容のものを観ているなあ!?」と不思議に思う時がある。
 ニュース番組も、世の中から一向に無くならない(と言うよりも増え続ける)戦争や、性懲りもなく繰り返し起こされる犯罪ばかりを毎日のように見せつけられると、心底から気が滅入ってしまう。
 それでも、時に「あー、良い番組を見せてもらった」と感動する番組に出逢う時がある。そんな時は、自分の身体のことばかり気に病んでいる自分に気が付いて恥ずかしくなる。
 昨夜は、午後8時からのBSテレビ3チャンネルで、「徳川慶喜の人物像」を取り上げていて大変面白く拝見した。
 私は午後10時頃までには寝床に入る習慣でいるが、寝床での読書にも飽き、眠ることが出来ない時など、稀に夜遅くなってからテレビをつけることがある。そういう時、普段見慣れない番組が出て来ると面白くて夜更けまで観てしまっている。

 昼間に2度も眠ったので、昨夜は、台風を心配しながら遅くまで「母子変容」(有吉佐和子)を読んで過ごした。テンポよく書かれていて、これぞ“娯楽小説”という印象を受ける。しかしその時限りの事であって後に残るものは何もない。
 ところで、題名の「“変容”ってどういう意味だろう?」と気になりだした。当たり前の意味に思い込んでいて意外と正確な意味を知らないことが多くあるからだ。だが、辞書を開いてみたら“当たり前のこと”が書かれていて、気にしたことは取り越し苦労だった。
 「変容」=「姿・形を変えること。姿・形が変ること」とあった。前者は“変”を動詞的に、後者は形容詞的に捉えて併記しているだけだ。

2014年7月11日(金)
 昨日、台風8号が他府県ではいろんな災害を齎しており、その様子が逐一テレビで伝えられていた。しかし、ここ大津では大雨が降ることもなく、風の音も聞こえず、何か拍子抜けの感じがした。
 現在、午前8時。「台風8号は房総半島沖で990hPaと勢力が衰え、早朝の東京の交通網に混乱は無い」と言う報道内容(→夜7時のニュースで、台風8号は、関東地方の東海上辺りで勢力が衰え温帯低気圧になったという)。

 午前中、風呂釜の件で“大阪瓦斯サービスステーション”へ行く。大津市企業局のガス施設課から“不完全燃焼防止装置付き”の風呂釜に取り換えることを推奨されたからだ。それとは別に、二つあるガスコンロの一方(左)が着火しなくなっていた。従業員が早速来てくれた。前者は「近いうちに見積書を持ってきます」という事だった。後者は「18年前に製造されたコンロなので、部品があるかどうか分からないが、あったら持ってきます」という返事だった。たとえ部品が無くても“チャッカ(着火)-マン”を使えば着火することが分かった(従業員が教えてくれた)。そう言えば、昔は一々、マッチを擦ってガスの火を点けていたのを思い出した。今日では自動的に着火するのが当たり前になっていて(便利になり過ぎていて)この事を忘れてしまっていた!。

 今年2度目の、“刈り払い機械を使っての雑草取り”をした。お陰でその後腕が痛くなった。

2014年7月12日(土)
 シリア内戦で17万人の死者が出ているという。死にたいと思って死ぬ人は一人もいない筈なのに。
 朝、2階の北側の窓を開けたら、2,3軒向うに建築中の家が工事期間中の覆いを取り払って美しい姿を現していた。ついこの前もテレビで、長い間修復工事中だった姫路城が、同じく覆いを取り払って美しい姿を現したのを見たばかりだった。
 新しい物は美しい!「新生、希望!」のようなものを感じるからだろうか。

 ピアノのレッスン、漸くにして“シュタイヤー舞曲”を終えて、今日から“バルカロール(舟歌)”に入った。

2014年7月13日(日)
 日曜日の朝、朝食を終えテレビニュースも見終わって2階へ上がろうとした。テレビのスイッチを切ろうとした時、BS・NHK第1チャンネルで「世界自転車探検部・スロバキアの旅」という旅番組が始まった。それで、更に午前9時から50分間その番組を観た。
 鑑賞し始めたばかりの刻限に、天気が急に悪くなって雨が降り出した。テレビ画面もモザイクが入って乱れ始めたので一旦観るのを諦めてテレビのスイッチを切った。5分ばかり経っただろうか、歯を磨いている間ににわか雨も止み、再度テレビのスイッチを点けてみたらクリアーな画面が現れた。それで最後まで観ることが出来た。
 旅案内人は、日本で“狂言”を学ぶオンジェイと言う名のチェコ人だった。日本語が堪能で大阪弁まで飛び出す有様。首都“プラチスラバ”から、幼少の頃に両親に連れて行ってもらったことのある“スピシュ城”(世界遺産)まで、スロバキア西部を縦断する旅である。首都の町中で、日本の「シマノ」の看板が掲げられている自転車店で、店の従業員から自転車を借りて出発。途中スロバキアの刺繍やガラス工芸、ワイン工場などが紹介される。中世ヨーロッパの小さな山村“ブルコリネツ村(これも世界遺産になっている)”も紹介されていた。
 地元の小さなテレビ局が写し出され、21年前にスロバキアが独立するまで許されていなかった“表現の自由”の重要性をさりげなく訴えていた。
 湖畔で釣りを楽しむその土地の住民が、「人生はバカのように笑わないと寂しいものだぞ」と言っていた。西洋人(特にパリの住人など)は、文学的、哲学的な表現を好むようだ。
 番組の最後の方で、タトラ山を背景にしてスロバキア国家が流されていた。多くの国歌がそうであるような国威を示そうとするようなメロディーではなく、讃美歌のように美しい曲に聴こえた。
 24年の時を経て故郷を訪れたオンジェイが、スピシュ城の前で、「昔の記憶では、景色は灰色に見えていたが、今度ここに来てみると鮮やかなカラーの風景に見える」と漏らした後に言った言葉が印象的だった。
 それは「24年間で国は変れるのですね」、という言葉だった。
(※ スロバキア=1989年の民主化、及び1993年のチェコスロバキア連邦解消後、スロバキア第一共和国、或いはスロバキア共和国と称されている)
 
 お陰で、自宅に居ながらにして海外旅行をしたような気分になった。
 日本の国内旅行にうつつを抜かしていないで、「私も海外旅行に出られたらどんなに良いだろう」とテレビ画面を見ながら思った。
 しかし“実際は疲れるだけ”なのかも知れず、“夢”を見ているのが一番良いのかも知れない。

2014年7月14日(月)
 朝の6時半頃、テレビを点けたら、白いユニフオームを着た選手の喜色満面の姿が大写しになった。ワールドカップの決勝戦でドイツが得点した瞬間だったようだ。あまり良くない目で、“試合は前半だろうか後半だろうか?”とテレビ画面の端の小さい文字を読みとったら、“延長戦の後半で、それも残り時間が数分も無い時間”だった。果して1対0のまま試合は終わった。
 ドイツが優勝、アルゼンチンが準優勝。
 2014年のブラジルでのサッカー・ワールドカップは幕を閉じた。