2015年11月26日(木)
病院、午前9時。
今日はベッドのシーツの交換日で、係の人が「シーツを交換します」と声をかけてくれた。
「私は今日退院するので不要です」とお断りした。
家に帰る準備が出来た午前9時過ぎ、思っていたより早い時刻に「入院費の請求書」が会計から上ってきた。直ぐに2階へ下りて行き、支払いを済ませた。
間なしに兄夫婦が迎えに来てくれ、午前10時前という早い時刻に病院を後にすることが出来た。
お昼は、自宅で、兄嫁が作って持ってきてくれたお弁当を食べた。
夕食は、Yさん宅で頂いた。
入院中殆どお粥ばかりの食事だったので、Yさん夫婦が最後に見舞いに来て下さった時(Yさん夫婦は3度も見舞いに来て下さった)「月見蕎麦の様なものを食べたい」と言っていたところ、それをちゃんと用意して下さっていた。また「今は消化の良い物しか食べられない」とも話していたところ、(Yさんは大分思案して下さった様子で)“先ずは退院で、お目出度いことなので”と「鯛の煮つけ」も作って下さっていた。青々としたホウレン草のお浸しが柔らかくてとても美味しく思った。
2015年11月27日(金)
病院ではベッドに横になっている日が多かった。
「腸の働きを良くするため、また筋肉が衰えないように、出来るだけ歩いて下さい」と言われていた。
それで、歩ける状態の時は、病室のある8階の廊下や、1階の廊下をぐるぐる歩き回った。
8階は病室のある廊下なので今一つ気分が乗らない。
それに対し1階は、昼間は人が多くてとても歩けないのだが、午前6時頃の人気のない時刻、廊下を隈なく歩き回るのは非常に気持ちが良かった。病院の縦横にある廊下を、廊下に沿って長方形に歩き、あるいは気分を換えて8の字形に歩いてみたりして、3回も歩き通せば充分な運動量になった。出会う人は早朝から床をモップで清掃する係の人、一人二人のみだ。
午前6時丁度に病院内のコンビニストアーの“ローソン”が店開きする。そこで新聞お茶などを買って病室に戻る。
しかし、単に歩くだけでは不十分だと言うことが、家に帰って来てから良く判った。と言うのは、自宅に戻るや、何やかや雑用をしていると、その運動量たるや病院内を歩くことなどとは比較にならない程の差がある。人間の日々の日常活動は、知らず知らずの中に、立ったりしゃがんだり、腰を捻ったりする動作を何十回とやっている。自然と腹に力を入れたりしているので、嫌でも「腸に刺激を与えまくっている」ということに、否応なく、気付かされた。
退院する前日くらいから急に寒くなったようだ。
病院内は「暑すぎる」と不平が出るくらい温かかったのだが、家に帰ってからは寒さが身に応える。病院の中の温かさを有難く思い返した。
面白いことに、私の平熱は36.0度位の筈なのに、入院中は常に36.5度前後だった。これは病院の室温が影響していたのではないかと思う。考えは飛躍して、地球温暖化が更に進めば、人間の標準的な平熱はもっと上昇するかもしれないと思った。
待たせてしまった保険外交員のKさんが来てくれた。
2015年11月28日(土)
全く何も練習しないまま、ピアノのレッスン日を迎えた。
ピアノの先生は「バラの香りのする花の飾り物」をお見舞いに持ってきてくれた。
練習は何とかこなしたが、しんどいので1時間きっかりで終えることにした。
Hさんから、青森から取り寄せたというりんご(“富士”と、“こみつ”《=「幻のりんごといわれ、小玉果が多く、果肉全体に蜜が入ることから「こみつ」と命名、甘みが強く芳醇な香りが特徴」と書かれた説明書きが入っている》を5個ずつ)、それに青森特産で“スチューベン”と名付けられた粒の小さい葡萄一房を頂いた。
リンゴは消化に良いことだろうと、早速“こみつ”を一つ頂いた。宣伝文句の通り大変甘くて美味しいものだった。
2015年11月29日(日)
今朝の便は久しぶりの“快便”だった。消化の良い物を食べるように心がけていることの他に、玄米食を良く噛んで食べ始めたことも影響しているのかもしれない。
病院で貰って持ち帰った薬(A)マグミット錠【330mg】、(B)ツムラ大建中湯エキス顆粒[100]【2.5g/包】の効果が出始めていることは勿論だと思う。
このうちマグミット錠の方は「便の性状に応じて適宜増減して下さい」と薬袋に書かれている。それで、「一日に3回服用」とあるのを2回に、更に今日からは1回と、飲む量を徐々に減らし始めた。
病院の薬局から貰った説明書きには、
※ (A)マグミット錠【330mg】=便を柔らかくする下剤。胃酸を中和して症状を改善したり、尿路結石を予防するために使用することもある。
※ (B)ツムラ大建中湯エキス顆粒[100]【2.5g/包】=お腹が冷えて痛んだり、お腹が張る等の症状を改善する。
と書かれている。
病院では、他に(C)ミヤマM錠(整腸剤)を飲んでいた(この薬は(B)が効き過ぎるのにブレーキを掛ける役割を持つ薬だと聞かされていた)。
退院して3日目の、今日は日曜日。
家の中の片付けも一段落し、便の方も元に戻り始め、漸くにして落ち着いてきた。
ふと「温泉にでも浸かり、その後ビールでも飲みながら美味しい御馳走を食べたら最高の気分だろうな」と思った。
しかし、私はまだまだ病人だ。そんな欲望を満たすのは少なくとも後半月は待たねばならないだろう。
大体において、私の体内には未だ尿路にポリエステルのステントが嵌めこまれたままになっている。それを取り出してもらわないことには手術が完了した事にならない。
今振り返れば「お医者さん達は良く頑張ってくれたものだ」と感謝に堪えない。
11月9日の手術日、手術室で部長のSさんが、御自分の顔を私の顔に近付けて「さあ始めますよ」と言う眼配りをしてくれ、そのSさんの白髪が混じった頭部が私の目の前を通り過ぎ、私の腹部に屈みこんで手術に取り掛かったらしいことまではハッキリ覚えている。
それを最後に私の意識は(麻酔が効き始めて)遠退いて行った。
運が悪ければ、私はそのまま目覚めなかったかもしれない。
その後3週間、看護師さんを始め病院のスタッフの人達には大変良くしてもらった。
何十年も通っている病院の外来の1階、2階には馴染んでいた。しかし今回、病院に入院してその8階に“住んでみると”、これまでは遠くから見上げるばかりだった建物全体が急に親しいものに感じられるようになった。
とは言え、病院の内部は「辛い(痛い)病気との闘いが続く場所」であり、もう二度と入りたくない場所でもある。
今回入院してみて、2001年7月に入院した頃とは随分と異なり、(14年の間に)医療技術が大変進歩しているように感じた。
病院を無事退院して、私は今、未だ生きている!
後何日か、或いは何年間かの「人生の猶予期間」を頂いたことになる。
手術前より、もっと充実した人生を送らねばならないという気持ちになった。
今日も昨日貰ったリンゴを一つ食べた。
“富士”の方を食べてみた。“こみつ”に劣らず甘くて美味しかった。
久しぶりにウオーキングに出掛けた。
秋を通りこして、冬の気配になっている。
本殿まで上り詰めた時には流石に息が切れていた。
夕刻、Aさんが豆電球(ナツメ球)を持って来て下さった。昨日、急遽用立ててあげたのを、律儀にも今日店で買い求めて持ってきて下さったものだ。家に上がってもらい色々お話を窺った。小一時間位話し込んでいただろうか、奥さんから「もう6時よ!」と帰りを促す電話が掛かって来た。
2015年11月30日(月)
今朝も10℃位の寒い朝。然しこれくらいの寒さには慣れなければならない。これからもっと寒くなる。晴れて良い天気。
明日から師走に入る。
病院、午前9時。
今日はベッドのシーツの交換日で、係の人が「シーツを交換します」と声をかけてくれた。
「私は今日退院するので不要です」とお断りした。
家に帰る準備が出来た午前9時過ぎ、思っていたより早い時刻に「入院費の請求書」が会計から上ってきた。直ぐに2階へ下りて行き、支払いを済ませた。
間なしに兄夫婦が迎えに来てくれ、午前10時前という早い時刻に病院を後にすることが出来た。
お昼は、自宅で、兄嫁が作って持ってきてくれたお弁当を食べた。
夕食は、Yさん宅で頂いた。
入院中殆どお粥ばかりの食事だったので、Yさん夫婦が最後に見舞いに来て下さった時(Yさん夫婦は3度も見舞いに来て下さった)「月見蕎麦の様なものを食べたい」と言っていたところ、それをちゃんと用意して下さっていた。また「今は消化の良い物しか食べられない」とも話していたところ、(Yさんは大分思案して下さった様子で)“先ずは退院で、お目出度いことなので”と「鯛の煮つけ」も作って下さっていた。青々としたホウレン草のお浸しが柔らかくてとても美味しく思った。
2015年11月27日(金)
病院ではベッドに横になっている日が多かった。
「腸の働きを良くするため、また筋肉が衰えないように、出来るだけ歩いて下さい」と言われていた。
それで、歩ける状態の時は、病室のある8階の廊下や、1階の廊下をぐるぐる歩き回った。
8階は病室のある廊下なので今一つ気分が乗らない。
それに対し1階は、昼間は人が多くてとても歩けないのだが、午前6時頃の人気のない時刻、廊下を隈なく歩き回るのは非常に気持ちが良かった。病院の縦横にある廊下を、廊下に沿って長方形に歩き、あるいは気分を換えて8の字形に歩いてみたりして、3回も歩き通せば充分な運動量になった。出会う人は早朝から床をモップで清掃する係の人、一人二人のみだ。
午前6時丁度に病院内のコンビニストアーの“ローソン”が店開きする。そこで新聞お茶などを買って病室に戻る。
しかし、単に歩くだけでは不十分だと言うことが、家に帰って来てから良く判った。と言うのは、自宅に戻るや、何やかや雑用をしていると、その運動量たるや病院内を歩くことなどとは比較にならない程の差がある。人間の日々の日常活動は、知らず知らずの中に、立ったりしゃがんだり、腰を捻ったりする動作を何十回とやっている。自然と腹に力を入れたりしているので、嫌でも「腸に刺激を与えまくっている」ということに、否応なく、気付かされた。
退院する前日くらいから急に寒くなったようだ。
病院内は「暑すぎる」と不平が出るくらい温かかったのだが、家に帰ってからは寒さが身に応える。病院の中の温かさを有難く思い返した。
面白いことに、私の平熱は36.0度位の筈なのに、入院中は常に36.5度前後だった。これは病院の室温が影響していたのではないかと思う。考えは飛躍して、地球温暖化が更に進めば、人間の標準的な平熱はもっと上昇するかもしれないと思った。
待たせてしまった保険外交員のKさんが来てくれた。
2015年11月28日(土)
全く何も練習しないまま、ピアノのレッスン日を迎えた。
ピアノの先生は「バラの香りのする花の飾り物」をお見舞いに持ってきてくれた。
練習は何とかこなしたが、しんどいので1時間きっかりで終えることにした。
Hさんから、青森から取り寄せたというりんご(“富士”と、“こみつ”《=「幻のりんごといわれ、小玉果が多く、果肉全体に蜜が入ることから「こみつ」と命名、甘みが強く芳醇な香りが特徴」と書かれた説明書きが入っている》を5個ずつ)、それに青森特産で“スチューベン”と名付けられた粒の小さい葡萄一房を頂いた。
リンゴは消化に良いことだろうと、早速“こみつ”を一つ頂いた。宣伝文句の通り大変甘くて美味しいものだった。
2015年11月29日(日)
今朝の便は久しぶりの“快便”だった。消化の良い物を食べるように心がけていることの他に、玄米食を良く噛んで食べ始めたことも影響しているのかもしれない。
病院で貰って持ち帰った薬(A)マグミット錠【330mg】、(B)ツムラ大建中湯エキス顆粒[100]【2.5g/包】の効果が出始めていることは勿論だと思う。
このうちマグミット錠の方は「便の性状に応じて適宜増減して下さい」と薬袋に書かれている。それで、「一日に3回服用」とあるのを2回に、更に今日からは1回と、飲む量を徐々に減らし始めた。
病院の薬局から貰った説明書きには、
※ (A)マグミット錠【330mg】=便を柔らかくする下剤。胃酸を中和して症状を改善したり、尿路結石を予防するために使用することもある。
※ (B)ツムラ大建中湯エキス顆粒[100]【2.5g/包】=お腹が冷えて痛んだり、お腹が張る等の症状を改善する。
と書かれている。
病院では、他に(C)ミヤマM錠(整腸剤)を飲んでいた(この薬は(B)が効き過ぎるのにブレーキを掛ける役割を持つ薬だと聞かされていた)。
退院して3日目の、今日は日曜日。
家の中の片付けも一段落し、便の方も元に戻り始め、漸くにして落ち着いてきた。
ふと「温泉にでも浸かり、その後ビールでも飲みながら美味しい御馳走を食べたら最高の気分だろうな」と思った。
しかし、私はまだまだ病人だ。そんな欲望を満たすのは少なくとも後半月は待たねばならないだろう。
大体において、私の体内には未だ尿路にポリエステルのステントが嵌めこまれたままになっている。それを取り出してもらわないことには手術が完了した事にならない。
今振り返れば「お医者さん達は良く頑張ってくれたものだ」と感謝に堪えない。
11月9日の手術日、手術室で部長のSさんが、御自分の顔を私の顔に近付けて「さあ始めますよ」と言う眼配りをしてくれ、そのSさんの白髪が混じった頭部が私の目の前を通り過ぎ、私の腹部に屈みこんで手術に取り掛かったらしいことまではハッキリ覚えている。
それを最後に私の意識は(麻酔が効き始めて)遠退いて行った。
運が悪ければ、私はそのまま目覚めなかったかもしれない。
その後3週間、看護師さんを始め病院のスタッフの人達には大変良くしてもらった。
何十年も通っている病院の外来の1階、2階には馴染んでいた。しかし今回、病院に入院してその8階に“住んでみると”、これまでは遠くから見上げるばかりだった建物全体が急に親しいものに感じられるようになった。
とは言え、病院の内部は「辛い(痛い)病気との闘いが続く場所」であり、もう二度と入りたくない場所でもある。
今回入院してみて、2001年7月に入院した頃とは随分と異なり、(14年の間に)医療技術が大変進歩しているように感じた。
病院を無事退院して、私は今、未だ生きている!
後何日か、或いは何年間かの「人生の猶予期間」を頂いたことになる。
手術前より、もっと充実した人生を送らねばならないという気持ちになった。
今日も昨日貰ったリンゴを一つ食べた。
“富士”の方を食べてみた。“こみつ”に劣らず甘くて美味しかった。
久しぶりにウオーキングに出掛けた。
秋を通りこして、冬の気配になっている。
本殿まで上り詰めた時には流石に息が切れていた。
夕刻、Aさんが豆電球(ナツメ球)を持って来て下さった。昨日、急遽用立ててあげたのを、律儀にも今日店で買い求めて持ってきて下さったものだ。家に上がってもらい色々お話を窺った。小一時間位話し込んでいただろうか、奥さんから「もう6時よ!」と帰りを促す電話が掛かって来た。
2015年11月30日(月)
今朝も10℃位の寒い朝。然しこれくらいの寒さには慣れなければならない。これからもっと寒くなる。晴れて良い天気。
明日から師走に入る。