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WATASI(M)のツイットNO.126

2013-11-29 13:49:47 | 日記
2013年11月24日(日)~26日(火)
 二泊三日の九州旅行に行ってきました。
11月24日(日)
 漠然と、「福岡県・水郷柳川」へ行ってみたくなっていた。そこに“かんぽの宿”があることも手伝っている。
 朝、「かんぽの宿・柳川」に電話して部屋が空いているかどうか尋ねたところ、「空いている」と言う返事だった。それで意を決した。
 この2月からJRのジパング倶楽部の会員になったのでJR乗車料金が2~3割引きで利用できる。JR博多駅までの往復普通乗車券と行きの新幹線特急券、合わせて本来なら20,000円を超える料金のところ15,000円程ですむ。2~3泊位の予定をしていたが帰りが何時になるかはっきりしなかったので、帰路の新幹線特急券は帰る時に別途買うことにした。

【京都駅で】
 新幹線のホームに上がったら、丁度午前9時49分発の岡山行き“特急さくら”が出発するところを滑り込みセーフで乗車出来た。ジパング倶楽部の会員は特急料金も割り引かれるが“特急のぞみ”には乗れないルールになっている。それで、本数の少ない“特急さくら”に首尾よく乗れたのはラッキーであった。ただプラットホームで危うく転びそうになった。他の乗客が前を通り過ぎたので、その後ろをすり抜け“特急さくら”の乗車口に向かおうとした時足が何かにぶつかりひっくり返りそうになった。その乗客が自分の後ろにキャリアーバッグを曳きながら歩いていたのに、私が足下に十分注意していなかった為、そのバッグを見落として蹴躓いたものだった。しかし大事は無くて済んだ。今後気を付けなくてはと思った。

【博多までの車中】
 私は車中からの沿線の景色を眺めるのが好きだ。天気は良かった。美しい自然の中に温かく尚且つ可愛く見える人家が、次々と後方へ通り過ぎて行った。

【博多駅で乗り換え→西鉄柳川駅へ】
 柳川に行くには、JRで「大牟田駅」を回るルートもあるが、私は、JR博多駅から地下鉄空港線で三駅目にある(博多→祇園→中洲川端→天神)“西鉄天神大牟田線”の「西鉄福岡(天神)駅」に出て、そこから特急で50分程の「西鉄柳川駅」へ行くというルートを取った。
 博多駅も天神地下街も驚くほど立派で華やかで人出で賑やかだった。30年程前に行った時とは感じが大いに異なっていた。もう一つ気が付いたのは、ハングル文字や中国語の駅名表示が必ず掲げられていることだった。韓国や中国の観光客が多いのであろう。実際、それらしい言葉を話す人と大勢擦れ違った。
 「西鉄柳川駅」までの特急が停まる主要な駅の街も、これまた立派なビルが建ち並ぶ大きな街ばかりだった。「西鉄二日市駅」で“西鉄太宰府線”に乗り換えれば大宰府天満宮は直ぐのところにある。しかし、太宰府天満宮には以前に一度(高校生の修学旅行の時に行ったことも併せれば二度)行ったことがあるので寄らなかった。

【柳川】
 「西鉄柳川駅」では、運良く、直ぐに“かんぽの宿柳川行き”のバスに乗ることが出来た。1時間に一本位しかないと聞いていたのに(実際には約30分毎に一本あった)、とんとん拍子で目的の“かんぽの宿柳川”に午後3時半頃到着できた。
 “かんぽの宿柳川”の目の前の物産公園では、“柳川よかもんまつり”が開催されている最中だった。模擬店が沢山出ていて、大勢の人が輪になって踊っているのも見ることが出来た。
 柳川で一番の観光地である「名勝・立花氏庭園(御花・松濤園)」(そこは「西鉄柳川駅」近くの乗船場から乗る「川下り遊び」の終点になるらしい)、それに「北原白秋生家・記念館」が“かんぽの宿柳川”から直ぐの所にあった。それで、宿に荷物を置いて見物に出かけた。夕方の古い街並みをぶらぶら歩いた。しかし足が直ぐに痛みだし約100m毎に足を休めるべく腰を降ろす場所を探さねばならない状態になった。常日頃から“千日回峰行”で足の筋肉を鍛えて大分自信を取り戻しつつあったのに、この有様になって少しがっかりしてしまった。北原白秋については“からたちの花”の作詞者であること以外、私はあまり知らない。生誕は1885年だと書かれていた。つい最近読んだ本の作者・中勘助と同い年になるのだなと思った。
 宿では1階に露天風呂、5階に展望風呂があった。1階の露天風呂に行ってみたところ私以外に誰も客がおらず貸し切り状態になった。湯船近くの岩の上にコオロギに似た虫がじっと動かないでいる以外誰もいない風呂場でゆっくりできた。一応、案内板には“温泉”と書かれていた。
 夕食には、まさかムツゴロウなどはでてこないだろうが、有明海の珍しい魚貝類を食べられるかもと期待していたのに全く普通の料理だった。

11月25日(月)
 昨夜から雨が降り出していたが明け方には止んだ。
 朝食が済んだ後、北九州市若松にある“かんぽの宿・北九州”に電話してみたところ部屋が空いていたので、今日は其処へ向かうことにした。
 「西鉄柳川駅」から“西鉄天神大牟田線”で大牟田方向へ向かう4駅目に「中島」という駅がある。そこへ行けば“中島の朝市”が毎日開かれていて、有明海の珍しい魚貝類・地元の野菜などが見られるらしい。少し心が動いたが、また疲れて歩けなくなるのではという危惧が先に立ってしまい止めにした。
 「JR博多駅」に戻った時、時刻は未だ午前10時半。このまま“JR鹿児島本線”に乗って小倉方面に向かえば「JR折尾駅」にはお昼前に着いてしまう。その駅に“かんぽの宿・北九州”の送迎車が迎えに来てくれることになっていた。しかし送迎車が来てくれるのは午後2時半なので、これでは早く着き過ぎて駅で時間を持て余すことになってしまう。それで、遠回りになるが、“JR筑豊本線(愛称JR福北豊線)”で、篠栗、飯塚、直方を経由して「JR折尾駅」へというルートを取ることにした。飯塚、直方と言えばその昔炭鉱の街だったから“ぼた山”なども見られるかも知れないという期待もあった。しかし、車窓からはそのような古いものは一切見られなかった。途中下車して町中を歩けばそのような昔の風物詩に出会えたかもしれない。しかしそうするには、今度は時間の余裕がなさすぎた。
 ※ 因みに、飯塚の街を紹介するパンフレットには、“炭都エクレア(長く続く坑道のようなエクレア)”や、“たどん(真っ黒なシュークリーム)”などのお菓子の写真が載っていた。

【JR折尾駅前】 
 JR折尾駅には、それでもお昼の12時半に着いてしまった。
 「帯に短し襷に長し」とは此の事、送迎車が来るまでにはまだ2時間もある。
 そこで駅周辺を“探検”した。果たして、時間を潰すのに最適の面白い遺構を見つけた。
 ≪旧西鉄折尾高架橋≫(余談。上ばかり見ていて首が痛くなった)
 
 一方の出口(右側のレンガの並びと左側のレンガの並びが逆になっている)
 
 左側のレンガの並び
 
 右側のレンガの並び
 
 反対側の出口
 
 説明書き(字が小さくて読み辛いかも。拡大鏡で頑張って読んで下さい)

【かんぽの宿・北九州】

 
 “かんぽの宿・北九州”は岬近く、海が広々と眺められる絶好の場所に建っており、景色は抜群!海は改めて雄大なものだと思った。私は、やはり海が好きだ。冬型の気圧配置なのか、風が強くて海は白波が立っていた。
 風呂場からも海が眺められるようになっていた。露天風呂に出て見た。風が強く露天風呂の湯船の湯が風で波立っている。水飛沫(湯しぶきというべきか)も飛ぶ!ビューと吹きつける風の中を温泉に浸かるのは初めての経験であり恐怖感すら覚える。周りに人家がなく前は広い海ばかりなので瓦などが飛んでくる心配はない。しかし風に吹きちぎられて飛んできた木の葉が湯船に浮いて波騒いでいた。
 水質検査にやって来た宿の職員が言うことには、「風がもっと強い日には木切れが飛んできて危険なので露天風呂が閉鎖される」こともあるそうだ。今日の風では其のレベルまではゆかないと言う。

11月26日(火)
 普段自宅にばかり閉じこもる生活をしているので何時も旅に憬れている。しかし、旅に出たら、いつも直ぐに“帰巣本能”が出てくるので困る。3泊位はするつもりで出て来たのに3日目にはもう帰りたくなっていた。遥か遠い九州まで新幹線代を払ってまで来ているのに・・・。
 博多は素通りするばかりで博多の街中は良く知らない。博多のビジネスホテルにでももう一泊して、福岡観光をするのも一手かもしれない。しかし帰巣本能の方が勝ってしまった。

【帰路】
 昨日は“JR筑豊本線(愛称JR福北豊線)”経由で「JR折尾駅」へ来たので、JR大津京駅で買った帰りの“博多・大津京間の普通乗車券”は未だ使っていない。帰りの新幹線は小倉から乗ることになる。それで「JR折尾駅」で、小倉・京都間の新幹線特急乗車券のみを購入した。そして、博多から乗車する予定だった帰りの“博多・大津京間の普通乗車券”を折尾駅の自動改札口の機械に投入したところ、ガシャンと遮断機が下りてきて進入を妨げられてしまった。駅員に尋ねたところ、「この切符は在来線では使えない」と言う。更に140円を請求された。¥140は折尾駅~小倉駅間の乗車料金だろうか?言われるままに支払った。
 「JR小倉駅」新幹線乗り場で、お土産に“福さ屋”の“辛子めんたい”を買った。

【自宅近くでの近所の人との会話】
 郵便ポストに郵便物を投函しに行くSさん(81歳)と出会う。
 私・・・「今日は!」
 Sさん・・・「今日は。いつまでも寒いですねえ」
 私・・・(あれっ?「いつまでも」って?これから冬に向かうのに?)「先生!これから寒くなるんですよ!」
 Sさん・・・「うんそうや、これから寒くなるんや」
※ 私が言った同じ言葉が返って来た。何だか面白い。Sさんは、これから冬に向かい寒くなるのは承知の上で、一時今来ている寒さが和らぐのを期待しておられたのかも知れない。私は別れてからしばらく考え込んでいた。

2013年11月27日(水)
 灯油をこの冬初めて購入した。20リットルで1960円、去年より少し高くなっている。

2013年11月28日(木)
 5日振りに近江神宮までウオーキング。
 近江神宮では、正確に毎日午後5時に太鼓が打たれる。これは何時頃から始められて今日まで続いてきたのだろう?太平洋戦争中はどうだったのだろうか?「空襲警報が出ていては太鼓を叩けなかっただろうなあ」と思った。しかし、太鼓が打たれ出したのは、それ程昔からのことではないかもしれない。

2013年11月29日(金)
 今朝は今年一番の冷え込み。大津では最低気温が1℃台だった。
 ブルーフレーム・アラジン(石油ストーブ)の芯を交換しなければ・・・。
  
 

WATASI(M)のツイットNO.125

2013-11-23 09:55:50 | 日記
2013年11月22日(金)
 西暦2013年の“13”の数字と、平成25年の“25”の数字の間で時々混乱する。西暦2025年としてみたり、平成13年としてみたり。
 また、自宅の電話番号520-××××と、郵便番号522-××××の“520”と“522”もよく間違える。
 いずれも咄嗟の時の話。
 これも“歳の所為”なのだと諦めている。

 今朝も寒くて、寝床から起きて着替えをする時、「エイー」と気合を入れねばならぬ。
 これも“歳の所為”。

 この3日間(11月20日、21日、22日)連続医者通いが続く。一昨日は市民病院、昨日は近所の内科医院、今日は滋賀医大。今日は一番遠い場所だ。
 三日も医者通いが続くと、結構疲れる。
 “歳だと思う”。
 このように、何でも“歳の所為”にしてしまう。

 滋賀医大まで行くのに車で約40分位かかる。普段あまりない長距離運転になるのでドライブに出かける気分になる。前回の9月の時は台風が通過した後だった為、琵琶湖の水位が随分上がっていたのに気を取られたものだった。今回はお天気も良くて道中の景色を大いに楽しむことができた。何時ものことながら、湖岸沿いの景色はとても綺麗だ。特に帰り道は素晴らしい風景が目の前に広がる。比叡山・比良山の山並みが青空を背景にくっきりと見える。湖面のずーっと向こうの方に琵琶湖大橋もはっきりと眺められる。美しい山並みと青く広がる琵琶湖の間に白い建物が建ち並ぶ大津の街が存在している。風景を見ながら、「自分は何と美しい街に住んでいるのだろう」と思った。
 もう一つ、時代の移り変わりを目にすることがあった。病院へ向かう行きの時の話だが、JR大津京駅の前の道を東方向、琵琶湖の方に向かって走っていた時、前方が何か広々としている気持ちがした。あれっ、こんな風景だったかな?と一瞬戸惑った。暫く考えて気が付いた。旅館「旅亭紅葉」が解体されてなくなっていたのだ。立派な威容を誇っていた建物だったが最近は客足が伸びなかったのだろうか。それにしても壊すなんて勿体ないことだと思った。

 病院では、今日から担当の医師が交代した。
 オパルモンがまだ沢山残っていたので薬は辞退した。
 診療費を支払う時、支払窓口が混んでおり行列が出来ていた。自動支払機を使ってみた。並んでいたら10分、否下手したら20分以上は待たされたところ、自動支払い機を利用すれば1分もかからなかった。便利だ。並んでいる人達はこの便利さに気が付いていないようだ。それとも機械が苦手なのかも。

2013年11月23日(土)
 昨夜、「堤婆達多」を読了した。
 巻末には、荒 松雄氏の「解説」の他に、和辻哲郎の「『堤婆達多』の作者に」という一文も載せられていた。お陰で作品に対する理解を深めることができた。

 殊に、和辻哲郎の一文の次の指摘はさすがだと感心した。 
【 ・・・
 しかし、構図の上からいうと後編は前篇よりは劣っているようです。阿闇多設咄路(あじゃーたしやとる)の挿話は我々に涙を流させますが、その感動すべき回心とそれが堤婆達多の心に投げる苦しみの場面は非常によく描かれています。しかし暴王の残虐の停止が堤婆達多の没落を意味することを、もう少し強く読者の心に印象しなければ、我々がこの挿話を読む間堤婆を離れるように感ずるのも無理はないと思います。
 もう一つ不満足な点は、幾度か繰り返される「復讐」という言葉によって、堤婆を動かしているものが青年時の競闘にのみ起因するという印象をあたえることです。老年の堤婆が数十年前の競闘の敗北を執拗に心に含んでいるとなれば、その後の彼の心の変遷があまりに無視されることになりはしないでしょうか。堤婆を動かしているものは、あの作に描かれているところによれば、仏陀に打ち克とうとする心です。これは「復讐」という言葉では現し切れないと思います。
 以上「堤婆達多」の読後感をかんたんに書きました。いずれ詳しくはお目にかかって・・・。】


 WATASI自身の読後感めいたものを書かせてもらえば、先ず久しぶりに「良い本」に出会ったということです。
 そして、和辻哲郎に取り上げられた『阿闇多設咄路(あじゃーたしやとる)の挿話』の部分ですが、和辻哲郎の指摘の通りだと思う一方、私は、その部分の【現在の王である阿闇多設咄路(あじゃーたしやとる)と前王である父頻吡沙羅(びんひさーら)の間の“ディベート(論争)”】に深く感動しました。私が考えた全く同じ事を、他の人間(中 勘助)が100年前に考えており、それを恐れずに文章化、しかも見事な文章にしていたからです。
 「堤婆達多」を読まれたことがある方は、凡その事を分かってもらえるかと思いますが、読まれてない方には、こんな抜粋の程度や読後感などでは何のことかわからないでしょう。
 興味をもたれる方は一読してみて下さい。

 ※ 中 勘助(1885~1965)
 1913年から1914年にかけて、夏目漱石の推薦で自伝的小説「銀の匙」を東京朝日新聞に連載。素直な文章で愛されているが、「犬」、「堤婆達多」など、愛慾、妄執など幻想的な作風で描いた作家でもある。その陰には兄金一との確執があった。金一は1910年に廃人となるが、勘助はその妻末子に愛情を寄せていた。1942年に末子が死ぬと勘助は57歳で結婚するが、金一は結婚式の日に自殺している。

 才能のある作家で、私生活もドラマチックな生涯を送られた人のようです。

WATASI(M)のツイットNO.124

2013-11-21 09:34:20 | 日記
2013年11月17日(日)
 昨夜お土産に貰った“柿の葉寿司”の残り5つをお昼御飯に頂いた。
 パクパク食べながら、包んである柿の葉をつらつら眺めた。先ず、柿の葉っぱは意外に丸い形をしているのだと思った。次に、中身のお寿司を作るのも大変だろうが、包む方の柿の葉を準備するのも大変だろうと思いを巡らした。お寿司の一つずつを包装するのだから、柿の葉寿司を作る過程では大量の柿の葉が必要になる筈である。どうやって柿の葉を集め、それをどの様に加工しているのだろう?製造会社の工場見学をしてみたくなる。
 和歌山県だっただろうか、“目張り寿司”と言うのがあったと思う。“大きなお結び(握り飯)”を海苔で包んである。その“大きなお結び”にかぶりつく時、目を見開く位にしなければ食べられないのでこの名前が付いた、と聞いたことがある。私はまだ食べたことがない。
 何処の名物になるのか知らないけれども、“さんまの押し寿司”というのもあるようだ。“鯖寿司”は非常にポピュラーだけど、“さんまの押し寿司”は食べた事がない。どんな味がするのだろう、美味しいのだろうか?
 “カマスの押し寿司”は、高知県の夜須に住む友人のお父さんにお土産に頂いたことがある。五台山の展望館で食べた記憶が蘇ってくる。
 “鮎寿司”も日豊本線の何処かの駅弁で食べた事を思い出した。
 鮮度が良ければ、加工に工夫しさえすれば、それが美味しいかどうかは別にして、どんな魚でも押し寿司に出来るものと思われる。
 そういえば、小田原の名物、“鯵の押し寿司”も美味しかった!学生の頃、小田原辺りを列車で通る度に買い求めて食べたものだった。今でもあるのだろうか?

2013年11月18日(月)
 中 勘助の作品を何冊か読んだ。
 「銀の匙」、「犬」、「島守」、「菩提樹の蔭」、「郊外 その二」、「妙子への手紙」。
 ついでに、この後「堤婆達多」も読むつもり。

 今夜から明日にかけて冷え込むという。
 天気予報では、明日の最低気温が今日よりも5℃も低い摂氏5℃。最高気温も摂氏12℃止まりという。クリスマス頃の寒さになるらしい。
 蒲団を足すより腹巻をして眠ることにした。内臓が冷えることは体にあまり良くないような気がするから。
 寒くなったからだろうか歯も少し痛み出した。この春頃だったと記憶するが市民病院で折角作ってもらったのにあまり使っていなかったマウスピースを半年ぶりに嵌めて寝た。

2013年11月19日(火)
 西高東低の冬型の気圧配置になっている。
 今日は一日中強い風が吹いた。寒い!
 太陽は出ていて天気は良い。しかし何せ強い寒気が日本に入り込んで来ているので太陽の力だけではこの寒さは和らぐことがない。太陽に頼るだけで暖をとろうとすればサンルームのようなものが必要になるだろう。
 惰性のようにして近江神宮までウオーキング。しかし、一日の生活にリズムが出来る。

2013年11月20日(水)
 昨日、今日と寒い。今年二度目の寒波のようだ(私は寒さに関してはオーバーな表現になる)。手足が冷えて温めるのに苦労する季節に入った。

2013年11月21日(木)
 他に書くことがないので、今読んでいる最中の「堤婆達多」の一部を抜粋します。
 「銀の匙」、「郊外 その二」、「妙子への手紙」のような、女性のような感受性を持ち、実に優しい文章を書く作家・中 勘助が、「堤婆達多」のような作品も書くのに少し驚く。もっとも、「犬」、「菩提樹の蔭」を読んで、多少とも予測は出来ていたが。

 ※「堤婆達多」は単行本として1921年(大正10年5月)に出版されている。「犬」はその1年後の1922年(大正11年)、「菩提樹の蔭」は1929年(昭和4年10月)に出版されている。

【堤婆達多】
(前略)・・・
【(十二)
 この時思い設けぬ耶輪陀羅(やしょーどはらー)の妊娠は堤婆達多(でーばだった)にとって新たなる痛撃であった。彼は今さらのように目のまえに悉達多(しっどばーるとは)と耶輪陀羅(やしょーどはらー)の肉交を見せつけられるような気がした。また彼女の肉体をとおしてそのふくれた胎内に蠢いている小さな悉達多(しっどばーるとは)をまざまざと見るような気がした。彼は烈しい嫉妬に痩せた。そのうえ彼はこのことのためにせっかく成就しかけた謀計が根底から覆されてしまいはせぬかという懸念を抱かざるを得なかった。性欲は愛なき夫婦をもなお力強く結びつける。我々は単なる性欲によって結びつけられたる多くの人間の一対を見る。彼らは交尾期における畜生が相互の好悪も適否も顧る暇なく、ただ鼻をつく異性の臭気に盲目的にひきつけられるように互いにひきつけられている。そしてその性欲さえが牽引力を失った時にも、その性欲生活の記念物なる「子供」はなお恐ろしい肉鎖となって無慙に、醜悪に、その生産者を一緒に縛して離れしめない。交尾せる犬が生殖器につながれて痴態をさらすように。堤婆達多(でーばだった)の危惧には十分根拠があった。耶輪陀羅(やしょーどはらー)もまたこのことによって悉達多(しっどばーるとは)との融和がとりかえせるであろうという望みを抱いていた。しかしながら事情の困難、形勢の不利は、いよいよますます堤婆達多(でーばだった)の悪念を凶暴ならしめるに過ぎなかった。・・・(後略)・・・】

 ※ この後、耶輪陀羅(やしょーどはらー)は男子「羅睺羅(らーふら)」を出産する。
 

【(十四)
・・・(前略)・・・
 それから七日の後、夜半、悉達多(しっどばーるとは)は窃に城をいでた。父母を捨て、妻子を捨て、富と名と力とを捨て、歓楽尽くることなき太子の生活を棄てて、いずこをあてともなく、甘露のごとく甘く、真珠のごとく美しき真理の果を見出すべく。
 伝説によれば、悉達多(しっどばーるとは)は闡銅迦(ちゆはんだか)と出遊の際、路に老人と病者と死屍とを見、最後に威儀ある沙門の姿を見て終に出離の心を決した。彼は城を出ようとするにあたって耶輪陀羅(やしょーどはらー)の寝室へ行った。彼女はかた腕を子供の頭にあてて静に眠っていた。悉達多(しっどばーるとは)は子供を抱いてみたいと思ったが、耶輪陀羅(やしょーどはらー)の目をさますことをおそれて
 「私は仏陀となってからこの子を見よう」
と思ってそのままそこをたち去った。
・・・(後略)・・・】

 ※ 悉達多(しっどばーるとは)=釈迦牟尼

 「堤婆達多」のこの後を読むのが楽しみです。
 それと「解説」も!
 私は、何時も、本を読んだあと、その本の最後に3~4枚を費やして書かれている「解説」を読むことによって、漸くにしてその本を理解できたような気がします。



WATASI(M)のツイットNO.123

2013-11-17 08:32:41 | 日記
2013年11月15日(金)
 就寝中に汗をかいて眠っていた。昨日と同じようにして寝たのに。寒さが和らいできたからと思われる。
 昨夜からしっかりとした量の雨が降り続いているが、午後から晴れるという。
 晴れの日と雨の日が交互にやって来る印象を受ける。

 今朝パソコンを開けて見たら画面が少し変わっていた。昨日パソコンを閉めた時、「プログラムの更新中です。電源を切らないでください。」という表示が出た。長時間「更新中」だったが、その時にバージョンアップ(?)されたのだろうか。

 今日は、近江神宮の方向ではなく、逆の琵琶湖の方向へ歩いた。ケーズ(K’s)電気店で買い物をしたかったからだ。近江神宮に向かってばかり歩く必要は少しもない。要は何㎞か、何分か歩けば良い(ケーズ電気店まで往復するとやはり同じ2㎞、30分くらいになる)。“千日回峰行の向こうを張っている”つもりなのだけれども、そう窮屈に考える必要はない。
 ところで、前回のブログ【NO.122(11月12日)】で、“向こうを張る”という書き方をしたが、ブログを投稿した後になって、「このような表現方法があったかしら?」、「“張る”という字で間違いは無いのだろうか?」と少し不安になった。「でも“張り合い”という言葉もあるから多分大丈夫だろう」と思っていた。今、新たに記事を書きかけたらそのことが急に気になりだした。確かめてみたくなって辞書を開いた。・・・果たして、辞書にはちゃんと【向こうを張る=対抗する。はりあう。】と書かれていた。
 このように、ブログ記事を書くとき、“独り相撲を” 取ることがよくある。

 ケーズ電気店では、プリンターのインクカートリッジを買った。4色パックの品物である。何時もいい加減に選んで買っていたけれど、品物の注意書きをよく見ると、“推奨使用期限”が書かれていることに初めて気が付いた。電池には凡その使用期限があるが、インクカートリッジを買う時も、使用期限をちゃんと調べた方が良い、その方が綺麗にプリント出来るのではないかと思った。
 ところで、4色(=ブラック・シアン・マゼンダ・イエロー)だけで、綺麗なカラー印刷が出来るわけだ。小学生の頃、絵具を混ぜ合わせていろんな色を造り出したことを思い出した。それが何色だったか忘れたけれど、三種類の色を混ぜれば“白色”になることも理科の時間だったかに教わった。そうそう思い出した!三色を等分にコマ(独楽)の上に塗ってコマをクルクル回せば白い色になった!
 プロの写真家や写真を趣味にする人達は、多分もっと数多くのインクを使うのだろう。詳しくは知らないのだが、そのように勝手に想像した。

2013年11月16日(土)
 今日は小春日和の良い御天気だ。
 最近、雨が降ったり、晴れたり、曇ったり、そして寒かったり、温かかったり・・・
 お天気がコロコロ変化する。
 やはり今日のように晴れた温かい日が、一番元気が出る。
 
 「ル・クーペのピアノのアルファベット」のXを今日やっと卒業して、次にYに入った。この曲も、軽快そうな曲なのだが、弾き難そうだ。
 今月は、土曜日が5回ある月になる。4回を超えるので何時もならレッスンを一日をお休みにするのだが、先生と話し合って休まないことにした。
 その為、“旅”(取材旅行)に出られず、ブログには相も変わらぬ、身辺に生起した“よしなし事”を書き続けることになる。

 ウオーキング。
 近江神宮の第一の鳥居前にある京阪電車の踏み切りの手前まで歩を進めると、電車がやって来て遮断機が閉まってしまわないかと気掛かりになる。遮断機が下りて待たされるのが嫌なのだ。それで、電車が来るかどうか分からないのについ足早になってしまう。私の性格はやはり“せっかち”なのだろうか?
 テレビで関西人は“せっかち”だと主張する番組があった。例えば、飲食店で餃子を注文した時、関西人は餃子が目の前に供される前から、小皿を取り寄せタレを作って(ソースやラー油を入れる)待つという。関東人は餃子が出来上がり目の前に出されてから同じ作業をするという。関東人の言うことには、「注文した品物が出てないのに何でタレなど準備するの?」と不思議がるそうだ。
 私の場合、小皿を取り寄せタレの準備をするどころか、「まだかいな、まだかいな」と厨房で餃子を作っている料理人の方をチラチラ見てしまう。
 ついでながら、車を走行させている時、超低速で運転する車の後ろについてしまうことがある。追い越しをするのは好きでないので仕方なくお付き合いすることになる。また追い越し禁止の場所ではそうせざるを得ない。しかし、「間もなく信号機がある場所に差しかかるから、それに引っかからないように前の車はもう少し早く走って欲しいな」と思いつつ後ろについている時がある。果たして思っていた通り信号にひっかかる。「そら見たことか!」と前の車に腹を立てる。一番頭に来るのは、その前の車が首尾よく辛くも信号を通過してしまい、自分だけ残って一人信号待ちをさせられてしまう時だ。

 場所は近江神宮境内の参道。
 相変わらず木の実が沢山落ちている。一ヵ所に7~8個集まって落ちていると、獣の糞のように見える。
 帰り道。
 朝は気持ちよく晴れていたが、夕刻になると雲に覆われ出した。それでも雲の切れ目には青い青空が見える。空を見上げると明るいのだが、地上は薄暗く、手元は暗い。
 放射冷却が始まりだしたのか歩いていても汗は出ない。
 お天気は、明日はまた下り坂に向かうという。

 午後8時前、夕食は済んでいたが、奈良の柿の葉寿司をお土産に頂いた。まだ歯を磨いて無かったので、誘惑に負けて一つ食べた。鮭と鯖がそれぞれ5個ずつ入っている。柿の葉に包まれているのでどちらであるかは包みを開けてみないと分からない。最初食べたのは鮭だった。夕食は済んでいたのだけどとても美味しかった。鯖の方も食べたくなった。最初に取った包みの隣の列の包みを取り上げて開いてみた。果たして正解で鯖だった。柿の葉寿司はしっとりした感触の柔らかい柿の葉に包まれており、一口サイズでとても食べ易い。いつの間にか5個、頂いた半分を食べてしまっていた。

2013年11月17日(日)
 曇り。しかしそう寒くは無い。降水確率20~30%。
 同じ曇り空でも明るくなってくると心も明るくなる。
 太陽に向かって祈る人がいるが、お日様は有り難いものだと思う。


WATASI(M)のツイットNO.122

2013-11-14 08:54:18 | 日記
2013年11月11日(月)
 今日は11月11日。
 蚊に刺された!
 しかも、寝ているうちに!
 朝の5時過ぎ、手の指と指の間が痛痒くなり目が覚めた。今朝から冷え込むという天気予報だったのに蒲団から手を出して眠っていたようだ。今度はまた頬辺りに蚊が近付く気配がして完全に目が覚めてしまった。
 起きてトイレに向かったが少し腹が立ってきた。
 涼しくなって蚊に悩まされなくなり蚊の事を忘れかけていた頃なのに、何でまた!
 蚊は元々大嫌い。何の権利があって人を刺しに来るのか!悩まされる度に思う。
 人の目を掠めて何時の間にか人の血を吸って逃げ去ってゆく。さぞかし蚊は人相の悪い顔をしていることだろうと思う。一度、どんな顔をしているのか見てやりたい気持ちになる。目つきもきっと悪い筈だ。しかし、蚊はすばしっこく、逃げ去った蚊を探してピシャリと手で叩き殺すことすら困難である(それでますます腹が立ち、蚊のことが嫌いになる)。姿さえ見えないのに人相まで確かめようがない。

ウオーキング。
 小雨がぱらつく時もあり、時々傘を差して歩いた。参道には夥しい数の木の実が落ちていた。昨夜から今日にかけて風が強く吹いていたので風で落とされたのだろう。“絨毯が敷かれたように”と表現してもよいくらい沢山落ちていた。これまで、見上げても見えなかったのだけれども、梢にはまだ木の実が沢山残っていたのだ。

2013年11月12日(火)
 今日は日本国中冷え込んでいる。
 ストーブを点けたくなるくらいの寒さだ。しかし、未だ灯油を買ってきていない。 
 部屋の気温が低いので、水道の水がお湯のように手に温かく感じられた。

 夕刻午後4時半頃、少し雨が降っていた。氷雨のように冷たそうに見える。
 構わずに傘を差してウオーキングに出た。
 何しろ、千日回峰行の“向こう”を張っている。
 帰り道、スピーカーで、童謡の“たき火”を鳴らしながらやって来る車に出会った。家庭に灯油を販売して回る“灯油販売車”だ。今年に入って初めて見る。

 ※ 「たき火」(・作詞 巽 聖歌 ・作曲 渡辺 茂)
   知っていますか?唄えますか?
【1.かきねの かきねの まがりかど  たき火だ たき火だ おちばたき  あたろうか あたろうよ  きたかぜ ぴいぷう ふいている
 2.さざんか さざんか さいたみち  たき火だ たき火だ おちばたき  あたろうか あたろうよ  しもやけ おててが もうかゆい
 3.こがらし こがらし さむいみち  たき火だ たき火だ おちばたき  あたろうか あたろうよ  そうだん しながら あるいてる】 

 懐かしい、私の好きな曲なのだが、音量を上げ過ぎていて年寄りの私の耳にもガンガン割れた音のように響いて来る。これでは却ってお客さんの反発を招いてしまう。この曲の雰囲気に合うようにもう少し音量を下げた方が良いと思う。その方が、お客さんがより多く来てくれるのではないかと思った。

 午後7時半のNHKテレビ「クローズアップ現代」を観た。今日は、“高齢者の栄養失調の問題”を扱っていた。血清アルブミンが4.0以下の栄養失調状態にある老人が多いという。原因は、歳を取るに従って三食の食事量が少なくなり、食事の中身も、肉はあまり食べず、魚・野菜が中心になっていることにあるという。高齢者があまり肉を食べないのは、これまで肉がコレステロール値を上げ健康には良くないと考えられてきたからのようだ。ところが、肉は、筋肉の素になり、血管、免疫機能を強化するという。そして認知症予防にもなるということで、肉を毎日でも食べるようにと勧めていた。
 確かに私も、かっては大食漢だった筈なのに、いつの間にか量が減っており、内容も魚・野菜が中心になっている。
 そんな中、今日、丁度御近所の方に“ビーフシチュー”を頂いた。沢山のお肉を入れて下さっており、柔らかくて驚くほど美味しかった。体中に一度に栄養が行き渡るような気がした。

2013年11月13日(水)
 プリンターで書類を印刷した。
 最初、字がかすれ、また歪んで印刷されて出て来た。
 私の印刷機はEPSON。
 操作ガイドの本を開き、「きれいに印刷するコツ」の「ノズルチェックとヘッドクリーニング」のページを開き、其処に書かれている通り操作してみた。一度ではまだ綺麗にならなかったので二度行った(解説書にはそうしろと書いてある)。果たして二度目には綺麗に刷り上がった。

 ウオーキング。
 寒くなって来たので、冷え性の私はますますウオーキングに力が入る。
 というのは、“筋肉を使うことは冷え性対策に効果的”だと聞いたからだ。
 精々、体を動かして末梢血管の血の巡りを良くしよう。

 往路‥‥道すがらのガソリンスタンドでは、灯油を買いに来る人で混んでいた。自家用車に二つも三つも灯油缶を積んで買いに来ている人もいた。
 復路‥‥境内の蕎麦屋さんに灯りが点いており暖簾も下がっていた。珍しいことにこんな時刻に営業中のようだ。

2013年11月14日(木)
 今朝も冷え込んだが、今年度最初の“寒波”は一旦今朝までということらしい。
 今から、今年一年の寒さを覚悟して“臨戦態勢に入ろう”と決意を新たにした。
 
 「WATASIさん!少しオーバーですよ」、と言われそうだ。