

2021年8月2日(月)
先ず、2013年5月30日の記事を再掲載します。
【今年は、例年より早く、既に梅雨に入っています。
今日は、2013年の5月30日(木)です。
一年の一通過日にすぎませんが、他の日と同様に二度とは繰り返されない日です。
人生(=人間の一生)について、自分なりに考えてみました。
何時もの私のパターンですが、諺(仏教用語)から始めます。
「四苦八苦」です。
「四苦八苦」の「四苦」に「生・老・病・死」があります。
この中、「生・死」は誰にでも訪れるもので避けられないものです。
元気な子供が事故で亡くなることがあります。「老・病」が無くても「生・死」があることは確かです。このような子供は「人生を全うしない」まま終わるのですから、親の悲痛は如何ばかりかと思います。
では、「人生を全うする」というのはどういうことか。
「老」に至る前の期間を十二分に充実して生き抜き、そして(「病」を伴うことがありますが)「老い」を経て「死ぬ」ことだと思います。
「老・病」は、本来別個のもので、「病」を経ることなく「死」を迎える人(「死因が老衰」とされる人など)も稀におられると思います。しかし、一般的に言って「老いる」につれ「病」をも患うものと思います。
70歳前後になっても「病」を知らず、元気に幸せな生活を送っている(傍からはそのように見える)人達も大勢おられます。
しかし、私の場合、不運にも(自業自得と言うべきか)気が付いたら多くの病を抱え込んでいました。
「まだまだ若いのに」、Q.O.L(QUALITY OF LIFE=生活の質)を著しく損ねています。しかし、ここは逆手に取って(逆転の発想で)、「人生について、深く(?)考える機会を得た」と考える方が賢明だと思います。
「老い」は何時から始まるのか?
医学的見地からは、人間が成長し切った20代位から始まるのかもしれません。
しかし、本来、「老い」とは「視聴覚を始め、体力・知力等、諸々の能力の衰え」を意味するのだから、一定の年齢から始まると決められるものでなく個人差があるものと思います。ただ、法律上は65歳以上が「高齢者」(65歳~・前期高齢者、75歳~・後期高齢者)と呼称されているので、形式的に65歳を「老い」としておきます。
私は今年68歳を迎えますので、人生の中での「老い」をも(幸いにも)経験し始めています。法律上の「高齢者」というだけでなく、「視聴覚を始め、体力・知力等、諸々の能力の衰え」を実際に伴っており、正真正銘の「老い」が始まっています。そして沢山の「病」をも抱えていますので、(目出度く?)「生・老・病」の経験者になっています。
残すは、「死」だけです。
「死」とどのように向き合うか。「病を抱えながら、残された『死』までの時間」をどう過ごしたらよいのか?私のこれからの問題です。
「死」には、それを受け入れる心構えが全く出来ていないうちに突如それに襲われるケースと、長い病床の中で「御迎えがなかなか来てくれない」とかこちながら漸くにして死を迎えるケース、という二つの両極端があるかと思います。「知らないうちに、癌に侵されてしまっていて手遅れだった」と言うのが前者、「体が不自由になり、長いベッド生活を余儀なくされてしまう」と言うのが後者の代表と言えるでしょう。何れも、大変な「苦痛」を経験することになるものと思います。
私自身は、目出度く高齢者の仲間入りをしたばかりなのに、「前者(死を受け入れる準備が出来ていないうちに死に直面する)の心配をしながらも、後者(早く死にたいのにそれが叶わない)の心配もしなければならない状況にある」と自分では認識しています。しかし、このような内容のブログを呑気に書いている余裕があるのだから、「前者ではありえない」というのが客観的な見方かも知れません。
私が、「前者の心配もしている」というのは、漠然と「死」を意識しながらも、いざそれに直面すれば慌てるだろうと思う、つまり「死」に対する準備をしないで漫然と生きている(逃げている)からだと思います。
しかし、一方、長生きをするとしても「一体何をすればよいのだろう」と思います。私の悩みはこの辺にあります。
私は、正直に言って、「一日をもてあましている」時があります。
否、実は「人生そのものを持てあましているのではないか?」と不遜にも思う時があります。人一倍「死」を恐れていながらです・・・。
私は、本当に「死」を恐れているのだろうか。
突き詰めて考えれば、「死」そのものではなく、むしろ、老化による体力の衰えや病のために予想される不自由、「死に至る過程」を心配して恐れているのかもしれません。
一般に、最近、広く認識され出しているように、私も、所謂「植物人間」のままの延命治療は止めた方が良いと思います。自分がそのような立場になっても嫌だし、周囲も大いに迷惑です。認知症患者が置かれている状況(家族をも認知できないという悲しい状況等)とは次元が異なると思います。
それで、最後に一番大事な「自死」についてです。
「自死」は一般に忌み嫌われており、キリスト教では犯罪視されています。
しかし、私は、最近、「自死」は、やり様によっては「基本的人権の一つ」にまで高められて良いのではないかと思い始めています。
眠りに就く時、色んな理由の為、「もうこれ以上生きるのは嫌だ、明日はもう目覚めたくない!と真に思う時、『自死する権利』(自らの意思で、死に至る睡眠薬を自ら服用することが出来るならば)」があって良いような気がします。勿論安易にやってもらっては困りますが、「一定のレベル」にまで達していて、そのような手段を選ぶことが周りの人も「止むを得ない」と納得出来るのが一番良いと思うのですが、基本的には「本人の意思」に委ねるべきものだと思うのです。
「全く苦痛が無く、『目が覚めたら別世界(永遠の闇)』だったというような『夢の新薬』が作られたら」と願うのですが、如何でしょうか。神をも恐れぬ暴言でしょうか。
このような考え方は「自力本願(こんな言葉がありましたっけ?)」と言うのか、それとも「他力本願」と言うのか、難しい事は知りませんが、自分自身、「悠々任去来」などと嘯いて毎日を過ごしてきており、問題の解決を先延ばしにしてきたような気がします。
「まだ(生命の危機が)差し迫っていない」からこんな「呑気な事」を言ってられるのかも知れず、「まだまだ、人生について修行(学習)不足」と思ってはいるのですが・・・。
「月天心貧しき町を通りけり」(与謝蕪村)
※ 与謝蕪村(1716~1784)
松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人。
辞世の句 「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」
墓所 京都市左京区一乗寺・金福寺(こんぷくじ)
享年は、今年私が迎えるのと同じ、68歳です。
この人の「生誕300年」は3年後です。私があと3年生き延びるのは「余裕のよっちゃん」です。「その3年間何をしていたの?」などと聞かないで下さい。何もしていないと思います。
「悠々任去来でした」と答えられたならば、幸せだと思います。笑顔
もっと長生きする「幸運」に恵まれたら、「えらいこっちゃ!」かも。 】
2013年の5月30日(木)の日記をそのまま転載しました。
一昨年(2019年)暮れから始まったCOVID 19(新型コロナ感染症)を体験して、人生観はグラグラし始めました。基本は変わらないと思うのですが、「諦観者」と言いますか、「運命論者」と言いますか、「考えることを辞め」ました。
最近は、人並みに死が近づいてきて、「我が人生に悔いなし」としか言えない自分を見出しています。
勿論、本当は「悔いるべき」なのでしょうが、浅学菲才人間が、「宗教にも救われず、何が何だか分からないまま人生を終える」のですから、せめてこのように言って「自慰」するしかありません。
1945年第二次世界大戦が終わって間無しに生まれ、その後、日本が戦争に巻き込まれることのない時代に生きられたことを幸せに思っています。
ブログの投稿を長い間中断していましたが、この記事を持って最終回とさせていただきます。有難うございました。