朝夕涼しくなって過ごしやすくなりました。でも日中は天気が良すぎて汗ばみ「難儀」しています。
このように、気候には何ぼでも注文をつけることが出来ますが、確実に秋がやって来てくれた様子です。真夏の暑さを振り返れば「やれやれ」です。
植木屋さんの出番の季節です。近所では、あちこち、チョッキンチョッキンと木の枝を切る音がしています。
志賀直哉の短編集を読み始めました。例によって、若い頃一度読んでいて本棚に仕舞い込んで埃を被っているのを取り出してきたものです。新潮文庫の本で、本の一番後ろを見てみますと「昭和43年印刷発行、定価130円」と書かれてあります。定価の安いのが「昔(?)」を偲ばせます。昔の文庫本は文字が小さく、印刷も薄くて色が古びていて読み難いのですが、短編集なので各々10分前後で読み切れます。志賀直哉の日常の出来事を淡々と描いたものです。売れっ子作家でお金持だったのでしょうか、「執筆するのに静かな良い環境の場所で」ということで、しょっちゅう旅行に出かけています(旅行すると執筆する時の材料を得られるとは思いますが)。身内の不祥事も隠さず執筆しているのに好感を持てます。この種の本(ノンフィクションもの?)は、作家の正直な生きざまをリアルに覗き見ることが出来、大袈裟に言えば、自分が生きてゆく上で大変参考になります。「早春の旅」では親子の心の交流がさりげなく書き記されていて、ほのぼのとした気持ちになりました。と同時に、その背後に、何故か「人間の悲しさ」のようなものを感じてしまいした(このような感想を持つのは私だけだと思います。志賀直哉もこのような感想を持つ読者が現れるとは思いもしなかったでしょう)。
今日パソコンを開けようとしたら開かないので焦りました。調べたら、単にコンセントが抜けていただけでした。光電話なので、電源に繋がっていないと電話もかからないので、アレアレと思いました。「何時からコンセント抜けていたのだろう?電話がかかって来ていたかもしれないなあ」と思いました。このように光電話も不便な面があります。
最近、何かとこの種の失敗が発生します。「体の方」だけでなく「お頭の方」も弱ってきた様子です。
お彼岸には遅れましたが、お墓に小菊を飾ってきました。
このように、気候には何ぼでも注文をつけることが出来ますが、確実に秋がやって来てくれた様子です。真夏の暑さを振り返れば「やれやれ」です。
植木屋さんの出番の季節です。近所では、あちこち、チョッキンチョッキンと木の枝を切る音がしています。
志賀直哉の短編集を読み始めました。例によって、若い頃一度読んでいて本棚に仕舞い込んで埃を被っているのを取り出してきたものです。新潮文庫の本で、本の一番後ろを見てみますと「昭和43年印刷発行、定価130円」と書かれてあります。定価の安いのが「昔(?)」を偲ばせます。昔の文庫本は文字が小さく、印刷も薄くて色が古びていて読み難いのですが、短編集なので各々10分前後で読み切れます。志賀直哉の日常の出来事を淡々と描いたものです。売れっ子作家でお金持だったのでしょうか、「執筆するのに静かな良い環境の場所で」ということで、しょっちゅう旅行に出かけています(旅行すると執筆する時の材料を得られるとは思いますが)。身内の不祥事も隠さず執筆しているのに好感を持てます。この種の本(ノンフィクションもの?)は、作家の正直な生きざまをリアルに覗き見ることが出来、大袈裟に言えば、自分が生きてゆく上で大変参考になります。「早春の旅」では親子の心の交流がさりげなく書き記されていて、ほのぼのとした気持ちになりました。と同時に、その背後に、何故か「人間の悲しさ」のようなものを感じてしまいした(このような感想を持つのは私だけだと思います。志賀直哉もこのような感想を持つ読者が現れるとは思いもしなかったでしょう)。
今日パソコンを開けようとしたら開かないので焦りました。調べたら、単にコンセントが抜けていただけでした。光電話なので、電源に繋がっていないと電話もかからないので、アレアレと思いました。「何時からコンセント抜けていたのだろう?電話がかかって来ていたかもしれないなあ」と思いました。このように光電話も不便な面があります。
最近、何かとこの種の失敗が発生します。「体の方」だけでなく「お頭の方」も弱ってきた様子です。
お彼岸には遅れましたが、お墓に小菊を飾ってきました。