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WATASI(M)のツイットNO.134

2013-12-31 09:47:50 | 日記
2013年12月28日(土)
 近江神宮へ向かうウオーキングばかりでは飽きてくる。
 今日は、午後から、墓参りを兼ね、三井寺まで“サイクリング”ということにした。
 “ウオーキング”と“サイクリング”とでは使う筋肉の部位が大いに異なる。両方を毎日やると大変健康に良いだろうと思った。ここでトライアスロン競技を連想してしまった。この競技がどういう経緯で生まれたか知らないが、「トライアスロンのようなことを毎日やると、きっとあらゆる部位の筋肉が鍛えられ、その他の臓器にも良い効果を齎すに違いない」と、実際にやりもしないことを思った(これはもうスポーツの領域であり一般人の健康促進の手段とするにはあまりにハード過ぎる)。
 三井寺では、今日はまだ拝観料を徴収する人が詰め所にいた。多分仕事は今日までだと思う。年末の3日間と正月の3日間、詰め所は無人となり無料で境内に入れる。12月31日の夜は除夜の鐘を突きに来る人で大賑わいをする。寺内は、近江神宮と同様、除夜の鐘突き・迎春の準備が既に整っていた。だが境内はひっそりしていた。若い恋人同士のカップルが一組、散歩を楽しんでいた。そのカップルは一般の観光コースから外れ、気儘に歩いている様子だった。そのうち墓地のある場所に行きあたり、彼等は散策する場所ではないと思ったのか踵を返して戻って行った。
 “サイクリング”の距離を伸ばす為、菱屋町の商店街の方へ出て見た。今日は28日で大晦日までには未だ日がある。その所為か買い物客は疎らで寂しい風景だった。しかし明日以降もこんな感じかもしれない。“シャッター通り”とまでは言わないが、昔の賑わいを思えば“昔日の感”がある。昔は12月の28日ともなれば大勢の人が繰り出して大変な賑わいを見せていたのだが・・・。
 寒い日だった。帰りには粉雪が舞い出して冷たい風が斜めから吹きつけてきた。イオン店(スーパーマーケット)に寄り、自転車を置いて中で10~15分程買い物を済ませて出てきたら、自転車の上に1cm近く雪が積もっていて驚いた。

 帰ってから、冷え切ってしまった体を温めるべく近所の風呂屋へ行った。最近は自宅で風呂に入ることが多くなり銭湯には滅多に行かない。冬場は体が汚れることがあまりないので毎日風呂に入る必要はない。しかし一日に一度くらいは“身体の血液の循環を良くしたい”という思いから、毎日自宅で風呂を沸かしている。だが、今日のように寒いと、風呂の湯が沸くまでに1時間くらいは充分にかかってしまう。風呂屋に行って帰ってこられるくらいの時間だ。近所の風呂屋に行くのは実に一年ぶりだった。行った時刻は午後5時半頃で7~8人の先客がいた(多い方だと思う)。久しぶりにサウナ風呂に入った。サウナから出て来たら先客は殆ど帰ってしまっていた。そのうちに私一人になってしまいお風呂の貸し切り状態となった。家の風呂と違い、広々とした空間があり豊富な湯量の湯船なので大変気持ちが良い。ただ、今迄貸し切り風呂状態になると、風呂場を一人占め出来て喜んだものだが、今日は何だか寂しさを覚え、話し相手が欲しくなった。こんな気分になったのは初めての事だ。
 風呂から上がって服を着ていたら、小学生くらいの子供3人が元気に“賑やか”に入って来た。風呂屋で子供の姿を見るのは珍しい。

2013年12月29日(日)
 今朝の最低気温は今年度最低記録の氷点下1℃だった。最高気温は昨日より2℃高い7℃の予想。明日も最低気温・最高気温ともに同じくらいの予報が出ている。
 比叡山は、1週間くらい前から粉砂糖を塗したように薄っすらとした雪化粧を見せていた。大津では今日が町中の初積雪になったのではないか。昨日は、降った雪は直ぐに消えたので初雪ではあったが積もったという感じがしなかった。手入れしたばかりの庭の木々が雪化粧をしている。
 寒い日だが太陽が出て快晴の朝。
 夕刻、ウオーキング。近江神宮では新年の準備は更に進み、本殿の前に“献花”が一対飾られていた。

2013年12月30日(月)
 昨日は一日良い天気だった。今日も晴れて良い天気になりそうだ。
 真冬並みと言われた寒さも少し緩んだので、各家庭の年末の大掃除・正月準備もやり易くなり捗ることだろう。
 ウオーキング。
 
      

2013年12月31日(火)
 二度と帰ってこない2013年が過ぎ去ってしまう。“私はこの1年の間、何をしたのだろう”。名残惜しいが、2013年に“さようなら”と言っておこう。
 
 明日から2014年が始まる。新年の2014年の1月1日から12月31日までの365日間、今度はまた、“私は何をして過ごすのだろう?”。「生」のアンニュイ【ennui(仏)生活意欲を失った倦怠感】と「老」「病」「死」のフィアー【fear(英)不安】の“狭間”において・・・。
 “悠々任去来”などと嘯いて来たが、これは他人からの借りものの言葉でしかない。
 一年間の“崇高な計画”などは残念ながら立てられない。“煩悩”ならば大いに有るのだが。
 宇宙に数多(あまた)散らばるブラックホールの最深部の世界、そして超ミクロの世界・・・一体何が解明されようとしているのだろう。興味は引かれるものの、知識としてのレベルに過ぎず、仮に解明されたとしても自分の生き方は変わらないだろう。
 塵芥(ちりあくた)とは思いたくないが、無限の時間と無限の空間の中で、“WATASI”は“私”でしかありえない。それで良いと思う。
 “不思議な世界に遭遇した”・・・2013年以前に対しても、また2014年以後に対しても‥‥‥。
 こんな言葉を“遺す”他ないと思う。今は‥‥‥

WATASI(M)のツイットNO.133

2013-12-27 14:55:56 | 日記
2013年12月23日(月)
 今日23日は祭日なのだけれども、何の祭日であるか分からなかった。一年に何日か祭日があるが、その日が何の祭日であるかを答えられるのは半分位に留まる。何時の頃からか祭日の日を振り替えて月曜日に持ってくる“振替休日制度”が出来た。日曜日と連結させて連休とすることにより、観光その他の産業を活性化させようとする制度だ。このような細工がされ始めてから余計に祭日を言い当てられなくなってきた。
 祭日が休みになる有難さは退職すると忘れてしまい祭日に無関心になることも、その日が何の祭日か言えなくなるもう一つの理由だと思う。仕事を退いてからは、祭日はむしろ迷惑な存在にすらなっている。道路、行楽地、街中・繁華街が人出で混むからだ。
 今日の祭日は平成天皇の誕生日。多分そうではないかと思っていたので“当たり”だった。天皇陛下は今年80歳になられた。私とは一回り違う同じ酉年生まれで、“傘寿”と言う節目だそうだ。私も肖(あやか)って元気に“傘寿”を迎えたいものだ。迎えられる確率は、今日までの精進が宜しくないので限りなく低い確率だろうと覚悟している。だから遠慮深く今は取敢えず70歳を目標にしておこう。店先の値札と同様に、68歳と70歳とでは数字の上で大分違うような感じがしてしまう。70歳まで生きられるだけでも有り難く思わなければならない。

 天皇の誕生日記者会見があって(12月18日)、その中で「孤独」と言う言葉が出たという。“そうかも知れない”と思った。そして天皇は、「その孤独を妃殿下が支えてきてくれた」とも言われたそうだ。【※】
 【※】 【「天皇という立場にあることは、孤独とも見えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。」】

 天皇皇后両陛下の姿は行事がある度にテレビなどでよく拝見するが、常々「お年なのによく働かれるなあ」という感想を持っていた。人間の歴史は「自由獲得の歴史」だった筈だが、天皇の場合この歴史観は通用しないようだ(尤も、天皇がこの様な発言を出来るようになったこと自体、「自由」の一つの表れかもしれない)。天皇には孤独死と言うこともあり得ない。それが良いことなのかどうか深く考えないと分からない。
 人間には運命というものがあるようだ。このことが年をとってから朧げに分かって来た。

2013年12月25日(水)
 4日間、間をおいてウオ―キングに出た。往路、本殿までノンストップで歩けず途中で休むことになった。脊柱管狭窄症の気まぐれか?それとも、僅か4日間の怠慢で脚の筋肉が退化してしまったのだろうか?何事であっても、人間は努力を怠ると直ぐに後退してしまう。齢を取れば尚更の事なのだろう。
 神社の境内では、お正月準備が着々と進んでいた。第1の鳥居から第2の鳥居までの参道に歩行者の通行を誘導するロープが張られていた。この参道はお正月の期間、参拝客の駐車場となる。神札返却所も設けられていた。総門から本殿の階段までは“しめ縄(?)”が張られている。
 お正月前の準備風景を写真に取っておいてもよいなあと思った。年内に写真機を持ってウオーキングに来よう。
 日没は明らかに遅くなっている。

2013年12月26日(木)
 クリスマスが終わり、街のスーパーマーケットでは、蒲鉾(普段の4~5倍の高価な値札が付いている)などのお正月用食品が並べられ始め、お正月ムードになって来た。テレビ番組もいつの間にか普段の番組から特別番組となっている。その中身は全く同じだと思うのだが、年の瀬気分を煽られる。
 安倍総理大臣が政権を担当して1年が経過した。今日“念願の靖国神社参拝”を果たしたと報道されていた。思い切った大胆な行動だと思った。米国は、「日本は大切な同盟国だが、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに米国政府は失望している」と批判する談話を発表した。
 午後から雨。ウオーキングには行けず。

2013年12月27日(金)
 今日から3日間ほど、また寒さが日本列島を襲うという。大津では、きょうは午後から雨の予報、遅くなれば雪になる確率が高まるという。
 午前中、新年の準備を進める神社の年末風景写真を撮るべくカメラを持ってウオーキングに出た。
          【写真の上をクリックすると少し大きくなります】

 寒い中咲く椿は偉い!


 梅の蕾も、今から春に向けてしっかり準備している。君も偉い!

WATASI(M)のツイットNO.132

2013-12-22 09:51:52 | 日記
2013年12月18日(水)
 一日中雨。夜、夏目漱石の本「それから」と、昨日借りた「自然科学の本」をそれぞれ少しずつ読んだ。後者は思っていた程難しくはなくて、面白く読めそうだ。
 文学作品は「自分の頭の中に浮かんだ事や自分の心の動きを追って(traceして)それをどう旨く他人に伝えるかという作業」であるのに対して、自然科学は「試行錯誤を繰り返しながら“事実(真実)”を捉えようとする作業」である。
 自然科学に関する著作物は、論文・学術書は専門家以外には分かり難いが、一般読者を対象にした書物は一般人に分かり易いようにと書かれていて、私などでも概略理解出来そうだ。

2013年12月19日(木)
 台所の換気扇の調子が悪くなった。故障したようなので新しいのを買ってきて取り替えた。背伸びをする必要があり、無理な姿勢をしたのがいけなかったのか、腰が痛くなった。少し心配したが横になって休んだら痛みはとれた。

2013年12月20日(金)
 朝は寝坊する時と逆に早く目覚めてしまう時とがある。
 寝坊をすると、午前7時過ぎ、下手したら(滅多にないが)午前8時近くになってしまう日がある。一日のスタートが遅れるのだから気分はあまり良くない。
 朝早く目覚めてしまう時は逆に所在無くて困ることになる
 夜中に目が覚めてもう一度眠り直すのは、精々午前4時頃までに目が覚めた時、その時刻より後になると、眠るのを諦めて寝床の中で夜明けを待つことになる。冬は夜明けが遅いので夜明けまで大変時間が長い。その間、目を瞑ったままのこともあるが、電気スタンドを点けて本を読んで夜明けを待つこともある。今朝は午前4時過ぎに目が覚めてしまった。読みかけの夏目漱石の「それから」を読んで時間を潰した。手を蒲団から出して本を持って読むのだから、時間がたつと手が冷たくなって来て堪えられなくなってくる。更には手の冷たさが心臓にまで伝わってきて心臓が痛むような気がする時さえある。それで時々手を蒲団の中に引っ込め、布団の中で手を温め直し、また本を持って読むということを繰り返す(※)。
 (※)私は大変な冷え性で、あまりにも手が冷たい時は「見て!この手の冷たさ!」と言って、他人に私の手を握らせ、自分の手の冷たさを訴えたくなる“癖”がある。それで、時々「変なオジサン」と思われてしまう!(^^)!

 手を引っ込めて布団の中で手を温めながら、漠然と、「夏目漱石の知能指数は一体どの位だったのだろう?」と思った。それから「自分も小学生の頃よく知能指数テストをやらされた記憶があるが、その時の成績はどの位だったのだろう?」、「それにしてもあのようなテストで頭の良し悪しの判別が出来るのだろうか?」。「知能指数テストが信用できないとなると、次に、脳の重さを測れば頭脳の良し悪しが分かるのだろうか?脳の重さは生きている間でも測定出来るのだろうか?」と、次々に“連想”して行った。
 柱時計が午前6時を打ったので(※)、寒さを堪えて“エイッ”と勇気を奮って起きた。

 (※)朝のニュースで、丁度この時刻、隣町の『京都市山科区の“餃子の王将”を展開する「王将フードサービス」の本社ビル前の駐車場で、社長の大林隆行が何者かにピストルで襲撃されて死亡した』と伝えられた。
 先週だったか、北朝鮮でも張成沢(チャンソンテク)朝鮮労働党行政部長がクーデターを企てたという嫌疑で、あっという間に死刑に処せられてしまった。人は何時突然死亡するかわからない。本人はまだまだ生きていられるだろうと思っていても(もっと言えば、多くの人は、自分は永遠に死なないで生きていくような錯覚に陥っている)、死はいつ訪れるかわからない。全ての人間は、暴力的に(と言ってよいと思う)“突然この世から抹殺される”。だから、“そのことを充分に自覚して人生を歩む”なり、そのように突然襲われる“死に対する準備をしておく必要”があると思う。
 しかし、だからと言って“自分の日々の生き方がそう変わるものではなく、変えようもないもの”と思う。

 午前中、近所の内科医院を受診した。年末の所為か大変混んでいた。

 午後、雨が今にも降りそうな様子になって来た。
 雨が降る前にと、いつもより早めの午後4時過ぎにウオーキングに出た。大変寒い。参道の脇に材木(木の丸太)が沢山置かれていた。お正月準備が始まったようだ。神社には大晦日、除夜の鐘が打ち鳴らされる頃からお参りに来る人が大勢いる。寒い中で火を焚いて温まるために使われる材木なのだろうと推測した。それは暗い境内の灯りの役目をも果たすことになる。

2013年12月21日(土)
 昨日から今日にかけて大変冷え込んだ。
 天気図を見てみると、いつの間にか北海道辺りで低気圧がどんどん発達しており、西高東低の気圧配置。その間“等圧線”が何本も引かれて混みあっている。そして上空に寒気が入り込んでいるというから、風が強くなって寒さが厳しくなってくる理由が素人にもよく分かる。
 大津でも昨夜は大変風が強くて“台風”でもやって来たかと思うくらいだった。だが北海道辺りにある発達した低気圧は、考えて見れば、“台風”と同じようなものだ。寒い季節中だけれども“北海道近海で発生した台風”と捉えた方が良さそうだ。真夜中、雨はそれほど降っていないのに突然雷鳴が鳴って目が覚めた時もあった。今年も地球温暖化による異常気象が頻発したが、年末も異常気象で締め括られるかのようだ(尤も、これくらいの寒さは異常気象と騒がれる以前からあったことだろうと思うのだが・・・)。

 午後、今年最後のピアノのレッスンの日。今練習中の“ル・クーペのピアノのアルファベットY”と“エリーゼのために”は、まだまだ道半ばで来年に持ち越すことになる。これ等をマスターするには、少なくとも来年1月一杯はかかることだろう。
 町内会の“ふれあいサロン”の人達に来てもらって、自宅でピアノ演奏会を開いたのは丁度3年前の今頃。その時“エリーゼのために”を先生と連弾で弾いたのだが、今は一人立ちしてその独奏にチャレンジしていることになる。
 どんな習い事も簡単には行かないものだ。4年もやればもう少し上手になれるかと思っていた。だがそう簡単なものではない。
 私‥‥‥「後2~3年もしたら自信がつくかなあ?」
 先生‥‥「私は50年以上やっているけど全然自信つかない」
 私‥‥‥「フーッ!・・・・・」
 ピアノとの格闘は来年も続く。“ピアノの練習を続けられることが幸せ”と考えよう。

2013年12月22日(日)
 今日は一年の中で、昼間が一番短い“冬至の日”。風呂屋では柚子が湯船に浮かぶことだろう。
 今朝も寒かったが、今、お日さんが出てきた。
 それで少し暖かくなったような気がする。

WATASI(M)のツイットNO.131

2013-12-18 10:45:28 | 日記
2013年12月16日(月)
 昨日は大津も寒かった。昨日朝の天気予報で予報されていた通り、今朝のテレビニュースでは「昨日は北海道、東北地方に寒波が到来して大雪になった」と伝えていた。積雪が最高130cmの所があったようで、有名な青森県の“酸が湯”は100cmだったという。

 あと1週間後の22日(日)の冬至までは、日没が遅くなって行ってもそれ以上に日の出がどんどん遅くなってゆくので、昼間の時間はまだまだ短くなってゆく。
 私は、ふと「南半球ではこれと正反対の現象が起こると考えて良いのだろうか?」と思った。南半球では今、夏に向かっているのだろうが、「南半球では日本の夏至の頃昼間が一番短く、日本の冬至の頃昼間が一番長くなる」。そして「南半球で日本の夏至に向かう時(この時南半球ではやはり“冬至”と呼ぶのだろうか)、夜明けが“早くなり始め”ても、日没がそれ以上に“早くなって行く”ので、日本の夏至(南半球の“冬至”?)に向かって昼間がまだまだ短くなってゆく」。このような現象が起こると考えて良いのだろうか。
 中・高校生の頃、“地学の気象”の授業の時間に教わったことがあったのかもしれない。認知症に限りなく近づいている今、このような問題を自力で考え抜くことは出来ず、正しい知識を得たいならばそれに関連する本を開かねばならない。もっと簡単に、誰か地球儀でも持参してくれて教えてくれる人がいれば良いのだが・・・。
 実際に、南半球のオーストラリアなどへ行ってそこに住んで生活を体験してみたら(余生の一つの過ごし方として一年間長期滞在してみる手もある。《※そんな経済的余裕、馬力はなく夢物語であるが》)、理屈は分からなくても“体が納得”してくれるかもしれない。
 

 昨日の夕刻、植木屋さんが「明日、雨が降らなければ、庭木の手入れに来る」と前もって知らせに来てくれた。
 今朝は明け方まで時々弱い雨が降っていて植木は雨に濡れていた。前に来てくれていた植木屋さんが「植木が雨に濡れていると仕事が出来ない」と言っていたことがあったので、残念ながら今日は来てくれないかも・・・と思っていた。
 しかし、午前8時半、呼び鈴を押す音がした。植木屋さんが(今年はもう一人)相棒を伴って現れてくれた。
 「植木が雨に濡れていると仕事がやりにくいでしょうね」と尋ねてみると、「いやいや、電ノコ(電気鋸)でビャーとやるから大丈夫!」と言う。今年72歳になる植木屋さんは今年も相変わらず元気一杯だ。
 一昨年までは、二人がかりで二日の日数を要して植木の手入れをしてくれていた。それが今度の植木屋さんは、昨年はたった一人で、一日半でやってしまったので驚いたものだった。
 今年は二人だったので、ペチャクチャと元気に会話を交わしながらも、一日で手入れを終えてくれた。日が沈むのが一番早くて、夕闇が忙しなく訪れてしまうこの時期なのに、未だ明るいうちに余裕を持って仕事が片づいた。
 「丁寧ではなく、ざーっとやで」と謙遜されるが、どうしてどうして鬱陶しい庭がサッパリして大変綺麗になった。大きな銀杏の木や、紅葉の木が植えられている大きな家の広い庭などは大変手間取るそうだ。そして庭木にこだわる家では色んな注文も出るのであろう。しかし我が家の庭は小さな松が一本あるだけなのでそう手間はかからない。その上に全て植木屋さん任せだから、植木屋さんには与し易い様子にみえる。
 散髪をする時も散髪屋さん任せ、植木の手入れをする時も植木屋さん任せ、サッパリしさえすればよい。  
 
 丁度今が開花時期の寒椿の“花・蕾”に気配りをしてくれた。

2013年12月17(火)
 今夜は満月になる日なのに曇り空の為、月は姿を見せなかった。しかし、それほど厚くない雲を通してほの明るく見える部分があった。“多分あの雲の後ろに満月のお月さんが隠れんぼしているのだろう”と推測した。姿は現さなくてもその存在感を示してくれていた。

 夕食に招かれた。このところ寒さが増す日が続いている。そんな中、暖かい部屋の中で、温かいお鍋を囲み、楽しい会話を弾ませる時間は“心まで温まる”。丁度旬を迎えた“牡蠣”が主役になった。白身の部分がしっかりと大きく、端っこの黒い襞の部分まで柔らかくて美味しい。生のまま柚子と醤油をかけて酢牡蠣にしても食べた。これまで口にした中で一番美味しい牡蠣だと思った。
 帰りに自然科学の本を借りた。難しそうである。文学書は良く読むが、自然科学の本はそれほど多く読んだことがない。文学の本は理解できない部分があっても、分からないまま読み進んで、それでもその本を読了した気分になれる。しかし自然科学の本はそうはゆかない。言ってみれば算数の問題を解くようなものである。算数の問題は途中で分からない部分が出てくれば答えを出せない。それと同じで、自然科学の本も一つ一つ順番に理解しながら読み解いてゆく作業が必要となる。それに成功しなければその本を読んだことにならない。理解出来るかどうか甚だ心もとないが、頭の体操をするつもりでお借りした。お頭(おつむ)に自信がないので、返却するまでに日数がかかることをお断わりしておいた。

2013年12月18日(水)
 あまり変わったことのない日(こんな日ばかりなのだが)には、“見た夢”を書き留めることにしてこの日記を満たすこと(作戦?)にしている。
 夢の方は、“変わった夢”を実によく見る。目が覚めた時、忘れていて思い出せない夢もあるが、“出演した人”の名前まで言えるくらいに明瞭に覚えている夢もある。その内容も実に多彩であり“何でこんな夢を見たのやろ?”と驚くこともある。喜びに溢れる夢はまず見ない。大抵困惑するような内容の夢ばかりだ。
 昨夜も3~4本見ていた。3本までは覚えている。1本は平穏な内容だったが、他の2本はやはりあまり良い夢ではなかった。それを紹介する。その2本は、しばしば見る“焦っている夢”だった。
 1本は、物凄く高い垂直に切り立った崖の上から下に降りようとする風景から始まった。あまりにも急峻である為に降りるのを止めようとするのだが、一旦下り始めたら途中で止めることは出来ない。やがて、もう落下するより他に方法は無い状況となる。そして“落ちれば死ぬか大怪我をするだろう”と恐怖心に身が竦んでしまっている、という内容の夢であった。よく見る種類の夢だ。しかし実際に落下する場面は出てこない。その恐怖心が極度に高まった時点で、目が覚めないまでも、脳の中の何かが何処か別の方向へ移動してしまうのだろうか。
 もう1本は、団体で旅行していて、自分だけが仲間からはぐれてしまい(いつの間にか知っている人が周囲から消えている)、追いかけて皆を探し回すが探せず、またその日の宿泊予定の宿のメモも持っていないために連絡の取りようがなくて、困りぬいているという内容の夢だった。その夢の中で登場した何人かは名前も顔も知っている人であり、目が覚めてからもしっかり覚えていた。


WATASI(M)のツイットNO.130

2013-12-15 08:31:45 | 日記
2013年12月11日(水)
 午後4時50分頃自宅を出発し、太鼓が打ち鳴らされる午後5時に本殿に到着するのが“日課”になってきた。

 太鼓は職員4~5名が毎日交代で叩いている。
 時間を刻むラジオが置かれている。
 「・・・ピッ・ピッ・ピッ・ピ-、只今午後4時59分30秒です。ピッ・ピッ・ピッ・ピ-、只今午後4時59分40秒です。・・・ピッ・ピッ・ピッ・ピ-、只今午後4時59分50秒です。・・・ピッ・ピッ・ピッ・ピ-(丁度午後5時になる)」
 『ドカン!!』、太鼓が打ち鳴らされる。
 そして、『ドン』・・・『ドン』・・・『ドン』・・『ドン』・・『ドン』・『ドン』・『ドン』・『ドン』・・・・・『ドン』・・『ドカン!』。この間30秒ほどか。
 太鼓の打ち鳴らし方は、職員によってやや異なり、個性が表れる。

 その時刻に間に合う時もあれば遅れる時もある。遅れそうな時には早足の“ウオーキング”、駆け足の“ランニング”ということになる。遅れた時は、手前の階段を登っている時から、ピッ・ピッ・ピッと時計の時刻を刻む音が聞こえ、『ドカン』が鳴ってしまう。うんと遅れた時には、遥か手前の階段で『ドカン』が聞こえてくる。まるで遅れた時は「いつ鳴ったんやろ?」。

 今日は、現在の日没時間とされる午後4時45分丁度に家を出た。全く明るい!午後4時55分に着いた。もうピッ・ピッ・ピッが始まっている。日没時間から15分以上経った午後5時の『ドカン!!』の頃、闇が神社を包み始める。
 自宅に帰り着く午後5時20分頃、辺りは暗闇となる。
 明後日12月13日から、日没は1分遅くなって午後4時46分になるという。

2013年12月12日(木)
 何時もより早く、午後4時55分本殿に到着した。本殿の階段の所で職員と一緒になった。
 私・・・・「今日は風が強くて寒い日ですね」
 職員・・・「ええ、本当に・・・でもまだ12月、これくらいの寒さは・・・」
 太鼓を叩く前だから気合が入っている。

 日没が一番早い“午後4時45分台”は今日が最終日。11/29~12/12は日没時間が一様に16時45分とされているが、秒単位まで考えれば、今日は昨日よりも日没時間が少し遅くなっているのではないかと感じた。尤も、今日はお月さんが出ている。明るく感じるのはその所為かも知れない。今日のお月さんは“上弦の月(満月に向かう時の半月)”を少し通り越してお腹が出っ張ってきている。
 【※ 11/18(月)満月→12/3新月(火)→12/17(火)満月】

2013年12月13日(金)
 一段と寒くなって来た。伝家の宝刀を抜き、“アラディン”を今年初めて使用した。一度使い始めたら毎日使うことになってしまう。来年の3月頃まで御世話になることだろう。
 
 変わり映えのない生活、他に書き留めておくことがないので、ウオーキングの話ばかりになる。
 “世の中に出る”のはウオーキングの時間だけという日が多い。そして未だ“修業中の身”なので“無心に”はとても歩けない。『きょろきょろ“世の中”を見回して見たこと』を書き留めることになる。
 今日から3日間(12/13~12/15)、日没時間は午後4時46分となり、昨日までより1分遅くなる。昨夕は、天気が良く、お月さんも出ていたので、心なしか少し日が長くなったのではと思った。しかし今日一日は雨が降ったりしての曇り空。ウオーキングをする時刻には雲間からお月さんも見えたが、日が長くなったことを判別するのは困難だ。日没時間の微妙な変化を認識できるのは特殊な動物くらいのものだろう。多くの人が日没時間が遅くなってきたことを感じとるのは1~2週間後、冬至が過ぎた頃からであろう。鈍感な人はお正月になってから気付くのかも知れない。
 これに対して、お月さんの日々姿を変えるのは早く、それに気付かない人はいないのではないか。2~3日前は半月(上弦の月)だったのに、もうお腹が出っ張ってきて、しっかりした“メタボ”になっている。満月になるのは12月17日(火)、その日も休まず歩いて、今年度最後の満月を見ておこう。

2013年12月14日(土)
 昨日よりさらに寒くなった。平年の12月下旬、1月の気温と言う。
 
 ウオーキング。
 階段では、紅葉の落ち葉は少なく、木の実の方が多く落ちていてその勢力を盛り返していた。紅葉の方が“潔い散り方”をするのに対し、木の実は“気長に落ち続けている”感じがする。子孫を絶やさない配慮なのであろうか?
 今日のお月さんは更に太っていた。
 行きは本殿まで休まず歩けるようになったが、帰りは一度は休まないと辛い。しかし足が痺れて辛くなってきても、京阪電車の近江神宮駅までは我慢して歩き、停留所にある椅子に座って休憩することにしている。丁度その頃、電車が上下線ともにほぼ同時刻頃に近江神宮駅に到着するのがある。しかし、稀に他方が早く到着して発車してしまっているのに、もう一方が大幅に遅れて到着することがある。まるで電車同士喧嘩していて、お互い避けあっているかのような光景だ。
 休んでいる時、後ろを振り返って時刻表を見てみた。電車の本数の少ない昼間の時間帯は1時間に4本、朝夕の通勤・通学の時間帯は1時間に8本だった。上下線を合わせると、それぞれ8本、16本になる。とすれば、踏切で、遮断機が下りて電車が通り過ぎるのに1分くらいを要するとすれば、単純に考えれば、本数の多い時間帯は遮断機が16分間下りていて(凡そ1時間に4分の1の割合)、“通せんぼ状態”になっている訳だ。道理で、ウオーキングの時、踏切で遮断機が下りて通行待ちになるのが多い筈だ。

2013年12月15日(日)
 これ以上ない西高東低の気圧配置になっている。この気圧配置になると大津でも風が強くなる。北海道や東北の日本海側はかなりの積雪が予想されている。今年も、日本海の水温が高い為に、海面からの水蒸気量が多くなり、大雪が予想されている。

 毎日お日さんが出て沈んで、お月さんが満ちたり欠けたりして、そして暑かったり寒かったりして・・・今年もあと半月になった。
 間なしにお正月がやって来る。普段は静かな私のウオーキングの舞台も、年に一度の大変な賑わいを見せることになるだろう。
 年が明けると、確定申告、花粉症が始まる。・・・お正月は私には単なる通過点でしかなくなってきた。
 “日の出”、“希望”、“幸福”、“世界平和”など、『書き初め』をした頃が懐かしい。