2013年12月28日(土)
近江神宮へ向かうウオーキングばかりでは飽きてくる。
今日は、午後から、墓参りを兼ね、三井寺まで“サイクリング”ということにした。
“ウオーキング”と“サイクリング”とでは使う筋肉の部位が大いに異なる。両方を毎日やると大変健康に良いだろうと思った。ここでトライアスロン競技を連想してしまった。この競技がどういう経緯で生まれたか知らないが、「トライアスロンのようなことを毎日やると、きっとあらゆる部位の筋肉が鍛えられ、その他の臓器にも良い効果を齎すに違いない」と、実際にやりもしないことを思った(これはもうスポーツの領域であり一般人の健康促進の手段とするにはあまりにハード過ぎる)。
三井寺では、今日はまだ拝観料を徴収する人が詰め所にいた。多分仕事は今日までだと思う。年末の3日間と正月の3日間、詰め所は無人となり無料で境内に入れる。12月31日の夜は除夜の鐘を突きに来る人で大賑わいをする。寺内は、近江神宮と同様、除夜の鐘突き・迎春の準備が既に整っていた。だが境内はひっそりしていた。若い恋人同士のカップルが一組、散歩を楽しんでいた。そのカップルは一般の観光コースから外れ、気儘に歩いている様子だった。そのうち墓地のある場所に行きあたり、彼等は散策する場所ではないと思ったのか踵を返して戻って行った。
“サイクリング”の距離を伸ばす為、菱屋町の商店街の方へ出て見た。今日は28日で大晦日までには未だ日がある。その所為か買い物客は疎らで寂しい風景だった。しかし明日以降もこんな感じかもしれない。“シャッター通り”とまでは言わないが、昔の賑わいを思えば“昔日の感”がある。昔は12月の28日ともなれば大勢の人が繰り出して大変な賑わいを見せていたのだが・・・。
寒い日だった。帰りには粉雪が舞い出して冷たい風が斜めから吹きつけてきた。イオン店(スーパーマーケット)に寄り、自転車を置いて中で10~15分程買い物を済ませて出てきたら、自転車の上に1cm近く雪が積もっていて驚いた。
帰ってから、冷え切ってしまった体を温めるべく近所の風呂屋へ行った。最近は自宅で風呂に入ることが多くなり銭湯には滅多に行かない。冬場は体が汚れることがあまりないので毎日風呂に入る必要はない。しかし一日に一度くらいは“身体の血液の循環を良くしたい”という思いから、毎日自宅で風呂を沸かしている。だが、今日のように寒いと、風呂の湯が沸くまでに1時間くらいは充分にかかってしまう。風呂屋に行って帰ってこられるくらいの時間だ。近所の風呂屋に行くのは実に一年ぶりだった。行った時刻は午後5時半頃で7~8人の先客がいた(多い方だと思う)。久しぶりにサウナ風呂に入った。サウナから出て来たら先客は殆ど帰ってしまっていた。そのうちに私一人になってしまいお風呂の貸し切り状態となった。家の風呂と違い、広々とした空間があり豊富な湯量の湯船なので大変気持ちが良い。ただ、今迄貸し切り風呂状態になると、風呂場を一人占め出来て喜んだものだが、今日は何だか寂しさを覚え、話し相手が欲しくなった。こんな気分になったのは初めての事だ。
風呂から上がって服を着ていたら、小学生くらいの子供3人が元気に“賑やか”に入って来た。風呂屋で子供の姿を見るのは珍しい。
2013年12月29日(日)
今朝の最低気温は今年度最低記録の氷点下1℃だった。最高気温は昨日より2℃高い7℃の予想。明日も最低気温・最高気温ともに同じくらいの予報が出ている。
比叡山は、1週間くらい前から粉砂糖を塗したように薄っすらとした雪化粧を見せていた。大津では今日が町中の初積雪になったのではないか。昨日は、降った雪は直ぐに消えたので初雪ではあったが積もったという感じがしなかった。手入れしたばかりの庭の木々が雪化粧をしている。
寒い日だが太陽が出て快晴の朝。
夕刻、ウオーキング。近江神宮では新年の準備は更に進み、本殿の前に“献花”が一対飾られていた。
2013年12月30日(月)
昨日は一日良い天気だった。今日も晴れて良い天気になりそうだ。
真冬並みと言われた寒さも少し緩んだので、各家庭の年末の大掃除・正月準備もやり易くなり捗ることだろう。
ウオーキング。
2013年12月31日(火)
二度と帰ってこない2013年が過ぎ去ってしまう。“私はこの1年の間、何をしたのだろう”。名残惜しいが、2013年に“さようなら”と言っておこう。
明日から2014年が始まる。新年の2014年の1月1日から12月31日までの365日間、今度はまた、“私は何をして過ごすのだろう?”。「生」のアンニュイ【ennui(仏)生活意欲を失った倦怠感】と「老」「病」「死」のフィアー【fear(英)不安】の“狭間”において・・・。
“悠々任去来”などと嘯いて来たが、これは他人からの借りものの言葉でしかない。
一年間の“崇高な計画”などは残念ながら立てられない。“煩悩”ならば大いに有るのだが。
宇宙に数多(あまた)散らばるブラックホールの最深部の世界、そして超ミクロの世界・・・一体何が解明されようとしているのだろう。興味は引かれるものの、知識としてのレベルに過ぎず、仮に解明されたとしても自分の生き方は変わらないだろう。
塵芥(ちりあくた)とは思いたくないが、無限の時間と無限の空間の中で、“WATASI”は“私”でしかありえない。それで良いと思う。
“不思議な世界に遭遇した”・・・2013年以前に対しても、また2014年以後に対しても‥‥‥。
こんな言葉を“遺す”他ないと思う。今は‥‥‥
近江神宮へ向かうウオーキングばかりでは飽きてくる。
今日は、午後から、墓参りを兼ね、三井寺まで“サイクリング”ということにした。
“ウオーキング”と“サイクリング”とでは使う筋肉の部位が大いに異なる。両方を毎日やると大変健康に良いだろうと思った。ここでトライアスロン競技を連想してしまった。この競技がどういう経緯で生まれたか知らないが、「トライアスロンのようなことを毎日やると、きっとあらゆる部位の筋肉が鍛えられ、その他の臓器にも良い効果を齎すに違いない」と、実際にやりもしないことを思った(これはもうスポーツの領域であり一般人の健康促進の手段とするにはあまりにハード過ぎる)。
三井寺では、今日はまだ拝観料を徴収する人が詰め所にいた。多分仕事は今日までだと思う。年末の3日間と正月の3日間、詰め所は無人となり無料で境内に入れる。12月31日の夜は除夜の鐘を突きに来る人で大賑わいをする。寺内は、近江神宮と同様、除夜の鐘突き・迎春の準備が既に整っていた。だが境内はひっそりしていた。若い恋人同士のカップルが一組、散歩を楽しんでいた。そのカップルは一般の観光コースから外れ、気儘に歩いている様子だった。そのうち墓地のある場所に行きあたり、彼等は散策する場所ではないと思ったのか踵を返して戻って行った。
“サイクリング”の距離を伸ばす為、菱屋町の商店街の方へ出て見た。今日は28日で大晦日までには未だ日がある。その所為か買い物客は疎らで寂しい風景だった。しかし明日以降もこんな感じかもしれない。“シャッター通り”とまでは言わないが、昔の賑わいを思えば“昔日の感”がある。昔は12月の28日ともなれば大勢の人が繰り出して大変な賑わいを見せていたのだが・・・。
寒い日だった。帰りには粉雪が舞い出して冷たい風が斜めから吹きつけてきた。イオン店(スーパーマーケット)に寄り、自転車を置いて中で10~15分程買い物を済ませて出てきたら、自転車の上に1cm近く雪が積もっていて驚いた。
帰ってから、冷え切ってしまった体を温めるべく近所の風呂屋へ行った。最近は自宅で風呂に入ることが多くなり銭湯には滅多に行かない。冬場は体が汚れることがあまりないので毎日風呂に入る必要はない。しかし一日に一度くらいは“身体の血液の循環を良くしたい”という思いから、毎日自宅で風呂を沸かしている。だが、今日のように寒いと、風呂の湯が沸くまでに1時間くらいは充分にかかってしまう。風呂屋に行って帰ってこられるくらいの時間だ。近所の風呂屋に行くのは実に一年ぶりだった。行った時刻は午後5時半頃で7~8人の先客がいた(多い方だと思う)。久しぶりにサウナ風呂に入った。サウナから出て来たら先客は殆ど帰ってしまっていた。そのうちに私一人になってしまいお風呂の貸し切り状態となった。家の風呂と違い、広々とした空間があり豊富な湯量の湯船なので大変気持ちが良い。ただ、今迄貸し切り風呂状態になると、風呂場を一人占め出来て喜んだものだが、今日は何だか寂しさを覚え、話し相手が欲しくなった。こんな気分になったのは初めての事だ。
風呂から上がって服を着ていたら、小学生くらいの子供3人が元気に“賑やか”に入って来た。風呂屋で子供の姿を見るのは珍しい。
2013年12月29日(日)
今朝の最低気温は今年度最低記録の氷点下1℃だった。最高気温は昨日より2℃高い7℃の予想。明日も最低気温・最高気温ともに同じくらいの予報が出ている。
比叡山は、1週間くらい前から粉砂糖を塗したように薄っすらとした雪化粧を見せていた。大津では今日が町中の初積雪になったのではないか。昨日は、降った雪は直ぐに消えたので初雪ではあったが積もったという感じがしなかった。手入れしたばかりの庭の木々が雪化粧をしている。
寒い日だが太陽が出て快晴の朝。
夕刻、ウオーキング。近江神宮では新年の準備は更に進み、本殿の前に“献花”が一対飾られていた。
2013年12月30日(月)
昨日は一日良い天気だった。今日も晴れて良い天気になりそうだ。
真冬並みと言われた寒さも少し緩んだので、各家庭の年末の大掃除・正月準備もやり易くなり捗ることだろう。
ウオーキング。
2013年12月31日(火)
二度と帰ってこない2013年が過ぎ去ってしまう。“私はこの1年の間、何をしたのだろう”。名残惜しいが、2013年に“さようなら”と言っておこう。
明日から2014年が始まる。新年の2014年の1月1日から12月31日までの365日間、今度はまた、“私は何をして過ごすのだろう?”。「生」のアンニュイ【ennui(仏)生活意欲を失った倦怠感】と「老」「病」「死」のフィアー【fear(英)不安】の“狭間”において・・・。
“悠々任去来”などと嘯いて来たが、これは他人からの借りものの言葉でしかない。
一年間の“崇高な計画”などは残念ながら立てられない。“煩悩”ならば大いに有るのだが。
宇宙に数多(あまた)散らばるブラックホールの最深部の世界、そして超ミクロの世界・・・一体何が解明されようとしているのだろう。興味は引かれるものの、知識としてのレベルに過ぎず、仮に解明されたとしても自分の生き方は変わらないだろう。
塵芥(ちりあくた)とは思いたくないが、無限の時間と無限の空間の中で、“WATASI”は“私”でしかありえない。それで良いと思う。
“不思議な世界に遭遇した”・・・2013年以前に対しても、また2014年以後に対しても‥‥‥。
こんな言葉を“遺す”他ないと思う。今は‥‥‥