WATASI(M)のツイットNO39に続いて書きます。
山の辺の道
ドイツの人工衛星が大気圏に突入して人に危害を与える確立が2千分の一と騒がれる日(10月23日)、奈良は、「山の辺の道」を探訪しました。
京都駅から、これまで殆ど利用することのなかったJR奈良線を利用しました。
JR奈良駅で桜井線に乗り換えます。桜井線は「万葉まほろば線」という愛称が付けられていました。
奈良駅から「和歌山行き」の各駅停車の列車に乗ってみて、停留する各駅名が私の興味を引きました。最初の三駅の駅名を紹介しますと、京終駅、帯解駅、檪本駅でした。読めますか?正解は、「きょうばて」駅、「おびどけ」駅、「いちのもと」駅です。
京終(きょうばて)は「京都の果て」とでも言う意味があるのか知らんと思いました。あるいは、奈良には昔、都があったのでその頃の「都の果て」という意味なのだろうか?と想像を逞しくしました。奈良を旅するといろんな変わった地名に出会いますが、地名はどういう所縁で付けられているのだろうと思いました。帯解駅の近くには安産の神社仏閣があるようでした。
その次の4駅目が天理駅で、奈良から8駅目の三輪駅で下車し観光案内のパンフレットを入手しました。土地に不案内であり、また足にも自信が無いので、タクシーを利用して、先ず北方向「桧原神社」まで連れて行ってもらい、「山の辺の道」を南方向に辿りながら「大神(おおみわ)神社」、そして三輪駅へ戻ってくるという計画を立てました。
タクシーの運転手さんがいい人で、「桧原神社」までの車中、色々歴史を教えてくれました(大和三山の内、耳成山、畝傍山は火山であり、香具山は談山神社の山に連なるものであって火山ではない、箸墓(はしはか)古墳の横を通った時、「この古墳は卑弥呼の墓と伝えられている」等々)。また途中で、何箇所か景色が良い場所に車を停めてくれ、風景の説明をしてくれ、写真を撮らせてくれました(多くのカメラマンが参集するという、二上山の二つの山の真ん中に夕日が落ちるのを写真に収めるのに一番良い場所、というところも教えてくれました)。
帰りは、桧原神社から大神神社まで(途中、「狭井(さい)神社」があります)の「山の辺の道」を、古(いにしえ)の人々を偲びながらゆっくり歩きました。しかし年月が経っているのですね、一昔前にセイタカアワダチ草が日本中に繁殖したことがありましたが最近は姿を消したように思っていました。そのセイタカアワダチ草がこの大和の地で大変目に付きました。この外来の草花は大和の土地が特別気に入ったのかも知れません。大神神社は秋のお祭りで大変な賑わいでした。土地の人々が、本殿で頭を下げる他、退出するときも、鳥居がある所、ある所で一々振り返り、本殿の方向に向かって頭を下げておられてたのが心に残りました。信心の篤さが見て取れました。暖かく良い天気だったので、三輪駅に帰り着いた時には汗ばんでおりました。
山の辺の道
ドイツの人工衛星が大気圏に突入して人に危害を与える確立が2千分の一と騒がれる日(10月23日)、奈良は、「山の辺の道」を探訪しました。
京都駅から、これまで殆ど利用することのなかったJR奈良線を利用しました。
JR奈良駅で桜井線に乗り換えます。桜井線は「万葉まほろば線」という愛称が付けられていました。
奈良駅から「和歌山行き」の各駅停車の列車に乗ってみて、停留する各駅名が私の興味を引きました。最初の三駅の駅名を紹介しますと、京終駅、帯解駅、檪本駅でした。読めますか?正解は、「きょうばて」駅、「おびどけ」駅、「いちのもと」駅です。
京終(きょうばて)は「京都の果て」とでも言う意味があるのか知らんと思いました。あるいは、奈良には昔、都があったのでその頃の「都の果て」という意味なのだろうか?と想像を逞しくしました。奈良を旅するといろんな変わった地名に出会いますが、地名はどういう所縁で付けられているのだろうと思いました。帯解駅の近くには安産の神社仏閣があるようでした。
その次の4駅目が天理駅で、奈良から8駅目の三輪駅で下車し観光案内のパンフレットを入手しました。土地に不案内であり、また足にも自信が無いので、タクシーを利用して、先ず北方向「桧原神社」まで連れて行ってもらい、「山の辺の道」を南方向に辿りながら「大神(おおみわ)神社」、そして三輪駅へ戻ってくるという計画を立てました。
タクシーの運転手さんがいい人で、「桧原神社」までの車中、色々歴史を教えてくれました(大和三山の内、耳成山、畝傍山は火山であり、香具山は談山神社の山に連なるものであって火山ではない、箸墓(はしはか)古墳の横を通った時、「この古墳は卑弥呼の墓と伝えられている」等々)。また途中で、何箇所か景色が良い場所に車を停めてくれ、風景の説明をしてくれ、写真を撮らせてくれました(多くのカメラマンが参集するという、二上山の二つの山の真ん中に夕日が落ちるのを写真に収めるのに一番良い場所、というところも教えてくれました)。
帰りは、桧原神社から大神神社まで(途中、「狭井(さい)神社」があります)の「山の辺の道」を、古(いにしえ)の人々を偲びながらゆっくり歩きました。しかし年月が経っているのですね、一昔前にセイタカアワダチ草が日本中に繁殖したことがありましたが最近は姿を消したように思っていました。そのセイタカアワダチ草がこの大和の地で大変目に付きました。この外来の草花は大和の土地が特別気に入ったのかも知れません。大神神社は秋のお祭りで大変な賑わいでした。土地の人々が、本殿で頭を下げる他、退出するときも、鳥居がある所、ある所で一々振り返り、本殿の方向に向かって頭を下げておられてたのが心に残りました。信心の篤さが見て取れました。暖かく良い天気だったので、三輪駅に帰り着いた時には汗ばんでおりました。