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WATASI(M)のツイットNO.86

2013-04-24 09:30:43 | 日記
 今日は4月24日(水)です。
 今日は雨模様ですが、寒さもようやく収まってきて、石油ストーブも仕舞い込んで良さそうな日和になってきました。
 花粉症も、まだ名残を惜しむかのように悩ませてくれますが、そろそろ撤退してくれることでしょう。

 一昨日、わざわざ京都の京極通りにある十字屋へ出向き、楽譜を買ってきました。



 以前、このブログに、齢を取ると、「『春夏秋冬』は、『冬』を中心にして巡っているように思う」と書き、また、齢を取れば、「『喜怒哀楽』という言葉の中では、『哀』が前面に出てくるような気がする」と書いたことがありました。
 音楽に関して言えば、作曲家にはベートーベン、モーツアルト、シューベルト、ワーグナー、ビバルディ等々無数の作曲家達が、無数の素晴らしい歌を残してくれています。
 その中でも、齢を取ってくれば、「バッハの曲が一番心に沁み込んでくる」ように思います。中でも「ゴルトベルク変奏曲:アリア」は、私には「音楽の最高峰」のように思われます。
 勿論私が弾いたりすることは不可能ですが、弾けなくても、「楽譜だけでも手に入れたい」と願い、買って来たものです。それも、音楽之友社のものと、ヘンレ版と、二冊もです!
 齢を取って来たので身辺整理の為に「断捨離」を!と心の中で思っているのですが、私の中には、まだ生命の炎が燃えているようです。

 ※ 京都の京極通りの十字屋は改装されて趣を変えていました。書棚の直ぐ横に長椅子が置かれていて、年寄りには大変ありがたい配慮でした。

WATASI(M)のツイットNO.85

2013-04-18 10:02:19 | 日記
 4月17日(水)、今津から船に乗り、湖上から海津大崎の桜を眺めて、「行く春」を惜しみました。

         行く春を近江の人と惜しみける(芭蕉)

 
    

 幸いにも、桜の見頃に間に合いました。
 滋賀県と福井県との県境の山には、ほんの少しですが残雪を遠望することが出来ました。
 これで今年の桜も見おさめです。

 琵琶湖に浮かべた船の上で聴いた「琵琶湖周航の歌」は格別のものがありました。

 琵琶湖周航の歌 (作詞 小口太郎 ・作曲 吉田千秋) 
  1.われは湖(うみ)の子 さすらいの
    旅にしあれば しみじみと
    昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
    志賀の都よ いざさらば
  2.松は緑に 砂白き
    雄松(おまつ)が里の 乙女子は
    赤い椿の 森陰に
    はかない恋に 泣くとかや
  3.波のまにまに 漂えば
    赤い泊火(とまりび) 懐かしみ
    行方定めぬ 波枕
    今日は今津か 長浜か
  4.瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮 
    古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
    仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
    眠れ乙女子 やすらけく
  5.矢の根は深く 埋(うず)もれて
    夏草しげき 堀のあと
    古城にひとり 佇(たたず)めば
    比良(ひら)も伊吹も 夢のごと
  6.西国十番 長命寺
    汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて
    黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん
    語れ我が友 熱き心
               (長命寺にある歌碑による)

 ※ 第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口は、1917年(大正6年)の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。周航2日目の6月28日夜、今津(現在滋賀県高島市今津)の宿で部員の中安次郎が「小口がこんな歌を作った」と紹介したのが初出である。吉田が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三校の寮歌、学生歌として広まっていった。
 ※ 「われはうみのこ」で始まるこの歌は、この歌のほかに『われは海の子』(文部省唱歌)があります。
 ※ 6番で「西国十番」と歌われている長命寺は、実際には西国三十三箇所の三十一番札所です。
 ※ 作詞者、作曲者は、共に二十代の若さで亡くなっています。

※ 良く似た曲に「琵琶湖哀歌」がありますね。
 「琵琶湖哀歌」
  1941年(昭和16年)4月6日に、琵琶湖でボート練習中に突風のため転覆し水死(琵琶湖遭難事故)した第四高等学校(現金沢大学)漕艇部の部員11人を悼んで作られたとされている。メロディーの半分ほどは琵琶湖周航の歌の借用である。
※ 「真白き富士の根」もよく似た感じの歌のように思います。
  「真白き富士の根」
  1910年(明治43年)1月23日、逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボートが転覆、全員死亡した事件を唄った歌謡曲。「真白き富士の嶺」、「七里ガ浜の哀歌」とも呼ばれる。
     

WATASI(M)のツイットNO.84

2013-04-10 09:51:54 | 日記
 昨日(4月9日)、市民病院泌尿器科を受診しました。
 これまで詳しい事は書きませんでしたが、私は、2001年に前立腺癌の全部摘出手術を受けています。
 日本でも食事内容が西欧化してくるに伴い、前立腺癌になる人が増加してきているようです。これまで高齢の男性が罹る病気とされてきたのですが、私は55歳の時にこの病気に罹りました。私が手術を受けた頃、医者は、「あなたのように比較的若い人でもこの病気に罹るのだから、今後、健康診断の際にはPSA(前立腺特異抗原)検査も検査項目に入れた方が良いかもしれませんね」と言っていたのを覚えています(私は、このPSA検査を人間ドック受診の際にオプションとして検査してもらい、この病気に罹患していることを発見しました)。
 私が学生の頃、英会話を習っていた神父さんに、「あなたは WELL MATURED(早熟)ですね」と言われたことがありましたが、病気に罹ることまで「早熟」で、若いうちにこの病気に罹ってしまったのでしょうか?
 全摘手術をしても直ぐに病気が再発したので、その後、放射線療法(全摘手術後1年も経たない内の2002年に施術)を経て、2007年からホルモン療法をおこなっています。
 私の場合のホルモン療法は、これまで、PSA値が癌が転移する危険数値にまで上昇してきたらホルモン剤(カソデックス錠)を2~3か月間服用し、服用することによってその数値が大幅に下がったら服用を休むというパターンでした。
 ホルモン療法も、癌細胞に耐性力が生まれてくるからでしょうか、そのうち効き目が無くなってくるそうです。

 病院では、診察を受ける前に血液(PSA)検査をします。その検査結果が出るまで2時間程かかります。その間、待合室で待つことになりますが、何時も文庫本を持参して本を読んで過ごしています。昨日は河合隼雄の文庫本「こころの処方箋」を読みながら時間を過ごしました。
 文庫本を読み耽っていると、広い待合室の後ろの方で幼児の泣き声がしてきました。いつまで経っても泣きやまず、耳触りになって読書が妨げられました。大抵の場合、しばらくすれば泣きやむのが普通ですが、一向に泣きやまずその声の大きいのには閉口しました。しかし迷惑には思いましたが、「昔は、幼児・子供が多くいた頃、こういう経験をしたことがよくあったなあ」と、懐かしい思い出が蘇ってきました。
 オシメを換えて欲しがっているのだろうか?母乳を欲しがっているのだろうか?それとも体の不調をお母さんに訴えているのかなあ?お母さんも困っていることだろうと、私は本を読むのを中断して思いを巡らしました。私が診察を受けるために移動する際、その子の側を通ったら、其処は小児科の診察室の前でした。もしかして、幼児は体調の不調だけでなく、診察を受ける事をよく理解していて、そこからくる恐怖心で泣いていたのかもしれません。

 診察の結果、更にもう2か月(8週間)続けてホルモン剤の服用を続けることになりました。これで4カ月(16週間)連続服用することになります。これまで大抵8週間(56日)が服用期間で、最高の期間でも11週間(77日)の経験はあっても16週間(112日)というのは初めてのことです。
 医師が、「癌細胞が耐性力をつけて来た」と判断したからかも知れません。
 いつもは大抵8週間(56日)我慢してこの薬を服用し、この服用期間が終われば、「ああやれやれ、終わった」と喜ぶのですが、昨日は、医師が、「一回だけでは直ぐにまたPSA値が上がってきますからね」と言って、私の同意なしに、更に8週間分を処方箋に書き入れたのですから、私としてはガックリです。
 しかし、最近、確かにPSA値の上昇するのが早くなり、また薬を飲んでも十分数値が下がり切らないというデーターになってきているので仕方のない事だと観念しています。
 このホルモン剤のカソデックス錠を服用すると、その服用する量に比例して、副作用的に乳房が張ってきて痛むのが大変辛いです。今回は16週間(112日)ということで未経験の領域に入ることになります。

 昨日は、2~3日前の爆弾低気圧の「台風一過」ということになるのでしょうか、大変良い天気で、空は青く晴れ渡っていました。病院の駐車場に戻る時、病院の山側の遠くの方に、桜が見事に咲いているのが見えました。「爆弾低気圧」通過の際にはまだ蕾だったのでしょうか、困難な環境にもめげず、美しく咲き誇っているのを見て感動しました。
 帰途、暑く感じたのか車の冷房スイッチを知らず知らずのうちに入れていました。家を出てくるときは手袋をしてゆこうかどうか迷い、また車の暖房を点けていたのですが‥‥。


 【こころの処方箋(13)】 河合隼雄
 「マジメも休み休み言え」
 うっかり冗談を言うと、「冗談も休み休み言え」と叱られることがある。冗談もいいが、そうのべつまくなしに言うべきでない、ということだろう。これと同様に、「マジメも休み休み言え」と言えそうな気がする。
 ともかくマジメだが、何となく人に嫌われたり、うとんじられたりする人がある。言うこともすることもマジメで、その人の話を聞いていると、「なるほどもっとも至極」というわけで反論の余地がない。もっともだと思いつつ、しかし、心のなかで妙な反撥心が沸いて来たり、不愉快になったりしてくる。そこで何とか言ってみたいと思うものの、相手の方が何しろマジメで、非の打ちどころがないのだから、それに従うことになる。ただ、そのときに残った心のもやもやが溜ってくるためもあってか、そのマジメな人を何となくうとんじてしまう。ここでその人が手のつけられないマジメ人間のときは、何だか自分の評判が悪そうだから、ガンバラなくてはと一層マジメになるので、悪環境が生じてしまう。・・・・・
               

WATASI(M)のツイットNO.83

2013-04-07 13:43:40 | 日記
 「春の海ひねもすのたりのたりかな」
 ここのところ、「春に三日の晴れなし」の言葉通りの天気が続いていました。この与謝蕪村の歌は、二日の間の晴れ間の風景を詠んだものでしょう。
 昨日(4月6日)は、その晴れ間が途切れる三日目ということだったのでしょうか、この長閑な歌の風景に一変して、「爆弾低気圧」が二つながらにしてやってきました。今朝のテレビニュースによると、神奈川県海老名で、一時間に102mmという観測史上最高記録の雨が降った模様です。そして「爆弾低気圧」は、今なお日本列島を北上中で、二つの低気圧はやがて一つに合体するであろうという天気予報が出されています。

 大津では、やっと咲き始めたばかりの桜の花は昨夜の内にその大半が散ってしまったものと思われます。
 今朝、私の家の前は、遠くから飛ばされてきた桜の花びらが、鮮やかな色を残したまま、道路上に散り敷いていました。
 
    
             

 ※【爆弾低気圧】
 短時間の間に急速に発達し、熱帯低気圧並みの風雨をもたらす温帯低気圧の通称。世界気象機関(WMO)の定義では、中心気圧が24時間以内に24ヘクトパスカル以上低下するものを指す。1978年に豪華客船クイーンエリザベス2号が大西洋横断中、猛烈に急発達する低気圧に襲われる事故が起きたのをきっかけに、この呼称が使われるようになったと言われている。
 

 以上のように書かれていました。私は、最近使われ出した用語かと思っていましたが、かなり前から使われていたようです。
 因みに、理由は解りませんが、NHKではこの「爆弾低気圧」という用語は使用しないようです。

 昨日は土曜日でピアノのレッスンの日でした。お昼のテレビニュースでもこの「急速に発達した低気圧」を取り上げ、「危険ですので不必要な外出は控えて下さい」と注意を呼び掛けていました。丁度その時刻、大津でも、風雨が強くなり始めました。私は、ピアノの先生にこのような悪い天候の中を出てきてもらうのが気の毒になり、先生に電話をして「レッスンの日を変えましょうか?」と提案してみました。
 先生の返事は「まだそれほどの風雨では無いので早めに行かせて頂きます」ということでした。先生は私より度胸があり、レッスンに対しても生徒以上に熱心です。
 現在、私のピアノのレッスンは、教材「ル クーペ  ピアノのアルファベット」の方は【T Study19】に、教材「ブルクミューラー25の練習曲」の方は【NO.20 La tarentelle】に入っています。
 前者の曲は練習を始めて2か月以上経っているのですが、私には、右手の方はまだしも、左手の方は超困難なものです。昨日も上手く弾けませんでした。「ピアノを習うのも、結局、音感があり、手の指先も器用でないと駄目だなあー・・」と絶望的になりました。後者の方はニ週間前に練習に入ったばかりです。まだヨチヨチ歩きの状態で、弾きやすい部分は知らず知らずテンポが早くなってしまい、そうでない所は遅くなってしまいます。両方の練習曲ともまだまだ時間がかかりそうです。忍耐が必要とされる正念場のように思います。

 昨日は、新年度が始まったと言うことで町内の自治会総会があった日でもありました。午後7時からの開会でしたが、その頃には昼間より風雨が一層強まりました。開催できるのかなあ?と危ぶみましたが、皆さんは優秀で、8~9割位の出席率でした。
 町内会も、高齢化社会の到来ということで、毎年役員になるのは高齢の人が多いのですが、今年度は若い人たち(と言っても40代50代です)が多いような印象を受けました。それで、私は、安心しかつ心強く思いました。しかし、その一方、若い人たちが増えてくれるのは嬉しいことなのですが、世代交代が進んでゆくと、自分自身が総会の中でも高齢の部類に属してゆきます。それを感じると、何ともいえない「感慨」に浸ることになります。

 何故か、「万物は流転する(ヘラクレイトス)」という言葉が頭の中を過ってゆきました。

 関西地方では、スギ花粉の飛散は終了し、ヒノキ花粉の飛散もあと一週間ほどで終わるだろうとのことです。
 花粉症も、あと少しの辛抱のようです。




WATASI(M)のツイットNO.82

2013-04-01 09:00:36 | 日記
 今日は4月1日。エープリールフール(最近流行らない?)の日です。
 大津でも桜が開き始めました(「嘘」ではありませんよ)。
 以下の記事にApril 1, 2013であっても嘘はありません。


 昨日手作りの「おはぎ」を頂きました。
 「普通の小豆ではなく粒の大きい大納言小豆を使って作りました」と仰ってましたが、食べて見てあまりに美味しかったので残っていた「おはぎ」を写真に撮りました。
 黄粉(きなこ)の「おはぎ」の方も中に大納言小豆が入っているのですよ!私がこれまで食べた中で一番美味しい「おはぎ」でした!皆様には見て頂くだけで食べていただけないのが残念です。私が代わりに今日のお昼の三時のおやつの時間に頂きます。悪しからず!
 ※【萩の餅】もち米とうるち米とを混ぜて炊き、すりつぶして小さく丸め、餡(あん)・黄粉(きなこ)・胡麻などをつけた餅。煮た小豆を粒のまま散らしかけたのが、萩の花の咲き乱れるさまに似るのでいう。また牡丹に似るから牡丹(ぼた)餅ともいう。おはぎ。



 これは何かわかりますか?
 一ヶ月ほど前にニンニクのひと房を、戯れに庭の土の中に埋めておいたのですが、それが芽を吹き出してきたものです。ニンニクの葉っぱは始めて見ました。面白いので写真に撮りました。



 名前が解らない花(去年紹介しました)が今年も一杯咲き始めました。あまりに多く咲きすぎたためか、隅の方(後方)の花弁が直ぐに茶色に変色して綺麗でなくなりますが、咲き始めは綺麗です。

 四月に入って、正に春本番です。