さしもしらじな。

萌えと趣味の話をこっそりボソボソするブログ。

【完成】薬研の婿入り。

2015-08-07 15:53:00 | お知らせ

先日より盛り上がっている、「よその美少女と我が本丸の刀剣男士の恋愛」をテーマにしたお話を書きました。
アイデア元であるのんさんの「まんばちゃんが嫁をもらう話」に比べると、すごく暗くて全然ハッピー成分ないんですが、
完成したので一応こちらにも載せておきます。
もしかして、これも「ヘイト」になってしまうのだろうか。
私自身はそういうつもりはないのですが、線引きが難しいです。

☆加筆修正してピクシブに上げました ⇒ 「薬研の婿入り」


※ 暗いです。
※ ハッピーな刀剣男士はいません。
※ やな奴でてきます。



以上のことを踏まえて問題なければ、改行後にお話あります。
タイトルは「薬研の婿入り」です。


























「…ごめんな、大将。命を賭けても守るって約束、破っちまった」

黒紋付羽織袴をまとった薬研が苦しげな、しかしまっすぐな視線を私に向ける。

今日は薬研の晴れの門出だ。
彼は、私がずっと想いを寄せていた大切な彼は、本日めでたく愛する人と祝言を挙げる。
──私ではない女性のもとへゆく。

私は華やかな振袖で、しかし化粧では隠し切れなかった涙の跡が残る顔で微笑む。
愛する人がしあわせへと向かう晴れの日に、決して憂いを落とさないように精一杯の虚勢を張って。

「薬研、今まで本当にありがとう。
 どうか末永く…おしあわせに」

泣くな、涙よ零れるな。
薬研はきっと、目に満ちていく水膜が雫とならぬよう、必死に目を開いている私に気づいているだろう。
誰かの心の機微にはとても敏いから。
そういうところを、そんな優しい強さを、好きになったのだ。
…その気持ちは、彼にはとうとう届かなかったけれど。

私は彼を見つめながら、結婚の意志を打ち明けられたときのことを思い出す。



主の回想

それは、本当にいつも通りの、何の変哲もない昼下がりだった。

私と薬研は昼餉を済ませ、執務室にて食休みを兼ねてお茶を飲み、他愛のない話をしていた。
その日の薬研はどこか上の空だった。
それでなくてもここ最近は物思わし気な様子をよく見せており、私は何かあったのではないか気になっていた。
それとなく兄である一期さんに尋ねてもみたけれど、
「私から申し上げられることはないのです」
と済まなさそうに頭を下げられてしまい、理由がわかるかもしれないという私の期待は外れてしまった。
一期さんが、うつむいたことで見えなかった顔にどのような表情を浮かべていたかは、今となっては知る由もない。

私は、告げられた言葉の外にある含みに気づけるほど差し迫ってはいなかった。
誰かに打ち明けるほどでもない悩みでもあるのだろうか、くらいに軽く考えていた。
まさか自分が片想いをしている相手が、その刃生における重要な決断をしようとしていることなど、露ほども気づかなかったのである。
情けないことに、これからもずっと傍にいられるのだと信じて疑わず、いつか気持ちを打ち明けられる日もくるだろう、と呑気に構えていた。

もし──もう考えても詮無いこととわかってはいるけれど、
もし、そのときに薬研の心の動きに気づいていたら、何か変わっただろうか。
この晴れ渡っためでたい日に、涙を堪えて笑えなくなる、なんて経験をしなくて済んでいただろうか。
悔いはいつでも後からやってくる。
そして、それに気づいたときには、もう絶対に取り戻せないところまでやって来てしまっているのだ。


心ここにあらずな様子で湯飲みを弄んでいた薬研は、しばらくの逡巡の後にきちんと座り直して私と向き合い、
「大将、大事な話があるんだ」
と切り出した。
私は突然たちこめた真剣な空気に驚き、思わず姿勢を正して「なんでしょうか」と聞き返した。

「こんなことを言うのは、刀の──守り刀である身ではあるまじきことだとわかってる。
 忠義にそむく、腑抜けの戯言であることも。
 だが、大将には隠し事はしたくねえし、あってはならねえことだと思った。
 だから、きちんと話して筋を通したい。もし大将が謀反だと判断するなら、刀解も覚悟している。
 その上で、許しを請いたい。

 …大将、俺は誰より大事な御方ができた。彼女を守るためにこの身を捧げたい。
 その御方との結婚を、ここを出て行くことを認めてはもらえないか」

人間、本当に驚いたときは頭が真っ白になるものなんだなあ、と他人事のように考えた。
思考能力がフリーズして、考えなくてはと焦るのに頭が働いてくれない。
寒くもないのに、手と唇が面白いほど震える。カタカタと音でも立てそうなくらいに。

何か言わなくては。目の前の薬研は、真剣な面持ちでこちらの返答を待っている。
焦り、空回りまくった私の口から飛び出たのは
「おっと!こりゃ驚きだねぇ!」
という、常に人生に驚きを求める某刀の十八番だった。


******


その後は、混乱のうちに飛ぶように日が過ぎた。

まず、話を知った一期さんが薬研を殴り飛ばした。

「まさかお前がそんな痴れ者だったとは…!
 自分が何を言ったのかわかっているのか、恥を知れ!
 お前のような腑抜けは藤四郎と名乗るのもおこがましい。
 金輪際、私を兄とは思うな!」

「一期さん、ダメですやめてください!」
必死にすがって止める私に怒りが収まらぬ様子の一期さんは、拳を中空に浮かせたまま私を見る。
「しかし主殿!こんなことを許せる道理もございません!
 これは裏切り。謀反にも等しい振る舞いですぞ!」
「いいんです!私はいいですから!」
薬研は、殴られた際に切れてしまったらしい口角の血をこぶしで乱暴に拭うと、
「大将、構わないでくれ。覚悟はできてる。それだけのことを望んでいるんだからな」
と紫の瞳をまっすぐ私へ向け、そう告げた。

もちろん、憤ったのは一期さんだけではない。
平安の刀たちなど一部の者を除いた面々は、薬研の望みを言語道断だと厳しく糾弾した。
中でも同じ粟田口の短刀たちの怒りは凄まじく、彼らは一様にもう兄弟だとは思わぬ、どこなりとも行ってしまうがいいと吐き捨てた。

そんな彼らの怒りを目の当たりにしても、私はまるで我がことではないようにぼんやりとしていた。
何もかも、紗を透かして眺めるような非現実感があった。
まるでそういう内容のドラマか映画でも観ているかのようだ。
それなのに、実感が湧かないにも関わらず、喉の奥からせり上がってくる塊がある。
嘆き、胸の痛み、口から出すことのできない咽び泣きや叫びであった。
それらはあまりにも突然にくるものだから、薬研から結婚の話を聞いて以来、私は口を手で押さえるのが癖になった。
笑うときも、泣きそうになってしまうときも、激しい気持ちが暴れそうなときも。

そんな私を、決して人前では笑顔しか見せない私を、皆が心を痛めて見ているのにすら、気づかなかった。
私は必死だったのだ。
気を緩めれば、泣き叫んで薬研にすがってしまいそうな自分が怖かった。

薬研は何も隠さなかった。
お相手の女性との馴れ初めも、その人への気持ちも、きちんと自分の言葉で誠実に語った。

薬研とその人は、以前に参加した演練で知り合ったのだそうだ。
正当な勝負だったにも関わらず勝敗に納得にいかない対戦相手と揉めていたのを、たまたま通りがかった薬研が助けたのがきっかけらしい。
いわゆる「一目惚れ」だったそうだ。

何もなくその場は別れた薬研だったが、彼女の面影が目の前にちらつき、それは日を追うごとに顕著になっていった。
私の召喚に応えて人の形を取り、人の心を得てからまだ数年。
初めての経験は、薬研を大いに悩ませ、絡み取り、惑わせた。
初恋とは、純粋であるが故に激しい。
思い悩む気持ちを持て余し、しかしどうしようもない現実にあきらめようと思い始めていた頃、また演練の機会が巡ってきた。

そこで、再び会ってしまったのだ。恋焦がれるその女性と。

彼女は薬研を覚えていた。
はにかんで笑いながら、あの時はありがとうございましたと頭を下げる彼女を、薬研は頬を紅潮させながら見た。

聞けば、その女性の本丸に薬研はいないとのことだった。
薬研は意外に思った。彼は、決して召喚しづらい刀ではなかったし、そのことは当人もよく承知していたからだ。
とにかく、彼女の本丸に「別の自分」はいない。
その事実は、薬研の胸に小さな灯りをともした。
しかし、彼自身はそれに気づいていなかった。

それから、文のやり取りが始まった。
審神者同士の交流は常識の範囲内で認められている。
私は薬研に頼まれて、ちょくちょく手紙を彼女の本丸へ送った。
てっきりそこの刀剣の誰か、まだうちの本丸には迎えられていない厚とでもやり取りをしているのだと思っていた。
そして、会えない時間は薬研と彼女の間に確実に何かを育てていった。

薬研は九十九神である。
人とは異なる力を持つ存在である。
そして、想いを寄せる相手は審神者であった。
神を降ろすことができる力を持ち、神の近くに侍り、時には従える者。

そんなふたりの間に流れる感情が溢れ、逢いたいと願う魂があくがれ出し、いつしか夢の中で逢瀬を重ねるようになっていったのは必然であったのだろうか。

もの思ひにあくがるなる魂は、さもやあらむ 
物思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る

はるか昔に綴られた物語の如く、または詠まれた歌の如く、ふたりの魂は互いをよび合い、愛を囁き合い、確かめ合った。
離れがたくなるのに、さほど時間は必要なかった。

私はその話を聞き、まるで気づかなかった自分に、そして知らないところで育まれていたものに、大きな衝撃を受けた。
自分の秘めた気持ちを軽く笑い飛ばすように、密かな関係は深まっていたのだと思うと、恥ずかしさで目が眩む心地がした。
嫉妬よりも、みじめさが勝った。

なけなしの矜持をかき集め奮い立たせて、私は薬研の望みを聞き入れることを伝えた。
それが出来る限りの、私の負け惜しみだった。


******


それからというもの、私は熱心に薬研の婚礼の準備に精を出した。
周囲はそんなことをしてやる必要はない、捨て置けばよいと何度も進言したが、ここで身一つで薬研を放り出すのは、負けを認めるようでつらく苦しかった。

幸い、というべきか、政府に対しての手続きは拍子抜けするほどスムーズに進んだ。
こういう言い方はしたくないのだが、薬研はいわゆるレアと呼ばれる刀ではないため、今回のようなイレギュラーな譲渡であってもさほど問題にならないようだった。

先方との契約の場で、薬研のお相手である女性と会った。
華奢で儚い印象の、とてもきれいな女性だった。
年の頃は私と変わらないと思われるのに、まるで時間が止まったように少女めいた印象で、色の白さは薬研と並んでも引けを取らないと思われた。
正直に言って、とてもお似合いだった。
その美しさに、そして下手をすれば薄情とも思われかねないようなあっさりとした対応に、私は強い敗北感を感じ打ちのめされた。
この人が、薬研に愛されているのだ。
絶対にかなわない、そう思った。
その晩、本丸へと戻った私は、声を殺して泣いた。
みじめだった。
なぜ自分は女として生まれたのか、同じ女でありながら、どうして愛される側になれないのか、
そんなどうしようもないことを思い、涙がひっきりなしに流れた。

薬研の異動を正式に認める通達が届いた。
私は、薬研が打たれた鎌倉時代の婚礼にならった結納の品と目録を先方へ届け、縁起の良い日にちを選んで祝言の日取りを相談した。
先方は花嫁になる彼女ではなく、近侍である歌仙さんが対応するようだった。
当日の薬研と彼女の装束を誂え、祝言に必要な白絹の敷物・水引、飾り物の奈良蓬莱に二重台、手掛台・置鳥・置鯉・三盃・銚子・提子を見繕う。
他の刀たちは今回のことに協力する意思はまったく無かったので、こんのすけに教えを請いながら、ひとりで手配を行なっていった。
こちらが婿に迎えるのだから、ここまでしていただく必要はない、と歌仙さんから丁重な断りの手紙をもらったが、敢えて押し切り没頭した。
傍から見たら、まるで嬉々として準備をしているように見えたかもしれない。

これは逃げだった。何も考えたくない私が、自分の心中を周りに悟られたくない一心で懸命に取り繕った結果だった。
見かねた一期さんが手伝ってくれるようになったのは、どの辺りからだっただろうか。
以降、やり取りは一期さんと歌仙さんで行なわれるようになった。
何も口に出さないけれど、一期さんが私のためを思ってしてくれているのだとさすがにわかった。
愛していた弟に縁切りを告げた心優しい長兄は、何も言わず黙々と最後まで助けてくれたのであった。


******


薬研が、深々と頭を下げる。
「大将、寛大な心でこんな俺を、不忠義者の刀を許してくれたことを言葉に尽くせないほど感謝している。
 どうか息災であってくれ。
 …大将を、どうかよろしく頼む」
最後のひと言は、私に寄り添うように支えてくれている一期さんに向けたものだったが、彼は無言でそれに応えた。

本来ならば皆に祝福されるべき場であるのに、見送りに来ているのは私とこんのすけ、そして一期さんだけだ。

昨夜、私がひとりで身も世もなくすすり泣いていたことを、隣にいるこのひとは知っている。
ひどく気落ちした私を思いやって、一緒に寝ようと誘いに来た粟田口の面々と、それに付き添う一期さんが廊下で立ちすくんでいたのにも気づかず、私は泣き続けていたのだ。

しかし、今は決して泣くまい。
彼の背中が見えなくなるまで。彼がここから出て行くまで。

紋付の後姿がゲートへと踏み出す。
武士の作法に則り礼をする薬研の姿が、僅かに揺れる空気の中かき消えた。


******


「──本当にこれでいいのかい?」

静かに、しかし重みを持って放たれた言葉に、少女はうつむいて「ええ、いいの」と答えた。
白い花嫁衣裳に身を包み、鮮やかな紅を引かれたその顔は、晴れがましい日を迎えた女人に似つかわしくない、物憂げな様相をしていた。
そんな彼女を、初期刀でありずっと近侍を務めてきた歌仙兼定は眉を顰めて見つめ、再度、問うた。

「本当に、主はこれでいいと思うのかい?
 こうすることで、その心に空いた大きな穴は埋まるのかい?」

花嫁と、その傍に立つ男を夕陽が美しく照らす。
もうすぐ日が暮れる。
夜になれば、歌仙の主であるこの少女と、他の本丸の刀であった薬研藤四郎は祝言を挙げる。
ふたりは晴れて夫婦となる。
物に宿った存在とはいえ、神との約束は絶対だ。
この少女の人生・命・存在のすべては薬研藤四郎のものとなる。
愛するものと永遠を誓うというのに、当の花嫁は顔に憂いを滲ませ、それを隠そうともしない。

「いいの。もういいの。
 私はこれで、嫁ぐことでもう忘れるの。
 きっとそうできると思ったから、今こうしているの。
 だから、歌仙お願い。もう私に何も言わないで。
 …決心が揺らがないように」

しかし、目の前の少女を娘とも妹ともそれ以上とも想い、ずっと慈しんできた初期刀は黙っていられなかった。

「これが黙って見過ごせるわけがないだろう!
 主が哀しみを忘れられる、しあわせになれるというなら、僕は喜んで祝福しよう。
 だがこれでは…こんな形で添うなんて夫となる彼が不憫だ。すべてを捨てて君の傍にいることを選んだ彼が。
 まだ間に合う。今からでもいい、白紙に戻すんだ。
 こんな茶番はやめて、もっと自分を大事にするんだ。
 …主には僕がいるだろう?
 失った者の代わりにはなれなくとも、君の悲しみに寄り添うことはできる。いつまでも傍にいる。
 それじゃだめなのかい?」

少女は心のこもった説得に顔も上げられず、涙を一粒こぼした。
しかし、決めたことを翻す気はないと示すために、その華奢なかんばせは横に振られたのだった。

「…もう決めたの。もう後戻りはできない。
 ありがとう、歌仙。私は大丈夫」
「主、考え直してくれ!
 夫としてはともかく、彼は自分の主を捨ててここへ来ることを選んだ刀だ。
 それがどういう理由であれ、二心を抱き主を捨てたんだ。
 そんな男は、仲間として信用できない。
 僕だけでなく、本丸の皆も同じ意見だ。
 自分の夫を針のむしろに座らせて、それで主は満足なのかい?
 彼を愛する女性を泣かせてまで、誰かを苦しめてまで、共にいたいほど彼を…」

白く細い指が続けようとした言葉を遮った。
もう少女は泣いてはいなかった。
その瞳には、涙の代わりに決意が浮かんでいた。

「ええ、私はそれを望んでいる。
 二度とあのひとが戻ってこないのなら、きっと彼が一番、あのひとに近い存在だと思うから。
 たとえ錯覚でも、愛するひとと添えるなら私は満足よ」

新郎の到着を知らせに来るのであろう気配が廊下を進んできたのに気づき、歌仙は悲しみを整った顔に浮かべ、深い溜息をついた。



薬研の独白

初恋は実らないもの。
その言葉を聞いたのはどこだったか。以前にいた本丸で聞いたのだったか。
もう忘れてしまった。

俺の初恋は、「夫婦になる」という恐らくもっともしあわせな形で実を結んだ、と言っていいだろう。
好いた女と永久に共にいられる。
これ以上の幸福が恋をした男にとってあるだろうか。
初めての気持ちと経験に浮かれ、自分と冷静な判断を失っていた俺はそう思い感動すら覚えながらここの門をくぐった筈だ。

門火が焚かれたそこをくぐれば中では餅がつかれており、祝言の間に落ち着いてしばらしくして、彼女がしずしずと部屋へ入ってきた。
愛しい女は、俺の元の主が誂えた白い装束に身を包み、大層うつくしかった。
立ち会う周囲の奴らの冷たい視線も気にならないくらいに、その姿は俺を魅了した。
三々九度、色直しの後に宴。

後から聞いた話によれば、それらは全て前の主の手配によるものだった。
俺が結婚の意志を伝えたあの日、泣きそうな顔で俺を見つめていた彼女が、何かあったときのためにと堅実にこつこつと貯めていた資金から用意されたものだった。
そのときの俺は、そんなことは露知らず、いや、てめえのことで手一杯で他のことを考える余裕もなく、ひたすら我が身の幸福に酔っていた。
隣に静かに座す妻になる女が、どんな顔をしていたのかも思い出せないほどに。

夫として新しい本丸に暮らすようになってすぐに、自分が周囲から受け入れられていない存在であることには気がついていた。

基本的に、俺たち刀の九十九神は顕現させた者を慕う。
雛が初めて見た存在を親と認識してついて回るように、それは身についた本能とも呼ぶべきものだ。
だから、横から掻っ攫うようにして主を手に入れた存在に対し、いい感情を持てないのは仕方ない。そういうものだろうと覚悟はしてきていたので、無理はせず、時間をかけて馴染んでいこうと思っていた。
しかし、そんな単純なことではなかったのだと知ったのは、妻である主が政府の召集で本丸を留守にした日に、部屋を訪ねてきた歌仙によりもたらされた過去の出来事によってだった。

「主が、彼女が愛しているのは君ではない」

歌仙は、落ち着くなりそう切り出した。
あまりに潔く核心をつく話し方に、かえって好感を持つ。
雅を重んじるこの男がここまで明け透けな言い方をするということは、「そう思う」程度の曖昧な推測ではなく、事実なのだろうと思わせる。
そして、それは俺自身が身をもって感じていることでもあった。

歌仙は語った。
この本丸には、かつて「薬研藤四郎」がいたこと。
そして、今は俺の妻である主と恋仲であったこと。
それは彼女にとって初恋であったことを。

妻は幼い頃に類稀なる霊力を見出され審神者となり、同じ年頃の子供たちが同年代の友達を作って楽しく過ごす子供時代を経験することなく成長した。
そんな彼女にとって、初めての鍛刀でやってきた薬研は、兄であり、かけがえのない友達であり、そして初恋の相手であった。
普通の子供が幾人もの友達を通じて学ぶことを薬研ひとりによって学び、喜ぶときも悲しむときもいつも薬研が傍にいた。
彼女にとって薬研はまさしく自分の半身であり、他に代わりを見出せないほど、特別な存在だった。

「しかし、薬研は主を置いていなくなってしまった」

今となっては周知の存在である第三勢力・検非違使の出現がまだ知られていない頃に、突如あらわれ攻撃を仕掛けてきたそれらから歌仙を庇い、薬研は折れた。
これまで慎重すぎるほどの采配をしてきた彼女にとって、それは青天の霹靂というべき出来事だった。
あまりの深い悲しみに、本丸中の刃物が隠され、皆は己の本体を絶対に肌身離さぬようになった。
食事も摂れなくなり夜は眠れずで衰弱していく彼女を支え、長い時間をかけて立ち直らせたのは初期刀である歌仙だった。

「君も知っているかもしれないが、僕たちは同じ存在を元としていても、個体差がある。
 どこの本丸にいる僕も、この僕とは少しずつ違う。
 不思議なことだが、同じ存在は一振りとしていない。必ずどこかしら差異がある。
 しかし、君は驚くほどそっくりなんだ。
 ──折れた「ここの」薬研藤四郎に」

それは、深く薬研を知る彼女だからこそ気づいたことだった。
他の者には決してわからない、本当に些細な差異。
それすら気づかぬほど愛しい者と似ている存在と巡り会ってしまった少女は、果たして幸運だったのか不運だったのか。

薬研は妻の顔を思い出していた。
うっとりと瞳に自分の姿が映るときの妻の顔を。
あの視線は、自分に向けたものではない。
いつしかそう感じるようになっていた。
そして、それは正しかったのだ。

本丸中の刀が、どこかよそよそしく自分を避ける素振りを見せるのも納得がいった。
彼らにとって、自分は身代わりでやってきた偽者だから。傷心の主につけ込み、我がものとした卑劣な男だから。
いくら彼らの主も同意の上だと主張したとしても、理性では理解できても心は納得できないだろうことも、容易に想像がついた。

薬研は目の前に整然と座る、穏やかな佇まいの男を見て問うた。
「話はわかった。
 …で、俺に何を求めているんだ?」
歌仙は自嘲めいた笑みを頬に刻むと、ゆるりと首を横に振った。
「何も…何も求める気はないさ。
 ただ、君には知る権利がある。そう思っただけのことだ。
 これでも僕は、君のためを思って婚姻については反対したんだ。
 でも、主の意思は固かったからね。
 動機はどうであれ、もう君と主は立派な夫婦だ。
 部外者が口を挟むべきではない。
 それくらいの分別は持っているつもりだからね」

「だが、歌仙の旦那、アンタは妻を愛している。
 だろ?」
冷たい沈黙が、一瞬、場に落ちた。
それは歌仙のゆるやかな微笑みにかき消される。

「たとえ…たとえそうだったとしても、剥きつけにするような不調法者だと思われているなら心外だ。
 第一、雅じゃない。
 僕は、僕のやり方で彼女を愛する。
 君は、夫という立場で彼女を囲う。
 これでいいじゃないか。何か不都合があるかい?」
言葉に込められた痛烈な皮肉を、薬研は半笑いでいなした。
もっとも、その瞳は決して笑ってはいなかったが。

「さあ、長居してしまったし、もう僕はお暇するよ。
 いずれ、茶会でもどうだい?
 心を込めて点てさせてもらうよ」
「生憎だが、雅なことはとんとわからなくてな。
 気持ちだけはありがたく受け取っとくぜ」
そうか、残念だな、とさして残念な様子も見せずに歌仙が部屋を出るために立つ。
音も立てずに閉められた襖を見つめ、薬研は自身の考えに沈みこんでいった。


******


それからいくつもの季節が通りすぎ、他の刀たちとの間のわだかまりも徐々になくなりつつあった薬研は、演練の面子に選ばれ会場へと来ていた。
妻との出会いの場所である、懐かしい桜の樹の下に立って空を見上げれば、雲ひとつない澄んだ青から薄紅の花びらが降り注いだ。 

歌仙と話したあの日のことは決して忘れられないが、その後も妻とは変わらず共にいる。
妻の瞳は、今も同じく、自分を通した別の誰かを見ている。
自分が妻を求めるとき、彼女は別の誰かのぬくもりを思い描いている。
気づくたび、胸がたまらなく痛い。
苦しさに声を上げてどこかへ逃げたくなる。

求める相手が自分を見てくれないことが、こんなにもつらいことだと薬研は知らなかった。
人の身を得なければ知らなかった痛み、だが、人の身を得たからこそ夫としての自分がある。
いつでも苦しみは堂々巡りで、答えが見つけられることは永劫ないだろう。
この痛みを抱いたまま、永久を愛する妻と生きていくしか自分にはないのだから。

目を閉じ、ひとりの女性を思い浮かべる。
かつて「大将」と呼んでいた、昔の主の顔を。
あの御人は、ずっとこんな気持ちを持ちながら俺を見ていたんだな。
それはとても切なく、苦しく、甘い想像だった。
もう手が届かないからこそ、甘く感じる感傷だった。

だから、俺の苦しみは、きっと罰だ。

本当は、あの人が自分を好いていることは知っていた。
知っていて、知らぬふりをして他の女を想っていることを告げたのだ。
自分を想っている女が自分のせいで悲しむ姿を見て、密かな愉悦を感じてすらいた。優越感が自尊心をくすぐった。
自分の中にある醜い感情、何もかも完璧に見える自身の兄に、主を好いていながら伝えられない兄に、短刀の自分にはないものを持った兄に、勝てた気がしていたのだ。
なんと浅ましく滑稽なことだろう。
最初から、何にも勝ててなどいなかったのに。

開始の時間が迫ってきたのか、部隊を召集する放送が風に乗って聞こえる。
戻ろうときびすを返した薬研の目に、ひどく懐かしい姿が映った。

それは、かつての主だった。
泣き腫らした目を必死に隠し、ぎこちなく微笑んで見送ってくれた、数え切れないくらい「大将」と呼びかけた女性であった。
記憶の中とは違い、今その人は微笑んでいた。
満開の桜もかくやと思われるように、うつくしく優しげに笑っていた。
そして、その隣にはそっと兄が寄り添っていた。
昔と変わらず、優しげに、しかし視線に情熱を秘めて主である女性の手を取り笑い返していた。

きっと兄は、一期一振は、その誠実な愛情でずっと支えてきたのだろう。
自分が空けた彼女の心の穴を、少しずつ少しずつ埋めてやったのだろう。
何も言わず、流す涙をぬぐってやったのだろう。
そう、妻にとっての歌仙のように。

もしかしたら、そうしていたのは自分だったかもしれないのに。

心に浮かんだよこしまな考えを、薬研は振り払う。

落花枝に上り難し。

ひとたび散った花は、もう枝に戻ることはできない。
掌に載せた桜の花びらをそっと風に任せて、薬研はその場を歩き去った。
その背中は、決して振り返ることはなかった。


【fin】