先日、
設定とあらすじを記事にしたお話を書きました。
懸命に頑張りましたが、力及ばず、きれいなお話ではなくなってしまいました。
何度も推敲し、現時点ではこれ以上どうしようもないと判断したので、公開します。
期待に沿えず申し訳ないです(´;ω;`)
タイトルは
「沙羅双樹の下で君を想う」 と仮でつけました。
以下の要素が含まれますので、苦手な方は回避をお願いします。念の為、スペース空けました。
※ 刀×主あり
※ 残虐な描写あり
※ 転生設定あり
※ 死ネタあり
何も特別なことなんてない。
ただ、恋をしただけだ。
好いた相手と離れたくない、ただそれだけだったんだ。
波が寄せて返す音に消えていきそうな声で呟いたその言葉を潮風がさらっていく。
特に目を引く観光スポットもないその土地の、賑わいもひと気もない砂浜に佇む、抜けるように白い肌と同じ色の髪を持った美しい男性。
彼の白く美しい髪が乱され、同じ色の長いまつげが震えるのを、ただ見つめていた。
今となっては夢だったのではないかと思う。
それなのに私は、彼が語った物語を、清らかな白い花が放った香りを、未だに忘れられずにいる。
******
白い花を持つその人を見たのは、海の他には何もない鄙びた町の、静かな海辺だった。
その頃の私は、デビューこそ華々しかったもののその後は泣かず飛ばずの売れない作家で、周囲からの期待、失望、同情、嘲り等に追い詰められ、自身に対する焦りが生み出した狭い檻の中で苦しみ喘いでいた。
──ここから逃げ出したい。
ただその一心で、その地へやってきたのだ。周囲を、「気分転換」などと軽い言葉で誤魔化して。
真に優れた作家ならば、そんな折ですら名作を生み出すきっかけを掴めるのだろうが、残念ながら私にはそれほどの才は無いらしかった。
無為に過ぎていく日々。場所を変えても何も変わらない。気持ちは沈んでいくばかりだ。
その日の朝も、ひと文字も書けないまま夜明けを迎えてしまったことに憂鬱を募らせ、息苦しい部屋を飛び出した。
朝の光もそれに輝く美しい景色も何も目に入らない。
心を閉ざしてうつむき歩く私に、彼はいきなり「よっ、いい朝だな。君は散歩か?」と、まるで昔からの知り合いのように声をかけてきたのだった。
突然声をかけられたことはもとより、それ以上に彼の容姿―――色素そのものが存在しないような白い肌に、同じ色の髪、長いまつげがあまりに美しいその姿に、驚き見惚れたことを今も鮮明に覚えている。
何も言えずにいる私の様子に構わず、彼は首を傾げてこちらを覗き込むと
「お?君の顔は見たことがあるぜ!以前にテレビに出ていただろう、さては有名人か?」
と明るい声を上げた。
顔に熱が集まる。
きっと、デビューした直後に出演したテレビ番組を観てくれたのだろう。
当時はそれなりに騒がれたので、覚えている人がいてもおかしくない。
そう彼に伝えれば、「そうだろう、俺は人の顔は忘れないんだ」と笑った。
そして、もうテレビには出ないのか、ここへは執筆にきたのか、などの質問をぶつけて私を困らせた後、大切そうに手に持った花を見せてきた。
「美しいだろう」と自慢気に、愛しそうに目を細めて。
その花には、親指姫よろしく、小さな可憐な若い女性が佇んでいた。
これはそういうものなのか?とそのことを問うと、彼は目を見開いて
「…もしかして、君は見えるのか?
こりゃ驚いた!きっと君はいい審神者になれるぜ。
まあ、そんなものにならない方が幸せだろうが…」
とよくわからないことを呟き、不意に声を潜めて囁く。
「これは──俺の大切な人の魂だ。
…と言ったら君は信じるか?」
え?と顔を上げると、彼は驚いたか?といたずらっぽい笑顔を見せる。
からかわれたのか、とドギマギしながら思う。
白い彼の姿にその花はとても馴染んでいて、一瞬、誰にも明かせない秘密をそっと囁かれたような気持ちになったのだ。
だから、彼の
「なあ、君も小説家のはしくれなんだろう。
だったら俺の話を聞いていかないか?驚きをもたらせるかもしれないぜ。どうせ暇なんだろう」
という言葉に頷いたのも、その秘密をもっと知りたい、という好奇心を強く感じたからだった。
何でもいい、少しの間でも現実を忘れられるよすがを欲していのだ。
そんな思惑をよそに、彼は快活に笑った。
「ははっ、そうか。
ならば、君に語って聞かせよう。
言っておくが、俺の話は驚きに満ちているぜ。
何だったら、売れない作家である君の小説の参考にしてもらっても構わない。
アイデア料を寄越せなどと俺はケチなことをいうような男ではないんでな、そこは安心してくれていい。
その代わり、最後までちゃんと聞いてくれよ。
──ある愚かな男と、その男が愛した人の話だ」
******
時に、今は西暦何年だ?
ああ、すまん。ちょっと度忘れしてな。そうか、2015年だったな。
そうだな…今から200年近く先の未来では、時間を遡る技術が確立しているんだ。
だが、誰でもいうわけじゃあない。
ある特別な力を持った者がある目的のためだけに使える力だ。
目的とは何だって?
…歴史を正すため、正確には「歴史を変えようとする者」を阻止するためだ。
その頃にはそういう輩が出現していて、正しい歴史を守るために戦う「審神者」という者たちがいた。
はにわじゃないぜ、さにわ、だ。
審神者とは、「眠っている物の想い・心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる技を持つ者」だ。
その力をもって、刀剣に宿る九十九神に人の姿を取らせ、歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」と戦ったんだ。
なぜ歴史を変えてはいけないの?か…。
──もし君の家族が、目を覚ました朝に跡形もなく消えていたらどうだい?友達が最初からいない人間となってしまっていたら?恋人の存在が「始めからなかったこと」になってしまったら?
きっと君は悲しむだろう。そうなった原因を激しく憎むだろう。
それが、歴史修正主義者という奴らのしていることだ。
決して許されることではない、それがどんな理由に基づくものであっても、だ。
だが俺は、奴らも、それと戦っていた者も、表裏一体だと思っている。
どちらも敵に負けてしまえば、大切な存在が、場合によっては自分自身が、消えてしまうかもしれないんだ。
そういう戦いが、長きに渡り繰り広げられていた。そう思ってくれ。
ところで君は『鶴丸国永』という刀を知っているか?
この時代においちゃあ、一応『御物』なんだぜ。
御物、つまり天皇家の所蔵品ってことだ。
平安時代の刀工・五条国永が打った一振りで、その中でも特に優れていると言われている。
君は刀に明るくないようだから詳細は省くが、とにかく人気のあった素晴らしい刀だと思ってくれればいい。
何しろ、手に入れたいがために墓を暴いたり、神社から取り出したりした輩がいたくらいだからなあ。驚きだろう?
未来ではな、あちこちに性別も年齢も様々な審神者が本丸と呼ばれる拠点を持って、それぞれの本丸に刀剣の九十九神たちがいて、主である審神者と歴史を守るために戦っているんだ。
件の『鶴丸国永』も、他の名刀たちと共に戦いに身を投じていた。
あちこちの本丸に存在する『鶴丸国永』の中に、年若い女性を主に持つ一振りがいたんだ。
その鶴丸国永は、主である女性を好いていた。
刀であるのにも関わらず、人間である主にずっと恋をしていたんだ。
******
「嬉しい…鶴丸、私も…ずっと前から鶴丸のこと…」
眼前の瞳が潤んで揺れている。
鶴丸国永は、人の形を取って以来、否、刃生が始まって以来の嬉しい驚きに胸を激しく打ち鳴らしていた。
恋焦がれたふたつの瞳は、今まっすぐに鶴丸を見つめている。
その表面に自分だけが映されているのを確かめたとき、鶴丸は未だかつて感じたことのない大きな喜びに包まれた。
「本当か、君…ははっ、夢のようだ。
まさか君が俺のことを好いていてくれたなんて…ああ、俺はどうかしてしまったんじゃないか、心の臓が壊れそうだ」
小さな白い手が鶴丸の左胸にそっと触れる。
「…本当だね、すごくドキドキしてる…私と一緒だ」
そう言って赤い頬で笑った愛しい人を、たまらず鶴丸は強く抱きしめた。
「君は俺の恋人になってくれるのか、本当に、そう思っていいのか」
「…うん、だいすき、鶴丸」
腕の中の小さな唇が紡ぐその言葉を、鶴丸国永は恍惚として聞いた。
これまで鶴丸にとって時とは永久に続くかのような果ての無いもので、それにうんざりすることも数知れずあったというのに、このまま時間が止まり今が永遠に続けばいいとすら思った。
しかし、戦いが熾烈を極めている今、二人だけの甘やかな時間にずっと浸っているわけにはいかない。
「なあ、もう休んだ方がいいぜ、君、明日は早いんだろう?」
名残を惜しむ腕を泣く泣く緩めれば、恋人は残念そうに眉を潜めて頷く。
「うん…明日は現世に行かないとならないから…」
そう、翌日は政府が審神者を集めて行なう重要な会議であった。
現在、歴史修正主義者の攻撃は激化の一途を辿っており、本丸への襲撃や審神者やその血縁者を狙ったテロが多発している。
その原因のひとつとして現役審神者の寝返りが挙げられることから、危険因子を見極めるための召集ではないかと密かに囁かれてもいた。
痛くもない腹を探られないためにも、絶対に出席をしなければいけない、そういう類の呼び出しであった。
「でも、夜には戻れるから…」
はにかみながら自分を見上げるその顔を、鶴丸は眩しそうに目を細めて見つめた。
「ああ、待ってる。…明日の夜、君の部屋へ行く」
耳元に低い声で囁けば、途端に可愛らしい恋人の顔はこれ以上ないくらいに真っ赤に染め上がる。
「明日の夜は二人きりで過ごそう、約束だぜ。そしてこれからはずっと…」
「うん…鶴丸も明日は気をつけてね。検非違使の出現が確認された時代での戦だから。
必ず、無事で戻ってきて。ケガなんかして帰ってきたら…」
鶴丸はこぶしで軽く自分の胸板を叩く小さな手を捉えて握り、口付けながら問うた。
「…帰ってきたら?どうなるんだ?」
「な、泣かす!泣くほど強くポンポンする!」
ふ、と頬を緩ませた鶴丸が耳元に唇を寄せる。
「おいおい、それは穏やかじゃないな」
含み笑った鶴丸は、そっとその額に口付けをした。
「じゃあこれも約束しよう、必ず無傷で戻る。君と過ごす初めての夜だからな。
まあ、これから幾度も、数えるのを君がうんざりして止めてしまうくらい幾度も、共に過ごすことになるわけだが…何ごとも、初めてというのは大事なもんだ」
後半をわざと意味深に囁いてやれば、可愛い恋人はもう顔も上げられないようだった。
鶴丸は小さく喉の奥で笑うと、足らずに柔らかく抱き寄せた。
「君が好きだ…今までも、もちろんこれからもずっと。
必ずしあわせにする。
俺はこれでも神のはしくれだ、神は約束を決して違えないぜ」
「私も…鶴丸、だいすきだよ。しあわせになろう、ふたりで」
今や自身も顔を赤くして鶴らしくなった男は、堪らずその唇を指で制した。
「…もう今はそれ以上言わないでくれ。
一等好きなものは後に取っておくたちなんだ。
おやすみ、ゆっくり休むといい」
一日の最後の挨拶と共に、万感の想いを込めて、鶴丸はもう一度その額に優しく口付けた。
******
翌日の鶴丸は、これ以上ないくらい絶好調だった。
昨晩は一睡もできなかったにも関わらず体は軽く、心はそれこそ体から飛び去ってしまいそうだった。
幸いなことに検非違使との遭遇もなく、敵はすべて殲滅できた。誉まで取った。鶴丸の周辺にはきりなく桜吹雪が舞い散り、隠そうともしない浮かれた様子は同じ部隊の者たちを辟易させた。
思ったよりも随分と早く本丸へ戻ることができた鶴丸は、愛しい主の帰還を今か今かと待ち侘びていた。
あまりにそわそわと落ち着かないので、戦支度もそのままに庭へと下り立ち主に贈る花でも摘もうとあれこれと選んでいたところ、俄かに起こったざわめきを耳が捉えた。
現世や過去へ行く際に通る門の方角からである。
さては主が戻ったか、と立ち上がると、間を置かず
「あるじさま!」
「主君!」
という、短刀の悲鳴に近い声が上がるのが聞こえた。
鶴丸の手から、摘まれて束ねられた花が滑り落ちた。
その日はじめて目にした愛しい主は、腹部から下を真っ赤な血で染め、ぐったりと横たわっていた。
その血を浴びたのだろう、小さな全身を真っ赤に染めた式神・こんのすけが必死に「審神者さま!眠ってはいけません!審神者さま!」と呼びかけ、頬を叩いている。
羽織った白衣を血で染めた薬研が必死に止血を試みているが、今も血は次から次へと流れ出ている。
彼女の顔は蒼白になっており、その意識は失われているのが見て取れた。
しかし、皮肉にもその表情は薄っすらと微笑を浮かべているようにも見えた。
「…どういう、ことだ」
鶴丸は、自分の口から出た言葉が、どこか遠くから聞こえてくる他人のもののようだと感じた。
目の前の光景が信じられない。頭が理解を拒否している。
こんのすけが押し殺したような口調で事の次第を伝えてくれたが、それは鶴丸の耳を通りぬけていくだけだった。
──召集された審神者の中に寝返った者が混じっていたのです。
──会議が終わり、皆が帰るために散らばったところを狙い、無差別な攻撃を仕掛けられました。
──審神者さまは帰還用のゲート間近で襲われ、自力でここまで帰って来られました。
──意識を保っていられたのが信じられないくらいの深手を負われたにも関わらず、ここまで御自分で…
「…政府は何をしてるんだ?
こんな重傷を負った審神者がいるのに、なぜ助けに来ない」
そう問う鶴丸の声は冷酷とも思える平坦さで、しかし語尾は動揺を反映し震えた。
「連絡はずっと試みていますが、あまりの混乱に繋がらない状況なのです!
…ああ、審神者さま!いけません!気をしっかり持ってくださいまし!」
「大将!しっかりしろ!大将! …死ぬな!!」
薬研の悲痛な叫び声が部屋に響き、短刀たちの泣き声が大きくなる。
鶴丸はゆらりと主の傍へ歩み寄る。
「頼む…二人に、してくれないか」
その言葉に、目を真っ赤にした薬研が顔を上げた。
そのまま黙って弟たちを連れて部屋を出て行く。
周囲を取り巻いていた刀たちも、それに続いて部屋を後にした。
みな泣いている。伏しまろんで号泣する長谷部を光忠が抱えて出て行った。清光は腰が抜けてしまったようで、涙で顔をぐしゃぐしゃにした安定に抱えられたが「嫌だ…あるじ、あるじ、置いていかないで主…」と抵抗した為、数人がかりで引きずられて部屋を後にした。
最後にこんのすけが、静かに一礼をして去っていった。
部屋に沈黙が訪れた。
「君…遅かったじゃないか、待ちくたびれたぜ…見てくれ、約束通り傷ひとつなく戻ったんだ。
どうだ、驚いたか?褒めてくれていいんだぜ…」
愛しい人の沈黙に、鶴丸の目から涙が落ちる。
「なにか…言ってくれ。お願いだ。俺の名前を呼んでくれ。いつものように…頼む…」
傷口を押さえたのであろう、血に塗れた小さな手を握る。力の抜けたそれは、常に体温の低い鶴丸よりも冷たかった。
「なあ、君…嘘だろ?約束、したじゃないか。
できたばかりの恋人との約束をさっそく破るのか?いくら君でもそれは感心しないな、
それとも、いつもの仕返しで俺を驚かそうとしているのか? それならもう十分だ、もう存分に驚いた。君は大したものだ。
…なあ、返事をしてくれ!頼む…頼むから…」
およそ血の気の抜けた白いかんばせに頬を寄せた鶴丸は、ハッとした表情をした後、耳元へ必死に語りかけた。
「君、お願いだ、名前を教えてくれ!君の真名を!
そうすれば、俺はどこまでだって君を追いかけて行ける。君を迎えに行くことができる。
どんな形だっていいんだ、君と共にいられるならば!
なあ、返事をしてくれ!君!主!
もう驚きを求めて困らせたりしない、君が望むなら物静かな男にだってなろう、だからお願いだ…」
しかし、その願いに愛しい相手は答えることはなかった。いや、答えることができなかった。
彼女の命の灯火は既に消えていてもおかしくなく、事態は絶望的であった。
恐らくその最期を押し止めているのは、彼女の内に強くある鶴丸への想いであった。
鶴丸は今にも呼吸が途切れそうになっている愛しい人の体を抱き寄せて囁いた。
「…そうか、もう無理なんだな。
大丈夫だ、君をひとりにはしない、ずっとこれからも傍にいるからな」
すらりと抜刀する。鶴丸の本体である刃は美しく夕陽を反射しきらめいた。
…血のような夕焼けに染められた部屋に、ひとりの血塗れの女性と折れた刀が静かに横たわっている。
それらは二度と動くことはなかった。
******
「──鶴丸国永は、自ら命を絶ち、愛する主の魂を抱いて転生した。
次の生こそ、彼女としあわせになれると信じて」
そう語る彼の瞳は、底のない深い穴を覗き込んだような色を宿していた。
「それで、ふたりは離ればなれにならずに済んだんですか?
…その、次の人生で」
私の問いに、彼は虚ろなままの瞳をこちらに向けてゆるく頷いた。
「ああ…離れずに済んだかということならば、それは確かに叶った。
二人は同時に新しく生まれ変わったんだ。
──双子の兄妹として」
******
二人は新しく生まれる度に真っ先にお互いを探した。
そして、いつでも愛しい恋人は隣にいた。
それは安堵すべきことであり、同時にとてつもない不幸であった。
なぜなら、二人は何度うまれ変わっても双子の兄と妹だったからだ。
初めて生まれ変わったとき、そこは大店の商家だった。
男女の双子は心中者の生まれ変わり、そう忌まれた時代だった。
鶴丸は、愛しい人の命の火が生まれて間もなく消されたのを感じた。
次に生まれ変わったとき、やはり兄と妹だった二人は共に成長し、年頃になる頃ふたりで故郷を後にし、自分たちを誰も知らない土地で夫婦となった。
誰の目も気にすることなく二人は愛し合い共に暮らした。しあわせだった。
やがて、かつては主であり今は愛しい妻である女の体に新たな命が芽生えた。その出来事は夫婦の心を溢れんばかりの幸福で満たした。
しかし、難産に苦しんだ妻は子供と共にこの世を去った。
そして長きに渡る繰り返しの生が過ぎ去り、次は何度目なのかを数えるのも止めた頃。
身元を隠し夫婦として暮らすふたりは、深夜に息苦しさと熱気で目を覚ました。
周囲のすべてが轟々と燃え盛っており、瞬時に状況を悟った鶴丸は怯える妻を抱きかかえ、煙に巻かれながらも脱出を試みた。
何とか出口まであと一歩というところまで辿り着き、目の前に庭が見えたそのとき、鶴丸に抱えられていた妻は渾身の力で彼を外へ向かって突き飛ばした。
突然のことによろめき鶴丸が転がり出た瞬間、焼けて崩れた梁が落下し、妻の姿は炎に遮られ見えなくなった。
その後も、愛しい者が先に命を落とすたび、鶴丸は迷わず彼女を追って転生した。
幾度も幾度も、彼女の魂を抱いて次の人生を求めた。
******
「だが、だめなんだ。
何度くり返しても、何度やり直しても、運命は男の手から愛する者を奪い去っていく。
男は、鶴丸国永は、彼女の魂を抱いて、激しく渦を巻いている輪廻の中へ飛び込んだ。何度も何度も。
何も特別なことなんてない。
ただ、恋をしただけなんだ。
好いた相手と離れたくない、ただそれだけだったんだ。
他には何も、本当に何もいらなかった。
何度も何度も生まれ変わって、何度も何度も愛し合って。
男が彼女の魂をかたく抱きしめて離さないから、愛の記憶は消えることはない。
それを互いに望んでいる。だからこれでいいんだ。男はそう思った。
そう、思っていた、ずっと。
いや、思おうとしていたんだ。
本当は男は気がついていた。
どんどん別れの原因が惨いものになっていることを。
そして、命を落とすのは常に自分ではなく、愛する者であると言うことを」
一陣の風が吹き抜けた。
ざざん、と波の音が響き、私と彼の間に沈黙が落ちる。
「…なあ、君は『輪廻転生』とはどんなものか知っているか?」
唐突な彼の問いに、私は少し面食らいながら答える。
「ええと、今のお話のように、死んで何度も生まれ変わること、ですよね?」
「ああそうだ、だがそれだけじゃない。
人が何かをした場合、何らかの結果がもたらされる。
結果はその者が生きている間にもたらされることが多いが、次の生に持ち越される場合もある。
よくいう『前世の行いが~』という奴だな。
生き物は、行為の結果を残さない、もしくは行為を超越する段階に達しない限り、永遠に生まれ変わる。
そして、次の生は前の生で為したことにより決定される…」
彼は顔を上げ、まっすぐに私を見つめ、言葉を続けた。
「つまり、同じことを繰り返している以上、鶴丸国永と恋人は永遠に心中し続け、二人が幸せになる道は恐らくない」
ざざん。波が打ち寄せては返す。
彼が口を閉ざすと、風と波の音がいやに響いた。
海鳥がもの悲しく鳴いた。
私は返す言葉を探したが、それは見つからなかった。
急に花の香が強くなった気がして、軽い眩暈を覚える。
「…少し前に、ある男へ懸想する女が、男が大事にしている妹を良からぬ輩に頼んで暴行させた上、殺害してしまう事件があったろう。
あの、腸が煮えくり返るような外道の所業だ。大きく報道されたから、君もどこかで耳にした筈だ」
不意に彼が話を再開する。
それは、連日マスコミを騒がせた痛ましい事件だった。
突然、まったく無関係のことを話しだした彼に対し、私は理由のわからないぞわぞわとする予感が立ち上ってくるのを感じながら、次の言葉を待った。
「あの被害者はな、──俺の、俺の大切な妹だ。
妹は、彼女は、俺の妹だという理由で、俺がこよなく愛する者だという理由で、何の罪も非もないにも関わらず、
語るのもおぞましい仕打ちを受けた挙句、無残に命を奪われたんだ」
もちろん、そのニュースは知っていた。
そして、事件の報道には続きがあることも。
私は旅に出る前に耳にしたニュースを思い返す。
女性をひどい方法で惨殺した事件の容疑者たちが、身柄を確保される前に相次いで謎の死を遂げたという内容だった。
一人は轢き逃げに遭いほぼ即死、もう一人は駅で電車が入ってくるタイミングで突き飛ばされ、病院へ搬送された後に死んだ。
犯行を計画し男達に実行を依頼した女に至っては、何者かに刃物で部屋が血の海になるほど切りつけられ、驚くべきことに首が切り落とされて自宅であるマンションの塀に乗せられ晒されていたという。
内容が猟奇的でショッキングだったため、こぞってマスコミが報道し、今も連日その話で持ちきりとなっている。
そして、一連の事件の後に殺された女性の兄である人物の行方がわからなくなっている、
とニュースキャスターが語っていた…筈だ。
「たとえ奴らが死んだとしても、俺は絶対に許さない。
愛する彼女を辱め、苦しみを与えた者を。八つ裂きにしてやっても足りるわけがない。
奴らがどんな地獄へ落ちようとも、俺は必ず追いかけて彼女の仇を討つだろう。必ずな」
そう語る彼を見ることができない。
恐ろしい予感が私を貫く。
これ以上は聞いてはいけない気がするのに、なぜかこの場を立ち去ることができると思えなかった。
彼は、まるで独り言のように言葉を紡ぎ続けている。
「それに俺は、次に死んだら似合いの地獄へと落ちるだろう。わざわざ奴らを追いかけて行くまでもなく。
なあ君、刀輪処(とうりんしょ)という地獄があるんだ。
刀を使って殺生をした者が落ちる場所だ。
そこは鉄の壁に囲まれていて、地上からは猛火、天井から熱鉄の雨が降り注ぐ。
樹木から刀の生えた林があって、両刃の剣も雨のように降り注ぐそうだぜ。
まさに、俺に似合いの場所だ。
まあ、そんなことはどうでもいい。
俺の身がどうなろうと、どんな所でどんな責め苦を受けようと、俺はそれを甘んじて受けよう。
しかし、彼女は…もう彼女にはこれ以上つらい思いをして欲しくはないんだ。
だが俺がこの手を離さない限り、彼女は苦しみ続ける。
それなのに、何度ひどい目に遭おうと彼女は笑う。
俺の顔を見て、心から嬉しそうに笑うんだ。そしてこう言う。
『良かった、また鶴丸の隣にいられる。
ずっと、ずっと一緒だって約束したもんね。
鶴丸、私のために、約束を守ってくれてありがとう。
…だいすきだよ』と。
っは、笑えるだろう、誰よりもしあわせにしたい、何からも守ってやりたいなんて口では言っておきながら、
実は彼女を苦しめていたのは誰あろう俺自身だったんだ。
俺さえ望まなければ、彼女の手を離せていたら、幾度も幾度もひどい目に遭わせずに済んだ。悲しませずに、泣かせずに済んだんだ。
すべては俺が起こしたことだった。
俺は、己の我欲のために、彼女を犠牲にし続けていたんだ」
彼は言葉を切って掌の花を見つめ、優しく囁きかけるように続けた。
「だから、もう終わりにしよう、そう決めたんだ。
もうこれきり、共に生まれ変わるのは止める。
──そのためには、彼女の記憶をすべて消し、その魂を海へ還さなくてはいけない。
だから、ここへやってきたんだ」
風が海辺に佇む私と彼の髪を弄ぶ。
彼の話は終わった。
大いなる何かへの懺悔のようなそれを、海と、空と、海鳥、そして私が聞いた。
まるで証人のように。
私はたまらず口を開いた。
それは遠ざかる船に叫ぶ惜別の言葉に似て、いくら懸命に言葉を継ごうと、決して届かないことをどこかで知っていた。
しかし、言わずにいられなかった。
彼の作り話が本当は誰の記憶なのかわかった今、どうしても伝えずにいられなかったのだ。
「これまで積み上げてきた大切な記憶を消さなくとも、離れ離れにならずともいいじゃないですか。
また生まれ変わっても、恋人同士となって生きたらいいじゃないですか。
あなたの大切な人は、ずっと一緒にいることを望んでいるのに。
次こそは、しあわせになれるかもしれないのに」
しかし、彼は首を横に振った。
「愛した記憶が溜まりすぎて、愛する思いが重なりすぎて、俺たちはもう幸せを築けない。
だからといって、過去を変えることは絶対にできない。
それをしてしまったら、俺はこの悲劇を生み出した奴らと同じところへ堕ちるだろう。
何より彼女が悲しむことだ。だから、できない。
──もういいんだ。
もう自由にしてやりたい。俺ではない誰かを愛し、愛され、笑って欲しい。
…しあわせになって欲しいんだ。
俺は彼女に約束をした。必ずしあわせにする、と。
好いた女との約束ひとつ守れないようじゃ、男が廃るだろう?
──だいぶ、それこそ長く待たせてしまったが、今度こそ…」
言葉を切った彼は、そして晴れやかに笑った。
「どうだ、なかなか興味深い話だったろう。
期待以上で驚いたんじゃないか?
最初にも言ったが、君の小説に使ってくれていいぜ。この話の権利は君にやろう」
私は泣きそうになりながら答える。
「だめですよ、恋人の方の了承も得ずにそんな。あなた一人の許可で勝手に使えません」
彼はいたずらを思いついた子供のような顔で私を見た。
「何を言っているんだ、今のは作り話だぜ?
全部、俺が考えたつまらぬ絵空事さ。
そう思ってくれればいい…君のためにも。
なあ、そう思うだろう?」
最後の言葉は、手の内にある花へ向けられた。
彼の手の上では、白い花が、彼の言う恋人の魂が、物を言うわけでもなく静かに、ただ彼を見上げていた。
花の中央に座した女性が瞬きをするたびに、黒い睫毛が揺れる。
彼もまた、恋人の魂をじっと見つめていた。
それは、確かに互いに愛し合っている者たちのまなざしだった。
やがて、彼が静かに顔を上げ、私に笑いかけた。
「君が売れっ子の小説家になることを祈ってるぜ。
話を聞いてくれて感謝している。
きっと俺は、ずっと誰かに聞いて欲しかったんだろう。
…彼女もきっとそう思っている筈だ」
同意を求めるように花へ視線を向ける。
彼が何かを呟いた。
その微かな言葉は、波と風に遮られて聞こえない。
しかし、あふれる愛を紡いでいるのだと、確かにそう感じた。
彼の告げる言葉を聞き終えた彼の恋人の魂は、何かを思い出すように数回瞬きを繰り返して、彼を見つめたままゆっくり瞼を閉じる。
それきり、もう瞼が開くことはなかった。
彼は、眠りについた恋人の魂を、静かに海へ浮かべた。
彼の恋人の魂は、彼の手から離れて波間に漂い、やがて消えていった。
彼と潮騒だけが後に残った。
******
君、まだ二人が刀と主だった頃、一緒に沙羅双樹の花を見たことがあったな。
覚えているか?君が好きだと言った、白い清らかなあの花。
あのとき、俺は言った。
「君のようだ」と。
君はそうかな?と首を傾げてよく意味がわからないようだった。
その様がとても可愛らしくて、俺は熱くなる顔を隠すのにさして興味もない方ばかり見ていた。
本当は花なんてどうでも良かった。
君といられれば、理由など何でも良かったんだ。
花を部屋に飾ろうと手折った俺を君は諌めた。
この花は、まるで蝉のようにとても儚い命なのだと。
その言葉の通り、花はあっという間に散ってしまった。
花びらをそっと掌に乗せた君から、沙羅双樹の逸話を聞いたのもそのときだったな。
「形あるものは必ず壊れ、生あるものは死ななければならない」
そう語って沙羅双樹の下で涅槃に入った者の話を。
人の命は儚い。
しかし、それでも共にいきたかった。
君を失いそうになったあの夜、俺は血を吐く想いでそう願った。
永久に続く時などいらない、君がいないなら何の意味もない、ただ、傍にいたいのだと。
その願いは叶った。ああ、確かに叶ったな。
君はいつも俺の傍にいた。恋することを許されぬ、血の繋がった妹として。
それでも、変わらず俺を愛してくれた。
誰に謗られようと、どんなつらいことがあろうと、君の愛は変わらなかった。
しあわせだった、本当に。
君はいつも俺にありがとうと言ったが、愛を、しあわせをもらっていたのは、むしろ俺の方だったんだ。
さようなら、愛しいひと。俺の魂の片割れ。
あの白い花の花言葉を、君は知っていただろうか。
本当はあのとき、君のようだと告げたあのとき、俺は知っていたんだ。
愛らしい君よ、どうかしあわせに。
俺とのことは、夢だった。
そう、悪い夢だったと忘れてくれ。
(終わり)