さしもしらじな。

萌えと趣味の話をこっそりボソボソするブログ。

お話を作ることとタルパというもの(オカルトチックな話)。

2015-12-25 09:38:45 | 日記

ここ数日はもっぱら、物吉くんをメインに据えてお話のあれこれを詰めているのだが、
そんな作業をボソボソとしていると、妙なもので無性に薬研のことが頭に浮かぶ。
そのアニキな言い回しとか低い声の調子なんかを思い出して、
「ああ薬研かっこいいなあ」
なんてしみじみしてしまったりする。
今、私がしなくてはいけないことは、新しい物吉貞宗という刀をどれだけちゃんと書けるか、
公式の情報に不足したところを如何に想像や妄想で補えるか、に力を注がねばならないのであるけれど、
どうも別のことに意識がそれてしまってうまくいかない。
しまいには、これは本当に妙なことだけれど、浮気をしているような心持ちになってくるから面白い。


さて、常々おもっていたことであるが、こういう「お話を作る作業」というのは、
「タルパ」を作り出すことに似ているな、と思う。
タルパとは、元は「チベット密教の秘奥義で、修行を極めた者のみに伝えられる秘奥義」だという。
しかし、日本のオカルト好きの間ではもっとライトな扱いで、
「人工の霊体」……人の妄想から作り出された存在にしてパートナーというように捉えられているようだ。

二次小説を読んだり書いたりする人には、妄想を得意とする方が多くいると思う。
好きなキャラを色んなシチュエーションに当てはめて、どんな反応をするか、どんなことを言うか考えたり、
現実にもしそのキャラがいたら……という前提で自分との絡みを考えたり、というような想像をしたりする。

タルパを作るには、その本来なら脳内で完結する妄想を現実に重ねエネルギーを注ぐことで、
妄想から作り上げた存在と会話をしたり、上級者になると肉体的接触を図れたりできるらしい。
ただ、精神疾患と紙一重であるという指摘もあり、危険性を孕んだ行為であることは念頭に置く必要がある。


手順は、自分のパートナーとしたい存在を想像して作り出す。人格・口調・外見・趣味や嗜好など、
細部に渡り想像して作り上げる。そこで大切なのは「現実と重ね合わせて想像すること」だという。
これらの作業は簡単なようで難しい。尋常じゃない熱意が必要になるだろうし、
破綻なくイメージを固定するのは、自分が作り上げたキャラであっても容易ではないと思われる。

次に、会話をしてみる。
作り上げたキャラが、自分の言葉にどんな風に返すのか、どんな表情で答えるのか、
それらを想像しながら会話を続けていく。
初めは自分がふたり分の言葉を考えなければならないが、これが進んでいくと不意にキャラが自発的に答えを返すようになる……らしい。
最終的には、自分が話しかけなくとも、相手の方から話しかけてくるようになる。
ここまでくれば、実在の人間と話すのと変わらないコミュニケーションが取れるようになる。

そして、最後は視覚化だ。
実際にキャラがそこにいるかのように、現実の風景に合わせて想像する。
イメージが固定できれば、自分にしか見えない存在がすぐそこにいるように見えるようになる。

……とまあ、こんな具合だ。
かなりディープなオカルト具合で、精神を侵食されそうなデンジャーな気配がする作業だ。
大体、チベット密教の秘奥義を一介の凡人が再現できるのかという疑問も大いにある。
しかし、中にはこういう存在を複数つくりだし維持していると主張している人がいるのも確かで、
本人がそう信じ、実際に感じているならば、他人がやたらに否定できるものではない。
人の脳は時に、リアルな幻覚を作り出すものだからだ。

まあ、タルパという存在の是非はこの場では置いておくとして、その作り出す過程が
「お話を作る」という作業に似通っている部分があるな、ということなのである。
二次創作ならばキャラは既に完成品があって、それを公式のイメージを損なわずにいかに動かすか、
という点に神経を使っていくものだが、一次創作であれば、このタルパ作成の第一段階と似たような作業をするのではあるまいか。
外見・性格・口調・出自・好きなもの等、そのキャラを構成するあれこれを設定し、破綻のないようにイメージを固定する。
そして、実際に話を書き出したら、該当のキャラがある言葉に対してどのように反応し、どのような表情でどんな答えを返すか
……を考えて会話をさせていく。
最初はおっかなびっくり話していたものが、ある時点から勝手に話したり行動し始めたりする、という現象は、
お話を書く人なら大抵は経験しているのではないか。
それって、とてもこの「タルパ作り」に似ていると思うのだ。
自分の想像から作り上げた存在に命を吹き込み、動かし、笑わせ泣かせ怒らせる。
どんなことを話し、どんなことを感じ、考えるのか、それらをキャラに与え、お話の世界の中で生きていかせる。
それがお話の世界の中で完結するか、現実へ引っ張り出して固定するかの違いだけで、
していることはあまり違いがないように感じられる。

お話を書こうと決めて準備を始めたときから、頭の中はそのことでいっぱいになる。
常にそのキャラのことを考え、どのような言葉を話すのか、どんな表情をするのか、どんな気持ちになるのか、
そればかりを考えている。
そんな日々を過ごしている内に、いつかあちらから私に話しかけてきてくれたりするんじゃないだろうか。
なんて子供っぽい想像をしてしまったりする。
でも、これだけ心を傾けて想いを寄せていたら、何かしらのことが起きても不思議とは思わない。
人の思念の力はとてもとても強いものだと思っているからだ。

まあそんなことは全て置いておくとして、朝、薬研が起こしてくれたりしたら最高なのにな~なんてことは考える。
つらいときに励ましてくれたりとか、悲しいときに慰めてくれたりとかね。
もし、物吉くんのことを熱心に考えていることにヤキモチを焼いてくれているのなら、そりゃもう激しく漲りますな!

……なんてアホな妄想をするお昼前。
クリスマスに何を考えているんだ。何か寂しいぞ!
今日は何とか書き上げた年賀状を出して、ケーキの安売りでもしていないかスーパーを巡る。
そして夜はお話を書き始めようかと思っている、が、物吉くん以外にとても書きたい話が出てきてしまい、
どちらを先にするか悩ましい。ふたつとも最後まであらすじができているし。
物吉くんは間違いなく難産になるので、楽しくスイスイ書ける方を先にするべきか。

ケーキ探索行脚をしながら考えよう。
そしてもう今年も残り僅かだ。
大掃除はまだ手付かずである。お話を書いてるどころじゃないのではと危機感を感じるが、まあいっか。
今年もまた、しょうもない感じで終わりそうである。
それもまた自分らしいかもしれない。そう思う今日であった。



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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2018-11-17 06:20:05
あるまい は否定の意味ですよ
あるまいか、です (しのぶ)
2018-11-17 08:49:53
「あるまいか」で「……ないだろうか」という意味になります。「~まいか」で辞書を調べてみてください。

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