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新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。
(主・ひつじ)

駆ける

2024-08-24 07:41:41 | Short Short

芝生の上に突っ伏して、僕は地球にへばりついた。
寝返りを打って仰向けになる。地球は僕を離さない。当たり前の信頼に心が躍る。ほどよい夕風が土草の匂いをかき混ぜる。

僕の真上で細くシャープに延びていく飛行機雲のお尻の方が、早くもぼんやり太くその道を消し去りながら夕焼け色に染まっていく。
行ってしまった先には追いつけないけど、そこにある軌跡がそこにあったものを見せてくれる。束の間ではあるけれど。

駆けて行くものを見たのはその時だった。
ぼんやり消えゆく飛行機雲と夕焼け空を携えて、馬が宙を駆けて行く。ペガサスでもユニコーンでもないその馬は、千代紙をたくさん張り付けたみたいにカラフルな模様で嘶いた。空の湖に映るその姿を見た青い化身がどこからか現れて、黄金色の光がふたつの影を空に写す。

僕は決めた。即座に決めた。微塵の迷いなく、ゆるぎない世界の申し出に誓いを交わす。
風に逆立つたてがみを掴み僕は馬に飛び乗った。なんて綺麗な馬だろう。覗き込んだその大きな眼には、地平線の先がはるかにあった。青い化身が先導する。僕らはいつか見るはずの場所を目指して空をゆく。さっきまで居た芝生が揺れて、そこに僕はもういない。

薄く飛行機雲が道を開け、駆けゆく僕らに白を散らした。



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ヒバリ

2024-08-21 11:43:21 | Short Short

冬の朝、黒いタイツをはいて、こげ茶のお気に入りの革靴に足を通す。玄関のドアを開けて新しい空気を吸い込む時の、あの凛とした気持ち。
冷たい風も短いスカートも、鞄の重みも赤信号も、なにひとつ気にならない。
明るい清々しさと同居するものが語りかけていたことに私は気付かない。
今朝、ヒバリが高く飛んで窓の外に響く声を聞いたそのときの光景を、いつまで覚えていられるのか、と。

今日、小豆を煮てあんこを作っていた。
鍋を木べらで混ぜていたら、あの冬の朝、台所の暖簾を分け何気なく挨拶を交わしたときの、あの高く響いたヒバリの声と鍋に伸びる白い手と甘い香りが綯い交ぜになって、涌きあがるように浮かんできた。

どこかでヒバリがまた高く鳴いたのは気のせいだろうか。私はなにを期待して窓の空へ振り返ったのか。

甘い香りはただぐつぐつと、織りなす景色を幾重にも。


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パパの大切な話

2024-08-16 10:43:43 | Short Short

少し前、パパが打ち明けてくれたんだ。
いつもならぼくが泣き虫だって怒るのに、その時はパパも元気がなくて、「ママには内緒だぞ」って少し悲しい顔をして言うものだからぼくは心配になって、でも「ママには言わない」って約束したんだ。
ずっと忘れていた大切なことを、急に最近思い出したんだってパパは言った。

ぼくが生まれるよりもママと出会うよりもずっとずっと昔のある夏に、パパは特別な恋をしたんだって。ぼくは恋ってよくわからないけど、つまりとっても好きってことらしい。
「絶対ママには内緒だぞ、男同士の約束だぞ」ってパパが何度も念を押すので、ぼくも真剣に「わかった」って何度も答えなきゃいけなかったけど、僕はパパの話を聞いて、とっても素敵だなって思って、でもなんだか泣きそうになったんだ。
だから、パパとの約束がなくても、ぼくはママだけじゃなくて、誰にも言わないって決めたんだ。だからみんなも、誰にも言わないでね。ここだけの秘密。ここは特別な《部屋》だから。リンクも貼らないからね。

パパはぼくが大切にしている何冊かの動物図鑑を持ち出してきて、その中から『水生生物』の図鑑を選んでページをゆっくりとめくった。あっちを見てはこっちをめくりと、とりとめなく図鑑を持て余すみたいに、でもきっとパパにはその図鑑が今必要なんだ。これから話すそのことに。

「なあ、パパがお前にこんなこと言うの、おかしいのかもしれないんだけどな」
「なあに? 男同士の真剣な話なんでしょ。ぼく、パパが何を言ってもおかしいだなんて思わないよ」
パパは図鑑から目を上げて、ちょっと意外そうな顔でぼくを見てから、「そうか」って嬉しそうな顔をしてくれた。

「人魚っていると思うか」
「人魚?」今度はぼくがきっと意外な顔をしたと思う。「分からない、でもいればいいなって思う」意外な顔が直っていたかは、ぼくにはわからない。
「そうか」
パパは少し黙って、それからパパの大切な話をしてくれたんだ。

その夏、パパはまだ学生で、海で人魚に出逢ったんだって。
「どうして会えたの?」
ぼくはもしかするとトンチンカンなことを言ったかもしれない。でもパパは静かな様子で答えてくれた。
「どうしてだろうな。パパにもよくわからない。気がついたら、そこに居たんだ」
パパたちはふたりでよく白い浜辺を走ったり海に潜ったり、あまり人目につかないように時間や場所に気をつけながら、楽しく過ごしたんだって。
ある日、パパたちは誰もいない小さな島まで泳いで行って、パパはこのままここでふたりで暮らそうって言ったんだ。
でも人魚さんは、悲しそうな顔になって、
「夏だけの約束でここに来たの。だからあと少しで帰らなくちゃいけないの」
「いつ」
「次の満月の夜」
それでその日がとうとうやって来て、パパたちはお別れしたんだけど、そのことをつい最近まですっかり忘れていたんだって。
「夢を見ていて目が覚める時、その夢がすっと消えてしまうことがあるだろ。そんな感じで、パパは次の日にはもうすっかり忘れてしまっていたんだ」
人魚さんはいつもの岩陰から海に潜って、それがさよならだったんだって。

「今頃思い出して、よかったのかな。本当は、俺がずっと忘れていることも、あっちの世界の約束だったんじゃないのかな。そう思うと、忘れていたことも、思い出したことも、どっちもなんだか悲しいんだ」
パパは本当に辛そうな顔をしたけれど、ぼくはパパを信じて言ったんだ。だって、パパがぼくに向かってはじめて「俺」って言ったんだもの。

「向こうの約束のことはぼくにはわからないけど、でもぼくは、パパが思い出してくれて人魚さんは嬉しいと思うよ。パパが忘れたままだったら、人魚さんはずっと独りぼっちだったかもしれないじゃない」
パパは黙ってうつむいて、少しうなずいたように見えた。

「ちょっとあなたたち、ふたりでなにしてるの。珍しい」
ママがぼくたちを見つけて部屋の戸口で言った。
「今日でお盆も終わりなんだから、きちんとみんなでお見送りするのよ」
「うん、わかってるよ。すぐ行くよ」
ぼくは元気よくパパの分まで返事をした。

「ねえ、パパ。人魚さんはひょっとして、パパに見送ってもらいたくなって、わざと思い出させたんじゃないかな」
我ながらこじつけ過ぎかなと思ったけど、パパはぼくを見て、さっきよりも少しだけ元気を取り戻した様子で、でも笑顔はちょっぴり寂しそうだった。

「行こうか」パパは立ち上がった。
「うん」ぼくも立ち上がった。
並んで部屋を出る時、パパが「お前、また背が伸びたんじゃないか」ってぼくの頭にポンと手を乗せた。
いつものパパの笑顔だった。


ぼくの意見は却下なんだってー。



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森に眠る

2024-08-15 10:20:20 | Short Short

小さな森に月が出る。もう橋の向こうには渡れない。
日没の結界は日の出に解かれるまで森を隠す。森の中から橋の向こうの明かりを探すのはとうにやめた。今日見た川辺の黄色い光が、夜通し私を照らすだろう。
明日はどこへ行こう。見上げた空が細く続く。踏み均した道が私の寝床へ続く毎夜の営み。

此処は『はじかれたモノ』だけがひっそりと暮らす森。
村人の記憶からこの森はいつしか消え、昔話となった。夜が明け、森が朝陽に放たれても、村人たちはもう来ない。人間のいない忘れ去られた森だから。

囁きが風に乗って届く夜、私はかつての暮らしの匂いを嗅ぎ、そして私も忘れてゆく。誰かが夜空に描く名も、どこかで石を積む音も、遥かふたりで目覚めた朝も、この小さな森が隠してしまう。

月明かりの届かぬ場所でひとり眠るこの森は、トネリコの咲く小さな森。
人々の記憶に眠る、美しい物語を紡ぐ森。世界から遠ざかってしまった哀しい森。

月が森にかかる夜、どこかで物語が語られる。《トネリコの森》と嘗て呼ばれた小さな森の物語。


(関連・前話 / 関連・詩)


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笹船

2024-08-14 10:22:00 | Short Short

笹船が川を流れて行く。
流れ着くのがどこかも知らず、ただせせらぎと共に川を行く。広すぎるその川の澄んだ水に差す光が笹船を際立たせ、だから私は立ち止まった。

ああやって、身の丈を知り流れゆくものを照らすのだ、照らされるのだ、と緩やかな流れを見守る。
この何気ない景色の中で、あの小さな緑に気づいたのは一体どちらの手柄だろう。陰に暮らすとつまらないことを考える。

キラキラと行ってしまうものはもうここには戻らない。いつもそう。行く先を見送り、この光景を忘れないでと願ったのは、私か笹船か、と空に問う。
オトギリソウによく似た黄色い花が河川敷に揺れて光の玉のようだった。待ち侘びていたものは、届かない場所へ行ってしまったのだと、光の花が私に囁く。
ああこの輝きは、たしかキンケイギクだと教えてくれた。忘れてしまった遠き日の影も揺れていた。

見えなくなった笹船の、煌めく川面に遠く目をやる。傾く陽射しが陰るころ、蜩がそろそろ森へ帰れと鳴きだした。
心残りは置いたまま小さな森に引き返す。

森に月がかかる夜、どこかで物語が語られる。それはとうに忘れ去られた小さな森の物語。




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薄いベールの向こうから en

2024-08-12 11:05:00 | Short Short

目覚めると《ピンクの象》が来ていた。
あれ、久しぶり。
相変わらず不機嫌そうにのしのしとそこいらじゅうを歩き回っている。

この前来てからずいぶん経つ。
こちらも忙しくしていたので、もしかすると気づかなかっただけかも知れないが、まぁ時期としては今頃がビンゴといったところか。
このところ環境が変わり、自分をよく知る友人たちといささかご無沙汰になっていた。なので久しぶりに訪れたピンクがすこし愛おしいような懐かしいような、いつもよりほっこりとした心持ちで歓迎している自分がいる。勝手なものだ。

それにしてもこのピンク、ここへ来るタイミングはぴんと来るようになってはきたが、一体ここへ来て何だというのだろう。こちらとしては彼(又は彼女)が来ることで、ある種自分のバロメーターになっている側面はあるが、ピンクにしてみればこちらの心情やら何やらがあちらの事情に関係して、それでここへ来るというような関連性があるのだろうか。

今日はどんな様子だろう。
とは言えいつも通り不機嫌の中の薄いグラデーションを窺うだけなのだが。
「ん?」
ピンクの向こう側に何か見えた気がした。
覗き込むとピンクよりもふたまわり程小さな、ピンクよりもすこし淡いピンクの象がヨチヨチと元祖ピンクにくっついてまわっている。
「あぁっ」思わず声が出た。
元祖ピンクがチラッとこちらを見たが、愛想もなくぷいっとまた背を向けのしのしと行く。しかしチビピンクがこちらを見て立ち止まり、短いしっぽをふさふさとかわいい素振りで振っている。元祖に隙がない分、このチビ、たまらなく可愛い。

思わず手を出しかけてふとためらった。触ってもいいのだろうか。
こちら側の我々とあちら側の彼らとは次元が違う。と、思う。次元が違う相手を果たして不用意に触ってしまっては、均衡を保っている何かが崩れるのではないか、そんな気がして躊躇した。
するとこちらの思いを察知したように元祖ピンクが素早くのしのしと間に割って入った。
「あぁ、やっぱり駄目なんだ、ごめんごめん」

それでも元祖は、チビをこちらから見える位置にお尻でぷんっと突いて移動させ、その向こう側をのしのしと歩いて行く。ヨチヨチとチビがついて行く。
なんだ、いいとこあるんじゃない。

久しぶりに穏やかな気持ちで、彼らが部屋中をのしのしヨチヨチ歩き回るのをひとしきり眺めていた。
今日は、すこしゆっくりしていけばいいのにな。



(関連・次話前話)




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引き出しの奥

2024-08-11 09:43:21 | Short Short

凛とした佇まいで彼女は自分の名を告げた。
中世的な顔立ちで、切れ長のすっきりとした瞳。細い鼻筋。キュッと閉じた薄い唇。肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪を、春のぬるくて、でもまだ冷ややかな風がゆるくさらった。

忘れたと思っていても、引き出しの奥にちゃんとある。
意味を成さなくなっていても、誰のものか思い出せなくても、その場所にはたしかにある。あるんだ。

ベルが鳴る。アナウンスが流れる。
『列車が発車します。ご乗車の方はお急ぎください』
「はやくはやく」と彼女が俺の腕を引っ張る。
「もう間に合わないよ」
「駄目だよ。終電だよ。帰れないじゃん」
俺たちは列車から降りる人の群れに逆らい階段を駆け上がりホームに立ち、無情にも立ち去る四角い後ろ姿を見送った。
「金はないし諦めてベンチで寝るか、コンビニの酒ならちょっと買えるか、とにかく行こうぜ」
「寒いよ。毛布とかに包まりたい気分」
「今度埋め合わせするからさ」
「約束?」
「もちろん」
彼女は少しだけ唇をゆがめ、でも、仕方ないとしか言えない状況が彼女の言い訳になったのか、機嫌を直し「じゃあ、走ろう」と俺の手を引き笑った。「あったまるよ」
俺たちは手を繋ぎ知らない夜の街を、たぶんこっち、といい加減に走り出した。
そのうち汗が出る頃には足がもつれてふたりですっ転んだ。
とっくに酒は抜けてたけど、路上に転んで大の字に空を見るうち、そんな自分たちがだんだん可笑しくなってきて、くすくすとどちらともなく笑い出すと、もう止まらなくなって、夜中の真っ暗な道端でしばらくふたりで笑い転げた。

懐かしいな、若い頃はわけもなくよく笑ったよな。
「ご飯にしましょうね」
俺はその声に振り返る。あれ、この人誰だっけ、ここはどこだ? でもこの人、あいつに似てる。黒髪が綺麗でシュッと鼻筋が通って。なんだ、そうか、俺、この人好きだな。だってあいつにそっくりだもの。
「今日は機嫌がいいのね」
くすりと笑うその顔が、だから昔のことを思い出してたんだな、俺。あれ、今なにしてたっけ、この人、誰だっけ。この人、あいつとそっくりじゃん。

彼女は慣れた手つきで車いすを操り、彼の膝に薄手の毛布を掛け、食卓に連れて行く。もう何年も続く日常の穏やかな朝の繰り返しだった。

俺、この人のこと好きだな。だってあいつにそっくりなんだもの。
「ねえ」俺は思い切って声をかけた。
「なあに?」彼女が背後で笑うのを感じる。
「俺、君にずっといて欲しいな」
「わかってる。ずっといるよ。今までもこれからも、ずっと一緒だよ」
「約束?」
「もちろん」

意味を成さなくなっていても、誰のものか思い出せなくても、その場所にはたしかにあるんだ。今は引き出しの奥に引っかかってうまく取り出せないだけなんだ。
俺は君のこと、忘れてなんかいないんだよ。


関連話


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混沌

2024-08-10 10:05:05 | Short Short

ああ、珍しい。褐色の空だ。
虚ろに思ったら、濁った河淵の木に逆さづりになっていた。
河はごうごうと流木をのみ込む勢いで流れている。
僕は力いっぱい腹筋で折れ曲がって、ぶら下がったその枝を掴んだ。
くるんと起き上がった空は、眩しく白かった。

明るい日の中で見る夢はいつも混沌として、過去からの使者が何かを告げるようにそこに居る。あたかもそれは現実のような肉々しさを持って迫って来る。

目覚める前、ここはどこだ、といつも思う。
だんだん意識が戻るにつれ、ああ、此処はいつもの場所なんだと落胆する。
混沌と一緒に遠ざかってしまったものはもう何処にもなく、過去からの使者もそこにはいない。

現実はどんどん進むのに、僕はずっと動けずにいる。
ここに居るのは僕だけだ。それを知っているのも僕だけだ。
ますますあっさりと消えてしまった夢が、そこにしかない願いとなる。

僕はその場所を求め、また目を閉じる。
混沌が顕れ、僕は僕の場所に帰っていく。クラクションが遠ざかる。

濁った河が流れて行く。空が白く、眩しい。




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氷の中から

2024-08-09 10:26:26 | Short Short

氷の中から見る外側は、視界がぼやけていて、光がいっぱい屈折して反射して、とてもきれいだ。この前理科で習ったプリズムってこういうことなのかな。
そして何よりも、ここは守られていて安全だ。

不思議と冷たくはないんだよ。
気づいたらぼくは氷の中にいて、分厚い壁に守られていた。
きっかけは、もう忘れちゃったな。

ここから花火を見たときは、四方八方、ぼくの周りのあちこちで輪っかの光が弾けて圧倒された。それはとても幻想的で、やっぱり全部がぼやけていた。

今はそれくらいがちょうどいい。
はっきりとした世界は苦手だ。
「外の方が鮮やかだよ」って大人たちは言うけれど、鮮やかだからいいとは限らない。

ぼくの氷は時々強い日差しに負けそうになる。みんながぼくの壁に向かって強いものをぶつけては「そんなところから出てきて、一緒に楽しもう」なんて言う。

みんなは知らないんだ。
あやふやでぼやけて、それだから綺麗なものがあることを。それだから守られることがあることを。
雪の結晶が綺麗な形で張り付くことも、花びらがくるくると降りてきて、ピタリとぼくに微笑むことも。

ぼくはちゃんと知ってるよ。
青く爽やかに思い出す日がくることを。
そしたら一緒に笑ってよ。サイダーみたいな夏だったって。ね。




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晴れ

2024-08-08 22:25:35 | Short Short

本当は《知っている》から同じことを考えるのだ。
僕は急にそう確信した。

窓から見る景色はたしかに晴れていた。
雨がやみ雲が切れ、夕刻の陽射しが街路を包んでいる。
明るいその空でさらに眩しくチカッと光った。遅れて雷鳴が轟く。
目の前の景色は相変わらず晴れている。先刻よりも明るく並木が光る。

突然、激しい雨音が屋根を打つ。
窓に映る景色はそれでも明るく揺れている。
軒下をだらだらと落ちる水の塊が、ベランダを、道路を、あっという間に覆っていく。
雷鳴が近づく。
それでもまだ世界は明るく照っている。

晴れ、という概念が崩れていく。
天気予報では雨の勝ちだ。どれだけ明るく輝く光も物理的に雨が降れば、その景色は『雨』と名付けられる。

「本日は雨が降ります」「空が明るくても雨が降るでしょう」
「どんなに晴れていても、今日は雨です」
頭の中でアナウンサーの声が重なり響く。雨、雨、雨。奇妙に歪むその声が僕を嘲笑う。「だって傘が必要でしょう?」

これまでの認識が新しい世界への扉を閉ざしてしまう。
目の前にあるのは、美しく降り落ち輝く水滴に満たされた『晴れ』だというのに。

僕は僕の中にある《知っている》ことを探し始める。


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2024-08-06 10:10:10 | Short Short

お前はこれから何者でもなく仮の存在として様々な転生を繰り返し、その所業が認められ、晴れて「仮」が解消されたならば、人間となることが叶うだろう。
だがそれも本来の、人生を謳歌する存在ではなく、「職業」としての人間から始めるのだ。

「職業が、人間? どういうことですか? 人間というのは職業ではないでしょう」

お前に選べるのは、職業「人間」と成るべく、何度も名もなき者としてこの世界に現れ去ることを繰り返すのか、それともここで消滅するのか、この二択しか与えられていない。お前の納得など必要ない。お前に求めるのはどちらを選ぶのかということだけだ。

「僕の納得が必要ない? そもそも人間とは生物でありその存在であって、職業になどできるものじゃない。知性と理性と感情と、そして創造性を併せ持った地上で唯一無二の種族と言っていいだろう。
人類の単体を人間と呼び、人間は働き日々の糧を得て生きていくものだ。働くそれが職業というものだ。人間が職業? 何を言ってるんだ」

ほう、まともなことが言えたもんだな。
知性と理性と感情、そして創造性。そうだ、それが人間であり人類に与えられたる恩恵だ。分かっているではないか。
だがお前はそれらを放棄し、人間であることを放棄した。それなのになぜまたそれを欲しがる。
私にはお前の主張の方が不可解だ。ここで消滅するのがお前の本来の願いではなかったのか。

「僕が人間を放棄した? それはいったい何のことだ」

お前が世界を終わらせたのだ。
五回目の有史の時代は終わった。もうお前がいた世界は宇宙のどこにも存在しない。

「僕が世界を終わらせた?」

選ぶのだ。お前に説明など必要ない。お前が世界を終わらせたという事実さえ、お前に告げる必要などないのだ。
さあ、選べ。名もなき転生か、消滅か。

 ⁑

南から一陣の風が吹いた。
地上には何もなく、荒れた世界の塵を巻きあげるだけだった。
木々も生物の痕跡も、建物の残骸すらない。

「ひどい世界だな」
風はそう思いながら、その世界を吹き抜けていく。
「こんなになにもない世界で、俺は何をすればいいのだろう」

そのままずっと長く永遠に風は果てた地を巡り、それでもこの星を離れることは許されない。それが風の宿命なのだ。宇宙を渡ることもできず、ただ消えていくだけだ。

風はどこにも辿り着くことのない荒れた地を、今日もただ吹き抜けていった。


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クラゲの炎

2024-08-04 14:20:00 | Short Short

ねえ、空にクラゲが泳いでいくの。
脹らんではしぼんで、すーいすーいと空を行く。
そのクラゲはあたし。自由にどこまでも高く泳いでいくの。
そういうの、いいと思わない?

あたしが踊るのは楽しいから。踊りがあたしを求めているの。だから踊らずにはいられない。
それが最近、なんだか知らないけど悲哀の眼であたしを見ている男がいてさ、劇場の隅で、まるであたしの胸の内を自分は分かってるんだよ、なんてな顔で、今にも手を差し伸べそうで、あたしは困る。

だってあたしは空を行くクラゲだもの。
鳥じゃなくてクラゲなの。わかる?
そこが肝心。
あたしはね、当たり前を壊したいの。だからクラゲ。ほら、柔らかくて自由な感じでしょ。透明できれいだし。

でね、クラゲになってどこまでも昇って行って、どこまでも自由に踊るの。
大抵のお客たちが見ているあたしは、ちょっと象徴的過ぎて、それはそれで困るんだけど、ま、楽しいならそれもOKかな。
でもあの人はさ、自分の闇をあたしに投影してる。それがちょっと、うーん、困るっていうか、そう、心配かな。

あたしはね、星を見たいんじゃない。あたしが星なの。
たとえ嵐が航路を絶とうと、闇があたしを包もうと、あたしの内側の炎がすべてを照らしてその道筋を示してくれる。
でしょ?
鏡の中の自分と目が合って、あたしたちは同時に笑う。

楽屋の扉がノックと共に開き、支配人が「そろそろお願いね」と呼びにくる。
「彼、いるわよ」
「ふうん、どんな感じ?」
「いつも通り。ひとり隅っこであんたのこと待ってる。知り合いなの?」
「知らない」
「気をつけなさいよ」
「大丈夫よ。ありがと」

舞台の光を浴びて今夜も踊る。色んな色になって、空に昇って自由に踊る。
汗が散る。髪が乱れる。どうでもいい。手足を伸ばして舞台を飛んだ。
みんながあたしに熱狂する。あたしは踊りに熱狂する。
すーいすーい。どこまで昇れた?
あたしの炎が、いつか彼にも届くといいな。

脹らんだりしぼんだり、すーいすーいと空を行く。
あたしは炎を燃やして地上を照らす。
もっと自由に、もっと高く、数多の光を降らせるの。



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薄いベールの向こうから e

2024-08-03 05:33:33 | Short Short

目が覚めると《ピンクの象》が来ていた。
あぁ、しまった。
寝ぼけるイトマもない。相変わらず不機嫌そうにのしのしとそこいらじゅうを歩き回っている。

このピンク、時々不意にやってくる。
どういう時に来るのかは、だいたい見当がつくようになってきたが、それでもいつも突然なので、少々面食らう。

大きさはというと、300ミリのペットボトルを3本ずつ2列に並べたくらいで、それでピンクだから、まぁ見た目はちょっと可愛い。可愛いのだけれど、いつも信じられないくらいに不機嫌なのだ。
気に入らないのなら来なければいいのにと思うのだが、それでも時々やって来てはのしのしと部屋中を歩きまわる。

いつだったかは、まだ虚ろに名残を惜しんでいた浅い夢にまで入って来て、のしのしと薄い意識の上を踏んでまわるので、苛立ちと共に追い払うと、目を合わせない程度にこちらをチラッと見て、ぷいっとまた部屋の中を不機嫌そうに歩いて行く。
そんなことをされると、ここが意識の外なのか中なのかとしばらく混乱する。

名前は知らない。
初めてここに来た時から無愛想で自分からは名乗りもしないので、こちらもあえて聞かない。勝手につけても良いのだが、愛着がわくと後々面倒な気がして、結局曖昧に《ピンクの象》とだけ認識するようにしている。

長居することもあれば、拍子抜ける程あっさりと帰ってしまうこともある。
今日はどうだろう。
様子を窺っても何もシンパシーを感じないので分からない。けど、こちらは感じていないが、あちらは感じているからここに来るのだろうかと考えると、少しキュンとなる。

別れ際は、大抵知らぬ間に帰ってしまうので、来ていた事すら忘れていることがたまにある。

一度だけ、薄く消えゆく後ろ姿を見たことがあった。
その時はさすがに「あっ」と思ったが、引き止めることは出来ないし、引き止めてはいけないことも何故か漠然と分かったので、また来て欲しいのか来て欲しくないのかを決めかねる思いで、薄く遠のくピンクのお尻を見つめていた。
不機嫌そうに揺らすしっぽを見ていると、なんだか向こうも少々寂しそうでもあり、ほっとしているようでもあるように思えた。

ひと仕事終えて、「さて」と部屋の中を見渡すと、ピンクの影はなくなっていた。
何も言わずに帰ってしまうところが、何かしらの郷愁の念にも似た感情を揺さぶるのだ。どうも嫌いになれない。

やれやれ、今度はいつ来るのかしら。



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2024-08-02 06:35:35 | Short Short

夏の夕暮れ、近くの河原へ出かける。
日が傾いて日中の暑さも和らぎ、しゃばしゃばの蝉の声が少し落ち着くころ、空が薄紫の帯を引く。
そしたらコンビニの袋に冷えた缶ビールを2本忍ばせ、散歩に出る。
大きめのサンダルを爪先で引っかけのらり行くうち、夕風に、湿った夏草の匂いが混じる。

その河原には、朽ちかけた木のボートが半分草地に乗り上げ雑草とまみれている。
草が板の隙間に根を下ろしたボートの半身は安住の地を見つけて安堵し、一方、水辺に浮かんだ半身は、いつか旅立つことを夢見るように、浅い岸に身を預けている。

私はそのボートの、夢見る方の舳先に腰かけて、水の上に裸足の足をぶらりと投げ出す。袋から汗ばむ缶を取り出しカチッと栓を開け、まだ冷えたビールを飲む。ごくっと小さく喉が鳴る。そのまま流し込みごくごくと喉越しを味わう。
水面を舐めるように風が渡る。薄紅の雲が夕闇に退いていく。

ボートの舳先に座って眺める空は、いつも清らかに私の心をさらう。
ひとりで空を仰ぎそこに佇んでいると、自分も空の一部になったかのようだ。
その感じが好きなので、時折ここで空をつまみに晩酌する。

ひとつ目の缶を飲み干し二本目に取り掛かる。袋の中でビール缶にくっついて冷たくなったもうひとつの小さなビニール袋も取り出す。
コンビニで見つけた線香花火。案外たくさん詰まっている。

空に残照、河原は薄暮。いい頃合いだ。

ライターで火を点けるとぱちぱちと勝ち気な音を立て、細い糸火が跳ねた。芯が落ちる前のもらい火で、途切れないよう跳ねる灯を繋ぐ。繋いだ元火は燃え尽きて、ぽたりと線を光らせ種を落とす。

そんな事を繰り返しながらふと花火の先に目がいった。水面に映った跳ねる火が、なんだか彼岸花のようだなと思った。
迂闊にも、そう思ってしまった。

いつかの、どこかの、誰かのところに繋がる扉がそこにある。辺りは暮れ切り、草間の陰から蛙や虫たちが扉を開けろと鳴いている。黄泉の使いが呼んでいる。

いざなう声に向かって私は言う。
「残念だけどその扉は開けないよ。だって私には冷えたビールと線香花火があるんだもん」
蛙たちが声をひそめる。

最後の一本が燃え尽き、最後の一口を飲み干す。そしてボートに立ち上がって空を見た。
いつの間にか、夜空を丸く切り取ったようにくっきりと白い月が輝き、家路を明るく照らしている。
夏草の匂いを嗅ぎながら、私は大きく伸びをした。


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ネギを刻む

2024-08-01 07:45:00 | Short Short

そろそろ僕の出番かなって思って走ってきたよ。今日も聞いてね。

学校から帰ると、お母さんがネギを刻んでいた。
僕は急いでランドセルを部屋へ放り込んで、お母さんがネギを切るのを台所へ見に行く。
僕には好きなものが沢山あるけど、その中でもお母さんがネギを刻むのを見るのが、特別に好きなんだ。

お母さんは「おかえり」とちょこっとだけ僕に目を向けてにこっと笑うと、「また見るの?」と呆れたような面白そうな、でもやさしい顔になる。そういうところも好きなんだ。

お母さんはネギを刻む。とことん刻む。どんどん刻む。食パン一斤の袋が一杯になるまでとにかく刻む。新鮮なネギは玉ねぎみたいに目に沁みるみたい。
お母さんは涙を拭いながらネギまみれになって刻み続ける。袋が一杯になったら冷凍庫に放り込む。そして得意そうにいつものひと言。
「これでいつでもパラリと役に立つ」
ふふん、と笑うお母さんはとっても気分がよさそうだ。

「なんでそんなにネギを刻むのが気持ちいいの?」
僕は前から気になっていたことを聞いた。
「きみはなんでそんなにお母さんがネギを刻むのを見たがるの?」
「気持ちよさそうだから僕もとっても気分がよくなるの。ねえ、どうして?」
お母さんは棚の上から煎餅を取り出し、「ちょっと休憩しよ」と茶の間の方へ移ってよっこらしょっと座り込んだ。
僕は冷えた麦茶とコップを2つ持ってあとからついていく。

「とにかく刻むのが気持ちいいのよ。同じ動作を繰り返すうちに早く切る『コツ』がわかってくる。きみにもあるでしょ『コツ』がわかって気持ちいいこと」
「うん、ある。逆上がりが出来たとき、すっごく気持ちよかった」
「ね、そのうちどんどん手際よく綺麗に仕上げて行けるようになるのがまた気持ちいいの。人間ってねキリがないものに弱いのよ」

お母さんは煎餅の袋を力強くガバっと開けて座卓に広げる。全部広げちゃうからいつもあとからシケちゃうのに、それでもいつも全開なんだよな、お母さんてば。

「どうして?」
「うーん、そうだなぁ。好きなゲームしてる時とか、すごく沢山宿題が出て間に合いそうもない時とか、どんな感じ?」
「ゲームは好きだけど、宿題は嫌だ」
「好きとか嫌いとかじゃなくて、今なんの話だっけ」
「キリがないことに弱いって話」
「ずーっとゲームしてたくなるでしょ」
「うん」
「ずーっと宿題が終わらない気がするでしょ」
「あ、そうか。どっちもキリがないからやめられないし、やりたくないんだ」
「そういうこと」
お母さんは満足そうに煎餅をバリンとかじった。
そのあとの話はさすがの僕にも少し難しくて所々わからなかったけど、煎餅をかじりながらお母さんが「いい?」と興に乗るのを、また気持ちよく見ていた。
                          
「人間はね、キリがないことに両極端なの。キリがないから止められない。キリがないから嫌になる。どっちも人間の煩悩を現してるんだとお母さんは思うわけ」
ぼんのうってなに? って聞きたかったけど、麦茶を飲んでいて聞きそびれた。

「快感を手放せない自我。苦悩から逃げたくなる自我。でもね、ある人の快感がある人には苦痛だったり、人や環境で全然感じ方が違うでしょ」
お母さんが相槌を求めて来たので、僕は慌てて「うんうん」とわかったふうに答える。なんとなくはわかるけど、本当にはわからない。やっぱり僕はまだまだ子供なんだな。

「でね、人によって違うんだったら、快感とか苦悩もただの幻だって思えたらいいなって思うの。そういう状況で冷静に、自分にもそのことにも区切りがつけられたら、楽だよねきっと。幻なんだもん。夢の中で夢をコントロールするのと似てるのかな」
「ふうん、じゃあお母さんは、そういうのをコントロールしたいんだね」
煎餅のついた唇でお母さんは、にっと笑った。
「お母さんはね、そういうのコントロールするより、どっぷりはまっちゃう方が性に合ってる。だからネギを刻むの」

僕はてっきり、お母さんはそれをコントロールしたいのかと思って聞いてたものだから、狐につままれた気分になった。
「ね」とお母さんは僕が混乱しているのを満足気に眺めて麦茶を飲み、またバリバリと煎餅を頬張った。

「さ、二袋目のネギやるよ」
「え、まだあるの?」
ぱっと気分が明るくなった。僕もキリがないことにハマりたいタイプのようだ。
「あ、きみ宿題は?」
「今日はない」
お母さんは僕のウソをにかっと笑って許してくれた。「ま、金曜日だしね」

僕はお母さんがまたネギをガツガツ切り刻むのを、なぜかさっきより嬉しい気持ちで見ていた。

今日はちょっと長くなっちゃったな、
またね。



コメント
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