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新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。
(主・ひつじ)

西日

2024-10-06 13:10:00 | Short Short

「今日の天気は忙しいわねえ」
まるでなにもなかったかのように姉が言う。

午前中静かに曇りを通していたのが、午後になると痛いほどの日射し、かと思えばいきなりの雷鳴。時を置かず、激しく雨が降り出し、大雨警報発令。小一時間も経たぬうち雨は小降りになり、今は晴れやかな夕刻を街に届けている。にもかかわらずまた雷が遠くでゴロゴロと鳴りだした。

「天の神様も一発ドカンとぶちまけてすっきりしたいことがあったのかもね」
姉は窓に近づきブラインドを上げ、眩しい西日を六畳の畳に迎え入れた。まだ青く濡れた桜の葉先が窓に垂れていた。
「まぁだゴロゴロ言って発散しきれてないみたいだけど」
姉は空に向かって嘘のように晴れやかな顔を向けると、窓辺を離れ、キッチンでお気に入りのチョコを冷蔵庫から取り出し、愛おしそうに摘み上げ、口元へと運ぶ。

さっきまで一発ドカンと暴れていたのはどこの誰だ、と私は呆れずにいられない。
失恋の痛みをチョコで癒せるくらいなら、八つ当たりの一発は勘弁して欲しいのだけれど。


病床のベッドから板天井を見つめながら、いつかの姉を思い出していた。
このところ視界がどんどん狭くなっていく。
怖くはなかった。
むしろこの不自由な檻から解放される日がくることに、日増しに安堵の気持ちが強くなっていた。

もう少しで私もそちらに行くようだから、そのときは、あの日チョコを見つめた眼差しで私を迎えに来てよね、姉さん。
それでね、きっと庭では桜の葉が赤く色づいている頃だろうから、それをまたふたり並んで見るのはどう? 姉さんが八つ当たりのお詫びにチョコをわけてくれたあの頃に戻ったみたいで、なんだかいいと思わない?

緩く穏やかな西日が、褪せた畳にやさしく命を吹き込むように、あたたかく射す。
はずし忘れた風鈴が、風に吹かれてリーンと鳴った。



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手紙

2024-09-26 01:15:00 | Short Short

もらった手紙は、後にも先にも、あの一通だけだった。
私はあのとき、体がちぎれる思いで声を殺して泣いたけれど、本当は何に対して泣いているのか、分かっていなかった。

その手紙はしばらく持っていたが、月日を重ねたのち、結局破って捨てた。未練になるのが嫌だったからだ。

そしてまた月日を重ね、あの時、私はたぶん未来を捨てようとしている自分に対して泣いていたんだと、今更ながらにやっと自分の心中を察した。おかしなものだと、つくづく思う。

部屋の明かりを消して、いくつもロウソクをつけ、お気に入りのぬいぐるみの写真を撮りながら、帰りを待っていた夜があった。
ずっと忘れていたけど、似たようなシーンをテレビドラマで見て、思い出した。

考えることはみんな同じ、みたいなことが散りばめられた世界で、今この瞬間にも、その同じようなことが夜の隅のどこかに出現しているのだろうか。
その人たちも、ロウソクの灯りをいつかまた忘れていくのだろうか。

あの手紙はもう世界のどこにも存在しないけれど、私の中にはまだ淡く残っていたことを知る。
それは『思い出』と呼ぶべきものなのだろうか。
わからない。

私はあのとき、自分の決断に泣いたけれど、一方で、初めて手紙を書いてくれたことが、とても嬉しかったんだと思う。



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君の露草

2024-09-20 01:30:00 | Short Short

月は申し分なく丸く輝いていた。
遠くでオカリナを吹くように風が歌った。はじめてのような懐かしいような、不思議な音階。秘密の約束。

この窪地にはさっきまで泉が湧いていたけれど、今は水が引き底一面に水草が見える。その真ん中に君は立ち、風が渦巻く時を待ち、あの遠く輝く故郷に帰ろうとしている。

「見送りはいらない。私のためにひとつだけ咲かせたあの露草が、見送ってくれる」
君は気丈にそう言って背中を向けたけど、その肩がとても小さく見えたものだから、僕はつい、目を逸らしてしまった。
刹那、黒い突風が僕を通り抜けた。

顔を上げると君はもう、其処にはいなかった。
君の匂いを残したまま影は消え、渦巻いた風もやんだ。急に静かになった夜の黒を、月明かりが溶かしていく。

僕は君が咲かせた露草を探したけれど、窪地のあちらこちらから水が湧いて出て、すぐにそこは元の泉になってしまった。
揺れる水面に月が浮かんだ。

オカリナを鳴らしていたのは君だったんだね。風がやんで気づくなんて。

「月がとっても綺麗だよ」
いまさらそんなことを言っても、君には届かない。君の露草はどこにあるの。

月がとっても綺麗なんだよ。



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白い花くるくる

2024-09-18 02:08:21 | Short Short

木の根元に雀。まるく座る。
めいっぱい小さな体をまるく膨らましているみたいで誇らしげに見える。
雀にすれば、ただちょいとそこに座っただけなのだろうけど。
座ると胸がむにゅっと膨らんだように見える。それだけのこと。
それだけのこと、かなり可愛い。

白い並木道を少し歩く。
目の前に、花びら、ではなく、一輪の花のまま、くるくると回りながら落ちてきた。
風はない。
また、くるくると一輪。なんだろう。

見上げると雀がちゅぴちゅぴ花をついばんでいる。
パタパタっと枝を変えてまたちゅぴちゅぴ、白い花くるくる。

風誘う木漏れ日にチラチラと雀の影。
光の雨を私にもキラキラと。



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2024-09-17 01:17:07 | Short Short

咳が止まらなくなった。
はじめは風邪でもひいたのかと放置していたが、治まらないので市販の風邪薬を使った。それでも咳は一向にやまず、逆にひどくなっていくようだ。二週間、市販の薬で粘って、それからやっと病院に行った。

総合病院というのは、数をこなして自分の評価を上げる仕組みになっているのかと思うほどの、浅い問診と浅い診察だった。何種類かの飲み薬と張り薬を処方され、薬局で待っていると、薬剤師らしき女性が私の名を呼び、言った。
「この薬、すごく、なんて言うか、きついというか、あまり同時に処方通り飲むのはちょっと」
薬局には、ほかに薬を待つ患者はなかった。
「先生はどう言ってました? どんな検査をしました?」
明らかにその言葉と態度には、出された処方が『行き過ぎている』という表れがあった。

でも私はその言葉にどう反応すればいいのか、わからなくなっていた。
やまぬ咳によって食も細く眠りも浅くなり、体力が奪われ、疲れ切っていた。だからその場を一刻も早く立ち去りたいと願った。薬の専門家が一石を投じていることに、気づいてはいたが、それに対応する力がもうなかった。

「レントゲンも撮って、肺に異常もなくて、熱もそんなにないから、咳を止める処方と言ってました。とにかく咳が苦しいんです」
早く家に帰して、と頭の中で訴えた。
「熱が、そんなにない? 少しあったんですか?」
「あ、あの、急いで行ったので、体温が上がってたんだと思います。とにかく、問題ないと思います。咳が、咳だけが、苦しいんです」

ここから逃げたい。どうしてだろう。
この人は流れ作業のように診察したあの医者よりも、ずっと私のことを心配してくれている。なのにどうしてこの人の話を聞けないのだろう。

だって、もう、限界なの。もう、全部、限界なの。だから、早く―――。

薬剤師の女性はほんの少し、黙って私の様子を見ていたが、やがて、「そうですか、わかりました。でも念のために」と言って、どれとどれが組み合わさると『行き過ぎた』ことになるのかを教えてくれた。「もし、服用しておかしいと感じたら、減らしてください。もし、早くに治まったら、続けて飲まなくて大丈夫ですよ」
そう言うと彼女は素早く薬を白いそれぞれの紙袋に入れて会計をしてくれた。

薬局を出ると辺りはもうすっかり暗く、初秋の静かな冷気が薬局の壁面ガラスから漏れる明るい光を非情に呑み込んだ。舗装を重ねてデコボコになった道を、自転車でガクンガクンと落ちて上がってを繰り返し行く道は、果てしなく暗かった。

二週間後、咳は酷くなっていた。
一度咳が出始めると、いつまでも咳込み、呼吸が出来なかった。苦しくて苦しくて、咳の合間に少しでも息を吸い込む。窒息してしまいそうで、怖かった。

ある時、キッチンで洗い物をしていたらまた、喉が閉まるような感覚がきて、来る、と思った次の瞬間には激しく咳込んだ。私は立っていられなくて、体を丸め、その場にゆっくりと跪き、床に手をついた。喉がひゅうひゅう鳴いた。息ができない、苦しい。辛い。怖い。
体の奥から搾り出て来たように、涙がひとつ、ぽたりと床に落ちた。

泣きたかった。

思いのままに吐き出してしまいたかった。でも、咳が出てちゃんと泣けない。涙で鼻が詰まる。苦しい。苦しい。
ああ、だけど、と瞬間思った。
思い切り泣いて息が出来なくなって苦しんで、結果どうなっても、もう、『ここ』に居たくない。もういい。もうなんにもどうでもいい。
そう思った時、なにかが「コトン」と音を立て、私の中の『底』に当たった。頭にも胸にも、ちゃんと「コトン」という響きの厚みがあった。

―――コトン。

今まで生きてきた人生の中で、私は一番深く、『底』に行き当たった。


ねえ、あたしは一度もあんたのこと「母さん」なんて呼んだりしなかった。だってあたしたち、とても親子とは思えない有様だったじゃない。だからあたしは家を出たんだ。一緒にはいられない。
それなのに、あんたがこの世からいなくなって、あたしは初めてあんたを「母さん」って呼んでる。

だって、知らなかったんだ。あんたを憎んでると思っていたから。
あたし、知らなかったんだ。
こんなにもあなたを愛していただなんて、全然、知らなかった。

ちゃんと話したかった。それだけだったんだ。
ねえ、母さん。




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ある夜のこと

2024-09-16 05:50:00 | Short Short

眩しい。
光が目に突き刺さる。まだ夜中のはずだ。
寝ぼけ眼でその眩しさの訳をつきとめようとするが、目が開かない。ちゃんと開けられないほどの眩しさなのだ。
それは一方向からこちらに向かって来ている光なのか、それとももう自分はその光の中に取り込まれてしまっているのか、それさえも確かめられない。
何という鋭さだろう。

そして今度は閉じようとする瞼の隙間に射しこみ、あらゆる隙間を逃さず隅々までその光で私の体を射抜いている。細胞と細胞の間にある僅かな隙間にまでそれらは入り込み、ひと通り細胞の形を滑らかになぞったあとに突き抜けて行く。

痛くもないし悪意も感じない。かと言って心地よくもなければ愛情や慈悲のようなものも感じない。ただそれは光として存在し、光としての可能性を試しているかのようだ。

しかし私には明日仕事がある。こんな眩しさで今起こされては困る。
ぐるんと寝返りを打ち、光に背を向けてみる。無論、光がこちらに向かって来ているという前提のもとでだが。
そうすると今度は背中から光は侵入し、前面に抜けて行く。後頭部から瞼に向かって光が溢れてくる。
どうしようが眩しいことに変わりはないらしい。

「まったく」
ため息をひとつ。そして微笑む自分。
受け入れるしかないというのは、それが自分にとって厄介なことであっても、何故か笑ってしまうことがある。

夜が明ければまたいつもの日常がやって来て、この光は朝が増すごとにそれらと同化し、日暮れには太陽と一緒にきっと「向こう」へ行くのだろう。
楽観的な推測をしたら少し眠気がやってきた。何でもいいから眠っておこう。

際限のない光の海にたよりない筏で漕ぎ出す。ゆらゆらゆらゆら。何をとっかかりにして漕げば良いのかも分からないが、とにかくゆらゆらゆらゆら。
どんどん深くなる光の中で揺らめきながら闇の隙間に落ちてゆく。もうどこにも辿りつかないのかも知れない。

ゆらゆらゆらゆら。ゆらゆらゆらゆら。
光の中に暗闇を求める不確かな夜。



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水に住む

2024-09-15 01:02:00 | Short Short

鮮やかな魚たちが泳ぐ街。
煉瓦造りの建物はところどころ苔が生え、花々が彩を添える。木々は風の代わりに波に揺れ、僕らが見上げる空に本当の太陽はない。

静かに呼吸をするように人々は日々をやり過ごし、地上のことなど関心のない顔で毎日同じ息を吐く。その泡が虚しいと嘆いて昇っていく。

確かにここは静かで淀みなく、淡々と今だけを眺めていればいい。
でもなにも起こらない。
もう長い年月を僕らは屍のようにこの揺らぎの中に身を潜め、笑うことすらなくなった。

魚たちが行き交うのを、木々が揺れるのを、花々が流れゆくのを、一体どれくらい、ただの傍観者としてやり過ごして来たのだろう。
この街はいつから時を止めたのか。どうして僕たちがここに住むのか。その歴史さえ探しようのない街が、ただ黙りこくって頑なにこの場所に座り込んでいる。

それなら僕らは、そろそろいいんじゃないかと思うんだ。抑揚のない世界に留まり続けるのは、もういいんじゃないかって。

僕は光の方へ泳いで行って地上に上がり、本物の太陽を見てみたい。
風に吹かれ、花が地表に散るのを見てみたい。

僕が歩くその道に、歓喜の足跡を残したい。



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やわらかい靄(もや)

2024-09-14 02:45:00 | Short Short

なにが足りないんだろう。
助けてあげればいいのかな、見知らぬ誰かを。助けてって叫べばいいのかな、見知らぬ誰かに。

ベッドの中で見る夢も道端に蹲って見る夢も、僕にとっては同じことなんだ。
だってその夢は必ず覚めてしまうから。
目覚めた僕の前には、誰もいないから。

夜明け前、泣いている人を見たんだ。
「淋しいの、悲しいの、それが辛いの」
その人は誰かの影に寄り縋って泣いていた。寄り縋る人がいることの意味も知らずに、まるで綿菓子が溶けていくのを憂いているみたいだ。そう思った僕は、やっぱり何か足りないのかな。

ねえ、僕は泣いている君を見ていたんだ。
でも君は僕がそこに居たことを、この先もずっと知らずにいるんだよ。
あのとき、この世界にいたのは君の方なのに、泣くのはちょっとずるいんじゃないかな。

僕にはなにが足りないんだろう。


関連話



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2024-09-12 01:02:34 | Short Short

遠くから見ると小さな鏡のようだった。
奥深い森、ひと気のない湖。
失ったものは全部ここにある。虚構なのか現実なのかはどうでもよかった。

夕陽を隠す雲の端に星がひとつ煌めいて、獣の気配も、鳥の囀りさえもなく、ただ静かに湖面を雲が流れて行く。

つん、と指先で突いたみたいに、サファイアの雫が湖面を打った。
静かの極みにその音が響き渡り、波紋が澄み切った静黙を走る。
その波紋が僕の内側で大きく鳴って、やがて元の静寂に消えた。

僕は確かに受け取った。
「僕の在処」を。


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少年

2024-09-10 13:10:00 | Short Short

こつん、と石を蹴る。少し先まで転がって止まるその石を、また こつん、と蹴る。
日差しの強い畦道を、少年は一人 どこへ行くでもなく歩いている。ついさっきまで、大好きな姉に手を引かれ綿菓子を片手に極上の幸せを味わっていたのに、今は一人つまらなく侘しい気持ちでとぼとぼと歩いている。
少し前から具合が悪くなって里帰りをしていた姉が、田舎暮らしで見違えるほど元気になり、また元の都会へと帰ってしまったのだ。

「・・・、ちぇっ」
日差しが眩しいのと気持ちがしょげているのとで、自然うつむき石を追いながら、こつんこつんと小さな八つ当たりを繰り返す。いつの間にか畔は終わり、林を抜け藪の中をなぜか石だけは蹴り続け、やがて突然空が落ちて来たような気配にハッとし、やっと自分の前にある世界を確かめた。

空は落ちていた。
というより少年の方が空に入ったのだ。その証拠に下界が遥か下に見えている。遠いけれど不思議とはっきりその世界を確かめることが出来た。
見ると畔道を行く姉と自分の姿が見える。さっき駅まで姉を送った時の二人を空から観ている。
・・・なんか、へんやぞ・・・。
少年は集中して記憶を辿った。この状態に困惑したのではない。この状態に覚えがあることに困惑しているのだ。

初めてではない。
そうだ、何度もここに来ている。なのにいつもそれを思い出せず、また下界へと降り、姉と畦道を駅へと向かう。そして ふてくされてここに辿りつく。
ずっと長いことそれを繰り返していたことに少年はようやく気づいた。
「はぁー、どうりでなんか長いこと母ちゃんや父ちゃんに会うとらん気がしとったんや」

もう一度大きく はぁ、とため息をしてから、くるっと振り返ると少年はどこを見るでもなく大声を張り上げた。
「もうええわ! 姉ちゃんのことは気が済んだけぇ、もう帰るわ!」
そしてまたくるっと向き直し、迷わずひらりと飛び出し地上へと降った。

少年の背中を見つめるまなざしが、満足気にゆっくりと瞬きを一度して、その大きな手の中の少年に気づかれぬよう、そっと彼を地上へと降ろす。
幼い執着を解いた少年は顔を上げ、少し大人びた笑みをまだ明るい夕焼けに返しながら、家路を軽い足取りで走っていった。



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石段の先

2024-09-08 11:28:28 | Short Short

ふわりと髪が赤く陽に透けて、その向こうの噴水の飛沫がまた陽に透けて粒立って輝き、時計台が五時の鐘を打って、申し合わせたみたいに鳩が飛び立つ。
黒猫がブロック塀の上をしなり歩き、子供たちが笑い転げて駆けて行く。

黄金色に染まる景色を目の前に、お伽の国ってこういう感じかなぁ、と何気なく振り返ると、後ろには今のぼってきた石段がずっと長く茂みの影に続いていて、これまでの道のりが嘘のように長かったんだと、感慨と共に実感する。

でもこんな景色が見られるなら、少しくらい長くてもそれはそれで、その分素晴らしく晴れやかなものに向かっていたのだと僕はまた前を向き、彼女の赤く透けた髪を見て嬉しくなった。

「ねえ、ちょっと早いけど何か食べに行こうか」
「うーん、今日はもういい、かな」前を向いたままの彼女が言う。
「どうしたの?」
「だって、見てよこの光景。なにもかもが輝いて、なんだか今わたしたちお伽の国にいるみたいじゃない? それだけでなんだかお腹いっぱいなの」
そういうときって「胸がいっぱい」とかじゃなかったっけ。そう思いながらも彼女の横顔に、僕はまた嬉しくなった。

僕たちはふたりでしばらく黙って目の前の景色を見ていた。
彼女の揺れる髪が淡く暮れてゆく。
噴水にライトが点って、また新しいページが開いた。
そのうち隣で小さくお腹が鳴るのを、いつ言うべきかと僕は思いを巡らせている。



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風の夜に

2024-09-07 10:35:05 | Short Short

今夜は風が強い。天気予報を見ていなかったので、激しい風の音に戸惑う。
強く風が吹く夜を、怖いと思う日が来るだなんて、あの頃には想像もつかなかった。

子供の頃は大人たちがそばに居て、子どもたちはどちらかというとはしゃいでいたのを叱られていたように思う。
決まって大人の誰かが「風が吹くと桶屋が笑う」と言ってはその意味を揚々と話した。幼かった俺は「風が吹くとオケラが笑うのかぁ」と意味不明な場面を想像した。
それから地上では地球を何周も渡る風が吹いた。

あいつと暮らしていた時も当然、怖いと感じることはなかった。
何年か部屋をシェアしていたあいつ。元々地元の連れではあったが、一緒に住んでみると、それまでよりもふたりの距離が近くなったと実感したものだ。

あいつは気が小さいくせに男らしさやクールで大胆な雰囲気に憧れていて、何とか自分をそのように見せたくて、結果、それが友人たちには「かわいいヤツ」と映るらしく、あいつの尊厳は別の形に変換されてその存在を護っていたように思う。

今夜ひとりで聞く風の音は、言いようのない不安を含んで俺の夜を脅かす。
理由は分かっている。
そこから逃れるために、もう少しだけ、あいつとの日々を思わせてくれ。

楽しい時間、というお題が出た時、いつも同じ光景が脳裏に浮かぶ。
確か、何人かで海に行った帰りだった。俺たちは当然ふたりで行った車に乗り込み、それぞれの車が途中で別れて行く度クラクションを軽く鳴らした。
高速道路を行く夏。さっき見た海よりも空よりも青い、宝石みたいな俺たちの車。運転席のあいつ。レゲエ音楽が長閑に響く車内。それらを見る視点がぐんと高く昇って、ぱきりと晴れた空の上から走り行く碧を見ているその光景。いつもそう。

その場面が頭から消えてしまう前に俺は布団に潜り込んだ。



〈関連話・言い訳




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薄いベールの向こうから end

2024-08-30 09:50:50 | Short Short

朝、シャワーから出ると《ピンクの象》が来ていた。
油断していたので「おっ!」と一瞬のけぞったが、そう言えば現れてもおかしくはない頃合いか。

今日はいつもと違う出で立ちだ。年明けの挨拶のつもりだろうか、正装しているみたいに厳かに見える。
背中に薄いピンクの上品な凝った織の布を掛け、頭にはビーズで飾られた浅い円柱帽をのせて、いつもよりもいくぶん機嫌が良さそうにのしのしと、いつもよりもいくぶん軽やかにそこいらを踏みつけてまわっている。

新年にピンクの象が来るのは初めてではなかろうか。
背中の布には細部に花や幾何学の丁寧な刺繍もほどこしてあり、金や朱や鮮やかな色どりが、いかにもおめでたい雰囲気を無愛想なピンクの象にふりかけ、少々の違和感を感じるものの、それでもそんな恰好で挨拶に来てくれたのかと思うと、穏やかな陽の暖かさとともに心が和んだ。
それにしてもこの衣装のせいなのか、いつもよりなんだか可愛げまであるように感じる。やはり新年を迎えるというのはこのピンクの象の不機嫌まで軽やかにしてしまうのだろうか。
そう言えばチビピンクは今日は一緒だろうか、と部屋を見渡し「うっ」と息を呑んだ。

窓際でさんさんと光を浴びながら渋めの装飾と織の布を背中にかけたピンクの象が、どっしりと座っていかにも不機嫌そうな面持ちでこちらをじっと見ていた。
「あ、」なるほど。
チビはいつまでもチビではないのだ。ピンクと思った初めの方がチビだったのね。道理で軽やかに可愛げがあると思ったのにも合点がいく。
新年だろうが衣装で着飾ろうが不機嫌なピンクの象はあくまで不機嫌なピンクの象なのだ。御見それいたしました。

チビが軽やかにのしのしとピンクの方へ歩み寄る。相変わらずしっぽを魅力的に振りながら時々ふんふんと鼻を鳴らしている。甘えるようにピンクにまとわりつき、促されてピンクはゆっくりと立ち上がった。
ゆっくりと立ち上がったのだが、なんだかいつもと様子が違う。部屋を歩き回ることもせずチビを守る為に威嚇することもなく、ただじっとこちらを見据えている。不機嫌な眼の奥に、いつもとは違う光が。

そもそも考えてみれば、ピンクが座っているのも初めてのことだ。
目をそらすことも出来ずじっとピンクを見つめているうち、なんだか胸の奥がざわめき始めた。ピンクの瞳の奥から放たれる不確かで微妙な光は、不確かにこちらの胸をかき乱し、そうしてはっきりと確かなことを示唆していた。

「お別れ、なんだね」
ピンクはコクリと首を振ることもなく、シンとした表情でただじっとこちらを見つめている。いつもはシンパシーを感じないなどと思っていたはずなのに、何も言わずともピンクの言いたいことが分かってしまっている自分に少なからず驚き、しかし付き合いはずいぶん長いのだから、当然と言えばそりゃあ当然じゃないか、などとよく分からない言い訳じみた『感情』と呼ぶにはまだ完成されていない ほつれたままの言の葉がゆらゆらと頭の中にただ揺れている。

ピンクはチビと交代するのだ。
そうか、新年を祝う衣装ではなかったか。知らず涙がこぼれ、また驚く。
特に感情移入していたつもりもなく、いつも不機嫌でしかないこのピンクの象が来なくなるからといって、なんら悲しいことなど何ひとつないはずなのに、やがて静かに背を向け遠ざかっていく後ろ姿から目をはなすことが出来ない。

薄れゆくピンクの後ろからチビがまだやはり幼い足取りでついて行く。チビを先に行かせ、いよいよピンクの姿も白く薄くなった頃、ピンクが不意に立ち止まって振り向いた。じっとこちらを見つめ鼻を少しだけ上げ、ありたけの不機嫌をかき集めているかのようだ。

いつものように、見ようによっては寂しそうでもあり、ほっとしているようでもある。ひとしきりの沈黙を交わしたあと、いつもの調子でぷいっと背中を向け、不機嫌にしっぽを2、3度振り、それからピンクの象はあちら側へとすっかり消えた。
交わした沈黙の影から「さようなら」と聞こえたような気がした。




※ご訪問ありがとうございます。
  では良き頃合いにいつかまた。



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星の形

2024-08-28 05:55:55 | Short Short

その日、五芒星を額に刻んだ小山羊が木漏れ日を避けるように、藪の中へ隠れてしまったんだ。カナリアが歌い続けて小山羊はやっと戻ってきたけど、額の星は六芒星になっていた。

とうとうキミに旅立つ時がきたんだね。
ならボクのカナリアを連れて行くといい。きっとキミの力になってくれるよ。
ボクは彼女を小山羊の背中にそっと乗せた。ボクたちは少し見つめ合って、キミははじめて笑ったね。

じゃあ、と去って行く後ろ姿に、ボクは声をかけなかった。
キミが振り返らないのを知っていたから、ボクも黙って見送ったんだ。
少し風の力を借りはしたけれど。

カナリアがずっと額の星を讃えて歌い続けてくれるさ。
彼女は六芒星のメロディを歌ってる。星々がキミの行く道を明るく示すように。

どうかキミの探し物が見つかりますように。
ボクはキミの星の形を忘れない。旅を終えたカナリアがボクの枝に戻って来るとき、きっとまたキミと会わせてくれるだろう。

ボクらはみんな同じ風の音を聞いていたね。
キミは今夜、ボクの木陰に抱かれる夢を見てくれるかい。




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迷路

2024-08-26 20:30:50 | Short Short

こんなに遠くまで来てしまった。そう思っていたけれど、僕は迷路の中を彷徨っていただけなんだ。遠くもないし進んでもいない。
あのとき橋の上でした約束も、あの場所にまだじっと蹲っている。

夢は哀しい。懐かしくて恋しい時間を見せておいて、それを手の中に感じることは決してさせない。
夢は夢。
その名を呼んでもどこにも届かず、目を開けるとそこにはもう名残さえない世界が待ち受けている。
時間が全方向に遠ざかる。ひとりはひとり。

風が吹く。耳元で誰かの声が聞こえた気がした。
「迷うときもあるよ、誰だって」
浅い呼吸と他人事にかわす社交辞令の薄い声。気づいているけど、気づかないふりをするのが礼儀なのかな。

「空を見てごらん」
また誰かが言った。僕は素直に空を見た。今度の声は密度が違ったから。
迷路の中から見る空に区切りはなかった。白鷺がゆったりと渡っていく。
ああそうか、この壁を登ればいいんだ。壁の上に立てばいいんだ。
なんだ、そんなことか。
僕は壁の小さなとっかかりに手を掛け、今一度空を見た。
ここから出よう。

夢は哀しい。でも僕は哀しくてもその夢を忘れたくない。哀しみと決別する苦悩より、哀しみと共に行く道を選ぶ。
ひとりはひとり。でもこの哀しみが僕を支えてくれる。

他人事の言葉はいらない。



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