新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。

薄いベールの向こうから end

2024-08-30 09:50:50 | Short Short

朝、シャワーから出ると《ピンクの象》が来ていた。
油断していたので「おっ!」と一瞬のけぞったが、そう言えば現れてもおかしくはない頃合いか。

今日はいつもと違う出で立ちだ。年明けの挨拶のつもりだろうか、正装しているみたいに厳かに見える。
背中に薄いピンクの上品な凝った織の布を掛け、頭にはビーズで飾られた浅い円柱帽をのせて、いつもよりもいくぶん機嫌が良さそうにのしのしと、いつもよりもいくぶん軽やかにそこいらを踏みつけてまわっている。

新年にピンクの象が来るのは初めてではなかろうか。
背中の布には細部に花や幾何学の丁寧な刺繍もほどこしてあり、金や朱や鮮やかな色どりが、いかにもおめでたい雰囲気を無愛想なピンクの象にふりかけ、少々の違和感を感じるものの、それでもそんな恰好で挨拶に来てくれたのかと思うと、穏やかな陽の暖かさとともに心が和んだ。
それにしてもこの衣装のせいなのか、いつもよりなんだか可愛げまであるように感じる。やはり新年を迎えるというのはこのピンクの象の不機嫌まで軽やかにしてしまうのだろうか。
そう言えばチビピンクは今日は一緒だろうか、と部屋を見渡し「うっ」と息を呑んだ。

窓際でさんさんと光を浴びながら渋めの装飾と織の布を背中にかけたピンクの象が、どっしりと座っていかにも不機嫌そうな面持ちでこちらをじっと見ていた。
「あ、」なるほど。
チビはいつまでもチビではないのだ。ピンクと思った初めの方がチビだったのね。道理で軽やかに可愛げがあると思ったのにも合点がいく。
新年だろうが衣装で着飾ろうが不機嫌なピンクの象はあくまで不機嫌なピンクの象なのだ。御見それいたしました。

チビが軽やかにのしのしとピンクの方へ歩み寄る。相変わらずしっぽを魅力的に振りながら時々ふんふんと鼻を鳴らしている。甘えるようにピンクにまとわりつき、促されてピンクはゆっくりと立ち上がった。
ゆっくりと立ち上がったのだが、なんだかいつもと様子が違う。部屋を歩き回ることもせずチビを守る為に威嚇することもなく、ただじっとこちらを見据えている。不機嫌な眼の奥に、いつもとは違う光が。

そもそも考えてみれば、ピンクが座っているのも初めてのことだ。
目をそらすことも出来ずじっとピンクを見つめているうち、なんだか胸の奥がざわめき始めた。ピンクの瞳の奥から放たれる不確かで微妙な光は、不確かにこちらの胸をかき乱し、そうしてはっきりと確かなことを示唆していた。

「お別れ、なんだね」
ピンクはコクリと首を振ることもなく、シンとした表情でただじっとこちらを見つめている。いつもはシンパシーを感じないなどと思っていたはずなのに、何も言わずともピンクの言いたいことが分かってしまっている自分に少なからず驚き、しかし付き合いはずいぶん長いのだから、当然と言えばそりゃあ当然じゃないか、などとよく分からない言い訳じみた『感情』と呼ぶにはまだ完成されていない ほつれたままの言の葉がゆらゆらと頭の中にただ揺れている。

ピンクはチビと交代するのだ。
そうか、新年を祝う衣装ではなかったか。知らず涙がこぼれ、また驚く。
特に感情移入していたつもりもなく、いつも不機嫌でしかないこのピンクの象が来なくなるからといって、なんら悲しいことなど何ひとつないはずなのに、やがて静かに背を向け遠ざかっていく後ろ姿から目をはなすことが出来ない。

薄れゆくピンクの後ろからチビがまだやはり幼い足取りでついて行く。チビを先に行かせ、いよいよピンクの姿も白く薄くなった頃、ピンクが不意に立ち止まって振り向いた。じっとこちらを見つめ鼻を少しだけ上げ、ありたけの不機嫌をかき集めているかのようだ。

いつものように、見ようによっては寂しそうでもあり、ほっとしているようでもある。ひとしきりの沈黙を交わしたあと、いつもの調子でぷいっと背中を向け、不機嫌にしっぽを2、3度振り、それからピンクの象はあちら側へとすっかり消えた。
交わした沈黙の影から「さようなら」と聞こえたような気がした。




※ご訪問ありがとうございます。
  では良き頃合いにいつかまた。



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星の形

2024-08-28 05:55:55 | Short Short

その日、五芒星を額に刻んだ小山羊が木漏れ日を避けるように、藪の中へ隠れてしまったんだ。カナリアが歌い続けて小山羊はやっと戻ってきたけど、額の星は六芒星になっていた。

とうとうキミに旅立つ時がきたんだね。
ならボクのカナリアを連れて行くといい。きっとキミの力になってくれるよ。
ボクは彼女を小山羊の背中にそっと乗せた。ボクたちは少し見つめ合って、キミははじめて笑ったね。

じゃあ、と去って行く後ろ姿に、ボクは声をかけなかった。
キミが振り返らないのを知っていたから、ボクも黙って見送ったんだ。
少し風の力を借りはしたけれど。

カナリアがずっと額の星を讃えて歌い続けてくれるさ。
彼女は六芒星のメロディを歌ってる。星々がキミの行く道を明るく示すように。

どうかキミの探し物が見つかりますように。
ボクはキミの星の形を忘れない。旅を終えたカナリアがボクの枝に戻って来るとき、きっとまたキミと会わせてくれるだろう。

ボクらはみんな同じ風の音を聞いていたね。
キミは今夜、ボクの木陰に抱かれる夢を見てくれるかい。




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迷路

2024-08-26 20:30:50 | Short Short

こんなに遠くまで来てしまった。そう思っていたけれど、僕は迷路の中を彷徨っていただけなんだ。遠くもないし進んでもいない。
あのとき橋の上でした約束も、あの場所にまだじっと蹲っている。

夢は哀しい。懐かしくて恋しい時間を見せておいて、それを手の中に感じることは決してさせない。
夢は夢。
その名を呼んでもどこにも届かず、目を開けるとそこにはもう名残さえない世界が待ち受けている。
時間が全方向に遠ざかる。ひとりはひとり。

風が吹く。耳元で誰かの声が聞こえた気がした。
「迷うときもあるよ、誰だって」
浅い呼吸と他人事にかわす社交辞令の薄い声。気づいているけど、気づかないふりをするのが礼儀なのかな。

「空を見てごらん」
また誰かが言った。僕は素直に空を見た。今度の声は密度が違ったから。
迷路の中から見る空に区切りはなかった。白鷺がゆったりと渡っていく。
ああそうか、この壁を登ればいいんだ。壁の上に立てばいいんだ。
なんだ、そんなことか。
僕は壁の小さなとっかかりに手を掛け、今一度空を見た。
ここから出よう。

夢は哀しい。でも僕は哀しくてもその夢を忘れたくない。哀しみと決別する苦悩より、哀しみと共に行く道を選ぶ。
ひとりはひとり。でもこの哀しみが僕を支えてくれる。

他人事の言葉はいらない。



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空蝉

2024-08-25 23:07:30 | weblog

気づいたら蝉の声がもうしない。
「そろそろ蝉があちこちでひっくり返る季節が近づいて来ましたね」なんて書こうとしていたのに、季節は容赦なく過ぎて行ってしまう。いつもいつも。

蝉についてはいろいろ思うところのある不思議な生き物のひとつ。
そして空蝉というのは本来の実在が飛び去ってしまった抜け殻な訳だけれど、その抜け殻が何故か多様な表現の場で題材にされる。季節になると画像も出回る。

空蝉を見て人は何を思うのでしょう。この抜け殻の何に心を囚われるのか。
それは、今は無き《そこにあった存在》を肌に感じるからでは、と思うのです。
土に暮らしたこれまでも、飛び去った本体の残り香も、そこにはあるから。
やっぱり不思議。過去と未来が、『今』この空蝉というものに同時に在る。
蝉の抜け殻がただそこにある、それだけなのに。

そのかつてと、新たに飛び立った生命の力の名残を漂わせた、物言わぬ静かな縁取り。
そこで何故だか浮かんでくるのが、
黒田三郎さんの「紙風船」。

「紙風船」
  落ちて来たら
  今度は
  もっと高く
  もっともっと高く

  何度でも
  打ち上げよう

  美しい
  願いごとのように


とても静かに心に響いてくるものが、空蝉の美と重なるのです。
静かの中に全てが集約されているような。
自分の中の騒めきも、大切なものも、
ぽーんと静かに昇っていくような。



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駆ける

2024-08-24 07:41:41 | Short Short

芝生の上に突っ伏して、僕は地球にへばりついた。
寝返りを打って仰向けになる。地球は僕を離さない。当たり前の信頼に心が躍る。ほどよい夕風が土草の匂いをかき混ぜる。

僕の真上で細くシャープに延びていく飛行機雲のお尻の方が、早くもぼんやり太くその道を消し去りながら夕焼け色に染まっていく。
行ってしまった先には追いつけないけど、そこにある軌跡がそこにあったものを見せてくれる。束の間ではあるけれど。

駆けて行くものを見たのはその時だった。
ぼんやり消えゆく飛行機雲と夕焼け空を携えて、馬が宙を駆けて行く。ペガサスでもユニコーンでもないその馬は、千代紙をたくさん張り付けたみたいにカラフルな模様で嘶いた。空の湖に映るその姿を見た青い化身がどこからか現れて、黄金色の光がふたつの影を空に写す。

即座に僕は決めた。微塵の迷いなく、ゆるぎない世界の申し出に誓いを交わす。
風に逆立つたてがみを掴み僕は馬に飛び乗った。なんて綺麗な馬だろう。覗き込んだその大きな眼には、地平線の先がはるかにあった。青い化身が先導する。僕らはいつか見るはずの場所を目指して空をゆく。さっきまで居た芝生が揺れて、そこには僕はもういない。

薄く飛行機雲が道を開け、駆けゆく僕らに白を散らした。



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ヒバリ

2024-08-21 11:43:21 | Short Short

冬の朝、黒いタイツをはいて、こげ茶のお気に入りの革靴に足を通す。玄関のドアを開けて新しい空気を吸い込む時の、あの凛とした気持ち。
冷たい風も短いスカートも、鞄の重みも赤信号も、なにひとつ気にならない。
明るい清々しさと同居するものが語りかけていたことに私は気付かない。
今朝、ヒバリが高く飛んで窓の外に響く声を聞いたそのときの光景を、いつまで覚えていられるのだろうか、と。

今日、小豆を煮てあんこを作っていた。
鍋を木べらで混ぜていたら、あの冬の朝、台所の暖簾を分け何気なく挨拶を交わしたときの、あの高く響いたヒバリの声と鍋に伸びる白い手と甘い香りが綯い交ぜになって、涌きあがるように浮かんできた。

どこかでヒバリがまた高く鳴いたのは気のせいだろうか。私はなにを期待して窓の空へ振り返ったのか。

甘い香りはただぐつぐつと、織りなす景色を幾重にも。


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ご挨拶 / マルチじゃないから

2024-08-18 12:55:33 | weblog

 
2019.06.04 撮影

お盆が終わって寂しいと感じるようになったのは、ここ何年かです。
この16日、送り火をして夜眠りにつき、私は昨日一日眠り続けました。
途中何度か目覚めましたが、少しだけスマホを触り、少しだけ食し、そしてまた眠りました。最近うまく眠れなくて疲れていたのもありますが、ああ今年もお盆が終わったなあ、という虚脱感にも似たものが私を眠らせたような気がします。

もの凄く嬉しいことや悲しいことがあった時、言葉にならない、言葉にできない、と言ったりしますよね。
嬉しい時はまあいいとして、言葉にできないくらい悲しいことやショックなことがあった時、それはどうすればいいのだろう、と随分昔に考えたことがあります。
自分の場合は、習慣というほど読書に精通しているわけでもないけれど、言葉にできないものが、本の中に刻まれていないか、誰かが代弁していないか、共有できうるものがそこに投射されていないかを、怪しげな精神世界、心理学、啓発本や物語の中に探していました。

言葉にし得ないものをどう伝えればいいのか。
難しいですよね。

さて、本来の (?) 長物の創作に戻るため、しばらくこちらは不定期にします。
まだ終わっていない話もあるので、余裕のある時に続きやこぼれ球を時々こちらで書かせていただこうと思います。その時はまた遊びに来てください。
これまでのものも、良ければたまに読み返して頂ければ嬉しいです。

ご訪問くださった皆さま、ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。


※都合により一部書き替えました。(2024.08.29)



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パパの大切な話

2024-08-16 10:43:43 | Short Short

少し前、パパが打ち明けてくれたんだ。
いつもならぼくが泣き虫だって怒るのに、その時はパパも元気がなくて、「ママには内緒だぞ」って少し悲しい顔をして言うものだからぼくは心配になって、でも「ママには言わない」って約束したんだ。
ずっと忘れていた大切なことを、急に最近思い出したんだってパパは言った。

ぼくが生まれるよりもママと出会うよりもずっとずっと昔のある夏に、パパは特別な恋をしたんだって。ぼくは恋ってよくわからないけど、つまりとっても好きってことらしい。
「絶対ママには内緒だぞ、男同士の約束だぞ」ってパパが何度も念を押すので、ぼくも真剣に「わかった」って何度も答えなきゃいけなかったけど、僕はパパの話を聞いて、とっても素敵だなって思って、でもなんだか泣きそうになったんだ。
だから、パパとの約束がなくても、ぼくはママだけじゃなくて、誰にも言わないって決めたんだ。だからみんなも、誰にも言わないでね。ここだけの秘密。ここは特別な《部屋》だから。リンクも貼らないからね。

パパはぼくが大切にしている何冊かの動物図鑑を持ち出してきて、その中から『水生生物』の図鑑を選んでページをゆっくりとめくった。あっちを見てはこっちをめくりと、とりとめなく図鑑を持て余すみたいに、でもきっとパパにはその図鑑が今必要なんだ。これから話すそのことに。

「なあ、パパがお前にこんなこと言うの、おかしいのかもしれないんだけどな」
「なあに? 男同士の真剣な話なんでしょ。ぼく、パパが何を言ってもおかしいだなんて思わないよ」
パパは図鑑から目を上げて、ちょっと意外そうな顔でぼくを見てから、「そうか」って嬉しそうな顔をしてくれた。

「人魚っていると思うか」
「人魚?」今度はぼくがきっと意外な顔をしたと思う。「分からない、でもいればいいなって思う」意外な顔が直っていたかは、ぼくにはわからない。
「そうか」
パパは少し黙って、それからパパの大切な話をしてくれたんだ。

その夏、パパはまだ学生で、海で人魚に出逢ったんだって。
「どうして会えたの?」
ぼくはもしかするとトンチンカンなことを言ったかもしれない。でもパパは静かな様子で答えてくれた。
「どうしてだろうな。パパにもよくわからない。気がついたら、そこに居たんだ」
パパたちはふたりでよく白い浜辺を走ったり海に潜ったり、あまり人目につかないように時間や場所に気をつけながら、楽しく過ごしたんだって。
ある日、パパたちは誰もいない小さな島まで泳いで行って、パパはこのままここでふたりで暮らそうって言ったんだ。
でも人魚さんは、悲しそうな顔になって、
「夏だけの約束でここに来たの。だからあと少しで帰らなくちゃいけないの」
「いつ」
「次の満月の夜」
それでその日がとうとうやって来て、パパたちはお別れしたんだけど、そのことをつい最近まですっかり忘れていたんだって。
「夢を見ていて目が覚める時、その夢がすっと消えてしまうことがあるだろ。そんな感じで、パパは次の日にはもうすっかり忘れてしまっていたんだ」
人魚さんはいつもの岩陰から海に潜って、それがさよならだったんだって。

「今頃思い出して、よかったのかな。本当は、俺がずっと忘れていることも、あっちの世界の約束だったんじゃないのかな。そう思うと、忘れていたことも、思い出したことも、どっちもなんだか悲しいんだ」
パパは本当に辛そうな顔をしたけれど、ぼくはパパを信じて言ったんだ。だって、パパがぼくに向かってはじめて「俺」って言ったんだもの。

「向こうの約束のことはぼくにはわからないけど、でもぼくは、パパが思い出してくれて人魚さんは嬉しいと思うよ。パパが忘れたままだったら、人魚さんはずっと独りぼっちだったかもしれないじゃない」
パパは黙ってうつむいて、少しうなずいたように見えた。

「ちょっとあなたたち、ふたりでなにしてるの。珍しい」
ママがぼくたちを見つけて部屋の戸口で言った。
「今日でお盆も終わりなんだから、きちんとみんなでお見送りするのよ」
「うん、わかってるよ。すぐ行くよ」
ぼくは元気よくパパの分まで返事をした。

「ねえ、パパ。人魚さんはひょっとして、パパに見送ってもらいたくなって、わざと思い出させたんじゃないかな」
我ながらこじつけ過ぎかなと思ったけど、パパはぼくを見て、さっきよりも少しだけ元気を取り戻した様子で、でも笑顔はちょっぴり寂しそうだった。

「行こうか」パパは立ち上がった。
「うん」ぼくも立ち上がった。
並んで部屋を出る時、パパが「お前、また背が伸びたんじゃないか」ってぼくの頭にポンと手を乗せた。
いつものパパの笑顔だった。


ぼくの意見は却下なんだってー。



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森に眠る

2024-08-15 10:20:20 | Short Short

小さな森に月が出る。もう橋の向こうには渡れない。
日没の結界は日の出に解かれるまで森を隠す。森の中から橋の向こうの明かりを探すのはとうにやめた。今日見た川辺の黄色い光が、夜通し私を照らすだろう。
明日はどこへ行こう。見上げた空が細く続く。踏み均した道が私の寝床へ続く毎夜の営み。

此処は『はじかれたモノ』だけがひっそりと暮らす森。
村人の記憶からこの森はいつしか消え、昔話となった。夜が明け、森が朝陽に放たれても、村人たちはもう来ない。人間のいない忘れ去られた森だから。

囁きが風に乗って届く夜、私はかつての暮らしの匂いを嗅ぎ、そして私も忘れてゆく。誰かが夜空に描く名も、どこかで石を積む音も、遥かふたりで目覚めた朝も、この小さな森が隠してしまう。

月明かりの届かぬ場所でひとり眠るこの森は、トネリコの咲く小さな森。
人々の記憶に眠る、美しい物語を紡ぐ森。世界から遠ざかってしまった哀しい森。

月が森にかかる夜、どこかで物語が語られる。《トネリコの森》と嘗て呼ばれた小さな森の物語。


(関連・前話 / 関連・詩)


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笹船

2024-08-14 10:22:00 | Short Short

笹船が川を流れて行く。
流れ着くのがどこかも知らず、ただせせらぎと共に川を行く。広すぎるその川の澄んだ水に差す光が笹船を際立たせ、だから私は立ち止まった。

ああやって、身の丈を知り流れゆくものを照らすのだ、照らされるのだ、と緩やかな流れを見守る。
この何気ない景色の中で、あの小さな緑に気づいたのは一体どちらの手柄だろう。陰に暮らすとつまらないことを考える。

キラキラと行ってしまうものはもうここには戻らない。いつもそう。行く先を見送り、この光景を忘れないでと願ったのは、私か笹船か、と空に問う。
オトギリソウによく似た黄色い花が河川敷に揺れて光の玉のようだった。待ち侘びていたものは、届かない場所へ行ってしまったのだと、光の花が私に囁く。
ああこの輝きは、たしかキンケイギクだと教えてくれた。忘れてしまった遠き日の影も揺れていた。

見えなくなった笹船の、煌めく川面に遠く目をやる。傾く陽射しが陰るころ、蜩がそろそろ森へ帰れと鳴きだした。
心残りは置いたまま小さな森に引き返す。

森に月がかかる夜、どこかで物語が語られる。それはとうに忘れ去られた小さな森の物語。




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エール

2024-08-13 09:17:00 | 

虚像の賊心 恐るるに足らん
灼熱の砂を掴み蠍の毒を飲め
極寒の海に潜り凍える夜を飛べ
悪魔の亡霊と底なしの闇に踊れ

隠された力は未だ目醒めず
妖の悪意に翻弄され
まやかしの善意に惑わされ

握った掌の空虚を見よ
過ぎたる花の朽ち果てん今
亡骸に別れを告げ進みゆけ

断崖の突風に大鷲の影近く
掴んだ枝先の傷滑りゆく
今ぞ秘めたる静寂を聴け
己の内なる清泉を視よ

微笑みの霆 盾裏の剣刃かわし
惑わす雅の企みを泳げ


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薄いベールの向こうから en

2024-08-12 11:05:00 | Short Short

目覚めると《ピンクの象》が来ていた。
あれ、久しぶり。
相変わらず不機嫌そうにのしのしとそこいらじゅうを歩き回っている。

この前来てからずいぶん経つ。
こちらも忙しくしていたので、もしかすると気づかなかっただけかも知れないが、まぁ時期としては今頃がビンゴといったところか。
このところ環境が変わり、自分をよく知る友人たちといささかご無沙汰になっていた。なので久しぶりに訪れたピンクがすこし愛おしいような懐かしいような、いつもよりほっこりとした心持ちで歓迎している自分がいる。勝手なものだ。

それにしてもこのピンク、ここへ来るタイミングはぴんと来るようになってはきたが、一体ここへ来て何だというのだろう。こちらとしては彼(又は彼女)が来ることで、ある種自分のバロメーターになっている側面はあるが、ピンクにしてみればこちらの心情やら何やらがあちらの事情に関係して、それでここへ来るというような関連性があるのだろうか。

今日はどんな様子だろう。
とは言えいつも通り不機嫌の中の薄いグラデーションを窺うだけなのだが。
「ん?」
ピンクの向こう側に何か見えた気がした。
覗き込むとピンクよりもふたまわり程小さな、ピンクよりもすこし淡いピンクの象がヨチヨチと元祖ピンクにくっついてまわっている。
「あぁっ」思わず声が出た。
元祖ピンクがチラッとこちらを見たが、愛想もなくぷいっとまた背を向けのしのしと行く。しかしチビピンクがこちらを見て立ち止まり、短いしっぽをふさふさとかわいい素振りで振っている。元祖に隙がない分、このチビ、たまらなく可愛い。

思わず手を出しかけてふとためらった。触ってもいいのだろうか。
こちら側の我々とあちら側の彼らとは次元が違う。と、思う。次元が違う相手を果たして不用意に触ってしまっては、均衡を保っている何かが崩れるのではないか、そんな気がして躊躇した。
するとこちらの思いを察知したように元祖ピンクが素早くのしのしと間に割って入った。
「あぁ、やっぱり駄目なんだ、ごめんごめん」

それでも元祖は、チビをこちらから見える位置にお尻でぷんっと突いて移動させ、その向こう側をのしのしと歩いて行く。ヨチヨチとチビがついて行く。
なんだ、いいとこあるんじゃない。

久しぶりに穏やかな気持ちで、彼らが部屋中をのしのしヨチヨチ歩き回るのをひとしきり眺めていた。
今日は、すこしゆっくりしていけばいいのにな。



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引き出しの奥

2024-08-11 09:43:21 | Short Short

凛とした佇まいで彼女は自分の名を告げた。
中世的な顔立ちで、切れ長のすっきりとした瞳。細い鼻筋。キュッと閉じた薄い唇。肩まで伸びた真っ直ぐな黒髪を、春のぬるくて、でもまだ冷ややかな風がゆるくさらった。

忘れたと思っていても、引き出しの奥にちゃんとある。
意味を成さなくなっていても、誰のものか思い出せなくても、その場所にはたしかにある。あるんだ。

ベルが鳴る。アナウンスが流れる。
『列車が発車します。ご乗車の方はお急ぎください』
「はやくはやく」と彼女が俺の腕を引っ張る。
「もう間に合わないよ」
「駄目だよ。終電だよ。帰れないじゃん」
俺たちは列車から降りる人の群れに逆らい階段を駆け上がりホームに立ち、無情にも立ち去る四角い後ろ姿を見送った。
「金はないし諦めてベンチで寝るか、コンビニの酒ならちょっと買えるか、とにかく行こうぜ」
「寒いよ。毛布とかに包まりたい気分」
「今度埋め合わせするからさ」
「約束?」
「もちろん」
彼女は少しだけ唇をゆがめ、でも、仕方ないとしか言えない状況が彼女の言い訳になったのか、機嫌を直し「じゃあ、走ろう」と俺の手を引き笑った。「あったまるよ」
俺たちは手を繋ぎ知らない夜の街を、たぶんこっち、といい加減に走り出した。
そのうち汗が出る頃には足がもつれてふたりですっ転んだ。
とっくに酒は抜けてたけど、路上に転んで大の字に空を見るうち、そんな自分たちがだんだん可笑しくなってきて、くすくすとどちらともなく笑い出すと、もう止まらなくなって、夜中の真っ暗な道端でしばらくふたりで笑い転げた。

懐かしいな、若い頃はわけもなくよく笑ったよな。
「ご飯にしましょうね」
俺はその声に振り返る。あれ、この人誰だっけ、ここはどこだ? でもこの人、あいつに似てる。黒髪が綺麗でシュッと鼻筋が通って。なんだ、そうか、俺、この人好きだな。だってあいつにそっくりだもの。
「今日は機嫌がいいのね」
くすりと笑うその顔が、だから昔のことを思い出してたんだな、俺。あれ、今なにしてたっけ、この人、誰だっけ。この人、あいつとそっくりじゃん。

彼女は慣れた手つきで車いすを操り、彼の膝に薄手の毛布を掛け、食卓に連れて行く。もう何年も続く日常の穏やかな朝の繰り返しだった。

俺、この人のこと好きだな。だってあいつにそっくりなんだもの。
「ねえ」俺は思い切って声をかけた。
「なあに?」彼女が背後で笑うのを感じる。
「俺、君にずっといて欲しいな」
「わかってる。ずっといるよ。今までもこれからも、ずっと一緒だよ」
「約束?」
「もちろん」

意味を成さなくなっていても、誰のものか思い出せなくても、その場所にはたしかにあるんだ。今は引き出しの奥に引っかかってうまく取り出せないだけなんだ。
俺は君のこと、忘れてなんかいないんだよ。


関連話


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混沌

2024-08-10 10:05:05 | Short Short

ああ、珍しい。褐色の空だ。
虚ろに思ったら、濁った河淵の木に逆さづりになっていた。
河はごうごと流木をのみ込む勢いで流れている。
僕は力いっぱい腹筋で折れ曲がって、ぶら下がったその枝を掴んだ。
くるんと起き上がった空は、眩しく白かった。

明るい日の中で見る夢はいつも混沌として、過去からの使者が何かを告げるようにそこに居る。あたかもそれは現実のような肉々しさを持って迫って来る。

目覚める前、ここはどこだ、といつも思う。
だんだん意識が戻るにつれ、ああ、此処はいつもの場所なんだと落胆する。
混沌と一緒に遠ざかってしまったものはもう何処にもなく、過去からの使者もそこにはいない。

現実はどんどん進むのに、僕はずっと動けずにいる。
ここに居るのは僕だけだ。それを知っているのも僕だけだ。
ますますあっさりと消えてしまった夢が、そこにしかない願いとなる。

僕はその場所を求め、また目を閉じる。
混沌が顕れ、僕は僕の場所に帰っていく。クラクションが遠ざかる。

濁った河が流れて行く。空が白く、眩しい。




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氷の中から

2024-08-09 10:26:26 | Short Short

氷の中から見る外側は、視界がぼやけていて、光がいっぱい屈折して反射して、とてもきれいだ。この前理科で習ったプリズムってこういうことなのかな。
そして何よりも、ここは守られていて安全だ。

不思議と冷たくはないんだよ。
気づいたらぼくは氷の中にいて、分厚い壁に守られていた。
きっかけは、もう忘れちゃったな。

ここから花火を見たときは、四方八方、ぼくの周りのあちこちで輪っかの光が弾けて圧倒された。それはとても幻想的で、やっぱり全部がぼやけていた。

今はそれくらいがちょうどいい。
はっきりとした世界は苦手だ。
「外の方が鮮やかだよ」って大人たちは言うけれど、鮮やかだからいいとは限らない。

ぼくの氷は時々強い日差しに負けそうになる。みんながぼくの壁に向かって強いものをぶつけては「そんなところから出てきて、一緒に楽しもう」なんて言う。

みんなは知らないんだ。
あやふやでぼやけて、それだから綺麗なものがあることを。それだから守られることがあることを。
雪の結晶が綺麗な形で張り付くことも、花びらがくるくると降りてきて、ピタリとぼくに微笑むことも。

ぼくはちゃんと知ってるよ。
青く爽やかに思い出す日がくることを。
そしたら一緒に笑ってよ。サイダーみたいな夏だったって。ね。




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