新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。季節感は無視。

モミジアオイ

2024-07-31 03:45:00 | Short Short

道路わきにモミジアオイが赤く花を咲かせていた。
寄り道をした先から電車に乗ろうと駅へ向かう途中だった。

近づいてみると、プランターの土は乾き、乾いた土の上にトカゲがピクリともせず陽射しを避けるでもなく、土と同化してそこに居る。
私は祖母の病院への見舞いがてら、喜ぶ顔が見たくて写真を撮って行こうと、カメラを赤い花に向け何枚か撮った。ついでにトカゲもパシャリ。

祖母の家の庭に毎年この赤い花がたくさん咲いていた。
「この赤もいいけどね、形がね、ほら、パっとひらいて一枚ずつがシャンとしてるだろ。それが好きなんだよ」
昔からシャンとしていた祖母が言いそうなことだと、あとで父が笑った。

メール音にポケットのスマホを取り出す。
『すぐ来い、危篤』
電報みたいな父の文言に、私は慌てて駆けだした。
慣れない地域の駅で、電車はなかなか来なかった。通過ばかりが何台も何台も目の前を凄い勢いで通り過ぎるのを、苛立たしく待つ。電車が過ぎると蒸し暑さがその都度増す。汗が止まらない。またメール音。
『まだか、いつ着く』
それからしばらくしてやっと電車が停車した。

病院に着くと、病室から担当医がちょうど出てきて、私に気づくと深く一礼をした。
入れ替わりに部屋に入る。父が振り返り「ずっとおまえのこと待ってたんだぞ」と、怒るでもなくしょげるでもなく、仕方ないな、という顔で私を見た。

「モミジアオイが咲いてたの。それでね、見せてあげようと思って撮ってたら、電車がなかなか来なくて、それでね、だからね、」
私は父にか祖母にか、言い訳をするようにベッドに近づいた。
「見てよ、ほら、庭のとおんなじだよ、モミジアオイだよ。好きだったでしょ」
祖母は生前と同じくらいシャンと口を閉じ、でも目は開かなかった。

それが、屈んで祖母の手を握りカメラの画像を祖母の方へ向けたとき、口元がふっと緩んで、「ん」と言った。
え、と父に振り返ると、そばに居た看護師が「時々あるんですよ。体の中の空気が抜けて、口から音が出ちゃうこと」

多分この人は、私を怖がらせまいと思ったんだろう。でも私は怖くなんかない。そんな説明、いらない。
涙が込み上げるのを、この人が出て行くまで我慢した。

「間に合わなかったけど、間に合ったな」
看護師がいなくなってから、父が言った。
「うん」
「嬉しかったんだよ、きっと」
「うん」

あの赤い花は今年もあちこちで陽射しに負けず咲いている。
あのときのトカゲは干乾びて土に還ったのだろうか、それとも水を得てどこか違う場所に、行きたい場所に行けただろうか。

うだる暑さに蝉時雨が降り注ぐ。
モミジアオイが咲いている。



ブルー

2024-07-30 04:53:53 | 

岩場の片陰、人魚が海へ戻っていく
紺碧の空の陰、ひっそり波間に消えいった

海の底蒼く、仰げば揺らぐ陽炎青く
白き浜辺の幻に、僕らが駆けた足跡か
波がさらった砂の跡、夢の軌跡は辿れない

珊瑚の舞に遥か光月抱く夜
人魚の涙は泡と為り、蒼くたゆたい消えてゆく

小夜の漣詠うころ、僕らは何かを忘れゆく
それがなにかも知らぬまま
海は眠りに落ちていく

人魚はひとり海の底
いつかの夏は輝いて、月が彼らを映す夜
僕らは全てを忘れゆく


僕の中から消えていく
誓った言葉もあの砂浜も
東雲よ今ただ少しこのままで

彼女の瞳が遠のく前に、もう少し



黎明

2024-07-29 05:04:03 | Short Short

いつからだったろう、僕は朝をあきらめていた。
夜が更けるにつれ意識がはっきりとして気分も次第に上がっていく。
なのに明け方、窓に薄い光が見えはじめると、なぜか絶望の淵を見てしまったような気分になる。
その白き光が僕を見つける前に、この世界から離れたくなる。
気づかれないよう気配を消すため布団の中へ逃げ込み隠れる。

あのころの僕は、同じ場所にずっといて、僕自身をあきらめていた。

ある夜、誰もいない深夜の公園で滑り台に上り、殆ど見えない星を見ていた。
そういえば「宮沢賢治」という名の星があると前に聞いたのを、その時ふと思い出した。なんだか変だな、と感じたこともまた思い出す。

人は星である、と誰かが言った。
その星々は各々の人であるから、宇宙の輪廻に人はいて、誰かの命が果てると星がひとつ消えるのだと。巨星去る、とは言い得て妙だと。

でも古来、とあのときも僕は思った。
古来人々は夜空を見上げその星々を謳ってきた。
人はいつか去り、残された人々は星空を見上げ、そこにかつて愛した人たちがいるのだと、願い祈る。

星になる人がいる。
その人だった星は時を同じくして消えると誰が言った。

本当のことなんてどちらでもいいことが沢山ある。
時に星は消え、そして人は星になる。
それでいいじゃないか。
矛盾が誰かのなぐさめになるのであれば。

僕は空を見上げ、宇宙のどこかでいじけて隠れる自分の星に思いを馳せた。
不思議と愛着が湧いてくる。
まったく何やってんだか。出て来いよ。

そして僕が去ったあと、誰かが僕を思って空を見上げる影を想像する。
うん、いいんじゃないかな。

空の端が白々と夜から抜け出そうとしている。
今朝は、この薄明かりが僕を見つけにやって来るのを、もう少し待ってみようか。

空が薄く色づいてゆく。
僕はぼんやりとやわらかな心地で、明けてゆく空を久しぶりに見ていた。




いちょうと私

2024-07-28 07:45:45 | weblog

ベランダに面したガラス戸の向こうに、いちょうの木が見える。
私の与太話にはいちょうがたびたび登場するが、身近に現実にあるからだ。

今住んでいる場所は、都会と呼ぶにはほど遠く、田舎と呼べるほどの緑も不便もなく、駅前だから騒々しくもある。
いちょうの向こうに視線を移せば沿線の高架があり、電車が行くのが見え、振動は茶飯事だ。

電車に乗れば車窓から見える自分の部屋を時々見る。
流れていく景色の一部のその小さな建物の一画の小さな部屋のガラス戸の向こうに、そこにはいないはずの自分の残像を感じることがたまにある。
そういうとき、日々の気配や息遣い、流れていく日常の所作の残り香とも言うべきものこそが、物質として与えられた肉体よりもずっと確かなのではないか、なんて考える。

さて、歯磨きしながら部屋の入口あたりからベランダの方へ目をやると、二枚のガラス戸一杯にひろがるいちょうの木が青々と風に揺れているのが見える。ベランダの方へ近づくと雑多なものが目に入るので、窓いっぱいに木が映るよう距離をとる。
そしてある一点に立つと、不思議と山の中にいるような錯覚が訪れる。なんせ窓いっぱいの緑だから。今ならもれなく『蝉の謳歌』フルサウンド付きだ。

そしてほんの一瞬のその錯覚が、大切なリフレッシュとなる。
部屋の空気がしんと清らかになり、時間や場所や常識や、自分を取り巻く、自分を自分として固定させ成立させていると思わせる様々なものから解放され、びゅーんと意識は空へ昇りもうひとつの視点が自分だけをフォーカスしている。

錯覚の中でそれを錯覚と知りながら、遠くからいちょうと自分だけが見えるその瞬間は、時間という概念を超え、永遠と呼ばれるもののほんの切れっ端に触れたような、風もないのに脹らんだレースのカーテンが肩に優しく触れるような、そんな曖昧な心地良さがある。

雨の降る日は湿った葉の匂いが、風の吹く日は少し寂しげな囁きが、晴れた日には晴れやかな朝の日差しが、錯覚の風景に色を添える。
なんだか「もしもピアノが弾けたなら」みたいだけど。

十分錯覚を楽しんだら、不確かな現実に戻って私の一日を始める。
自分が存在した香をこの空間に刻むために。

   ※ ※ ※

これは2012年7月29日に書いたものに加筆修正しました。当時とあまり変わっていない感覚が殆どですが、今ではびゅーんと意識が空に昇ることはなくなってしまった気がしますね。