そろそろ僕の出番かなって思って走ってきたよ。今日も聞いてね。
学校から帰ると、お母さんがネギを刻んでいた。
僕は急いでランドセルを部屋へ放り込んで、お母さんがネギを切るのを台所へ見に行く。
僕には好きなものが沢山あるけど、その中でもお母さんがネギを刻むのを見るのが、特別に好きなんだ。
お母さんは「おかえり」とちょこっとだけ僕に目を向けてにこっと笑うと、「また見るの?」と呆れたような面白そうな、でもやさしい顔になる。そういうところも好きなんだ。
お母さんはネギを刻む。とことん刻む。どんどん刻む。食パン一斤の袋が一杯になるまでとにかく刻む。新鮮なネギは玉ねぎみたいに目に沁みるみたい。
お母さんは涙を拭いながらネギまみれになって刻み続ける。袋が一杯になったら冷凍庫に放り込む。そして得意そうにいつものひと言。
「これでいつでもパラリと役に立つ」
ふふん、と笑うお母さんはとっても気分がよさそうだ。
「なんでそんなにネギを刻むのが気持ちいいの?」
僕は前から気になっていたことを聞いた。
「きみはなんでそんなにお母さんがネギを刻むのを見たがるの?」
「気持ちよさそうだから僕もとっても気分がよくなるの。ねえ、どうして?」
お母さんは棚の上から煎餅を取り出し、「ちょっと休憩しよ」と茶の間の方へ移ってよっこらしょっと座り込んだ。
僕は冷えた麦茶とコップを2つ持ってあとからついていく。
「とにかく刻むのが気持ちいいのよ。同じ動作を繰り返すうちに早く切る『コツ』がわかってくる。きみにもあるでしょ『コツ』がわかって気持ちいいこと」
「うん、ある。逆上がりが出来たとき、すっごく気持ちよかった」
「ね、そのうちどんどん手際よく綺麗に仕上げて行けるようになるのがまた気持ちいいの。人間ってねキリがないものに弱いのよ」
お母さんは煎餅の袋を力強くガバっと開けて座卓に広げる。全部広げちゃうからいつもあとからシケちゃうのに、それでもいつも全開なんだよな、お母さんてば。
「どうして?」
「うーん、そうだなぁ。好きなゲームしてる時とか、すごく沢山宿題が出て間に合いそうもない時とか、どんな感じ?」
「ゲームは好きだけど、宿題は嫌だ」
「好きとか嫌いとかじゃなくて、今なんの話だっけ」
「キリがないことに弱いって話」
「ずーっとゲームしてたくなるでしょ」
「うん」
「ずーっと宿題が終わらない気がするでしょ」
「あ、そうか。どっちもキリがないからやめられないし、やりたくないんだ」
「そういうこと」
お母さんは満足そうに煎餅をバリンとかじった。
そのあとの話はさすがの僕にも少し難しくて所々わからなかったけど、煎餅をかじりながらお母さんが「いい?」と興に乗るのを、また気持ちよく見ていた。
「人間はね、キリがないことに両極端なの。キリがないから止められない。キリがないから嫌になる。どっちも人間の煩悩を現してるんだとお母さんは思うわけ」
ぼんのうってなに? って聞きたかったけど、麦茶を飲んでいて聞きそびれた。
「快感を手放せない自我。苦悩から逃げたくなる自我。でもね、ある人の快感がある人には苦痛だったり、人や環境で全然感じ方が違うでしょ」
お母さんが相槌を求めて来たので、僕は慌てて「うんうん」とわかったふうに答える。なんとなくはわかるけど、本当にはわからない。やっぱり僕はまだまだ子供なんだな。
「でね、人によって違うんだったら、快感とか苦悩もただの幻だって思えたらいいなって思うの。そういう状況で冷静に、自分にもそのことにも区切りがつけられたら、楽だよねきっと。幻なんだもん。夢の中で夢をコントロールするのと似てるのかな」
「ふうん、じゃあお母さんは、そういうのをコントロールしたいんだね」
煎餅のついた唇でお母さんは、にっと笑った。
「お母さんはね、そういうのコントロールするより、どっぷりはまっちゃう方が性に合ってる。だからネギを刻むの」
僕はてっきり、お母さんはそれをコントロールしたいのかと思って聞いてたものだから、狐につままれた気分になった。
「ね」とお母さんは僕が混乱しているのを満足気に眺めて麦茶を飲み、またバリバリと煎餅を頬張った。
「さ、二袋目のネギやるよ」
「え、まだあるの?」
ぱっと気分が明るくなった。僕もキリがないことにハマりたいタイプのようだ。
「あ、きみ宿題は?」
「今日はない」
お母さんは僕のウソをにかっと笑って許してくれた。「ま、金曜日だしね」
僕はお母さんがまたネギをガツガツ切り刻むのを、なぜかさっきより嬉しい気持ちで見ていた。
今日はちょっと長くなっちゃったな、
「あ、きみ宿題は?」
「今日はない」
お母さんは僕のウソをにかっと笑って許してくれた。「ま、金曜日だしね」
僕はお母さんがまたネギをガツガツ切り刻むのを、なぜかさっきより嬉しい気持ちで見ていた。
今日はちょっと長くなっちゃったな、
またね。