昨晩の激しい雨は途切れることのない降り方で、明け方近くまで雨音を聞くことができた。
実家で暮らしていたころは雨戸にアルミサッシなどなかった。雨戸と障子か木枠のガラス窓であった。よって、外の雨音、風の音、冬には深々と降り積もる雪の音まで聞こえた。
今日は親父の一周忌の法事であった。読経の中に親父の戒名を聞くたびに天の人になったのだと改めて認識した。
朝まで降っていた雨は上がったが、すっきりとした青空は山陰では望めない。しかし、雲の薄い曇天になった。
人の記憶は時と共に薄れていくという。確かに脳細胞は死んでゆくので消えて行く記憶が多いと思う。しかし、不思議なものでおやじの記憶は色あせるどころか鮮明さが増してくる。
年に1回ほどしか会っていない生活が何十年も続いていたが、不思議と会っていた場面はくっきりと思い出されるようになった。脚色されたものかもしれない。
これが心に生きるというものだろうか。
いずれ自分も天に行く時が来るだろう。その後、子どもの心に自分はどんな姿で生きていくのだろうか。
ふと思った。
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