世の中の時間の流れと自分の時間の流れに相違というか差が生まれた時、人は過ちを犯すのかもしれない。最近、自分の思考のみとしか考えられないような事件が多い。ストーカー的な事件、警察が適切な対処をしなかったから起きてしまったと世間は言うけれど、本質が違う気がする。事件を起こすという決断に至まで本人にも相当な葛藤があったと思う。その葛藤中にどうしてバランス感覚を取り戻せなかったのだろうか。犯す事件の重さというものは、その後の人生を考えれば誰でも分かるはずだ。
この時、世の中と自分の時間が狂ってしまうのかもしれない。
政治家の失言もそうだ。実際には本人にとって失言ではなく、そういった思いであるかもしれない。しかし、世の中の流れに同期している考え方を持った人であれば、発言の内容は違ってくるはずだ。今の流れだけではなく、未来を読み取る考えを発信出来るということが政治家である資格ではないだろうか。
時間というものは本来全生命に平等に流れているものである。自然体という言葉がある。あるがままという姿を指す言葉なのだろう。
秋の紅葉でも冬景色でも春の桜景色でも夏の白い雲でも。悠然と流れる自然の時間というものをいつも意識して生きて行きたいものである。
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