人生の終焉とはいきなりやってくることが多い。事故などではなく寿命というものかもしれない。人間の平均寿命とはよくできた指標かもしれない。80代となってちょっとした病気からいきなり死を迎えるということが多いようだ。
今週末に届いた知らせに急遽帰省をして葬儀を済ませた。葬儀の中で在りし日の故人を想い、手の届かなくなった手を最後に握る。そこには暖かさは無く、冷たさの中に元には戻らない時の流れの無常を知る。
思い出の中に人は生きるというけれど、つかむことのできないもどかしさからか、頭の中に故人の姿が固定しない。しばらく時の経過が必要なのだろう。わかっているけれどやるせない喪失感は消えようがない。
写真は亀戸天神で見つけた真昼の月。梅の影に収めた。昼間の月でも空の向こうの深淵を感じることができる。
人の死後はどこに行くのだろうか。様々な説がある。魂に終わりはなく時間や距離のない空間に漂っていくとも言われている。良き人は天国、悪しき人は地獄などと宗教的な解釈や戒めはあるがそれが全てではない。
人は死を迎えると宇宙の星となると考えることはどうだろうか。解明されていない宇宙という空間を魂の行く末に重ねるのは無理があるというものだろうか。
人の魂は輪廻するという考え方もある。死を迎えると魂は体内から抜け出し、しばらく自分の上空を漂う。そして、真っ暗な空間に吸い込まれ、そこで人生を走馬灯のように振り返る。そのあとは明るい光に満ちた空間に漂い出て最高の至福に浸る。その後は輪廻を迎え再び人生を歩みだす。
どの説が正しいのか良いのかよくわからない。しかし、答えはいずれわかるだろう。自分の親父や叔父のように、人はみな死を迎えるのだから。
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