MIYAGI VILLAGE

夏は雷、冬はからっ風、人は義理人情を重んじる・・・。

団塊世代の大量退職を考える

2007-02-10 22:55:05 | 政治・経済
さっきまでNHKの「日本の、これから」っていう番組を見てました。

この番組は、有識者のみならず、一般大衆をスタジオに呼んで自由に討論を行うという番組で、さらに生放送であることから、一般大衆を巻き込んだリアルな議論を行うことができるという点でかなり画期的な番組です。

ちなみに、俺は某テレビ局で、これとまったく同じ番組をその放送局でも行うべきであるということを、その放送局の面接で訴えてたので、それゆえに感慨もひとしおです。やはり、こういった視聴者によりリアルに伝え、そしてリアルに考えさせる番組っていうのをもっと増やしていくべきだと思いますね。今まではメディア→視聴者の一方向でしたが、これからは双方の距離をより近づけていくこと、相互方向的な情報の活用を目指していくべきだと俺は考えるわけです。

俺は社科専でマスコミ学を専門に学んでいたわけではありませんが、政治学を学んでいく上でメディアの影響力は非常に大きいものであることを痛感してるし、メディアを一人一人がどう活用していくかをきちんと考えていかなければならないと思います。そのうえで、こういう番組は大切だと思います。既存の情報を脚色して垂れ流しにする番組が多いですが、やはりメディアの使命たる情報伝達をどのような形で行うのか、メディアは常に自己監視を忘れちゃいかんと思います。

でまぁ、お約束の脱線ですね。

本題はというと、団塊世代の大量退職をきっかけに、自らが働くということを考えるということなんです。

番組の中では、団塊世代はこれからどう歩んでいくべきかいうことが盛んに議論されていましたが、これは団塊世代に関わらず、その他の世代でも同様の課題だと思います。一般的な会社員は60歳で定年を迎えるわけで、そのあとの人生をどう送るべきかというのは、日本国民、全員の課題でしょう。

番組を見て学んだことでは、この問題を考えるときには、まず、二つの切り口に着目する必要があるかなぁと感じました。

一つは、自分単体から見た自分という視点
もう一つは社会全体から見た自分という視点。

NHKの司会進行がうまく、日本経済、日本社会全体から見て、団塊世代はどういった役割を果たしていくべきなのかという誘導が最初にスムーズに行われたために、意見者の多くが社会全体から見た視点で語ることをスムーズに行ってくれたのがありがたかったです。

実際、普段から社会のことを考えて生きてる人間なんて一握りですから。多くの人の、ほとんどの毎日は自分本位に生きて終わる毎日だと思います。それは自分とて例外ではありません。

社会全体から見た自分という位置づけはなかなか難しいですよね。40年近く働いて、やっと労働から解放されるというときなのに、社会はまだ働けと言っている。勘弁してくれ!と叫びたい方々もたくさんいるんじゃないでしょうか。

俺は、それはそれで当然だと思います。遊んで楽しく生きれればそれでいいという考えは理解しやすいですから。しかし、それでは社会が回らないんですよ。今ある社会を維持もしくは発展させていくためには何が必要なのかを常に考えていなければ、現状は崩壊するのです。

少子高齢化が進行し、もっとも心配しなければならないのは日本の経済力の低下です。働く人が減るということはそれだけ生産力が落ちるということに直結します。さらに途上国の発展に伴い、日本の経済的優位性なんていうものは努力しなければいずれはなくなってしまう砂上の楼閣に過ぎない。日常は毎日続くようで、実は日常を守ることほど難しいことはない、俺が安全保障学を学ぶ上で大切にしている価値観の一つです。

いかに、日常を守るか、後世に豊かさを継続させていくか、誰もがきちんと考えて生きていく必要があります。

日本の経済全体を見回したとき、その中心にあるのは間違いなく製造業です。そして、基盤的産業として農業の力をあわせて維持、発展させていかなければ、発展途上国の躍進後に、資源も少なく自給率も少ないこの国の未来はないでしょう。私たちの日常を100年後にいかに継承していくか、今を生きる私たち全員に課せられた重大な使命です。

製造業においては、団塊の世代の方々はいわゆる熟練工であり、その技術は若手が追随しようとしても簡単には追いつけないプロの技であることが多いと感じます。団塊の世代は製造業においては代えの効かない、企業にとって貴重な財産であり、これ以上ない頼もしい戦力です。そんな方々が一気にリタイアしてしまうことは企業にとって、そして日本社会にとって大きな損失です。

団塊世代の持つ技術の継承を普段から行い続けることはもちろんのことですが、継承には時間のかかるもの。団塊の世代の方々は自らの責任に鑑み、ボランティアワークとしての技術の継承、労働力の提供を進んで取り組んで欲しいと思います。ものづくりが好きな人の多い製造業の現場では、もっと働きたいという声も多いですし、研究者に関しては研究は終わることがありませんから、ぜひぜひ継続して仕事を続けてもらいたいと考えています。

俺は、仕事はと苦痛ではなく、生きがいだと思います。団塊世代の方々は、学生運動を乗り越えた先に、自らの希望に沿った進路に進まれた方ばかりではありません。なかには、自らの希望とは違うがやむをえず就職した方もたくさんいるでしょう。今こそ、自分のやりたい仕事を手に入れて欲しい、自分の生きがいを見つけて欲しいと強く願わざるをえません。今の仕事がしたい仕事であればそれを続けて欲しいし、他にやりたいものがあるのなら、それに挑戦してもらいたいと思います。

団塊の世代の再雇用は若い世代の雇用を奪うという声がありますが、俺はそれには疑問があります。団塊の世代にしかできない仕事があり、若い世代にしかできない仕事もある、それら二つは共存できると思いますし、食い合うことはないと思うからです。少子高齢化社会の進む日本経済の維持のためには、労働力の低下はあってはならないのです。団塊の世代のリタイアによって労働力が質的、量的に一気に低下することは避けねばなりません。若い世代だけでは足りないからこそ、団塊の世代を再雇用するわけです。また、若い世代といっても人数は限られてますから、若い世代の担えないさまざまな細かい分野において、熟練の技をすでに身につけている団塊の世代の活躍が予想されます。

そして、団塊の世代が若い世代を育て、次代の担い手に徐々にバトンタッチしていく、これがベストシナリオ。老人力なんて言葉が生まれるような時代ですし、ご老人方でも活躍できる場はたくさんあります。そういった場を創出し、全員とは言いませんが、働きたい方には働いていただく機会をつくっていく必要があると考えています。

働くとは何なのか?その疑問は尽きることはないと思いますが、一人一人が頑張って働かなければこの社会は停滞します、それは間違いありません。自分が働くことによって、社会にどのような価値を提供できるのか、俺たちは常にその疑問を自らに問いかけ続けなければならないでしょう。

一人一人が担える役割は決して大きくはありませんが、社会とは一人一人の集合体なわけで、一人でも欠けてしまったら違うものになってしまう。一人一人が社会を構成する一員であることを強く認識して、現代を生きていくべきでしょう。そして、未来的視点を常に忘れてはならないと思います。

俺は、来年からメーカーで働きますが、これは上記のような視点から熟考した結果です。日本は製造業の発展なくして成り立たない社会、であるなら俺が製造業の中に入って、日本を支えていくしかないだろうと。

もちろん、仕事の面白さがあるからという理由も大きいですが、しかし、根本はこういう価値観なんです。日本の下支えを担っていくという重大な責務を感じながら働いていくことに強い魅力を感じたのです。これほどカッコいい生き方もなかなかないだろうと思うわけです。

若い世代には進んで第一次、第二次産業に飛び込んで欲しいという期待があります。特に第一次産業。俺は、自らの人生で農業を選択しませんでしたが、今就職難に悩む若者には農業、漁業を強くオススメしたいです。ただでさえ自給率の低い日本で、農業の中心を担う中高年の方々がリタイアした後、私たちの食はどうなるのでしょう。ほとんどが輸入食物に頼らなければならなくなるかもしれません。そうなれば食生活に大きな変化がもたらされることになり、日常は大きく変貌してしまいます。食という面からこの社会を支えていく、ものすごい社会貢献のあり方がそこには待っています。後継者不足に悩む農業、漁業の世界に若者が飛び込むことが求められているのではないでしょうか。

常に、自分の働き方には、これでいいのかという疑問を忘れずに、持てる最善の力を尽くす、そんな生き方をしていければいいですね。

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