80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

日々これ口実 (その1)

2017年10月22日 11時59分56秒 | 考える
日々是好日 
よい日。 気持ちよく過ごせる平穏な日。 佳日。


2017年10月22日(日) 雨
・・・今日も、・・・寒い !!

今さら、慌てて生きても仕方がない。
・・・とは言うものの、私の人生はただ一度きり。

見回せば、やり残した事ばかりが眼について、
あれやこれやと迷う日々。
何からやれば、片付くものやら・・・。


先日、駅前の階段で、出会い頭に、お年寄りとぶつかりそうに
なった。
よくよく考えてみれば、当方とても、けっこうな年寄り。
他人のことなど言えた義理ではない。
はぁ・・・(と、溜息)、要注意、要注意・・・。

思えば、私の人生、あれこれ、ほとんど未完成。
せめて、その内の、一つ二つは完成させてみたいものだ。


などと、文章にして、何となく安心、一段落・・・。


何ともはや・・・だ。

・・・ (3)

2017年10月21日 12時07分32秒 | 考える
10月21日(土)

突然、電話が鳴った。
ビックリして跳ね起きると、外はまだ真っ暗。
どうやら、夢か、幻聴だったらしい。

時計は5:30を指している。

どうやら今日も雨らしい。
・・・寒い。


昨晩も氷雨だった。
雲の裏側に月を見る。


今年の中秋の名月、実は、10月4日(水)だったとか。

十五夜のお月さんを眺めるには、半月ほど遅かったようだ。

自由か・・・。
確かに、私は今、自由に生きている。
私を縛りつけるものはいない。

考えてみると、「自由」という奴は、けっこう厳しいものだ。
総てが、自己責任。


誰かに言われ、そのとおりに行動する。
あるいは、成り行きで、ただ何となく行動する。
実際には、そんなことの方が、圧倒的に多いのだが、
考えてみると、それを言い訳にするわけにはいかない。

なぜなら、多くの選択肢の中から、その行為を選び取ったのは、
他ならぬ自分自身であるからだ。


成功も、失敗も、何れも自分の決定した行動から生まれる。
総てに対して、言い訳は出来ない。
それを否定する道も、また選択肢の一つとして存在していたのだ。

ふと思う。
今、体も、そして心も冷え切っているような・・・。

誰かと触れあいたい。
人は、他人と触れあうことで、自分の 「生活感」 を感じることが
出来るのではなかろうか。
そう、人は他人に自分を映し込むことによって、自分の存在を感じ
る事が出来る・・・はずだ。

何か、総てに自信がなくなってきている。
いつものことだか、やることなすこと、総てが、さらにワンテンポ
遅れている。
そんな気がする。

降り続く雨のためか?
急ぎ足に、首筋を駆け抜けていく秋風のためだろうか?


・・・などと、責任転嫁。


・・・ (2)

2017年10月17日 16時45分07秒 | 考える
今日も雨、10月半ばにしては、寒すぎる感じがする。 ()

だからと言うわけではないが、今、何故か、誰かと語り合いたい
気がしている。

しかし、よくよく考えてみると、それで、私は、相手に、一体何を
語るつもりなのか?

私には、他人に語るべきものが、何もない。

「二人暮らしのアパートで、夢を見たのがなぜ悪い?・・・~
昔、そんな歌詞の歌があった。 ~~

仕事・時間・過去・経験・考え方、そして年齢・・・、
総てが異なる同居人二人、話のかみ合うはずもなく。


勉強も良いが、最終的には、それを役立てることが重要なのだ。
それを土台に、どう生きいくかだ。

それが、今の自分には、全く見えてこない。

朝からの倦怠感、昼を過ぎても拭いきれない。
まだ、雨やまず。


信頼関係の欠如か・・・。
そんなことはないだろう・・・と、言われそうだが、
私は今、弟に食わせてもらっているような気がしている。

私のこしらえた総菜は、いつもほとんど手がつかずに残る。

今の私は、他人に 「役立つスキル」 を何一つ持っていない。

弟は今、埃にまみれて働き続けている。
私は、ただ椅子に腰掛けて、コーヒーを飲んでいるばかり。


「お前の時間は過ぎた。気にすることはない」と言われても
それはちょっと無理な話だ。

会社では、Y君をリーダーにまとまっている。
今さら、私が顔を出すべき場所ではない。

私は、そう、考えてみると、共に同じ方向を向いて歩いていく
仲間が欲しいだけなのかも知れない。

人は、もともと不完全な存在だ。
完全に生き切って、なお、不完全な存在だ。
求め求めて、なお届かないものがある。

過去を否定することは、現在の自分を否定することだ。

今、自分を深く掘り下げていくには、少し時間が足りないような気
がしている。
浅く、出来るだけ広く、見回して、気になるものを拾い上げる。
それを考えてみる。

その繰り返し。

自分の思いを生き切る努力をしてみよう。
まだまだ終わるわけにはいかない。


・・・ (1)

2017年10月16日 17時31分16秒 | 考える
人肌恋しい秋の夕暮れ

酒を飲み 紛らす 独り身の寂しさを。

これまでの生きた証と、これからの生きる証を、どこかに残しておきたい。
私の存在に、何か意味があったのか?
良かったか、悪かったかは知れないが、ともかく、私は今、わずかながら
空間を占有している。

まだ何かもの足りない気がしている。
確かに、人が生きていくうえで、完璧ということはない。
それゆえ、とにもかくにも、「今」を生き切ることが必要なのだ。

今を生き切っても、それでやっと始まり、出だしの第一歩でしかない。

人は、誰でもが自由に生きる権利がある。
しかも、その権利を行使できるのは、他ならぬ自分自身、ただ一人なのだ。


行動せねば、何も変わらない。
そう悟ったような気がした。

他人から学んで、変わる人と変わらない人がいる。
それは多分、自分の過去に成功体験があるか、どうかにも関わってくる
ような気がする。
ほんのちょっとした成功体験。
その積み重ねが自信を与えてくれる。


一区切り。

栗原さん。
もう50年前にもなるか。

いつか再会しようと言って、彼は去って行った。
その後、彼がどうしたか、どうなったのか、私は知らない。

彼は、私にこれといって何も言わなかった。
それ故、彼が何を考えていたのか、今では知るよしもない。

しかし、それ故に彼は私の手本、師匠となった。
そんな気がしている。

私は何を目的に生きてきたのか?
これから何をしようとして生きていくのか?

70過ぎた独りぽっちの老人が、ただの意地で生きている。
栗原さんのように生きたい。

少なくとも、このままでは死ねない。

しかし、今さら、昔を振り返って何になるというのか?
何とも、みっともない話ではないだろうかとも。