goo blog サービス終了のお知らせ 

80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

落とし物・忘れ物 その2 (1月・2月のノートから)

2015年04月03日 07時15分34秒 | 考える
まだ1月28日(水)

言い訳・・・。

何か、何か、何か・・・だ。

目的感が薄すぎるのかも知れない。
記録する。 

何も言わない、言ってくれないのだから、黙って、こちらが観察していくしかないのかも知れない。
こちらが積極的にならねば事態は変わらない。


「自分のスケジュール」を明確に持つ。
常に迷っているばかりでは、どうにもなるまい。

食費は銀行から。
何も臆することはない。

最初の決めごとだ。
自分の見栄で認めていなかっただけのことだ。
むしろ有効活用すべきなのだ。 ・・・これも言い訳


言い訳、言い訳、・・・一体全体、私は何がしたくて、どうしようとしているのか?

一体誰に言い訳しているのか?


こんなジジイに誰がした?
・・・って、お前さん自身だろ。


これ以上、「人生」を待っていて、どうするつもりなのだ? 

取りあえず、他人に媚びて生きるものじゃない・・・はずだ。

しかし、何かやっていないと、とにかく不安。


圧倒的な破壊力。

私が1年間、行方不明になったら、誰か私を探そうと思ってくれるだろうか?
人と人との関係性とは何をもって計るのか?

咳き込みながらタバコを吸うのはなぜだろう?


何をするわけでもなく、ただ「裸」でいたい。
とはいえ、それは凄く寒そうだ。


私と一緒にいたら、きっとすぐに飽きてくるだろうな。
考えてみると何も持たない、何も生み出さない退屈な男だ。

自分でもそう思う。

だから人も寄りつかないのだろう。
他人との温度差を感じている。 

しかし、その差が、何によるものかが良く分からない。


それもまた原因の一つなのか。

仕事をしている間は、こんなことは、ほとんど考えなかった。


小人閑(間)居して不善を為す・・・だったか? 
閑(ひま)・間(一人住まい)

教養のない輩は・・・だと碌なことをしない。


1月30日(金)

朝から雪。 思わぬ大雪だ。

感覚的には斜めに流れている。
窓を開けて見ると、上から下に、ひらひらと落ちているだけだ。

見下ろす地面には、すでに誰やらの足跡が点々と幾筋にも続いている。
皆さん今日も仕事らしい。
まぁ、室内作業には、大雨だろうと大雪だろうと関係ない話なのだろうが。

それにしても、こんな日の通勤は大事だ。
出社時点で、かなりかなり体力を消耗してしまう。


今日は「クリーンウォーク」の予定。
8:00過ぎ、O君から「クリーンウォーク」中止の連絡

ちょっと残念だがやむを得ない。
これでは「ゴミ拾い」も何もあったものではない。
「雪かき」すら骨だ。

寒い。 

こんな日は、会社の連中も大変だろうと思う。


1月31日(土)

今日、何を食ったのかの記録がなければ、明日の献立、予定が立たない。

とは言うもののなぁ・・・。

シュウマイ・キムチ・塩辛・・・

食わぬものと分かっていれば、もちろん買わない !! 

もっとも、そう言ってる当の本人も、何は食いたくないのか、分かっていない。


時間をかけて観察。

兄弟、或いは、そう恋人でも、所詮他人であることには変わらない。

私の痛みは、想像は出来ても、実際には、私個人にしか理解できない。


2月1日(日) 晴れ
2月2日(月) 晴れ


眼鏡を外そうと思った。
・・・・
ふと気がつくと、タバコの灰を落としていた。


いよいよ、惚けが始まった(?)らしい。


町に出て、金を払おうとしたら、 財布がない。
着替えてきたので、忘れてしまったらしい。
やむを得ず、ポケットの「ばら銭」で支払う。

う~~~む ・・・ !!


昼間からやけ酒。

磯丸水産で少し早い昼飯(?)。
「ハイボール」+「厚切りベーコン(自分で好みに焼くらしい。)」


弟を働かせて、私は、独り酒場で酒を飲む。 


唄の文句じゃないけれど、・・・後ろめたさと新体験
 (自分で好みに焼く。← どういう比較だ???)

もっとしっかり焼くべきだったかも知れない。


会社では、今頃みんな作業中。  無論、弟も・・・。  


2月3日(火)

遊ぶ金もしっかり決めておく。
無尽蔵とはいかないが、ともかく決める。(これは、気分の問題!!) 

遊んでも、何ら人に恥じることはない。
今まで、ふらふらしていたわけじゃない。 ・・・?

う~ん・・・、どう言ってみても、言い訳にしか聞こえない !!


小さなゴミをつまみ上げようとするのではなく、粗い目のザルを用いて、振り落とすという方法もある。 逆転の発想。

なるほど・・・!! 


ザイアンスの法則 = 接触頻度が増えると好意を持つ。

単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか)は、繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。
1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文にまとめ知られるようになった。
ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則とも呼ばれる。

何度も見たり、聞いたりすると、次第によい感情が起こるようになってくる。
たとえば、よく会う人や、何度も聞いている音楽は、好きになっていく。
これは、見たり聞いたりすることで作られる潜在記憶が、印象評価に誤って帰属されるという、知覚的流暢性誤帰属説で説明されている。
また、潜在学習や概念形成といったはたらきもかかわっているとされる。
図形や、漢字、衣服、味やにおいなど、いろいろなものに対して起こる。
広告の効果も、単純接触効果によるところが大きい。
CMでの露出が多いほど単純接触効果が起きて、よい商品だと思ったり欲しくなったりするのである。

  (ウィキペディア・フリー百科事典)

コメントを投稿