80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

流れゆく刻に

2014年12月14日 20時20分32秒 | 考える
君子は多ならんや。 多ならず。 (論語・子罕第九)
(君子は器用貧乏ではなく、事をしっかり押さえているだけだ。)
あるいは (君子は多くの富を持つべきだろうか。いや、そういう物ではない。) 


自分が、今、何をやりたいのか?


他人を見る。 
他人と付き合おうすると、どうしても自分と相手との溝に気がつかざるを得ない。
それは、思った以上に深く、そして広い溝だ。  

不足感の克服。
自分の現状を正しく理解し、現状を認める。
自分でない何者かになろうと一所懸命に頑張ってきたつもりだが、それで良かったのか?

いずれにせよ、私は、いまだに何者にも成れていないし、おまけに自分自身にも成り損ねてしまったらしい。 


ストレス・・・それは、おそらく 「付き合い方」 が分からないということだろう。
多分、コミュニケーション不足だ。

他人に痛いと言って、自分の痛みが止まるはずも無い。
自分の痛みが、相手に伝わるわけでもない。 

何か、支えが欲しい。
ただ、それだけのことなのかも知れない。


旅に出たい。 何かを求めて、仲間を探して・・・。

仲間?・・・多分、それは幻想に過ぎない。 所詮は、他人なのだ。


チャンスは立ち止まってはくれない。 
「今」は二度とは訪れない。
過ぎ去った時は戻らない。 言い古されたことだ。

本当は、自分がどうありたいのか、ありたかったのかが、一番重要なのだ。

あり損ねたこと、やり損ねたこと、・・・損なったことが多すぎる。


いずれ、肩書きは空疎なのだが、今思うと、一つの目安にはなったかも・・・。
まぁ、それも、今更の話・・・。


空振り・・・、今までも、いつだってそうだった。
・・・まだ、これから先、30年(?)ある。

私なりの、私だけの時間・・・。 (100までは生きる・・・!! )

今から追いかけてみるのも良いかもしれない。
まだ、それほど遅くはないだろう。


などと考えている間も、時間は勝手に過ぎていく。
無論、何も考えていない間にも。

そう、こうして、また、時間を浪費していくのだろうか?


大して意味もない文章で、空間を埋めていく。
これは、ただ、私の生存証明・・・。 

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