80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

放埒 (ほうらつ) の日々 (その1)

2017年10月29日 11時44分35秒 | 考える
放埒・・・気ままに振る舞う。 気ままで締まりがない。
「言葉遊び」 ・・・と、同時に 「言葉学び」
思えば、70年生きてきて、知らなかった言葉の、何と多いことか。


人には、それぞれ、考え方、行動の仕方がある。
それで本人が納得しているならば、それ以上、他人があれこれ指図
したところで、一体、何の効果があろうか?

結局、最後、人は、自分自身の考え方で動くのだ。
と、言うより、それしか方法がないということだろう。

道行く人々、皆さん、行く先が決まっているようだ。
歩む足取りが、しっかりと目的地に向いている。

顧みて、私は・・・?

人生総てにおいて、正答があるとは限らない。
正解があるわけでもないらしい。

年相応に、年寄りとして生きようとすると、当然生活全体が、考え
方を含めて、年寄りっぽくなる。

この所、街を行く若い二人連れの男女が羨ましいと思ってしまう。
また、お年寄りのカップルを見ると、帰って行くところが、定まっ
ているらしいのが羨ましい。

お前にだって、帰る場所ぐらいはあるだろうって・・・?

そう、確かに、有り難いことに、帰るところ、寝る場所はある。
弟がいる。

だが、それだけのこと。
そこには、私を待つ「誰か」がいない。

人は、自分の存在を、誰か他から認められることによって、初めて
「人間」となるのではないだろうか。

そんな気がする。

しかし、もしも私に彼女がいたとして、彼女が不自由になったら、
私はどうする? ・・・どう対処すれば良いのだろうか?

私に介護技術がない。
・・・私に、パートナーがいないのは、それはそれで良かったのか
も知れない。

今の私は、自分一人の(?)ことだけ考えていけばいい・・・。

それだけでいい。

そんな風に考えてみた。


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