4月5日(水) 晴れ 暑い
街角のテレビ占い。
獅子座・・・12位
朝飲みのウイスキー、ちょっぴり飲みすぎた感じだ。
酔いがなかなか醒めない。
ちょい高の缶コーヒーを飲む。
・・・やっと、周囲が見えてきた。
目の前を人が通り過ぎていく。
老人たち、幼児とお母さん、仕事中の営業マン・・・。
いろんな人が通り過ぎる。
向こうを行く女性は新入社員だろう。
心持ち、胸を張って、足取りもしっかりしている。
この人とも、あの人とも、言葉は交わさないが、一応は
これも立派な(?)出逢いというべきだろう。
出逢いは人を選ばない。
ならば・・・。
顔見知りが、私の横を通り過ぎていく。
彼も、行くべき場所がはっきりしていないのかもしれない。
お互い、会釈はするが、言葉は交わさない。
得体のしれぬものとは、深入りしたくないのかもしれない。
変に関係を持つと、後になって、何があるか分からない。
賢明だ !!
私も(私だけか)、そう思う。
最近は、私もそんな風に (どんな風に?) 考えるようになってきた。
老いて、多少の(変な)知恵がついてきたというべきか。
道行く人、総てが、信頼できる相手ばかりとは限らない。
とは言え、本心は、愛するとまでは言わないが、信頼できる相手
が欲しい。
今、私は、そう思っている。
本来なら、若い頃から、ゆっくり、着実に「親友」と呼べる人間を
作っておくべきだったのだろう。
が、それを怠った、あるいは、親友と死別してしまった、あるいは
遠く離れてしまったとか。
理由は別にして、現在、孤独を余儀なくされている人は、意外と多
いのでは。
が、よくよく考えてみれば、それは自分の自由になる人間がそばに
いてほしいという願望に過ぎないだけなのかもしれない。
本心は、たとえ相手が 「悪魔」 でもいい、心底、愛されてみたい
という思い・・・。
残された生存期間のうち、十何年ぐらいならば
(何十年かではない!! …それは、ちょっと勿体ない・・・!!)
悪魔さんに差し上げてもいい・・・などと。
「出逢い」が選択できるなら、私はどういう選択肢を取るだろうか?
70男に、今さら出逢いなぞあるはずもない ・・・とは期待の裏返し。
50年前以降、出逢い損ねて、ずうっと出逢いを求め続けて生きてきた。
しかし、現実、隣で人待ち顔で携帯を睨んでいる男性は私ではない。
誰が、私のような歯無し爺さんを待たせるだろうか?
さればとて、私から出向くような場所、相手なぞあろうはずもない。
今さら、出逢い云々より、50年後、どこで、どんな風に死んでいく
べきか?
と、そろそろ、そんなことを真剣に考えるべき時期なのかもしれない。
街角のテレビ占い。
獅子座・・・12位
朝飲みのウイスキー、ちょっぴり飲みすぎた感じだ。
酔いがなかなか醒めない。
ちょい高の缶コーヒーを飲む。
・・・やっと、周囲が見えてきた。
目の前を人が通り過ぎていく。
老人たち、幼児とお母さん、仕事中の営業マン・・・。
いろんな人が通り過ぎる。
向こうを行く女性は新入社員だろう。
心持ち、胸を張って、足取りもしっかりしている。
この人とも、あの人とも、言葉は交わさないが、一応は
これも立派な(?)出逢いというべきだろう。
出逢いは人を選ばない。
ならば・・・。
顔見知りが、私の横を通り過ぎていく。
彼も、行くべき場所がはっきりしていないのかもしれない。
お互い、会釈はするが、言葉は交わさない。
得体のしれぬものとは、深入りしたくないのかもしれない。
変に関係を持つと、後になって、何があるか分からない。
賢明だ !!
私も(私だけか)、そう思う。
最近は、私もそんな風に (どんな風に?) 考えるようになってきた。
老いて、多少の(変な)知恵がついてきたというべきか。
道行く人、総てが、信頼できる相手ばかりとは限らない。
とは言え、本心は、愛するとまでは言わないが、信頼できる相手
が欲しい。
今、私は、そう思っている。
本来なら、若い頃から、ゆっくり、着実に「親友」と呼べる人間を
作っておくべきだったのだろう。
が、それを怠った、あるいは、親友と死別してしまった、あるいは
遠く離れてしまったとか。
理由は別にして、現在、孤独を余儀なくされている人は、意外と多
いのでは。
が、よくよく考えてみれば、それは自分の自由になる人間がそばに
いてほしいという願望に過ぎないだけなのかもしれない。
本心は、たとえ相手が 「悪魔」 でもいい、心底、愛されてみたい
という思い・・・。
残された生存期間のうち、十何年ぐらいならば
(何十年かではない!! …それは、ちょっと勿体ない・・・!!)
悪魔さんに差し上げてもいい・・・などと。
「出逢い」が選択できるなら、私はどういう選択肢を取るだろうか?
70男に、今さら出逢いなぞあるはずもない ・・・とは期待の裏返し。
50年前以降、出逢い損ねて、ずうっと出逢いを求め続けて生きてきた。
しかし、現実、隣で人待ち顔で携帯を睨んでいる男性は私ではない。
誰が、私のような歯無し爺さんを待たせるだろうか?
さればとて、私から出向くような場所、相手なぞあろうはずもない。
今さら、出逢い云々より、50年後、どこで、どんな風に死んでいく
べきか?
と、そろそろ、そんなことを真剣に考えるべき時期なのかもしれない。