80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風来随想録 (4)  成功について

2015年05月28日 07時14分57秒 | 考える
老人は何かを終えなければならない。

是が非でも成し遂げたい、ねばならぬ信念というか、思い込み。


今までずっと育ててくれた親兄弟、
友だち、先輩、仲間、隣近所の人たち、
私にとっては、見知らぬ行きずりの人であっても、
どこで、どう繋がっているか分からないものだ。  

その繋がりの中で、私は生きている。


が、肝腎の私の立ち位置が、どうも見えない。


老人の生き方が、まだよく分かっていない。
もうすぐ69、・・・多分、私は老人。

で、どう生きていけば、私らしい生き方なのか?
が、このままで終わってはいけない、そういう気がしている。


商売で失敗するのは、在庫が残ってしまうことが始まりだ。

共同作業(→責任回避・・・?)か、何か考えられないものか?
仮説を立てる。
仮説を実現するために、具体的に何をどうするか?
その後をどうするのか?
・数値化する。→ 実現するための期間を設定する。
・イメージ化する。→ 明確化 → 目標設定。

今やれることを、とにかく、やっていく。 
 →何のためにやるのか?

私の在庫は何だったのだろう?
在庫処理には、在庫の中身を知らなければならない。

自分の欲望 (これも私の在庫) を明確化していく。


私の立ち位置は・・・?
 まだまだ老人だなんて・・・
 などと考えていたのだが、
 気がつけば、見た目も、立場も、完全に老人だった。

鏡がそう言っている。


今後、先の見通し (在庫?) がついていない。
(何をやるべきか、やりたいのかが、分かっていない。)

結局、現状維持には納得できていない。

かと言って、現状を大転換出来るとも思えない。

まぁ、その内、おいおいと結果というやつが
出てくるだろう・・・などと。
   
もっとも、積み重ねのない結果というやつがあればのことだが。


このまま人に知られなければ、存在しなかったと
同じ事なのではなかろうか?

もっとも、他人が知ろうと知るまいと、
どうと言うこともなく、私は生きてきたわけだが。

何か出来ることは、やりたいことはないのか?・・・とか。
時、ここに至って、迷いは、時間の浪費以外の何物でもない。 

結局、どう飾り立てようと、行き着く先は同じだ。
思うがままに、わがままに・・・(難しい話だが)。
それで成功できたら、この上ない。


他人が見ていない一人の時に、勉強しているのか、
それとも寝っころがってただ何となく過ごしているのか。
それによって人生は大きく違ってくる。
一人前の人間は受け身でいてはいけない。
       五代目 三遊亭円楽師匠