彼らはその時小学5年生だった。
息子は6年生。
彼らより1つ大きい。
震災当時のことを息子が語り始めたのはあれから丸2年が過ぎたころ。
体育館で卒業式の練習をする予定だったが、
急に予定変更になって体育だったこと。
もし、体育館にいたら・・・怪我してたね、って。
避難場所になるはずの体育館は、天井が落ち、窓ガラスが割れ・・・
住む家があって家族がそろっていて、
体育館から音楽室に場所を移しても、卒業式ができて、
予定通りに入学式ができた息子でさえ、
語り始めるまでに時間がかかったのだから、
もっと被害の大きかった、
家族や、友達や、家や・・その他の大切なものをなくした子供達が
それを語るにはどれほど心の整理が必要で、
どれほどの勇気が必要だったろうかと思う。
語り部の雁部君が
「3月11日の午後2時46分になると誰もが黙祷を捧げます。でも、本当にたくさんの命が失われたのは、何十分後、何時間後のことです。『3 月11日午後2時46分』という切り取られた瞬間だけが震災ではなく、そのあとにも震災はずっと続いていた。こっれは、なかなか想像できないことだと思います。
だからこそ、被災体験を聞いたとき、未災地の人は『そんなことがあったんだ』で終わらせず」、『自分の街で災害が起きたときはどうしよう。あそこは危なそうだ』と、自分ごととして考えて欲しいのです。・・・・」
と話しているところで、
実際に地震がおきたその時間だけが被災地に思いを寄せる時間じゃないということ。
たくさんの人のその時間以降のこと、あらためて考えるようになった気がします。
それから、自分の街では・・・というところも
16歳に。
息子より若い子にたくさん教えられる本でした。
彼らが、当たり前の高校生活も楽しんでくれるといいなぁと思います。
お正月に宮古にいきましたが
その時は息子の発作騒ぎで、それどころじゃなかったので、
あらためて、また訪れたいと思います。
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