以前から、冷却ファンの異音、USBポート不良、メモリの発熱などの症状があり、だましだまし使っていたのですが、ついに今週、電源を入れると「欢迎使用(ようこそ)」の画面あたりで勝手に電源が切れるようになってしまいました。
修理会社に相談してみたら、おそらくマザーボードの異常で、日本ではメーカーにも部品がなくて直せないらしい。
留学して半年ぐらいで出会い、楽しい時も苦しい時も、ずっと一緒にいてくれた相棒でした。
最後の半年は、そんな症状を抱えながら、D論執筆を最後まで頑張ってくれた。
愛着もあるので直るなら使い続けたいけど、修理代が5万円を越えるようなら新しいのを買うのもありかなとも思ってしまう。
むかしのiBookがあるのでMac派に乗り換えようかね。
すっごい遅いですけど、明けましておめでとうございます。
相変わらず不定期更新で、微妙な話題ばかりかと思いますが、今年もご愛顧頂ければ幸いです。
さてさて、新年だ。新年だ。
今回は久しぶりに日本で年末年始っぽいことをいろいろできて楽しかった。
年賀状書いた。年賀状。数年ぶりに。5枚くらい。
何人か、数年前に年賀状を頂いたにも関わらずお返事を出してないという失礼をやらかしていたので、それを発掘してお詫び方々年賀のご挨拶をさせて頂きました。
あと今回出してなかった人からも年明けに届いたので、返事を出した。
いやー、頑張った頑張った。
本当は留学前に手間をおかけした中国語の先生方にも出そうと思ったんだけど、住所がわからなかったので割愛させて頂いた。
春節までにわかったら、中国から出してみようかな。
12月29日:裏の畑で大根に土をかけた。
地上に出てる部分を保護しないと霜が降りてダメになっちゃうらしいので。
ふだん足腰使ってないから、股関節が張っちゃって、翌日から立ったり座ったりが辛かった。
でもいい汗かいた。農業も楽しいね。半年に1回くらいなら。
1月1~2日:母方の実家(横浜)へ。
最後に行ったのがばあちゃんの四十九日だから、ほぼ4年ぶりかね。
うまい肉とか酒とかご馳走になったうえに、お年玉もらってしまった。
もう親戚の子とかにあげなきゃいけない歳なのにな~と思いつつ、頂けるものは頂いておこうと懐に入れた。
それから家族と中華街&山下公園へ。
海はいいねー。広くて大きい。何も考えずにただボーっと眺めていられるものって、他に思いつかない。
中華街は相変わらずガヤガヤしてた。街角で甘栗を売る若い中国人って、前からいたっけ?やたら多かった気がする。組織的なものを感じる。
角煮のことは扣肉(Kourou)というらしい。四角いからかな?
1月4日:実家の近所にあるインド料理屋でカレーを食べました。
以前から時々前を通りがかっていて、入ってみたいなーと思ってたけどきっかけがなくて、おせちに飽きた頃に行ってみました。
マトンカレー(950円)+サフランライス(300円)
具が多くて、ドロっとしてて、香りが強くてうまかった。肉は少し固かった。
辛さは5段階からお選びくださいとのことだったので、一番辛いのを頼んでみたところ、メーヤウの★4.5個くらい。
まあ合格だ。
1月9日:自室の掃除
本当は年末の方が年の瀬って感じがしてよかったんだけど、別のとこで疲れたので、出国前夜に慌てて掃除機をかけました。
あと溜まっていたゴミを階下に出す。誰かが持っていってくれるだろう。うんうん。
1月10日:
成田での、最後の昼飯はカルボナーラにしました。
和食はいろんな所でご馳走になって、満足だったので。
温卵つきで1,080円。値段の割りに量が少ない。まーこのあと機内食も出るから、ほどほどでいいんだけど。
キノコと玉ネギも入ってるー。クリームによく合う。
キッチンを挟んで裏側にももう1件パスタ&ピザの店があった。厨房は共有なのだろうか。
他にもあちこちお邪魔して、書ききれないのですが、とりあえずそんな感じで充実した帰国となりました。
たくさん励ましも頂きまして、ありがとうございます。卒業後も中国にいることになりそうですが、いまの条件を出来る限り活用して、前向きに頑張ろうと思います
チケットの半券を機内に忘れてきたようですが、問題なく入国できました。
こたつでミカンをつまみながらインターネットしつつ、学会発表のパワポをいじったり、父親に数学Ⅰを教えたりしております。
日本は暖かくていいね~。天国のようだ。
でも学会での口頭発表を控えて、どこか緊張した気分です。
2月11日に中国へ戻ります。
もう少しゆっくりできるかな~と思っていたのですが、諸般の事情により、仕方ない。
あまり長居してもダラけるだけなので、ちょうどいいのかもしれません。
先日、無事に長春へ帰り着きました。
今回は平日だったので、CA(中国国際航空)の北京経由で帰りました。空港税、ガソリン代含めて片道61,440円。毎度のことながら、高い。往復で買った方が片道より安いというのも驚きでした。
長春は朝晩まだ若干肌寒いものの、晴れた日の昼間はジャケットがいらないくらい暖かくなります。雲南も含めて約2ヶ月空けたことになるから、寮の自室にはだいぶホコリが溜まっていました。
学内のネット使用料が切れていて接続できなかったのですが、ちょうど清明節(24節季の一つ。墓参りしたり凧揚げしたりする)で連休だったため、支払いができずにいました。
今年から制度が変わって、10月の国慶節の連休が短くなる分、こういう細かい連休が増えるのだそうです。日々研究の大学院生にはあまり関係ありませんがね。
文化広場は毎日凧が揚がってるけど、そう言えば昨日はたしかにいつもより多く揚がっていたような気がします。凧を売ってるおばちゃん達は繁盛して喜んでいた。
家族をはじめ、帰国中にお世話になった皆様、ありがとうございました。
後半は実家でグータラ過ごしたこともあり、小学校のとき夏休みが終わってしまう頃に感じたような、物悲しい気持ちを久しぶりに味わいました。
帰国中はこの日記すら書かないほどのグータラぶりだったので、今になって詳細に記述しようかな~とも(チラッと)思ったのですが、やっぱり面倒くさいので穴だらけのダイジェストでご勘弁ください。
3月19日
かかりつけの歯医者へ。僕は歯垢が歯石化する速さが人の倍以上らしく、帰国のたびに削ってもらいます。こまめに歯磨きはしているのですが、どうしても磨き残しがあるようで今回もだいぶガリガリやられました。
医者が「ちょっとチクチクしますよ~」と言うだけあってかなり痛いです。でも取らないと歯槽膿漏になるらしいので、「30分ほどの辛抱だ」と別の楽しいことを考えながら我慢することにしています。
僕はいつも一度で済ませてしまうのですが、同じ病院へ行った父によると、普通は上下別に、数回に分けてやるのだそうです。
3月20~24日
福井のシンポジウムにお邪魔して、中国からの来賓の通訳などお手伝いをさせてもらう。せっかくだから何かプレゼンすればよかったな~とずっと後悔しています。
ドン先生からは雲南にいた時に「お前も例の頭骨のことを話せ」と言われていたのですが、何だか怖じ気づいて「パワポを準備する余裕がないから」と遠慮してしまいました。
ネタになる材料はいくつかもらってるんだから、話せば人前に出る場慣れのためのいい機会だったろうし、記念品もらえたし、講演料を学費の助けにできたし。
今なお残る悔しさが、「次こそは」と今になってパワーポイントを作る原動力になっていたりもします。研究内容で金が稼げるようになりたいものです。
あと、去年の夏休みの発掘バイトで知り合った顔ぶれに再会できたのは嬉しかったですよ。正直名前はほとんど思い出せませんでしたが。
3月25~26日
早稲田の謝恩会の二次会にお邪魔して、徹夜カラオケ(途中少し寝た。徹夜に耐えられないことに年齢を感じた)のあと、恒例(なのか?)築地で寿司を食う。
築地の寿司なんて初めて食べたけど、僕は違いのわからない男なので何でも美味しいです。路上で配ってた500円引き券をもらっておいたのは大きかった。
それからどういうわけか同期のS家氏のお宅(最近引越したらしい超高級マンション)へお邪魔することになりました。
エントランスがホテル並みに豪華な造りのくせに、エレベーターの内装がまだ済んでなくて保護材みたいのが貼られたままだったのは可笑しかった。
ベランダからはベイブリッヂが見える広いリビングにフカフカの絨毯がしかれ、ハイビジョン対応のワイド液晶の大型テレビで「ちりとてちん」を見ました。
ご好意に甘えてシャワーまで浴びさせてもらい、サッパリした所で池袋へ向かう。
北口を出てすぐの所に中国人御用達の航空券安売り屋があることを前日に聞いていたので、どの程度のものか行ってみました。
雲南省にいた時は、成田から長春へ戻る航空券までは手配する余裕がなかったのです。
その店が入ってるはずのビルはすぐ見付かったけど、入り口がわからなかったので、1Fにある果物屋のおじさんに聞いたら親切に教えてくれました。
思っていたよりは小奇麗な事務所で、受付のお姉さんはみんな中国人。日本語でもいいのかな~と思いつつもせっかくだから中国語で聞いてみる。
ニコリともしないやり取りが中国人らしくて懐かしい。教えられた値段は日本の格安航空券サイトよりかなり高かったので、「もう少し考えてみます」と言って店を出ました。
それから新宿の伊勢丹で高校の部活の同期(以下M)と待ち合わせて、去年結婚した別の同期(以下A)の新居へご挨拶に向かう。
本当は僕の帰国(予定)に合わせて結婚お披露目パーティーが3月8日に開かれたんだけど、僕の帰国が延びたため出席できなかったという失礼をやらかしているのです。
伊勢丹の場所に自信がなかったので、東口の交番で聞いたら警官の説明がえらく無愛想だった。中国人並みに不機嫌そうに、かったるそうに教えてくれたので「あ、そうっすか。どうも」と言い捨ててやった。んもう、せっかくいい気分だったのに。
Aのお宅でお嫁さんにご挨拶し(この時初対面だったのに、「ご結婚おめでとうございます」と言うのを忘れた。あちゃー。)AとともにMの運転で、去年死んだ高校の同級生の墓参りへ。
車に揺られてウトウトしてるうちに到着。花代くらいは出すよ。
墓参りの作法なんて教わらなかったな~。ちゃんと出来るようになっておかないと、恥ずかしいよねー。
なんつっても、人間、死んだらそこまでだからね~。僕はここ数ヶ月ジタバタもがきっぱなしでしたが、生きていられることだけでも十分幸せなのかもしれないと、ふと思いました。
今後自分が就職して、歳を取って、どんな風に最期を迎えるのか思いを巡らせてみたけど、うまく想像できなかったし、なんとなく考えたくなくなったので、やめておきました。
またもウトウトしてるうちに再びAのお宅へ到着。ケーキをご馳走してもらい、お嫁さんと4人でパーティーのビデオを見ました。
手作り感あふれるパーティーで、みんな幸せそうで、なんか「いいなぁ」って感じがした。結婚とか、友達ってこうあるべきだよな~と。僕の送ったお祝いの言葉も喜んで頂けたようです。
その後はMの新居へお邪魔して、手作り牛筋など日本食をいろいろご馳走になりました。なんか悪いね~、今回お土産持ってくるの忘れたのに。次回は浙江省の本場紹興酒か雲南省の手作りトウモロコシ焼酎を持って来れるように努力します。
ハードディスクに録画されたアド街など見つつ、いろいろ話せたのは楽しかったですよ。どんな話題だったかは断片的にしか思い出せませんが。
余談だけど、ハードディスクに録るとビデオテープみたいな画像の劣化がないから、いま現在放映されているものなのか否かわからなくなって変な感じ。
一晩泊めてもらい、翌日の昼頃、Mの出勤に合わせて家を出る。
3月28日
実家の近くのH田病院へ向かう。僕が受診するのではなく、長春で知り合った友人の親戚が「中国では治せない」と言われたらしく、「日本で治せる病院を探して来てくれ」とカルテとレントゲンを預かって来たのです。
会うたびにいろいろご馳走してくれるありがたい友人なので、なんとか力になって恩返ししたい所。とは言えこんな難題が出されるとは思ってもいませんでした。
帰国時に税関で携帯品リストを書かされた時、持ち込みOKなのか分からなかったので、「他人からの預かりもの」に「カルテとレントゲン」と書いてみたら、税関職員さんは笑って「どうぞ」と通してくれました。
この病院は比較的実家に近くて大きな病院で、過去に僕もかかったことのある病院だったので電話してみたら、「中国出身の医師もいますし、とりあえずご相談には乗れますので、いらしてください」と言ってもらえました。
あとで別の国立病院にも行ってみましたが、「個人情報保護のため、患者本人の委任状がないと取り扱えないんです」と門前払いでした。まあ気持ちはわかるがね。最近いろいろうるさいんでしょうな。医事科の職員とおぼしきお兄さんから、丁重なお断りを頂いてしまいました。
ちなみに国立病院では、相談するだけでも保険証が効かずに1万円くらいかかってしまうらしい。
そう考えると無料で相談に乗ってくれたH田病院は、なんと親切だったことか。カルテはほとんど中国語だったから、中国人医師がいたというのも大きかった。
問題の、治療できるか否かは、あまり良いお返事を頂けませんでした。カルテやレントゲンを見る限りでは、既に北京の病院でかなり高度な手術を施しているので、日本に来ても治るかどうかは断言できないのだそうです。
また、日本の医療保険が使えず莫大な医療費がかかるので、もし治療するにしても相当の負担を覚悟しなければならないと。あと渡航のためのビザ手続きもいろいろ面倒が予想されると。
う~む、病気って本当に大変だよねー。墓参りの時といい、健康でいられる自分がものすごい幸せ者に思えてきました。
残りの日数は、実家のコタツでYouTubeやらニコニコ動画を鑑賞しつつ、たまに頼まれた品を買いに出たりしつつ、ぐーたらグータラ過ごしました。
見てた動画は主にまんが日本昔ばなし、One Piece、トランスフォーマービーストウォーズ、あと昔フジテレビで深夜にやってた「お厚いのがお好き?」という古典的大著ざっくりおさらい番組。
マイリストに登録した昔ばなしは、「ひよりみどん」「天狗のちょうちん」「鯖くされ石」「塞の神と厄病神」「大からす」「勺島」「そうめん地蔵」「としくらべ」などです。
http://www.nicovideo.jp/mylist/4419664
そんなこんなで、実り多き帰国でしたとさ。
7月15日に帰国して、19日から名古屋・福井に行っていました。
15日は台風のせいで長春の空港にて8時間待たされました。
名古屋では「恐竜大陸」に来日される中国の先生方の通訳、福井は博物館の発掘バイトをしてました。
手取層群を見たのは初めてでしたが、地質や化石だけでなく発掘現場でどう立ち居振舞うべきかなども大変勉強になりました。
各地の他大生とも交流できて、有意義な日々でした。
8月12日に埼玉の実家へ帰り、しばらく私用でバタバタしていました。
それがひと段落したので、自室の掃除に着手しております。
ちょっと中国に持って行きたい物があって探していたら、室内に不要物が大量に蓄積されていることに気付いてしまい、少し時間もあるし片付けようと思い立ったのです。
やってもやっても終わらない。
父がヤモリを捕獲したそうです。部屋の絨毯にいたんだとか。
スケールは爪楊枝です。う~ん、画質いまいち。
・足の指は前後とも5本。
・指の先が膨らんでいる。爪はない。
・裏はベタベタしていてタッパーの縁にくっつく。
・ピンセットでつまむとキューキュー鳴く
・まぶたがない。
・肌は茶色と灰色の中間で、光沢がない。
・動きは鈍く、尻尾が切れない。
飼い方も調べたけど、可哀想だから逃がすそうです。
幼体の骨格標本は惜しい気もしますが、まぁかわいそうだから。
ちなみに中国語では「守宫」と書きます。
宮殿を守るのね。皇帝のお墨付きですね。えらいのね。
実家の猫(黒いの)です。
警戒心が全くありません。前回の帰国(初対面)から半年もたっているというのに、のどを鳴らしてベタベタまとわり着いてきます。
毛がフサフサです。先日机の下で寝ていてしっぽしか見えなかった時、でっかい毛虫かと思いました。
人恋しいようで、常に人間がいる所へ寄って来ます。もしくは暑いので玄関の冷たい床に寝そべっています。
彼の最近の趣味は、ゴキブリを捕まえては半殺しにして放置しておくことです。
やっと僕のパソコンを実家のネット回線につなげられるようになりました。
あさって中国に戻るのに。
秩父の地質調査実習でズボンのポケットに入れたままガケを登ってたり、卒論でズボンのポケットに入れたまま深みにはまって水没してたりしたから、まあ当然といえば当然なのだが。
近所の電気屋に修理に出したところ、2万円という見積もりが返ってきた。新しいのを買った方が良さそうなので修理はキャンセルし、そのデジカメは返してもらうのでメーカーから戻ってきたら電話をください、ということになっていたのが6月23日。
待てど暮らせど電話がかかってこないので7月21日に電話してみると、すでに廃棄処分されたという。「そういうお話でしたよね?」と。
いや待てと。
「予備としても使えるし、メーカーから戻ったら電話をくれるという話でしたよね?」と抗議すると、「6月23日の電話で処分の確認はしたはず」と。
いわゆる「言った言わない」である。平行線である。
そのことを議論しても廃棄されちゃったものはしょうがないから、妥協案を探しましょうと切り出してみた。例えば、店頭で展示されてて売り物にならなくなったようなやつでもいいから、代わりにくれないかと。
上司に相談してみるそうで、対応が決まり次第連絡をくれることになった。
中国行きに間に合うかな?と思って、一応父にそのことを話しておいた。僕がいない間にコジ●電機から電話が来るかもよ、と。
そしたらあの父親は、自分からコ●マ電機に電話したらしい。
父「担当者はいるかい?」
店員「今日は休みです。」
父「その上司はいるかい?」
店員「それも休みです。」
父「じゃあそのまた上司はいるかい?」
で、話したところ、「代わりのデジカメを一台差し上げますので」ということになり、もらってきたそうな。400万画素。僕が修理に出してたのは320万画素。
「まあこの程度のことで裁判沙汰になっても、お互いつまらないですから、穏便に済ませた方がいいと思いますよ」と言ったらしい。
敵に回したくない相手である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyoko_thunder.gif)
①右足を斜め後ろに引く。右足のつま先が左足のかかとの後ろに来る感じ。
②両足のかかとを軸に、体を180度反転させる。
③右足を引き、両方のかかとを合わせる。
両腕は伸ばしてからだの脇に。手も常に指を伸ばして、中指がズボンの縫い目に重なる感じ。
ポイントは③の後にかかとの位置が最初とずれていないこと。(図の水色の線参照)
開始から1時間くらいして、突如、丈の短い服装の女性が4人現れました。中年さん達は慣れた感じで楽しそうに会話してましたが、自己紹介によるとコンパニオン嬢らしい。お酌したり場を盛り上げたりしてた。
初めて見た生物だ。そうでもしないと女の子がいないという境遇が悲しい。
2次会はカラオケ。30代の方々のお歌いになる曲は1コもわからず、とりあえず手拍子だけ合わせて盛り上がってた。疲れた。
今回幹事をしてた人は、去年コンパニオンとして呼んだ女の子と結婚したらしい。世の中は不思議で一杯だ。その人が言うには、今回のお嬢さん達は「仕事で来てる」という雰囲気を出しすぎててイマイチらしい。
どう振る舞ったらいいやらよくわからなくて大人しくしてたら「人見知りなんですか」と言われた。みんなよくそんなにたくさん話すことがあるもんだな。
しつこく言い寄るダミ声の中年にも嫌な顔せず応対してて、大変な仕事だなぁと。4人で2時間で5万円もらってた。
カラオケボックスに泊まろうと思ったら午前3時までしか開いてなくて、本川越のカラオケボックスに泊まることをすすめられた。1駅140円。最初からこっちまで来れば良かった。
腹が減ったのでコンビニで500円分くらい食糧を買い、カラオケボックスへ。フリータイムで税込み924円。カプセルホテルと思えば安いか。しかし寒くて眠れず、暖房も効かないので、しょうがないからずっと歌っていた。
4:54本川越発の始発に乗り、やっと帰り着いた。もう4月なのに今朝は寒い。