関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

震災ボランティアで「泥を落とす」~切なさと希望と~

2011年06月21日 | 活動報告

 6月21日(火)、党鶴岡地区委員会のメンバーの一人として、仙台市宮城野区に大震災救援ボランティアに行ってきました。

 朝5時半に鶴岡を出発、渋滞と道の間違いで到着予定時間を超過してしまいましたが、現地ボランティア本部では、各地から続々と到着するボランティアに、手際よく役割を与え、次々と現場に送り出していました。

 私たち5人は、「アルバムなどの泥落とし」という作業が割り当てられました。
自転車で10分ほど移動、コミセンのような建物の最上階4階が作業会場でした。
 普段は大会議室か展示場のように使われているのであろう、300~400㎡ほどもある天井の高い部屋が衝立で仕切られ、4分の3位の広い方に作業が済んだアルバム・写真・位牌などが広げられています。
 残りの4分の1の方に、ボランティアが取りあえず泥を落とした写真を載せるための、タオルが敷かれた4段のスチール棚や、奥行き一間ほどの低い台が並べられています。
 その奥の屋外階段の踊り場のような場所にブルーシートを敷いて、作業を始めました。
 歯ブラシ、その親分のような洗車ブラシ、濡れ雑巾、乾いた雑巾、水を張ったバケツを使って、主にアルバム・写真の泥をひたすら払う作業です。

 4時間ほどの作業で何冊のアルバムを手にしたか判りませんが、一冊一冊に、被災者のご家族のかけがえの無い生活が刻まれていました。
 本来ならご家族以外が目にすることはないハズのものです。
 心を無にして内容を気にしないように、などということが出来る訳も無く、何とも申し訳無い気持ちに苛まれながら、ページを捲って作業を進めました。
  5人それぞれ同じ気持ちのようで、たまに作業と関係ないことを口にするぐらいで、皆黙々と作業しました。

 アルバムの写真を覆うフィルムの中にまだ海水が残っているものもあり、フィルムの外の泥を払うとその海水が動き、中の写真がドロドロと流れて消えることもありました。
 災いをもたらした海水が未だに生きているようで、何とも禍々(マガマガ)しい感じがしました。
 そのような訳で、汗ばむ陽気の中で時折強い日差しに照らされる作業となったことだけでなく、精神的にもかなり疲れる作業となりました。

 しかしながら、感銘を受けたのはボランティアセンターの方々の働き振りです。
20代、30代と思われる方を中心に、ざっと30人位の方が本部の体育館の各所で自分の持ち場を守っていました。
 ボランティアの受け付け、作業の説明、作業用具などの手配などなど、どの係の人もキビキビと、ハキハキと、懇切丁寧に、ボランティアに応対していました。
 出発するボランティアには、みんなが「いってらっしゃい!」、戻って来た人には「ご苦労様でした!」と、広い会場(体育館です)の隅々から沢山の声がかかります。

 普段の生活でも、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と声がかかることはありますが、やはりそれらとは異なった、心に響く言葉です。
 とても爽やかな気持ちにさせてくれるものでした。

 一人ひとりのボランティア活動は、限られたささやかなものですが、被災者の方々をなにがしか励ますものとなることを願います。
 そしてボランティアに参加した方々が、もともと備えていた思いやりの心を、活動を通して一層深いものに育てていくであろうと推察します。
 またそれが、被災地復興のみならず、大震災で浮き彫りになってきた日本社会の「泥を落とす」仕事の大きな力になっていくだろうと確信します。

そのようなことを思いながら、疲れながらも、少し暖かい気持ちで帰りの車に揺られました。
普通車に汗だくの男が5人、余り爽やかな空間ではありませんでしたが・・。

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