パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

240118 日本の病根

2024-01-18 10:54:37 | パロディ短歌(2011年事件簿)
      二つの事件に共通するもの

 昨年末から世間を賑わしている事件が二つある。一つは自民党清和政策研究会(新聞やテレビは安倍派と記載するが、その後細田派に変わり、現在は会長不在だからこう記載するのが正しい)にみるパーティー券の裏金化問題。もう一つは週刊文春が報じたお笑い界のドン、松本人志の性加害パーティー開催疑惑。

 

 前者はそうそうたるメンバーが事務総長を経験していて、裏金の不記載に関して、会計責任者との共謀があったか否か―が問題とされている。政治資金の不記載という形式犯でもあり、筆者は軽い処分に終わると予想していたが、処分どころか事務総長経験者に関しては不起訴という結果が待っていそうである。

 後者に関しては、もう勝負あったとみていいのではないか。松本氏自身は「事実無根なので裁判で争う」と息巻いたが、文春の報道後、状況証拠になりそうな暴露記事がSNSで相次いだ。松本人志のパーティーは女性に悪評高く、なかなか人が集まらなかったという。何のことはない、業界で広く知られていることにかけては、ジャニーズ創始者の性加害と同じなのである。いろいろな人がコメントを残したが、その中では上沼恵美子「松本さんはお笑いでは超一流だったのに、女に関しては三流やったね」という言葉が印象に残っている。松本くんは「裁判のために仕事をおりた」が、仕事を下りたまま何もできない―という結末だって十分にあり得る。

 ただし、ここで論じたいのは、個々に二つの事件を追うことではない。実は二つの事件には共通するものがあって、日本の国力低迷とまんざら無縁でもなさそうなところが気になっている。キーとなる言葉は「暗黙の了解」である。派閥のパーティー券のキックバックと政治資金としての不記載は「暗黙の了解」事項であったに違いない。松本パーティーが女性との性交渉を含んでいることも「暗黙の了解」事項であったことも疑いえない。

 「暗黙の了解」は誰と誰が了解しているかも分からない。了解している内容も一つであるとは限らない。書類を残したり、口頭ではっきりと伝えているものではないからだ。言葉以前の目配せとか、「あれなぁ」と漠然とした言い方で伝えあうもので、言葉によってすべてを明確化するという近代の精神(それは18世紀後半から始まっている)とは真っ向から対立する。惨憺たる戦争を引きおこした昭和20年以前の社会では、言葉が言葉として通用しなかった、呪文の役割しか果たさなかった――「八紘一宇」というスローガンが示している。これは戦中派であり、イデオロギーに染まらなかった丸谷才一氏がかつて述べたところである。つまり、日本の社会は前近代の尻尾を引きずったままである、というのである。

 丸谷氏が警告したので、1945年からは前近代を脱却する動きが加速したはずであった。事実、丸谷氏も「戦前に比べたら、戦後の文章は少なくとも意味の伝達が第一義になった」と評価していた。しかし、今回の二つの事件は、相変わらず前近代を強力に内包している日本の社会=世間の姿を明るみに出した、と言えるのではないか。

 自民党清和政策研究会の裏金騒動に関していえば、検察当局があれだけ捜査したにもかかわらず、事務総長の共謀が実証されなかったのは、「暗黙の了解」は証拠を残さないからである。松本人志の性加害パーティについても、「暗黙の了解」事項は明らかにならないだろう。悪智恵にたけた政治家と違って、お笑いタレントがポロリと「暗黙の了解」を洩らすことはあるかも知れない。しかし、その場合でも物的証拠はないことがほとんどだろう。

 「暗黙の了解」が幅を利かせるのには理由がある。日本はまれにみるランキング社会である。エマニュエル・トッドが分類した家族原理の中で、日本は(ドイツなどと同じ)直系家族原理に支配されていることはすでに紹介した(2020年7月3日付きブログ「E・トッドを理解すると、世界はどう見えるか?―家族類型と集団の無意識=」)。霞が関の官僚組織、学校のクラブ活動、会社という利益集団、いずれをとってみても序列に敏感で、その場の空気を察する能力が最大限に評価され、空気の読めない人物は集団からはじかれる掟。このような社会で、ランクの上位に位置する人物への忖度が幅を利かせ「暗黙の了解」が頻繁に使われるのは当り前である。

 最近の日本経済低迷、社会の混迷も「暗黙の了解」が幅をきかせている社会の限界を示しているようにみえる。「暗黙の了解」とは、現状を墨守する人々が好んで使う手段であるからだ。1945年の敗戦以来、我々は営々として前近代の暗黒を克服してきたつもりだった。この種の事件が続出するのは、その努力が水泡に帰したことを意味する。やりきれない。

 「気働き」という言葉がある。「その場に応じて、よく気が利くこと。機転」という意味だ。私でも秘書を雇うとすれば「気働き」のできる者を雇いたい。いちいち、なすべきことを教え、理由を挙げて手順を説明しなければならない部下は足手まといである。しかし、今回の二つの事件は「気働き」が悪い方に作用した結果であろう。才能は良い方にも悪い方にも発揮できる、という見本のようなケースである。

 二つの事件は、よく似ている。清和政策研究会が裏金で墓穴を掘ったとすれば、松本人志は(表沙汰にできない)裏の性行為で墓穴を掘ったのであろう。「私の女好きが芸能界でこんなに知られているとは知りませんでした。週刊文春が記事にしてくれて、女好きと金遣いがけち臭いことまでが全国に広まったのも有難いといえば有難く、厚く御礼申し上げます」とでもボケてみせて、お笑いに復帰するのが得策だと思うが…。

 二階派につづき、清和政策研究会が解散を決めた。岸田派が追随し、他の派閥もそれなりの対応を迫られるだろう。しかし、情報と金のある所に人は群れる。まして政治家においておや。金はしばらくタブーになるだろうから、情報網を取りまとめた者の周囲に議員は集まるだろう。新たな金づるを開拓した者が勝者になるだろう。

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